第六十三筆:後悔しないために後悔を続ける
宝物庫から無事逃げ出したアリスたちは、そのまま拠点にしていたホテルまで撤退を済ませていた。何処まで逃げれば安全か、なんていうのはチャールズのお膝元であるアメリカ本土にいる限りないのかもしれないが、ひとまず純との合流も考えての場所選びだった。そして、待てど待てど来ない、純の合流が遅いと思っていた矢先にタチアナの携帯が鳴った。
純からの連絡だと確認するとタチアナは急いで電話に出た。
「もしもし」
「呼ばれず、飛び出ず……最悪の気分」
無事、ではありそうだが何処か気分が沈んでいるのが電話越しからも分かるテンションだった。
「どうしたの? 今何処? どうなったの?」
「まくしたてないでよ、嫌がらせ受けて萎えてるんだから……はぁ。で、質問に答えると、今、桜島火口付近にいるんだけどね、どうしてこうなったと思う? どうしてると思う? 俺じゃなきゃ多分、下手しなくても死んでる状況よ。ったくもぉ~」
「……え?」
状況は飲み込めない。
ただ、純がこの戦場からすでに離脱しているという事実が、即座にタチアナの警戒レベルを引き上げた。
「まぁ、向こうがこれ以上アクションを起こしてくることはないだろうけど。一応、今のうちに伝えられるだけのことを伝えておく。一つ、そこから動かないこと。一つ、戦闘行為は行わないこと。まぁ、俺はすぐには戻れないからね。大人しくしててくれ。頼むよ……これ、フリじゃないからね」
「随分と、慎重なんですね」
タチアナの引き上げた警戒レベルは、純の大丈夫、という言葉に若干引き下げられる。
一方で、その件で取り引きをしたのか、いつもよりもやけに消極的な選択を強いて念押ししてくると思った。
「まぁ、幸いなことに互いに生き残れて、こうして連絡で安否確認もできた。その安堵から一歩間違えれば、今回の俺の行動は全てを台無しにする行為だったと思い知らされて反省しているのさ。殊勝な心がけだろ。たまにはそういう日もあっていいじゃないか。……じゃぁ、そういうことで」
普段の純を知るものからすれば、まさか純の名を語る偽物からの電話だったのか、と疑いたくなるような内容だったが、それを確認する間もなく一方的に電話を切られたタチアナ。結果、警戒レベルは上げつつ下げすぎない、そんな塩梅でいなければいけなかった。何せ、今となっても本人かどうか疑ってしまっているのだ。だからせめて本人としてその姿と合流するまでの間は、私がしっかりまとめいないと、と年長者としての心構えが身を引き締めるのをタチアナは感じるのだった。
◇◆◇◆
電話を終え、誰も居ない、投げ入れたもの全てを燃やし尽くしてしまう、いや燃やすというよりは、ドロっとした全てを受け入れ煮詰めてしまうような混沌さを想起させる赤黒いマグマが見える桜島の火口を見下ろしながら、ものは試しと純は言葉を投げ入れる。
言葉を、一瞬の弱音を灰にしてくれると信じて。
「一歩間違えれば……」
深呼吸。先程タチアナに向けた謝罪の言葉を、その言葉を受けて少し驚いただろうかと想像した彼女の表情を想像しながら、続けようとした言葉を結局飲み込む純。自分の中に抱え込んだものを形にしたような気分になり、言葉を灰に、なかったことになど出来ないと冷静さを取り戻したという表現の方が的を得ているかもsれない。だからこそ、自身が発した惟一の言葉に憤りを感じていた。それは発してしまったことにではない。あまりに簡潔にまとまった、自分という個の小ささに対してのものである。人類最強を謳い、比類なき身体能力で向かってくる相手を圧倒してきている男が感じるにはおこがましいかもしれない感覚。それは到達点の差で生じる価値観の違いに過ぎない。しかし、純という人間のその価値観を汲んでやれる人間は、今のこの世界には三人いるかどうか、である。そんな希少で、特別となっていた次元の存在が、当の本人がどこまで本当に理解しているのかはわからないが、それほど今純が抱えた憤りは分かち合えっても理解されないぐらい、難しい立場故の憤りだということである。感じることは悪ではなく、そこを認めるか、超えるかが試されているとも言い換えることが出来る。
純はその憤りとの向き合い方を憤った、として今回は受け入れる形で、気持ちを切り替えるべく両頬を軽く叩くと再び携帯電話を手に取った。
「呼ばれず、飛び出す、俺、幾滝で~す。早速だけど紘和、俺今さ、桜島の火口付近にいるんだけど、お前んところまで連れてってもらえない? そうそう、タクシー、タクシー。……あぁ、上に立ってそっちも忙しいわけね。そこはわかってるけどさぁ、俺今ゆーちゃんたちとも離されてるんだよね。……あぁ、ゆーちゃんたちはアメリカ。だからまぁ、急ぎで頼むわ、鹿児島市内ぐらいには移動しておくからに。……そういえば、最近誰かからお礼とか言われなかった? ……そう、今も言われたところか。なら出世払いは達成したわけだな。……いいんだよ、お前は知らなくても。しれっとする親孝行の方が洒落てるだろ、バァ~カ」
純はそういうとタチアナの時と同様に罰が悪そうに一方的に電話を切った。
「それにしてもあっちぃ~わ」
今更ながら自分の置かれている場所を肌に感じて純はゆっくりと写真を撮りながら下山を始めるのだった。
◇◆◇◆
警察庁長官執務室。兼朝の衝撃の告白の電話と入れ違いで入った泰平からの連絡を受けて、紘和はその部屋の主、海地養根と対峙していた。周囲には力を誇示するように外事課それぞれのトップが立ち並んでいる。
そんな中、仲介した泰平がそわそわした面持ちで、智が壁によりかかりながら実に退屈そうに紘和の座るソファーの後ろに構える。
「さて、久しぶりだね、天堂紘和……総理」
「えぇ、こうして面と向かうのは俺が日本の剣の強欲を襲名した時以来ではないでしょうか?」
互いが鞘に収めた刀に手を付けているような緊張感が部屋を包む。
「就任してから今日まで、すぐにでも挨拶をしたかったが、例の一件がどうも気になりましてな。連絡を入れたのはこちら側であるにも関わらず、確認に時間を取られてお待たせしてしまって申し訳ない」
「回りくどいのは好きではありません。俺たちも別に知らぬ関係ではないでしょう。こちらは行政に、そちらは司法……というと揺らぐものがあるので警察と言ってしまいましょう。そして、互いを牽制する道を選んだ仲ではありませんか……祖父が、ですけども」
自分とは溝がある、接点が薄いことを知らぬ関係ではないと言った後でわざと再び溝を強調してみせる紘和。
「それに、気になるも何も、報道する上で事実と異なる、規制を敷くという点で一枚噛んでいるとこちらは認識しています」
「ハハッ」
養根が挑発をあしらうように短く笑う。その声に対して周囲は養根が笑った、と驚きと畏怖の表情を浮かべているのが見て取れた。
海地養根。現在の警察庁長官で一樹が八角柱に加わった頃から今日に至るまでその席に座り続ける異例のトップである。それは一樹に対する抑止力に権力を与えておく必要があったという意味合いが強い。
つまり、一樹が暴走した時に止められる可能性のある存在であるということになる。
「遺言だ。あれが死んだ時、後釜にお前を入れると。そんなことは俺も聞いていた立場さ。正直、どうでもいい。でもね、あれが負けたとどうも信じることができないのさ。つまり、あんたの味方として敵になるか、それともただこの国に害なすと判断して敵となるか、それを見定めに来た」
血気盛ん。
この言葉がカチッと当てはまるほど、目の前にいる人間もまた武人として政界に存在している人間だと感じさせられた。
「勝敗を決めるなら、間違いなく私が勝者でしょう。ただし、それに納得していない人間があなただけとは限らない。ただ……力を見せるだけならば、あなたの首でもハネれば納得していただけますか?」
「いや、ただ俺の一振りをあんたが受け止めてくれればいい。それだけ、それだけでいい」
そう言うと養根の後ろにいた一人、泰平の上司にも当たる外事課第三課の義間勉が一歩前に出て刀身が一般的なものよりも長い刀をさし出す。
大太刀空砕。長いと言っても全長は骨刀破軍星よりも短い。しかし、名刀になるべくして養根のために作られた一振りである。
空と大地をきれいに分けるような一撃を見舞う切れ味を、という意を込められて名付けられた。
「ここでやるのですか?」
「自室だ。多少汚くなろうが問題ない」
養根はそう言うと、姿勢を低く大太刀空砕を構える。誰もが必殺の居合だと察する。
その場にいた殆どが、どう転んでも壮絶な交戦を目の当たりにするだろうと眼を見張る中、決着は静かに訪れる。
「こちらとしてもせっかくの会合。だから移動は時間の無駄だからちょうど良かったです」
紘和の左手のひらがピタッと鞘から抜こうとした大太刀空砕の柄頭を抑えている。来賓用のソファーとソファーの間、二人の間にはガラスのテーブルが置かれている。そこを物音立てずに飛び越え、誰の目に止まることなく接近し、手を押し当てたことになる。
同時に、その事実に驚く外事課を尻目に養根は、自分が抜くよりも前に抑えられてはいない、確実に抜こうとして動き出していた初動を止められたと認識させられたことに驚愕していた。
「ナメるなよ、じぃさん」
そして、誰にも聞こえないぐらいの声で静かにそう告げると紘和はゆっくりと向かいのソファーに戻る。
そのまま元の位置、ソファーに腰掛けると養根に告げる。
「ご期待には添えましたか?」
時が止まったかのような静寂が紘和を動くことが許された存在として際立たせ、明確な格差を部屋にいた人間に刻む。
その実力差は紘和の問に養根が答えるまでに多大な時間を要するほどに圧倒的で、美しかった。
「……そうか、ならばあいつも幸せだったのだろう」
紘和は養根の目から一滴のこぼれ落ちるものを見逃さなかった。
それは一樹に対し最大限の敬意を持っていることを示唆し、同時に期待に添えたことを意味していた。
「天堂一樹に代わって改めて礼を言わせてくれ」
そう言うと養根は大太刀空砕を床に置き、背筋を、指先をピンと伸ばして姿勢を正すとそのまま頭を深々と下げた。
「ありがとう。約束は果たされた」
武人として華を持たせてもらえたということなのだろうか、とここ数日何度か聞いた約束というワードと共に感謝の言葉を頭の中で反芻する紘和。自身の戦闘能力は確実に向上している。力は求めるがそれは正義を通すための付属であり、武人という言葉の武を追求するような側面を強く意識はしていない。故に養根の真意を汲み取ることはなんとなくでしかできていない。とここでタイミングを見図っら多様な携帯電話のバイブ音に、スッとポケットから取り出すと相手を確認する。
そして名前を確認すると、失礼と断りを入れて、大切な会合にも関わらず電話に出た。
「もしもし。……あぁ、わかったけどすぐには難しいぞ。こっちはこっちでやることがあるからな。……わかった、すぐに迎えを行かせる。……ここ何度か言われたな。今さっきも目の前にいる海地さんから言われたよ。……出世払いって何の話だよ。……馬鹿って、おい。クソ、いつも一方的だな」
そう言って紘和は電話を切るとポカンとした周囲の視線に気づく。
「あぁ……すみません。ちょっと急を要する電話でして」
紘和はそう謝罪の言葉を口に出しつつ、後ろを振り返り、智に鹿児島へ今すぐ純を迎えに行く手配を整えるように指示する。そして若干怪訝な顔をしつつも智は席を外すのだった。
◇◆◇◆
「あぁ、そうだ。適当にうろついていれば向こうから接触してくるだろう。そうだ、幾瀧純という男だ。一応顔写真はこの後送信する。では」
智は紘和に言われた通り、純への迎えを整える電話を部下にする。しかし、電話を終えたところで紘和のもとへ戻ろうとはせず、そのまま喫煙所へ移動する。そして、現体制の危うさを実感した身体にニコチンを充填しながら憂う。
まず、一番の問題は、現状紘和の抑止力になる人間が外部にしか存在しないことである。先の見世物、養根と紘和の一騎打ち。決して養根が弱かったわけではない。全盛期ならば当時の一樹と善戦はしていたし、現状でも老いによる鈍さはあれど、日本の剣の当時のメンバーと格付けを行えば入れ替えできる実力は持ち合わせている。それでも、だ。それでも今の紘和の抑止力足り得るかと問われれば、先の一戦を目撃していれば万人が痛感しただろう。養根はすでに抑止力という役目を終えていた。加えて、友の約束が果たされたことへの安堵が勝っていただろうが、それでも完敗したことに対して揺れ動く反骨にも似た闘争は感じられず、その強さを認め、憧れ、恐らく無意識に敬服している。つまり、今後は紘和に良いように使われていく可能性が非常に高いだろう、ということである。
では、誰が紘和の身近で次の抑止力成り得るか、と考えた時に思い浮かぶ顔は、皮肉にも紘和に付きまとう、一樹との約束を果たした、紘和をここまでの武人に育てる環境を用意した……純だった。
『どうして辞退したの?』
最強の座をなぜ辞退したのかと純に問われた日のことを智は思い出す。理由は自分が上に立てるだけの器を兼ね備えていないと、日本の剣で怠惰を冠していたことからもわかる通りの理由だった。面倒くさい。いや、正確には他人を絡めた責任を負いたくない。だから自分が才能でカバーでき、楽をできる範囲外のことはやりたくないという至極自己中心的な考えの元にあった。故に、そうしたつけが、責任が今押し寄せているようにも感じていた。残念なことに智はものぐさであっても悪人ではない。良心がない人間ならば、きっとこんな考えは思い浮かばないだろう。良心はあるからこそ葛藤してはいるのだ。責任から退き続け、放置してきただけだとわかっているからこそ、面倒事が浮き彫りになり、お前がやれ、と語りかけてきているのだから。
その重圧にも近い圧迫感を抱えていることと、それを見て見ぬ振りをすること、どちらが今面倒くさいのか、智はまさに天秤にかけざるを得なくなっている状況なのだ。
「面倒くさい」
実に面倒くさい。ニコチンだけでは収まらなくなっていく苛立ちを覚え、口からボソリと怠惰が漏れる。それでもどう対処するか考えさせられる。悪人にはなりきれないと痛感させられる堂々巡りが続く。単純な鞍替えを許さない逸材の存在。
養根を見るまでは楽観視していたと思わざるを得ない。
「どうして負けたんですか、御老公」
そのセリフは一樹ならば苦労しなかったとも受け取れる、怠惰の強者としての片鱗のようにも見える。あの時の、戦いの中で未だ成長していく、輝かしい武人を目の当たりにしての発言である。
そして、煙草を灰皿に押し付けながら火をもみ消すまで考え続け、考え続けた。
「すまない。やっぱり迎えには俺がいく。あぁ、ヒロには俺から連絡しておく。あぁ、それじゃあ」
智は先程純を迎えに行くよう命令した部下に要件を伝えるべく電話をしていた。その行動が果たして天秤を傾ける結果になるのかはまだわからない。
ただ、後悔するなら今のうちなのだろうと思った、それだけである。
「あぁ、この責任への自覚ってのが地に足がつく感覚なのだろうか」
自由には責任がつきものである。
「面倒くさい」
ならば自由は欲しくないなぁと聡明な怠惰は嘆くのだった。彼が悪人になれないばっかりに。
◇◆◇◆
「良かったんですか?」
泰平の言葉に紘和は首を縦に振った。順調に進んでいた今後の日本、世界に対する政に関する話の途中、智から自らが純を迎えに行くという趣旨を伝えられ、許可した紘和。紘和陣営にとっての最大勢力であると同時に、もっとも政治に携わってきた人間であり、支柱であると誰もが理解しているからこその泰平の質問だった。それは紘和も理解している。しかし、紘和にはある予感があった。兄弟のいない自身にとっては兄に近い存在だった智であったが、日本の剣の時、怠惰を冠していた通り、紘和から見てもどこか無欲な男に映っていた。向上心がないと言う割りには剣技や体術を磨き、日本の剣という地位を手にしてはいるものの、である。そこに満足したように一定の研鑽で怠惰なくせにもっとも難しい普遍を貫いていたのだ。そんな頂点を目指すようなことをしない男が、純との接触を望んだのだ。恐らく、先程の養根の戦闘力を目の当たりにして、自身の立ち位置を再確認したことがキッカケになっているのだろうことを紘和は弟分として理解しているつもりだった。以前の紘和ならばそんなことに気づいていたかもわからない。ただ、一樹との一戦を経て身についたものは戦闘力だけなく、在り方についてもであったということである。だからこそ、自身の手足として一皮むけるならば止める理由はないと思ったのだ。それに智抜きでも機能しなければ紘和が運用していく組織として意味がないという話もあるが。
もちろん、一皮むけた結果、敵に回る可能性もある。自分の目指す正義の先に同じ光景を思い描ける人間がいたとしても、その覚悟を理解することができる人間は少ないと理解しているからだ。その時は、どれだけの死闘を再び挑まされるのだろうか、と紘和は想像し、深い溜め息を吐きながら、それはそれでと少しだけ、そうほんの少しだけ、楽しみにしているのだった。紘和は望むのだ。智の成長を、武人としての闘争を。
◇◆◇◆
純から紘和に迎えを寄越すように言った翌日、鹿児島市内某所。大規模なガス爆発という名目で箝口令を敷かれるものの、その意味をほとんどなさないほどに、市内が明らかに火災を伴わない、ただただ瓦礫の山が積み上げられる、半壊した状態が広がっていた。深夜という暗がりであったこともあり目撃者はなく、監視カメラなどの目撃の証拠は全て消され、この事件を起こした意図は当事者である二人しか知り得ない事件であり、そもそもどの二人が争った形跡なのかを知る人間は当事者以外に一人しかいない。それは当事者が争いの理由を明確にせず、現在もはぐらかし続けていることもあり、事態の全貌は未だに明かされていない。ただ当事者の関係者が事後の現場を見れば、これが人によるものだと知った時、イギリスで起こった一樹とブライアンの一戦以上のものを肌に感じたと言う。だが、これ以上にこの事件の恐ろしいところは当事者には戦闘による複数の傷が見受けられたが、この規模の大災害とでも言える区画被害に対して他死傷者が出なかったという点である。これを受けて、当事者以外想像で物事を語ることになるが、化け物じみた人間であることは間違いないと知らないはずなのに知られている人物たちは戦いという側面で株を上げることとなったのだ。
◇◆◇◆
話は鹿児島市が半壊する前、純がアメリカから日本に飛ばされたところまで戻る。
「あれは、本気でヤヴァい。正直、俺の幼女ライフに関わるかもしれないから、詳しく聞きたいいんだけど……話してくれるの? 大統領」
獙獙は目の前で標的を消してみせたチャールズに問いかける。チャールズから見れば、獙獙は自身の持つ持ち駒の中で最高戦力の一人である。タイマン性能だけを評価するならば、自身に並ぶ、いやそれ以上に強いトップクラスの人材である。
性格に難がある男ではあるが、それがヤヴァいと対面して言うところを見るのは初めてなことだけあって、こんな普通の反応もできるのかと新鮮味を感じるほどであった。
「詳しくも何も、以前の八角柱会議内で指名手配するぐらいに頭のネジが飛んだ規格外の、人間、だよ。だからこちらも今できる最善の手札で来た。お前が肌で感じたこと以上の情報はこちらも知らない」
あくまでお前と同じ人間だと強調するチャールズ。
「おいおい、マジかよ。人間ってあそこまで行けるのかよ。やべぇな」
とひとしきり騒いだ後、スッと真面目な顔で獙獙は続ける。
「で、何をしてるの、あいつ? 目的は大方予想できてるんじゃないの?」
「……正直に言えば、最終的にあの化物みたいな人間が何をしたいのかはわからない。ただ、今まで主要国の軍事機密に関わるデータを漁るように襲撃していることはわかっている」
「どうして、そんなだいそれたことをした人間が、八角柱内で処理される様に指名手配されててるのに、未だに殺されるどころか首輪も付けられず、挙句の果てどの国からも追い詰めようと再度緊急にでも議会に招集がかからず、今回の定例会まで事が進んでるの? どう考えても大統領、あんたが提示する情報だけであれを評価したにしては内容が薄すぎる。それに、何か都合が良くない?」
まるで言い訳に聞こえるよ大統領、とでも言いたげな獙獙。
それでもチャールズは言っている以上のことはないと言うように、疑念を煽る獙獙の言葉には突っかからずに答え続ける。
「協力を要請しようにも、その研究データ自体が公にされて困るものばかりだからな、要請したくてもメンツもあってできない。だから、俺が、アメリカがこうやって匿う形で濁している。同時に二度と同じことを繰り返さないために俺やお前自らが出撃して牽制している。それでも突っかかれるだけの実力も人材も向こうが揃っている、って話だ。だから、こうして未だにこじれてる」
「本当にそうなのか?」
「……加えて、向こうにはなぜか天堂紘和が協力している、というか紘和が主体となってそもそも動いてる。そして、彼らは神格呪者の一人を追っているから協力し合ってる節がある。その潜伏場所が先程の該当地区であった、というわけだ。そして、その紘和の懐刀がさっきの幾瀧純だ。どちらも手を出しづらい立場にある以上、にらみ合うことが最善だと、俺は考えている。この事自体は今日の幾瀧の強襲を見て数人に共有するつもりでいる」
チャールズは濃密に見える情報を部下に伝えた。
「随分と俺ごときの疑問に喋ってくれる、というか饒舌だな? 本当にそれだけの理由で世界は、アメリカはそいつらを敵とみなして排除しようとしないのか? 考えてみれば、この保護するという状況がこちら側にも利益があるようにも思える」
獙獙は姿勢を低くする。
「あんた、一枚噛んでるか、チャールズじゃなかったりするのか、大統領」
獙獙の疑念とこの場の緊張状態が高まっているのをチャールズは感じる。
「お前からの疑いは一方的なものだ。俺がそうである根拠は一切ない。同時に、そうでない根拠も一切ない。ならどうする?」
数秒続いた沈黙が実に長く感じるような静寂を解いたのは獙獙の方だった。
「ほんと、相変わらず肝が座ってると言うか、顔色ひとつ変えませんね。なら、そういうことにしておきます」
「それは、こちらとしても助かるな」
「それじゃ、お先に戻らせてもらいますね。幼女の写真でも見ないと、割に合いませんから」
獙獙はそう言いながら空気の悪くなった場から逃げるように走り出した。
「こちら側、か」
元犯罪者でありながら有能な部下が去った後にため息を漏らすチャールズ。あの時、自身の戦力として迎え入れたことが正しかったのかと思い返す。
それともここまでが誰かの思惑であり、来たるべき戦争を少しでも邪魔しようとしているのかとさえ、その今までに見せたことのないカンの良さに思ってしまう。
「全く、私事だっての」
そう言ってチャールズは両の手の腕輪の行使を解除する。それは同時に、チャールズが獙獙と一戦交えるつもりがあった、もしくは何かを改変するつもりがあったことを示唆していた。そして、チャールズは何度目かの葛藤を迎えた上で【夢想の勝握】の二次元勝握でホワイトハウスへと戻るのだった。
◇◆◇◆
「さて、どうしたものですかね」
タチアナは友香、アリスと同部屋で何から話したものかと言葉を漏らす。軽率な行動とはいえ、アリスの行動は純がそう動くように誘導したものである。加えて、彼女の心情からそう行動することを咎めることはタチアナの置かれている状況からも強く言うことが躊躇われていた。もしも心身的に追い詰められていたのが自分だったら、立場は逆だったかもしれないからだ。
次に純からこれといった指示をもらっていないのも空白を生む問題である。指示待ち人間というわけではないが、今までが純の好き勝手に付き合うような形でそれぞれが行動させられていただけに、接点の少ない三人でどう動くかを決めるのは極めて消極的にならざるを得ない状況なのである。むしろ今までまともに面と向かって楽しくおしゃべり、みたいな友情を育む機会がなかったのだ。気まずい空気が生まれるのは必然的でもあった。
だから、無言のままタチアナは考えていた。恐らく、現在進行系で最大の標的は陸である。しかし、全員の目標がそこにあるかと言われればもちろん別である。通過点である者がアリスとタチアナ自身なのだから。
とはいえ別行動だけはしないように、大人しく純との合流を待とうと考えると自然と行動も制限されるということである。
「先程は……助けていただき、その、ありがとうございました」
自身の不手際にと、この場の空気に耐えられなくなったのか、黙り続けていたアリスが謝罪の言葉を口にする。無論、それに対して先の理由の通り誰も咎める者はいない。
だが、謝罪を始めたアリスも迷惑をかけたと思っている一方で、まだ伝えたいことがあるように喋り続けた。
「でも、ジェフには会えなかった。あいつの口車に乗らされただけだったのかもしれない。結果こうしたあのクソみたいなやつのことは置いといて、二人に迷惑をかけたのに、踊らされてただけだったのかなぁ」
涙ぐんだ声のまま、言葉は続く。
「でも、少しでも会える可能性があるなら会いたかった。会えなきゃ意味がないの。だから……だからぁ……」
絞りきった雑巾を絞るように、自分のやった後悔を正当化しようと一筋の涙が乾坤一滴、こぼれ落ちる。
「なら、私たちに後ろめたさを感じちゃダメよ。それはもう、私がやったから。だから、あなたは正しい。自信を持って、私のためにも」
顔は合わせない。
それでも力強く、自身ができなかったオーストラリアでの一件を、千載一遇のチャンスを逃した友花本人が、失敗を、後悔しそうな事案を実体験を添えて否定する。
「……あぁ、もうあれね。今必要なのは息抜きね」
重くなっていく空気に耐えきれなくなったタチアナが普段よりも砕けた口調を選ぶ。
「どうせ、アイツが帰ってくるまでやることはないんだ。死ぬ気で遊ぶぞ。何か起きても今の私たちならばなんとかなるだろう。だから、明日はとりあえずショッピング。羽を伸ばすぞ」
タチアナの右手を突き出しながらの宣言に二人はそんな気分になれないというように目を伏せる。
「いい? 人間は行動が先行していれば気持ちは後からついてくるものなの。考えてるだけで気持ちが晴れることもあるかもしれないけど、行動すれば絶対に気持ちは転がる。だから、二人共、明日は私に付き合うこと、いいわね?」
結論から言うと三人は翌日ショッピングを楽しんだ。とても女性らしく、純と合流するまで楽しそうに過ごすことができるぐらいには、自身の後悔を胸にしまうぐらいには取り繕うことができるようになったのである。だからこそ、己の立場をしっかりと振り返る良い機会だったとこの時の彼女たちは振り返るのだった。愛する人のために今できること、取り戻す時に万全であること。それが重要なのだから。
◇◆◇◆
様々な人間の陰謀が渦巻く中心となる八角柱会議前日。この日までに行動していた人間は多岐にわたる。
その中でも一人、ここまで息を潜めていたものが腰を上げていた。
「ようやくこの日が来た。準備はいいかい?」
その男の声以外に聞こえる声はないし、ましてや人影すらない中で、オーディエンスからレスポンスを得たようにその男は満足げに微笑む。
「舞台は整えられた。後はこちらが動くのと同時に向こうがしっかりと動くか、だ」
独り言は続く。
「何度か予定外はあったが、支障はなかった。だからそう攻めないでくれよ」
上空に広がる星が綺麗な夜である。
「こっちの目標を達成させることが向こうの目標達成のトリガー、になるそうだ。まぁ、ここであまり口にしたり考えたりすることが、いいことなのかはあいつらにとってはわからないけどな。というか、これが今までの意趣返しになってたりするのかなぁ。目的のためしかたなく、だもんな。まぁ、どうでもいいか」
月は少し欠けているが、雲ひとつない空に鎮座している。
「楽しそうだったな、桜峰」
そんな空の下、楽しそうに笑う声。
「でも、そんな顔を悲しませるだけのことを、これからするし、お前にさせることになる」
上空と同じぐらい輝く地上の星、ビル群の明かりを見ながら、今度は軽蔑するように失笑してみせる。
「説得しておいてなんだが、俺のためとはいえ、いや、もうお前にとっては彼女のためだろうが、すまないとは思ってるんだ。そう思ってなければこの状況は作らないし、共犯者の申し出はしなかった」
一呼吸。
「しかし、長生きはしてみるもんだ。あれだけ生き続けて、どうやって終わらせようと考えてたはずなのに、ここに来てその生涯に、お前たちとのこれからを想像する余地が生まれちまって、願望を、夢を見ちまって悔いを感じるんだからな。俺もやっぱり、どの面下げようと人間なんだ」
自由の女神像頭部展望台の上で座りながら夜風を浴びていた身体がゆっくりと立ち上がる。
「大丈夫だよ。後悔しないように後悔しておいてるんだ。しっかり仕事は成し遂げるよ。お前との約束が先決だ。どうせ、後世に残る大罪人になるであろうことを、生まれて始めてやるんだ。そんな生き恥を晒してまでこの世界に未練はないよ」
短く男が笑う。
「後悔はないが、未練があるなんて、俺とはまるで逆というか、お前らしいなと思ったよ」
そして、息を吸う。
「準備はいいか?」
今までとは異なる、低く、覚悟を問う口調。
パチパチと周囲の電灯が激しく点滅し、男を中心に同心円状に明かりを消していく。
「二人よがりで一つのけじめをつけるぞ、優紀」
男、陸の声が活を入れる。
同時に電気が回復したのか、今度は自由の女神に向かってどんどんと明るくなっていく。
「最低最悪で、自己中心的な最期を迎えよう、ジュウゴ」
照らされた光に一瞬、優紀の顔がこの世に溢れ出したと思わせるよう光景があったのかもしれない。しかし、束の間で消えたその姿を確認する手段は誰も持ち合わせてはいなかった。それは世界の終焉が走り出したからである。最初からそうすると決まっていたかのように、まっすぐに、迷いなく駆け抜け始めたのだ。
もちろん、降りかかる悪意が最短で終わりを迎えることを許さないのだが、それはまた後の話である。




