漢気は突然に(裏)
忘れもしないあれは3年前の夏の始まりの頃だった。……いや、そんなに前じゃないな、2か月前か1か月ぐらい前だったか?
「鈴木よ、忘れているではないか。」
「いや高橋。我々にとって日時などというものは些細なことではないか。」
「確かにな鈴木、四季がわかれば充分。暗くなれば夜、明るくなれば朝、そしてお腹が空けば狩りの時間だな。今の指摘は忘れてくれ。」
あの頃の我らは浮世の根無し草。今でこそ立派な名前を貰っちゃいるが、名前すらなかった。
「ブラック・キャット・ダンディズ」。通称BCDは元々6人兄弟で始めたが、一人消え二人消え、やがて我ら二人だけになってしまった。
生き別れた兄弟たちがどこか遠くの地で元気にやっているのか、それとも天国に行ったかはわからぬ。所詮は浮世の根無し草、流れるままにってやつさ。
あの日は曇天模様で空気が重たく、体にのしかかるような日だった。せっかくの黒艶の毛並みも台無しさ。
こういう日は仕事に向いてない。どこかで大人しく寝てるに越したことはない。だが夏を手前にして、ここいらで精力を付けなきゃいけないというのも確かだった。2~3日、いやもっとかな? 俺たちはまともな飯にありつけてはいなかった。
そんなところに大きな仕事が舞い込んできた。そう、狩りの時間さ。
我々は周到に下調べをした。状況は思ってたほど悪くはない。決行は薄暮時、つまり夕方。
我々には勝算があった。我がBCDには「ジェット・キャットリーム・バックアタック」通称JCBという連携技があるのだ。
元来は1人が対象に声をかけ、あるいは身体を接触させて注意を向けさせる。そしてさらに1人が挙動不審な動きやブラインドをかけ陽動する。これで大抵の奴は注意力が散漫にならざるを得ない。あとは残りの仲間で獲物を掠めるという算段さ。
我々BCDはこのJCBで数々の修羅場を抜けてきた。残念ながら我々はもうすでに2人しかいない。更に言えば、注意を向けさせられるほどの可愛い気も無くなった。
だが、大人になったからこそ、数々の経験をもとに引き付けを1人でこなし、もう1人が大物を運ぶ力を得た。
過去の栄光にすがってたって、腹は満たされないのだ。我々は進化せねばならない。
『いくぞ、兄弟!』
『こっちは何時でもOKだ!』
NYAAAAAUUURRRRYYY!!
だが我々は一つ、大きな過ちを犯していた。
あろうことか2人して獲物に飛びかかってしまったのだ!
「……。あの時はてっきり鈴木が陽動だと思っていたんだがな。」
「いや高橋、いつも陽動が担当だったではないか。」
「いや鈴木、あの日「今日は陽動やるかなぁ」と言ってなかったか。」
「あれほどの大物が目の前にあってはな。」
「あぁ確かに。我々が本能には逆らえんのは間違いない。」
そっから先は全くの想像通りさ。
半狂乱になった男が柳葉包丁を持って追っかけきやがた。我々は獲物なぞそっちのけに走った。だが悲しいかな、我々には逃げ続ける体力が残ってなかったのさ。
その時だったよ。颯爽と我々と男の間に姐御が現れたのは。
『天下の往来で長ドス振りますなんざぁ、穏やかじゃないねぇ。』
『何だぁ手前ぇは! 此奴等は盗人じゃあ!
遊女風情がしゃしゃり出てくんじゃねぇぜ!』
『目の前で刃傷沙汰なんざぁ夢見が悪い。
盗人ったって物は取り返してんだろう?
ここは一つ、あたいの顔に免じて納めてくれやしないかねぇ。』
『それじゃあ腹の虫が治らねぇ!
邪魔立てするってんなら、手前ぇもこのドスの錆にしてくれるわぁ!』
『あんた達、あたいの後ろに隠れな!』
シュタッ、シュタタン!
あの時の姐御の背中は大きくて暖かかった。我々は必死にしがみついた。
その直後、何が起こったのかわからん。気がつけば、男の自慢の柳葉包丁は姐御の手の中さ。
『それで、そのドスってのはこれのことかい?』
『手前ぇ、何時の間に……』
『ほら、返すよ。』
姐御の手から放たれた柳葉包丁は、男のズボンのベルトを掠め、壁に突き刺さった。
お約束のズボン落ちってやつさ。
『じゃあこの子等はあたいが預からせてもらうよ。』
これが我らと姐御の出会いだったのさ。
「なぁ鈴木、ちょっと話を盛り過ぎではないか。
そもそも主様はそんな話し方はしないだろう。」
「高橋、多少の脚色は仕方がないではないか。」
「鈴木の主様愛の表れか。」
それからというもの、危機を救ってもらえただけでなく雨露をしのぐ寝ぐらまで用意してもらった。この恩義は返して返しきれるものではない。
我らBCDは一生、姐御に仕え続けようと思っていたのだ。
だがな、今朝のことだ。
『あんた達とは今日でお別れかもしれないねぇ。』
『何を言うか姐御! いつもの仕事だろう?』
『鈴木、今夜は天気が荒れそうだよ。嵐になるかもしれないねぇ。
もし帰らなかったら、あとのことは田村に任せてあるから。』
『命懸けの仕事ですかい。』
『あぁ、高橋。
そう囁くのよ、あたいのゴーストが。』
『命なんざぁ、いつか散るのが定め。それが5年10年先か、今夜かってだけのこと。
ですがね姉御、命は死ぬまで使える。大事にして下せぇ。』
『高橋! お前という奴は姉御に向って!
我々はこれまでの恩義を返せてはいないではないか!』
『いいんだよ鈴木、あたいは十分あんた達に癒してもらったよ。
あたいがあんた達と出会った頃はね、日々色付いていく世界に困惑し心細く思っていたのさ。
あたいが元々育った世界、漆黒の世界をあんた達を見て思い出していた。
最悪な時代だったけどね、やっぱりあれがあたいの原点なのさ。』
『姉御ーーーーーっ!!』
「いやすまん鈴木、俺はそんな台詞を言った記憶が……
そもそも鈴木が主様を「姉御」と呼んだ記憶はないのだが。」
「演出だ、高橋。」
「ふむ、それならば致し方なしか。」
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部屋住みの伊藤イットウ(37)は困惑していた。
なぜ俺は正座して猫の前にいるのか。かれこれ1時間弱はこうしている。
普段は上役の田村の兄貴が使っているこの「事務所」で雑用をしている。部屋の清掃から電話番、来客時のお茶出しなどだ。このまま「使える男だ」と認められれば兄貴から推挙され、晴れて「笠仔組」へと入ることが出来る。遅咲き桜かもしれないが、田村兄貴との盃、いや壇之浦の社長と親子盃だって夢じゃないかもしれない。
俺は壇之浦社長の漢気に惚れて田村の兄貴に口利きしてもらった。最初は「この人の下か、いけるな!」と意気込んだものだが、飄々とした兄貴の表の顔とは裏腹に、実に手際よく配慮よく壇之浦社長を支えていた。それは身近にいればわかる。兄貴はすげぇ。
今日もそうだが、兄貴から「お嬢の大事な猫様達だ、粗相のないようにな。」と預けられた。度々事務所で面倒を見ている。実際のところは面倒を見るというほどのことは無い。水とエサを用意してやれば、猫たちは大抵はすっと寝ているだけだ。
「お嬢」という人には会ったことがない。壇之浦社長の懐刀だとか、笠仔組の死神だとか、目が合った瞬間に斬られてるなどと噂は耳にするが、真実は知らない。
「今夜は大きな出入りがある。」と兄貴が出がけに一言残していった。
「いつか自分も!」と決意を新たにしながら、猫たちのエサと水を用意し事務所の掃除をした。
ひと段落した頃に、猫の一匹に呼び止められた。いや、猫が喋るわけがねぇ。だが「落ち着いたようだな、そこに座って俺の話を聞け。」と言われた気がして、反射的に猫の前に座った。
それからは度々猫同士で「みゃーうぅ」だとか「みゃぁああん」だとかと言いあってはいたが、ほとんどは手を舐めたり、その舐めた手で顔を拭ったり、「ん? どうやったらそんな姿勢が?」という態勢で身体を舐めてた。だがその視線は常に何かを俺に訴えかけていた。
途中で「にゃあああああぅうりぃぃぃいいっ!」と雄たけびを上げた時には心臓が跳ね上がった。
そして最後に猫が哀愁のようなものを漂わせたとき、俺は何故か涙が止まらなくなっていた。
誰も信じないかもしれねぇ。兄貴だってわかってくれないかもしれねぇ。
だが俺は確かにこの黒猫の中に「漢気」を感じたんだ。




