品行方正な護身(裏)
キーン コーン カーン コーン
間延びしたようなチャイムが鳴る。いつもの学校の、いつもの音。
でも今日は違う。
「ねぇねぇ! 今日は晴れててよかったねぇ!
これはさ! これはさ! ヒヨの普段の行いが良いからじゃないかな?」
ひよりんが教科書やらノートやらを乱雑に鞄にしまっている。
あ~あ、絶対に明日「あれ? 数学の教科書どこやったっけ?」って言う。もうすでにその光景が、容易に目に浮かぶ……
その笑顔は今夜の花火大会へと、すでに心が移っているのが見てわかる。
「う~ん、ひよりん。そんなに品行方正だったっけ?」
琴子が穏やかな笑みで返した。
静かに確実に、粛々と机の上のものをしまっていく琴子。うん、ひよりんほどじゃないにせよ、あたしとはまた違う。琴子は品行方正だ。
「うぇ~? ここ最近は清く規則正しく、まじめにやってるよ?
ねぇ? ニコナ! ニコナもなんか言ってよぅ!」
「うん、まぁ、うん。ははは。」
なんだろうこの違和感。なんだろうこの感覚。
二人はあたしの大事な友達。護りたい大切な友達。
「はいはい。じゃあそういうことにして、行こっか。
ちょっと急がないと花火に間に合わないかもよ?」
帰る準備を整えた琴子が笑いながら先に教室から出ようとする。
「うわぁん! 待ってよぉう!」とひよりんが続く。
「待ってっ!!」
あたしは立ち止まり、二人を呼び止めた。
上げた自分の声が思ってたよりも大きくて、あたしの時が止まる。
驚いたような二人の顔がこちらへと振り返る。
「強くなりたい、と。」
「うん! 強くなりたい!」
師範おじいちゃんがあたしに尋ねる。
それに対し、無垢に答えるあたし。
「なぜ、強くなりたいのかね?」
「うんとね、強くなって、強いやつと闘いたい!」
「強いやつと闘いたい、か。」
「うん!」
「強いやつと闘ったら負けるかもしれんじゃろう。」
「んじゃ、もっと強くなる!」
「む~ん。
じゃあ、強いやつに勝ったらどうするんじゃ?」
「もっと強いやつと闘う!」
師範おじいちゃんが困ったような微笑を浮かべる。
「闘うのが目的か。
いやはや、なんともまぁ難儀な子じゃのう。
その強いやつを倒したい、ということなのかのう。」
「む~ん。
む~ん、む~ん!
わかんない! だってさ、生きてるって感じするじゃん!」
「生きてる実感なんぞ、他にもあろうに……。
む~ん、儂も人のこと言えた義理じゃないが。
はて、子女や娘っ子ならば護身程度でいいんじゃがのう。」
「ごしんって?」
「ん? そうじゃなぁ。
ではな、ニコナ。儂に触れてごらん?」
師範おじいちゃんがふわりと立ち上がる。あたしは咄嗟に手を伸ばす。
「捕まえた!」と思ったのにギリギリのところで躱される。
まるで触れられない、捕まえられないられない蝶のように舞う。
あたしは追っかけて手を伸ばす。
「触れたらニコナの勝ちじゃ。」
一生懸命追いかけるのに、寸でのところで触れられない。
「も~! じっちゃん逃げてばっかじゃん!」
「かっかっかっ! 逃げるのも勝ちじゃよ!」
「え~~~」
「良いか。
強い弱いと、勝ち負けは別物なんじゃよ。
自身を護り、他者を護るのも勝ち。それが護身じゃ。
逃げても避けても勝ち。
どうじゃ?」
「う~ん、それは面白くない! まったく面白くない!!」
「まったく。難儀な子じゃのう。」
バランスを崩したあたしを支え、頭を撫でる師範おじいちゃん。
あたしは嬉しくなって、しっかりと捕まえる。
「あたしの勝ちだね!」
「強くなって強くなって。
自然と脅威を避けるようになるのが護身なんじゃがのう。この子はあえて闘う道を選ぶのじゃろうかな。難儀な道じゃな。」
あの日の、武術道場に入門したての頃の、あたしの記憶が蘇る。
あぁ、きっとそう。
大橋には危険が待っている。近寄ってはいけない何かがある。
ピリッと感じる静電気のような。思わず手を引っ込めるような感覚。
そんな匂いがする。
「どうしたの? ニコナ?」
琴子が心配そうに尋ねる。
そうだ。二人を、あたしの大切な友達をそこに連れて行くわけにはいかない。
「えっとさ……」
だけれど、なんて説明したらいいのだろう。どうしたらいいのだろう。
二人をそこにやってはいけない。大橋に行ってはいけない。それはわかる。
でもその説明も、その避ける方法もあたしにはわからない。3秒考えてみたけれどもわからない。
「天気いいんだっけ? この後も。」
「うぇ~~、ニコナも疑うかなぁ!
雲一つないのにぃ~~~!」
即座に返すひよりんの声が響く。
あたしは急いでスマホを取り出し操作する。
えっと、二人を行かせないためには、う~んと、花火大会を見るのは約束してたわけだから、あたしが行かなくても二人で行ったら意味がないわけで……
だから別の場所に行かせないといけないから……
にぃちゃんに大橋以外の花火がよく見える場所を聞こうかと思ったけど、それは無理な気がする。絶対に「そんなの僕にはわからないよ!」って言うに決まってる。花火大会のよく見える場所で、学校からすぐいける場所なんて知らないと思う。
んじゃ、どうしたら……
『大橋に友達といただきます!』
慌ててメールを打つ。あーーーーーっ、もうっ!! なにこの予告文みたいなやつ!
打ちなおそうとしたところで直ぐに返信が来る。
『了解しました。周知します。現状送ります。』
現状? ミスミさんからの返信内容に逆に驚く。
……やっぱり鬼が居るのか。続けてURLだけが送られてくる。
「大橋をいただく」のを周知されても、それが正しいのかはわからないけれども。
「なんかあった?」
琴子は勘が鋭い。鋭いというか、人の機微を感じてさりげなくフォローしてくれる。あたしのことを心配してくれている。
ヒヨリンは感覚だけで話してそうだけど、その根底にあるのは温かみだ。
二人には感謝しかないし、危険にさらしたくはない。
でもあたしにできる事って何だろう? 闘うこと以外にできる事って何だろう?
いや、護りたいから闘いたい。いや違う、あたしは純粋に闘いたい!
これはあたしの我儘なのだろうか。でもあたしには護りたい大切な友達がいる。そしてその「護りたい友達」を護ってくれる仲間がいる。ミスミさんが「周知する。」っていうことはそういうことだ、きっと。あたしができる事、できない事。
あたしができる事をして、できない事はできる人に委ねる。
その分、全力であたしができる事をする!
あたしには闘う以外の選択肢は無い!!
あたしは護るために最前で闘う! 迫る脅威は全て薙ぎ倒す!
「オケー! もし雨が降ってきたら、あたしが吹き飛ばすから!」
「うん、ニコナならできそう! これで安心ね!」
「も~! ヒヨの善良パワーで雲一つ来させないんだから!」
二人につられてあたしも笑う。
うん、そうだ。わからないからあたしは進む。進んだ先で答えを見つける。
笑が、いや嗤いがあたしの中から込み上げてくるのがわかる。
あたしは走り出す。




