平穏の経費は2600円也(裏)
爽やかな午前の日差しが大きな看板の下、店先を照らしている。
店の扉が静かに開かれる。幌谷カナデはそこから顔を出し、少し目を細めながら空を見上げた。今日も天気が良さそうだ。暑い一日になるかもしれない。
カナデは両手を腰にかまえ、「よし。」と小さく頷くと、店の立て看板を外に出して開店の準備を始めた。
商店街の少し外れにあるこの雑貨屋は、窓から見える店内の商品がなかなかファンシーな色合いであったが、決してうるさ過ぎず、元々骨董品屋だった建物とうまく調和していた。
カナデは「これは売れるに違いない」と、ここ最近の一押しである風鈴をいくつか軒先につるし、そしてまた「これは今年の夏のアイテムとして一躍買うに違いない」と自信をもって勧めたいサンダルを、店先に飾る。
一通りの準備を終え、カナデは店内に戻った。今日はバイトちゃんが休みで来ないから、店長の私一人だ。とはいっても午前中は暇だろう。今のうちに次に入荷する新商品の情報収集をしなくては。そうだ私は忙しいのだ。カナデは一人、笑顔になり気合いを入れる。
ちょっとして、「シャラン」と小さく入店を知らせる音が鳴り、店の扉が開く。本日、最初のお客様だ。
「いらっしゃいませ…。あら?」
そこに顔を見せたのは、見慣れた猫背の女の子。最近、週1~2回は来てくれているメガネをかけた可愛い子だ。午前中に来るのは珍しい。
無口な子なので、あまり話したことは無いけれど、どうやらうちのお店を気に入ってくれているみたいだ。はじめて来られた時には、猫の餌や水を入れるための皿を買っていかれたが、それ以降は、たまに洋服を買ってくれている常連さんなのだ。
いつも手に取ったり買ったりはしないけれど、必ず店に入ったらぐるっと、雑貨類を一通り見て回る。きっと色とりどりの商品を眺めるのが好きなのだろう。先週入荷したシュシュなんか、とても似合うと思うのだけれど。
そして決まって、とある洋服コーナーの前で立ち止まる。そこの棚はちょっと特殊で、色々なコスプレっぽい服があるコーナーだ。たまに彼女のように、そこの商品を目当てに来られるお客様がいらっしゃる。最初は可愛い服だなぁと思って始めたコーナーだったけれど、これは一つのジャンルとして定着しそうだ。
彼女が色々と手に取り悩んでいる。そっとして、楽しんでいただこう。私はレジに戻り、新商品の情報を映し出すパソコンの画面に目を落とす。
ほどなくしてまた、別のお客様が来られた。うちのお店に男性の二人客とは珍しい。
彼女や奥さんへのプレゼントを買いに来たのだろうか……
佐藤ウズシオはチアガールの衣装を手に取り、まじまじと眺めた。胸に大きくプリントされた文字は、なんて書いているのかわからなかったが、そのカラフルな色合いは何だか元気になれそうな感じだった。
今日はとてもいい服を見つけることが出来た。買って帰ろう。
店のドアが開く音に、来店者があったことに佐藤ウズシオは気が付く。いや、音ではない。二人組の男から放たれる「その場にそぐわない空気、気配」に気が付く。これは普通の買い物客が放つ気配ではない。しかし、よく知っている。この平穏な世界、この店にはそぐわない気配。
近くに立てかけられている姿見の鏡をちょっとずらす。男が二人。うち一人がこちらを見て嫌そうな顔をしているのが確認できる。これから我々がしようとしていることに対して邪魔者がいる。そういったところだろうか。
佐藤ウズシオはそっとポケットから携帯電話を取り出す。携帯電話と言っても、防犯ブザーのついた、いわゆる「子供携帯」というやつだ。おもむろにブザーの起動ピンを抜く。チカチカと起動したことを知らせるように画面が点滅したが、面白いことにブザーは鳴らない。そういう風に改造してあるのだろう。
佐藤ウズシオはチアガールの衣装を持って試着室に向かった。
窓の外にちらっと眼を向ける。黒塗りの大きな車が店の前を塞ぐように止まっている。ブラインドして、外から店内を見えなくしているのだろうか。そしてこれは拉致か誘拐か。いずれにしろターゲットは幌谷カナデか。
店内には二人。おそらく車には運転手と、せいぜいもう一人。店の外に他の人影は見当たらないが、もしかしたら裏手に一人ぐらいはいるかもしれない。
佐藤ウズシオは試着室で手早くチアガールの衣装に着替えた。案の定、様子を伺うためか男のうちの一人が近くにやってくる。脱いだシャツを紐状にして、試着室の前を通り過ぎかけた男の首に素早く引っ掛ける。そしてできるだけ静かに、試着室へと引きずり込んだ。幸い小さく流れる店内のBGMが、こちらの立てた音をかき消してくれている。手早く男の頸椎を締め上げ、一気に気絶させる。
流れ作業のように、とどめにナイフで頸動脈を掻き切ろうとしたが、血で後始末が大変になることに気が付き、佐藤ウズシオは思いとどまった。
さりげなく試着室を出て、先程まで着ていた服を無造作につかみ、レジへ向かう。もう一人の男はまだ相方がいなくなった、絶命して試着室にいる、などということには気が付いていないようだ。素人か。
佐藤ウズシオはレジへと向かいざまに、金属製のかんざしを二つ、手の内に忍ばせる。
「これ…。」
「はい。今日も着て帰る?
いまタグ取りますね。」
幌谷カナデは佐藤ウズシオの背後に回り、首元のタグを取り外す。そしてレジを打ち、脱いだ服を袋に入れ清算する。
「あ、ちょっと待っていてくださいね!」
幌谷カナデは小走りでヘアアクセサリーの陳列している方へと向かった。
今更ながらもう一人の男が相方がいないことに気が付き、見るからに動揺し、挙動不審となる。
佐藤ウズシオはすっと男の背後に回ったかと思うと、素早く口をふさぎ、そして間髪入れずにかんざしを男の後頭部、盆の窪へと的確に突き刺し、続けて呼吸機能を閉塞するためだろうか、首元から胸部へと向けてもう一本を突き刺す。
佐藤ウズシオは力なく崩れゆく男を静かに床に下ろし、ワンピースが陳列されているラックの下へと押し込んだ。
「このシュシュ、今日の服にとっても似合うと思うの!
サービスするから良かったら使ってね!」
幌谷カナデは嬉しそうにほほ笑んだ。
佐藤ウズシオは無言でコクッと頷き、脱いだ服とシュシュを入れた袋を受け取る。
「あら? 帰られたのかしら?」
佐藤ウズシオを見送りながら、二人の男がいないことに気が付いた幌谷カナデが、小さく独り言を呟いた。
佐藤ウズシオは店を出ると、目の前に止めてあった黒塗りの大きな車の、後部スライドドアを無造作に開ける。中に乗っていた男が「ああ?」なんだお前は? と言い終わらぬうちに、太腿に装備していたナイフを心臓へ向けて投擲する。そこへさらに深く突き刺すようにナイフの柄を蹴りこむと、その勢いで車中へと乗り込み、すかさず運転席の男の頸動脈を、もう一本のナイフで切り裂く。返り血が飛び散らないように深くその男の首を前のめりに押さえつけ、そのまま助手席側へと倒す。
一連の流れの間に、開けたドアが電動で閉まった。佐藤ウズシオは車中の二人の男が動かないことを確認すると、注意深く、今先程買ったチアガールの服が汚れないように二本のナイフを回収して、太腿の鞘へと戻した。
乗ったほうの反対側のスライドドアを開けて車外へと降りる。降りたところへ落ち着いた様子の男、ハンチング帽を被った若い男が近寄る。
「GPS連絡がきたので駆け付けましたが、もう終わったようですね。
店の裏手にいたやつはやっておきました。後処理はこっちらでやっときます。」
「試着室とレジ横の服の下。」
「わかりました。」
「あと、2600円。」
「え?」
「かんざし。店の。2600円。」
「あ、あぁ、わかりましたよ。」
佐藤ウズシオは何事もなかったかのように、その場を立ち去る。
周りの人々がこちらを見ているようだったが、それはいつものことだ。この服でみんな元気になってくれるかもしれない。
歩きながら袋からシュシュを取り出した。それを手首につけて眺めてみる。ネコに狙われるかもしれない。大事にしまっておくしかないかも。と佐藤ウズシオは思った。
ハンチング帽をかぶった若い男が、陽気な感じで店の扉を開く。
「カナデさーん! こんちわー!」
「あらあら、田村さん。いらっしゃい!」
「まだちょっと早いですけど、お昼ごはん食べに行きませんか?
知ってます? そっちに新しくパスタ屋できたんですよ!」
カナデが窓の外を見る。先程まで止まっていた黒い車が、ちょうど発進していった。いつのまにか日差しが高くなったようだ。眩しいくらいの陽光が店内まで入ってくる。
「うーん、冷製パスタが食べたいなぁ。
田村さんの奢りなのかしら?」
カナデは悪戯っぽく笑った。
いつのまに持っていたのだろう。田村が手に持っていたかんざしを二本差し出す。
「もちろん奢りますよ!
と、その前にこれ買っていきますね。
うちの事務員のご機嫌を取らなきゃいけないもんで!」
田村は大袈裟に明るく笑った。
カナデはレジを打ちながら腕時計を見る。今から早めの昼食をとって、午後には開ければいいかもしれない。今日はいつもと違って賑やかな午前だったけれど、もう客も来ないだろう。
「いいわ。じゃあそのパスタ屋さんに行きましょうか。
でも自分の分は自分で払うわね。大事なお客様に奢ってもらうわけにはいきませんから!」
「うへぇ。彼氏の道のりは遠いなぁ。」
「残念! 私はこのお店が彼氏なの!」
カナデが田村を促し、店の外へと出る。
店の扉に鍵をかけ、「12時まで臨時休業」と店先の黒板に書き込んだ。
田村は、その様子をちょっと心苦しそうに眺めながらも、すっと手を挙げ、どこかで待機しているであろう仲間に合図を送った。
カナデの「大事な店」に彼女が戻るときには、正しい平穏がまた再開されるのだ。




