茶碗蒸しの具は(裏)
軒島ニコナ、14歳、中学生。
凛とし涼しげな印象を与えるその表情から、周囲の者に与える印象は「クールな少女」といった感じだろうか。
また、いつも機能性の高いスニーカーを履き、その背筋格好や容姿から何かしらの運動部をやっていそうなのが見て取れる。
とはいえ活発なイメージよりも、その涼しげな表情の方が勝るためかバスケやソフトボールなどの集団で行う競技ではなく、陸上部のように淡々とトレーニングをしていそうな印象だ。
だがそうは言っても特別何か目を引くような容姿というわけでもなく、また周囲に印象を残すような煩さがあるわけでもなかった。
つまり軒島ニコナは見た目はどこにでもいる、普通で「平凡」な女子中学生だ。
父親は貿易会社に勤め、家に帰るのは月に数度、時には帰らない月もあった。そして母親は企業相手の弁護士だったが、父親ほどではないにしろ家を空けることが多かった。
つまり両親共に仕事熱心なタイプであり、家庭よりも仕事や社会で活躍するタイプだった。
それ故にニコナは父方の祖母と一緒にいる時間の方が多く、祖母に育てられていると言っても過言ではなかった。しかしそれとて今の時代から見ればなにも特別というわけではなく、「平凡」な家庭環境だと言えるのかもしれない。
両親に愛情がなかったわけではない。ニコナを子供扱いせず一人の人間として尊重し、自分達の生き方を見せ示すことで愛情表現としていた。二人共に、ニコナに不自由させているつもりはなかった。
つまりそれは愛情表現の一つの方向性だった。
それ故かニコナは早い時期から自立心が高かった。小学生になると、どうも周りにいる同級生との間に価値観の温度差を感じ、あまり学校生活には馴染めなかった。
もちろんイジメがあったりだとか登校拒否になったとかではない。ただ一定の距離感がそこにあった。
しかし時折、意味もなく何のきっかけもなく哀しみに襲われることがあった。止めどなく涙が溢れ出た。そんな時は静かに人々から離れ、一人で声を殺し泣いた。
その頃からかニコナは漠然と「強くなりたい。哀しみや寂しさに負けないよう、強くなりたい。」と思うようになった。
どういうわけか、そういう日はだいたい祖母は夕食に茶碗蒸しを作った。食卓はいつも通り祖母とニコナの二人だったが、いつも茶碗蒸しが4つ食卓に置かれた。ニコナは祖母の作る茶碗蒸しが大好きだった。割とシンプルなものだったが、食べ進めると山菜だったり栗だったりと、季節に合わせた具材で食べるだけで愉しかった。
祖母はいつも「冷めないうちに食べなさいね。でも火傷しないようにね。」と優しく微笑んだ。
ニコナが小学校3年生の頃、たまたま見たカンフー映画に衝撃を受けた。
その映画はごくありふれたストーリーで、いじめられっ子がカンフーを身につけ、やがて強いいじめっ子を倒すといったものだったが、その心身ともに強くなっていく過程に感動を覚えた。
何より師匠なる人物と主人公の少年との触れ合いが、親子関係以上の濃密さだったことが潜在的に影響したのかもしれない。
すぐさま祖母、そして両親にカンフーを習いたいと言ったが、意外にも父親が「芸の一つと考えれば将来役に立つかもな」と、貿易商らしい回答で賛成し(主要な取引先が中国であったことも影響し)、たまたま近くにあった中国武術道場へと通うようになった。
最初は難色を示していた母親も「体を鍛えるのであれば」と、応援してくれるようになった。
「平凡」な家庭の、「平凡」な小学生だった彼女の「非凡」な才能が開花し始め、常人以上の速度で上達していった。
ニコナは上達すればするほどにのめり込み、それ以上に大人と対等に渡り合えるのが何より楽しかった。武術を通じて大人と語り合うことができた。そこは「第2の家」のようだった。
だが、そんな安楽の地も長続きはしなかった。道場に通うようになって2年もした頃には、ニコナの「非凡」な才能に敵う者はいなかった。
やがて道場を共にする大人たちもニコナを敬遠するようになってきた。嫉妬や羨望、兄弟子としてのプライド。そういったものが邪魔をするのだ。
唯一、現役を退いた元道場主の老師は、そんなニコナを陰ながら心配していた。
この子にはもうこの道場は狭い。いや、それ以上にこの子には何か特別な使命がある。そう考えていた。
一方で応援してくれていたはずの両親の対応に変化が訪れた。父親は顔を合わすたびに「まだそんなことをやっているのか」と言うようになった。そして母親は学業のことばかり言うようになった。
中学校は公立ではなく、それなりの私立中学へと入学させられた。
とはいえニコナにとってみれば、小学校に特別仲のいい友達がいるわけではなかったのもあり、さほどそのことは気にならなかった。また文武両道を掲げる校風であったこともあってか、勉学にしてみても苦戦するほどのことはなかった。
中学校へと進学するのと同時に、ニコナは多種多様な武術道場、格闘技を学ぶようになった。
そこではもう同じような過ちを冒すようなことはなかった。すでに身に着けている技などを封印し、通っている武術道場でただひたすらにトレーニングし、技を修練し、吸収していった。
最初はどこも「女の子だから」と軽くあしらうか、逆に護身術として簡単な技を教える程度だったが、「非凡」なその吸収力の速さに熱狂し、請われるがままに教えるに至った。
ある程度のレベルに達したころには、周りの大人たちを刺激せぬようフェイドアウトした。
やがてニコナは「強くなりたい」という想いから、「強い奴と全力で戦いたい」と渇望するようになっていった。
その頃には道場でも学校でも、そして両親にも人間関係に一定の距離を保った。
「冷めないうちに、でも火傷しないように」、そういう生き方を選んだ。でも祖母の作る茶碗蒸しのようなワクワク感はそこにはなかった。
祖母と、たまに顔を出す中国武術道場の老師だけには、時々愚痴を聞いてもらったりしていた。
そんな生活の中で唯一、中学に入ってから出会った二人の友達は別格だったかもしれない。
「ね! ね! ヒヨと友達になろう!
さっきの体育の時の技、あのくるくるーって空で回るやつ、もう一回見たーい!
実は入学式の時から目を付けてたんだよねー! 絶対に友達になろうって!」
「一定の距離間」など無いかのように、一人はすんなりとニコナの懐に入ってきた。
「ごめんなさいね。
ヒヨリン、狭い教室で飛べるわけないでしょ。無理は言わないの。」
後ろから声をかけてきた人物は、物静かに、諭すように言った。
「私は琴子。ヒヨリンとは小学校から一緒なの。
こんな感じの子だけど、人を見る目は確かだと思う。
これからよろしくね!」
その声は優しい響きだった。
ニコナは最初は戸惑いがあったものの、二人のその自然な距離感の取り方に気が付けば馴染んでいた。
今ではニコナにとって心を許せる、そして取り繕う必要のない大事な友達だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「隙ありっ!」
ヒヨリンがニコナの背後から抱きつこうと飛び掛かる。
ニコナはお辞儀をするように上半身を倒し、その「攻撃」を躱す。
「うわっと!」
ヒヨリンが辛うじてニコナの背中に両手をつき、馬飛びして着地する。
「だが、華麗に着地! 満点じゃない?」
「9点。余計な言葉を言ったから。」
琴子が笑いながら言う。
「う~ん、8点? 左足がぶれてたから。」
「にこな採点辛すぎっ!」
ヒヨリンがふくれて、両手を上に挙げたまま振り返る。
「にこな、明日は?」
「明日は午前中はにぃちゃ…、従兄に古文でも教えてもらおうかな?
午後には夏期講習に顔を出すよ。」
琴子の問いかけにニコナは伸びをしながら応える。
「じゃあ、明日また学校で!」
「明日は帰りにあそこの生ジュース屋さんに行こうねっ? ねっ?
ヒヨは絶対、今月中に全制覇するから!」
大きく手を振るヒヨリンと苦笑いする琴子にニコナは手を挙げて応える。
『明日はにぃちゃんちに行って、それから…』
「桃太郎の犬」として覚醒したニコナにとって鬼退治をするというその「非凡」な日常は、自分の「渇望」を潤す絶好の手段だった。
そして何より「桃太郎」であるにぃちゃんといるのが楽しかったのだった。




