第七十五筆:待ちわびた戦い
「正直な話、【想造の観測】による妨害が今無名の演者を通してできなくなった以上、戦場にお前が行けば問題は全て解決できるのではないか?」
当然の疑問を目の前の当事者に投げかけているのはバシレスクだった。
「どうなんだ、チャールズ?」
一仕事を終えて一応バシレスクの安否確認に来ていたチャールズはその当然の疑問に少しの間を挟んで答え始める。
「……今の状況を見れば、敵はこうなることを想定していたように戦力を釣り合わせてきました。ならば、俺を止める手段を二重三重と組んでいても何ら不思議でない、とも思いませんか?」
「つまり、先の発想が生まれるのは必然で、むしろそんな状況がお前を戦場に誘い出す罠だとでも言いたいのかね?」
「可能性の話です。俺がこちら側に残った最凶戦力なのですから、万が一も考えて行動するべきでしょう。敗北だけは許されないのですから」
「それは、多くの犠牲を無為に払っているかもしらない現状を維持し続けてでも必要なことなのか? その罠すら乗り越えられるのがお前の力ではないのか?」
それは、罪人を束ねる独立国家の長がさも当たり前の倫理観を問うた上での、というあまりにも安い、それでいて高い挑発だった。
「我の部下は当然賢いのもいるからな。すでにこの戦争が戦争としておかしい、破綻していると気づいて行動を開始していた。そんな愚策、お前も本来であれば避けるだろう……しかし、実態は継続に加えて我の喉を焼き切りそうな挑発を飲み込む始末だ」
沈黙。
「始め、お前が我々に協力を打診した時にすでにアウター・ロジックを手中に納めていると話した時、随分と綿密にこの戦争に、人類を救うことに掛ける思いがあり、その熱心な心がけに、正義へ献身に天堂の息子の様な狂気を覚え心が震えたのを覚えていた。しかし、今を見れば見るほど、お前の目指すものに我はより歪な、いや、どこまでも私欲にまみれたものを感じ、全く別の狂気に興味津々になってしまうほどだ」
誰もいない会議室で、バシレスクは言葉を続ける。
「そういえば、協力すればお前と協力関係を結んでいる、と思われる三人を我だけにでも教える約束があったような気がするな」
何かを見透かすように、バシレスクの言葉はチャールズの良心をゆっくりと、しっかりと罪悪感で押し潰す。
「お前は……」
「それ以上を口にしてはいけません」
チャールズの構えた銃剣の剣先が喉を、銃口が口を捉える。
「誰かがどこかでそう思うことは何も問題ではありません。でも、俺の前で口にしてしまうのは問題でしかありません。これは脅しであり忠告です。でも駆け引きはありません……自分の命が惜しかったらどうか続きを口にしないでください。今の俺なら……」
バシレスクは直前までチャールズの脅しに屈せず、煽るように自身が思い描いた内容をぶちまけてやろうとしていた。それがチャールズの抱えているものを暴ける最良の手段であると判断したからだ。
そのため王として、チャールズの抱える何かを聞き出せるならば死んでも構わないと思っていた。
「頼む」
その顔は、脅しをかけているはずなのに、殺したくない、というよりかは救いを、チャールズが手を下してしまうことで一抹の望みが絶たれることを恐れるように、涙をこらえるように表情を歪ませていた。だから、その絞り出した言葉に言葉を被せる様な無粋な事はできなかった。鳩が豆鉄砲を食らうとしたら、こういう時なのだろう。ならば愚直な道化の願いを聞き入れるのが王としての務めなおではないだろうか。それが間違っているとわかっていても、正すことを許さない覚悟が見て取れるのだから。
そして、頼む、と言われてから互いに何も言わず五分弱の時間が過ぎた時、チャールズが銃剣を納めた。
「後のことはあなたにお任せします。戦場には中之郷も向かわせたので戦力が足りなくなることはないでしょう。彼は役割を終えている。後は、こちら側で尽力してくれるでしょう」
バシレスクは発言権を回復した今となっても何も言わなかった。そして、チャールズもそれ以上は何も言わずその場から消えてしまった。チャールズの姿が見えなくなったことを確認してからバシレスクはため息をつきながら一人視線を天井へと向けた。一体、この先にどんな結末を見据えていればあんな顔が出来るのだろうとバシレスクは考える。もし、自分がこんな茶番をここまで用意周到にするならば、その先に見る未来にあれだけの顔はできないと考える。あの顔は、安くなかった。願いに願ってきた重さが違うとはっきりわかるものだった。年季が違う、という表現がしっくりくるそれはバシレスクよりも若い人間がしては良いものではない、見たことも何より今後見ることもないだろう域の罪悪感に潰れた喜び、だった。
もしもあの顔を哀れと蔑むのならば、哀れという感情がこの世から無くなるのではないかとそこまで考えバシレスクはようやく一言、言葉を空へ投げた。
「壊してみたかった」
二度とない機会を逃したと、素晴らしいものだったからこそ、あそこで言うべきだったと後悔を口にするのだった。でもしなかった、それがバシレスクが王たる所以なのだろう。
◇◆◇◆
「ピギャギャギャギャギャ」
芝居がかった鼻につく笑い声。しかし、個性としてそれは顔にまで映えている。
だから否が応でもその場に居た誰もが共通の人間がそこにいることを理解する。
「ウェルカム諸君。またこうして会えると俺は信じていたよ」
噴水の広場であっただろう場所。中央の噴水の水は止まっているのか、辺りが水浸しになっている様子はなく、噴水孔を始め様々なものが壊れ、そこはかとなく物悲しさを、ここが戦場に巻き込まれた場所だと彷彿とさせる。そこに残る緑は僅かに残った生命の象徴のように周囲の惨状と相まって映えていた。そんな噴水の縁に右足を抱えながら座り、仰々しいセリフを吐いた男は、世界を敵に回した男の一人で紛れもなくこの場にふさわしい黒幕の一味、純であった。
そして、迎えた三人を見渡しながらゆっくりと立ち上がる。
「ここに君たちだけが来たという事実は、君たちがタチアナを殺してきたという事実と同義であることは明白なのだろう。仲間の様に共に長い時間を過ごした彼女を殺めたこと、俺は少しだけ悲しく思う。あぁ、なんて非情なのだろうと。元に戻せる可能性にかけようと生け捕りする馬鹿はいなかったのだろうか、と」
タチアナをそんなふうにすることを選んだのはお前だろ、と言いたくなる言葉は純の困惑したような笑みを見て引っ込んでしまう。そのやるせない顔があまりにも演技に見えなかったのだ。それは同時にあの化け物にも人の心があるという、至極当然のことを目の当たりにし虚をつかれたのだ。
だから掴むべきだった可能性の提示に、急ぐあまりに見落としてしまったという後ろめたさがチクリと、そう、血が出るかもわからないチクリとした痛みを体感させた。
「ただそんな試練を、一人の仲間より人類の存亡をせいた正しい君たちに、俺から敬意を評して一つプレゼントをあげよう」
一歩、純が前に出る。
「桜峰友香、君はこの先へ行くことを無条件で許す。どうだい、最高のご褒美だと思わないかい?」
こちらの目的、勝利条件は友香を陸にぶつけて殺すこと。それは【雨喜びの幻覚】だけが【想造の観測】と渡り合えるからだ。しかし、これを達成するためには【環状の手負蛇】の不死性をどうにかしなければならない。そのための条件として、少なくとも誰かが再生が間に合わない程度に陸を弱らせる必要がある。そのためには友香ではない、決定的な強者を同時に送り込む必要があった。その大役を担うために紘和、そして保険に獙獙がいるのだ。神格呪者の能力が死により引き継がれるという事実をこの馬鹿騒ぎが始まった時から、友香の力で順に奪っていくという計画も練られていたわけである。そのため、この褒美と言われる提案は確かに、無傷で友香を陸の元へ行かせるという点では最良だが、結果紘和たちと分断されるため最悪という見方もできるのである。そして、恐らく、この提案は純がこの攻略法を理解した上でした褒美であり、後者が目的と容易に想像ができる。では、この条件を拒むメリットはあるのか、と言われればとりあえず友香を無傷で通せれば、誰もこの場を突破できなかったとしても細い可能性が続くのでその可能性をないものにするという点でメリットではないと言い切ることが出来る。
つまり、最初からこれは選択肢のない選択、強制一択なのである。
「素直に受け取ろう」
紘和が答えると友香はキッとした目で純を睨みつけながら一歩足を前に踏み出した。それと同時に純が突然、友香目掛けて手から何かを投げた。それに気づいたのはこの場に二人いた。しかし、動いたのは一人。
獙獙が即座に友香の盾になるように一瞬の跳躍で近づき、その投擲物、幾数の瓦礫を蹴りで払い除けてみせたのだ。
「どういうつもりよ」
獙獙の口調に純は状況を飲み込んだように頷いてみせる。
「いや何、気になっただけだよ。君たちはこちらに四人で向かっていたはずだ。それは俺も上空から確認している。なぁ、紘和。俺たち目があったよな」
紘和は返事をしなかった。
「だから気になったんだ。この場合だと一人、確実に足りないだろう? パッと見だとアリスが、そして今で言うならば獙獙が、足りないよな。そうなると必然的に疑わざるを得ない。【雨喜びの幻覚】によって誰か一人が認識の対象外にされているのだ、と。で、どうなんだ? お前は本当に友香を守ったのか? それともその隣りにいる誰かを守ったのか? どうなんだよ? なぁ、俺のプレゼントは桜峰のみの通過だったろう? 約束を破られると流石に誰一人無傷で通すわけには行かなくなっちゃうよ?」
「そうだ、だから今、桜峰さんが前に出た。わかるだろう」
それは見ての通り事実だと、目の前の事を信じろと訴えかける様な言葉ではない。信じる以外に、事実として見た通りに受け入れる以外にないだろうという選択肢はないという脅し、恐怖の圧力が乗る言葉での意趣返しであった。
そしてそれは例え嘘であろうとも押し通そうとする力が確かに籠もっている。
「……そうだな。桜峰が通ることを許した。わかった。わかったよ、その言葉を俺は受け入れよう。世の中柔軟さが大切だ。そうだろう、信念に毒された我が友よ?」
最大限の皮肉を煽るように仰々しく語り、更に言葉を続ける純。
「だけど、一応、一応答えて欲しい。もう一人はじゃぁ、どこへ行った? まさか、タチアナに殺されるような奴はここにはいない。だからさ、教えてくれよ。どこに行った?」
身振りと手振りがわざとらしいぐらいに大きくなる。そうして、言葉により歪な何かを植え付ける。
問い詰められている人間からすれば、それは心臓を鷲掴みにされているような嫌な気分に、本来ならばされるはずだった。
「そこにいるだろう」
紘和ははっきりとそう言った。
言い切ったのだ。
「ふふっ」
その明言に、純は水門にせき止められていた水が放水されるように笑った。
「ははははは。はーははははは。ひーははははは。っはははは」
それは作った笑い声ではなく、本心からの大笑いであり、天を仰ぐように腹を抱えて笑っていた。
しかし、数秒で純はピシャリと笑い声を止めた。
「悪かった。さっきも言ったが俺も柔軟に対応しよう。俺たちは嘘を一つもついてない。いいだろうジュウゴこと九十九陸はこの奥だ。直通だよ」
右手で後ろを指しながら純は友香に先へ行くように促す。だから、友香は先程止めた二歩目を踏み出す。そして、桜峰が通り過ぎた後、距離にして五、六歩のところで純がボソボソと虚空に何かを話していた。その言葉を聞き取れた者は二人いた。一人は、聞こえた、というよりは唇の動きから理解した紘和、そしてもう一人はもちろん、語りかけられていた張本人である友香である。だが、それによって目に見える範囲で何かが起こるというわけではなかったのだが。
◇◆◇◆
友香が先に行ったのを見送って、純は改めて口を開いた。
「紘和。ここまでどうだったよ?」
「最悪だった」
楽しかったか? そんな言葉の裏を全力で否定する紘和。
「でもこれはお前が選んだ一つの道だ。俺はお前が求める舞台と演者を用意した。そもそも、脚本を俺に丸投げした……いや、俺にしか描くことができなかったからそうせざるを得なかった。違うか?」
「……そうだな」
この会話に衝撃を受けた者が一人いた。獙獙である。言ってしまえば、この戦争を望んだ一人は悪行を憎む正義に尽くす紘和である、という純の確認に紘和が同意したのだ。つまり、この二人は最初から協力関係にあったということであり、紘和は前もって止めることができた立場にあったことを意味する。では、なぜ今二人は袂を分かって敵として相まみえているのか、という疑問よりも先に、本当に友香を先に行かせてよかったのかという疑問が人類側、チャールズ陣営である獙獙の脳裏をよぎる。何も不思議なことはない。もしも友香だけを先に行かせることが二人の目的ならば、分断された次点で友香への援軍に獙獙と紘和が向かえない、すなわち陸を戦闘不能にまで追い込む手段の選択を大いに削ってしまうことになるからだ。二人が最初から共闘していたという可能性は十二分にあった。その可能性を皆の脳裏から消したのはあの、八角柱会議で純が紘和を刺したという衝撃であり、冷静に振り返れば【最果ての無剣】を持つ紘和からすればその傷はそれだけのこと、死ななければかすり傷に等しいことだったのである。ただその時はその衝撃がそれだけで分かれる以上に、二人はそもそも共に肩を並べ歩んでいた時間が長かったという背景が、積み重ねてきたものがあった。全てはそこの捉え方次第であり、考慮すれば疑う予知はあったのだ。しかし、それを許さないように、考えを麻痺させるように大戦、それも人類存続に関わるであろう大戦が開幕したという人類にとっての大問題を被せることで有耶無耶にしてみせたのだ。そんなことを考えられる人間が……。
そこまで考えて獙獙は最悪を脳裏にチラつかせる。他にもこの二人の絵図を知り、大戦を先導した人間がこちら側にいるのではないか、という最悪の事態を。それは同時に、この戦争をなぜやっているのかという疑問すらふっかけることとなる。少なくともこの戦争を起こした人間は、人類という種を多く減らす破滅主義者か、ただ殺戮を見たいだけのクズである。獙獙の常識ではそれ以外の理由は見つからない。つまり、人類サイドで手を貸すということはそういうことでを望んでいるということである。そこまで考えて、獙獙は目の前で確実に陸に手を貸していると現状断定できる人間を目にして、スッと納得の行く答えを得る。そう、あれは、紘和が言う通り奇人であり、人として大きく狂った存在なのだと。なら、純の下に集まった人間は皆、自分の様な犯罪者、一般的な思想よりも偏った思想を持つと自覚した者という枠は超えているのだなと思うことにした。
そう、人間性が規格外なのである。
「だからお前を俺が殺す。その準備は済ませてきたんだ。お前が舞台は整えたのだから」
紘和の嬉しさがこぼれ落ちるように口の端から漏れた声に、獙獙は今までの考えの一部を改める必要を感じる。そう、間違いなく紘和は人類の敵となった純を殺そうとしているのである。確証があるわけではない。
ただ、これほどまでに殺人であれ、焦がれた声を虚言で出せるとも思えなかったからだ。
「……話の腰を折る様で悪いけど、俺は一つお前に選択を迫らなければならない」
「今更になって怖くなったのか? それでも俺にはお前の首が必要だ。約束を果たせ」
「その約束のために言ってるんだ……でも、まぁ、それは俺がお前に殺されそうになった時の命乞いのためにとっておこうかな」
「安心しろ、お前が命乞いをしたところでお前の価値は変わらない。お前はこの世界のために落とすべき首であり、この世の悪を一身に集めた首だ」
「じゃぁ、最後に。勘違いしてんじゃねぇぞ、紘和」
純は満面の笑みを浮かべながら地面へと飛び降りる。
「確かにに俺はここまで脚本を描き、舞台を、演者を用意した。そして、命乞いの用意まで出来てる」
そう、紘和と獙獙の前にいる男は自称人類最強の男である。
「でも、俺が今ここで死んでやる義理はない。俺の首の価値が値崩れしない限り、お前との約束を果たす機会はこの先いくつだってあるんだぜ」
大きく息を吸った純が声たかだかに吠える。
「かかってこいよ、紘和。止めてみせろよ、この戦争を」
ドンッという足音と共に紘和が応える。
「やってやるよ、純。スタートラインに立ってやるぞ」
【最果ての無剣】を持つ最強が自称最強とついにぶつかるのだった。
◇◆◇◆
「無剣一刀流」
紘和の号令で【最果ての無剣】から一瞬にして無色透明の名だたる伝説を残す武器、遺物が紘和の周囲に突き刺って展開される。
「無剣二刀流」
【最果ての無剣】で【最果ての無剣】を召喚することで、同一のものが二つ存在することを許される。
「無剣無刀流」
【最果ての無剣】が認めた、その武器を極めた者の力を所有者の身に宿す奥義。本来では、【最果ての無剣】が顕現させる武器の都合上、死者を対象とするはずが、その類まれなる才により、生霊として本人を、つまり紘和自身をその身に宿すことが出来るようになった妙技。
紘和が純と拳を交えるまでに展開した三つの力。この三つを躊躇なく初手で繰り出したことからも紘和の全力が伺える。しかし、前者二つは【最果ての無剣】を手にした者にしか力を行使できないという明確な他者に使われることに対する制約が存在する。これは本来であれば、使用者の権利を守るために働く力である。だが、純はそれを逆手にとることがこの蝋翼物への対策だと熟知している。だからこそ、展開と同時に純が【最果ての無剣】に触れてくることはわかっていた。そう、それは魔法少女が、戦隊が変身中に横槍をいれないお約束を守った上での余裕を見せた最善だった。
拳が交わる。
「よぉ」
ちなみに、紘和が触っている物のみ異能を顕現させる対象となるが、異能は出せずとも剣としての性能はある。つまり、斬れはするのだ。それでも展開しただけで素手で対峙したのは、剣は手に持つという性質上必ず拳の中に柄を握ることとなる。それは、拳の両端に確実に触れる部分が存在していると喧伝することになるのだ。それをこの純という男は見逃さない。決して、紘和に落ち度があるという話ではない。
ただ、確実に【最果ての無剣】を使用するためのチャンスを組み立てていくには、まずは相手の土俵に上がった上で隙を作らなければならないと判断したからだ。
「その脇の傷」
「あぁ? んだよ、敵の心配とか、随分と余裕じゃないの?」
「負けた時の言い訳には出来ないからな」
次の瞬間、紘和の拳は吸い込まれるように無慈悲にむき出しの弱点となっている致命を与えられる純の傷口へと伸びていった。しかし、当然の様に純はその拳を払いのける。
そう、無剣無刀流で自身を下ろしている紘和に対してだ。
「心配するなよ。そんなの当然だろ? 俺は、今の俺でお前を倒す。だから俺の失態を隠すつもりはサラサラねぇって話だよ」
間違いなく素の馬力は紘和に軍配があがる。それを凌駕し続ける反射神経と戦闘センスが紘和と渡り合わせる。ただ、それだけで純がここまでの強さを誇示出来ているのではないということは紘和もわかっていた。それはとても単純な話で、純はまさに人類最強の可能性を持つ人間だからである。つまるところ、馬鹿げた事実を提言したいわけではなく、言語化出来ない領域の強さを持っているから最強なのだと理解している、という意味である。だから、紘和は躊躇なく弱点となっている腹部を狙うし、純はそれだけじゃ崩せない。だが、傷ついた腹部に攻撃が通れば致命傷に繋がることは間違いがなく、それは同時にあらゆる攻撃を警戒する上での意識配分に偏りが生じるということでもある。そんな中で馬力では確実に勝る紘和とのインファイトを純は強いられている。初撃が全てではない。このまま持久戦を続けていけばいずれ【最果ての無剣】に頼らずしても勝つのは本来、紘和である。紘和が引こうとすれば純はそれに合わせて前進しなければならない。しかし、純が一呼吸置こうと距離を取ることは紘和にとって【最果ての無剣】を使う機会となる。何をとっても先はないはずである。
しかし、紘和はこのままではいけないと理解している。それが、純が人類最強の可能性を持つという点に帰結する。だからこそ、自分に注意をひかせるために全力で応対し続ける。拳を握れば第二関節がまるで刃物のように純の皮膚にかすり傷を生む。指先を伸ばし手刀の振り抜いても同様である。これが直撃すれば身体を貫通するのは容易いだろう。そんな全てが一撃必殺を繰り出し続ける。純はこれを回避する手段を無数に持っているが、これを実行できる力はほとんどない。意識を集中させて、ここぞと力を込めれば出来るのかもしれない。ただ今この状況で勝るものを全力で紘和は叩き込み続ける。紘和の勝利条件は純を引き剥がすことなのだから。
そして、拳が空を切る音だけが響き渡り、集中力が両者高まり、体感時間が長く感じ始めていたその時だった。純の意識外から攻撃が来る。僅かな頬に伝わった、空気の微妙な流れの変化と目の前の紘和の攻撃ではないという確信が、背後から迫った誰かの、獙獙からの一撃だと純は理解したのだ。集中すべき相手を正面に据え全力だったからこそ直前まで気づけなかなかった一撃。逆に、極限まで集中できていたからこそ、ギリギリ気づけた一撃。もし、この一撃をまともに食らっていれば意識が一瞬飛んでいてもおかしくなかったと言えた。今の紘和を前に意識を飛ばす、戦況を一瞬でも見失うことはいくら純でも死を意味していただろう。それだけの綱渡りをしていたのだ。だから、純は被害を最小限にするために最小限の接触でその場で跳ねて側転の様に一回転した。獙獙の一撃が回し蹴りだったからこそ成立した回避。この回避が顔面への打撃を最小限にしつつ、即座に反撃に移れる手段だと判断したのだ。事実、その通りだった。ただ純の中に誤算があったとすれば、二つである。一つは、獙獙が純の回避に合わせて回し蹴りを既の所で止めており、純が一回転している間に紘和との間に割って入り、純の攻撃をさばき始めたこと。そしてもう一つは、そんな獙獙の割り込みがなくても、純に一回転という長めの回避行動を取らせただけで、紘和にとっては充分な時間稼ぎであったということである。
結果、紘和が二人に分身していた。紘和たちにとっての最良の一手であり、純にとって最悪の一手。グンフィズエルによる分解とマカブインによる奇跡で生まれたその分体は【最果ての無剣】の所有者として認められるからだ。つまり、紘和が二人できた瞬間に【最果ての無剣】の他人が触れた場合の能力非発動を解決できたことを意味する。そして当然、二人の紘和は手を抜かずに最強の一振りを手にする。魔剣ウザコリフ。陸という神格呪者に初めて出会った時に使った、剣を振らずとも発動を念じた瞬間に対象を死へと誘う、特殊な条件を何一つとして必要としない、まさに一撃必殺の一本。以前、これを選んだ時は手短に今ある戦闘を片付けてしまいたいという時短を理由に握った。だが、今は純という強敵だからこそ選ばざるを得ない一振りであった。明確に相手を見極めた最良の選択である。そう、ここで純を撃つ。これが紘和が描いていた最善最速の純攻略だった。だが、紘和はまだ勝ちを確信していなかった。その一番の理由が、まだ純が命乞いをしていないということにあった。
つまり、まだ終わっていないのである。
「追いついたぞ、紘和」
ウザコリフを発動させたはずだった。しかし、目の前の状況を記すならば、ウザコリフの力は発揮されず、さらに言えば紘和は一人になってウザコリフを握っていなかった。勝ちを確信していない油断なき選択が、保険として本体でウザコリフを握らなかった、という裏目を引いたのである。そして、今再び紘和は純と接近戦を繰り広げさせられていた。理由は単純、紘和が分身した直後のことだった。純の口から手の内を隠すために飲み込んでいたであろう何か小さい機械が吐き出されたのだ。そして、前述した通りの結果が目の前に現れた。そこから推察されるのは、その小型な機械が陸へ映像を送信し【想造の観測】を経て無力化した、ということである。つまり、無名の演者がこちらの異能対策として用いた技術を駆使してきたことになる。
しかも、リディアが考案した電磁パルスの完成形の影響を一時的とはいえ防ぐ構造を搭載した機械ということになる。
「ははっ」
そこまで考えて紘和は笑う。先の通り紘和は最良の選択をして最善の手を尽くし自身に注目を集め、獙獙を使った奇襲を成功させつつ、そこで時間を作り安全に、そして確実に分身を生み出してウザコリフを用いて決着を作る算段だった。そこで決めることに全力を尽くしていたことは疑いようもない。一方で、これで終わらないのが純だろうという、長年目の敵にしていたからこそ、自分が倒す強敵はこうであって欲しいという押し付けがましい願望がわずかに、ほんのわずかにあった。だからこそ、ウザコリフに手をかけた瞬間、決着がつくことに少しばかり、こんなあっけなくという寂しさを覚えてはいた。しかし、結果はそうならなかった。加えて言うならば、純は対紘和に外部の力を、助力を得て対策を講じてきたのである。今までただ業で、技量だけで紘和を叩き潰してきた相手が、最悪を考えた上で明確な策を練って第三者の助力という手段でようやく並ぼうとしたのである。それは紘和が強者であり、純に劣らない存在であることを裏付ける行為だったのである。つまりこの瞬間、紘和は今まさに世界の命運をかけた戦いを目の前にしているというのに、人類存亡などどうでも良いと思える程度に嬉しかったのだ。
強敵に初めて自分という存在を認められたという昂揚感が確かにあったのだから。
「どうした、何かいいことでもあったか?」
純の見透かしたようなセリフに紘和は目を大きく見開き応える。
「あったに決まってるだろ」
再び拳が混じり合った。
◇◆◇◆
獙獙は楽しそうにじゃれ合う、と形容するにはあまりにも苛烈な攻防を再び繰り広げる純と紘和を見て、深い深い溜め息を吐いた。獙獙から見て状況は最悪だからだ。まずは、単純にさっきの会心の場面でこちらが純を仕留めきれなかったこと。事前の打ち合わせではここから先、計画と呼べるものは存在しない。つまり、先程の計画を凌駕した相手を再びどうにかして負かさなければならないのだ。その上で知らなければならないのは、純の口から出てきた機械の残数である。恐らく、簡単に言えば一度きり、使い捨ての【最果ての無剣】抹消兵器である。これがいくつあるかで、今後どれだけ獙獙が死線をくぐり抜けなければならないかが決まる。
そして、最悪を予感させるもう一つはリディアが作った電磁パルスを一時的とはいえ防ぐ技術が純や陸側に存在していたということである。これは、先程機能停止になった無名の演者が意図的に機能停止にさせられているだけであり、実は電磁パルスの影響を受けていない可能性があるということである。なんなら次にその対策が済んだ無名の演者が投入される可能性もあるということである。そして何より、リディアにしかできない電磁パルスの対策ができているということは、こちら側の情報が作戦前から漏れていたことになるのだ。もちろん、こちらがリュドミューラの悪用を避けたといった予想による対策と同じ様に、リディアがラクランズを機能停止にする算段を立てていると踏んで対策を講じた可能性もある。だが、リディア独自の技術の対策を前もって準備できるだろうか、という仮にもオーストラリアの知恵の頭が理解できるのかという疑問が残る。もちろん、不可能ではない。【想造の観測】という規格外の力が陸にはある。それでも、である。可能だとした場合、なぜリディアはこんな機能の装置を事前に用意できていたのか、と疑問は次の段階に膨らみ、その点を線で結ぼうとするとどうしても、戦闘前に過ぎった疑念、内通者の存在が、あの人の顔がちらつくのだ。
つまり、この戦争は純粋な存続をかけた戦いなどではないということで、多くを巻き込んだ喜劇となるのだ。
「クソが」
これは考えるだけ今は無駄なのが癪に触ると感じ、思わず口から悪態を出してしまう。状況証拠しかなく、誰に確認すれいいという話だからである。それこそ目ぼしい当人に聞く馬鹿が何処にいるかという話である。そして、他二つと比べると最悪とまではいかないが、恐らく純にはほとんど最初からこちらの計画が一部見破られていたということである。その証拠が、獙獙が純に触れたにも関わらず、最優先対象が獙獙ではなく、紘和だからだ。獙獙とも拳を交えていたが、明らかに接触されることに躊躇がなかった。
もちろん、単純に紘和本人がこの場で最も危険であることに変わりはないので、獙獙よりも紘和を意識していることはおかしくないのでまだバレていると断定するのは早計である。
「あぁ、ダルい」
気だるげに両手を下げてブラブラ遊ばせながらも気合を入れた獙獙は紘和に加勢するために再び戦況を伺い始める。この化け物たちについていけている自分が異常であるという認識がないままに……。




