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綴られた世界  作者: 白井坂 十三
第七章:ついに始まる彼女の物語 ~大願成就編~
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第六十九筆:役割

「このタイミングで惜しみなく増援の投入か……まだこちらに対処されたわけでもないのに、しっかりと戦意というものを削ぎに来る」


 チャールズはバシレスクから送られてくる敵勢力を地図と照らし合わせながら【夢想の勝握】の二次元勝握で必要な物資、そして後方部隊の移動、他奇襲にも似た突発的な爆撃による支援を行っていた。後方に配置した部隊を数百人規模で移動させることは事前にすでに連絡しており、チャールズは配置や爆撃の結果を何度も見ては、最善となるように四次元勝握でやり直しを続けていた。そして、先の増援が来るまで、見事に拮抗を保つことを成功させていた。これを崩すためには、どうにかして異能が使える者が異能を使える状態にしなければならない。それはつまり、目の前の無名の演者を片っ端から効率よく潰していくか、いかにして無名の演者の視界を遮断するかである。早い話があるとすれば【想造の観測】そのものを機能停止にするだが、それは陸を倒すことを意味し、現状、ここで出来ることではない。

 そして、これらに関しては当然すでに現場で急ごしらえの打開策とはいえすでに伝達はされている。


「こちらは未だ勢いに乗れず……やはり生産された段階で圧倒することは叶わないということか……」


 この時のことをチャールズは後に気が緩んでいたのかもしれないと振り返る。そう、相手は今もなおこちらを、人類の敗北を望んでいることをどこか開戦に成功し、拮抗を続けられているからこそ忘れてしまっていたのだ。そうチャールズは守りの迎撃体制に入ったことで、どこか高みの見物気分だったのだ。敵を知っているはずだったのに。要するに、一難は去ってもまた一難ということである。


◇◆◇◆


「流石はナンバー二。ここまでやるとは思ってなかったよ」


 ボブの振り抜いた渾身の右腕を交わし、反対の左肩に自身の左肩を入れてロックし、相手の勢いをそのままに純は自身の体重も乗せて床に落とした。

 蓄積された疲労やダメージが一気に吹き出したように、受け身を取れずに大きな負荷を一身に受けたボブは右手首を折り、顎を砕かれ、左肩を外されることとなった。


「さて、本来であれば君の役割はこの俺の足止めだろう。チャールズ・アンダーソンが事態を収束させ、加勢にくるまでの時間稼ぎ。あれは知ってるんだ、俺の強さを。有象無象がいくら束になっても、いや、流石に多勢に無勢がすぎればわからないかもしれないけど……でも残念なことにこの戦況下で俺に力を注力することは出来ないとチャールズはわかってるわけで、最小の戦力で最大限の抵抗をするために君を、ボブ・ハワードをこちらによこしたはずだった。だが、戦況は悪化している。なぜか。今も新手の戦力が投下され続けているからだ。その原因は紛れもなく拮抗で満足し、お前という貴重な最大戦力を俺に使い潰しているからか。ほら、ほらほらほら、だから負けたら元も子もないんだぞ? 頑張れ頑張れ」


 ボブは無理やり右腕を床に思い切り叩きつけることで床を崩し、純諸共階下へ落ちる。

 落下と同時に拘束が緩むのを逃さず、ボブは純を払い除けて距離を取った。


「ん~、見た目通り、タフだねぇ。でも足止めの続行じゃ、事態は好転しないよ。お前があるべき戦場にいかなきゃ。そのぐらいの戦力評価を俺は少なくしてるんだぞ」


 ボブは外された左肩を無理やり柱に押さえつけながらはめ直す。ボブは自身が見た目通りならば、それこそ純は見た目以上にタフだと思った。ボブは巨漢でありながらも基本的な力、スピード、技はもちろん、持久力も獙獙を除けばアンダーソン・フォースでは頭一つ飛び抜けていた。それは、紘和やカレンとは違い後天的なものであるというだけの話であり、つまり努力の末培った強さでありその強さを疑う余地はないということである。だからこそ、純に圧倒はされているかもしれないが、まったく攻撃を当てられていないわけではない。ボブが攻撃すれば、回避行動を取ったり正面から受け止めることもあり、逆もしかりである。それは双方にとって相対しただけ、同じ時間だけ繰り広げられていたことであり、純の額に切り傷があったり、肋骨の一つにヒビが入ってもおかしくはないような打撃を打ち込んだ手応えはあった。

 しかし、汗を滲ませ息切れするボブとは対象的に実に涼しげな顔をして、敵は喋り続けている。


「さて、本来であればと言ったけど、実のところ君の本来ではない役割は何だと思う?」

「そんなものは……なし、ない役割はないだろう」


 ボブは姿勢を低くし、攻撃の意思を示す。


「それは、君の中での正解だ。……ふむ、質問を変えよう。俺たちの勝利条件を考えたことはあるかい?」


 ボブはいたずらに時間をくれる純の言動に不信感を抱きつつも自身の息を整えるためにその質問に乗っかることとした。


「勝利条件? こちらが敗北する理由を考える必要はない。目的は聞いているわけだからな」

「そっちの勝利条件は【雨喜びの幻覚】を持つ桜峰友香で【想造の観測】を看破して九十九陸を殺害すること。これは神格呪者を巡る戦いとなった時点で勝利するためには絶対条件だ。それこそ作戦と形容するのが少し阻まれるぐらいの。話が逸れた。要するに互いになすべきことが最初から明確なんだ。最高の戦力を君たちは俺たちにぶつける結果、君たちは勝利する。そして、俺たちはその最高戦力が陸の元へたどり着くことを防げれば敗北しない。でもそれはさっきも言った通りそっちの視点の話で、こちらの勝利条件とは関係ない。では何なのか? 敗北しないことが勝利でないのは当然として。それじゃぁ、世界への復讐と文字通り受け取ってそれは何を成して達成とするのか」

「随分ともったいぶる言い回しだな」


 ボブはそう言いつつも、実際純と陸の勝利条件は何なのだろうか、と考え始めていた。そして一つの事実に気づく。陸は一週間後に八つ当たりという名目で力を振るうと言っただけで、勝利条件となる明確な要求は復讐というぼんやりとしたもので、実際には何一つ求めていなかったということに。こちらが勝手にその八つ当たりという行為をする対象が、規格外に強く人類存亡に関わると判断し、迎え撃たなければならないと判断したのだ。

 つまり、陸たちの勝利条件は一体何なのか。


「その顔。存外、君は冷静なんだな」

「……まさか、この戦いに勝利する気がない……のか」


 自身の口から出た答えに、ボブは怪訝な顔をする。当然である。戦争を始めたはずなのに、敵側は勝利することに価値を認めていないだなんて、それは無意味に人々をただ殺すことに他ならない。それでは本当にただただ八つ当たりで、子供が蟻を踏み潰すような行為ではないのかと考えてしまうのだ。

 だが、世界に復讐するにはそんな悪戯が妥当にも思えてしまう。


「ん~、いい線いってる。流石と褒めるべきか、誘導が過ぎたと反省するべきか……まぁ、安心してくれよ。いい線ってことはその予想は外れなわけで、もちろん俺たちにもそれぞれ勝利条件はあるんだ」


 それぞれ?

 そんなボブの疑念を他所に純はパンッと手を叩くと、ボブの意識を純へ集中させる。


「それでさっきの話に戻る。君の本来でない役割の話だ」


 ボブはゾクリと寒気を感じた。今まで血を流していたにも関わらず感じもしなかった体温の低下を、雰囲気で感じ取らされる。その正体は先の純の懇切丁寧でまるで自慢のような口上であった。そう、ボブが登場した時、この登場が急遽行われていたと理解していた上で、ボブが来た理由はチャールズが駆けつけるまでの遅延であり、純たちはその合流を遅延させるために増援を戦場に送っているという。つまり、ここでの戦闘は純にとっては想定内であったことになる。しかし、そう決定づけるにはあまりにも最初の相対時の反応が、想定外であった表情をしていたのだ。

 ついでに言えば、勝利条件が仮にチャールズの足止めだとすれば、自分に一体どんな役割があるのだろうかとボブは純の質問の意図を結局理解できないと判断した。


「そもそも……」


 ボソリと思考が言葉となり出てしまうボブ。

 そんなつぶやきを純が拾う。


「そもそも、勝利条件がチャールズの足止めでは、戦争をした理由は、八つ当たりの矛先は、世界でも人類でもなく一個人に向けられたもの、ということになる。その疑問はさらに君に与えられる本来のものとは違う目的を希薄にする」


 心の内を見透かされたような純の言葉は、そのまま解答編だと言わんばかりに畳み掛ける様に様変わりする。


「では、君の役割とは、俺が与える君の役割とは何なのか。そう、君じゃなきゃダメだった。決して多勢で来られても、君より強い人間に来られて戦場の均衡が崩されても意味がない。俺は確かに君の強さを戦場に欠かせないと評価した。それこそ、ここにいなければ戦況を打開できる程度には、と。一方で、抜けても補えるだけの人材、それが異能や奇跡を持たない、純粋な力ではナンバー二の君が選ばれてしまった理由。そう、君はここでその役割を全うするためにチャールズによって選ばれてしまった。つまり、俺に、この俺に選ばされてしまったのさ」


 ボブは純のマシンガントークに理解が追いつかず、困惑した顔を向ける。

 こいつは、何が言いたいんだ、と。


「そう、君の役割は……」


 大きな影が二人の上に落ちる。それと同時に身体が揺らぐほどの風圧が全身を包み込む。純が後半なんと言ったのかはわからない。

 しかし、今までのこのおしゃべりは恐らく、ボブが息を整えるために時間を稼いでいたのと同様に、純がここへ来るとわかっていた者の到着を待つための時間を稼ぐためのものだと理解できた。


「安心しな、あれは加勢しない」


 突然、ボブの右下から声がする。声が聞こえたと認識したのと同時に右腕を突き出す。

 来訪者に気を取られることなく臨戦態勢は継続できている。


「残念」


 純の左腕がボブの右腕の関節を弾くように抑え込んでいる。


「わぁあああああああああ」


 ボブの鼓膜が破れるのではないかという野太い大声に猫騙しを食らったような、一瞬の驚きによる硬直が純に生まれる。その一瞬を見逃さず、ボブは右肩を純の腹部に押し付け走り始める。その勢いは、数歩は純の左腕で抑えている右腕の関節をずらし、純の身体を抱きしめることを可能にする。

 純は両腕を右腕だけで抑え込まれ、かかとを地面にこすらせながら壁まで運ばれていく。


「これは、こわい、ねっ」


 右脚で純はボブの鳩尾を狙うが、左腕がそれを邪魔する。さらに、ミシミシと右腕だけで抱きしめられているにも関わらず、純は己の身体が軋み、悲鳴を上げていることを理解する。ここまでの流れに躊躇はなかった。

 つまり、ボブは最初から純の奇襲に合わせてこうすると頭の中でシミュレートしていたことになる。


「さすが、ナンバー二。あっぱれだ。後は君が俺よりも怪力だったら壁に押しつぶすなり、壊れた壁から階下に自爆覚悟で突き落とすことも出来ただろう」


 そう言われた瞬間に右腕が、内側から押し開けられる。

 それはつまり、生まれた隙間から純がスルリと抜け出したことを意味した。


「お疲れ様。ゆっくりおやすみなさい、だ」


 ボブは天井を仰ぎ見た、と理解したのと同時に頭部に激しい痛みを感じ、意識を失っていく。何をどうすればこうなってしまうのかと理不尽な一撃に反省することを許されないまま。しかし、だからかそんな中こう思うことが出来た。あれは天井ではなく、鳥にしては妙に光沢感のある鳥だったな、と。


◇◆◇◆


 ホワイトハウス司令室。


「ずいぶん早いお帰りで。どちらへ行ってたんですか?」

「想定外の奇襲を受けたらしく、少し状況の整理をしてきた。何せ、向こうがどういった手段でこちらの情報を傍受してくるかもわからない。我が一人で行動するのは致し方ないことだと考えてもらわざるを得ないな」


 バシレスクの身辺警護も兼ねて現場に赴いていなかった各国から選ばれた要人の一人、智の質問にバシレスクはゆっくりと答える。


「ちなみに……」


 そして、険しい顔で今度はバシレスクが問い返す。


「思っていたより帰りが早すぎたのか? ここにいた我の部下を始めたとした者たちはどうした?」


 司令室のそこかしこには明らかに戦闘をした形跡が血痕と共に残っていた。


「ぜひ、答えてもらいたい」

「安心してください。誰一人たりとも死んではいません。抵抗されたので少しこちらも武力行使したまでです」

「そう……か。それで、目的は? いつから貴様は向こう側についていた?」


 この惨状を生み出した主犯を前に、臆することなく必要であろう情報を聞き出そうとするバシレスク。


「断っておきますが、私は別にあちら側の人間というわけではありません。ただ……」

「ただ?」

「この戦争を成功させるために、自ら選んだだけなのです」

「この戦争を成功させる? それはどちらか側の陣営でもない、つまり、戦争に勝敗をつけさせないことを目的としていると?」


 バシレスクの疑問に智は応えず、手に持っている何かで空気を払う。


「剣の舞の産物か。ここにいる人間に持たせているとは聞いていないが、まさかオリジナルの一部を渡されているのか? それは」

「これは俺個人の行動です。だから、ヒロは……俺の上司は関係ないですよ。それに、剣の舞はそもそも俺たち日本で展開されていた実験だ。野呂さんがアメリカに持ち込んだのは全部じゃない。そういうことですよ」

「ハハッ。そうか、そうか。貴様が手にする物には答えてくれるのだな。ならば、我は素直にチャールズの居場所を教えればいいのかな? ん?」


 バシレスクの挑発的に聞こえる言動に、智の表情が一瞬険しくなる。その一瞬という切り替えが怒りと取れる圧力をバシレスク与えた。

 だからバシレスクは手元にあった端末を智に投げた。


「そいつを見ればチャールズの居場所はわかる。ただ、現在の戦況というか、無名の演者、そう呼称することを決めた怪物の勢力図を送ることになっている。後は、いくつか対策も客員に伝達しなければならない。だから、我は一人でも王として指示を出さなければならないが……そうだ、これから会いに行くならチャールズに勢力図を再度伝えるぐらいの言伝は問題なかろう? ついでに、我一人がこのまま現場の指揮を継続することも問題なかろう?」

「随分と物わかりがいいですね……そうですね、むしろそうしてくださった方が俺としても助かります」


 智はそう言って司令室を後にしようとする。


「あぁ、二つ。二つだけ貴様に言いたいことがある」


 椅子に座り、様々な機材に手を触り始めていたバシレスクのかけた言葉に智は部屋を出ようとする足を止めて振り返る。

 それを確認すると、バシレスクは真っ直ぐに智に目を向けた。


「我は王だからな。貴様の不始末にも寛容だ。この場にいた全ての人間を殺さず、生かして無力化したその手際の良さ、素晴らしいの一言だ。そして貴様が敵ではないと言うなら、挽回を与える。何、我々が求めるのは勝利であり、我はその勝利を与えるのだ。だから、そこに至る過程全てが我のものだ。だから、存分に寄り道をし、挽回するがいい」


 一呼吸。


「そしてな、無視をしたこと、上司を庇ったこと、これは頂けない。己の行動を遂行する意思が強いのなら次回から気をつけるんだな。目は口ほどに物を言うし、信頼は裏切るに容易いのだから」


 その言葉に智はフッと微笑する。そして、再びバシレスクに背を向けて歩き出したのだった。


◇◆◇◆


 突然は突然だからこそ突然である。ホワイトハウス近くの拓けた場所。チャールズが潜んでいたそこに流星のように、その体をほのかに赤らめさせそれは落ちてきた。ズドンッという重い音と共に砂煙が巻き上がる。落ちてきた場所はクレーターの様に陥没してる。そして、そこからゆっくりと落ちてきたものが這い出てくるのをチャールズは視認できた。

 不意打ちにも等しく、逃げるよりも前に、その異常事態を確認してしまったことが、間違いだったと気づくのはその落ちてきたものが何か理解した時だった。


「無名の……演者?」


 それに見られれば、【想造の観測】の影響下に入ってしまうということをチャールズは忘れたわけではない。

 ただ、それが今まで送られてきた無名の演者ではない、かといって先程バシレスクから送られてきている情報の新手の様に見えなくもないが、そもそも見覚えのある存在に見えたのだ。


「アァアアアアアア」


 金切り声よりも腹の底に響くような太い声が上げられると砂煙が一瞬にして拡散し、その正体が鮮明にチャールズの前に現れる。ここでチャールズは再度、何度も何度も理解したと思っていた男の底しれぬ恐ろしさを再度理解し、自身が慢心していたことを悟らされる。これが本命だったのかはわからない。だが、これが本命になったことだけは理解できた。あの時、なぜ視界を遮れる場所で戦わされたのか。その結果が今、過去からの嫌がらせという敵である。

 チャールズが取れる、取らされた最善を純はこれみよがしに利用してくる。


「……ボブ、なのか」


 目の前で吠える無名の演者のその巨体と顔は紛れもなく、純を足止めさせるべく向かわせた自身の部下であるボブであった。おおよそ人間の道徳を持っていれば、やろうとすら思えないその痛々しい人体実験の産物がそこにいたのだ。怒りがこみ上げてくる。沸々とではなく、マグマ溜まりからマグマが溢れ出るような勢いで、純に憤怒するチャールズ。一方で、この場所が割れているという事実が、バシレスクたちの安否の心配にも繋がる。

 そして、その答えもまるでタイミングを図ったように登場する。


「時が来るまで、あなたには俺たちの相手をしてもらおうと思います」

「バシレスクはどうした!」


 突然の智の出現を味方の増援ではないことを疑うことなく、責任の追求をする。


「安心してください。バトラーさんは今も指揮を続けています。他の方々には大人しくしてもらっていますが」

「鹿児島の時か」


 安否確認が済むと、次はその手のひらを返した瞬間を問い正す。


「……先程もバシレスクさんには話したのですが、これは俺個人の判断で協力しているだけです。あんな男の下についたわけではありませんよ」

「じゃぁ、どうして邪魔をする。犠牲を出す必要がある」

「あなたの邪魔はしているかもしれません。でも、ヒロの手助けはしているつもりです」


 チャールズは浮き出た血管が破裂しそうな気分である。


「そこまでして、偽りの栄光が欲しいか!」


 怒りが目盛りを振り切るような感覚で吠えた一方でどこか熱が冷めていくのを感じ始めるチャールズ。

 その理由を知るチャールズは短いため息を挟み、ゆっくりと言葉にする。


「そうか……後悔……させられるんだなぁ、やっぱり」


 諦めである。そして、智の身体が宙を舞った。


◇◆◇◆


 智の目的を察したであろう瞬間、チャールズの空気が変わるのを感じた。蜃気楼が出るような暑さの中にいるのに氷点下の中にいるような感覚。

 感情がここまで具体的に恐怖となって押し寄せてくることを智は知らなかった。


「そうか……」


 チャールズの返答に、智は剣の舞の成果ではなく、普通の刀を手に戦闘態勢に入った。


「後悔……させられるんだなぁ、やっぱり」


 しかし、次の瞬間、五十メートルはあったチャールズとの距離に疑問を抱くほど、智の真下からチャールズの声が聞こえたのと同時に、智は自分が殴られ、宙を舞っていることに気づいた。ボブという無名の演者の視界から逃れてはいない。しっかりと収まっている。加えて保険としていくつもの目をここら辺一帯に配置してから智は姿を見せている。だからこそ、刀は自前の普通の刀なのだ。それはつまり、チャールズは蝋翼物、ましてや異能を使わずしてこれだけのスペックを自身の力で再現できるということを意味していた。

 八角柱である。当然、油断していたわけではないが、想像を超えていたことだけは、智が感じた恐怖が正しかったことだけは理解できた。


「すぅ」


 転がるように受け身を取りつつ、そのまま起き上がった智はチャールズの位置を即座に確認する。

 チャールズはまだ智を吹っ飛ばした位置から移動していない。


「本当に、この二人だけでなんとかなるのかねぇ」

「さぁ」


 返事は再び、智の真下から聞こえてくる。だから、智は受け止めた。先程と違い、チャールズの拳を受け止めてみせた。その行動に少なからずチャールズの表情に驚きがあったことに智は満足する。

 格下に見られていたようだが、通用はするのだと。


「それじゃぁ、よろしくお願いします」

「アァアアアアアア」


 智の背後から現れた無名の演者となったボブから放たれたストレートがチャールズの頬に直撃した。


「この一発は犠牲になった、してしまった俺の部下に対する不注意への謝罪だ」


 そう言ってチャールズはより巨大となったボブの身体を安々と腕から持ち上げ、宙へと放り投げた。


「油断するなよ。俺もしないことにした」


 どこから取り出したのか、銃剣というにはあまりにも剣という部分に主軸を置いた大小異なる武器が二つ姿を現す。【夢想の勝握】という異能を封じられた時に用いる武器なのかもしれないが、智はチャールズがそういった武器を軸にした戦いをしている印象を持ち合わせていなかった。そもそもで言えば第三次世界大戦以降、各国がその力を世界的に示す機械がない以上、初見であることが当然とも言えた。

 ボブの落下音と共にチャールズの気配が智にまで迫っていることを直感が察知する。


「ようやく戦うと決めた怠惰だった君に、俺はやつあたりをするのだから」

「それは、それは」


 来るとわかっていればこその閃光弾。智とチャールズを分かつように落とされたそれは這い寄ってきたチャールズの視界を的確に奪うように眼前で炸裂する。ちなみにこれはチャールズの行動を制限することが本来の目的ではない。視界を奪う。これは四次元勝握による記憶された時間内の遡行を防ぐことが趣旨であった。つまり、ここで一度完全に視界がリセットされ続けるという現状が結果としてチャールズがこの地点より前に戻ることができなくなるということである。鹿児島で純からチャールズを攻略する上で最も重要な視覚の剥奪と強者であることの自負を聞かされた時から、持ち歩いていたアイテムであった。だからこそ、当初の目的を達成し、閃光弾本来の効力を忘れていた。

 ダンッ、ダンッ。

 その銃声は銃剣の剣先から横に逃れようと目視していて移動していた。二回の接近を見て智は閃光弾を三回目に合わせると決めていた。その際、使い捨てとなる光を遮断するコンタクトを装着していた。これは一度だけこの閃光弾の光を無力化できるというもので、対【想造の観測】用に、現場の指揮官クラスに切り札として配布されていたものであった。だからこそ、この閃光弾は普通のものと違い、爆音による一瞬の怯みを誘発するようなものではなく、視界を確実に奪うことに特化したものになっていて、リディアによって開発されたバーストシリーズにも応用されているものを基盤に制作されたものだった。乱用できない欠点として、初見殺し、つまり一度そういう対策があると陸や純に悟られては、効力を失ってしまうため、他のみなもまだ出し渋っているのだろう。

 話は戻り、つまるところ、この閃光弾の効力は視界を奪うという点に置いては確かな保証がされているわけだ。これは同時に、一度炸裂させれば、事前に支給された消耗型のコンタクトを装着していなければ、確実に智の動きをチャールズには捉えられないことを意味する。一発目はギリギリ智の身体を弾道が捉えていなかった。

 しかし、二発目は明確に捉えていた。故に、智は手にした刀で弾いてみせた。


「見えているのか」


 閃光弾である、本来のものよりも視界を奪うことに特化したとは言え、爆音も爆風もある程度は発生している。そこから風の流れ、音を肌に感じて追うことなど出来る人間がどれほどいるだろうか。智はとっさに、その疑問を解消すべくチャールズに問い返す。あてずっぽうでないことは一発目から修正された二発目で確信が出来ている。

 つまり、目くらましに、光の閾値が常人とは異なる体質を持つか、こうなることを先読みしコンタクトをすでに装着していたことになる。


「もしかして、こんな芸当ができるのが幾瀧や先代の天堂といった一部の規格外しかいないとでも思ったのか」


 その言葉は答えであり、剣先を交えて重みを増していく。


「俺もお前も、規格外なんてそのステージに立ってしまえばゴロゴロいるもんさ。ただ、俺はその中でも飛び抜けている一人、というだけだ。だから油断するな」


 事実を述べられているだけで、決してチャールズは智を煽っているわけでも見下しているわけでもないとわかる。それだけに、説得力に重みがあった。つまり、目の前にいる人間にとってこの想定外とも思える奇襲は、対応して然るべき状況であり、肉眼で敵影を捉えることが出来なくても、風の流れ、音を肌に感じて追うことなど出来る人間であるということであり、ただそれだけなのだ。【夢想の勝握】による退路はたったが、智もまた窮地に陥っていたのである。そして、チャールズは二丁持っていると気づいた時には、智は脇腹への負傷を覚悟した。しかし、智の背後から突き出てきた茶色の体毛に覆われかけた金属をまとった腕がその斬撃を防ぐのだった。


◇◆◇◆


「さて、俺からのプレゼントは気に入ってもらえただろうか。時を越えて、なおの嫌がらせ。あんたの気を逆撫でるには十分だろう? たまにはそうやって本気でストレス発散しなきゃ……そうだろう」


 純は、ボブが跳んでいったホワイトハウスの方を向きながら、戦場から隔離されたと錯覚させるような戦闘の行われていないビル群の屋上の一角で思いを口にする。


「まぁ、それは俺の都合で、俺の息抜きでもあるんだが」


 フッと鼻で笑う。ここでチャールズと戦っていたであろう自分は、あれだけ本気でやり合おうとしていたはずなのに、チャールズが勝てる算段をしっかりと与えていた。本当に本気で今の純とチャールズがぶつかるというのは、ここまで来ても叶うことは決してないのだ。それは、二人の終着点が同じで目的が違うとわかった時から決まっていた。だから、少しだけチャールズに心地よい時間を与えたのだ。だから、少しだけチャールズに嫌がらせをしたのだ。

 どちらも純のわがままであった。


「本気で苛ついてくれてれば幸いだけど、俺もここまでくると少し感慨深くなるねぇ。まぁ、つまるところ順調だから、みんなの願いが叶うまで大詰めなんだろうとは思うんだけど、どう思う?」


 純は背後に立つ巨大な白い鳥の無名の演者に話題をふる。しかし、そいつから返ってくる言葉はなく、戦場の喧騒が耳にこびりつくように鳴り響き、ここが戦場なんのだという現実に引き戻すだけだった。

 そう、これは起こってしまった確立事象、すでに結果なのだと。


「……手間賃にしては、随分とつまらなくなったものだ」


 そう言って純は足元、ビルの下で戦う人々と無名の演者たちの戦いに目を向ける。状況は依然として純たち側が優勢であった。局所だけに視点をおけばそうとも限らないが、それは戦局を覆すという点ではほとんど意味を成さないだろう。意味があるとすれば、紘和たちが陸の元にたどり着くという点だけである。

 つまり、この優勢状態が覆ることは現状なく、戦場で増えることが可能な無名の演者、黒い粘液で人間とラクランズの能力を無理やり繋ぎ止めるそれは、時間さえあればチャールズ側を際限なく飲み込み、より強力な無名の演者を生み出し、緩やかに首を絞めさせることになるのだ。


「……この劣勢を君たちにはぜひ覆してもらいたいものだが……紘和が俺のところにつくのが先か、チャールズが戦線に戻ってくるのが先なのかなぁ。面白く……したいなぁ」


 その言葉に嘘偽りはないのだろう。目標達成までの道のりすら楽しむ、何が何でもという覚悟とはまた別の強い執着心がそこにはあった。もちろん、純は知っている。ここから閃光弾という切り札や煙幕と言った常套手段である程度巻き返しがある可能性を。しかし、純は知らない。その一手が大きな反撃の一歩、というには大げさかもしれないが、劣勢を立て直せるだけの力があるという事実を。なぜなら、この大戦は誰も知らなかった、大きな大きな未来を決定づける大戦である。そして、人の数だけ可能性はあるのだ。それを純は知らない。知っていようがわかりようがないのだ。何せ、純は自称、人類最強だから。

 もちろん、それが本当に人の数だけある可能性の結果なのかも誰も知るよしは、否知る人しか知っていないのだが、これはまた別の話になるのかもしれない。


「それじゃぁ、行きますか」


 純のその声に白い鳥の無名の演者は翼を大きく羽ばたいて答える。

 そして、頭を下げて乗るように促してみせる。


「……やれやれ」


 純は頭を優しく数回なでてからゆっくりと背中に乗る。


「それじゃ、紘和たちに補足されたら自陣に帰るぞ。俺たちの本来の役割だ。しっかりと逃げ切ってくれよ」


 その言葉と共に純の身体はブワッとした浮遊感に包まれる。硝煙香る青空へと飛び立ったのである。

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