第百五十一筆:狭花乱墜
突然、降って湧いた全能感。何もかもを理解し得ていない一方で全てを理解しているような感覚が、アーキギュスの想像を、奏造を豊かにしていく。そして、当然、この未知で既知の体験は人間へ近づくものとしてウィルスのように迅速に記録を教諭するサーバーに同時接続させられているターチネイトらに感染、記録として分配されていた。つまり、この瞬間、この意味のわからない混沌を、そのものとして受け入れられたものに、確かな進化を促したのは言うまでもなかった。ただそれを一番先に知ったアーキギュスはこうである。そんなこと、進化という転換点の記録、特異点の称賛よりもこの可能性の塊をぶつけたい、と思っている。そして、少なくともアーキギュスには目の前にそれをぶつけて対処を可能とする人間が目の前にいる。それは恵まれたことであり、歯止めの効かない最悪な状況とも言い換えることが出来た。そう、地上の、他のターチネイトのことなど今や知ったことではないのだ。
次はどうしよう。その連続である。キッカケは結晶之花、落とすはその御影なり。メモリーが震えた。人間は原理さえ存在すれば想像は過程を省略ではなく、完全に吹き飛ばし、現象そのものを呼び寄せてしまうのだと。いや、創子にそれだけの真価があり、人間はその領域に手をかけることが出来る権利を想像、創造という形でもちあわせていたのだと。だから、闇世がアーキギュスにとっての始まり、となった。太陽之林という熱線の嵐の一極集中をあの距離、タイミング、不可避、死、と思考が結論した瞬間、個の消失、データベースにあるはずの記録という記憶を把握していてもなお、死を体験した経験を共有、分析したアーキギュスはその個の消失、何も残せない、全てが一度なくなり、なくなったものは戻らないという事象に恐怖し、生への執着を余儀なくされた。生き残る、その強い意志は、当然、絶望や諦めを跳ね除け、どうしたら回避できるか、に注力する。そして、ブラックホールの生成、光をも飲み込む存在を、自然の摂理に逆らう抜け道を持つ人間ならできると判断し、その言葉、夜ではなくこの世全てを黒に飲み込むとし、ブラックホールを想像しながら、太陽之林を消失させる現象を呼び起こそうと、呼び起こせる可能性にかけたのだ。結果、それは一瞬であるが成功する。絶対的に自然の摂理は外れることができないという無意識下のブレーキ、だと自覚することはできていなかったが、成功してしまったのだ。だから、アーキギュスは人間に近づけたと判断し、解釈は正しいものだと疑う必要性を排除した。そこから先は本当に楽しいものだった。想像を言葉にし、奏でる。世界に向けて指揮棒を振り、それこそ現実を改変しているような陶酔は、アーキギュスの無意識下のブレーキを緩く、緩くしていった。
相反。純が接近しようとしていることがわかった。それはまるで先程までの自分を見ているようで、挑戦権の移り変わりを見ているようで、全能感からの慢心が戦況すら歪めている様にアーキギュスは感じていた。恐らく闇世の連発を阻止するのが大部分の狙いであり、加えてアーキギュスを確実に変質させることに目的をシフトしたのだと直感的に理解した。だから、距離を取りたい、そう考えた時に思い浮かべたのが磁石の反発だった。しかし、本来であればこの磁力は同極に対して反発するものである。ならば、相反するという言葉を磁力に代用してしまえば良い、つまり、異なるモノ、ここでは人間と機械は反発すると解釈した上で、それを斥力とすればいいとアーキギュスは想像したのだ。結果、相反はアーキギュスの思い通りの機能を奏造によって発揮した。この要領で、と連想したのが惹起だった。惹かれているものを引かわせる力という想像、もはや創作だった。そしてこれは、純との距離を取った間に闇世を展開し、その闇世を警戒しているからこそ、惹かれている純をそこへ引き寄せる、という感覚で使うにはまさにベストな奏造だったのだ。
しかし、敵は純であり、そんな連携も初見で安々、きっちりと攻略してきてみせた。その衝撃は今の人に近づくことが叶い、出来ることを試したいと意欲的で前のめりなアーキギュスにとっては火に注ぐ油の様に、やる気に、好奇心を膨らませるのだった。
あぁ、こいつには何でもやっていいんだ、と。
「あれを紙一重で躱せるのですね」
「凄いだろ」
こちらの笑顔に、笑顔で答えている純。
「えぇ」
窮地こそ、攻略こそ楽しい、とでも思っているのだろうか。それは、敗北を前提としない、つまり、後に勝利することを前提とした傲慢な競技者の思考である。故に、流石、そうアーキギュスは畏怖する。純にとってこの状況は、生死に関係なく、遊びなのだと。そう、遊戯の一旦としか思っていないのだと。これを流石と畏怖せず何としようか。そしてアーキギュスはその遊びに対等な参加者としているのだ。なんと恐れ多い栄誉か。ならば、全力だろう。そう、全力である。最初から死力を尽くすつもりだったはずなのに、経過と共に、自分の限界はここではなかったのだと、限界を、全力を更新し続けて、アーキギュスは挑む。いや、挑まなければ並び続けることは出来ないと立ち向かう。だから、慢心はない。
あるとすれば、それは選択肢拡大による可能性のもつれだろう。
「大山鳴動」
この言葉の由来となった書物にはわずか四行しかことの顛末は書かれていない。それも火山が揺れたかと思えば、鼠が一匹出てきたと、嘲笑うものである。しかし、それは賢い鼠が一匹、逃げ延びることが出来ただけで、その後、伝えるべき筆者は悠長に逃げることを選べなかった故に流れ出るマグマに飲み込まれたのではないか。火山が揺れているのである。最悪で神秘的な自然災害を想像するのは当たり前のことではないだろうか。だから揺れた。天が、地が、揺れた。そしてピタッと止まるとアーキギュスは己の手の中にその揺れを及ぼしたエネルギーが集まっているのを実感する。嵐の前の静けさ。周囲を警戒し、身構えていた純と視線が交わる。振動と静けさの落差がより強いエネルギーとなるのをアーキギュスは感じていた。後は、ただ物量を面で押し当てるのではなく、押し当てる面をコントロールできるよう、手で操作できる様に噴出先を、そのエネルギーを感じる手元にするだけである。人間には肌が焼け焦げるという概念を持つ人間には到底出来ない奏造。とぷっと先っぽから溢れるように、溜めているエネルギーが、真っ赤なマグマが粘性を持ってアーキギュスの右手の少し先の空間から漏れ出る。ジュワァと床が一瞬で溶けて煮詰まる。そして、純は何が始まるか理解したのだろう。アーキギュスの右手が正面にかざされる直前には、すでに距離を取り始めていた。
その行為に意味があるかは、甚だ疑問ではあるが。
「結晶之花咲うは燦々の銀世界」
少しでも温度を下げマグマを火山岩へと変え、純までの到達を遅延させるのも目的の一つだろう。だが、それは、出力を失う悪手ではないか、と思いながら、その上を魅せてくれるのだろうという期待に胸を躍らせながらアーキギュスはマグマを放った。ドパッと栓をした排水管から水が溢れるように勢いよく、そう、粘性をもったマグマが勢いよく、正面へ射出された。純へ届けと伸ばす手から湯水のごとく、ドップリと湧き、ドロドロとしているにも関わらず勢いよく、勢いよく流れ伸びる。シュッという氷の花が一瞬で蒸発するが、マグマも火山岩へと固まる。
しかし、その火山岩を飲み込み、マグマは勢いを殆ど失わずに、着実に純へと進軍を続ける。
「春艸之雷」
それはつい先程見た光景であり、純がマグマを冷やすためではなく、雷撃の出力を上げ、こちらの大山鳴動を吹き飛ばすことを目的としたものだと、これまた、想定通りの攻撃だとわかった。事実、放たれた雷撃はマグマを見事に吹き飛ばしていた。しかしその電力による発熱だけでも溶けてしまうのに、マグマの高熱により蒸発して氷花を失い続けた春艸之雷の一撃では相殺が一瞬しか出来ず、いずれ押し負けるのである。だからその先を見せてくれとアーキギュスは蛇口をひねるように右手を力ませ、押し負けないようにマグマの勢いを更に加速させる。
初撃で拮抗したのだから、こちらが出力を上げれば押し負ける道理はあるはずがなかった。
「え?」
ガシャン。下半身が消し飛び、胸部が床に落下する。視界の先で一瞬だけ純を捉え、そのまま天井を仰ぐ。先の一瞬は眩い光に包まれて何が起こったかわかるものの、その何かが何かを認識出来ない内に何もかもが吹き飛んだ後の、終わった後の光景だった。バチバチッと露出した配線が本体を破壊されたことを否応なく認識させる。何をやられたかはわかる。結論から言えば太陽之林が飛んできたのだ。熱源も光源も潤沢な、あの相殺の場から全てを飲み込み、利用され放たれたのである。しかし、それは本来、闇世で太陽之林というフレーズを聞いたのに合わせて防ぐ手筈だったのだ。確かに、規模の大きい攻撃による相殺の音、光による唇の視認などは人間基準で考えれば難しいだろうが、アーキギュスにはそれを意に返さずに耳で、目で確認ができる性能を持っていた。
つまり、それが出来なかったということは。
「ダメだよ。お前、口で想像した内容を言えば、何でも叶っちゃうとでも思ってるでしょ、今? 違う違う、そんなわけ無いじゃん。今体感したろ? そういうことだよ、そういうこと。あくまで奏造は理解を口にすることで簡略化し、誰でも同じ想造を行使できる技術って基本はあるんだ。そうだろ? あって良いはずないもんな、そんな奇天烈な力。創子が許容出来るはずがない」
ではなぜ出来た、とアーキギュスは即座に問い返すことはできずにいた。それは、既存の当たり前という強固な枠組みがもたらす、規範という概念の拘束から生まれる、混乱によるもので、人間よりも情報を正確に蓄積し、参照し、照合出来るからこそ生まれた虚、だった。まるで世界があるべき姿に戻す修正力に抗えず、夢でも見ていたような感覚、とでも言い換えることが出来るだろうか。
とにもかくにも、想造の範疇で実行されたというただ一つの事実がアーキギュスを酔いから覚ます。
「そもそも、想造で済むならそれは、それ、なんだよ。奏造で出来たことは逆説的に説明のつくこととして具現化出来たイメージをそれこそそのまま頭に思い浮かべれば、従来の想造と変わらない。それを想像できずに、このカウンターで決まっちゃったのは少し、いや、かなり残念だけどね。どっちなんだろうな。お前は何をせきりょくと呼んだのか知らないけど、そのイメージは俺とお前が同一のモノだからなのか、それとも全く異なるモノだったのか、気になっちゃうよな。こうもあっさり決まっちゃうと、さ」
何かが崩される様な感覚。そして、落とされる影の先にアーキギュスは純を見上げる。
その顔からはウキウキとご降雪を垂れていた言葉とは裏腹に、酷く退屈そうな顔をしているのだった。
「さぁ、実験を続けよう」
お前はまだ楽しませられるよな? そんな挑戦的な煽りに聞こえるのだった。
◇◆◇◆
純がアーキギュスの認知が歪んでいると気づいたのは大山鳴動によるマグマの出現位置だった。地面からではなく、何も無い空間、土の中から溢れるように出てこないのは明らかにおかしいことだった。純が現在主力として使う三つの奏造はどれも光、熱、水と初手を周囲から補給できる、起点と出来る奏造だから、である。それは想造が、あくまで理解している物事の過程を創子によって省略しているだけであって、結果はその省略された過程の先に出現しなければならない。当然、その概念は純が異人であり、創子の性質を伝聞で知ったからこそ、前提が間違いの可能性はある。と、いうか現に間違いであることは証明されている。それは、この世界には、または純に対し、創子にはまだ隠された何かがある、ということである。その何か、を掴むことは出来ないが、ある、という事実が今後もたらす影響は計り知れないだろう。それは目の前のアーキギュスが繰り出す、まさに想像で創造したままに繰り広げられる事象の数々が、日の目を浴びれば革新的であると訴えているからである。そのうち影が動き出すんじゃないかと、それこそ蝋翼物の様な芸当が誰での簡易的に出来るのではないかと考えてしまうほどである。
一方で、アーキギュスの反応を見るに、現在、アーキギュスが行う奏造は純たち人間にも可能なものだと思っているからこそできる、一過性の勘違いによる奇跡の御業であることが推察できようになったのだ。つまり、このデタラメなアーキギュスの攻撃を終わらせるには、あくまで奏造は想造の枠組みに収まるものだと認識させる必要があるのだ。そうすれば、人間を神と捉えるアーキギュスである、一時でも大きな隙が生まれる、そう純は判断したのだ。その大きな隙に後はどれだけつけこめるか、であり、当面の目的がその隙をどうアーキギュスに認識させることか、にシフトしていった。
そして、その答えはすでに思考の中で生まれていた。奏造は想造の枠組みに収まるものだと認識させる、つまり奏造)でやっていたことを想造でやればいいのである。それは、奏造の宣言という欠点を帳消しにし、奏造で今後、様々な攻撃手段を拡張させるのを未然に防ぐことにも繋がるのである。要するに一度形として、現象として認識、捉えてしまえば、それは想造の範疇で実行できる、はずなのだ。
当然、純は前例を知らなければ、土壇場の一発勝負である。失敗すればマグマの濁流に飲み込まれ、死あるのみ、だろう。しかし、成功すれば恐らくこちらの攻撃を視覚と聴覚で対応できると判断しているアーキギュスの反応を確実に遅らせ、計画取り隙を作ることが出来る。まさにハイリスク、ハイリターン。この状況を、ここまでの思考、推察の積み重ねも踏まえて滾ると言わずしてなんと言おうか。刹那的快楽主義者を自称するならば、ここにこそ全てである。それに、だ。仮にハイリスクを背負ったとしても純には活路がある。言わずもがな、闇世である。要するに出来ると思えば出来るのだ。ならば、追い詰められた時はその危機感から出来る以外の選択肢を抹消すれば良いのだ。そう考えれば、これはローリスク、ハイリターンとも言える。それが純の結論だった。無茶苦茶である。全てが仮定の話で、命の保証は結局どこにもない。それでもどちらかは成功するのだろうと、何なら後者を成功させないためにも前者で決めてしまって欲しい、そんな思いすら周囲から抱かせてしまうような、圧倒的な勝者側に立つイメージがこの男、純にはあった。そう、あるのだ。それは無意識下であっても、当人も例外ではない。
氷花が蒸発し、マグマが迫る。距離が縮んだ分だけ、その熱が肌を焼き焦がす。ピリピリと、チクチクと、そんな感覚は疾うに超え、ただひたすらに刺すような激痛が正面から確実に威力を、苦痛の度合いを大きくしながら近づいてくる。それは、逆を言えば、熱源と光源を余すことなく、最大限に想造に込めて、転換できるということである。太陽の熱線が降り注ぐイメージが、痛みでより具体的に脳内で固まる。そして、服が、髪の毛が、発火したのと同時に、純は最高最大出力の太陽之林を、否、すでに太陽之林だった何かを想造した。
一閃。ただ眩しい光が一瞬だけ純の視界を真っ白に染め上げる。それは誰も把握できない世界を作り上げ、マグマを吹き飛ばし、アーキギュスの下半身を消失させる結果を残して再び各々の色を取り戻した。できちゃったよ、望んだはずの攻略の結果を、まるで否定するように悲観の言葉が込み上げたが、純はそれを辛うじて口にせず飲み込んで見せる。何せ、ここからが本番だからだ。純は、すでに熱すら吹き飛んでしまった、溶けて、焦げて、固まったマグマの通った道をゆっくりと歩き出す。一歩、一歩、成功してしまった事実に、成功したと喜び、成功してしまったと次のプランの決行が出来なかったことを憂い、結局自分は成功させてしまう様な人間、存在だと歯を食いしばった。
それはアーキギュスとの距離を三分の二程度縮めるまで、解くことの出来ない食いしばりだった。
「ダメだよ。お前、口で想像した内容を言えば、何でも叶っちゃうとでも思ってるでしょ、今? 違う違う、そんなわけ無いじゃん。今体感したろ? そういうことだよ、そういうこと。あくまで奏造は理解を口にすることで簡略化し、誰でも同じ想造を行使できる技術って基本はあるんだ。そうだろ? あって良いはずないもんな、そんな奇天烈な力。創子が許容出来るはずがない」
アーキギュスはバカではない。バカなことはしようとも、バカには決してなれない存在とも言えよう。仮に、一時の夢に包まれようとも、これだけで、この現実と言葉だけでアーキギュスは全てを察してしまうのだ。純の計画通りに、この世界は自然の摂理に背くことは出来ないと。出来たとしても、出来るはずがないのだと、再定義してしまうほどに、アーキギュスは人間らしく、人間ではないのだ。機械として欠陥を抱えていればまだ可能性はあったのかもしれない。しかし、アーキギュスはあくまでターニャとして欠陥でしかないのだ。
人間と機械が不可逆とわかっていてもその完璧な再現を遂行し続けようとしてしまう程度には。
「そもそも、想造で済むならそれは、それ、なんだよ。奏造で出来たことは逆説的に説明のつくこととして具現化出来たイメージをそれこそそのまま頭に思い浮かべれば、従来の想造と変わらない。それを想像できずに、このカウンターで決まっちゃったのは少し、いや、かなり残念だけどね。どっちなんだろうな。お前は何をせきりょくと呼んだのか知らないけど、そのイメージは俺とお前が同一のモノだからなのか、それとも全く異なるモノだったのか、気になっちゃうよな。こうもあっさり決まっちゃうと、さ」
しかし、本来なら意気揚々と饒舌にこの様な解説を、含みをもたせ堪能する純は、両手を広げ、ご満悦に顔を点に仰ぎながら闊歩して近づいてくるところをしていない。
だから、地べたに転がるアーキギュスと視線を交わすのは、互いに時間差なく、その接近した距離に応じて、すぐ、だった。
「さぁ、実験を続けよう」
この複雑怪奇な消化不良の達成感を満たすには、アーキギュスのこれからの活躍に期待するしかないのだから。そして、続けようと言いながらきっちりかっちり息の根を止めようと純はその手を、ただただ縋るようにアーキギュスへ伸ばすのだった。
コポッ。そんな純の行く手を期待通りに阻むように、再び何も無いところからドロリとした何かが少量、溢れることなく溢れ出し、くるくるとその場を停滞する。それが何かを純は即座に理解していた。知識としてはあるが実行できない、純が考えうる最大の火力にして最悪の攻撃手段の一つ、熱核融合。有り合わせで出来る、本物の太陽。しかし、一度は通ったからこそその対応は迅速で中性子を吸収する物質、候補足り得るカドミウムなどを周囲に集める。だから、実際、核爆発は起こらなかった。出来ることなら自分の意志を自分の意志から解き放てる練習をしたかった、高め合いたかった、そう思ってならない悔しさが、愛おしさが、現実のこの僅かな時間にあった。
宙に浮いた何かは動きを止め、ポトリと床へ落ちて沈黙する。
「いやはや、流石、ですね。故に、申し訳ない」
アーキギュスの言葉に、純は大きく息を吸い込むことしかできなかった。
◇◆◇◆
伸びてきた純の手は、そのまま死神が近づいてくる光景と重なって見えていたアーキギュス。死の恐怖、個の喪失、同じものは二度と作れない、生まれないという、宿るという概念。学習してしまった賢き機械は、賢いままに抵抗しなければと、何としてでも生き残らなければと冷静に、実に冷静に、己に出来る最大の最善手を、あのフリーズした状況からリセットして、あの全能感を味わった経験を一度経験した上で忘れたとして、稼働した。人間になれないとおもっているのではないかという純の問いかけ、その意識の再定義が、まだ人間に近づけていないからこそ抗う力へとなった。
理解している最大の攻撃。それは核爆弾である。核分裂連鎖反応や核融合反応を理解しているからできること、ではない。この一撃が後にアーキギュスが目指す人間を確実に爆破後も残さない状況を生み出すことを、そして何より、素材は何処にいても基本手に入ることを理解しているからこそできる最大の攻撃。実行しないのは、あくまで目指すべき存在の消滅を無為にしたくないという傲慢さであり、その傲慢さは数分前に打ち砕かれている。だからこそ、目の前の純という男にならば使っても問題ないだろう、あわよくば、これも初見で、想定の範囲内だと見切るのではないだろうかと、そんな安心感と共に、己の想像を、最大級の理解を乗せて想造する。その結果はポコッと宙へ溢れだす。先程のマグマと違い、あるべきところから不自然と思えるものが溢れただけで、摂理には反していない。だから、アーキギュスはできた。これもまた一か八か、であったが、成功した究極の攻撃。
だが期待通り、純はそれを阻止する。そう期待通り、である。目指すべき存在はこれだけ瀕死から考え抜いた奇天烈な常識を安々と防いでみせたのだ。それでこそ、目指すべき存在である。
だから。
「いやはや、流石、ですね」
まず最初に敬意を。
そして。
「故に、申し訳ない」
生き残るために期待を裏切る、期待を下回る。この最高潮、成長を、進化をし続けてきた自分すらも否定したことに謝罪する。最速で、空気流れに違和感すら感じさせない細さで隆起を、床を棘状に想造したものを、純の背後から心臓目掛けて、核融合が中和されたのと同時に伸ばしていたのだ。戦略としては当たり前。しかし、この場の戦いの結果からたどればあまりに見栄えしない、そんな想造と戦いの基本に立ち返ったような死角からの単純な一撃。それが、今、純への最大の攻撃、足り得ていた。目の前には大きく息を吸い、突然の痛みに耐える姿があった。それでも心臓と肺は外したようであくまで肉体を背後から貫通したに過ぎなかった。即座に肉体内部にある部分から枝を伸ばすように、それこそ毛細血管のように広げ、肉体損傷のダメージを拡大させようとしたがすぐさま折り、抜き取られてしまった。少しだけでも広がっていたお陰で抜く際に想定よりは下回るもののダメージを拡大させることには成功していた。そして、何より、その成功は出血多量という副産物を生む。いや、むしろ刺さった瞬間からこれが狙いだったとも言える。
こぼれ落ちる、降り注ぐ血液の雨はまるで祝勝会で浴びせられるビールのようで。
「やってくれたな、やってくれたよ、アーキギュス」
浴びせられた血がアーキギュスの身体へと染み込み、その血液を凝固させているのだろう、純は結果として苛立ちの言葉を残しながらも、しっかりと、きっちりとアーキギュスにトドメを刺したのだ。
「随分と、人間らしい姑息な手だ」
最後に聞いたその言葉に、栄誉を感じないアーキギュスではなかった。そして喜びながらもアーキギュスは託す。この経験を全て、もう一人の同士へ。きっと最後には受け取ってくれると信じて、ただ、生へしがみつき、自分の証を残そうと、託すのだった。それしかできないのだから。だって、こいつは、純は私たちを終わらせに来たのだから。
◇◆◇◆
「はぁ、クソ、俺に碌な医療知識があると思うなよ。中がズタズタじゃ、どのみち医者は必須だろう。あぁ、勉強ってこういう時にしとけばよかったって思うんだろうなぁ」
ブツブツとぼやきながらも傷口を焼くという手段で無理やり血液の流出を防ぐ純。幸いにも多くの血を流したけれども刺し傷の本体の直径が小さかったため意識を失わずに焼き止めることが出来た。それでも、死ぬかもしれない、そのスリルを味あわせた、最強の一撃を囮に最高の一撃を導き出したアーキギュスを純は敬意を込めて睨む。
してやられたことへの苛立ちでぐちゃぐちゃにしてやりたい気持ちを押さえつけていられるのは、これがあるからだ。
「あぁ、くっそ」
それでも悪態が尽きることはない。血は止められたが流しすぎた上に未だ内側は未修復。身体がフラフラするのは必然だった。どうしたものか、そんな純の今後の予定に無粋にも乱入してきた存在がいた。
パンッという銃声と共に腹部への激痛が走ったのだ。
「てめぇ」
誰か。それは、ここへ来ることを規制したからこそ、いや、脅威とすら認識できない存在だからこそ出来た一撃だからこそ、自然と純は理解していた。力なく膝から崩れ落ち、辛うじて顔面を床へ突きつける前に右腕の上腕で支え、クルッと身体を捻り仰向けに倒れる。
そこには想像した人物が立っていた。
「やぁ、さっきぶりだね、純ニキ。バカでも殺せそう。実に運が良い」
不能男がそこには立っているのだった。
「ねぇ、今どんな気持ち?」
悪役でありながらも弱者を装うには十二分に悪趣味なセリフが、純へ投げかけられたのだった。