第六十六筆:目的は違えど目的地は同じ
「もし、もしもだけど、世界を二分する戦いが起こるとして、それでも俺の味方であろうと思ってくれる健気で愚かな人は挙手、してもらえる?」
八角柱会議、ヘクタゴンへの移動中車内。もう少しで到着するだろうというタイミングでのことだった。
運転席より後ろが防音状態の車内で突然、純がタチアナ、アリス、そして友香に言った第一声である。
「えっと……そういうことがこれから起こるんですか?」
誰も手を挙げない代わりにタチアナがその場にいた二人の代弁も兼ねて質問する。八角柱会議という世界の重鎮が集まる場に向けて移動している車内での、先の話題である。
今後に紐付けてしまうのは何ら不思議なことではないだろう。
「例え話だよ。例え話。それが実行されようがされまいが、俺にどんな状況でも味方してくれる人がいると思うだけでも、心の支えになるって話。要するに覚悟の話だよ」
これを嘘、と断言するのは簡単だろう。現に世界を二分する戦いは起きるだろうし、純が味方するかどうかを気にかけるような人間、気にかけるぐらいなら無理矢理にでも味方させる状況を作り出す人間だと知っているからこそ、簡単だと判断するわけだ。ただ、純の心情を正確に把握する材料が少ないのも事実である。
だから、声の抑揚からはぐらかそうとしている綺麗事のように聞こえるその言葉が万に一つの事実の可能性だって捨てきれず、しかし彼女たちの納得を誘えるものでもなく、普段の一線離れたところで何かやられている、手のひらの上のような感覚に結局陥れられる、考えているだけでは堂々巡りなのである。
「で、どうなの?」
純の再度の確認に、恐る恐るではあるが、一人、手を挙げる者がいた。
「……まぁ、だろうと思ってたけどね」
純は手を挙げなかった人間に目を細めて視線を送る。
「とりあえず、了解。まぁ、俺は一人だけでもいてくれて嬉しいよ。うん」
そして、車は大戦の幕開けの舞台となる会場に到着するのだった。
◇◆◇◆
「何があったんですか?」
八角柱会議襲撃後、意識を失っている紘和が運ばれる救急車の中、アリスが智に質問する。
しかし、その質問には答えず、智はこの場にいるメンバーを目視してから確認の質問を返した。
「タチアナはどこに?」
「えっと……」
アリスと友香がちらっと目を合わせて、すぐにその交差を解いて気まずそうにする。
「そういう……ことか……」
智は全てを悟ったように眉間にシワを寄せ、俯きながら言葉を吐き捨てる。なぜ、この二人が認識阻害を受け、入場を隠蔽させる必要があったのか。
いや、厳密にはタチアナだけを姿が見えるようにしておいた必要があったのか。
「それって」
妙に一人得心がいっている智を見て、アリスは智が一連の、ここへ来る車内で行われた奇妙な、それでいてどこか、死期の近い人間がボソリと最期に感謝の言葉を唐突に残すような、何かの節目だと感じさせたあの会話の内容を、それに類する何かを事前に知らされていたのではないかと思った故にとった確認の言葉。
案の定、智はアリスの言葉に頷いた。
「タチアナは向こう側についたってことだろう。そして君たち二人はこちら側についたということだろう? だからこそ、桜峰さん……落ち着いて聞いて欲しい」
智は友香が紘和の元にいた理由を知っている上で伝える。純が紘和とイザベラに瀕死手前の一撃をいれたことを。そして純と陸が最初から手を組んで計画的に各国を襲撃していたことを。全てはこの日、八角柱会議という大舞台で世界に戦争を布告するためだったということを正確に伝えるのだった。
◇◆◇◆
友香の頭の中は、純という男に良いように使い捨てられて騙されていたと考え怒りが支配するわけでもなく、ただひたすらに理解できない深い悲しみで満たされていた。友香が愛した優紀はほぼ確実に自分を生き永らえさせるために強制ではなく、自発的に陸に協力している。そう、友香を生き永らえさせるための行動であるはずなのに、友香が近づくことを許さないように敵を増やし、ついには世界を敵に回して活動を続けているのだ。これをして何になるのか、これをして何が友香のためになるのかわからない。
ただただわからない。
『ありがとう。私はいつでも優くんのそばにいるから』
始まりは陸の悪意だったとしても、原因は全て自分が残したこの言葉である。この呪いとも言える愛の言霊は、今も優紀を突き動かしているのだろう。その愛を純愛と形容していいものかはわからないが、愛故に、愛のため優紀は動いているのだと思っていた。そう、思っていたのだ。しかし、ここ最近の、極めつけは今回の世界への宣戦布告という行動が友香のための愛から剥離を始めているように感じるのは間違いようのない事実であった。少なくとも友香には結びつけることが出来ない。どうしてこうなってしまったのか。答えは自分という存在にあるのは間違いないと自負していたのに、自殺すら許されない今の状態で、この自問自答はどれだけしても、結論はどうしてこうなってしまったのか、である。
どれだけ、自分が愛されていないと確信できたら楽だろうか、そんな考えが一度も思い浮かんだことがない、なんていうのは嘘である。自殺による解決が、自己犠牲で愛する人の事を考えず、再び悲劇を生むだけの逃げであると理解しているからこそ踏み切っていない。根こそぎ草むしりをしなかった雑草の様に繰り返すことだけは、愛を愛として保つために必要だと友香は考えている。
そう彼女は愛を疑わない。友香が優紀を愛していることを、優紀が友香を愛していることを疑わない。この前提が間違っているという観点は存在しない。それはまるで神の啓示を受けたかのように、である。だからこそ、堂々巡りは終わりを迎えず、友香は変わらない覚悟を一歩一歩と引き戻れない場所まで進めるのである。
終わらせるために、愛しているから、優紀を殺して自分も後を追おうという、悲劇の覇道を。故に、悲しみは内から溢れ出し続けるのだ。
◇◆◇◆
負傷しなかった八角柱がアメリカの会館に集まり、今後について話を始めるための事前知識の共有を始めていた。それだけ、目の前に現れた脅威は八角柱を団結させるだけの危機感を植え付けたからだ。共有した内容は、神格呪者である陸の力と現在の敵戦力である。
陸が【環状の手負蛇】の他に、親友であった優紀を殺して手に入れたであろう【想造の観測】を有している可能性があり、後者の力を用いて、知識を得たことで略奪した知識を短期間で現実のものにしている可能性を、チャールズが伝える。
「つまり、新人類と合成人、はたまたラクランズを始めとした三大兵器も確保はできるだろう」
チャールズが口にする推察に、誰もが言葉を失う。それは決して、こちらの戦力を根こそぎ複製、復元できる力を目の当たりにして驚いたからではない。神格呪者というそれだけの存在を知りながら、その実態の把握が朧気だった、八角柱間の怠慢が生んだ不祥事に対する対応の遅れが致命的なものであることを告げられている気分になったからだ。言ってしまえば、二人だけで戦争を仕掛けてきたわけではなく、同等の戦力をぶつける準備をたった二人で行える状況にできてしまったから仕掛けてきたということである。自然災害が牙を向くように、要求を一切してこない人災が、油断を、慢心を、怠慢を嘲笑うように、気づいたらすぐそこにいたのだ。その後もあらゆる最悪のケースを語り合い、その都度、陸と純が手を組んでいるという事実が、八角柱側の戦意を揺らがせる。
無尽蔵と想定される戦力差を埋める手段は、ないのだから。
「だからこそ、我々はその無尽蔵である敵の大将、九十九を討つことが勝利条件となる」
「算段はあるのか?」
チャールズの目標に、マイケルがもっともな質問をする。
「【雨喜びの幻覚】。目には目を歯には歯を、神格呪者には神格呪者を。こちらは桜峰友香を使う」
その場の誰もが、敵対する神格呪者と同じ人間を使うことに、ましてや純の元で行動を共にしていた人間の名前に動揺を隠せていなかった。
使えるとして、背中を預けるほどに、世界の命運を任せるほどに信用できるかは、実際に純に殺されかけた紘和と比べれば疑念が隠しきれない存在である。
「彼女が、こちら側で機能する保証はあるのか?」
再び、マイケルが周囲の不安を代弁をする。
「保証があるかではない。彼女の対象を取られないという力を使い、我々が総力を挙げてあの二人の元へこちらの陸と純をどうにかできる戦力を連れていかなければ、勝算がないのだ」
チャールズは声を大きく、鼓舞するように演説、そう演説を続ける。
「脅威は示されている。少なくともイギリス、ロシア、オーストラリア、何より俺は、アイツらの脅威を思想に、戦力に、戦術に実感させられている。なぁなぁでどうにか出来る存在ではないということだ。そのために、いつ牙を向いても良いように、戦力を集めてきた。確実に、そう確実に倒せるという瞬間に、徹底的にこの世の安全を、平和を勝ち取れる瞬間を待っていた。それが、たとえ何かが起こった後だとしても、だ。我々が徒党を組まなければ、と意識して初めてなし得るであろう程の事態だからである。それが、イギリスからの逃亡の一件で敵対した時に感じて欲しかったが、足りなかった。そして、待った結果が、この有様である。だが、今ならば手を取り合えるだろう。誰も打算なく、自らの意思でその力を、技術を発揮し、共有せざるをせないと痛感できるのではないだろうか」
「そう思っての、プロタガネス王国。それに私たち、だということなのですか?」
リディアの質問にチャールズは首を縦に振る。
「それは流石に準備が、この戦争を予期していたような意味合いに聞こえるのは、私だけではないと思いますが」
不信感。
リディアの言葉は、多くの者達に同じ疑念を抱かせることになる。
「……日本で、天堂一樹が再び総理となった時より前の話だ」
その疑念に、覚悟を決めたようにチャールズは告白を演じる。
「俺は陸を殺すために日本へ訪れていた。陸と優紀という存在がぶつかるその時をずっと待っていたからな。千載一遇のチャンス。あの不死身を殺すためには、そいつを不死身じゃないと認識させる必要があるからだ。だが、結果として純の横やりで死体の確認を満足にできなかった結果が、この二つの力を持つ神格呪者の誕生だ。もしかすれば、あの時からそうなるように仕組まれた舞台に俺が引き上げられたのかもしれないがな。なにせ、やつらの情報源もロシア関係者、ですからね。俺がそこにいたことも、知っていますよね」
「えぇ、確かに、神格呪者との接触を確認しています」
バツが悪そうに話を振られたアンナは応答する。
幸いなことがあるとすれば、リュドミーナという一個体が意識を共有しているという情報を提示しないことであると同時に、これが同意を強制させるものだと理解する。
「俺はアレの脅威を父、トムの代から聞き及んでいる。だからこそ、化け物がより化け物となった時、【雨喜びの幻覚】という存在が純たちの手元にある間、それを見極める必要があった。そして、幸いにも、現在その力はこちら側にある。以上が準備をしていた理由と、その千載一遇のチャンスがこのピンチにつながるという話だ」
「つまり、どうであれ、手段は残された、ということですかね?」
マイケルが話を促す。疑念は、それなりの理由で説明がされた。これ以上、チャールズが何かを隠しているとしても、人類滅亡へのカウントダウンが止まるわけでもない。そう、地球上から人類史が消えていいと考えている人間はいない。
故にチャールズへの疑いが、アンナの後押しもあり、結束という体を結ぶごとに薄れていくのだ。
「そうだ、桜峰友香を護送することに死力を尽くす。故に、話は天堂とシルヴァが目覚めてからが本番だ。桜峰がそっちにも行ってるらしいしな」
その提案に、もはや蚊帳の外だった人間が否定する余地は残されていないのだった。有無を言わさぬ、人類の存亡をかけた戦いの開幕である。
◇◆◇◆
救急車が一台、路上で止まっている。信号を待っているわけでもなく、サイレンを鳴らしたまま車が避けながら通る状態という交通事故現場を彷彿とさせる停車をしているのである。だが、そんな救急車に、普通ならばありえないと感じさせる点があるとするならば、揺れているのである。止まった救急車が縦に横に揺れているのである。重いものを乗せる時に軽く振動するようなものではなく、救急搬送されるような人間が暴れているかのように揺れているのだ。そして、それは事実だったようで、救急車が縦に三分の二開く。そこからゆっくりと歩いて降りてくる男がいた。
呼吸は荒く、ゆらりゆらり左右に揺らすその姿は肉に飢えた獣のようであった。
「それで、あいつはどこに行ったんだ?」
胸の傷が修復されている紘和がその場にいた全員に問いかける。
「落ち着け。……行方はわからないけど、お前を刺した後、世界を相手に宣戦布告してから九十九とどこかに行ったよ」
紘和の強行をなだめつつも智が淡々と事実を報告した。その顔は事務的で、大怪我をしていた紘和を心配していたような素振りは見受けられない。
この強行もポーズだと分かる程度に、無理やり動く怪我人である紘和を止めようとする気もないのも、だ。
「ハハッ、そうか」
軽く笑う紘和。しかし、その笑い方は裏切られたことに対する失笑にしてはあまりにも昂揚した声色をしていた。
地獄の底から蘇ったように、心の底からこれから起こることに胸躍る気持ちが止まらないような、ここにいる状況を知っている人間ならば戸惑ってしまうほどに、愉快そうな笑い声だった。
「ついに、俺はあいつを殺せるんだな。ついに、ついにあのふざけた悪人を、俺の手を汚させた罪人を殺してもいいんだな」
今までにない狂喜。腹筋を痙攣させたように紘和は笑っていた。それは、紘和にとって正義を示す力を披露するために必要な、用意させた舞台に登壇したことを意味していたのだろう。笑う中、本人の中でも驚くほど、脱力しつつもリミッターが外れたように力が湧き上がるのを、活力として身体に感じていた。達成される条件を満たした、という感情を携えた。
それだけ紘和にとって大きな、大きな一世一代の大勝負だということである。
「だったら今すぐ戻って、あのクソ野郎を殺す準備を八角柱会議で検討しなきゃいけないよな。そうだよ、そうに決まってる」
ブレーキを失った様に生き生きとした己の正義という信念のアクセルを踏み抜き続ける人間が、今まで共に歩んだ道のりなどなかったように、全てを棚に上げ、手のひらを高速で回転させながら歩み出す。傍から見る人間からすると、その生き様に共感するには、どこか欠落を感じる恐怖が、危うさがチラつく故に、誰も意義も同意も申し立てられない。
だが、歩き始めた紘和は突然ピタッと止まると回れ右をしてから手を差し出す。
「さぁ、共に望みを叶えよう」
差し出した手の先にいるのは友香だ。だが真顔から漏れそうになる笑みを浮かべる紘和の手を握り返せないほどの恐怖を友香は覚え、差し出された手を素直に捕まることはできずにいた。誰かを殺そうとする共通の目的があったとしても手段や理由が大きく異なりすぎるのだ。何より、壊れている、という紘和を見て冷静でないと見受けられる感覚が伸ばす手を躊躇させ続ける。しかし、紘和は自身の目標達成のために友香が必要なことを理解しているし、何より昂ぶる気持ちが抑えきれず、ガッと両手でその震える手を握りしめた。
決してその手を離さぬように、鳥かごに閉じ込めるように。
「大丈夫。俺たちなら出来る!」
これほど心強い言葉が、これほど歪みを持つことがあるのだろうかと思わされる友香。しかし、振りほどくことは出来ない。それは、友香も陸を止めるためには紘和の協力が必要不可欠、と考えているからではない。死なない身体であろうとも、この申し出を断れば自分が死んでしまうのではないかという、今この瞬間、紘和の意に沿わなければ殺される、そんな脅迫されているかのような気持ちに貶められているからだ。
死ぬわけにはいけないという生存本能が、今すぐにでも突き放したいその手を、自分の意思に背きながらも、震えながらも握り返した。
「はい」
友香の声は沈んでいる。智もアリスも助けの声をかけてはくれない。それぞれにぞれぞれの目的があるからだろう。故に、機嫌を損ねて首をハネられるわけにはいかないのだ。ここで終わるわけにはいかないのだ。そういった雰囲気が漂っていた。
「いいね、いい返事だ。ハハッ。アハハッ。ハハハハハッ」
八角柱、七つの大罪にして最強が今、解き放たれたのだった。
◇◆◇◆
「と、いうわけだ。早速だが手を貸してもらうことになりますが……大丈夫でしょうか?」
「思った以上には待たされなかったと思っているよ。友の友との約束だ。反故にして我の価値を下げたりはしないさ。問題ない、手は貸そう」
チャールズは、紘和が回復したという連絡を本人から受け、早急に合流して対策を講じたいと話す彼にイザベラの処置もお願いした上で合流する様に頼み、その待ち時間を会議の休憩時間に当てているところだった。とはいえ、その休憩もこのようにバシレスクに現状を報告することに使っているのだが。
恐らく他国も様々なところに情報を共有し、できることを進めていることだろう。
「それで、二人に対してこちらはどれだけよこせばいい?」
「主犯格は二人ですが、恐らく【想造の観測】と呼ばれる異能で戦力自体は大差がないと思われます。故にこちらが欲しいのは数もですが、優秀な人間、となります」
「随分と傲慢だが、その神輿、全力で担いでやるとしよう」
「乗り気でいてくれて嬉しいですよ。本当に……ありがとうございます」
チャールズは電話越しのバシレスクに深々と頭を下げるのだった。
◇◆◇◆
「それで、世界を敵に回した気分はどうだい、ジュウゴ君」
「それはお互い様だろう、幾瀧」
八角柱会議が行われている場所がその気になれば見えそうな距離の場所で今回の大事件の首謀者である純と陸が話をしている。
少し離れた場所にはタチアナもいるが、会話に入るつもりはないという位置に立っている。
「俺は、君たちと違ってこの舞台は踏み台に過ぎない、いわゆるゴールじゃなく通過点になる予定だから、正直に言えばそこまで燃えてない。あぁ、もちろんこれが俺にとっても失敗の許されない一件であることは誤解しないで欲しい。命の縁を見るような修羅場が一回はあるだろうからね」
「随分と、それっぽいことを素直に話すんだな。もっと逆撫でるように、楽しそうに煽り返す時間が続くのかと思っていた」
「それはからかいがいのある人間にする一つのコミュニケーションだよ。君たちのように達観してしまったり、ぶれない人間には暖簾に腕押しってやつで面白くない。ただ、もしその可能性があるのだとすれば……手を組んだとは思えないほど俺に向けられている殺意だろうか。一体全体どうして、そんなにふつふつと煮えたぎらせているんだい?」
癪に触ったとでも言わんばかりに先ほどとはうって変わって、その原因を知ってて聞いている風を醸し出す元凶の純。
しかし、そんな純の方を振り返らず陸は話を続ける。
「あぁ、その方がいい。その方がやりやすいよ。で、気分の話だったね。こっちは本当に一世一代の大勝負。どう転ぶかじゃない。こう転ばせるって決めた形を取れるか今から緊張しっぱなしさ。そのために準備してきたからね」
そう言って想い出を振り返り始める陸。
その行為を純は止めようとはしなかった。
「まずは、お前たちにキッカケを与えるために剣の舞計画を暴いた。予期せぬ邪魔が入って痛い思いもしたが、結果として良い演出になった。そして、【最果ての無剣】を量産する、いや、そこに存在する神器や遺物を抽出、複製する手段を手に入れた」
「あぁ、貸しを作るキッカケ、外に出るキッカケ、紘和に強さへの執着を芽生えさせ、何よりゆーちゃんに血なまぐさい現場を見せることが出来た。足がかりとしては大きな大きな出来事だった」
剣の舞計画の阻止は双方によって計画されていたものだった。
「次は新人類の力になるトリガーとなる黒い虹の粉を手に入れるためにイギリスに行った。リュドミーナを使ってある程度は理解していたつもりだったけど、子供のトラウマという一つの条件をどう子供に依存せず調整するかが今後の課題だとわかった。まさか、この実験の目的が死人を生き返らせる能力発現のために、でその片棒を担がされていたとは思わなかったけどな」
「おかげで、俺の目標を再確認できただけでなく、人類最強を謳うにふさわしいという実感も得られた。紘和も己の力と向き合う機会になったし、アリスという都合のいい新人類を手に入れられた。愛情を利用した気色の悪い実験だったけど、片棒を担がされてもお釣りが来るお土産ももらった訳で、最終的にゆーちゃんには改めて覚悟を決めてもらえた」
黒い粉が入った小瓶をくるくると指先で回す純。
「古巣に戻った時は、合成人のデータを貸し借りって形でそのまま貰う予定だったが、余計な実験の失敗を取り戻すための復活実験につきあわされた」
「紘和が自信をつけるためのちょうどいいサンドバックが多かった。まぁ、姦しい友情が生んだ復活劇は見るに堪えないグロテスクなものだったけど、タチアナという俺に献身的な人間を得られて、まぁ気分は悪くなかった。そして何より、背後からブスリと刺された。俺にとても貴重な経験があったね。ゆーちゃんにも人を刺せることの証明もできた。人間、誰でも落ちるのは簡単なんだなって、いや覚悟を決めるのは出来るんだなって言ったほうがいいのか。アハハッ、俺と違ってさ」
純は後方にいたタチアナに惚れられた弱みに付け込むようにウィンクする。
「オーストラリアじゃ、予想外の警備システムで先に進むのに随分と邪魔をさせられた。たまに思うんだけど、どうして人工知能っていうのは人の形に似せるんだろうなぁ。親しみを持つ以前に、錯覚してしまうだろうにな」
「おいおい、そんなAIの感情論に話をそらしてるけど、その記憶というデータの化け物の存在を暴きながら、今回の戦力の核となる力を手に入れたんだから、もっとそっちの苦労を先の日本、イギリス、ロシアみたいに語れよ。それにゆーちゃんと真っ向勝負したんでしょ? 緊張しなかったの? 結果的にはひよっちゃったけど、二回目はないだろうって決意は固めてくれた。何より紘和もようやく完成手前までいったのはこの時だったなぁ」
ここで、途切れることなく続いた会話のキャッチボールがピタリと止まる。その静けさに遠くで頬を若干赤らめながらも耳を傾けていたタチアナがどうしたのだろうと視線を向け直す。
すると、声色がワントーン下がった陸の声が毛細血管が広がり絡まるような錯覚を受けるように周囲を包み込む。
「全て、これからのためだったのだろう。それは俺だって理解できる。でも、理解が出来てどうにかならないほど、人間をやめてはいない」
陸の背後に黒い影が漂いゆらりとうごめくように見えるほどの憎悪をタチアナは肌で感じた。目で錯覚する、それだけの憎悪。
憎悪。
「やっぱり一発でいいから殴らせてくれないか?」
「ふっ、突然の惚気はやめてくれよ。それに、そんなむき出しの殺意をよりむき出して、俺はその一発を無償で受け止めて、今後に支障が出ないといい切れるのかい? 手を組んでるんだろう? 何より、煽ってくれたぐらいがちょうどいいといったのはお前だろう? 許せ、和解しろとは言わないけど、せめて全てを果たしてからでも遅くはないだろう? あぁ、全てを果たした後では君の場合は、遅いのか。だったら……本望じゃないか。だから、背伸びしようぜ」
「言っただろう、俺はそれが出来るほど、人間やめてないって」
すごむ陸に首をすくめる純。
「じゃぁ、今更失敗する確率を上げるのリスクとどっちがいいんだ? 俺はお前と違ってこの身体は怪我をする。それを承知でお前は、この機会を捨ててでも俺を殴りたいのか? その短絡的思考が、俺よりも歳を重ねている人間の、長い長い年月の経験が導き出したこの状況でする最適解なのか、九十九?」
「最適とかじゃないんだよ。今の俺は長い年月に比べたらとても短い経験に準じているんだ。それだけ、あの時間は俺たちにとって……俺にとって……色鮮やかに大切な時間だったんだ」
「そんな後悔は聞きたくないし、聞いた所で俺の心はときめかないし、染まれない。だから、そんなので俺が同情するとでも? それにな」
純は両手を前に組んで左右の肩を回すと、ニカッと笑う。
そして、クイクイと差し向けられた右手が陸を挑発していた。
「失敗覚悟で殴りたいなら、それは自分の意思でその殴る権利を勝ち取れよ、化物。俺はただで殴られるほど安くはない」
それを開幕のゴングと感じ取ったタチアナはその場から素早く羽ばたく。それと同時に周囲のありとあらゆる物が純を襲うように形を変えて迫っていっていた。蛇のように動き出したそれの上を純は自在に走り抜ける。攻防の時間は一分となかっただろう。実力差以前にこちらから八角柱会議開催場所がなんとか見える場所である。渦中の本人たちもその自覚があったというのが、時間が短かったことの真意だろう。故に最後は両者の手がガッツリ触れ合った瞬間に少しはスッキリしたのか、それとも互いの力量では決着をつけるのは無理と判断できたのか、ゆっくりと手を離して解散したのだった。そして、唐草の様にまとまった歪な地形は一瞬で元の地形に復元される。無機物に対して絶対的なアプローチを持つ【想造の観測】に接触という行為がリスクにしかつながらないはずの【環状の手負蛇】を前にそっけなく引き分けに持ち込む姿はやはり、自称人類最強というにはあまりにも異質にタチアナの目には映った。そう感じつつも一段落ついた場に再び舞い戻ったタチアナは以前から感じていた違和感と今回の二人の会話から聞いたことを総合して、一つの疑問を純に投げかけてみることにした。
なんだかんだで落ち着いて、という状況かは怪しいが、こうして余計な邪魔を気にせず会話をできる機会も久しいのである。
「ねぇ、聞いてみたいことがあったのだけど」
「ふぅ~、今結構疲れてるんだけどね。面白い質問じゃなければ答えないよ」
「どうして、私たちの関わる一件は悲恋な死の先を見ているの?」
タチアナの質問に純と陸は目を見開く。
そして、陸はそのまますぐに背を向けてしまう。
「それは、面白くない話だ。君がこちら側についたとしても、君がラクランの様な人間だったとしても、それは実に面白くない話だ」
警告されている。タチアナはそう、受け取った。しかも今までにないぐらい慎重なそれに、タチアナの方も目を見開く羽目になった。それだけ何らかの核心に触れているかもしれないという興味から詰問したい気持ちもあったが、それをした時のその後が想像できないことに、背筋が凍る思いがしてタチアナはそのまま押し黙ることを結局選んだ。
次の瞬間、バッと後ろを振り返る。もちろん、そこには誰もいない。しかし、工場の不良品をベルトコンベアーで確認するような視線を感じたような気がしたのだ。そんなパチクリしながらいつの間にか肩を震わしていたタチアナを純は砂浜に書いた文字が波にさらわれる瞬間を見るような目で見つめるのだった。
◇◆◇◆
「最近、よくいらっしゃるようになりましたよね」
「気を使っているつもりですが、迷惑ですか?」
「まぁ、売上に貢献していただける身としては嬉しいですけどね」
喫茶店ヒマツブシの店主、亮太の言い回しに不満があるような視線を向けるのは、常連という表現が板につきつつある彩音である。
「そんな顔しないでくださいよ。コーヒー、サービスしますから」
「じゃぁ、お願いします」
そう言うと彩音は持参していたノートパソコンに再び向き直る。テレビはついていないため、時計の針の音と彩音が叩くキーボードの音、それとコーヒーを淹れるために沸かしているお湯が沸騰する音だけが喫茶店内を埋め尽くしていた。
そして、しばらくするとサンドイッチとコーヒーを持った亮太が彩音の席まで来ていた。
「はい、お待たせしました」
そう言いながらチラッと画面を覗き込もうとする亮太。
「ありがとうございます」
しかし、お礼を言いつつもスッと亮太の視線からノートパソコンの画面を丁寧に外させる。
「まだ勝手に見られても困るんですよ」
「こんなところでやるんですから、そんな社外秘とかプライベートを主張されても、店側としては困るものですけどね。ちなみに何してたんですか?」
「何って、プログラムの管理っていうんですかね? まぁ、色々と丁寧に見ておかないといけないことがあるんですよ。まぁ、バグなんてそうないはずなんですけどね」
「へぇ~。随分と自信があるんですね。長いんですか、この仕事始めて思って」
「長い、のかもしれませんね。数はこなしてますよ、えぇ」
「そうですか」
亮太は質問しておきながら興味なさそうにカウンターの内側に戻り、スッとゲーム機を取り出し始めていた。彩音もそれを確認して、再びカタカタとキーボードを叩き始める。カタカタとカタカタと叩く音を速めていく。これから何か始まる新しいことに心躍らせているように、カタカタと。
※注意とお願い※
処女作のため設定や文章に問題があることが多いかもしれませんが、これにて、第五章が終了しました。ここまで読んでくださりありがとうございました。
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