第百四十七筆:真相究極
「一人目。彼女のことは正直、あまり知らないし、この国で何を持って進化と位置づけるためにどういった工作を練っているかも知らない。あれだけ大層にこの国で実験しているニンゲンが二人いるといった矢先ですまないが、それは仕方のないことなんだ。何せ我々に利害を及ぼさないから関わりがない、ただそういった存在がこの近くで進化を研究している。ただ、知らないし、関わっていないが何かをしている、いや、進化のためにこの国を観察していることだけは何も知らないが知っている。何故だと思う?」
ディマスの気分がいいことだけはわかる。誰にも打ち明けることの出来ず抱えていた秘密を誰かに語る、自分しか知らないという優越感と誰にも喋ってこなかったからこその解放感、この二つが今まさに最高潮なのだと。だからこそ、この質問には答える意味はない。その天にも舞えそうな気分は、自然と口を動かさざるを得ないからだ。
なぜならここで口を紡ぐことは、この一時の快感を、されど我慢し続けた禁忌の快感を、知ってしまい、知らせてしまったからである。
「それは、オヤジの語りたい一人目、というのがその何故が答えになるって解釈でいいのか?」
では、何故カルロはディマスの問いに受け答えすることを選択したのか。もちろん、それは場の雰囲気に飲まれている、ましてや悪態をつく目の前の父親へのせめてもの気遣いの表れではない。時間、である。最後まで事の次第は喋るだろう。先の気持ち的な話もそうだが、その責任だって状況が生み出しているのだから。だから、カルロにとっては円滑に最短で真相までこぎつける必要があった。何せ、カルロはこの騒動を収めるためにすでに出動している部下と合流しなければならないのだから。それに仮に合流しない選択を選んだとしても、今後の立ち位置をハッキリさせるためにも、この事件の真相を知っておくのは間違いではない。だからこそ、迅速に真相に対して手を打つ必要があるのだ。
つまり、合いの手を、気持ちよく喋らせる機会を逃す理由はないのだ。
「その通りだ。つまり?」
進化を研究する人間。カルロが答えられる、つまり名前を知っている人間の中から選ぶのならば、自ずと一人に絞られる。それは、カルロに限った話ではないだろう。この世界に生きているならば誰もが一度は耳にしても不思議ではない地位を持つ名前。しかし、表舞台から姿を消し、現在はその生死するあやふや故に、忘れ去られた人間。何せ、消息を絶つ以前から表舞台への露出は極端に少なく、常に顔を隠すような人間だった。
だから名前は知っていても、彼女の名前を即座に引き出しから取り出すのは難しいのだ。
「世宝級、多岐か」
パチパチパチ、とカルロから拍手が送られ、それが正解だと知る。
「もしかして知らないだけで俺も遭ったことあるのか?」
「少なくとも昨日の模擬戦で見てたはずだ。審判をしていた彼女が多岐だ」
「あいつが」
確かに、公平を期すという理由でどこから引っぱって来たかもわからない、実力のしれない女が審判をしていると思ったが、公平ではなく、審判をするにふさわしい実力者だったわけか、とカルロは思いながら部下から中継で見た光景を振り返る。しかし、悔しいかな、その表情を振り返ることは出来なかった。
認識阻害という概念を疑うような巧みな技術、想造があるのではないかと考えるほどである。
「まぁ、今回の一件に関わっているか、という点では彼らを連れて来る要因の一人であったという点ぐらいだろう。先も言った通り、俺は彼女の目的は知っていてもその達成条件、何を進化として目指し、観測しようとしているかは知らない。だから、一人目として先に流すことにした」
いや、待てよとカルロ。
「待て待て待て。連れて来る要因の一人であった、だと。連れて来るってもしかして異人のことか。つまり、お前らはこいつらがここに来て何かやらかす未来を知りながら歓迎し、見過ごしてるってことか?」
「……」
そう言ったつもりだが、理解できなかったのか。カルロの疑問に対して無言であるものの、喋りたいように喋れない、語るつもりのなかったことに触れられ邪魔をされたからだとわかる、あまりにも冷たく鋭い目が間違いなくそう言っていた。いや、生易しくもそう言っているだけであって欲しいと願うほど、冷たい怒りが、全てを聞き出すことを不可能にまで、振り出し以上に戻してしまうのではないかという恐怖をかり立たせる怒りがその瞳の奥にはあった。
しかし、そこで引き下がれるほどカルロは大人ではなかった。そう、大人ではない。見て見ぬふりが出来ない、正義感の塊という意味での大人ではない。真相という、自分の知らぬ何かを知るという、いやもっと単純にヤバい話を聞きたいという子供心溢れる興味津々故に、大人ではないのである。それはディマスにとって話したいことから反れる、あまり関心のない、蚊帳の外故に多くを語れないことだが、聞き手に求める最高のモチベーションであることはディマスの怒れる瞳からでも理解できる好奇の瞳だった。
だから、ディマスは視線を天井へと向けつつも、聞き手のために、自分がこれから楽しく話を続けるためにゆっくりと口を動かすのだった。
「そうだ」
その肯定はカルロにとって鮮烈で甘露な陰謀の序章となる。
「進化に必要なもの。それには刺激による適応が必要、と多岐は考えているようだ。その実験場として多岐はこの人と機械が入り交じる国を選んだ。刺激は多い方がいいからな。そして、進化に行き詰まっていたこれから話すもう一人も、行き詰まりから彼女の提案に乗った、何せ彼女の提示する刺激が実に刺激的だったからな。支持する人間も人間たちだったそうで彼女の身の安全と来たるべき日、刺激を受け入れることを決めたらしい」
「その刺激が異人だったとしてどうやって違う世界があると知って、違う世界の人間を連れてこられたんだ」
一拍。
「世宝級が集まれば簡単なことだそうだ」
一拍。
「別の世界を作り出す、刺激となる人間を作ることなんて、な」
衝撃。
「おいおいおいおい」
「あぁ、俺も言い方が悪かった。連れて来る、っていうのはこの現状を見てからの俺の勝手な補正のかかった表現だ。本来は、どういった刺激が進化を加速させるかのシミュレートの結果を反映させること、だ。奇しくもそれが直接できる状態が今ってだけだ。それと勘違いするなよ。この状況に多岐も俺が未だに明かしていない一人も加担はしているが、シミュレートできる環境を作れるようにあくまで出資しているだけで実行しているのは他の世宝級で、それが誰なのか、そして、どういった世界でどうなってこうなったのか、これが成功なのか、失敗による副産物なのか、当然俺は知らない。俺が知ってるのはあくまで多岐がこの国を実験する上で必要な刺激を用意する手段を後々首謀者に提供した、ということだけだ」
「ハッ、世宝級が化物揃いなのか想造がまだまだ未知か未開なのか。とりあえず、俺たちは世界は作れるってことだよな。それってもう……」
続く言葉をカルロはあえて口にしなかった。それはディマスに聞かれたくないからではない。あまりに、誰でも神になれるという言葉が安っぽく、それでいて現実味を感じてしまい、口にすることでその所業を受け入れてしまうのが怖くなってしまったからである。瞼を動かさない赤ちゃんの人形に突然畏れを抱くように、神になれるという仮ではある事実がなぜか地に足をつくことを許さないような不安を過ぎらせたのである。
深淵が覗き返すというよりは覗くそこにある深淵を覗いたような、悪心である。
「わざわざお前が知ろうとしたんだ。ワクワクしてたんだろう。だったら諦めろ。識ることが必ずしも成果とならない、それだけだ。まぁ、だからといって馬鹿を羨ましいとは思わないけどな。それで、寄り道には満足したか?」
コクコクと小さく頷くカルロに満足したように、息を深く吐くとディマスは話を本筋に戻して続ける。
「それじゃぁ、気になるもう一人、ここまで来てお前は今なら誰を予想する?」
本筋に戻した景気づけと言わんばかりにあえて質問をすることでカルロの答えで楽しもうと質問を挟むディマス。それがわかっていても、カルロは誰の名前を答えたら解答としてではなく反応として正しいかはわからない。
だから、自分にとっての正解をそれでも、それらしい理由を付けて押し通すことを選ぶ。
「アーキギュスだ。この一件に関わっているならやっぱり世宝級は外せない。加えてあくまでこの国をそういう風に、進化の特異点を観測するために作った実験場なら、アーキギュスでなければならない。それともオヤジ、俺たちもアーキギュスと一枚噛んでるって意味で答えに加えろっていうのが先の言い回しの意味だったりするのか?」
「いいな。俺から答えを否定された上でしっかりと今までのことを踏まえて答えられてる。でも、だからといって不正解が正解に変わることはない。でも、この国に関わり、アーキギュスに匹敵するだろう、世宝級という制度が確立していれば確実に名を連ねていたであろう人間が、この国にはいるだろう。一つの常識を騙すことができれば、むしろ全てが当てはまる。それこそ、この国が進化を観測するための実験場になるべくしてなっていったのだと、な」
あくまで答えさせる気か、とカルロは該当者を探す。言い回しから当然花実を言い当てた時と同様の条件、つまり、カルロに答えられる、知っている人間ということになる。では、ここで世宝級で該当する人間を上から一人ずつ答えていけばいいのかと言われればそれは間違いだろう。何せ、匹敵するだけであり、世宝級ではないと言っているのだから。そしてここまでは順当に飲み込むことが出来る条件だった。問題は、世宝級という制度が確立していれば確実に名を連ねていたであろう人間、という点である。
それはつまり、世宝級という制度が確立していない時に、それに類似する実績を後世に残した人間であるということである。
「おいおい」
正気か? の疑問が言葉として出せないカルロ。なぜなら、この世界は自分たちの都合の良い世界を創ることが出来る世界だと知ったばかりだからだ。そんなことが遥か昔から出来ていた保証はない。
ただ、遥か昔の人間が該当者となるということは、常識を捨てなければ考えつかない結論ではあった。
「生きているのか、ハイヤーン博士は」
その結論は早計か。
否、それしかないと口に出したことで根拠のない自信が溢れてくる。
「良い反応だ。その驚き、だ。その顔が見たかった。ハハッ。そうだよな、俺もそうだった」
機械工学の第一人者である博士、ターニャ・ハイヤーンが進化のアプローチという実験の主導権を握るもう一人で正解だと言ったに他ならなかった。
それでも半分正解という辻褄を合わせることが出来ないが、今はそんなことがどうでもいいぐらい新たな未知が、言いようもない恐怖という好奇心としてカルロの耳をディマスへと傾ける。
「では、なぜ我が一族がこの国で地位を持ち、対立構造を煽るように立ち振る舞う役目を持っているのか、いや、その道を選んだのか。もちろん、今のように民衆を民意をわかりやすくしコントロールするため、そして対立による金を仲介料として手に入れるため、だ。これも間違いじゃない。そう何一つ間違ってない。この虚構を演じる道を選ぶにはあまりに充分なメリットだ。その上で、これはただの副次効果、でしかない。覚えてるか、進化に必要なこと」
「刺激、か」
「そう、俺たち一族は言わば機械共を進化させるための刺激を与え続けるための装置なんだ」
そして、どこか晴れやかな顔でディマスは付け加える。
「知ってるか? 俺らハイヤーンの血縁者なんだぞ」
「それを話した、ということは彼が、カルロ・イブリースが次の当主で間違いありませんか?」
突然の第三者の声。
そこにいたのは、よく見知った顔、従兄弟のティニアだった。
「何言ってるんだ、ティニア。オヤジ、こいつは」
話の流れ、出てくるタイミングからまさか、という想像だけが膨らむ。
「さて、改めて質問だ。ここを実験場として観測している人間は多岐の他は誰だと思う?」
よく見知った珍入員に、ボケたのかと思うほどの同じ質問。そうでなくともすでに咀嚼しきれないほどの情報量が口いっぱいに押し込められ、一つ一つ噛み砕きたいのにそれが出来ていない状況である。カルロが抱える苛立ちは想像に難くないだろう。しかし、だからこそ、カルロは一周回って、いや、火の手が迫るのを火の手で迎え撃つ様に、冴えわたる瞬間を獲得する。
そして、その考えを熟考する間もなくボソリと口に出す。
「アーキギュスとティニア、なのか」
◇◆◇◆
「ふふ。そう簡単に見破られる様なものではないと自負しているのですが、流石、彼女が期待する、いえ、投資した人間ですね」
純がイブリース邸を訪れ、ティニアに投げかけた質問への返答である。
「……俺は当主様からアーキギュスと密ですって証言が聞ければそれで良かったんだけど、まさか、多岐補正でもっと大きな獲物が自分からタモに突っ込んできた感じ?」
「まさか、この状況でそんなセリフはあらかた想像していたからこそ出る言葉ではありませんか? 実に演出やエンタメに拘りをお持ちのようですね」
「それ、過大評価とも興冷めとも言える、あまり言われて面白くない言葉だったなぁ、俺はって言っちゃうのは駆け引きが上手いって言うんだ。それで、わざわざお前らの事情を知っているかもしれないから来た、なんて俺の動向を知っているぞって告知するってことは、お前らがアーキギュスとズブなのは確定したわけで、その先、まぁ、俺は当主がそうだと思ってたわけだけど……つまりそっちのネェちゃんが制作者の片割れ、か?」
純の問いかけに目を丸くするのはほとんど蚊帳の外にいるディマスだった。
なぜ、どうやって、という瞳を向けられるが誰もその疑問に応えようとはしない。
「……やっぱりあなたは進化を促す刺激じゃなくて進化させる劇薬ですね。それはそれで嬉しいような悲しいような、ですが」
ふぅとため息を吐きながらティニアは半分冗談のつもりだったカマかけのセリフが現実を帯びたことに一喜一憂してみせる。
「改めまして。私はターニャ・ハイヤーンだったモノ。それで、質問の内容はどうしてイブリース家がアーキギュスに協力的か、でしたね」
「いや、それはもういいよ。どうせ、対立構造っていう流動的な刺激を維持する形で生まれる莫大な利益をイブリース家がもらえている、とかそんな裏で手を組んでましたっていう典型的な劇場型、いや牧場経営の賜物の話を今されても驚かないよ。まぁ、その見返り以上に、当主には不死に近い何かを提供出来る、とかかな。そうだな、例えばそこにいるディマスの中身が本当にディマスなのか、とか。でもそんなのどうでもいいんだよ。これが俺の妄想の域を出ないで事実が間違っていようが、今大切なのは、ハイヤーン。あなたが二人いると感じさせる事実だ。俺はそっちの答えの方が今は知りたい。さらに付け加えるなら二人でどこを目指しているのかも、だ。進化とか抽象的なのは止めてくれよ。流石につまらないしもう少し具体的にしてくれないと、俺が飽きる」
ハハッと笑い声を挟みながら。
「そういうことをしていたのは先代までです。今は進化の中で維持、つまり現当主は安全を買っています」
チラッと視線でそうなのかと質問する純にディマスは頷く。
「そうだ。俺は個人ではなく一族の栄華と一族の存続を望んだ」
「へぇ、意外だな。それは老衰を迎えた今も変わらないのか?」
「変わらないさ。そこだけは変わらない。そして、これからもそこだけはブレない人間を探すつもりだ」
「まぁ、いいんじゃないの。他人に乗り換えて永らえてる時代を終わらせた当主、一族がこの国の馬鹿げた実験に巻き込まれない保証を勝った家族思いの当主、そのくせ栄華は手放せず、自作自演を嬉々として家族を人質に取られてる様な体裁で行う当主に一族。人身売買ではなく、一旦物言わぬ死体に変えてから骨を抜き取り、懇切丁寧にダイヤモンドに加工して売るような、美談足り得ない美談を信念で補強して反省を取り繕ってるようにしか聞こえないけど、俺は言ったじゃん。そこには興味ないんだって伝えておけば情状酌量の余地が広がるわけないんだから。それともここで一悶着起こした方があんたらにとって都合がいいから俺にそうさせるように誘導中だったりする? だったら望み通り下の本命が、刺激に適した人材が動く前に終わらせるよ」
明らかに買ったであろう敵意、その証明たる気に食わない人間を見るディマスの視線を煽るように直視しながら、最後はティニアに話を進めるためにも傾ける純。
その前にと、コホンと咳払いを挟んでティニアが口を開く。
「すでに刺激は充分与えられているのですが、あなた以外の刺激、というのは確かに大切なもので、とてもいい脅しです。なので、先に一つ、聞いておいてもよろしでしょうか?」
「聞くだけだよ」
「……」
明らかに質問の仕方を間違えたという沈黙を挟み、ティニアはしぶしぶ質問をする。
「どうして、片割れがいると気づいたのですか? あなたの端末にいる……ブッピン?に対しても最初から宛があるから調べさせようとしているのを察していた様に感じるのです。まさか、多岐が話しているとも思えないので、その辺、どうしてなのかな、と」
「で、どういう理屈というか、何があったの?」
本当に聞くだけ聞いたという顔で自身の要求だけを通そうとする純。
ティニアにはそれを拒否した後に起こることに害しかないため、飲み込むことしか出来ず、ゆっくりと答え始めるのだった。
「まず私が最初に言ったことを覚えておいででしょうか?」
「初めまして。幾瀧さん。私、ティニア・イブリースと申します。以後お見知りおきを」
沈黙。
何一つ間違っていない間違い。
「そういうことじゃないでしょ」
「鉄板ネタだろ? 許してよ。というより君が何処を指して最初と言ってるか俺にはわからない。俺がいつでも君の言葉を汲み取れる人間だと思わないことだね」
わざとらしい言い回しでありつつもティニアは自ら言葉を拾う。
「私はハイヤーンだったモノ、と言ったことです」
「つまり、昔はハイヤーンだったけど今は二等分にされたから半分は違う何かで出来てる、だからハイヤーンだったとわざわざ言ったってこと?」
「いえ、ほとんど正解といって差し支えないでしょう。流石です。ただ、補足するとすれば確かに私たちは二人共ハイヤーンでした。何せ、アーキギュスも私もハイヤーンという肉体を元に出来た、創られた存在だからです」
実に不気味な話である。
しかし、その不気味さが何一つ間違っていないという説明がこれからされるのである。
「きっかけは実に単純。ハイヤーンは機械が人間を模倣することに限界を感じていました。研究者として目指してきたものに、何処までいっても正解を叩き出せなかったのです。つまり、どうしても機械が人間を超えるためには機械だけではなく人間が必要だった、ということです。では最も手っ取り早い解決手段は? そう、人間を機械にしてしまえばいいのです」
道理としてはそうだろう。
しかし、明らかに一般的な倫理観から外れた、何か段階をいくつも飛ばしたような結論は、狂気を感じさせるには充分な結論だった。
「そこでハイヤーンはまず自身の半身となる機能を持った機械を作りました。一つしかない心臓や胃といったある程度小ぶりで切り分けるのは難しいと判断した部位を除いて縦にバッサリと切った時を想定した半身を、です。そして、最初に心臓などを避けて作った左半身、これを右半身とくっつけることにしました。ある程度の血管、神経、そういったもろもろを最低限に結合させる準備を整え、自分が機能を停止したら自動的に接合する機械を用意した上で、です」
「博打だな」
「えぇ。それでもやらなければ始まらない。それも技術と知識のある人間が元とならなければ先がない点とその先を見届けるためにもハイヤーン自身が素体となるのは自然なことで、彼女は行き詰まったからこそ、背水の陣で、それでいてなぜか出来る確信を持って挑んだのです」
理屈はわかる、理解も出来る、しかし、納得できるか言われれば、出来ない故に狂気なのだろう。
「そして一人目、アーキギュスが生まれた。次にやることはもちろん、アーキギュスが心臓を始めとした右半身を創り、冷凍保存してあるハイヤーンの左半身とくっつける。つまり、私、ティニアを創ることだ。そしてこれらは無事達成させられた。それがターニャが二人いることの説明であり、だったモノになった瞬間でもある」
淡々と、あくまで淡々と事実を粛々と語っている。その状況もまたこの場の狂気を色濃くする。ただ問題があるとすればこの場にいる誰もがその狂気を狂気と認識しているか定かではなく、認識していてもそれを平然と呑み込める人間しかいないということである。
何せ、それをやっているティニア、すでに知った上で接しているディマス、そしてそんな馬鹿げたことを肴に酒を飲む男、純しかいないのだから。
「つまり、半分機械だからすでにハイヤーンじゃないってこと?」
「そうです。正確にはターニャを引き継いだまま変質した、といった方が正しいのでしょう。あくまでターニャではあるのですから。そして、私たちは機械に近い人間とも人間に近い機械ともなった。まぁ、感覚的には義手交換に近いので前者の表現が正しいのでしょうが」
そう、これが着地点ではない。あくまでこれはターニャにとっては通過点なのだ。
ターニャが目指していたのはあくまで機械が人間となること、である。
「そこからは簡単で徐々に身体の一部を各々で機械化していくだけです。そして肉体を捨てて機械となる、そこで初めてスタートラインに立つわけですから」
「どうして、ハイヤーンは、お前はそこまで機械を機械のまま有能にしていくんじゃなくて人間に近づけることに焦点を当てて研究を続けたんだ?」
その執着、妄執の背景が少しだけ気になった純は話の腰を折って申し訳無さそうに尋ねる。
しかし、そこで返された表情はお前がそんなこともわからないのか、という目を丸くして驚いた顔だった。
「なんだよ」
「いえ、あなたは同族に近い方だと思っていたので」
と本心から今日一で驚かされたと前置きをしてからティニアは喋る。
「やりたかったからですよ。面白そうだからですよ。誰も成し遂げたことのないことを達成してみたかった、それだけです。頑丈な身体が欲しいとか、お金が欲しいとか、偉人に名を連ねたかったからとかに暗い過去と境遇が合わさって暴走した、歪んだとかではなく、純粋にハイヤーンが機械を人間に近づけたかった、ただそれだけの興味本位、ですよ。そのために手段を選んでいないだけです」
その解答に純は感動すら覚えていた。純粋な狂気と恐れ慄く人間もいるだろう。しかし、純粋だからこそ、その愚行とも奇行とも無謀とも、ましてや栄光とも言える前進を純は久しぶりに味わい、感動したのだ。
だからこそ、こんなことではなく自分の遊び相手として手を取り合ってみたかったと強く思うのだった。
「いいね。無粋だった。続けてくれ」
その反応に満足したティニアは話を続ける。
「そして、肉体を全て機械にした時、人間から学習したありとあらゆる機能を引き継いだ私たちは完成しました。そして同時に目標としては完成していないことに気づいたのです。それが、ハイヤーンだったモノでしかないと自分たちで理解できてしまったことから始まりました。そのため、人間を機械にし、その過程から機械を人間に近づける手段を獲得したはずなのに、何を獲得し、何がハイヤーンたらしめるものだったのか、私たちはわからないままに完成したのです。つまり、私たちでは結局、機械を人間にすることは叶わないと悟ってしまったのです。それが、何もせずとも自然とそう啓示されたように理解させられて事、それが一番、私たちを絶望へ叩き落とし、奮い立たせるものになりました。そう、私たちは私たちをハイヤーンに戻し、超えることでもう一度、足りない何かを確認することを選んだのです。そのため一人はそのままに、そしてもう一人は、アーキギュスは自身に改良を施し始めたのです。その成果はターチネイトを始め今のアーキギュスが得ているもの、今が全てです。そして、アーキギュスが目的を忘れただ直向きにハイヤーンの当初の目的である、人間になるために人間を理解しようと暴走を始めた賜物でもあるのです」
狂気に狂気が絡みつく、そんな甘露な不幸がベッタリと純の足元に迫り、後戻りが出来ないことを肌に感じさせるのであった。