第百三十七筆:氷炭創愛
「あれがお目当ての団体かな」
純とアーキギュスが模擬戦をしていた頃。マーキスは純のお使いとして張り込みをしていた。お使いの内容の一つは外部から来る危険分子の監視。そして情報通り、時間と指定場所ドンピシャのタイミングで不審な団体の侵入を確認したのだ。不審、その定義も時々によるだろうが今回マーキスが先の判断を下した理由は佇まいだった。二人、を除いて立ち振舞からは警戒の色を隠せていなかったのだ。やたらと気にするように移る視線、それに反する、いや隠すように堂々とした背筋の意識などが挙げられた。
しかし、ここまでなら不審でありお目当ての団体とまでは確定できない。では、確定に至った要因は何か。それは丁寧に偽装して持ち込まれた武器に気づいた、とかそういう話ではない。もちろん、辺りはつけているが。では、何か。それは先程除いた二人の内一人の隠す気のない敵意だった。それは今にも肩がぶつかった相手に因縁をつけて喧嘩に持ち込もう、とかそもそも手当たり次第殴りかかりそうとかそういう敵意ではない。むしろそういったところはしっかりと自制できている風体である。では、どういうことか。剥き身の刀身なのだ。常に臨戦態勢。警戒をしていないという点から矛盾を感じるかもしれないが、その場で自分が最も強いと思っている人間ならばどうだろうか。襲われても対処できる環境下で襲われても即座に全力で返せる、どっしりと構えてる、ということである。故に敵意にも若干鈍感なのか、それを補うように周囲の人間が警戒しているとも取れる。
それはさながらライオンのハーレムにも見て取れた。
「今コンビニの前を通った団体。そっちから確認できるか?」
「スゴいっすね。よく視えますよ」
マーキスの呼びかけにインカム越しにケイデンの返答が聞こえる。
「こちらも確認できています」
遅れてスペから報告が入る。マーキスが純に用意して欲しいと指示したものを持ってきたのはスペだった。昨日の今日でなく、今日の今日で品を揃えてきたことにも驚きだがマイアチネ側に秘密裏に行う様なことをやらされる可能性も考えていただけにスペという敵の身内と称してもいい存在をあてがわせることに驚かされていた。何よりマーキスを手伝うように純から依頼を受けていると来たものだからその驚きはより強いものとなっていた。
正直、気の知れたというよりもスペックがわかっている人間と組むつもりだったこともあり少数精鋭、つまりケイデンとのペアを予定していたこともあり出鼻をくじかれるような形にもなったわけである。
「あれが何者かはスペにはわかるのか?」
もちろん、マーキスが質問をするのには理由がある。それは至極単純で純が危険分子と定めている人間を純から具体的に聞かされていないからである。純曰く、明らかにヤバいのが二人、侵入してくる予定だから見極め力も兼ねて伝えないのだと言う。
決して名前を知らない、というわけではないぞと何度も念を押されたのは逆にフリなのかどうか迷う程度に苛立ちと混乱をマーキスに捧げていたという。
「彼らが名乗っているわけではありませんが、神輿と呼ばれています」
「ヨウアヒア?」
「あなたはここにいる、神輿を担ぐものは全て彼という国の下にいて、その神輿として担がれている人間を指しての言葉だと把握しています」
つまり、神輿の頭は地面を歩くために長い爪すら丁寧に切り落としたナマケモノの様なあの男だろうとマーキスは予想を立てる。
何せ神輿に担がれる人間は無能とまではいかなくともお飾りでその組織の中では生贄のように面倒ごとの矢面に立たせるためにご機嫌取りされている存在、つまり、使えない、切り捨てても問題ない人間と相場が決まっているからである。
「ふ~ん、それで」
「盤外戦力、端的に言えば世宝級という区分では語れない評価を持つ戦力が二人、確認できます。一応、全員の顔と名前を照合することも可能だと思いますがどうしますか?」
「端末に送ってくれ」
「わかりました」
純の言うところのヤバい奴二人というが恐らくこの盤外戦力のことだろうと推測できるので、答えが来るまでマーキスは該当するであろう二人を推測し始める。一人はすでに確定している。後は神輿に担がれているであろうあの男以外の三人から見定めることになるなぁ、とマーキスは考えながら様子を伺う。これと言って目立った様子もなく、言ってしまえば軍隊にいればある程度優秀な人材という印象を受けるため彼だ、と決めるのはとても難しいと思いながら眺めるのである。とはいえ盤外戦力ならいざ知らず世宝級というのもどのぐらいの凄さかマーキスにはまだ理解がないのである。
それは同時に、盤外戦力も異名を付けられはしてもピンキリなのか、それとも言葉通り想造という才覚のみで語ることの出来ない何かを持っていれば良いわけで、純粋な戦闘の強さなどを評価しているわけではないのかもしれない、とも考え始めていた。
「送りました」
どれどれ、と興味はあったので送られてきた詳細から自分の予想との答え合わせをしようとマーキスは端末を注視する。そこには予想外の記載があった。バルナペ・アペラール。マーキスが最も危険だろうと判断した人物。予想通り盤外戦力であり、この世界では武力という点で十家に引けを取らない実力を有している。抗争で目撃される頻度が高いことからその危険性を啓蒙するためにつけられたらしい。そう、ここはあくまで予想通りなのである。つまり、先の予想外の記載に該当していない。
不能男。氏名不詳の盤外戦力。ではなぜ名無しの人間が不能と呼ばれているのか。それは字のごとく能力や才能がないから、である。それだけ、である。
そしてそれだけであることが問題でもあった。
「この不能男の情報って合ってるんですか?」
マーキスの疑問を先にケイデンが口にする。
「何処か不可解な点がありましたか?」
「いえ、盤外戦力なんですよね?」
「はい」
「そっすか」
スペの返答に合わせて、ケイデンがマーキスに個別に回線を繋げたのがわかった。
「どう思います?」
ケイデンがなぜスペに聞こえない形でマーキスに先の質問を口にしたのか。一つは不能男はこの世界では先の情報を見ただけで盤外戦力であることに疑問を持つものがいない、つまり文字通り能力や才能のない人間であることが常識であるということ。これが事実とすればマーキスたちにとっては盤外戦力の基準が不明瞭になる。何せ何の脅威もないということなのだ。それとバルナペが同格で評価されているという事実は二人にとって八角柱の中に生まれたての赤子がいるのと同義であるからだ。そこになぜ、という疑問がつきまとい続けるのはしょうがないことだろう。となれば次に考えるべきはスペの報告に虚偽が含まれている可能性、またはスペが知り得ない何かを隠し持っている可能性である。むしろこちらであった方がまだ納得できるという話だった。
だからこそ回線を分けたのである。
「虚偽の報告、または未知の力を隠し持っている、あるいは登録されている顔ではない可能性……とにかく文字通りでないことを前提に警戒をしたほうが良いだろうな」
「了解です」
回線が再びオープンになった。向こうもその切り替え事態には気づいているだろうがそれでも長時間回線を分けておくことは不信感を募らせる。だからこの短時間のやり取りで済ませられたのは正解だろう。
しかし、である。不能男が脅威でないと仮定すれば、純の言う二人組に該当しない。一方で、盤外戦力でない三人の方に底知れぬ実力者が紛れ込んでおり、純はそれを見極めさせようとしている可能性もある。少なくとも対人を想定した時、何処までいっても純が指定した団体でない可能性がつきまとうこととなったのだ。
まさか、不能男が該当しているとは何度でも言う、脅威として捉えることが出来ずそう考えられないのである。
「ケイデンはとりあえずあいつらをマーク。俺はもう少し周囲を警戒して他に侵入者が現れないか張ってる」
「了解です」
そうなるよな、というケイデンの声が聞こえる。用意された銃のスコープの性能がいいこともあり、マーキスの後方一キロメートルで待機しているので尾行がバレない追跡としては優秀だろう。一方で、巻かれる可能性もあるわけだが、今回の依頼は侵入者の確認、である。
この状態から巻かれることは大した問題ではないのだ。
「スペも異変があったら随時知らせてくれ」
「わかりました」
こうしてしばらく監視は続いたのであった。しかし、先程の侵入者発見以降、新しい侵入者が現れることはなかったのであった。
◇◆◇◆
「此処から先で見聞きしたこと、モノは私の立場も危ぶまれるため、くれぐれも全てご内密にお願いします」
地下第三階層。尾行を振り払い、痕跡を残さない様に念入りに地上と地下を数度往復したどり着いた深緑色の光源で満たされたいかにも研究していますといった雰囲気の場所。一方で、注目すべきところが光源である通り、鉄パイプ犇めき、蒸気をたぎらせ、ゴウンゴウンと機械の稼働音がせわしなく鳴っている、ような場所ではない。
それでも幾つもの施設がすし詰めのように隣接しているのは確かだった。
「危ぶまれる? むしろ好都合じゃないの?」
「……邪魔だけはしないでくださいね」
ふゅーと純が口笛で茶化すように答える。現在、車を降りた二人はミア先導で数ある施設の一つの中を移動していた。目的地までの道中で純が得た施設への印象は隔離病棟だった。働く人間の存在を感じないこと、日中であるにも関わらず薄暗いこと、何よりあまりに静かという廃病院を想像するのも無理がないであろう場所であるが、それを否定するようにガラス越しに設けられた大きな個室に横たわる死体の様に微動だにしないでベッドに横たわる人間とその人間の生命活動を記録している機械の数字の変動が目につくのだ。厳重に隔離された上でどんな手を使ってでも生へ誘う場所、純が隔離病棟だと感じた理由だった。
そして、しばし二人の足音だけを階段や廊下で響かせて歩くと、ミアがひときわ大きなガラス張りの部屋の前で止まった。
「ここです」
患者名、カシュパル・ブラーハ。
純がアーキギュスから受け取った合意を得た上で実験の経過が良好な個体、人間の名前がそこにあった。
「ここでのやり取り、会話ってアーキギュスに筒抜けと言うか、どこかに記録されてるの?」
「そこまでは知りません」
「そっか」
一応確認ね、という顔を純は正面のガラスに向ける。
横を向かずとも互いの表情が見て取れるというのもあるが、せっかくなら被験体はしっかりと見ておきたいという意思が順位もあったからである。
「それじゃぁ記録されないことを願って、いや、そんな奇跡が起こることを信じてしゃべるんだけど、今どのくらいサイボーグなの?」
純の言葉を受けてミアはゆっくりと瞳を閉じる。
その後、薄っすらとまぶたを持ち上げ左隣の純を目線だけで睨みながら回答する。
「聞いてないんですか?」
「別に意識不明の彼氏の現状を彼女自らの口から言わせて気持ちを逆なでしたり、落としたりして遊ぼうってつまりじゃないんだ。ただ渡された情報がどのくらい正しいのか、どの時期の記録が渡されたのか確認したいだけだよ」
はぁ、と若干ニヤつきながらしゃべる純に対してミアは溜め息を漏らす。
その溜め息がわざわざ進行状況を聞かれて不機嫌な理由を懇切丁寧に説明されたからなのは言うまでもない、ということだろう。
「約九十パーセント。あぁ見えて脳はすでに三分の一は機械で代用している状態よ」
言葉から気遣いが消えたことで、ミアから純へ軽蔑、敵視の意が示される。
「どうしてこんな状態に?」
ミアの沈黙。それは、どうしてこんな状態になったのかわからないからというわけでは当然ない。あくまでアーキギュスから受け取った情報の精査が目的というお題目を振りかざして思い出したくもない傷を説明させようとする姿勢が続くことに、答えてやる義理はあるのか、となっているのである。それでも口を開こうと最終的にミアが思う理由は、この場で戦闘となったとしてカシュパルを守り抜く自身がないから、である。ミアだけならなんとかなるかもしれない、出来るかもしれないと思っている節がないわけではないが、純の実力を直前に目撃しているのが牽制として機能させられているのである。
つまり、結果としてカシュパルはミアにとって純の前ではしっかりと人質として機能している、ということである。
「最初に言うと骨壊死や感染症というわけではないの。癌とも違えば逆に消費される細胞に対して生産される細胞が足りない、というわけでもない。でもニュアンスとしては今までの例の中だとさっきのが一番近いとも言えるわ。つまり」
カシュパルに向けられるミア視線は彼氏の快復を願う心配の瞳からその身体を蝕む何かに対する憎悪の瞳へと変化していた。
「ただただ細胞が死んで機能しない器官や臓器が増えていく。類を見ない症例らしいわ」
「確かに、身体が壊死していくって聞けば真っ先に思い浮かぶのは細菌で次が細胞の機能不全、つまり先天的遺伝子疾患かな。それの過去に類を見ない最悪の症例がこれって認識なわけか。ちなみに本当は細胞を死滅させている原因が細菌ではないか、それより微細なもので見落としているかもしれない可能性というのは?」
「壊死している部分とその周囲の肉片を数か所からサンプリングして電子顕微鏡で観てるんだ。後者の可能性はないと信じたいかな」
サンプリングしている、その言葉をした瞬間、生々しくカシュパルの身体から肉片を採取している当時の姿を想像したのか左手で額を覆うミア。
「逆に原因が他にあるとしてもその原因が突き止められなければないに等しい。少なくとも私にはこれ以上激痛を伴う医療行為を続けさせて彼が苦しむのを見続けるのは嫌だった」
機械と肉体の換装を続ける行為はそれに含まれないのか、それでも生きる道を歩ませるのかという言葉をグッと飲み込んだ純は、そんな自分を内心褒めながら話を進める。
「じゃぁ、この手段を取る前に他の世宝級の力を借りよう、とは思わなかったの?」
「思ったわ。再現に再生、その手の分野で名を馳せてる人間は当然いたからね。誰もがまず目指す研究とでもいうのかしら」
当たり前だろ、と危篤の恋人を前に状況も気持ちも理由も知らない人間が自分が歩んできた道を、最善をやっていないのではと疑惑の目を向けてくることに対する怒りによる語気の荒れが目立ち始める。それが純にもわかっているからなのだろう。
故に口には出さず首をミアのいる右へ傾けて、ではなぜと間接的にした最低限の刺激で問いかけていた。
「一度にかかる費用が膨大故に何度も負担できないこと、いつでもどこでも対応できるとは言えない個人や管理する国の立場、そもそも消息が絶たれた奴。どれも私たちではどうすることも出来ない規模と状況だった。だから、一度でこの病気と決別する必要があった。そのための全身サイボーグよ」
地元で治療に専念できること、何より治験という名目で治療費も大幅にカットされていることは確かにミアの言い分を全て一括で解決できる手段だった。もし、再生、彩音の消息が分かっていれば機械に換装する要領で新しい部位を生きたまま再生することが出来たのだろうか、などと考える純。病気の原因がわからない以上、同じ身体を再生することは結局再発を危惧する結果になるかもしれないが、全く別の肉体を移植し続ければ……。ここまで考えて純は結果的に現状と何一つ変わっていないどころか、再発という一点に於いてむしろ悪手であるという考えに帰結する。それでも、である。機械の身体とタンパク質の身体。どちらが人間として受け入れられるかという問題を考えて前者に理解できても納得ができないのは世界観の違いか倫理観の違いか、はたまた覚悟の違いかなどと考えても答えの出ないことを考えてしまうのは甘いな、と純は思う。
そして、思った上で純はその思考を放棄したわけではなく、選択した人間に一つの答えを示してもらう意味で問いかける。
「なるほどなるほど。もらった資料からはわからない事情があったことを知れたのは実に有意義だった。愛故に、そう愛故に、もしくは最悪恩義故に、あなたはこの選択を彼氏と選んだ。いや、共に選んだのだろう。彼氏の方に打算や悪意、恩義に色恋があったかはさておき、少なくともあなたにはあった、愛が、故にこの選択が出来た」
ここが病院ならば注意が飛び交うこと必須な声量で、仰々しく、舞台の上のミアにスポットライトを向けるように丁寧に丁寧に言葉を寄せ集めていった純。
「だからこそ聞いてみたい。そんなあなたにだからこそ聞かなければならない」
一拍。次の言葉に重たさを持たせるための、緩急をつけるための沈黙である。だから、ミアは次に来る言葉はなんとなく、想像できていた。
それこそ、純に言われるまでもなく考えさせられ続けたこの施術に対する命題だからだ。
「心配にならないの?」
しかし、同じ意味合いだとしても明らかに気を遣われた、と思わされる内容に今までの純の言動からミアは備えていた言葉を引っ込めてしまう。そして、ここに来て初めてミアはキョトンとしたなんとも間抜けな表情をガラスではなく純へと向けるのだった。それに合わせるように純も身体をミアに向ける。そこには少しだけ満足げな純の表情があり。そこに少しだけ腹立たしさをミアは覚える。
これからする口論に比べれば、可愛げしかないのだから。
「ごめんなさい。もう少し気の回らない言葉でガツンとこられると思ったから、驚いちゃって」
「それは君が愛する彼氏ではなく、本当に君が愛した彼氏なの? みたいなこと?」
そう、純はあると分かっている地雷を踏み抜ける。そしてむき出しの言葉が油断したミアの心に深く、深く、深く突き刺さる。
ミアの見開いた目にはニチャァと笑った純の笑顔が綺麗に収まっていた。
「これも互いに相談したんだろう? 俺はその上で二人が、いやあなたが出した結論に興味がある。だから言葉を失わせた所申し訳ない、などとは微塵も思わず返事が欲しいからという理由で、聞こえてなかったのかなという体でもう一度、もう一度聞こう」
「その化物を愛する価値はこの先、本当にあるの?」
「ある、あるに決まってるじゃない。彼が助かる道はこれしかなかった。だから会えなくなるのが嫌だからこの道を選んだの。何も知らない人間が何様のつもりよ」
怒りが沸点に達し、内から溢れ出る感情がそのまま言葉となり口からぶちまけられる。
「だって、ちみちみちみちみ身体の一部を段階を踏んで換装しているとはいえ最終的に全身サイボーグになることが決定してるんだろ? 心臓移植などで提供側の精神が移植側に表れる症例は確かに実在する。でもそれすら元が人間であり、少なくとも意思を持つ有機物由来の奇跡だ。でも、この病室で眠る人間の身体は全て意思なき無機質へと変換される。記憶も感情も生まれると思うか? 創られたのではないかと疑わないか? 人間だって結局相手の行動、言動を見てそれに対応しているだけで機械と大差ないという使い古された反論を並べずに答えられるのか? そうでないとわかっているから人は人のまま生活しているんじゃないのか? どうなんだよ。不安はないのか? 本当にお前のわがままで生まれるかもしれない化物を愛し続けられるのか?」
人間と機械、魂の在所、その全てに対して諭される正論の代名詞のオンパレード。
しかし、正論故に、代名詞故に正しいし、その固定観念に真っ向から否定し、感情の美学を語ろうとする人間は、感情に憧れているような機械を描く人間は後を絶たない。
「俺の知り合いにもさ、いたよ。記憶があれば死者を蘇生できる信じさせられた人間が。でもそいつ気が狂っちまってただろうに、我に返ってる様な雰囲気があってさ、結局この段階の話をする前に死んじまったんだよ。いや、もっと正確に言えばそういう幻覚があってさ、仕組んだ人間と対面する機会がなくなってたんだよね。だからさ、ぜひとも同じようなことをこの国トップに改めて聞く前に人間側の意見を聞かせてよ」
「お前みたいな軽薄なやつに語った所で」
キッと噛み殺しているであろう筋肉の強張りを怒りの表情に上乗せして、今にも人を殺しそうなミアはそれをする代わりに、価値観の線引をし交わることがない人間への質問をすることの無意味さを言葉にすることでこの場を乗り切ろうとしていた。それが無意識に出た、人として当然の、愛する人と共に長生きしたいと思う人間の防衛本能だったのかもしれない。
しかし、目の前の男も決して愛を知らないわけではない。
「惨めだな。こんな淡白な人間なら誰かを愛したことなんてないだろうって? そうだな、確かに愛なんて重たい段階までは進んでいなかったかもしれない。それでも、俺に恋い焦がれた相手を見て俺もその気になっていたことはある。これが好きになるってことなんだと」
そんな人が怪物にされるのを止めようともせず、むしろそうなることを面白さのために、この世界に来るためにやってのけたことは伏せて、怪物は謳う。
「だからさ、どうなの。本当に愛せると思う? 揺らがないのかよ、一切? どうなんだよ。そこにいるのは本当にカシュパル・ブラーハなのか?」
この時、純はこう思っていた。ミアも不安を抱えていると。故に純の正論に言葉をつまらせてしまうと。なんなら機械に換装することに、カシュパルを人間とは別のものに作り変えていることに罪悪感すら抱いていることを吐露し、どうすればよかったのか、お前ならどうにか出来るのかと解決策を問い返されることまで想像していた。
何せ、純はどうにか出来てしまいそうなぐらいミアの言葉を否定し、感情を揺さぶり、そして何より想造の可能性に新しい光を直前に提示した実績を持っているからである。
「信じてるに決まってるでしょ」
だから、その真っ直ぐな瞳と言葉に純はこの世界に来て初めて気持ちでたじろかされていた。
「絶対にこの治験は成功する。成功してカシュパルは戻って来る。そう、私が信じてる。あなたの理屈も世界の大多数の偏見も関係ない。彼と彼を愛する自分だけは絶対に疑わない。だからこの治験は模索した結果の最善で最良で成功なの」
気味が悪かった。
「信じてなんとかなるなら、施術の成功じゃなくて病気の完治の手段が見つかることを信じて探すべきだったんじゃないのか? 最善かもしれないが最良じゃない。妥協した最善が妄信の結果最良になるなら誰も苦労しないんじゃないのか?」
だから柄にもなく煽る、ではなく自分の足元を確認するために純は正論を振りかざす。
それをミアが見透かすわけもない。
「どうせわからないんでしょ。自分が好きな花を見つけた時に摘む気持ちと摘まない気持ち差が」
サッと純が左手を伸ばしたまま肩まで上げた。その動作は攻撃、をする点では何の意味もない。
しかし、ミアという人間にそれ以上口を開けばお前のいう最愛の人を俺はいつでも殺せるぞと、このまま攻撃しても構わないぞと脅すには充分すぎる所作だった。
「随分と必死じゃない」
両手を上げて謝罪のポーズをしつつも、口からはどうせ純はやらないという確信を持っての悪態が飛び出す。事実、純は無言でそれ以上のミアのおしゃべりを牽制するだけだった。そして無言のまま約三十秒経過する。
最初に口を開いたのは当然純だった。
「この第三階層より下はあるの?」
「知らないわ」
「この階層の施設で行われている内容はここの人体実験以外に知ってるの?」
「知らないわ」
「ここのことは誰かに?」
「話してないわ。そういう取り決めだから」
どうしてそんな質問を、とミアにはなりそうな質問だが純が間髪入れずに言葉を先に挟む。
「もしも……」
アンドロイドと人間が戦いを始めたらどちらにつくのか。純は挟んだものの言葉をつまらせた。
きっと今まで双方に双方の機密を、シュニーとは異なり悪意や作為などなく善意でしていたであろう人間に勧告の意味も込めて聞いておこうとしたが、先の対話から意味がないと察したからだ。
「もしも俺がこの場で殺し合いを始めようとしたら、勝てると思うかい?」
だから質問を変えた。
「カシュパルに謝って助けるだけの時間は稼いでみせるわ」
出来るのだろう、そう信じているのだから。
「イブリース家現当主に会いたい。紹介状をくれるなら今は君の命も保証できるよ」
「わかったわ」
◇◆◇◆
十分後。純はミアから紹介状を受取り施設を一人後にしていた。送迎はもちろん申し出られたが、純が断ったのである。それはこれからイブリース家現当主と会う前に頭を冷やしておきたいから、というのが一つ。
そしてもう一つが。
「確かに、あれは盤外戦力足り得るんだろうなぁ」
ブッピンが言っていた盤外戦力でないが注目すべき人間がミアであると確信してのボヤキだった。それは当然、ミアを元にして創られたであろう異人(アウトサイダ―)に目星がついたからである。面識があまりなかった故に気づきが遅れたが、彼女ならば、いや形を変えた彼女、つまりミアならば恐らく唯一純と対等たり得る存在なのではないかと今なら思えた。そのぐらいの気狂らいがあったのだ。
正直に言えば頭を冷やす散歩ついでにこの下があるのか、や研究施設を無遠慮に徘徊したいところではあるが、今はその化物を生んだ血族の長にすっかり興味は移っていた。何せ、このカシュパルのいる研究施設の共同出資者にその当主の名が刻まれているからだ。
三分後、ブッピンが呼んだ車が純を迎えに来たのだった。