第百三十九筆:異音跫然
フィリップの口からマイアチネはアーキギュスの手によって人を用いたアンドロイドの実験に利用されている、具体的に人間をどこまでサイボーグ化出来るかなどといった非人道的な、人体実験と呼ばれ忌避される分野の研究に手を出していることを告げた。
そのため異人という外部からの増員は資源が湧いて溢れたに等しく、このままではきっと緩やかに消費されていくだろうことを告げた。
「あくまであんたの言い分は、だろ。ありそうな背景だけど、結局それが本当に行われているのかも、逆にそれにあんたが加担していない保証もない」
「どうして俺が」
「この話を信じて発起すればそれこそあんたらがどうにでも出来る大義名分を与える可能性があるわけだ。そうだろう?」
獙獙の言わんとしていることはその場の誰もが理解できた。
「別にあんたらがそれをすること自体は否定しない。あくまで俺たちは部外者で下手すれば見た目が同じだけであんたらとは全く違う生き物なのかもしれないからな。自国を思って行動する、それは上に立つ人間うんぬんというよりは仲間意識から来る優先度の付け方からも間違ってない。倫理観とか人道的とか、そういう言葉を並べても、ね。きっと俺たちだって立場が違えば平気で異物は利用し潰そうとするだろうから」
至極真っ当なように聞こえるが、間違いなく間違えなくネジが外れた考えである。
しかし、獙獙の考えはしっかりとフィリップに異質さを残したまま牙を立てる。
「カワイイ、クァあああいい未来ある幼女を異人とか関係なく俺の前で巻き込んでみろ。その時は……世界を敵に回しても関係各位皆殺し、だからな」
味方の身の毛すらよだたせる無差別な獙獙の殺意が飛び刺さる。つまり本気なのだと伝わったのだ。恐らく過去にそれに類似する事件を起こしたという実績すら解放しているだろうと。
だからこそ、フィリップは獙獙の用心と忠告にまっすぐと答える。
「少なくとも俺にその気はない。出来ることならこれを機にこちらとの信頼づくりの足がかりになればと思ってる」
「……どちらにしても最悪を考えるならその措置が私たちに及ぶ可能性があるってことだから手の内が見れるに越したことはないわ。最もアレを見た後だといつ最悪が、災厄が背後から来てもおかしくない状況だけどね」
甘い言葉に気後れせず、純というジョーカーによる牽制をヘンリーは図る。
この場にいる人間全てを出し抜いても意味はないんだぞ、と。
「それで、その信憑性のない話は自分の目で確かめたわけでもなく、あくまで、そういう話がある、っていう伝聞なわけだろう? お前がひとまず騙すつもりがないとしても、そこのオカマ野郎が最悪を避けるためにとかもっともらしいことを言うんだとしても、俺は手を貸そうって気にはならないな。面倒くさいし、それなら幼女を探して一緒に遊ぶか遠くから愛でてるほうが楽しいし、その最悪にも俺の満足行く形で立ち会えるからな。だからここにいる俺以外のメンツを立てるために最後まで話は聞いてくけどそこから先、協力するかは勝手にさせてもらうけど構わないよな」
ヘンリーとフィリップの視線が交差する。
「構わない」
「私も、何かあった時に事情を知る人間が控えてると思った方がいいからね、それでいいわよ」
フィリップとヘンリーの言葉に獙獙は右手であっちへ行けと振り払うようなジェスチャーでだったら後は好きに話せ、俺はこれ以上口を挟まない、ということを強くアピールするのだった。
故にフィリップは話を本筋へ戻す。
「情報源を明かすことは情報提供者の了承を得ていない、という点からも明かすことは出来ない。ただこの街。いや国でその情報屋はその肩書に恥じない働きを続けてる。善悪に関係なく。だから、依頼で受け取った情報は信用していい」
咳払いを挟むフィリップ。
「そしてその情報がこの国の地下には確かに俺たちのまだ知らない施設が存在し、その答えがそこにある、ということだ」
「地下ってあの膨大な都市空間と並列してってこと? それとも」
「その更に下。限られたモノしか知らない場所がある」
そう言ってフィリップは尻ポケットからメモ帳を、内ポケットからペンを取り出すと何かを書き始める。それが地下へ続く場所はどこか、という当然の質問に対する準備だと誰もが気づいているので静かに見守る。
さらに言えば、一斉に地図を配られている端末に送信すればいいと考えるモノはこの場にはもちろんいない。
「俺の対価で知れたのはここまでだ」
そう言ってとある区画を囲むように雑に描かれた地図上に円が描かれていた。しかし、雑であるにも関わらずこの場にいる誰もが即座にその場所が何処なのかを理解できた。そう、ここに来て間もない異人が土地勘もなしに、である。
なぜか。
「急に真実味を帯びてくるように感じてしまうわね」
描かれた円の右下に現在、異人が仮住居として与えられている場所が含まれているからであった。
「ちなみにその対価がもっと高価なものであればこの円は小さくなって、何なら場所を限定できたのかしら。それともその対価に見合う方法で調べた結果がこれなのかしら」
「わからない。どちらの可能性もある」
それは前者であれば情報提供者は更に詳しい情報を手に入れていることになり、真実に近い分こちら側よりも危険な立場にあるということである。
それをなんとかできる人間なのかはさておき、少なくともその情報提供者は真実を知っていてなお中立をとっていることにあり、それは最悪こちら側が何かを起こす前にアンドロイド側に情報が漏れることも意味している。
一方で後者であれば提供した情報以上の情報を知っているとも限らないということである。それはこの円が何かを基準に描かれたことを意味する。そしてその何かは当然円の中心である。
つまり、方向がわからない中で円の中心から何らかの手段でおおよその距離を測って割り出した概算の円であることが推測できる。
「対価を払ってその情報提供者からより詳しい情報を引き出せるか試すか、円の外周……特に私たちの今住んでる場所周辺を重点的に調べるか、ね」
「対価に関してはもちろん、俺にできることはほとんどない。ついでにあんたらに出来ることも頭を下げておいて何だが、多分ない。そのぐらいこの一件に触れることが向こうにとってもリスクだったんだと思う」
「……そう。だとしてももう一度話を聞いてみる価値はあるかもよ。何せ、状況は動いてる。それは情報の価値にも変化が起きてることを意味する。情報はナマモノ」
「……わかった。それじゃぁ、俺がもう一度交渉に向かう。その間にあんたらには地下施設ないし何かしらの出入り口を捜索してて欲しい」
順調にフィリップとヘンリーの間で不穏な会話が進む中、獙獙が手を挙げた。
故に会話はどうぞとでも言うようにピタリと止まる。
「部外者が大穴を開ける、っていうのはダメなのか?」
「……流石にいくら先がわからないからって大胆に動くにはまだ早すぎる段階よ。そこまで危機的でないなら慎重で問題ないと思うわ」
大胆な発言に至極真っ当な答えが返ってくる。
「そうやって最初から全力でなかったことを後悔しても知らねぇぞ。だったら俺はあくまで幼女を守らせてもらう」
それは実質、獙獙が参加を拒否したことを意味する。
「構わないわ」
はぁとヘンリーが溜め息をつき話が一段落ついたように見えたタイミングで会話に参加していなかった一人が口を開いた。
「随分とアンドロイドに否定的、あっ、もちろん人体実験という点には私が言えた義理じゃないけど止めるべきだとは思うわ。でもアンドロイドに否定的なのにアンドロイドを自宅で使うことには抵抗はないの?」
リディアの質問である。そしてその質問は二種類の驚きを与えていた。一つは異人側の使ってるのか、という真っ当な疑問。そしてもう一つはフィリップのどういう意味だ、という顔だった。
故にリディアは続ける。
「玄関で迎えてくれた執事の方、人というには違和感があったと言うか機械だったよね?」
「はい。アンドロイドに近いものだと推察しています」
リディアの説明という疑問にコレットが補足する。
「……少なくとも俺は知らねぇぞ」
フィリップの反応を見るに本当に執事がアンドロイドとして使用されているのを知らない風だった。
「でも、ちょっと待ってくれ。近いものっていうのはどういう意味だ?」
確かに妙に引っかかりを覚える言い回しでもあったところにフィリップは何か望みをつなぐように質問する。
「そうですね。断定するには部分的に人間、つまり肉体的なものを感じるため出来ないといったところです」
「でも、それって人に擬態をする上で文字通り肉付けしてる、とかじゃないの?」
ヘンリーの発言は可能性として十二分にある。一件安直な発想なような気もするが、それができる技術は持ち合わせているレベルの国であることが根幹にある。そして、ここからフィリップはさらに老いている執事の存在をこの目で見ている一方で、その仮説でこの提唱は意味をなさないことを理解していた。だから確認する以外に手段を持ち得ないと判断する。となれば問題はイブリース家でこの事実をどれだけの人間が知っているか、である。
奇しくも身内を警戒しての会談の方式が役に立ったのは皮肉以外の何物でもない。
「人とアンドロイドを外見で区別ができないぐらい精巧に作れることは自慢されてましたが、その弊害が出ている、ということでしょうか。それとも本来であれば区別ができるのでしょうか?」
リディアのごもっともな質問。
「足音、関節駆動を始めとした機械音なんてのもあるが一番は製造された機械は端末で確認できるように個別の電波を常に発信しているんだ。それこそ、本当に見分けがつかなくなれば機械間でネットワーク上で出来ることを人間は出来ないという不都合、いや不利が生じるわけだからな。共生を謳う側がこれを拒否するのはないわけだ。だから端末を持ってれば常に把握、区別できる」
それはアンドロイドを人間としては決して観ないという個人情報、プライベートを設けないという区別の意識が大前提として根深く息づいていることをここでは論じないこととして、である。
「判別する手段は設けられていると鵜呑みにしたツケか、あるいは本当に裏切り者がいるのか、それともただのサイボーグなのか」
どの可能性もありえるとしてフィリップは口にしていた。一方で、リディアは故郷の惨劇を思い出していた。
自らが流されるがまま才能を揮った悲劇を、である。
「その人体実験って詳細はまだわかってないんですよね」
リディアの真っ直ぐな瞳からの質問に動揺し取り乱していたフィリップは視線が合うと深呼吸を挟んでから深く一度頷いた。
「人とロボットが入れ替わる。これがある実験の成功を目的として施行されている実験の過程だとした時、彼らは実験の先で何を成し遂げようとしているのか」
あの時は母を蘇らせた副産物としてただ産み出していたに過ぎない。しかし、今回は目的が個人ではなく種族であるならば、故人でなく生者であるならば、リディアたちのアプローチが別の顔を覗かせるのは容易だと判断できる。
だからリディアは奇しくもアーキギュスの思惑に最も近い所へ歩み寄ることに成功してしまうのだ。
「彼らは人を創る、あるいは人に成ろうとしているのではないでしょうか?」
人が目指すのではなく機械がそれを目指して自発的に行動しているという可能性に聞いたモノの多くは寒気を覚える。
故に、だったらこの実験で行う人体実験はどうなるんだ、とそれが想像できているであろうリディアの次の言葉に自然と注目が集まった。
「そうだと仮定すると彼らがどうやってそれをなし得ようとしているのか。考えとしては二通りあります。一つは彼らに直接人そのものを教えること」
「それは人の構成や感情を教鞭する、プログラムとして入力したり、映像として記録させたりすることとは違うのか?」
リディアの言葉から真っ先にこういうことではないのだろうと予想はつきつつもでは、どうやってと想像を膨らませることの出来ないフィリップが質問する。
「それも間違っていない、と思います。ただ、それだときっと目的は達成できません。例えば車の運転を一度も運転しないで座学、シミュレーション、助手席で見ていても、車の運転を任せるには至らないと直感的にわかるように、ただ教えるだけでは経験として圧倒的に未熟で不足しているのです。だから私はこう考えます。まず、自身で学習できる最低限の機械を創り上げる。そこへフィリップさんが想像するようなことを一通り学習させる。そしてその後その機械を人と接続して操作させる、です」
「つまり、アンドロイドに搭乗させてシンクロさせる、ってことか」
「はい。心音や脈拍、体温をなどのデータに加え、その人がどういった行動を取るのか全て記録する。それは感情と動作を簡易的ですが最も効率よく理解できないとしても学習はさせられる手段たり得る、ということです」
「つまり、あの執事もアンドロイドだがしっかりと遠隔で操作している人間がいるから機械との違和感を感じにくかったと」
それなりに長い付き合いである故に、人であることへの安心感と同時に本来の姿を知らないのかというどことない寂しさを覚えるフィリップ。
「でもそれって代役となる人間を長期間拘束且つ得たい行動を同意の上でやらせていることが前提と考えられるわけだけど……前者はまぁ、なんとかなるでしょ」
「なんとかって」
ヘンリーの言葉に頷くわけには行かないという正義感からかフィリップは慌てたように否定から入る。
「だって、戦争に兵器を届けるこの国なら捕虜として人を確保は出来るでしょうし、自国内でも犯罪者を使って、末期患者を使ってとか人材確保は出来るし、そして何よりこうして人だとバレないアンドロイドを歩かせられるなら拐うことも当然視野にいれることが出来る。だって気づかないんだもの」
ヘンリーのあり得うる、一考すべき解答に警察だからこそ否定できないフィリップ。だからヘンリーは問題点として同意を挙げたのである。
自身の立場故に押し黙っているフィリップを尻目にヘンリーは言葉を続ける。
「問題はそうやって無理やり拐ってきたとされる人間をどうやって操縦させる上で私たち一般人に怪しまれないように普通に生活を送るように操作をさせていたのか、ということよね」
「それに関しては……なんとも」
暴れて抵抗するという可能性まで考慮すればあまり現実的な仮説ではないと言えるが、この世界ならそれをなし得る手段もあるのではないかと考えさせられるところが恐ろしいところでもあった。
「……二つ目は?」
フィリップが話を逸らすようにリディアの喋りを続けるように促す。
「二つ目はイブリースさんの予想通りにもあった人のサイボーグ化、です。Aさんの身体を少しづつ機械で代用できる部分と取り替えていき、最終的に全てを機械に換装してしまえばそれはサイボーグではなく人を元に創ったアンドロイドで人がアンドロイドに成った存在、つまりアンドロイドが人に成った存在とも言い換えることが出来ます」
「はたしてそれは本当に本来あったものと同じものと言えるのか、って思考実験が付いてくるまでがテンプレの展開ね」
「でも、ある種意思を持ったモノが成り代わってるわけですから効率はいいですし、それこそ人間という経験値だけを積んだ別物として認識されるならそれは人間を成る最も簡単な方法であることも証明されます」
その通りだった。
「ハハッ。いよいよもってヤバいってことじゃないか」
だからフィリップはその仮説の上に立つ仮説から国の危機を言葉にする。それはもちろん、その危機感はアンドロイドが人に取って代わろうとしていることもだが、間違いなくこれだけの人間が絡むプランである。
つまり、イブリース家の誰かが率先して絡んでいることを否が応でも疑わなければならなくなったという危機感の方が大きかった。
「一服、構わないだろうか」
どこかやつれたように見えるフィリップの申し出を断れる人間はこの場にはいなかった。ァチッと煙草に火を付けるライターの音だけが虚しく部屋に響き渡るのだった。
◇◆◇◆
部屋に充満した煙を換気するまで無言だったが、その要因を作った当人が重たそうに口を開いた。
「こっちは執事の一件と情報提供者の一件を追う。そちらさんには証拠となる施設への入口を見つけてもらう。当初とあまり変わらない予定通りだが、それでいいだろうか?」
「私かムバラクもつけようか?」
フィリップの顔色を伺ってヘンリーがフォローに入ろうとするがフィリップは顔を左右に振った。
「いや、大丈夫だ。先に情報屋の方と接触を図るからその時にどうしようもないと思ったら連絡する。それまではできるだけ身内の錆だ。自分で解決できるなら解決を図りたい」
「わかったわ。でも協力関係にあるんだから一人で無茶して迷惑だけはかけないでね」
「わ、私の話もまだ何一つ決まった話ではないので重く受け止めないでください、ね」
ヘンリーに続くようにリディアが気を遣う。そして、このまま解散する流れになるのだろうと誰もが思った矢先にその通知は届いた。会議中ということもあり皆が通知をバイブにしていたのだろう。通知音が響いていない。
故にその場にいた全員が一斉に自身に届いた通知を確認しようと端末に目を向けた異様な光景に気づかない。
「蛻昴a縺セ縺励※」
訳のわからない文字列の題名。
故に顔を上げるキッカケとなったその場の全員がこの通知がこの場の全員に一斉送信されているものだと、何か不穏なものを感じ取っていた。
「みんな読めない文字列の題名のメッセージが届いてたのかしら?」
ヘンリーの確認に全員が頷く。
「読み上げ機能があるからひとまず俺ので再生するか?」
「こういうのってウィルスとかの可能性はないの?」
「否定はできませんけど……」
沈黙。
結局、罠だとしてもこのタイミングで届いたことに確認する意味はあるとしてフィリップの最初の提案を通すのだった。
「縺薙l縺ッ繝?せ繝医?ゅo縺悶o縺匁枚蟄怜喧縺代☆繧九→險?闡峨↓豌励r驕」縺?ソ?ヲ√?縺ェ縺?□繧阪≧縲ゅ∪縺輔°縺薙l縺九i邯壹¥險?闡峨r隕九※縲∝、画鋤繝??繝ォ縺ォ諢丞袖縺後≠繧九°繧ょセゥ蜈?☆繧区嚊莠コ縺ッ縺?↑縺?□繧阪≧縲ゅ←縺?○逍大撫隨ヲ縺セ縺ソ繧後□縲。
俺の名前は【Not Found 404】。恐らくこのメッセージはフィリップ・イブリースとその周囲にいる協力関係を結べた者を中心に送信されているだろう。突然の奇怪な文章にさぞ怪しんでいるかもしれないが、心配しないでくれ。俺は怪しくないが、怪しいものではないと言わせてもらうぞ。ハハハハハッ。ジョークは通じてる? 緊張はほぐれた? さてこれは【Not Found 404】という実験結果である。実験はきっと成功しているだろう。そのついでに俺は君たちを助けようと思ってね。だから気楽に、そう信じなくてもいい、ただ助けになるかもしれない程度の感覚で読んでくれたまえ。
君たちはこれから【不適切な表現がございました】しまうわけだけど、実は大した問題じゃない。なぜなら蟷セ轢ァがいるし、そういう結末を求められているからだ。でも、多くを犠牲にしないで済む方法がある。それは消音だ。これを使えば【不適切な表現がございました】も迅速に対処できるだろう。まぁ、一部のものから反感もかいそうだが。さて、これ以上の干渉は【Not Found 404】にも影響が出るかもしれないからひとまず止めておこう。成功を祈るよ。それじゃぁ。
霆「騾∝昇莉、」
読み上げられたのは重要なところが全て伏せられたいかにも匂わせるだけ匂わせただけの怪文書だった。その匂わせがまるで未来を予知しているような匂わせであり、解決手段が消音であることがわかる。だが、何が起きてこれを持ってどう解決するのかわからないければ、警戒は出来ても活用できない意味のないもの、に成り下がる。
一方で、フィリップの端末に異常が発生することだけはなく、遅延性の可能性もありえるがひとまずウィルスではないのだろうという認識だけが共通のものとなる。
「消音ってつまり音を消すってことよね」
ヘンリーの言葉に異人視線は一箇所に集中する。
「はい、出来なくはありません」
ラクランズのバーストシリーズ、波をテーマにしたコレットである。音を消す手段としては主に二つ。一つは空気を始め物体を振動させない。もう一つが同じ振動の波をぶつけて相殺する、である。そしてコレットの波はこの二つ目の解決策を満たすスペックを持ち合わせているのである。
問題があるとすれば数で押し切られる所となる。
「一応、擬似的にそれに近い機構を用意しておけばいいですかね?」
リディアがその弱点を補う術を提案し、周囲はそれに頷く。そして、これ以上広がらないのがこの話題でもあった。
何せ何を言っているかわからない点とそれ以上に緊急性のある問題に直面しているからである。
「……それじゃぁ、ひとまず解散にしよう。何かわかったら連絡をくれ」
フィリップはそう言って占めるとここへ来た時と同様に車で彼らを探索の目的地である異人仮居住区周辺へ送り届けるのだった。それが純がイブリース家を来訪する一時間前の出来事である。
◇◆◇◆
「夕日がキレイな時間に窓から失礼するよ、ご当主」
どうやって高い塀に様々な警備網をくぐり抜けた上で二階の窓からガラスを割ることなく開けて初めて訪れたイブリース家を迷うことなく当主の部屋に侵入したのかは割愛する。
「……今日は来客が多いな。誰だ、お前」
ベッドの背もたれを僅かに上昇させ寝たままその老人、イブリース家当主ディマス・イブリースが口を開いた。
突然の侵入者にして不審者に対して驚くわけでもなく、助けを呼ぶわけでもなく堂々と名乗りを挙げさせようとするのは名家故の礼節か、老齢故の自信か。
「初めまして、ディマス・イブリース。俺の名前は幾瀧純。巷で話題沸騰中の異人って呼ばれる人間の一人だよ」
そう言って純はミアに書かせた紹介状をトランプを投げるようにディマスの腹の布団へ突き刺した。
チラリと封筒のサインを確認しただけでディマスはその紹介状を手に取ろうとはしなかった。
「お前が多岐のモルモットか。いや、異人だからその修飾はおかしいか」
窓の縁に腰掛けていた純はひょいっと勢いをつけて部屋へ着地する。
「随分と知ってるんだねぇ。誰から聞いたの、おじいちゃん」
「その宛があるからここへ来たんじゃないか、小僧」
「そんなにやんわりなだめられたことにイライラするなよ。大事な大事な寿命が縮んじゃうよ? それに最初にふっかけてきたのはお前の方だろう、クソジジイ」
いつの間にかディマスの眼前まで迫っていた純がそのまま額を軽く当てながら威圧する。大声を出せないこともあり、抑えめに放たれたその声は結果として凄みを増していた。
そして沈黙が約十秒続く。
「さて、そんなプライドの貶し合いをしに来たわけじゃないからね。ちゃんとした招待状、紹介状持参なんだからもう少し落ち着いて話をしよう。俺がわざわざこうして来たんだ。こっちの都合もわかるだろう?」
「地下のことか聞きたいのか?」
ミアからの紹介状の時点で察しが付いていたのだろう。
純の疑問に間髪入れずに答えてみせる。
「ハハッ、話が早くて助かるよ。ぜひ聞いておきたいんだ。どうしてイブリース家当主があの実験施設に加担しているのか。まさか我が身可愛さ、だけじゃないんだろう?」
「その質問に答えるなら私ではない方が良いだろう」
「おいおい、当主というあんたを差し置いて糸を引いてる人間がいるって意味かよ。そんなこと言って俺を追い返したいだけじゃないの?」
「安心しろ、お前が疑うより前にもう呼んである」
そう言うと右手にナースコールのようなものが握られていた。
恐らく紹介状を確認したタイミングですでに呼んでいた、ということなのだろう。
「随分展開が早いじゃん。これで無下にするようだったら、痛い目みてもらうかもよ」
「そう、脅さなくても構わない。お前とやり合っても俺では勝てないだろうからな」
そのあまりの潔さに若干気味の悪さを覚える純。
そう思うのとドアが二回ノックされるのはほとんど同時だった。
「入り給え。あなたに用事がある人が来た」
あなた、と今までは明らかに違う態度、どこか優しさよりかは敬意を感じる柔和な声色を向けられたドアの向こうにいるであろう人間に身構える。
「失礼します」
そう言って開いたドアから入ってきたのは一人の女性だった。
「初めまして。幾瀧さん。私、ティニア・イブリースと申します。以後お見知りおきを」
ボタンで侵入者を知らせることが出来るのまではわかる。では、なぜここにいるのが純であるとわかっているのか。その答えはモールス信号のように伝えたのか、ここに純が来ることをすでに想定できていた人物、ということになる。
いや、そんな推察をしなくても純はティニアを見ただけでおおよそを理解していた。
「お前、人間なのか?」
純の問いかけに無表情に見えた顔がニタっと返事の代わりに口角を上げたのが実に実に不気味だった。