第百五十筆:冠履顛変
「どんだけいるのよ」
ヘンリーたちが見た施設の内部の感想の第一声をヘンリーが代弁した。人間が収容されている施設と聞いていたのでそれなりの規模のものは覚悟していた。それにしても、だった。地下という空間を拡張する概念がある上で、地上の積載量に耐えうる強度を何かしらで補填できている故の暴挙。
実際後で調べてわかったことだが、この真っ白でだだっ広い空間に五十一万三千七百二人、その規模は政令指定都市に匹敵する人間を収容していたことを意味する。
「クソが」
一方のフィリップは収容されている人間のリストを見て、自分が知らず知らずの内に片棒を担がされていた事実をついに知ってしまう。リストの中には無期懲役や死刑判決を下された人間がおり、その中には自身が検挙した犯罪者もいたのだ。警察官も部署が違えば、逮捕して、それで終わり、ということはよくある話である。その後の判決は知っていようとも、その後の余生を好き好んで追いかける警察官は稀有である。そして、フィリップはそんな稀有な存在ではなく、犯罪者を捕まえるだけ、の人間故にこの仕組みに気づくことは決してなかった。反アンドロイドを訴えてきていたのに、素材を提供していたのである。間違ったことはしていないのに、とんだお笑い草になるのは、憤りを感じざるを得ない。事実、ふざけるなと取り締まった後の罪人を再利用するという穴を突かれたカラクリにふつふつとしたものが込み上げている。
しかし、罪人を捕まえてそれっきりにしていたツケだとも言える、後始末の不始末が原因だと訴えられるようなそのカラクリに、フィリップの正しいことをしようとする心が耐えられず、憤りに蓋をしてしまうのだ。
「クソがぁ」
その言葉はこの現状、それとも自身に向けた激情か。ただ、やり場がないのだろうというのは下唇から滲む血を見れば誰でもわかることだった。そんなフィリップを尻目にヘンリーは、当事者でない故に、こう評価する。よく出来たシステムだ、と。それは戦場で獲得した捕虜や自国の犯罪者を再利用している点にではない。なぜなら、ここにいる過半数がそのどれにも当てはまらない人間だからだ。そう、評価出来る点は、その該当しない人間を再利用している点である。
そもそもここにいる人間は実験動物であると同時に、この国のために仕事を全うしている人間である。そう、勘違いしてはいけないのは人体実験はあくまで、行動や感情を統計として集めるものであり、明確に悪意、狂気を感じる実績は、ここでの記録を攫っても、たった今行われている機械、ターチネイト破損と死を同期させたことぐらいであるのだ。当然、今までと違う職務であり、騙し討にも等しく、人間からしてみれば非道極まりない一件で、明確に悪として処せいる内容がこの一件だから情状酌量の余地がある、という話ではない。ただ、それでもこれに目を瞑れば人間を大人しく、均等な品質として再利用するこのシステムは機能していたのである。
成功、ではなくここでは敢えて機能できた、と表現するとして、その理由はいくつかある。一つは死者が出ていないこと、である。そう、今の今まで故意に殺害した、死亡を黙認した死者は出ていないのだ。つまり、隔離されていようと安否が確認できる状況であれば、安否を確認する側からすれば問題がないのである。何せ、モニターとしてターチネイトを操作し、または搭乗した上でターチネイトの行動に対して感じたことをリアルタイムでモニタリングしているだけの簡単な仕事で収入となり、食事は出るし、自由時間は部屋から出なければ何でもできるのだ。
そう、二つ目はこれが仕事なのである。この施設での目的は人間の感情の機微を観察すること。そのため操作しなくても、搭乗し、ターチネイトの行動に対して何かを思うだけでも、それが記録されれば十二分に仕事に貢献したことになるのである。つまり、人間であれば誰でも出来ることなのだ。
そして、安否さえ確認でき、人間であれば出来る仕事を与えれば良い、この実験施設に囚われている過半数を超える人間というのは、必然的に高齢者や重い病気を持つ人間、はたまたそれを有に超えるバカ、である。出来ないこととすり替えて継続的な努力をせずに何もしない自分を棚に上げ、何もしないから誰からも無視されていることに気づかず世間を、極めつけは親に責任を転嫁し、生活の支援を脅迫するバカ。信念がないから流されやすく、石を投げられるという理由で承認欲求を満たすためだけにその濁流が濁っていることを知る余地すら当然なく、用意された猛毒の優しさを正論だとすがりながら流され、抜け出す頭もなくただ飲み込まれるバカ。嘘を嘘で塗り固めて、匿名性と表現の自由を乱用し、主張の一貫性が損なわれていることにも気づかず、取り決めすら破綻させ、被害者ヅラだけは欠かさないバカ。明らかに他者を傷つけ、周囲に迷惑をかけているにも関わらず、それが理解できずに自分の主張を通すことだけに集中し、誰にも目を配ることが出来ない、迷惑をかけるだけかけるバカ。学の話ではなく、ましてや善悪の話でもなく、何者にもなれないことを盾にするようでその実は焦りすら覚えていない、有象無象とでも言うべき、必ずいる忌避の対象たるバカ。彼らを有効に活用できれば、親族からも文句が出ることはない。加えて当人からも文句は出ない。給料は出て、ネット環境は存在する。さらにすべての責任はターチネイトに押し付けることができる環境。何せ、搭乗しているだけでいいのだから。自尊心を傷つけずに助長させる永久機関で飼い慣らす。出来ないことはターチネイトの責任に、全うした行動は自身の功績に。家畜に与えるストレスを最小限に抑えているといえるだろう。感情を調べている側からすればそれは、合理性のノイズを、そう真髄を転用できていると言っても過言ではないのかもしれない。
三つ目に、機械化というこの施設から解放される手段も用意されていることである。まるでここから出れないことを当然の様に享受された空間であり、それが伝播し、出ることが出来ないが連鎖していることで不満をさらに無気力という心象で補っているわけだが、そんな中でも前向きな存在はいる。より言うならば、働き者の無能、ここから出たところで居場所のない人間、である。そんな彼らに機械化という選択肢で管理し、居場所を作ることが出来る状態において伏兵とする。そんな状況を、施設から出て報われたと、働き者の無能に囁き、不満のはけ口にし、誘導する。
だから。
「ここに残されてる人間は、しっかりと調教されたまたは生活に満足した罪人、捕虜か、今は死んでるか、そもそも自分の世界から出る必要がないと勘違いしている人の形をした、ただの人間だけが残ってるから、俺達が迎えに来なきゃいけないってことだったのか」
人心掌握。孤児から育てるという、新人類の特性もあるが、手段で信頼を、恩義という関係で結ばせた経験を持つヘンリーからすれば、これはこれで面白いと、思わざるを得なかったのである。恐らく、この場にいる誰もが、フィリップでさえ後にこの環境を悪だとわかっていても活用できないだろうかと、上に立とうとするものならば参考にしようとするだろう思うのだった。それほどまでにこの施設は人間の再利用という面で完成していたのだ。しかし、ヘンリーを始め、異人の一部はふと思い返すのだ。人間は養ってもらえる環境さえあれば、どうとでも扱えるのだと。その最たる例としてラクランズが存在していたことを。
至極わかりやすい結論、それでいて実行するにはなぜか人間性を問われる楽園という名の牧場作り。
「ハッ」
どん詰まりの皮肉が思わず出てしまうヘンリー。そして、ヘンリーはさらにこの施設で最後に行われた、唯一の汚点であり、この騒動の発端を端末から情報を読み取り、理解する。アーキギュスからすればこれを大規模で行うために、このシステムに問題がないことを提供し続けていたわけだから、人の死を機械に理解させたという成果は大きな、それこそ歴史に名を残せる偉業だったのだろう。その結果として機械が未然の自衛のために人間に牙を向けた。自分と他人は違うものだと理解し、決して寄り添えても同一のものでないと理解し、ならば戦争をしようと、己を守るために立ち上がった姿がこの光景なのだ。それは人間と何一つ変わらない。否定できる箇所だらけであるが故に、人間らしいとも言える。つまり、どちらにも処分する大義名分という自己中心的な主張が成立したのだ。後はどちらかが終わらせる、とてもわかりやすく、たどり着いた結論としてはあまりに美しく汚れたものだった。
ゴゴゴゴゴと地響きがする。定期的に衝突音と共に響くそれは、割と近くから聞こえてくる。確認したいと思わないわけではないが、それは事前に禁止されている。なぜなら聞こえるのはこの施設の先から、だからだ。もっとも、好き好んで火の中に飛び込むつもりもないのだから、禁止されている方がむしろ加勢する必要がなくありがたいというものである。願わくば、ここにいる人間を避難させるまで飛び火が来ないことを祈るだけだった。そして、戦局を大きく左右するであろうどちらかの勝利。奇しくも人類側として純を応援せざるをえないのは釈然としないなと思いつつ、そう、思いつつ安心できる感覚にヘンリーは苛立ちを、拳を強く握って払拭しようとする。
だから、余計な雑念に囚われていたとか、迅速な避難に注力していたから気づかなかったわけではない、と言いたい。ではなぜ気づかなかったのかと言われれば、火災現場で虫を見つけても助けようとする余裕があるか、という話である。それが視界に映ったところで虫だ、と意識する間もないだろう。そういうことである、と。
◇◆◇◆
「結晶之花咲うは燦々の銀世界」
パキッとそこら中の空気から氷面に亀裂が入るような音が響き出す。
それと同時に音の変化の正しさを証明するように、周囲の温度は氷点下に達し、床一面を氷の花が一瞬で埋め尽くした。
「なるほど、単語だけでは足りない想像力の補填を一節の様に補い詠唱に昇華することで、その出力を広範囲に、それでいて威力を減衰させない工夫をしたわけですか。単語でいいというメリットを殺してまでするには値しますね」
一瞬、というのは比喩でもなく一秒という範疇で氷花が床から射出するように形成されたことを意味する。それは氷の鋭利な部分がアーキギュスを貫こうとした、という意味でもあった。
しかし、結論から言えば、その攻撃はアーキギュスの鋼の身体を貫通するには至らなかった。
「しかし、奇襲を成立させるように繰り出されたこの一撃。声に、奏造にして開示してしまうのは握手、ではありませんか? それとも新たな発見を誇示したくなりましたか、幾瀧」
相変わらず高いテンションが周囲の氷花を意にも介さず、バキッと折りながら突き進んで接近を図ろうとする。
「春艸之雷」
バチバチッ。決して、新たに仕入れた知識が、同音異義語の存在が、アーキギュスの反応を鈍らせたわけではない。電気が帯電する音があちこちから響く。そうあちこちから。なぜ。その疑問の答えは氷花が、蕾から花開いた状態の氷がすでにそこかしこにあること、である。蕾から開花させる事で氷の摩擦を引き起こす作業を、すでに開花させた大量の氷の花々をこすり合わせることで、静電気の発生を、過程を省略したと同時に、複数の放電を射出する砲台を最初から用意していたのである。言葉に紐づけたことによる拡張性、である。その片鱗を、純の隠し玉である連鎖による雷撃の一斉放出、それをバラバラではなくその一斉放出をその身に受けることを、アーキギュスは選んだ。そう、敢えて選んだのである。これは別に諦めから来た選択でも、新しい技をその身で味わおうなどという気の迷いではない。避雷針、が存在するように雷は、電気は通電する以上、流すことが出来るのである。つまり、ダメージを抑えたい部分を絶縁体でカバーした状態で両脚を、身体の一部を地面に設置させていれば、直撃をほぼ無傷で済ますことが出来るのである。だから、アーキギュスは躊躇わず純に向かって前進を続けた。電撃流れる身体で抱きしめなんてすれば、生身の純に何かしらの外傷を与えることは可能だし、出来なくとも、接近したことによるメリットは、技を捉えさせないという、捉えても回避できない間合いまで詰めておく、という意味でもアーキギュスにとっては必要なことだった。ただの想造や奏造から体術、武術においてきっと何一つ勝ることはないだろう、アーキギュスは先の模擬戦で体感し終えているのだから。それでも対策は講じられる。意表もつければ、人間の身体的構造ではなし得ないことも機械の身体であればできることも大いにある。勝る部分が少なかろうが、勝負に勝てない道理は存在しない。それがわかっているからこそアーキギュスは距離を詰めるのだ。そう、詰める。純もそれがわかっているからだろう、アーキギュスから距離を取るように先んじて後退しているのがわかった。だからその距離を埋めるために足を一歩、一歩、前に進める。
カタッ、カタッ、パキッ、カタッ、パキキッ、ピチャッ。バチバチと静電気を蓄積する音に紛れてする自身の足音を聞いて、アーキギュスは純の狙いにようやく気づく。そもそもおかしかったのだ。何が。それはこれだけ、春艸之雷を唱えられてからアーキギュスが接近しようと動けたことが、である。模擬戦では開花から放出まで数秒となかった。しかし、今は明らかに時間がかかっている。威力を上げるための充填とも考えることが出来るが、それではこちら側に雷を避ける猶予を無闇に与えることになる。では、なぜ倍近い時間をかけた上で、そう、おかしいとアーキギュスが思い始めた今、雷が放出されたのか。答えは蓄電により発生した電気で熱を放出し、射出台となる氷花を溶かしていたのである。それが先程の水を踏みしめる音だった。それは同時に、純が電撃への対策を講じることを予見していたことを意味し、その解答が、感電だったということである。ならばやるべきことは決まっている。周囲の水を蒸発させるか、吹き飛ばすか、である。そして、冷え切った室内を考慮し、アーキギュスは空気に直接、流れを起こすことを選択した。この間、一秒にも満たない選択を実行まで移せるのは限りなく機械に許された処理速度と言えよう。
故に、電撃が直撃するまでにアーキギュスは周囲の水を一時的に触れさせない領域まで押し留め、電撃が直撃しているにも関わらず、ほぼ無傷という状態を、純の対策に、しっかり対策で返すことに成功する。
「いや~、危ないですねぇ。と、言いますか。技の時間管理も意のままですか。これは凄い。想像とは実に枠にハマらず、されど枠にハメられた素晴らしい、人間の娯楽、ですね」
その高揚感は冷めることを知らない。
だから、アーキギュスはさらなる闘争心で、その高揚感を埋めようと氷花を砕きながら歩みを進めようとする。
「結晶之花」
「通じなかった技で次は何を見せていただけるのですか」
「落とすはその御影なり」
詠唱される一節が違うことに気づいたのと、アーキギュスが砕こうとした氷花が氷ではなく岩石へと置き換わっていたのは同時だった。それは意気揚々と前進するアーキギュスの行為が、自身で自身の身体を砕くことに等しい自傷行為へと変貌し牙を向けた瞬間である。純はマーキスに自慢気に語った時、確かに言っていた。ただ無から有を作り出せないがあるものを瞬時に置き換えることは可能であると。しかし、それは可能かもしれないが瞬時に、という一点で、自然の摂理から、形成するという概念を崩壊させている行為であることに自覚はなかった。なぜならそれは純が、人間が有から有は出来ると直感的に思えてしまう想像力の賜であり、アーキギュスには理解できない超常現象なのだ。しかも、刺さった部分から奏造ではなく想造で岩をアーキギュスの内部へ伸ばし、動きを固定しようとしている。
それは床に滴る水が凍りゆくのと同時進行での拘束だった。
「我らを創り給うた人間よ。やはり、あなたは素晴らしい」
「太陽之林」
高速の熱線がアーキギュスの拘束からの脱出を許さぬように放たれた。
◇◆◇◆
初見殺しのオンパレードだった。創子を用いた技ではまさに全力であり、これで決めきるのが純の予定だった。
だから手の内を隠さない迅速な圧殺だった。
「闇世」
しかし、人間に作られたそれは真似をしようとした上で人間には出来ないことを知らないからこそ、人間に出来ない神業を、純という自称人類最強から学び、勘違いを形にしてしまった。言うなれば、刃物が人体を切断することが可能なものと知らないが故に、刺し殺すぞという脅しが効かない様な状況が最悪の形で実を結んだのである。人間は有から有は出来ると、無から有は生み出せないから置き換えるわけである。しかし、それを目にしたアーキギュスは、自然の摂理を無視した超常現を、言葉による絶対的な想像を宣言することで世界に刻めば実行が出来ると解釈してしまったのだ。だから自身と純の間を歪めるだけの不可解な重力源が発生し、この世の全てを飲み込む闇を、ブラックホールを一時的に再現して見せたのだ。せめてもの救いは、それが長時間存在すれば自身も助からないという認識がアーキギュスにあったこと。そして、この超常現象が超常現象であると理解しているからこそ、アーキギュスの先の認識に関わらず、一瞬しか存在を許さなかったこと、である。しかし、人間が想像できても出来ると思えないものは空想の産物という枠からこちらに顕現することは出来ない。つまり、アーキギュスは今この瞬間、新たな何かを、奏造の派生を生み出したのである。
しかし、猫を噛んだ窮鼠は、必死だっただけで、何より、それは人間にも、純にも可能なことだと信じて疑っていないだけに、求めてくる。
「あぁ、良かった、です。まだこの時間は終わらない。あなた達に近づくために時間は、まだ続けられる。私は、成るために残し続けなければならないのです。功績を、足跡を」
純は思わず笑顔を引きつらせる。一連の行動が悪手だったのか。その答えは悪手だったと提示されている。しかし、初見殺しで全力を出し勝負を決めに行く、この上なく最善手であるはずの一手で確実に敵と認識したアーキギュスを屠ろうとはしたのである。
このことが間違いだったと、誰が判断することができようか。間違いがあったとすれば、それは純が結果として侮っていなかったとしても、アーキギュスの学習を、ターニャの人間の再現を、侮っていた、ということである。
「化物め」
「同族嫌悪ですか? なら嬉しいです。さぁ、これからです、これからですよ」
自分の特異性を、成長という進化を理解した上で、純は恐らく初めて、どうにかならないのではないか、と思いかけた。
「そうだな」
だからこそ、超えてみたいと、焦りとは裏腹に、純も高揚感を高め始めていた。そしてこれが、これこそが花実によって生み出され、彩音によって創られ、■■によって利用されている純の真髄であった。結局、純は挑めるのだ。挑めるラインにいるのだ。だから純は身を低くし、身構え直す。この実験場へ放り込んだ花実に感謝し、この人間以上の何かになろうとするターニャでありターニャの置き土産に感謝し、引きつらせた笑みを挑戦者としての武者震いの笑みへと変質させるのだった。
大きく息を吸って、吐く。
「折れよう。俺は自称人類最強で、その領域は化物足り得ると」
肩の力が抜けるような気がした。
「さぁ、俺はお前の土俵まで降りたぞ。俺を化物にしたんだ。せいぜい、後悔させてやるよ。功績も、足跡も、その記録全部、未練にしてやる」
「それは私が高みにちかづいてるってことですかぁ」
挑戦者、純、大きく吠えた後のアーキギュスのアンサーに答えるように走り出す。その速度は突き進んでいるんだぞとアピールしていたアーキギュスとは異なる、真っ当に速い駆け出しだった。およそ人間が出せるとは思えない移動速度。緩急の落差が見せる見せかけの高速ではない。空気抵抗を始め様々な抵抗、摩擦を想造で緩和した純だからこそだせる純粋な速さ。しかし、アーキギュスはこの動きを当然のように捉える。捉えるが純の攻撃を受けずに交わした。その初手の対応で、純はアーキギュスが純の狙いに気づいていることを察する。一つは当然、先の闇世を連発されないようにするために接近したこと、である。接近すれば巻き込みによる自滅という選択を取らない限り乱用されないと判断しての対策である。先の言動からもアーキギュスは純との戦いに酔って執着していると解釈しているから出来る手段でもある。そしてもう一つ、本命である内部破壊を、である。人体という構成を細胞という生物の集合体でつくられた身体と違い、アーキギュスの身体はどこまでいっても機械とは切っても切れない構成である。それは皮肉にも破壊する、それも壊す破壊以外に変質させる、など人体に対する攻撃よりも幅広く手段を与えてくれる身体をしているのである。純はそこに付け入ろうとした。では、なぜ直接触れてやろうとしたのか。それは漠然とでもアーキギュスを触ることで何で出来ているかを理解する必要があるからだ。鉄だ、という決めつけで安易に決めて、決定打を逃すわけには行かない。そうでなくても、この手を使わなければならない程度に、殺しきれなかったことが厄介になっているのだ。
一度、壊すと決めたならばそれは必殺に昇華してこそ意味があると純は判断しているのだ。
「相反」
アーキギュスが奏造する。すると、純とアーキギュスがまるで磁石の同極同士を突き合わせたようにパンッと距離を取るように突き放される。発音通り、反発したのだろう。そしてこれでアーキギュスが摂理に逆らって奏造を行使できることを決定づけたことにもなる。
しかし、純からすれば、決定づけてしまっただけであって、これが勘違いによる暴走に近いものだとは未だ理解できていない。
「なんだそれ。お前のそれは自然摂理を捨てられるんか」
「あなたのそれと大差ないだろう」
その返答は、純に明確なヒントを与える。
何せ、純にとっては大差がある、からだ。
「惹起、闇世と幾瀧」
考えを与える間も許さないような、死を連想させる奏造の連続。小型のブラックホールに突然、明確な吸引力が加わったように純が吸い込まれるように引き寄せられる。
展開される時間は先のことを考えれば約三秒か、太陽之林と同出力の火力を飲み込ませることによる相殺が必須となる。
「太陽之林」
三秒にかけるよりは、三秒かを見定めるよりかは、と純は相殺を選択する。そして、太陽之林を飲み込むと闇夜は消えていく。ひとまずはこれで応戦ができると純は安堵する。しかし、ひとまず、という応急処置でしかないことには変わりない。
だからこそ突破口はアーキギュスの奏造に対する解釈にある。
「相反」
距離を詰めようとした純は再び吹き飛ばされる。そして、服の上から何かが接触した、そう感じた瞬間に純は身体を反射的に捻った。それは結果として脇腹に切り傷をつけるだけで済まされた。そう、純もやったように忘れてはいけない。想造という基本が、言葉にしなうとも、現象を引き起こす手段はある、ということを。
すなわち、アーキギュスが純が吹き飛ばされる方向に円錐状に鋭利な突起を生やしておいていた、のである。
「あれを紙一重で躱せるのですね」
その言葉は、次は躱せないようにいんりょくを使うと宣言されたようなものであるが、一度、抜け落ちていた現象をやられると、言葉にしただけで実行しないというブラフとしても使えると、純ならば印象付けたからこそ、そう利用してやると考えることが出来る分、頭の中を過ってしまうノイズにまで自分で勝手に昇華してしまうのだった。もちろん、可能性を考えて置けることは問題ない。しかし、現状、純にとって考えるべきはアーキギュスが純との奏造となぜ大差がないと思えているか、であり、他の一考は全て判断を送らせる可能性、つまり負けにつながってしまいかねない両刃の思考となりつつあるのである。
次、先の回避ができるかと言われれば、それこそ怪しいぐらいに、である。
「凄いだろ」
「えぇ」
だからこそ、だからこそ、応戦する挑戦者は楽しいのである。あぁ、次は何をしてくるのだろう、と。それは純がアーキギュスのテンションまで上り詰めていることを意味し、戦いが終盤へ向かっていることを意味しているのだった。