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綴られた世界  作者: 白井坂 十三
第七章:ついに始まる彼女の物語 ~大願成就編~
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第七十七筆:その先へ

 純にとって幸いだったことは紘和が獲物を【最果ての無剣】以外所持していなかったことである。正確には持ってきてはいたが、何かしらの理由で手放さざるを得なかったことである。その何かしらにはすでに純は見当をついている。全てを分かっているわけではないが、配役の状況から純は、【雨喜びの幻覚】を使用して身を潜めていたであろう友香が、アリスが紘和に成りすましした時に備えて持っているだろうと。それに付随する形で獙獙がアリスの様な口調だったのは成りすまししていると錯覚させるためのフェイクでほぼ間違いないと確信していた。なんとなく、こう来るだろう、こう来ざるを得ないだろうという状況を思い描き、そうであると信じ込んで後付けで自信として理由を肉付けをしていく。そんな不完全、推測の立て方としてはあまりにお粗末さが見え隠れする思考だが、この場において完璧な答えを導き出していた純は、それでもこれがあくまで自分の予想の範疇、つまり確定した事象であると確認できていないと理解しているため、獙獙が成りすましのアリスである可能性を始め、姿が見えていた友香はアリスではなく本人であり、隠し通された存在が、友香と共に今陸と戦っているのが獙獙である可能性を捨ててはいなかった。故に成りすましの脅威の片鱗を自らで体験していた純は警戒しなければならなかった。だから回り回って紘和が実体として構えられる獲物を持ち合わせていなかったのは幸運だったという訳である。

 では、なぜ幸運だったのか。それはもちろん、【最果ての無剣】を使用していることで紘和が本人であることを確定できる、という理由ではない。では、何か。それは【最果ての無剣】であれば無力化する手段を持っている他に、純が紘和に勝つ可能性、より厳密に言うならば命乞いをするための条件を達成するのが目に見える現物の武器の有無次第では困難になるからである。

 そもそも今回の紘和が今までとは別人に見えるほどの成長を、強さを携えていることは誰の目から見ても明らかで、それは今まで長い間隣にいた人間にはより明瞭に見えるほどの違いである。純は思う、成長し続けることが出来る自分を成長させた、オーストラリアで戦ったあの頃の紘和はもういない。気づかぬうちに、すでに抜かれ、今はついに切磋琢磨するにはあまりにも遠くなった背中を追わねばならない立場になっていたのだ、と。蝋翼物なしで、全ての攻撃が必殺に近しいと錯覚する鋭さと威力。白兵戦をせざるを得ないという悪手にも近い最善手が己の逃げ道を塞いでいた。では、覆すためにはどうすればいいのか。答えは至極単純である。

 紘和が蹴り上げた、純の顎を狙う右足に合わせ、右足を這うように頭を下げ姿勢を低く取る。そこで出来た一瞬の死角で純は右手を腰に回すのだった。


◇◆◇◆


 これが、打倒陸が世界の命運を分けた一戦の一つであることを紘和は理解している。純を倒し、先に進んで友香をサポートして陸を倒す。アリスの成りすましの特殊性を知らない紘和からすれば、皮だけのアリスには荷が重いと思うのは当然のことだろう。だからこそ、それが達成されなければ何万という死者を出しただけの戦いとなる上に、紘和がこの世界のトップに立つ事が、いや、立つための世界が失われかねない。責任という紘和自身がいかにして立ち向かったかの努力、現場での活躍を知らない誹謗中傷の結果を求める声が先陣を切った代表者というだけで追い詰められるならまだいい。そうすることも許されない世界が訪れてしまう、世界が終わってしまっては元も子もないのだ。しかし、元も子もないはずなのに、純に敵と認められて戦うこの一戦もまた魅力的な時間と捉えている自分がいるのである。故に振り返る必要がある。この戦争を終わらせる、その対局の意味を。己の正義の達成方法、その計画を。


◇◆◇◆


 紘和は正義のために世界のトップに立たなければならないと判断してここまで走り続けてきた。正しい者を救い、悪い者を処する絶対的な力として君臨するために。それが世界が望む人類の正しい方向であり、己の正義でなければ成せない偉業であると信じて疑わずに、である。しかし、この正義を行使するには曲がりなりにも行使する人間が正しいという評価、承認が求められる。簡単な話、人殺しをした人間を裁くことは出来ても即座に殺すことは容易ではない。上場酌量の余地、将来更生する可能性、要するに反省の余地の考え方が存在する限り、考える葦がただの獣ではないことを証明するために研鑽して生み出した法が機能し、人間は人間に平等を与えたのだから。そう、遺族と殺人犯が同じ人間として天秤に釣り合うようにかけられるのだ。そんな当事者でない第三者が垂れる俯瞰した正しさを、紘和は見過ごせなかった。だから見せしめとして、悪人の絶対数を確実に減らしていくために、悪人の出現率を確実に減らすために、処すことを許された人間が必要なのだと考えた。そのために、紘和には英雄となる、全人類から紘和の行為は正しいと思われる人物像を作り上げる必要があった。しかし、英雄になると言っても人間同士のいざこざに関与しては意味がなかった。例えばそう、戦争の英雄が平和の世で大量殺人犯に成り代わってしまう様では意味がないのだ。

 そのために、紘和は大学二年生の時に純にどうすればいいか、と尋ねていた。


「第三者が垂れ流す正しさを押し付けようって使命に駆られている、天命を受けたと狂言を吐いているように見える割には、意外と理に嵌めようと努力している様に聞こえるぐらいには気の狂ったプランをお持ちなんですね。いや~、相変わらずお粗末にご立派ァア!」


 高校一年生から付き合いがあった奇人こと純が初めて紘和のこの計画を耳にした時に口にした言葉だった。紘和がこんな大事の相談をした理由はもちろん、付き合いが長かったからではない。【最果ての無剣】を引き継いで間もなかった紘和を一方的に丸め込める人間、というすでに自分にはない何かを頭角として出していた身近な存在だったからである。突然、挑発するように紘和が大切にしていた正義を浅い見識で冒涜し、そこで短期にもほどがあると今振り返れば思うが、【最果ての無剣】を取り出して軽く脅してやろうとしたその身をあっさりとねじ伏せたのだ。それは紘和が悔しくも純を強者と認めざるを得なくなるには充分な理由だった。だから、相談するならそんな圧倒的な化け物であり、同い年の純を選ばざるを得なかったとも言えた。

 後者に関しては、目上よりは同級生を選択したという年相応の感情と、純という人間が先の発言から紘和の言葉を否定するわけでもなくまるで興味があるように問いかけてくる、そんな奇妙な人間、こんなことを話しても馬鹿にし、愚弄するだろうが結局最期は無碍にはせず、求める答えを答えてくれるだろうという謎の信頼があったのだ。


「じゃぁさ」


 少し考え込んだ様に見えた純は次の瞬間突拍子もない事を口にしたのだ。


「俺が世界の敵になって、それをお前が討伐すれば、それはお前の望む英雄に問題なくなれるんじゃないか?」


 この言葉を聞いた紘和は思った。

 自分の今までの言動が可愛く見えるほどに狂言を吐いているにも関わらず、自分が成そうとしていることよりも現実味がある、と。


「それは……」

「俺がお前に殺されるぐらいの価値になったら殺してくれってことだよ。それはもう、面白そうだろう?」


 屈託のない笑顔。

 新しいおもちゃを見つけたような顔でそう言った純は紘和から見ても狂っていたし、何より誰よりも輝いて見えた。


「一つ確認しとくけど……お前の正義はどんな人間にも平等に差し出せるものか?」

「そうだ」


 即座の肯定に純は満足したような顔をする。


「良い返事だ。もし、そのつもりだ、なんてごまかすように先延ばすような解答を言ったら、俺は協力する気が失せただろうからな。いいでしょう、お前の考えが変わるまでは付き合ってやる。いや、お前にとっての俺の価値が変わるまでは付き合ってやる」

「いや、変わるわけ」

「ないって言うのは止めておけ。それは自分を躍進させる決意でもあり、自分を醜くする停滞でもある。でも今は変わらないと思っていろよ。それはきっとお前を俺が敷いたレールの先にたどり着く原動力になるからな」

「……言ってる意味がわからねぇよ」

「そのぐらいがちょうどいいってこと」


 この時の紘和には純が何を言っているかわからなかった。

 なんならレールの先、純と最終決戦をしている現在進行系でも理解は出来ていない。


「それより、お前の提案、すごく良いと思う」


 目の前の友人を殺すという選択を提示した友人も友人ならば、それに目を輝かせる友人も同類である。今はわからなくてもいい。

 そんなことよりも、と興奮するように、紘和も目を輝かせて純の提案の詳細を尋ねる。


「それで、どうするんだ?」


 純もその目の輝きを見て嬉しそうに、そして得意げに悪魔のような計画を口にし始める。


「簡単な話さ。俺が世界を敵に回すぐらいの悪事を働く。お前はそれまでにそんな俺を殺せるまで強くなる」


 純を殺せるまでに強くなる、という言葉にすれば簡単に聞こえる言葉がどれほど難しいことを指しているか紘和は理解している。


「それで?」


 だからこそ紘和は続きがあると確信してその先を促す。


「俺が大きな悪事を働くには、俺にそれこそ権力が必要だろ? だから」


 だから。


「お前は俺がお前の悪事を働くためにその権力を貸す。その先々で俺がお前を強くしてやるよ。なんだったら、お前の正義への道を塞ぐであろう最大の敵、天堂一樹でその仕上げをしてもいいぜ」


 その言葉に紘和は絶句する。

 合理的ではあるが、これはつまり紘和に悪事の片棒を担がせる、という訳だ。


「安心しろよ。別にお前の未来を閉ざすほどのことはしないさ。大量殺人なんてさせないさ。お前が殺す敵は、お前の正義では悪人の人間に留めるし、それ以外は殺さなければいい。そもそも俺が殺す人間は選んでやるからな。そして何より俺は今はお前より強い。脅されたって言っても通用するだろうし、最悪なことをさせないためのお目付け役だったって言えば俺みたいな一般人の素質を知らない人間には丸く収められるだろう。大切なのは、お前が悪人を殺すという、いや、違うか、人間を殺すことにためらいを持たないようなクズならこれぐらいの罪悪感で己の夢を諦めるなって話さ」

「ふざ」

「ふざけてないさ」


 純は明るい未来想像図を語るように紘和の激昂を差し止めて話を続ける。


「俺はいつだって大真面目だよ。ふざけて俺を殺させる提案なんてするわけがない。俺は人類最強だからな。もしかしたら世界を敵に回すことだって出来るかもしれない、いや、できる。もちろん、俺よりもその悪役に適したやつが出て来るかもしれないけどひとまず俺がなればいい。なら、最短を行くべきだろう? 夢を叶えるのに遠回りする必要があるか? 結局は結果だろう?」


 ゾワゾワと背筋を悪意の密が垂れていく。


「安心しろ、お前が俺と死闘をする頃には、お前は俺の危険性を理解していた、もっとも先見の明があった人間になってるだろう。そして、全ての疑いを晴らすために俺を殺そうとするわけだ。俺がその時のお前にとっての世界の敵ならば、お前が踏む悪事は全てが些末なこととして解決する。何せ、世界を、人類を救った英雄なんだからな。そうだろう? 俺に計画を聞いたんだ。靴だって舐める覚悟はあったんじゃないのか? お前の目標はそんな、何の犠牲もなしで果たせることなのか? なぁ、お前の正義は全人類に平等に差し伸べられるのだろう? だったら、お前の正義をなすためのこれは正義であり、それを叶える俺に手を差し伸べるのは」


 大きく息を吸って太陽の様に明るい笑顔で告げる。


「当たり前だよな?」


 純の言っていることはきっと、いや間違いなく間違いだらけなのだろう。論点のすり替え、拡大解釈と数を上げればきりがない程、この説明には穴という穴がひしめき合って一つの穴になってしまうのではないかというぐらいの穴がある。だが、紘和は自身の目的を達成させられるのはこれしかないと理解させられてしまったのだ。上を取るのにどれだけ時間をかけてもいいというわけではない。不確かではあるがタイムリミットは確実に存在する。ならば、目的のために手段を選んでいる余裕は紘和にはなかった。正義を試行するのは早ければ早いだけいいのだから。

 故に手段のために目的を選ばないような刹那的快楽主義者の道楽に付き合うのは必然な道理である、そう思わされてしまったのだ。


「なら、約束しろ。俺にお前を殺させると」

「その時、俺にその価値があれば、是非に、だ」


 こうして奇人との間に契約は結ばれたのだった。


◇◆◇◆


 悪事に加担させられ、自分の中の何かが捻じ曲げられ、嫌悪で吐き気を催す日々を耐え忍んで最強となった紘和は、今、夢を叶えるために成熟した果実を収穫するように純の命を刈り取る時が来たのだ。しかし、そんな重大な局面なのに、紘和は純ともっと戦いたいという感情が抑えきれなくなっていた。その理由は先に目にした、純が紘和の対策をしていたという事実だった。その事実だけで、頭の中が強さを純に見せつけろと紘和を戦いへと誘う。それはまるで天堂の血に抗えないような感覚すら感じさせる闘争本能だった。

 紘和はズンッと大きく踏み込んだ右脚で地を砕く。それに合わせる様に純も右脚を踏み込んでいた。純が近づいて来るよりも先に動いていたため、紘和の攻撃は手前に来た純を標準に合わせてはなく、本来ではあれば純の左肩を抜けるように顔面を側面から叩く動きを取っていた。その僅かな手足の動きを読み取って先の先で純は回避も込めて姿勢を低くし、一歩踏み込んだのだろう。もしもこれが見てから、対の先、後の先の類ならば、紘和には純の顔面に届かずとも肩に触れることは出来るだろうと想像するからである。しかし、それも見てから対処、後の先で飛び抜けた反射神経を駆使して紘和は振り抜こうとした右腕で純の頭を地面に叩きつけるべく振り下ろし直した。紘和の行動に対する純の行動は、即座に体を捻り、背を押し付けるように紘和に突っ込むことだった。そのまま流れる様に右腕を取り、紘和の足を払いながら宙に投げたのだ。

 ふわりと宙に浮き、半回転する紘和。しかし、受け身は取らずそのまま脚から着地し、純の右腕の二の腕を強く、強く握りしめる。純が若干の苦悶の声を上げるが、そんなのお構いなしに紘和はそのまま自重と合わせて純を地面へと引き落とした。だが、その勢いに乗せていた純の左拳が眼前に迫っているのに気づくと、それを己の左手で受け止める。

 だが、猛攻は止まらず、互いの両手がふさがり、純が上になっていたということもあり、右脚で思いっきり紘和は頭を切り抜かれることとなった。


「んっ」


 蹴りの応酬を一方的に食らうことを避けるため紘和は手を離し蹴られた方向へ背を滑らせながら移動する。

 そのまま膝を付き立ち上がろうとすると、右腕を痛そうに抱えながらも紘和を追う純が見えた。


「ってぇな、紘和!」


 顔をしかめながらも痛みを振り払うように大声を出しながら突っ込んでくる純。離れすぎては【最果ての無剣】を出されるからだろう。つまり、待っていても自然と純は紘和の攻撃範囲内に入ってこざるを得ない。だから、紘和はせっかく出来た距離で【最果ての無剣】を展開せずに、自ら近づき遠近感がつきにくい距離から右脚を純の顎に目掛けて蹴り上げた。しかし、純はそれにも対応して紘和の脚に這うように顔を近づけながら低姿勢に持っていく。自然と次の攻撃を見るため視線は純の左手と足を追う。そして、右脚を勢いよく振り落とし牽制と次の攻撃への迎撃の姿勢を安定させようとした。脚が地面に着こうとする瞬間、紘和の視界は鋭利な金属を捉える。

 誰がどうみてもナイフのそれだった。そんな凶器を前にすれば間違いなく、常人の選択肢は切られないようにする、防衛である。しかし、紘和は即座に左肩を前に出し、そこに純のナイフを突き立てさせた。これもまた防衛である、と言わんばかりに。そして、抜こうとする突き刺さったナイフの軌跡を追うように紘和はそのまま前進する。その結果、紘和の右腕が純の腹部の傷口へと到達した。指を揃えた真っ直ぐな突きがきれいに純の腹部へ吸い込まれていったのだ。これは、普段武器を使わなかった純が、武器に頼りそれを捨てなかったこと。引き抜くことを諦めていれば、紘和の筋力で押さえつけられたナイフを気にすることなく離脱できただろう。

 そして何より、避けるではなく受けると即決した紘和の判断による噛み合いが生み出した好機に他ならない瞬間だった。


「まだだよなぁ。まだまだ終わらねぇよなぁ、純」


 その声に口から血を流しながらも純はニッと笑ってみせた。純は人を殺したことがない。そんな純がナイフを手に紘和を殺そうとしてきたことを紘和は誇りに思っていた。故に、認められたという感覚とそんな戦いがまだ続くという現実に気分が最高潮に達する紘和。

 純の左腕が腰へと回る。


「ッ」


 しかし、その腕は純の背後に迫っていた獙獙によって腕を押し付けられる形で未然に防がれる。紘和はこの獙獙の行為に水をさされたという感情がなかったといえば嘘になる。だが、獙獙がここで参加したことは純と決着をつけるという点でも、何より二対一を受け入れていた、紘和のサポートとして残ったと言う意味でも何も間違っていない。ここでもし、一時の感情で激怒して失敗でもすれば、紘和の評判が下がりかねなかった。獙獙がアメリカというメンツを持っている以上、それだけは出来なかった。獙獙もそれが分かっているからこの最大のチャンスを、化け物同士の戦いに唯一割って入れる今を選択したのだ。それは紘和に冷静になれ、任務を遂行しろと言っているようだった。だから気分は下がろうとも己の正義に応えるためにと、紘和は刺さった右腕を上へ、心臓まで振り上げようと力を込めるのだった。


◇◆◇◆


 死の足音がブチブチと皮膚を、筋肉を、内臓をゆっくりと引き裂くように進行する紘和の右腕から聞こえてくる。今まで静観というよりも割って入って紘和の邪魔にならないように立ち回っていた、純が意図的に紘和を挟んで対角線上になるように立ち回って手出しさせなかった獙獙がここに来てしっかりと己の役割を果たすべき拘束をしてきた。ミシミシと嫌な音を立てながらその拘束は強くなる。自称人類最強がここで散るのか。

 そう思ってしまうほどに紘和の反射や判断、力のコントロールは今の純をこの局面では上回っていた。


「まだだよ」


 小声でつぶやいた言葉。紘和の顔は驚きと喜びが混じった顔をとり、表情の見えない獙獙は代わりに筋肉が萎縮したことで警戒したのを感じ取った。誰もがこの状況の純が逆転できる姿を想像できないはずだった。いたとすれば、それは純本人であるはずだった。しかし、優勢であるはずの二人がその可能性を共有してしまっていたのも事実だった。

 紘和が必死に右腕を純の心臓へ到達させようと加速させているのがわかる。一瞬たじろいだ獙獙が手柄を譲るといった余裕の、いや譲歩の行為を無視して拳銃を取り出したのがわかる。ありえないはずなのに、強者だからこそ、強者がさらに開花することを察してしまったのだろう。最悪を予期してしまったのだ。だから、勝てるはずなのに決着を急いたのだ。そして、その行動は正しく、あまりにも早い判断だったのに、結論、遅かったのだ。助走なし、踏ん張れるほど力があるとは思えない右脚が紘和をまずは吹き飛ばした。同時に、右手で背後の獙獙が構えようとした拳銃を叩き飛ばし、紘和に背を向け純は獙獙と目を合わせた。


◇◆◇◆


 訳がわからなかった。やったことは至極単純である。紘和を蹴り飛ばし、獙獙の拳銃を叩き飛ばした。言葉にしてこれだけ。しかし、これを一秒に満たない間にこの瀕死に近い重症の人間が強敵を相手にやってのけてしまったのだ。これほどの余力がどこにあるのかはわからない。獙獙が目にした男は腹部の半分を縦に裂き欠けられ致死量ともいえる血液を今も流し続けている。右腕も左腕も痣が浮き上がり、右腕に関しては内出血及び骨折していてもおかしくないような青紫色をしていた。それなのに目の前の男は身体を意のままに操り、獙獙に牙を向いたのだ。そんな中でも数的有利というプレッシャーを与えるという役割のためにも、と獙獙は戦うのではなく逃げることを選択した。右から来る拳はフェイクで本命は最も負傷の少ない両足どちらかによる蹴りだろうと、獙獙は右手で側面から叩く。そして、足技が顔面に受けることだけはさけるべく右手を前に出した。


◇◆◇◆


 紘和は距離を取ることができ、更には純が背を向けたことで一度【最果ての無剣】が展開できるか確認する。パチッという音共に小型の機会が壊れる音がする。恐らく、展開できないことから一時的に抹消されているのだろう。しかし、壊れた音を確認しながら紘和は再度【最果ての無剣】を展開しようとする。それは、【最果ての無剣】を無効化する機械にも上限があるとわかっているからだ。ならばなくなるまで使わせる。獙獙を囮にしてでも【最果ての無剣】を展開してみせると。だから、展開を継続しながら走り出す。蹴られた痛みで息をするのも苦しいが走る。

 次の瞬間、その眼前に映った光景は、純があまりにも美しくオーバーヘッドから踵落としを獙獙に決めているところだった。恐らく、食らった本人はまだ食らったことにも気づいていないのではないかと言うほどの早業。しかし、顔面を地面に叩きつけバウンドする獙獙にすでに意識があるとは思えない表情だった。やっていることが全て特別。一芸に秀でた技をしているわけではない、ただの攻撃がただただ特別。

 その姿に紘和は己が到達した強さを重ね、走る。


「じゅぅううん!」

「ひろかずぅうう!」


 両者吠えながら相対する。紘和は自身の肩に刺さっていたナイフを抜きながら走る。【最果ての無剣】の展開が機械の消費に間に合わない出来ないと判断しての行動である。決着を焦り、ボロボロの純だろうと油断せず己の唯一の武器を投げて手放したりはしない。どれだけ高速で投げても今の純ならば安々と捉えてしまうと確信しているからだ。そしてそのまま両者の勢い任せの蹴りが激突する。弾いたのは紘和。しかし、ふらついたとは言えないであろうほんのコンマ数秒で紘和は純へさらに接近する。それに合わせられた純の右腕の顎へのアッパーを紘和はカウンターとして食らう。ぐわんと脳が揺らぐのを昂揚感で無理やり抑えつけ、一切の怯みという隙きを与えぬまま紘和はそのままさらに接近し、ナイフを裂けた腹部へと突きつけるのだ。直接心臓や脳にいかなかったのは、純にとって死へ直結する部位への攻撃は読みやすく、今はまだ防がれる可能性があると判断したからだ。だから、背中まで貫通しやすい、すでに傷ついた腹部へと突き立てたのだ。後は全体重を乗せて地面へと身体ごと叩きつける。その間、子供がダダをこねるようにとにかく手足をバタバタさせ攻撃してきた純の猛攻の中、紘和は意識を途切れさせることなく突き立てたナイフを離さず押さえつけ続けた。

 結果、ガッとナイフが貫通して純の背中と地面がくっついた手応えを感じ、そのまま馬乗りの体勢に持って行くと紘和は両手の拳を強く握り、純の顔を見下ろした。が、すぐに後頭部に痛みが走る。グチョリという生々しい音共に、馬乗りになっていたのが純に変わっていた。それは構えたという僅かな、本当に僅かな決着を予感し、気を引き締めた紘和の意識の集中の隙間を縫うように届いた純の右腕が紘和の顔面を鷲掴みにし、左側へ叩きつけ直したのだ。あの音はその際の脇腹が割かれた音だったのである。そして、痛みから一瞬目をつぶった紘和が次に見た光景は純が馬乗りになり、拾った拳銃の銃口を紘和の額に押し付けている姿だった。

 紘和は悟る。負けたのだと。自分が何かしようとするよりも確実に純の銃弾は紘和の頭を先に撃ち抜けるだろう。そう、何をするよりも先に引き金はひかれるのだ。やってもいないのに、ではない。

 抵抗しようと何かやったら死んでしまう状況が今なのだと紘和は理解していたのだ。


「ぐふっ」


 純の口から溢れる血液が紘和の胸を赤く染め上げる。


「さぁ、紘和……命乞いの……時間だ」


 そう、これは純が予見していた通りの状況であった。命乞いを命令するという奇妙な形であれ、だ。

 何せ今、命乞いをしなければならないのは、このまま放っておけば、紘和が殺されても失血で死んでしまう純なのだから。


「……俺の願いはお前を殺すことだったはずだ。お前はそれをしてもいい時が来たからこんな戦争を始めたんじゃないのか?」


 虫の息なのは純だ。純の意識がある内は殺される状況であることを除けば、紘和はまだまだ傷も披露も浅く、第二ラウンドだって余裕なほどである。一方でこの構図は祖父である一樹の最後と似ているとも思った。勝っているのに負けている。ただ、今回に限って少し満足している点があるとすれば、それは同士討ちで終えられる可能性があることだろうか。そう、紘和は武人として純と肩を並べたという結果に、満足しているのだ。

 己の正義が道半ばになろうとしているのに、だ。


「いいか……そう、全てはここに……ここまで来るため……だった」


 息を荒くし、今にも意識を失ってしまうんじゃないかという程に薄め目をしているが、銃口だけはしっかりと握る純が言葉を続ける。


「タイミン……グが重要だった。今から……俺が話……すことを……信じるか信じないかはお前次第だ。これだけは……俺もある種の……賭け……だからな。正直、もう少し余裕だと思っていたが……流石は紘和……化け物め」


 その言葉はゆっくりとしかし、スッと紘和の心を満たす。

 もしも、この満足感も込みで紘和を丸め込もうとしているならば、大したものである。


「時間がないから……すぅ……俺が喋ったら即決しろ……これは俺の命乞い、命もかかって……るんだからな」


 そして、純は誰にも聞こえないように最新の注意を払っているかのような声でゆっくりと話し出す。純を殺すことよりも価値のある内容を、しっかりと一言一句聞き逃させないように紘和に語っていく。

 そして、話終えた純は銃を投げ捨てた。


「常識を疑えって……誰かさんにも……言われてたろ? さぁ、選べよ……紘和!」


 大声を出しながら口や腹部から血を勢いよく流す純。


「お前が差し伸べる手はここにあるとしても、お前が通す正義はここにあるのか!」


 よどみなく出た言葉は、紘和に新しい未来を選択させる。


「俺は……」


 続く言葉は紘和の今後の指針を決定するものでもあった。


◇◆◇◆


 暗室で一人モニターを眺めている女がいる。モニターの光だけがチカチカとその部屋を照らしているが彼女はほとんど瞬きせず食い入るようにそれを見つめていた。モニターには幾つかの計測器の数値と戦場が映し出されている。計測器とは言ったが、そこが実験室なのかと聞かれれば、そうだと答えられるほど機材は多くない。ただ大きなモニターがあるだけだ。しかし、彼女は息を吸うのも忘れたかのように、熱心に、熱心に一つの戦場を見つめていた。

 いよいよである。今までどれだけ繰り返してきたかわからないが、今回は一味違う。全てがその結果を望むように動いている。だからこそ、暗躍されていると捉えることも出来るかもしれないが、今の目的は彼らがどのような結果を最後に生むか、である。それさえわかれば彼女の望みは叶うのだ。つまり、それ以外の出来事は何であろうと些細なことでしかない。使える力は何でも使った。何でも使ったからこそ、今まで何の成果がなかろうとも成果が出るまで繰り返してこれたのだ。全ては彼のためである。そう、彼のためにお膳立てをしてきたのだ。だからこそ成功してもらわなければ困る。

 いや、成功はいつかするのだ、それが今なのだと彼女は愛故に確信していた。


「あぁ、早く見せて頂戴。あなたも、あなたたちも私と同じことを望んでいるはずでしょう。だからここまで来れたのよ。だってあなたは私でもあるのだから。だから叶えて頂戴。私のために、私では不可能なことを」


 その言葉には背中を重たく湿ったものが這いずる様な気味の悪いモノがあった。しかし、これを止められる人間はこの場にはいないのである。ゾロゾロと、愛狂のある誠意が花咲く蕾を見守っているのだった。

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