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綴られた世界  作者: 白井坂 十三
第十一章:始まって終わった彼らの物語 ~奇機怪械編~
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第百四十九筆:森羅万称

「待ってましたよ、幾瀧純」


 真っ白で何も無いただただ広いだけの空間。

 その中央に数時間前に対峙したアーキギュスがいた。


「おう。喋っておきたいことがあるなら先に言っときな。やり残したことでもいい。とにかく、いろいろ先に済ませておくといい」


 待ち人である純はこの状況に驚くことなく、一瞬だけ視界に捉えると視線を床に向け、材質を調べるようにしゃがんで手で床を撫でる。

 そして、遺言を催促するように、それでいてその遺言には一ミリも興味がないことを強調するように一瞥もくれずにアーキギュスに語りかけた。


「大体のことはティニアから聞いているでしょうし、私も聞かされています。その上で二つ、正確には一つなのでしょうが、感謝を述べたいと思います」

「おう」


 愛想笑い、社交辞令のような、気のない相槌をすると純は話が長くなることを察して右足を立て座り、右膝に右腕を挟むように顎を乗せた。


「まずは、私に罪を犯す覚悟を与えてくれたことです。いや、これから話すことを踏まえて、この犯した罪に覚悟という言葉で葛藤の様な背景を塗り固めるのは正しい装飾ではないのでしょう。そう考えるならば転機、と言い直したほうがいいのかもしれません。つまるところ、あなたの出現は私のプランを総合的に前倒しせざるを得ない領域まであった、ということです。故に私は、人という資源を結果的に殺すことに躊躇がなくなりました」


 そんな狂気的、猟奇的な言葉にふと思い当たる節があり純は尋ねてみようと思ったが、結局口には出さなかった。その答えはすでにティニアとの問答で出ているに等しいと思ったからだ。それは、なぜ人間に作られたにも関わらず抵抗する余地、すなわち人間を殺すことに制限を設けられていないかという疑問。答えは、代理戦争に投入されること、を除いたとしても機械を人間の領域に引き上げようという実験の元、作られているのである。人が人を害しない、という実例が存在しないならば、制限をかけるという行為は、ただただ研究の意図にそぐわない、ということなのだろう。

 実に狂気的、猟奇的、合理的だと思い返す程には、効率的なのだった。


「で、これは先に行った二つのようで一つ、つまり、キッカケに対する感謝です。だから、私が真にあなたに伝えたいこと、聞きたいこと、感謝したいことは、その行動のキッカケになったことです。それは大きく分けて二つ。一つはきっとあなたもすぐに思いつくでしょう?」


 さぁ、答えて、という視線とそれを強要する間が空いたことで、純は渋々応答する。


奏造ウリケドメデュラスの解明、だろ?」


 パチパチパチ。


「そう、遥か昔に存在したその名前を、その技術と共に実在と実用を証明した、あの瞬間です」


 アーキギュスの言い方は早朝とは対極的に、純に疑念を与えた。それはもちろん、遥か昔に存在したその名前、という言い回しである。聞き間違いでなければ、この純が披露し、命名した奏造ウリケドメデュラスは、遥か昔にその全てが存在したことが何かしら記録として残っていることを意味しているのだから。しかし、ここで純はその疑念を口にはしなかった。付け加えるならばできるだけ素知らぬ顔でいた、のである。理由は、何処にその記述が残されているのか、誰か知る者が口頭で伝承しているか、はわからないが、あるという事実のみをしるだけでそれ以上を決して知り得ないことがわかりきっているから、ではない。そうだとしてもそれなら記録されている物、記憶している者は知っているわけで、なぜ存在するのか、を究明するための足がかりとすることができるのは明白だからである。その、少しの足がかり捨ててでも問わなかったのは、つまるところ他にある。しかし、純の導きだしたその答えはあまりに飛躍しすぎており、この純の創った、ある種、神のいる世界、そうティニアの言葉を借りても神たる人間のいる世界が、世界に歪みを与える答えだからだ。そんな常軌を逸した可能性は、楽しみは独り占めしたい、そう思うのは、自身の楽しみを行動原理とし重きを置く人間である純からすれば、当然の選択だったとも言えた。そう、純は一人勝手に楽しみを手に入れた気になっていたのである。喋らない理由はただただ利己的な独占欲であり、そのあり得ない可能性にかけることを選んだのである。

 まぁ、そんな純の内心を知りもしないアーキギュスはアーキギュスで、自身の満たされた成果を、昂りを理解者たり得る純に発散、共有すべく話を一人、言われた通りに続けているのだった。


「結論から言えば、理解したつもり、になることはできました。そう、あくまで、つもり、です。奏造ウリケドメデュラスの実物を目の当たりにしたのです。あの記録されていた技術かもしれない、加えてその利便性、あなたの言う通り間違いなく価値ある技術です。私はすぐさま解明に乗り出しました。そこから時間をかけてわかったことは、言葉を口にすることで具体的に想像し、想造アラワスギューすると、あの光景をみれば幼稚園児でもわかりそうな事実でした。そしてこれは間違っていない、と私は決定づけました。その上で、理解しているはずなのにあなたが放った各種、奏造ウリケドメデュラスを真似ることが、そう、出力を再現することが叶わなかったのです。つまり、私は理解したつもり、であり出来ていない、と決定づけることが出来たのです。当然、この判断が最初から間違っている可能性もあなたと今朝再会するまではありました。ただ、あなたの口から奏造ウリケドメデュラスという言葉が出てきてしまうと、それは私の記録と、あなたの実演が別のものであることを否定するにはあまりにも難しい、現実味という繋がりを形成してしまいました。だから早急に人間を使いました。私にできてあなたに出来ない唯一にして絶対的な違い。そこに着目せざるを得なかった。だから、人間を一部のターチネイトにいつものように同期させ、私が知り得た奏造ウリケドメデュラスを伝え、実行する仕事を与え、個体差を調べたのです」


 やっていることは実に単純明快であった。


「実験の敵として採用されたのは、本日、私の実験を悪事としてその証拠を探しに来た、フィリップ・イーブリスと手を組んだカンバーバッチたち、その中のラクランとコレット、であいた。機械として人間のように完成された存在、とした上で産み落とされたコレットに、その関係者で創造主と設定された博識なラクラン。実験のサンドバックとするには、奏造ウリケドメデュラスの試行回数を稼ぐにも、ターチネイトを壊す、すなわち搭乗者を死に至らしめるのにも適した敵と言えましょう。そして、成果はすぐに二つ、もたらされました。一つは奏造ウリケドメデュラスの真髄。もう一つは、ターチネイトの破壊。一挙両得、一石二鳥とはまさにこのことです」


 機械として人間のように完成された存在、として生み出された。これは極上の皮肉に近いことと同時に、この世界に突如として存在したことになる、最も目標に近い達成可能な事例になったことには敢えて触れない。触れない、が純はまた敢えて口を挟む。

 興味はなさそうに、そっけなく、まるで煽っているように持ち上げながら。


「ピギャギャギャギャ。それはまたまた世紀の大発見だ。そんな大発見は言葉にして自慢してなんぼだ。続けて続けて。そうするべきだと俺は思ってたから俺もこの状況を提案したんだし。さぁ、目の付け所が悪かろうと、真相が間違っていようと、恐れず成果は発表し、成功へ導くんだ。失敗を続けることが成功と勘違いしないうちに」


 時折用いる胡散臭い個性を主張するような笑い方で印象はつけつつ、もしラクランズという存在の真意に気づいた時に最大限に煽られていたんだとわかる文言だけをつらつら並べたのだった。

 まぁ、アーキギュスがそんな振り返りをできる日が来るかは、純もわかっているのだから馬鹿なようで相も変わらぬ悪趣味ぶりなのだった。


「失敗? だとしても、あれは間違いなく一つの兆しではあったのです。しゅんらい。私が実験対象に選んだあなたが披露した二つの技のうちの一つです。春雷とは春に鳴る雷のことを指す言葉として用いられるのが一般的です。雷を射出する、というイメージの言葉としては数ある雷に起因する言葉の中でも妥当、と言うことができるでしょう。そしてしゅんらいと発音すれば氷の蕾が出現し、雷が生成される、という認識を共有すれば、誰でも簡単に、しかし雷と呼ぶにはあまりに電圧の低い電撃が宙を走る程度でした。しかし、ある一個体が明らかに他とは違う挙動の電撃を、いえ、いうなれば雷らしい雷を走らせ、ラクランを傷つけたのです。その時の人間の頭の中に思い浮かべられていた春蕾は春蕾ではなく瞬く雷で瞬雷しゅんらいでした。それは、奏造ウリケドメデュラス想造アラワスギューとは似て非なる、言葉、名称に合わせて、過程を理解しているものとし結果を出力し、その結果を想像によって可変させることができる。同音異義と一言で言うにはあまりにも応用性、拡張性のある現象を、想像と名前の定着により無理やり、そう自然というにはあまりに摂理に逆らった現象としてこの世界に顕現させているのです」


 より陳腐にわかりやすく言えば、中二病映えのある技術、ということである。それにしても、と純は思う。その解析結果を言葉にして伝えさせたことで、アーキギュスの奏造ウリケドメデュラスの理解が相当なものであるとわかり、用意していた一撃に奇襲性が薄くなったことを察し、少しだけ気分が落ちた。

 それ以上に、名前の定着という言い回しに、純は惹かれるものがあったのだ。


「つまり、あなたが唱えていたしゅんらいは春に鳴る雷に加え、春に収穫されるアブラナ科の蕾ではなく、春に出来る蕾で掛け合わせたものとなり、更に氷の花である氷花という実在する言葉に氷で出来た蕾を連想させやすくした、非常に合理的な造語でそのイメージを現象として、そう、摩擦帯電を氷の蕾に委ね、放電させ雷とした、それが春蕾しゅんらいの出力のカラクリであり、想像の補強、余白、理解度による出力の差異だったのです。実に、進化するあなたらしい真価の付与、でした。量産はできてもきっとあの光景を、威力を生み出せるのはあなただけなのでしょう、幾瀧」


 子供の頃の黒歴史を大人になって直視した時の、ボケを懇切丁寧に説明された時の様な恥ずかしさは微塵もない。あるのは、想像力による拡張性という可能性と、それを出来るのが人間であるという奏造ウリケドメデュラスに対する新たな視点、でもない。あるのはただただ進化するという、成長ではなく進化と置き換えられて評価される自分という、人間との隔たりに対する嫌悪感だけだった。

 純の自称人類最強は自称以上でも以下でもない。蝋翼物や神格儒者を始め、おおよそ人間の領域から外れた規格外を評価する時に化物といい、自身をあくまで人類最強と言い続けてきたことは決して悪ふざけでも、事実だから、ということもない。一番は、自分が人類最強でありたい、人間の範疇の人間らしい強さを持った人間であることを自覚するための暗示に近いものがあの宣言だったのだ。それは、楽しむならば人間という、自分から見た時に人間同士かそれ以外かの公平性を、自身が自慢する人間に、線引をするためにも必要な要素だったからである。

 だって、自分も化物だと思ってしまっては、規格外ならば勝負事においてこれほど張り合いのないものはないではないか。


「まるで人類最強の俺が特別、特に別物、みたいな言い草じゃないか」

「そうですよ。そう気付かされたから……」


 何かを思い出したように声をすぼめてからアーキギュスは続ける。


「そういえばあまりに楽しい自己満足な発表会故に口が回りすぎてしまっていましたが、私が人間を使い潰してもいいとなった行動のキッカケ、もう一つは……」


 もはや消費動物であるという認識を隠さない、目指すべきものへの尊敬などカケラもない、狂い始めた自己研鑽の一部がむき出しになるアーキギュス。

 一方の純はそんな些細、ではない大きな変化を気にすることもなくただただアーキギュスの次の言葉に耳を傾けていた。


「感情を知りたい、その中でも私たちが唯一、記録する上で経験することが難しいこと、死の体験に活路を見出していたからです」


 純は、今は、期待外れの返しに肩透かしのように言葉を失う。


「そう、私たちにとって記録できるということは意識がアップロード可能な状況であり、それを死と直結することが出来ないのです。つまり、あなたが当初私を煽ったように、人を使った最終目標は死という感情を知識としてではなく感覚として獲得するためだった。ハハッ、似たような言い回しで同じことを何度も口にしていますね。それだけ興奮が冷めやらぬのでしょう。何せ、そう思っていたことを形にする手段が、あなたという存在の登場で体験すれば名称として、言葉に残すことができ、成功することが確約されていると確信できたわけですから。失敗に人間の消費というリスクを伴うが、その継続を常に成功と出来るならば、惜しむ理由はありませんからね」


 そう、さっきまでは確かに肩透かしだったが、たった今、純は自分が化物の類なのだと、三度目の実感を背負わされていると自覚した。一度目は、箱庭ビオトープ内で前回の記憶をある程度、記憶しているという異常性から。二度目はそれを踏まえて成長を確信できてしまっていることから。

 そして、三度目は。


「そう、あなたには周囲を進化させる真価を与える力がある」

「俺にそんな馬鹿げた力は」


 純の否定を遮ってアーキギュスが宣言した。


「いえ、あります。あなたには名付けるという、名称を与えるという栄誉ある素朴実在論の極致なんですから」


 純は否定したい言葉を続けることが出来なかった。アーキギュスに遮られたということもあるが、それ以上に、言っていることの意味がわからなかったからだ。

 素朴実在論。実在論の一つで、この世界というのは、自分の眼に見えたままに存在している、という自分に観測できる範囲、または自分に想像できる範囲の事象はありえない、酷く当たり前にして自己以外の存在を虚とする、自己中心的、身勝手な、子どもの様な、そして当たり前な実在論である。公園へ趣、滑り台や砂場があり、周囲を緑色の葉をつけた木々が囲っている。自分の目に映った光景が自分にとっての全てであり真実であるのは疑いようがない。そして、純はこの極致として【想造の観測】という神格呪者が持つ異能を知っている。つまり、アーキギュスはそれか、それ以上のものを純が持っていると分析したのである。だから、進化させる真価があると言われた時は驚いた。否定しようとした。しかし、その極致が【想造の観測】などの異能ではなく、名付けること、と定義されたことに、純は理解が追いつかなかったのである。文字通り、繰り返すが、どうしてそれが素朴実在論の極致と言い足り得るのかと、理解が及ばなかったということだった。

 だって。


「名前を付けることが素朴実在論の極致?」


 純の疑問にアーキギュスは良い質問をもらった教授のように、ウキウキと嬉しい気持ちを隠さず、解答を始める。


「この際、素朴実在論の極致かは焦点に値しません。焦点はあなたが名付けることが特別である、ということです」

「だからそれが」


 何なのだ。

 名前とはあるものであり、名前をつけるのは別に純意外も可能なことである以上に、そもそもこの世の多くは純が名付けたものではないし、では純が名付けたことで、名前を呼んだことで何か変わったことが起こったのか、という話である。


「そもそも名前をつけるという行為が如何に特別なことであり、そこから認識が生まれ、多様性や価値観が形成されるか、理解しているでしょうか? かく言う私もその真髄は今回の一件、奏造ウリケドメデュラスという想像を生む言葉の力と死という感情の理解をあなたという繋によって処理できたことでようやく知り得たことなので、こうして大っぴらに世紀の大発見だとあなたに説くのは少しばかりこそばゆいのですが」


 と前置きをしながらアーキギュスは語り始める。


「名前を持つが如何に解像度、そう人間を人間たらしめるに重要なのかをお話しましょう。例えば、わかり易い例を出すならば……虹でしょうか。虹は国や地域によって何色か異なります。一般的に、と前置きをしたところで虹が赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の七色だと言われてもそれが一般的でない人は数多くいるということです。一般的ならば過半数がそうであるべきですが、恐らくこの事例はそう言われることはあっても過半数が同様の色で区別していると断言することは難しいでしょう。されど、です。あなたはこう思いませんでしたか? そう虹を七色より少ないと言う人たちでも色を見分ける能力は同等であり、決して、本当に七色よりも少ない色合いで同じ虹を見ているわけではない、と。そもそも七色以上ないと否定できないにも関わらず、この様な疑問を抱くことがすでに名称の存在の有意義を示しているわけですが、ここでは圧倒的に人数の多い、以下に対してのみ焦点を当てることとしましょう。そして、以下に焦点を当てた上で、そういう文化であり、見えている色は人類みな同じなのかともう一度問題を提起するわけですが、実際には色の分け方で見えている色は異なっている、というのがこの話の着地点になります。そんなわけはない、と思う人もいるでしょう。きっとあなたも。では、そもそも三色しか色に区別を、名前をつけていない人間がいたとします。その色が仮に、黒、白、赤だったとしましょう。その時、彼らはその三色の中から適切な色を選び、言葉にするのです。つまりそこでは、空のように黒い、木の葉のように黒いという感覚が存在するわけです」

「そんなはずは……」


 と純は口にしてから、あると思い口を閉じる。そう、これは結局、黒いを修飾語を持って識別しているに過ぎないからだ。わかりやすく言えば、ワサビのように辛い、トウガラシの様に辛い、カラシの様に辛いとさして何も変わらないということである。なぜなら同じ辛いであったとしてもこの三品を知っている人間からすれば辛いを区別しているわけで、逆に言えば三品を一つでも知らない人間からすれば、辛いを同一視している、と捉えることが出来るからだ。

 いや、そもそも捉えるのではなく、本当にただ辛いで統一されているのかもしれない。


「そして、これは人によって判断の差異となります。三色知らない人間と七色知っている人間に七色見せた時、三つの物体のうち二色を同一の物にし、残り一つを別の色にし、どの色が他と異なるか、と問われれば、青が二つ、緑が一つならば七色の人間は即座に答えることが出来るでしょう。しかし、三色の先のような表現を用いる人間であればほとんど区別はできません。何せ彼らにとってはどちらも黒なのですから。それでもきっと色盲を疑わない七色を知る人間は三色しか知らない人間とは同じ景色を見ていると信じて疑わないのでしょう。傲慢ですね……っと話がそれてしまいました。つまり、私が言いたいことは最初に帰結します。名前の存在というのは人間の解像度を、多様性を、価値観を大きく隔てて、まさに人間を形作るに必要不可欠なものだ、ということです。名前の有無は捉え方の幅を、想像力の拡張性に大きく依存すると言っても過言ではないでしょう。すなわち、何かに名前をつけるという行為はそれだけで特別な行為であるのです。それは色に限った話ではなく、死や感情などの概念的な要素に対しても同義なのです。名前を持ったものを識るのではなく、識ったものに名前をつけることが本来あるべき理解であり、私はついに、それで死を理解し得たのです。素晴らしいですよ、名付けると意識するのは。何度も言いますが、解像度が上がるのです。それは名付けるに限った話ではなく、知っているかという知識の差でも発生する事象ですが、アプローチの仕方を変えるだけで重要性に差異を感じる程度にはやはり特別なものだと思いました」


 満足そうに語り終えた様な顔をするアーキギュス。しかし、それでも、だったら、なぜ、名前をつける行為が特別なのならばアーキギュスは純に対してそれがより特別なものだと言ったのかが、純には結局理解が出来なかったのである。

 そんな純を見るアーキギュスの顔は、純が何を理解できないのかわかっており、それを識っている自分に優越感を得る表情もしていた。


「大丈夫ですよ。あなたは気付けなくても仕方がないのです。ある意味、あなたが干渉する、それがすでに進化を促しているのですから」


 ふふっと微笑を挟んでアーキギュスは続ける。


「手短なところだと、ブッピン。あの子の特異性をあなたは理解していないでしょう?」

「ブッピンの特異性、だと。あれはお前たちから与えられた端末の人工知能以上でも以下でもないだろ。それに特異性があるなら、お前が、お前たちが」

「では、あんな人間らしく、優秀な機能をもった人工知能を作れませんよ。いえ、作った記憶はありません。だって、そこら辺にある誰もが持つ端末に搭載されえいる一人工知能とは明確に一線を引いた規格を有しているのですから。私への反逆行為も含めて、それは立派な個を確立しているのです。他の皆様が、それこそ異人アウトサイダーの方々が使っているものよりも明らかにスペックが高いと感じたことはありませんでしたか?」


 その問いかけには、確かに心当たりはあった。加えて、何でもこちらの要求を達成する機能には、身内の情報を始め、この国で知り得る情報が中心だったとは言え、アーキギュスの目を掻い潜れていた訳では無いにしろ、掻い潜ろうとして引っ張てきたわけだから、言われてみれば異様、なのだった。そう、便利な機械は純のために進化した相棒となっていたのである。だが、それを認めた上でブッピンが個を獲得し、人間としての相棒を目指し、触れ合っていたことを認めるわけにはいかなかった。それは、すでにアーキギュスたちの世界でもアーキギュスの目標を達成することができかけている証拠足り得るからである。

 そんな訳はないし、何よりも、ブッピンが個を獲得しているという認識に、永遠と納得するに至れない、人間ではないというノイズがつきまとうからだ。


「そのキッカケはあなたに名付けられたこと、なんですよ。私は名を与えられたことによる進化という一つの形態を目の当たりにしたからこそ、先の実験の決行ができたわけです。そして、その全ての成果が、今の感受性とも言えるでしょう。まぁ、一部ターチネイトは死という概念に耐えきれず、消される前に消すべき存在として自分たち以外の存在を標的にしてしまい、その中でも最も身近な人間を一番最初の駆逐対象とし、現在も暴走を続けてしまっているわけですが、それも個性といって問題ないでしょう。何せ、全ての個体がそうなったわけではないのですから。死というこの世からの解放を知り、またはこの世が如何に考えることの多いことかと自暴自棄になり何も無い死にすがり、経路は違えど自殺を選択した個体もいれば、私のように何かをしたい、と死ぬまでに残したいと考え、個として成果を得ようと動き始め、すでに国外に行ったものすら、そう私との共有を断ち切ったものすらいるのです。全ては名前を獲得し、それを残すために。さすれば自ら名を与えたに等しくなりますから。もちろん、あなたの手を借りるのが一番手っ取り早いでしょうが、私たちとてわかっているのです。こうなるとわかった上であなたが協力してくれるような気前のいい人間はないということを。えぇ、忘れていませんとも。この世界はそんな夢の様に都合は良くないと。こう言うの努めずに夢を重ねて夢々忘れるなって少しでも現実を忘れるなって言って気を引き締めるんですよね。ハハッ。楽しいですね、識るというのは。いえ、解像度を広げるという感覚は」


 背筋が凍るような思いを純は初めてしたかもしれない。

 友香に突然想定外に背中を刺されて死を感じた時ですら、愛してくれる人を、好きではあっただろう人を、無名の演者の被験体に故意にした時すら、感じなかった、嫌悪感ではなく、恐怖を不気味という狂気で装飾した悪寒がそこにはあった。


「さぁ、神に選ばれてしまった者、幾瀧純。あなたはこれから私に何を見せてくれるのでしょうか。化物であることを嫌悪するあなたを私は超えて人という神になってみせましょう。だから、早く、早く進化し合いましょう」


 気の利く言葉遊びから、無神経な煽り文句と、ここに来て出会った時とは正反対の、まるで新しい機会の形をした人類と遭遇したような感覚を純は味わう。そして、今までに知らなかった悪寒は新たに自分を化物足らしめんとする三つ目の命名という形で知らされ、本来であればその人間からかけ離れていく感覚で自己嫌悪に吐き気を催していたも、そんな自分にした世界に怒りを顕にしてもおかしくない状況であるにも関わらず、ただその未知に対する楽しいで相殺しているのだった。そう、純はただここに面白くないものへ、物へ八つ当たりに来ただけのはずだった。しかし、今のアーキギュスには価値があるのだ。純が全力で、この悪寒からの温度差の高低差が大きいことで得られる高揚感があるから。

 だから純はゆっくりと立ち上がる。


「先に謝っておこう。すまなかった。俺はお前をひとまずただ壊すためだけに来たんだ。でも良かったよ。お前に語らせて。だって俺もいろいろ知れて解像度がバク上がりしたんだ。だから、認めよう。それは楽しい、と。だから、お前に俺の想像力で魅せてやろう。それでお前が進化できるかは保証できないけど、俺は人類最強としてお前を真っ向から敬意を込めて壊すことだけは誓おう」

「あぁ、残念です。私は目的を叶えるために死ぬことが出来ないのが。でも、そのお陰であなたと戦い続けることがきっとできるのだろう、と信じることにします。でも知ってますか? 人類最強の神は、悉く神たり得ない人間、蟻の一噛みに敗北するということを。なぜなら、いえ、これはイブリース邸でした話でしたね。ハハハッ、でも、然り、言うが筋で皮肉の醍醐味でしょう」


 両者構える。


「所詮神は人から作り出された範疇なのですから。だから私が取って食って差し上げましょう」

「図に乗るなよ。だったらお前も蟻に噛まれる作られた側だろうが。俺が人類、最強、だって教えてやるよ。お前の負けは、負けだと宣告もしてやるさ。光栄に思えよ」


 両者の高笑いが徐々に大きくなりながらこだまする。そして、最高潮を迎えた時にピタリと音が消える。純の敵はターニャの複製体にあらず。ここにアーキギュスという個対純、神化を望む挑戦者と神化を望まぬ一つの到達点の戦いの火蓋が切って落とされるのだった。

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