第七十四筆:山あり谷あり
陸が人間側の反撃を許さないために対抗策として用意されていたと思われる、後発で出てきた明らかに他より突出した何かを持つ特殊な無名の演者。後に特別であったことを評して、二つ名を与えられ呼称されることとなる。その強さは単純に今までのものより力強いなどという評価で区別されるものではない。そういう観点からいけば、むしろ別種とも捉えられる変質を遂げていた。彼らはみな合成人としての真価である動物敵特徴を継承し、新人類の異能を二つ以上発現しているという点で、能力が選りすぐられているのである。前者はラクランズと人間という動物とアンドロイドを無理矢理に結びつける黒い粘液としての役割以外をしっかりと継承しているということである。そして、後者は本人から確認が取れないので定かではないが、一人で複数発現するほどのトラウマを短期間で植え付け能力に昇華させたか、人間以外の合成元になった生物が何かトラウマを覚えたことにも黒い粉は反応したと考えることが妥当である。これも【想造の観測】がなせる、あると思った故に現界した特異な事象と言えてしまうのだろう。それは今日に至るまでの視察の、実物を見てきた成果とも言えた。
とここまで後発で出てきた無名の演者がただただ強いと見える風に説明をしてきたが、結論から言えば敵対した者同士の相性が最悪の組み合わせであった、という話でもあったのだ。つまり、敵はこの状況を想定した上で、想定した仮想敵に最適の特殊な無名な演者を差し向けていた、ということである。
◇◆◇◆
「幻覚の新人類じゃないはずです」
「つまり、秘蔵っ子ってところかしら」
ヘンリーが相対する特殊な無名の演者最大の特徴は、体色を風景と同化させていることであった。そう確信したのは先の幻覚の異能を持つヘンリーの背にしがみついている少女の言葉だった。つまり、幻視や幻聴による目の錯覚でないならば、合成人またはラクランズ由来の力ということになる。光学迷彩という線もあるが、それよりも直感的に迷彩と生物で結びつくモノがいる。カメレオンである。
では、なぜそもそも風景と同化している特殊の無名の演者、後に万有の二つ名で呼ばれる存在の奇襲にヘンリーは気づくことが出来たのか。一つは音である。巨体であるが故なのか、地面を踏みしめた跡や音は隠しきれていなかったのだ。そして何より一番は手にした武器が不自然に宙に浮いて見えていたことだ。故に警戒でき、ヘンリーは幻覚の可能性を衝突前に確認することができた。もちろん、この戦火の中でそんな些細な音や視覚の違和感に即座にそうだ、と気づくことができるかと問われれば、それが八角柱ヘンリーの実力だと言い切ることが出来る。
だからこそ、黒く真っ直ぐに伸びた舌に反応できず、ヘンリーが右脚を絡め取られたのは、それだけの力が万有には備わっているということを意味していた。差し向けられただけのことはある存在なのである。カメレオンの舌は0.01秒で時速九十キロまで加速することで知られている。その舌が今、腕の様な太さで約五メートルの距離を伸びた。そして、伸びた舌は当然巻き舌で収納されている構造的にも戻そうとするので、普通に考えればそれだけの力が人間サイズで再現されていればヘンリーは右脚を宙に引っ張り投げ出させられる格好で姿勢を崩されることとなる。
ズズッという音が一度しただけだった。転ぶ音、引きずられる音、宙を舞い風を切る音、虚を突かれたことによる驚き、そんなものは一切なかった。なぜか。至極簡単な話で、ヘンリーが左足だけで踏ん張りをきかせてバランスをとっていたからだ。だから、一瞬だけ万有側に動いた、実際に起った事象はそれだけだった。
ヘンリーは四股を踏むように少し浮かされた右脚を、ゆっくりと地面に着地させる。
「見えなかったわ。ビックリ」
しかし、続く言葉は驚嘆よりも冷静な分析による、煽りに近い小言だった。
「でもいっそ、その舌で打撃をお見舞いされた方が私としてはキツかったかもしれないわね。わざわざ張り合う機会をくれるなんて戦略を設けるだけの知性はないのかしら。でも合成人の力を前面に出せるってことは他とは明らかに違うのよね」
新人類の異能である怪力に加え人間サイズで実際の舌の加速はカメレオンの通説を遥かに凌ぐ速度で放たれ、同様に引き寄せる力もいわゆる力持ちと言われる人間を圧倒するレベルのはずだった。
それと拮抗、もっと言えば上回ると言わんばかりの力を目の当たりにした万有からしてみれば、新人類になったのに人間の枠を越えられていないと思わされる、手に入れた力に見合わぬ度し難い状況だった。
「い……い……な……あ……」
それはヘンリーを始め、耳にできた誰もが一瞬驚きに足を止めて注目してしまうほどの衝撃的な事象だった。何せ初めて無名の演者が言葉として意味を持つ意思疎通の可能性を示唆させるには充分な単語を発するところに遭遇したのだから。今までのは、声を上げても意思疎通が出来ない咆哮のようなものばかりで、ラクランズ部分の戦闘力込みの制御を失ってから、つまり一度動かなくなり再起動してからは当初よりも明らかに統率性を失い、それこそ獣のように無差別に暴れ始めていた。それと比較する前から、万有はそもそもヘンリーという大将首を狙う動きを取り、そこからは明確な意思のような、目的意識を把握できている節をヘンリーも感じさせられてはいた。だから知性の有無を判断するような言葉が先程漏れ出ていたわけである。
しかし、喋ったという事実一つはそれだけでないかも知れないと思われた知性を一瞬で肯定する材料なり、そこには元となった、犠牲となった人間の自我があるのではないか、という可能性すら表面化させてしまう、誰しもにその姿にされた悲痛さと討伐することへの被害者に対する後ろめたさが脳内を過ってしまうことになる。
「へぇ、あなたたちも、いや、あなたは喋れるのね」
だから警戒レベルを自ら自然と引き上げるヘンリー。そう、ヘンリーはこれが人類存亡をかけた戦いであると理解できている。つまり、同情はない。割り切りはとうの昔に済ませているのだ。故に、少しでも情報を引き出そうと言葉を投げかける。しかし、返事はなく代わりに風景と同化していた全貌が顕になる。それは大柄な身体にぐるぐるに巻いた尻尾、引っ込める長い舌、そして、ぎょろりと三百六十度カバーできそうな左右別々に動く、顔から浮き出ているような眼球で、カメレオンの合成人と納得するには十分な出で立ちだった。ただ深緑が伺える体色を覆う黒い粘液は無名の演者の特徴そのものだった。
この時、ヘンリーは一つの可能性を考える。それは黒い粘液という、無名の演者にとっては身体の一部であるかもしれないが、体色を景色と同化させるカメレオンの特性を考えた時、あくまで黒い粘液は体表ではなく体表に纏わる物質なのに、先程違和感として捉えた武器の様にどうしてカモフラージュの対象に入っていないのか、である。つまり、保護色を取ろうとした時、本来の機能以上のことができる可能性があるのではないかと推察したわけである。
だから身躱した。
「っぶないわねぇ」
首を少しでも傾けていなければ口から後頭部までを貫かれていたであろう突き刺し。頬にわずかに感じる切り傷から滴る血の熱さが刃物がかすめた証である。チラリと視線を後方に向けるとピタリと空中に止まったヘンリーの血が徐々に背景と同化していくのが見えた。正面には万有の姿が確認できることから、舌による拘束、全身を景色と同化しての一撃は部分的にできるという特性を伏せた、今の不意打ちを通すためのブラフであったことを理解する。いや、これだけでなく最初の武器が見えるという違和感すらカメレオンという生物的な先入観を強く印象付けるための行為、つまり、ただ技を振りながら暴れるのではなく一定の思考、戦略を持っていることがこの瞬間確定したのである。それは、今までの無名の演者よりも人間性があるということを決定づけたのである。
そして、その結論はヘンリーの身体を反射的に攻撃へと動かした。人間としての自我が残っているために同情するわけではなく、自我が残っているからこそ陸と協力関係、少なくともこちらの敵になることを受け入れて自発的に行動している可能性があるとなったからだ。仮にそれが洗脳の類で自我はあるが、決定権がなかったとしても、それは最良であって、最悪をこの窮地で考えない理由にはならない。だから、見えないがそこにあるであろう伸びた舌を掴もうとする。しかし、それを防ぐように本体がすでに距離を詰めておりヘンリーの右腕を万有の左腕が抑え込んだ。
抑え込んだと思ったのだ。
「わざわざ近づいてくれてありがとうね」
ヘンリーは思いっきり万有の押す力も合わせて、その身を自身の方へと引っ張る。そして、拳を固めた左手が万有の顔面に直撃する。その直前に黒い粘液が威力を軽減するように直撃箇所へ集まっていた様だがハンマーでコンクリートを叩いたような鈍く、痛いと肌に感じさせる音と共に万有は吹っ飛んだ。しかし、ヘンリーはこれで攻撃の手を緩めない。嫌な予感を実現させないという考えが自然と身体を動かし、倒れている万有の元へ追撃を決めさせるのだった。生存本能にも近いやられる前にやりきれという一手が、ヘンリーの飛び蹴りが万有に届いたのである。
◇◆◇◆
「いい……なぁ……」
肌色に斑な緑を宿し、そこから更に黒い粘液をうねうねと纏わせる特殊な無名の演者。後に二つ名、夢幻と称される蛙を取り込んだ個体である。万有同様に、目的を持つようにアースィムの、シャリハの前に現れた。そして、近くにあった動かなくなった無名の演者を丸呑みすると、先程の言葉を発したのだ。
この時点でシャリハもアースィムも目の前にいる夢幻が今までの無名の演者とは別物であると理解し、警戒心を強めていた。
「喋れるのかね?」
アースィムの問いかけに夢幻は首を縦に振り、万有と違い意思疎通が出来ることもしっかりとアピールしてくる。そんな応対にさらに警戒心を強めながらアースィムは左手にナイフ、右手に拳銃を持った腕を顔の近くまで掲げると戦闘の構えを取る。そして次の瞬間、アースィムの頭上が黒く陰る。理由はわかっている。目の前の夢幻が先程飲み込んだ無名の演者をアースィムの頭上へ吐き捨てたのだ。無名の演者は巨体を支えるためか皆二メートルはゆうに越えている。それを飲み込む姿は実に気持ちのいいものではなかったが、それが勢いよく高度を稼ぎ、落下、即ち人間以上の質量が重力に従って加速して降ってこようとしているということである。もちろん、アースィム一人で交わすなら容易だろう。しかし、周りに自軍の兵が少しいる状況、避けるより受けた方が被害を最小限に抑えられる、そう判断したのだ。そのため、正面にいる夢幻に最大限に注意を払いつつも頭上に意識を向けようとする。その過程で正面に夢幻を確認できず、頭上の無名の演者に逆さに張り付いている夢幻をアースィムは同時に捉えた。高速で移動する運動神経もだが、夢幻の意図をここで理解する。
吐き出された無名の演者は押しつぶすために吐き出されたのではなく、夢幻の足場として吐き出されたのだと。
「ひ……ひっ」
銃声の反撃に対し、ほくそ笑むような声と共に夢幻は無名の演者を蹴り飛ばし、重力を味方につけた己の最速の拳をアースィムに叩きつけにくる。それに対するアースィムの対応は来るとわかっているならば、攻撃を置けばいいというカウンターの一撃だった。上にいると確認した瞬間からすでに銃を撃っていた。二発撃てたうちの一発目の軌道をたやすく見切り突っ込んできている夢幻の拳は誘い込まれる様にアースィムのナイフを構えた位置へ振り下ろされることとなった。夢幻の拳にナイフが飲み込まれ、ヌチャッとした体面の粘液がアースィムの拳と接し、それらが血と共に上半身にぶち撒けられる。そのままとろみを残した血液が肩まで伝う。そう、アースィムは結局、百キロは越えていそうな夢幻を正面から受け止めたのだ。夢幻も痛みに怯む素振りは見せず、追撃と言わんばかりに至近距離になったことを利に口を大きく開き、アースィムを頭から飲み込もうとする。が、その直前で夢幻が勢いよく吹っ飛んでいく。
夢幻は、アースィムが時間を稼いだことで逃げ切れた数人によって投げ飛ばされた無名の演者の残骸に押し出されるように飛んでいったのだ。
「ふぅ」
一呼吸入れ、上空へ飛んでいっていた夢幻の足場となった無名の演者が落下してくるのに合わせて、それを横から蹴り飛ばし、押しつぶされている夢幻に更に投擲、ぶつける。仲間の無事に一安心しつつ、自身の身体の損傷を痛むところはないかと確認する。衝突の瞬間、少しだけ身体の軸をずらしたが、それでも直撃に変わりなく、左脚にヒビが入っていると確認できた。ただ、まだ戦えなくなるったと判断するには浅いものだった。ここでアースィムは己に活を入れる。自身はシャリハの右腕で、降りかかる火の粉を全て薙ぎ払うためにここにいるのだと。己は期待に応えるだけの力を持ち合わせていると。ふらりとアースィムは姿勢を低くし、再度武器を構え直す。そう、ふらりとまるで貧血のようになんとなく、普段から取る行動だからかろうじてできたと言っても間違えではないようになんとなく、なんとなく構えたのだ。その違和感に視線を自分に向けて初めて腹部を鉄の棒が、無名の演者の破損部位の一部が突き刺さっていることに気づいた。痛みはなかった。しかし、自身の立ちくらみが嘘だとも考えられなかった。加えて、左脚は確かにヒビが入ったような痛みがあり、目視ではしっかりとくっついて痛みから判断した通りの状況が見て取れた。アースィムがそこから導き出したのは、夢幻の新人類としての力が幻覚であり、幻視に幻肢を使い分けることができるということだった。
つまり、この戦況そのものがまやかしである可能性がある、ということだ。だからアースィムは自身の推測を裏付けようとゆっくり触れられるはずのない鉄の棒に手をかける。幻覚ならば、触れられないそれに触れ、アースィムはゆっくりと引き抜き始めた。だが、それを引き抜くことは許されなかった。華奢な腕がそれを止めていたのだ。
その確かな温もりにアースィムは手の主の方へ顔を向ける。
「よくやった、アースィム。お前の働きは十分だ。早く、下がって治療してな。ここから先は私の仕事だ」
「私は……まだ……」
アースィムの意識がそこで途切れる。
「さぁ、お望み通り出てきてやったぞ、蛙ヤロウ。私の信仰、ナメるなよ」
「……幻覚……に……かかって……ないな?」
少しだけ先程よりも流暢に夢幻は喋り始めるのだった。
◇◆◇◆
明らかに他より一回りも二回りも大きく、ひと目で恐竜と分かる見た目をした特殊な無名の演者。後に二つ名で大山と称される個体である。マイケルはそんな巨体をどう倒すか考えていた。そして、今いる場所から一歩下がり鼻先をかすめた尻尾を見送る。新人類の異能に転移という、モノを覚えている場所に移動させるという力があるが、これは部分的に移動させることができる特異個体と呼ばれる者の力なのか、目の前の事実から推察していた。更に、目の前を高速で通り過ぎたその刃の様な尻尾から、その恐竜がステゴウロス・エレンガッセンという名だと識別する。鎧をまとったような頑強な肌以上に尻尾が剣先の様に鋭利になった恐竜である。今の初撃の不意打ちを背中から心臓を一突きにしないあたり、考える力はなく、ただ単純に敵の将の首を取ろうとしたのかとマイケルは今までの無名の演者と大差はないのだろうとその時点では判断していた。故に転移の門とも言える場所へ戻っていく尻尾へ追撃はしなかった。尻尾の吸い込まれていく先がどういった空間になっているかわからない以上、むやみに飛び込んで閉じ込められたり、それこそ転移とし出る場所が閉じる瞬間に切断される可能性すら考えられたからだ。代わりに自身の前後左右に人員を増やし迎撃できる構えを取る。そして、マイケルは鼻先の切り傷の血を拭いながら、大山の出方を伺う。そこで異変は起きた。
◇◆◇◆
「ようやく、喋れる身体になったぜ。やってくれたな、お前」
万有の身体がヘンリーのものへと変わり、ヘンリーの追撃は軽く受け止められていた。
◇◆◇◆
「とりあえず、その信仰とやらの恩恵を体感しつつ、あなたをもらうとしよう、シャリハ」
夢幻の身体がアースィムのものへと変わり、シャリハの目に驚きの色を与える。
◇◆◇◆
「これでようやく泥仕合ですね」
大山の身体がマイケルのものへと変わり、多勢の兵を挟んで本来ならば聞こえない声がマイケルの耳を襲う。
そう、八角柱の他者にまで影響する才能を持つものには、新人類の成りすましの力を持つ者が割り振られていたのだ。つまり、己の強大な力が牙を向いたのである。人類に希望と信仰、節制が襲いかかるのだ。
◇◆◇◆
戦況が最悪に傾かなかったとすれば、ヘンリーにアースフィム、そしてマイケルが成りすましにその身を奪われる前に、別の戦場でまた違った理不尽がその力を示していたからとも言えた。もちろん、先の三人のもとに行った個体が陸たちの無名の演者の最高戦力だったことも違いはない。しかし、それ以外の個体がその三体と明らかな差があったのかと言われれば、そうではないと、どいつもこいつも化け物だと一般人ならば答えるだろう。そもそもこうなることを想定して陸が用意した存在ではあるのだから。
つまり、単純に規格外だった、それだけのことであったのだ。
「強そうなのが来たと思ったけど、力を出仕切る前にやられちゃ世話ないだろうに。やっぱりあれだね、年季が違うよ」
そう言ってイザベラは自身が再起不能になるまで叩き、地面を陥没させた特注と思われる無名の演者を見下ろしていた。先手必勝の電光石火。
ステゴロ最強、その異名にそぐわぬ圧倒ぶりはヒラリアをよそへ回す余裕があることもうなずけるものだった。
「さて、よそは大丈夫なんだろうね」
その不安は、ヘンリーとマイケルの成りすましが生まれたことで当たることとなる。
◇◆◇◆
「中之郷……」
幻覚と呼ばれる全ての幻惑の種類をもった特殊な無名の演者に苦戦していた養根の元に突如現れた智は、出現と同時に本体まで接近し、対象を一刀両断し機能停止にまで持ち込んでいた。一皮むけた紘和の右腕もまた規格外の成長を遂げていたのだ。そして、到着した智は討伐した特殊な、名も与えられることなく散った無名の演者には目もくれず、疲弊していた自軍を見渡し現状把握に努める余裕があった。
状況は全盛期を終えた老骨と次世代を担う兵としてみれば善戦していたのたであろうが、それでも当初の予想通り、紘和と拮抗する戦力ではないという判断が正しかったのだと智は思った。
「負傷者は?」
「だ、大丈夫だ。しかし、これに似たやつが同時期に複数出現したと聞いている」
智はその返答に最悪を考慮し、自身をこの場の最大戦力と位置づけて支援に行くべきかの思案を始めるのだった。
◇◆◇◆
「……ったく、お前と一緒だとやることがない」
バーナードがぼやく理由はワイマンが今しがた現れた特殊な無名の演者を何もさせずに粉々にしてしまったことにあった。新人類であるクラーラからすればその強さは異能を手にした自分から見ても化け物と同義である存在であった。敵に回してはいけない存在だと思うと同時に、なぜこれだけの力を持つ人間が誰かの、バシレスクの下についてただ命令を聞くのか不思議に思うぐらいであった。
そこへ一本の連絡がワイマン宛に来た。
「もしもし、ワイマンです……わかりました」
短い内容だったのか、ただ了承したということはバシレスクからの連絡であることだけは確かだった。
「なんの連絡だったんだ?」
バーナードの質問にワイマンは無骨な大剣と複数のライフルを下げて移動しながら答える。
「こいつみたいに特殊な無名の演者が他にも現れたらしい。俺だけは現場を離れて支援に迎え、とのことだった」
「……そうか、そりゃご苦労なこった」
そう言いつつもさっきのがワイマンを動かすほどの相手だったのかと今しがた瞬殺された無名の演者を見ながら現状の危うさを再確認するバーナード。
そう、敵が危険な存在だということすら認識させない規格外の、危険を孕んだ味方、それがワイマンなのだ。
「じゃぁ、ここは任せたからな。何人も通すなよ」
そう言ってワイマンは有象無象の無名の演者を軽々と切り捨てながら最前線へと駆け抜けていった。当然だがこの言葉が二人にとってどれほど身の危険を感じ、気が引き締まったかは言うまでもない。無論、この場からワイマンがいなくなり、敵に押されるかも知れないという恐怖ではない。約束を違えてワイマンがこちらに牙を向くかも知れないという、あくまで味方からのプレッシャーにである。
◇◆◇◆
「強い」
戦闘を開始してすでに十分は経過している。開幕はコレットと泰平が圧倒できていると感じる程度に行けるという流れがあった。しかし、コレットの波による振動で脇腹あたりをえぐった当たりから状況が一変した。言ってしまえばコピーしたのである。新人類が複製できる対象は無機物である必要があり、コレットの、ラクランズのバーストシリーズのその技術は該当したのである。故に接触を機にコピーされたその波を生み出す機能となるパーツが複製され黒い粘液の中へと組み込まれていったのである。しかも最初からそれが目的であったのか、波の技術を盗んだ直後、背中と思われるところから翼が生え、近接戦闘から制空権を獲得した戦いに移行したのである。その姿はまるでワシであり、鋭利な脚の爪は人間サイズだからだろうか、包丁と遜色ない大きさと鋭利さを誇っていた。そして、空中から衝撃波を放ちながらコレットが相殺する形で防戦一方な戦いを強いられることになったのだ。
泰平に加勢したいという気持ちはあるが、自身の跳躍力では確実に届かないとわかっているからこそ、いや敵がそう位置どっている、何もできない状況に歯がゆさを感じていた。威力が減衰することを考慮してか、はるか上空にいるというわけではない。ただ、目測三十メートル上空に手出しが出来るかといわれれば先の状況になるのである。そんな停滞した時間がまだまだ続くかと思った時、上空を一つの影が通り過ぎる。突然の影に泰平が視線を上空に向けると人が飛んでいた。
背後を振り返るといつのまにか少し積まれていた無名の演者の残骸があった。
「突き抜けろ」
その残骸を足場に飛んだであろうヒラリアが大声と共に踵を特殊な無名の演者の背後から落とす。しかし、そんな大技をしかも大声を出しながらとあれば相手も気づくわけでくるりと半回転し、波による衝撃波の方向を変え、迎撃の体勢をとる。だが、ヒラリアは止まらなかった。鋼鉄の皮膚を持っているかと錯覚するぐらいに常人ならばちぎれてしまいそうな猛攻の中を浅い切り傷だけに抑えて振り抜き切ったのである。それでも結果は当たらなかった。まるで、そうなることがわかっていたような反応速度で、迎撃体制を直前で回避の体勢へと切り替えて避けたのだ。そう、避けなければ脚で真っ二つにされていたから正解であった。故に気づけない。
避けた先にマーキスがいて、特殊な無名の演者にしがみついたのだ。
「さっきの失態は返させてもらうぞ」
そう言ったマーキスは特殊な無名の演者に全体重を乗せて地面へと叩き落とすように腕を振り抜いた。もちろん、地に足が付いていたわけではない。加えて現在戦闘中の特殊な無名の演者は翼を持ち、なお波の力も持っている。地面に当たる前に体勢を持ち直すことは容易であるはずだった。片翼が切り落とされていなければ。
それに気づいた時にはバランス感覚を失い、そのまま地面に叩き落されていた。
「ふぅ」
泰平はようやく自身も貢献できたと安堵しながら剣の舞で製造されていた見えない刀を鞘に収める。コレットが稼いだ時間で意識が回復したヒラリアとマーキスの加勢を経て、状況が一変したのだ。だが、これはまだヘンリーとマイケルの成りすましが成功する前の話である。この窮地を脱したかに思えた瞬間が、成りすましがなされた瞬間でもあったのだ。
◇◆◇◆
「昔の俺なら、自分の行く手を阻むから、それだけの理由で斬り伏せていただろう。仕方がないとか、それしかなかったとかそういう言い訳を必要としない、ただ邪魔だっから、それだけの簡単な理由で誰であろうと、切り伏せられるものは斬り伏せてきただろう」
語る。
「今は、違う。俺は恣意的に斬ったと自覚している。そうしなくていい道もあったことを知ってもいる。それでも選んだ。背負っていくと、己の正義を示すために奮った力を覚えておくと決めている」
これは弁明ではない。
「俺の成すことは正しくあると確信している。今の君に、桜峰さんに必要なことだ」
タチアナが粉々に崩れていった。あまりにもあっけなく、登場しただけでその生命を散らしてしまった。敵意を向けられた、そう判断した直後の紘和の行動は恐ろしく早く、誰かの静止が出る前に事が終わってしまっていたのだ。あまりの出来事にアリスや友香はかける言葉も、タチアナが無名の演者にされてしまった悲劇を、死んでしまったことへの感傷を味わうことさえできずにいた。
だから、唯一部外者とも言える獙獙が一番に紘和の独白に応対する。
「だとしてもそこの二人と何かしらの相談をするべきじゃなかったの?」
冷静な疑問は冷静な正論を呼んだ。
「だったら、こうなる前に二人が力づくでも止めるべきだった。お前も罪人とはいえ、チャールズ陣営なのだろう? なら、俺のやったことは間違っていたとしても間違いではないとわかるだろう。俺もわかった上での判断だ。攻められる理由になっても正義でない、己のやった正しい行動であることの証明にはならない」
「……俺がどうしてここにいるのか、ちょっとわかった気がするよ」
その声からは明確な敵意が漏れていた。
「援軍だろう?」
挑発とも取れる紘和の言葉に獙獙は眉間にシワを寄せるがそれ以上をしなかった。本来ならばチャールズが果たすべき大役の代理がギリギリ務まるのが獙獙だったのだろうが、道を誤ったとしても今の紘和を殺してでも止めることができないと、この惨状を目の前に、悟ってしまったからだ。荷が重すぎる、それが率直な感想だった。チャールズの代理として強い人間をたてるところまでは何も間違いではなかった。人間側で異能を持った人間を列挙したとしてもチャールズの次に戦闘力が高いのは今この戦場では獙獙か智、イザベラとワイマンしかいないからだ。ただ、力量差が想定外だった。
目測を誤ったのだ。
「でも、さっきも言ったとおり、これは桜峰さんにも必要なことだと思ってる」
そう言って紘和は友香の前に立つ。
「本当に君は、九十九陸を殺せるのか?」
友香にとってその確認は先刻に憧れたタチアナの生き様を経て固められた狂った決意に対する質問ということになる。そして、その狂気のまま進んだ道の結果が目の前の光景なのだと思い知らされていた。第三者で見た時の現実は恐ろしいほど酔を覚ます。誰かのためにと、優紀のために殺そうとした、その殺すという行為の罪深さを、嫌悪感を拭えずにはいられない。それがタチアナを、仲間だったものを躊躇なく手にかけることである。
それが出来た眼の前の人間に憧れるような感性を友香は持ち合わせていなかった。
「即答できないってことは……迷いがあるんだな?」
その威圧的な質問に、殺さなければならないという理解が、胃液がこみ上げるような不快感を体中に与える。
どうすればいいのかわかっているのに、そうしたくないという葛藤がいつまでもいつまでも、どこまで考えても帰結しない。
「ならば、俺が殺す」
どれだけ苦しくても、どれだけ悩んでも、その紘和の言葉にだけは即座に身体が反応し、下を向いていた顔が、キッと紘和を正面から見据え今にも胸ぐらを掴まんとする手を出させるほどまで感情を激しく揺さぶらせた。
「それだけは……許さない」
殺すなら私の手で、そんな狂気が見え隠れする言葉を絞り出すように発する感情の振れ幅に無自覚な友香。
「だったら君は俺を殺さなければならない。奇人の時のように激情に任せて刺すんじゃない。目的を持って冷静に、しっかりと心の臓を狙って、俺を仕留める必要がある」
その言葉は友香を紘和も殺さなければならないという強迫観念を植え付ける。やるならば、やらなければならないという紐付けされた理論の様にまるで、その狂気が正しいように聞こえてくる。呼吸の頻度が増し、自分でも気が気じゃないことがわかる。そして、考えるよりも先に行動してしまおうと思った矢先、友香の肩に乗る手があった。その手にハッとなり自分が何をしようとしていたか改めて冷静に思い返しながら、その手の主の方へ振り返る。何かを言うわけではないがアリスの瞳が真っ直ぐにこちらを見つめていた。故に、ここでするべきはことがあるとすれば、紘和を倒すことではなく、タチアナを問答無用で殺してしまった紘和の立ち振舞に詰め寄ることだと冷静に判断する。
だが、その話は紘和の中で完結しているため討論が平行線であることは確実だろう。
「いい顔だ」
そう言うと紘和は背を向けるのだった。
「俺は常に正気だと思っているが、正気でいながらも狂気を失わないのは難しいそうだ。タイムリミットは俺が奇人を殺すまでだ。きっちり殺せよ。この光景は君が通過する道、そのものなのだから」
友香の中にも過ぎっていた嫌悪した光景を、紘和が身を持って見せてくれた様にこの時は感じた。胸糞悪いことでもやらなければならないという手本を示し、悩む友香の背中を後押ししてくれたのではないかと錯覚してしまうような美談に聞こえるほどに。いや、実際にそうだったのかもしれない。ただそれでも、タチアナを即座に殺したことが許される、正当化されるわけではない。一連の行動と結果は絶対的な悪であると友香は思っている。それでも不器用なりの激励ならばと足を一歩前に出さなければならにのも現状という限りある時間の魔性だった。タチアナの愛に準じた行動に焦がれ、紘和の揺るがない自身の正義の準じ方に僅かではあるが感化され、友香は転がっていく。
この場は異常である。それは部外者である獙獙だけが理解していた。誰も、ブレーキを踏まずアクセルの踏み方だけを教えて、まるで友香を崖から突き落とそうとしているかのように映るのだ。だからといって人類のために友香を止める理由は獙獙にはないから口を挟まない。
それでも異様な信頼関係、タチアナの死のことを結局誰も言及しないのには、さらなる気味の悪さを感じずにはいられなかった。
「狂ってるぜ」
ボソリと吐き捨てられた獙獙の言葉が誰かの耳に留まることはないのだった。




