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綴られた世界  作者: 白井坂 十三
第十二章:始まって終わった彼らの物語 ~三国大戦 後編~
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第百五十九筆:唯一とならなかった未来が見る夢の途中

 そのどれもが未熟であることは疑いようもなかった。しかし、ピーラーを使える人間がじゃがいもの皮を剥く時、そこに料理のプロと一般人で剥き終わったじゃがいもに差が生まれるのかと問われれば、多くの者はその差を理解できない、だろう。何せ差があるかわからないのだから。つまり、何が言いたいかというと、レーナの繰り出すその戦闘技術は、先のカウンターと違い全て一流の贋作を彷彿とさせるものだった、ということである。根拠はない。ただそう感じる何かがある、という直感的なものしか紘和にはない。けれども、その未熟が紘和に届かないのかと問われれば、そんなことは決してないと堂々と宣言できるだろう。広く、だが決して浅くはないその戦闘技術の積み立ては確かに、紘和の首を取るに足りそうなのであった。

 要するに余裕はなくなっていた、ということである。


「お前、やっぱり本質は武人だな」


 本来ならば必要な時に必要な武器を地面に転がる鉄くずを再利用するように手元に生やす、まるで【最果ての無剣】の展開を彷彿とさせるような武器の想造アラワスギューに驚くべきなのだろう。しかし、それ以上に手にした武器を扱う技量に目が行くのだ。目測を誤りそうになる不規則な動きを伴って振り抜かれる槍術、緩急により刃が透過したと間合いを錯覚する剣術、跳弾を考慮した精密過ぎる射撃、加えて銃や剣だけでも多種多様に使い分ける中で、斧、ハンマー、弓とありとあらゆる武器という武器を扱う。その圧倒的選択肢が適所として行使される中、紘和は対処を迫られているのだ。言うならば先手必勝の初見殺しの物量である。しかもその水準が一級品に見劣りしないのだ。

 己の身一つで再生力を盾に応戦を続ける紘和が後手に回るには十分な理由があったということだ。


「もう少しおしゃべりしてくれよ」


 加えてこの肉体操作である。それは下手な部位鍛錬を容易に超えた、まさに全身武器人間を体現していた。

 まるで、エノーラとヒラリア、イザベラの愛弟子二人の性質を持った人間がその性能をバランス良く伸ばしきっている、そんな人間なのだ。


「私が勝ったら……教えてやるよ」


 吠えるレーナに紘和は解答するように想造アラワスギューで刀の生えた大地を生み出す。

 それはまるでレーナの戦術を嘲笑うような、誰でも使用可能な、必要に応じる必要のない抜き無の凶器をばら撒いた、挑発的なノーガードの誘い。


「それは残念だ。代わりに敬意は払うよ、武人としてのあなたに」


 皮肉ではない、その確固たる負けないという自信が、紘和がそれでも構わない、と己の力を誇示するように武器の使用を解禁したことを意味する号令が下されたことを意味する。レーナは紘和の油断または怠慢からなっていたであろう優勢というアドバンテージを失い、真の実力を問われる局面に位置しだしたことを、紘和戦のスタートラインに立ったことを意味していた。


◇◆◇◆


 レーナ・クロス。本名、一塚玲奈。十家で現在空席となっている十つ目だった一塚家、その唯一の生き残りであり、正当な当主後継者である。そんな彼女がなぜこんな十家から離れた地にいるのか。それは彼女がまだ十歳にも満たない少女だった頃に、当時の当主にしてレーナの母親である一塚未夢の手で十家という柵から逃されたからである。では、なぜ未夢はそんなことをしようとしたのか。それは十家の中でも一塚家が特別なポジションだったからである。

 そもそもだが、数字を取り入れた家名を並べる中、壱崎と一塚という同じ数字のイチを冠しているのが不思議だろう。その答えは壱崎は“いちざき”と読むが、一塚は“ひとつか”と読み、一塚は一の他に“とつ”と切り取って読むことができ、十を含む、そして十拳剣の言葉遊びで形成されているのである。つまり、十家にとっての始まりの数字と終わりの数字を内包した、特別な家名なのである。そして、その特別には当然特別たる理由が存在する。

 来る者門徒に拒まず、さして去る者門徒は去ぬ。まるでいかなる人間にも武人への門徒を開いており、誰もがその環境に満足して足を洗おうとしない、武の桃源郷を想像してしまうかもしれない謳い文句と捉えることも出来るだろう。しかし、その真意は一度くぐった敷居を二度とまたぐことを許さない、十家で見聞きし学んだ全ての流出を防いでいる、去ぬ、文字通り抜けようとした者は死んでいるからいない、そういうことなのである。そして、その重責を代々担っているのが一塚家という一族なのである。つまり、生まれながらにして公認の殺人を宿命とされ、結果、十家の技の全てに対応できる人間になることが決まっている、最強を背負わされた一族。故に“いち”を、最強の称号を背負いながらも先頭で導くのではなく、最後尾で見張る、十を共に背負っているのである。それが十家における一塚の特別たる所以である。

 だが、どれだけ生まれた時から情報の漏洩が十家の地位を、この世の勢力図を、均衡を崩しかねないから十家を去る人間は悪人であり殺さなければならないと洗脳と言っても差し支えない英才教育を受けてきたとしても、ある時、ふとその常識に疑問を持つ者が現れる。それは何ら不思議なことではなく、明確な理由は存在しないが敢えて言うなれば時間の問題、または人間だから、に他ならないだろう。故に、去る者を殺さなければならないという常識に疑問を持つ、即ち、殺す必要がないのではないかと思ってしまった人間の取る行動は十家にとって汚名を残すこととなった。それが本来取り締まるべき立場の一塚家当主だった未夢による娘、玲奈の足抜けの幇助、つまりレーナの生い立ちそのものである。


◇◆◇◆


 最初で最後の自力での洗脳克服者は玲奈の母、未夢であった。未夢にとってこの疑問は二十七歳で、一塚家を継ぐための後継者を産むための結婚を強いられたのをキッカケに発芽した、いや種が蒔かれた。

 その種が芽吹いたのは玲奈、愛娘を胸に抱きかかえてその姿を視界に捉えた時だったそうだ。


「あぁ、良かった。良かった」


 最初に出た喜びの言葉であり、同時にこの娘を人殺しの道具として自分が産んだことを自覚した瞬間だった。言ってしまえば、この娘の手を血で汚したくないと、漠然とそう思ったのだそうだ。故に気づけて良かった、と。それは未夢にとって本能に直接訴えるような慈悲、寵愛、何より良心の誕生とも言えた。以降、その感情は未夢自身を、人を手に掛ける度にそれがいつか娘に降りかかると実感が募り、その精神を摩耗させていった。なぜ今まで自分はこんな残虐的なことを眉一つ動かさずに仕事として平然とこなしてこられたのだろうか、と思えるほどに。

 それをこんな無垢な少女に殺らせようとしていたのだと。


「体調が悪いのか?」


 そんな未夢の異変に最初に気づいたのは未夢の父、忠だった。


「そう……見える?」


 何処も異常はないけど、そう不安そうに訴えかける未夢の真意は何を思い忠がその結論に至ったか、である。


「あぁ、見えるよ。今のお前は罪悪感に苛まれている様に見える。随分と人間らしいな、とね」


 流石は父であり、当主代理の地位、摂政に近い人間の観察眼であった。同時にその理解は未夢にとって今までで一番の警鐘を鳴らすことになる。その理解に至っていてなおそこに居続けた父の境遇への疑問である。そう、なぜ忠は未夢に殺しの長を敷いているのか、と。または、その境遇に遺憾の意を示さないのか、と。

 この互いの理解の照らし合わせが決定的な亀裂になったことは言うまでもないだろう。


「未夢が業務に嫌悪感を持ちました」


 あの父の優しさを垣間見たような気もした瞬間から日を跨ぐ間もなく、緊急招集された十家の長たちの前で忠が進言したのである。


「珍しいこともあるねぇ。それで? どうするつもりだい?」


 すでに議題に興味をなくし席を立とうとしている壱崎家当主、唯一に代わり札辻家当主、冴が進行、もとい相槌を返す。

 その場にいた他の当主たちも冴同様に一塚家からそういった殺人を忌避する人材が生まれたことに多少の珍しさを向けるものの、一番はそれを話す以上、その後どうするつもりなのか、その進言の方を待つ姿勢が見て取れた。


「俺が当主代理として未夢を殺し、その上で新しい当主を育成する、これが本来の筋でしょうが、何せ俺の今の器量では歴代きっての実力者である娘に返り討ちにあい、いえ、仮に返り討ちに合わなくて俺に殺すことが出来ない限り、解決はしないと考えています。その上で皆様のお手を煩わせ、空席を作る事態もまた避けねばなりません」

「その事態、むしろ興味がある」


 襖に手をかけていた唯一がその場で脚を止めてただそう言った。それは言葉通り唯一が未夢との戦闘を望んでいる、という事実が形をなしたことを意味する。ただそれだけ。

 それだけでその場の誰もがいつでも一歩を踏み出せるように臨戦態勢に入ったのだ。


「やめてくれ。それを避けるための話し合い、解決相談する場だよ。もう立ったんだ。今はその最悪を夢見て出ていってくれ」


 言葉を選ぶようにゆっくりとだがはっきりと外野へ行けと冴が唯一を追いやる。その挑発的な言葉に、この場での流血を覚悟した者も何人かいたが、そんな未来は訪れることなく、ガタッという唯一が襖を閉める音が返ってくるだけだった。ふぅという緊張の糸が周囲の投手たちから途切れるがわかった。

 未夢も死を覚悟したが、まだ話し合いの席で済ませられる可能性を見て安堵の息を漏らしていた。


「それだと、足元すくわれるよ」


 詞知枝家当主、黄美がその糸の隙を縫うように未夢の首筋に手刀を作った右手を軽く添えて、殺せてたよ、という挑発行為をしてきたのだ。


「気をつけます」


 実力差を示すには充分な出来事だった。


「言ったろう……戻りな」


 冴の言葉に黄美はササッと自身の座布団へと戻っていく。


「話が逸れた。続けな、代理」


 一拍の間を開けて忠が用意した解決案を提示する。


「孫の玲奈が人質として効力があると判断し、次期当主としての器になるまでこれを交渉の材料とし、最終的に孫に未夢の殺害を命じようと考えています」

「っ」


 キッと飛ばした未夢の殺気を浴びて忠はこれが何よりの証拠と言わんばかりに言葉を紡ぐ。


「見ての通り、娘に酷く執着している。今回の価値観の齟齬もこの母性の獲得によって生まれてしまったのでしょう。ならば、そこをつく。そう考えてます」

「……まえ」


 ポツリと未夢が言葉をこぼし注目が集まる。

 それに合わせて未夢は静かな怒りを携えた声で低くゆっくりと確実に伝わるように質問した。


「お前、どうしてそういう感情があるとわかっていてそんなことができるの」


 実の父親に向ける言葉ではない殺気が込められている。仮にこの場に二人きりなら実際忠の頭は胴体と別れを告げていたことは言うに固くなかった。

 つまり、未夢は至って戦局を見通すだけの冷静さはあった、ということである。


「嘘をつくためには嘘を理解している必要がある。故に嘘から真が生まれる……なんて酔狂なことを言うつもりはない。否定もしないがな」


 そんな前置きを挟んで忠は淡々と自身を的確に語る。


「なぜ、お前の気持ちを察した俺がそれを踏みねじれるのか。答えはいたって単純。そういう素質があったか、そういう人間になる環境にいたか、はたまたそのどちらも、だ。別におかしなことじゃない。幸か不幸かこの閉鎖的な空間ではそういう素質がある人間が入門するか生まれ、その環境下で育たざるを得ない。恐らく切磋琢磨してきた隣人を殺せと言われれば最終的に死人が出る、そのぐらいの手段しか取れない人間しか出来ないんだ。その上で俺について語るなら、その全てを脇に置いた上で、わかっててやってる、ただそれだけなんだ。人殺しが好きだからではなく、役目として全うして生計を立てている、それ以上でも以下でもない。だから、血が繋がっていることにも、妻にさえも私怨を挟まない、それだけだ」


 役目、という言葉が重く重くのしかかる。少なくとも目の前の男は快楽殺人鬼ではないことを念押ししてきたのである。

 ただ一般的に言うところのドライに仕事が出来るのだと。


「どうする? お前一人ならこの場から逃げること、五体満足かは保証できなくとも、可能だろう。だが、生まれて間もない歩くことすらままならない赤子を抱えてとなれば、いや、それを今から探してともなれば死んでしまうだろう。お前が死ねば次の役目は必ず玲奈が引き継ぐことになる」


 わかっていたんだ。初めから全て。そう思える程度にこちらの心を見透かすように逃げ道を潰してくる忠。

 一部当主が忠の言葉に真実味がないと受け取っているのか鼻で笑っているが、そんなことが気にもならないほど未夢は動揺していた。


「だが安心して欲しい。俺も娘を手に掛けようとは思っていない。お前がどれだけのことをしてもきっと俺は娘を殺さないだろう。殺した瞬間に誰の命も平等とする殺戮兵器が生まれるのだから。だからひたすらにお前の手の届かない所で教育し、お前の失態に応じた体罰を与える」


 すでにこれは人質の価値を理解した交渉を呈した命令とかしていた。


「だから受けてくれるよな、この提案」

「覚えてろよ。私はあんたを許さない。そして」


 ギロリと未夢は周囲の当主を一人ひとり順々に丁寧に睨みつける。

 そして最後にもう一度忠の顔へ戻ると溜めた言葉を吐き出した。


「約束を反故にする、娘に体罰をしてみろ、同様に殺人をさせたり、精神的な嫌がらせをやってみろ。私怨でそいつを殺してやるから覚悟しろよ」

「わかった、お前がしれっと追加した条件をお前が先の条件を飲むなら飲もう。ただし、実技の練習や見稽古はさせる。結果として練習中の怪我が故意でない限り、また殺人を目撃する環境下にあることは致し方のないことだと理解して欲しい。何せ、一塚の存続を憂いて、当主の器にすることを条件に加えているのだからな。お前の条件を飲んでこちらの条件がねじ曲がっては意味がない。わかるな」


 返事がないことを了承と受け取った忠はそのまま言葉を続ける。


「安心しろ。何をやったかも、何なら何をするかも事前に伝える。俺は死にたくない。だからこんな場を設けた。信用したくない俺を信用して欲しい、親としてではなく保身に走る哀れな弱者として」


 過去、一塚家当主をしていた歳により現場から退いたとはいえ、そんな男から出る弱者という言葉がこの場の空気を二分する。それはピリつく者と、先程同様嘲笑う者にである。

 そして、神経を尖らせていた代表、今この場で最も権力を持つ冴がまとめる。


「まとまったようだね。異論はないし、それですむなら最も被害を最小限に抑えられると私も思う。だから誰も余計な茶々を入れるんじゃないよ。そこから先は自己責任だからね」


 それは冴からのせめてもの予防線だが、一部の人間には勝手を許される号令にも聞き取れたのだ。故にこの会議が終わって一週間後、鹿紫雲家、伊都代家、詞知枝家、操谷家の各門下の四分の一が死亡、さらに伊都代家当主浩司までもが死亡した。これも全て徹底した忠の情報提供がなした未夢の本域の誇示であった。そう、誰もが一塚が去る者を出し続けてきた、その役割の器足り得る実力者であることを思い出したのだった。もちろん、このことで双方お咎めは当然ない。それは決められた内容に従ったものであり、忠告は文字通りにされていたのだから。また、これほどの不祥事、国としてはもちろん各家も広めたいと思わないため、事件は外にほとんど漏れることなく幕を閉じていた。

 世紀の大事は些細な小事にされたのだ。


「それじゃぁ、今まで通り、武を極めていこうじゃないか。よろしく頼むよ」


 冴の締めの言葉で解散となったのだった。そして玲奈足抜けの事件はこの十五年後、未夢との決戦を二ヶ月半前に控えて起こるのだった。


◇◆◇◆


「この人に連れてってもらう場所にあなたの新しいお家があるの。お母さんも後で合流するから、お願い、今は急いで」


 玲奈が鋼女に手を引かれて聞いた最期に向けられた言葉であり、最期の笑顔だった。刻一刻を争う大脱走である。

 そして、この歳にもなれば母親のその言葉が嘘でなかったとしても真実とならないだろうとどこか理解していた。


「嫌だ。私、嫌だよ、お母さん」


 駄々をこねる玲奈にすでに未夢は背を向けていた。


「行ってください」

「わかった。依頼は果たすわ」


 そう答えた鋼女が有無を言わさず玲奈を抱えて走り出す。そこからは唯一を筆頭にした十家の総力を迎え撃っているであろう戦いの音が響き始めるのだった。だから玲奈は大きな声を上げて泣いた。未夢から生まれた武術の才に長け、人を思いやることの出来る役立たずという最高傑作はこうして母親のお陰で生き延びてしまったのである。そんな少女が復讐に刃を尖らせるのに至極単純な理由でもあった。しかし、玲奈が武術を伸ばすのはまだ少し先の話となる。

 この四日後、負傷者多数、死者一名で幕を閉じた十家の問題は世界に報じられることとなり、玲奈も新天地となる村でこのニュースを鋼女から聞かされていた。


「すごいな、あんたの母親は」


 なぜただ一人の死者であり大犯罪者として喧伝されている母親を鋼女が持ち上げているのかその時の玲奈にはわからなかった。

 ただ、どうしてか説明してくれたことはここから一年、大いに玲奈の支えとなり、そして今の覚悟へと繋がる。


「私情だから、あんたのために誰一人死者を出さなかったんだな……その矜持で娘を一人にしたら世話ないけど、そこはここがよっぽど頼れる人間ってことなんだろうな」


 そんなものを護るくらいなら一緒に生きて欲しかった、そう思わなかったと言えば嘘になる。

 しかし、あの世界で戦いに嫌悪を覚えて育った玲奈にとってその矜持は如何に難しいかを知っていた。故に、鋼女の賛辞はただただ胸を打つのだった。


「でもそれとこれは別だよ。私の依頼はここまでだ。あんたを無事ここに届けて一日無償で見届けるまでしてやった。だから私は次の仕事に向かう」

「行っちゃうんですか?」

「生活に問題はなさそうだったろ?」


 一日で何が分かるかと問いたいところだが、身元引受人となった老夫婦は優しく、生活に問題がなかったのは事実だった。どこまで玲奈の事情を知っているか知らないが、快く受け入れている様子なのだ。

 だから鋼女の言葉に返す言葉を玲奈は持ち合わせていなかった。


「はぁ」


 鋼女はため息を挟むと寂しそうにする、現在逃避行を共にし唯一信頼できるであろう自分がこの場を離れることを寂しく、不安に思う玲奈に拭うような言葉をかけた。


「お前から私へ必ず繋がる連絡手段がこの紙に書いてある。本当にどうしようもなくなったらこの紙を広げるんだ」


 玲奈に渡すことを前提としていたであろう紙が渡され、玲奈はその紙を両手で受け取るとギュッと親指に力を込めた。

 それはこれ以上迷惑をかけられないという踏ん切りをつけるための覚悟の表れだった。


「……ありがとう」

「気にしないで、サービスよ。私も誰かのために動くのがきっと好きだから」


 そう言って後にしようとした鋼女は一歩踏み出してから何かを思い出したように止まる。


「そうだ。できれば名前は変えた方が良いと思うよ。その方が少しは動きやすいからね。アドバイスだよ」


 そう言って都市伝説は去っていったのだった。


◇◆◇◆


 つまるところ、ここまでで何を提示したかったかと言えば、レーナは唯一とその他を相手取り、玲奈への追手を死者を出さずに食い止めるだけの実力をもった母親から生まれた、十家当主に、いや唯一に届きうる人間だということである。つまり、世宝級の中でも明確に実戦値が高いということである。その結果が武器の使用を己に許した紘和とも結局渡り合えてしまっている、ということなのだ。

 故に紘和は武器使用を解禁して何度目かの鍔迫り合いでレーナに問いかけた。


「今のあなたはとても今の俺に似ている。状況が、信念が、俺より先に行ってるように感じる。あなた、あれだけこちらを煽っておいて、人を殺したことがない、いや、人を殺さずともその実力で無力化出来たせいで自身より強い敵への勝ち方がわからないのではありませんか?」


 紘和は認めた。敵が敵として十二分であると。否、十二分足り得る素質を有していると。故に問うたのだ。

 このままでは埒が明かないと。


「だったら降伏して」

「統率権、その一点に置いて降伏後の待遇が揺らぐ。だからわかるでしょう。降伏を望むなら降伏してください」


 千日手必須の問答となることは誰にでも分かる状況が出来上がる。

 だからレーナは揺さぶりをかけるべく話題を掘り下げる。


「どうして、先程の言い方から不殺を志しているのに、戦争を始めたんですか」

「それは双方共に、信念を認める、ということですか? これ以上の見込みを得るにはあなたに汚れて貰う必要があると」

「その場はすでに決まっています」


 紘和の問いかけにレーナが大声で反発する。

 そのあまりの速さに面食らうほどに。


「でも、初めては難しいですよ。それこそ、初めから壊れているか、人でもない限り。慣れは必要です。そのあなたにとって来たるべき時にその殺しができるかどうか、そんなことで戦況が揺らいでしまったら笑い話ですよ」


 レーナが紘和から顔を逸らす。


「それに、私は必要とあれば殺せます。あなたと違うのは経験の差、なのですから。このままではどのみち戦闘不能になる。ならば殺す気で来なさい。私を止め戦果を上げたいなら」

「それは勝ちを前にして言ってください。今のあなたの言葉では」


 レーナの両の手のひら、足の甲に激痛が走る。そして背中に強い衝撃を感じた時、初めて自分が刀で地面に縫い付けられ額を押さえつけられて地面に張り付けられた状態になっていると気づいた。


「残念ながらこれでもまだ余力は有り余ってる。そもそもこの身体は分身体。質量を分割している都合上全力でやっても本来より力は制御された状態だ」


 諭す言葉から脅迫へ、圧力の質が変化する。


「お前は言ったな。言うだけの実力を示せと。示せば出し切る前に終わる、そういうことだ。覚えておけ、可能性をもった武人。そんな安いプライドでその力の可能性を潰すな」

「……くない」


 小さな声が漏れる。


「や」


 勢いをつけない、顔を地面に押さえつけていない紘和がレーナの言葉を待たずにその顔を陥没させる。


「安いさ。お前が言ったんだ。結果を示さなければ説得力がないと。この状況でお前がその覚悟を侮辱されたことに激昂すれば戦況が逆転する、なんてことはその安いプライドを捨てなければ達成できない。そういう敵なんだよ。美徳に生きるな。過程を重んじるな。それはそのプライドを通せる力を持っている人間か、障害を知らずに目的地にたどり着けてしまった豪運の持ち主だけだ。そして前者は一握り。お前は後者であり、それを知らしめられた持たざる人間だと理解しろ」


 当然、気絶したレーナから返事はない。


「まぁ、俺もなるべく殺さないを破るつもりはない。だけどここまでしないと止められないと判断させたんだ。お前はきっと強くなる」


 不殺ではなくなるべく殺さないと誤魔化すような言い回しに違和感がありつつも、この戦場での今回の、今日の、今の勝者は紘和となったのだった。レーナは強い。ただそんな化け物でも相性以前に単純な力で敵わないのが紘和という化け物であり、その化け物ですら未だ武力における力の頂きには届いていないのが恐ろしい話である。そう、未だその道の途中なのである。故に伸びしろあり。ヒミンサ共生国にとっての大きな強みであり、ヨゼトビア共和国並びにラギケッシャ連合国の脅威なのである。

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