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綴られた世界  作者: 白井坂 十三
第七章:ついに始まる彼女の物語 ~大願成就編~
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第六十八筆:無名の演者

 【夢想の勝握】に欠点があるとすれば、四次元勝握が行使者が正確に記憶した時間の区間だけ巻き戻せるという限定的な力、という点ではなく、すでに発動している四次元掌握以外の能力を一時的に放棄しなければ発動することが出来ないことにある。もちろん、この切替の一瞬で掌握されていたものの主導権が変わったところで対処できる人間ならば、そもそも二次元または三次元勝握に支配されることはない。だが、今回の大戦に限り、敵の大群を掌握するために、チャールズ自身が視認できる範囲へと飛出ていく必要があるということは、必然的に敵から視認されることを意味する。つまり、最初から【環状の手負蛇】を用いた奥の手を封じた上でのプラン。それが、大規模大戦を仕掛けた意味ともなる。その警告ともいえる初戦、チャールズにはこれに近い仕打ちがあるだろうという予見はあった。だからこそ、昨夜のバシレスクに対して、自信を持って勝利を、【夢想の勝握】を掲げることが出来なかったのである。とにかく今は時間もなければ、敵にこの作戦がバレていることを悟られてもいけない。

 今クリアしなければならない条件で最も簡単なのが純の出現に代打を当てることである。勝てる勝てないの話は関係ないため、出現予定地点に自分の配下を無理やり飛ばせばいいのだ。チャールズ自身の対処しなければならない案件が終われば加勢に行くことすら可能である。

 つまり、問題はその案件でもあるホワイトハウス上空に現れる氷塊を止めることである。これはチャールズが先程の怪物登場の瞬間に移動すれば解決できる、という簡単な話ではない。問題は、先程の怪物が出現した時にラクランズや指揮権を持つような人間以外は皆、恐怖や突発的な事案に身動きが取れていなかったことである。要するに、チャールズが時間を稼がなかった場合、開幕で多くの味方の命を危険に晒す、大打撃を被ることになるのだ。そこで、全体に襲撃のタイミングを事前に伝える事ができれば、恐らく最良の対処が、身構えるという心の準備期間を生んだということで、氷塊が落ちる場所が変わる可能性が出てくる。

 怪物と同タイミングで氷塊が出現するならば、落下先を変更させる猶予はないだろうが、残念なことに氷塊は怪物の主導権をチャールズが握ってそれを再び奪われてから出現している。


「一か八か……か」


 チャールズは一つの化物を信じることにした。これにより作戦は当初の予定から大きく狂うことになる。

 しかし、一瞬をその場にいた人間で的確に作るならば、チャールズと同じ様な人間に頼らざるを得ないのもまた真である。


「そう、我々が世界を護る矛であり盾なのだ」


 このタイミングでチャールズはボブの位置を純が現れた座標に、そして、自身の立っている場所に殲滅部隊を、そして自分をホワイトハウス屋上へと飛ばす。


「さぁ、ゆけ、我々の明日のために」

「抜かせ」


 バシレスクの檄の〆に合わせるように陸の声が戦場に響き渡った。開戦である。


◇◆◇◆


「キイィイイ」

「ァァアアアアアアアア」


 怪物。人の形をした何かが絶叫を、まるで雄叫びのように上げる。その異形の姿が奏でる何重奏もの甲高い声は、その場にいる殆どの人間を恐怖で脚をすくませ、パニックで頭を真っ白にさせていた。

 殲滅部隊は当初の予定では迎撃部隊の後方に配置されているはずだった。大戦の中盤まで体力を温存しておくため、戦いを避けるまたは突破するための敵勢力を削っておく目的もあったが、一番の理由は乱戦が少し落ち着いてから、戦火の少ないところを辿って目的地までを最短で突っ切るためであった。この作戦は、勝利条件である友香を陸の元まで届けるという点では至極まっとうでセオリーな作戦と言える。ただ、そうと分かっていても、紘和はこの作戦には一度異を唱えていた。それは相手取る敵が最高戦力の一部とも言える自分たちを温存して戦える相手であるのか、という至極まっとうな疑問があったからだ。この疑問が至極まっとうかどうかという疑問に対しては、先程のセオリーという言葉からも分かる通りなぜ納得出来ないのか疑問に思う者もいたが、それは単純に純と陸という二人の男の戦力を見誤っている人間というだけの話であり、紘和の意に沿うことは出来ない人間ということである。だが、一抹の不安があるとはいえ、紘和の意を組める人間ですら、世界の存亡を望む上では意表をとって失敗するよりも定石を一度踏むことを望んだのだ。故に、最終的な結果を、臨機応変という開幕後のゆとりを持たせて、殲滅部隊は後方へと配置することを決定したのだった。

 しかし、殲滅部隊は、紘和は現在、突然最前線に放り投げられていた。作戦にはない状況。伝達もなし。

 無論、これは天啓ではなく、恐らくチャールズによる独断で行われた采配、つまり緊急事態である。


「お前たちは運がいい。この俺が、先陣を切るのだから」


 緊急事態という最高の舞台を前に、その声は、混乱する誰もの耳に届き、その勇ましい英雄の姿を目に留める。そして、その声の主紘和の言葉通り、危機的状況が停滞する。怪物たちは何かに串刺しにされたように身体を小刻みに痙攣させてその場から動けずにいるのだ。だが、それも一瞬の出来事で即座にまた咆哮を挙げて無理矢理にでも前進を始めていた。紘和も無数に展開した【最果ての無剣】が一瞬に霧散したことを悟る。

 しかし、その一瞬がどれだけの部隊の迎撃体制を整えさせたかは言うまでもない。


「開戦だ!」


 紅刀月陽と半分の長さになった骨刀破軍星を両手に紘和の宣誓が戦場に轟く。その雄叫びは、皆の脚を前に進める。大きな影が一瞬だけ太陽を遮ったようだが、今は晴れ舞台、である。紘和の背中を追えば今はいい。第四次世界大戦勃発である。


◇◆◇◆


「っと。怖い怖い」


 ボブの顔面へのストレートを鼻先をかすらせながら交わした純はそのまま建物屋上から遮蔽物のある屋内へと移動していた。後方から障害物を、柱や壁を物ともしない破壊音を響かせながら近づいてくるボブの方へは振り返らずにひたに階下へ移動していく。その間に純は考えを巡らせていた。何に。迅速な対応をされている理由に、である。突発的な陸の作った怪物に完全に対応してみせたわけではなく、頭を叩くという、司令部を上空に出現させた北極の氷塊で押しつぶそうとしたのに対して着地点をきれいに変更したことでもない。異能を【想造の観測】で抑えることで司令部を確実に潰すことへの対策、何より純が騒ぐ前にこうして終わり、抑え込まれているという事実がおかしかった。自分たちの作戦が稚拙だったとは考えていない。戦局を精神的にも物量的にも大きく優勢にさせる作戦であった。そして何より気づかれたとて成功する自信があった。それが失敗や不発ではなく、未然に防がれたのである。

 つまり、そこから導き出される結論は実にシンプルだという考えに至る。


「作戦は……成功したってことだろうか」


 そう言って純はこの結論に一人満足したように、建物中腹で逃げていた足を止めた。そこへ上階の床が抜け落ちて、その流れのまま脚が踵落としの要領で純の脳天へ振り落とされる。

 純はそれを半歩下がりギリギリで交わし、余裕を見せつける。


「追いかけっ子はもう終わりですか?」

「これ、当初からあった作戦?」

「そうですよ」

「……それ、最初に俺と顔を合わせた時の顔でもう一度言える?」


 ボブのストレートが再び純にかわされ、建物床に亀裂を走らせた。


「まぁ、いい。嫌がらせが出来たなら今度はゆっくりとお前で暇を潰すとするさ」


 アンダーソン・フォースナンバー二のボブと純の戦いが始まった。


◇◆◇◆


 突然現れた怪物。それは誰の目から見ても確かに人の形をなそうとしている。そう、あくまでなそうとしている、その宙ぶらりんの認識が不快感と恐怖心を無駄に助長させるのだ。人の形と断定できないのは、背中からは明らかに機械と思われる部分がパックリとむき出し、個体差はあるが腕や足の位置付からも機械が突き破るようにむき出したり、翼や尻尾を無理やり生やされたような者がいるところである。それはまるで機械の完成品に無理やり人の皮を被せたような印象を受ける造形だった。その認識をぼやけさせるのが全身の接着面から接着剤のように漏れ出ている黒い粘り気の有りそうな物体とも液体とも言えるものの存在である。

 そして、この怪物の片鱗が真っ先に見られた戦場はヘンリー率いる部隊が航空機や戦車といった重火器を用いて前線を押し上げ始めた時だった。


「って~、って~」


 指揮官の一人の号令に合わせて火力は様々な多種多様な爆薬が、銃弾が敵にめがけて飛んでいっていた。それを敵が的確に避けるのだ。紙一重に交わすのではなく、当たらない場所に移動しているのだ。それは回避行動の中でも転移といってもいい行動。その瞬間、黒い物質が黒い粉にまつわる何か、もしくはそのものではないのかと、イギリス陣営は気づいたのだ。目の前にいる怪物は新人類の転移を用いているのではないかと。それはつまり、胸糞の悪いことに敵は人間兵器であることを意味していた。 そう考えることが考えたくもないが合理的なのだ。目の前の化物雄叫びが悲鳴ならば、この人体実験がいかに苦痛を用いてやられたかを理解できるのだから。

 この叫び声は威嚇ではなく、この苦痛から、トラウマから逃れたいという感情の表れなのだと。


「ギャァァァ」


 そう捉えた瞬間、新人類がどうやって生まれたかを知っている故にイギリス軍側の足が竦む。力が発言するだけの苦痛を今も味わいながら動かされている人間兵器に、だ。

 砲撃の嵐が一瞬、ほんの一瞬だけ止む。


「情けないわねぇ」


 怪物の首根っこを鷲掴み、宙へと持ち上げる味方の怪物、もといヘンリー。


「国が国から護るために選んだ手段の結果に今更尻込みするんじゃないよ。そんなのはこの戦いが終わってからするんだね。同情もそうさ。戦場でそんなことが許されてるのは圧倒的強者だけよ。アタシ達みたいな弱者にそんな贅沢な余裕はないのさ」


 バキッという音と共に怪物の首が転がり落ちる。

 しかし、それでも昆虫のように手足をバタバタとばたつかせ、ベチャベチャと黒い液体を撒き散らす怪物。


「まぁ、アタシは自国の財産をこんな風に利用されて、これ以上被害者を苦しめまいって、怒りに満ち満ちてるけど……ねっ」


 ヘンリーはそう言って力任せに地面に叩きつけ、怪物を停止させる。現在、何らかの手段によって【想造の観測】が機能している。そんな中では当然、異能と呼ばれるものはその効力を失う。それはあらゆる可能性を希望という可能性で底上げできるイギリスの希望も陸が観測する上では例外ではない。しかし、それを差し引いても八角柱の一角であるということは、そもそもが強いということなのである。だから、体型という一見ハンデにも見える巨躯であるにも関わらず、容易に死角から怪物の首をとってみせる俊敏性を披露したのだ。そんなヘンリーすら自身を弱者という。彼も世界を知っているのである。これは謙遜でもなければ、仲間の士気を上げるために目線を同じにしたわけでもない。ただの事実であると。

 上には上がいる、と。


「ほら、ぼさっとしない。ぶっ飛ばすよ」


 そう言って背中に背負っていたロケットランチャーを片腕で軽々肩まで運び、ぶっ放す。それに続くようにヘンリーが指揮するイギリス軍は背中を押され、勢いを吹き返すのだった。


◇◆◇◆


「……ったく依頼主が結構お熱だけど、大丈夫かねぇ、ソフィーさん?」

「えぇ、大丈夫だと思いますし、あぁは言ってますが、保険はかけていますから」

「へぇ……」


 どんな? とは聞き返さなかった。それはマーキスの知らない話であった、つまり聞かされていない内容だからだ。もちろん、怪しいという点で疑う方に天秤が傾かないわけではないが、ソフィーという人間がパーチャサブルピースに今までどれだけ尽力していたかを考慮した時に、それを否定するだけの材料がつい最近までなかったのだ。だから、ほんの少し疑うからこそ、泳がすと言う意味でも、そして本来の聞かされていないからこその意味を考えて尋ね返さなかった。

 ちなみにソフィーに違和感を覚えているのはマーキスだけである。社長も疑っている様子がないだけにマーキスは下手に刺激をしないように胸の内にその違和感を抱えているのだ。それは、ソフィーがオーストラリアで見せた圧倒する情報操作、ハッキングの実力だ。今まで明らかに護衛として、マーキスよりも力量があるとして央聖に仕えていた人間が、突然その時だけパーチャサブルピース内で誰よりも優れたその技術を見せたのである。故になぜ、今までその手の作業に従事しようとしなかったのか、という一点がどうも気になっているのである。もちろん、茅影という情報収集という点でずば抜けた才を持つものがいたし、並外れた力で護衛するだけで給金に困っていなければ、わざわざ余計な仕事を増やす必要はないだろう。それでも前回のハッキング技術は不自然さを感じるほどに、ソフィーの実力から逸脱しているように感じたのだ。それが、マーキスがソフィーとこの戦場を共にしている、監視している意味でもあった。面倒事に巻き込まれるのは賃金外だと。


◇◆◇◆


「あなた、アンダーソン・フォースにいたわよね?」


 ソフィーがそうヘンリーに告げられたのは大戦が始まる二日前だった。


「気に入らないけど、幾瀧に言われて気づいたわ。以前、そこで見かけた顔だって」


 二人きりの状況で告げられたという時点で潜入にまだ問題はないとソフィーは判断する。

 パーチャサブルピース関係者の前でこれを公表しなかったということは、ヘンリーにはまだこの事実を黙っておくという選択肢があるとわかるからだ。


「……要件は何でしょうか?」

「話が早いのは助かるわね。率直に言うと、この大戦後にジェフの身柄をこちらに返してもらうこと。それと、大戦中にもしものことがあった時はアンダーソンと直接連絡が取れるようにしておくこと。それだけよ。それだけで……黙っておいてあげるわ」

「それだけ、ですか?」


 ソフィーは要求が少ないことと、こちらがなぜパーチャサブルピースにいるのか聞いてこないことに少し驚いて質問を返してしまった。後者に関しては茅影の様な存在を知っていれば情報を、国という枠組みに囚われず収集できる隠れ蓑として潜伏していると推測が立つからかもしれない。

 しかし、前者に関してはソフィーの秘匿を盾にした要求にしては、あからさまに対価が少なかったのだ。


「それだけよ。すぐに確認して頂戴」

「連絡が取れさえすればいいのですか?」


 仮に重要な点があるとすればここである。

 連絡だけで済まず、そのまま直接的な要求を大戦中という状況を利用して直接チャールズに無理難題をふっかける可能性が見えるのである。


「そうよ。アタシが危なくなったら撤退の助けを求める。それだけよ。だから実際に助けてもらえるかはその時に任せるわ。だから、この事は伏せた上で連絡が繋がる状況を作れるかだけ確認して頂戴」


 それがソフィーがマーキスに言ったヘンリーの保険にあたるものだった。


◇◆◇◆


 オーストラリア陣営で先陣を切ったバーストシリーズのコレットは怪物と接敵してすぐにあることに気づく。これは同族である、と。どこがと言われればもちろん容姿や材質ではない。機械的な部位が露出しているが、見た目はあくまで人の体をなしている人である上に黒い粘液でのようなもので覆われている。だが、攻撃への対処は想像を超えない、想定通りなのだ。むしろ、どこか見覚えがあるのだ。つまり、既視感、目の前の個体はコレットたちが所持している戦闘データを元に戦っている可能性があるということである。それは、全ての敵が最低限の均一化された戦闘力を持つということを意味する。持った上で、ラクランズの理解を超える能力を行使してくるのだ。コレットがそれを新人類が持つ転移だと認識するのは少し先の話となる。だが、瞬間移動しているということはすでに原理は理解できずともしていると理解できていた。故に、背後を取られようと、バーストシリーズであるコレットの波は身体を覆っており、怪物の直接的な打撃を接触部分から削ぎ落としていた。問題がないのがコレットを含めたバーストシリーズであるだけで、個々で比較した時、バーストシリーズでないただのラクランズには逆の現象が起きる。数で制圧できていない兵が次々と壊されているのだ。戦闘データが奪われている、もしくは今も共有させられている状況である以上、結論は負け戦である。それぞれが不揃いである人間と違ってムラがないからこその戦局の傾き。

 そして、極めつけは。


「どうなってるのでしょう」


 破壊した箇所を補うようにボロボロのラクランズが取り込まれていったり、怪物から吐き出された黒い粘液で壊れたラクランズが接合されて、不気味な音をたてながらただ敵軍へ突っ込もうとしているのだ。そして、黒いラクランズの塊は縦にではなく、横、つまり、国ごとに分かれた特色ある隊列をぶち抜くように移動を始めているのだ。

 戦闘能力に秀でているわけではないことがわかるただの突進だが、物量による質量があったり、他に壊れたラクランズを巻き込み、その移動だけによる破壊力は輝いていた。


「よっと」


 それを地面に手を当て振動で陥没させ動きを封じてみせる。だが、重力に任せて動いているわけではなく黒い粘液がわずかながらに意思を持っているように流動しているため、あくまで時間を稼いでいるだけに過ぎない。他のバーストシリーズも自身の持ち場で手一杯なのだろう。オーストラリアが抱える陣営は右翼、一番端であることから中がごった返すよりも立て直しはしやすいだろうが、正面ではなく、横からも援軍が送られるということだから結果、悪化はしてしまう。そう、最初からオーストラリア軍は追い詰められていたのだった。


◇◆◇◆


 ロシア陣営でもまた相手の怪物の特徴的な体質に親近感を持つ者が多くいた。それは黒い粘液である。そうであると断言できるわけではないが、恐らく人間の様な何かがが機械と無理やり融合しているその様が、合成人である自身たちと似た存在であると印象づけるのである。つまり、黒い粘液が【環状の手負蛇】から採取した血液の様な役割を果たしているのではないかと考えたのである。断言できないのは生命と無機物の合成である点と粘液が黒いという点である。前者は合成人を制作するという分野で無機物と人間の実例がないという知見があることにある。それは人間という素体に人間ではない生物の力をDNAを介して付与し、人間という個体でその外的獲得能力を出力させることを目的とした実験を行ってきたからである。故に機械を接合してただその部位に機械の特性を出すだけでは意味がないと考えられていたのだ。そして、何より、合成人である己の身体に流れる血液は赤色であり、黒くはないのだ。

 ただ、意思をもったような流動的な動きは、合成人に打たれる元となる液体が持つ特性に似ているのだ。


「もしも、これがそこら辺のただの人間が元に作られていると考えると、ぞっとするな」


 ロシア陣営の最前線で応戦していたラーヴァルはつぶやく。それは人間が使われているという倫理観に対する悪寒ではない。これから先、果たして敵側はどれだけこの怪物を投入し続けてくるかと考えた時の最悪を想定した時に起こる、自給自足に対するものであった。


◇◆◇◆


「……というわけで、急遽戦線を天堂に明け渡し待機しています」


 それがいの一番に前線から撤退し、戦局を理解するため身を潜めた男、チャールズの言葉だった。


「まさか、開幕からすぐにこの秘匿回線で連絡を取り合うことになるとは思っていなかったぞ」


 チャールズに言葉を返したのはバシレスクだった。


「すみません。この状況は相手側が想定以上にこちらの、いや、俺の弱点をついてきました。故にあなただけを信じざるを得ませんでした」

「それは光栄だな。それでこれから我々はどうする? まさか、このまま手をこまねいているわけでもないのだろう?」


 ふぅとチャールズは息を整える。


「もちろん、戦況が不利になれば俺が動きます、がそれまではこのままを戦況をできるだけ維持し続けます」

「いきなりの作戦変更を余儀なくされ、お前を潰しにきたのにまだ不利ではないと?」

「最悪をすでに一つ回避しています。不利であることに変わりませんが、当初の予定を大幅に変更せざるを得ないと判断するには、まだ現場の指揮と士気で持ち直すことが可能です」


 断定するチャールズの言葉を咀嚼するように少しだけ沈黙が設けられる。


「……わかった。それで、あの怪物について何かわかっていることはあるのか?」

「あれは、恐らく民間人をベースにラクランズの戦闘データで戦闘能力を底上げし、黒い粉で新人類にされた上で拒絶反応を起こさせないために合成人を製作する際に使われる、九十九陸の血液で無理やり生み出された人間兵器だと予想しています」


 規格外。


「大盤振る舞いだな。それで、そいつは何が出来て、どう対処すればいいかは……わかっているのか?」

「恐らく、あの怪物にそれぞれ新人類としての何かしらの異能とこちらの戦況を覗くための、あらゆる異能と呼べる力を観て、封殺するための映像を陸に送る眼が装備されていると考えられます」

「つまり、向こうはこちらのパフォーマンスを確実に削ぎつつ、異能を用いてくる、と」

「そして、一番考えたくはありませんが、合成人を形作る血液、それが戦場を狩場としている可能性です」

「……長期戦になればなるほど敵はこちらの最大戦力であるラクランズを、新人類を、合成人を取り込んでいくということか……実に合理的で恐ろしいではないか。ハハハッ、頭がイカれてるな」


 あまりの状況に戦争好きの頭もヒートアップしているのがわかった。


「今はその状況を打破するためにとにかく情報が欲しいです。お手数おかけしますが、適宜敵勢力の位置を記録したものを送ってください」

「いいだろう。我の偉業のため励め」


 一息。


「それで、怪物とバカのひとつ覚えで言うのもあれだろう。なんか呼称をつけてくれないか?」


 思ってもいない提案に驚かされつつも、しかし、同時にせめてもの尊厳を、とチャールズは考える。


「では、無名の演者。せめて、そう呼んであげたいと考えます。それが、俺に出来ることだ」

「影を強く感じるようになったと思ったが……我は嬉しいぞ」


 そう言ってバシレスクとの通話が終わる。圧倒的な危機的状況を卑下するわけでもなく、こちらが要求する、未だ解決策が見つからない現状に、短絡的に解決を迫らない。あろうことか、こちらの行動を全面に信頼するような振る舞いにチャールズは改めて上に立つ人間の一つの素養をバシレスクに見る。それに何より、気を遣われたことに若干の驚きを得ていた。

 だからだろうか、応えてみたいと少し思わされてしまったのだ。


「手伝ってもらって悪いが、やっぱりお前には一泡吹かせたい、そう思ってしまうのは油断だろうか」


 生気に満ち溢れている。逆境であるにも関わらず、久しく忘れていた昂りがチャールズに芽生えるのだった。


◇◆◇◆


 中央最前線。

 対純、陸のために体力を温存しておくべきという立場を忘れているのではないだろうか、そう思わせるほどに前線を押し上げる化物が一人、人類に押し寄せる無名の演者を切り捨て、叩き潰す。


「このまま切り開くぞ」


 紘和の号令にアリスと獙獙が即座に反応する。アリスも例外になく成りすましという異能を使用できずにいた。それでも今までの戦闘と成り代わってきた人間から得た経験値から無名の演者を圧倒していく。一方で、アンダーソン・フォースナンバー一はその名に恥じぬ実力を見せつける。気だるそうな様子からは想像もできない威力の打撃は、的確に初めて対峙したはずの無名の演者の可動部を破壊し、行動力を抑制させていく。

 他の戦場と明らかに違うのは、目の前に出てきた的に一人を除いて誰もが即座に圧倒していることである。


「キィイアアアアア」


 その一人、無名の演者に襲われるそうになっているにも関わらず動き出せずにいたのは友香であった。

 友香は無名の演者に恐怖しているわけではない。


「大丈夫ですか、桜峰さん」


 先程の奇声は無名の演者の断末魔で、縦に割れた背後からは紘和が姿を見せる。


「か、彼らは一体……」


 友香が口にした疑問に、呆れたようにため息を付いてみせた紘和。


「その質問の答え次第で桜峰さんの覚悟が揺らぐのかい? 俺の口から何を聞きたいのか、それでどう変わるのか、むしろこちらが聞きたい、というのは少々突き放し過ぎだろうか」


 そう言っている間も、紘和は別に友香のために目を合わせて、耳を傾けて話をしているわけではない。

 群がってくる敵に力を誇示するように破壊し続けている。


「天堂さんは」


 友香はその先を口に出せなかった。なぜなら、ためらいなく壊し、殺し続けているからだ。そう、この状況は壊しているというよりは殺しているのだ。友香は幸いなのか、最悪なのか、一般人であるにも関わらず、無名の演者が何なのか、見ただけで理解できていたのだ。それは、ただの人であり、それに機械が植え付けられている。加えて新人類としての異能が発現しているということは、その過程でトラウマにもなりかねない何かをされているのである。生きたままこの姿に変えられたただの人、それが紘和たちが黙々と殺している者の正体である。その人はきっとこの戦いに全く関係のない、巻き込まれた人間なのだろう。仮に、何かしらの罪を犯した人間だとしても、無名の演者が叫ぶ声を聞くと心臓を深くえぐられたような痛みが、ザクザクと突き立てられるように身体中を駆け巡る。

 そして何より、それを作った人間が陸であるという事実が、優紀をその身に宿し、共に何かを企んでいたと見られる陸がやったという事実が、友香の常識を、良識を超えていた。紘和の言う通り、無名の演者が、先の友香が想像するものではないと否定してもらうことで、これをやったのが陸だと思いたくなかったのである。だが、黒い粉を奪い、合成人の実験データ、ラクランズの実験データを奪っているという経緯、【環状の手負蛇】、そして決定的に、理解すれば創造してしまえる【想造の観測】の使用。疑い余地は最初からない。

 こんなことに何の意味があるのか、こんな所業に何の価値があるのか友香の理解では追いつかない所まで来ていた。人の尊厳を安々と踏みにじって出来上がっている眼の前で動く敵を何体も作った男に、友香は愛とは何なのかと疑問を抱くほどに、いや、自分が愛した、愛を向けた相手の存在の輪郭がぼんやりと霞んでいくのを感じた。一方で、こうなる前に止めることが出来なかった自身への憤りが自然とこみ上げてきた。止めなければならなかった。殺してでも止めなければいけなかったのだという当初の思いが、源泉が湧き上がってくるのだ。殺せなかった、殺そうと覚悟を決めたのに愛する人がいると考えただけであっさりと崩れ、達成できなかった思いが、目の前の遊ばれた、自分と同じ愛する人がいたであろう人間がその権利を失った人間に成り下がっている現状を前に、使命にも似た感情と共に湧き上がってくるのだ。

 しかし、それはそれで無名の演者という犠牲者を無碍に出来るかと言われれば、友香というただの少女にとっては話が変わってきてしまうのだ。


「まぁ、その辺は俺たちの役目なんだろうよ」


 まるで友香の心境を理解しているかのようなタイミングで紘和が再び声をかけてきた。

 考え込んでいたから状況を把握していなかった友香は周囲を見渡し、倒れる残骸に、死体に自身周辺の戦闘だけが一息つける状態であることを理解する。


「今の君に求められるのは唯一つ。この元凶を殺してでも止める覚悟だ。オーストラリアでの失敗が許される事態ではない、ということが理解できているかだ。現実をしっかりと受け止めろ」


 正義を求め、求め続けた男が問う覚悟に、友香は一歩後ずさってしまいそうな圧力を感じた。互いが互いの信念を理解できる立場にないことは約一年にもわたり一緒に行動をしてきて心底理解できていた。

 だが、信念を、思いを通すということは二人にとって何よりも通さなければならないことで、この一点に関しては共通項であったのだ。


「進むぞ。それまでにしっかりと整えろ」


 紘和の言葉と共に友香は一歩前に進む。止めなければならない理由を一つ得て、確実な一歩を踏み出したのだ。しかし、そんな一歩をあざ笑うかのように上空から影が落ちる。白い大きな鳥が飛び、新たな無名の演者が多数降ってきたのである。

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