清掃員の白昼夢(裏)
「先生。つまりは夢、のようなものなんじゃろうか。」
「まぁ一時的な混乱ですよ。
検査結果を見ても異常が見られませんから、転んだ際に頭を打って軽い脳震盪を起こしたのでしょう。
念のために2、3日様子を見ましょうか。」
先生が穏やかな笑顔でそう説明する。確かに夢を見ていたように、現実味のある体験ではなかった。定年後に始めたアルバイトだったが、それでも遊園地の掃除の仕事についてから5年近くになる。その間にいくつかの夢のようなもの催し物を見かけたが、あれほどのものを見たことは無かった。
やはり夢のようなものなのじゃろうか。疲れがたまっているのか、私は。
「父さん、大事に至らなくてホッとしたわ。
もう、元気なのは嬉しいけど、あまり無理はしないでよ?」
普段なら年寄り扱いするなと怒るところだが、流石に今回は娘の言葉に反論できない。
付き添われながら向かった病室には、一緒に見舞いに来ていた孫が待っていた。
「あ! じっちゃん!
じっちゃんの好きなどら焼き買ってきたんだよ!」
「あんたが好きなんでしょ! もう、あまりはしゃがない。
じゃあ母さん、ちょっと電話しなきゃいけないところがあるから席外すわね。」
「あぁあぁ、すまない。仕事中だったろう。」
娘が何も気にしないで、と言うように笑顔で応えたあと、孫に静かにしてるようにといった感じで厳しい目線を送る。それを見た孫は苦笑いで応えた。そういうところは娘にそっくりだ。
「夏休み中だろうに、すまんな。」
「ううん、大丈夫。ちょうど退屈してたし。
それよりさ、さっきの話の続き、途中で終わっちゃったからもう一回最初から聞かせてよ!」
「夢、の話かもしれないけどなぁ。」
孫が目を輝かせながら私の顔を覗き込む。まるで娘に昔話を聞かせてやってた時のようじゃわ。
やはり血筋なんじゃろうかな。
「ちょうどな、じっちゃんが次に掃除するトイレに向かってるときじゃった……
トサッ
何もないはずの上空から落ちてきたというのに、大きさの割に軽いのか、大した音もなくそれは降臨した。
「……なんなの? あれは?」
「あー、確かここのマスコットキャラクターのニャンニャンなんちゃらだったと思うっす。」
「そういうことじゃないでしょ?」
娘々太郎(の着ぐるみ)が、のそりと立ち上がる。
遊園地の明るいマスコットキャラクターであるはずなのに、全体から陰鬱な雰囲気が漂う。その張り付いた笑顔に狂気すら感じる。ゆらゆらと歩き始めたそれが、視点は合っていなかったが山羊のお面を付けたドレスの女と黒い所々穴の開いた服を着た男の方へと顔を向ける。
パレードの連中じゃろうか。にしてもただらなぬ空気じゃった。
突如、娘々太郎の手から鋭い爪、いや複数のナイフ、あの洋食屋で使う食卓用のナイフが突き出る。
「やる気満々と言うことなのね? そういうことなのね?
いいわよ? その体に流れているかわからないけど貴方の真っ赤な血で染め上げてあげるわよ?」
空中を荒れ狂う三つの竜巻がうねりを上げて一つに纏まり、大きく上空で旋回した後、二つの竜巻、渦巻く紙吹雪となって一方が娘々太郎の背後に差し迫る。
何かに躓くように娘々太郎が倒れたかと思うと、その図体からは想像できないような速度で一気に二人組へと接近した。
もう一方の渦巻く紙吹雪は私に迫ってきた。
南無南無、私は死を覚悟した。あわやというところで横殴りに私は掻っ攫われた。
「オストリッチ。民間人1名、清掃員と思しき者を保護した。
至急、P53に救護班を寄越せ。なおOⅢの二体とは現在も交戦中のため、到着次第、引き渡しに向かう。」
眼前に迫っていた紙吹雪から私を救うように天使が現れ、そのまま稲妻のような速さでそこの場を立ち去った。通路に設置されていた消火器のボックスの影に入ると、すぐさまその手にする機関銃で掃射を始める。
パタタタタ、パタタタタというタイプライターの音のようなものが木霊する。
「少し乱暴を働きますが、ご容赦くださいますように、88%」
「猫って桃太郎の仲間にいるっすか?」
「わたしに質問するというの? 荒渡? このわたしに質問をぶつけるというの?
でも、この不穏で不安定で不規則なステップでわかったかしら?
何時ぞやの子でしょ? そうでしょ?」
娘々太郎が濁流に翻弄される木っ端のように回転し、突如流れ、時に引きながら二人へその手から生えたナイフで引っ掻き、投げつけ、翻弄する。
飛び交う紙吹雪も銃弾も、水の流れに抗わず流されるように躱し続けながらそれをやってのける。
「ちょっと荒渡? どんだけ屑で愚鈍で役立たずなの?
少しは応戦したらどうなの? わたししかやってないんですけど?」
「蔑んでくれるくれるのは嬉しいっすけど、ご期待に応えられるかどうかわからないす。」
黒ずくめの男が娘々太郎の接近に合わせ、攻撃をいなしながら抱き着くように密着する。その行動にそれまで動き続けていた娘々太郎がピタリと止まり、微動だにせず立ち尽くした。
間髪入れずに放たれた銃弾を手で受けながら、黒ずくめの男が娘々太郎から離れる。
「密閉された空間だったんで、中を水没させてみたっす。」
依然、立ち尽くす娘々太郎の着ぐるみを渦巻く紙吹雪が取り囲み、容赦なくその体を切り刻んでいく。それはさながら暴風雨にさらされる銅像か何かのようじゃった。
見るものに哀愁を与えるような、抗えない自然の猛威に晒されているような、悲壮感の漂う光景だ。
バリバリバリバリッ!
実際に聞こえたのは「モシャモシャモシャ」かもしれない。でもそう表現するしかない光景じゃった。
着ぐるみが、卵からひな鳥が孵る孵るように、いやそんな生易しいものではない。もっと何か激しいものが生まれるかのように散り散りになり、中から何かが生まれた。
サンバカーニバルの踊り子じゃった。
眼鏡をかけたサンバカーニバルの踊り子は生まれたてのひな鳥同様、うな垂れるようにか弱い様子じゃった。その衣装、背中の飾りつけの羽に交じって4本の茶色い手が生えている。
そしてその手にはやはりナイフやらフォークやらスプーンやら、いくつものシルバーが握られていた。
その手が次々に紙吹雪を突き刺し回収していく。紙吹雪の竜巻に踊り子が傷つけられることはなかった。
「……、にゃんにゃんなんちゃらの中身は娘だったんすね。」
「……、サンバが踊れるとは思えないんですけど?」
「……、シュラスコ。」
眼鏡の踊り子は、サンバのような情熱は感じられなかったが、やはり着ぐるみを着ていた時と同様に流れるように二人の間を舞い始めた。
対する山羊面の女はより情熱的に、より激しく踊り始め、リズムがまるで違うのに踊り子の動きを合わせている。男の方は対照的に最小限の動きだったが、銃弾から山羊面の女を護っているようじゃった。
全く違うものが合わさり奏でる、まさに四重奏。徐々にその速度が上がっていく。
「そろそろ時間かしら? 荒渡?」
「そうすね。」
殺意の感じられない攻防、死と隣り合わせにギリギリのラインの舞踏が最高潮に達した時、山羊面の女が強く地面を踏みつけた。
どういうからくりか、舞台の最後のように大量の紙吹雪が地面から吹き上がり、辺りを包み込む。
その紙吹雪が螺旋を描きながら中央に集まったかと思うと、そのまま上空へと吹き上がり山羊面の女と黒ずくめの男を連れ去った。
「いい退屈しのぎになったわね?
今日はそれなりに美しかったわよ? また踊りましょうね?」
建物の屋上から山羊面の女が見下ろし、ポーズをきめる。
「次は室内でおなしゃす。」
山羊面の女の横にしゃがみこんだ黒ずくめの男が、手を振りながら呟いた。
二人の上空を航空機が低空で飛び去る。
その音と光と影の明滅に目を奪われた隙に、二人組はその場から消え去っていたんじゃ。




