第百三十五筆:妥当競争
「もちろん、模擬戦ですが、きっとお互いにそれ相応の傷を負うかもしれません。もちろん、治療には最善を尽くしますが、その後すぐまた今のような状況をご提供できる、とは限りません。つまり、質疑応答は終わりますが問題ありませんか?」
「まぁ、仲裁いや監督役として多岐さん呼ぶつもりだし、その辺は問題ないだろう。質疑応答は……この模擬戦含めて本番までとっておくってことでいいんじゃないか?」
「まるで本番とも言える何かがこれからあるみたいな言い方じゃないですか?」
「なくてもいいのかよ」
互いに満面のしてやったり顔で煽り合う。
そして探り合いが探り合いのまま流れ答えが出ないと判断されて話が本筋に戻る。
「それじゃぁ、例の資料と模擬戦の出来る場所を送っておいてくれ。そして模擬戦とは言えやるなら準備してからのやりやすいだろうという配慮から一時間半後にお前に指定された場所に集合ということでどうだ?」
「準備、という点じゃそれこそそちらも同じはずなのに随分と恩義せがましいですね。そして、そう言ったからこそそれに乗るというのは恩を着せられたと受け取ってもらえると、私はあなたのような度量の人間には期待しますよ、と宣言しておこうと思います」
「ハッ、随分と戦いが楽しみみたいだな。前のめりで本性透けてるんじゃないか?」
「言葉選びが実に愉快ですね」
「ピギャギャ」
「……」
明らかに無理やり作った自分の代名詞だといわんばかりの純の独特で印象強い笑い声に対してアーキギュスが無言の笑みを向ける。これが模擬戦の場所となる国立競技場で相対するまでに交わした会話である。
◇◆◇◆
「ここでの仕事の内容ってなんだっけ?」
「相変わらずバカだな。いつも以上に大金を前金の段階でもらってるんだ。少しは長らしくシャキッとして欲しいな」
アホ面丸出しの男の質問に目元まで顔を隠した男が正論をかます。
「バカなんだから仕事の良し悪しで賢くなるわけないだろう。それに俺は担がれる神輿の上にいるお飾りでありたいんだ。バカみたいに頑張る才能があってもそれが実を結ぶとは限らないからな。でもこの世界は常にバカを食い物にするために動いてる。だから俺はバカを頑張るわけだ」
「それ、聞き飽きた」
「良いんだよ。俺は賢いのにバカを装ってる、わけじゃないちゃんとしたバカだからな」
純とアーキギュスの模擬戦が開始されるのと時を同じくして内部からの手引で数十人が団体でマイアチネへと入国する。
それは偶然ではなく意図的に最も意識が国外から逸れている瞬間を待ち続けて狙ったものであった。
「あぁ、そうだ、ありがとうね、君。俺より遥かに優秀な君のお陰で無事ひっそりと入国できた。まさか、お金を払えばちょちょいと改ざんまでしてくれるなんて助かるよ」
そして内部からの手引、と表現したが実際には少し異なる。実際には数分前に知り合った国境検問所の職員であり、彼らの仲間というわけではない。知り合い以上になった者が融通を効かせたのである。それは意気投合した、というよりは法外な賄賂によってである。賄賂に法外もないのだが、明らかに相場よりもふっかけられているのである。
しかし、その結果が誰もが知ってるはずの凶悪集団をわざわざ招き入れることとなったのだ。
「どういたしまして」
「それじゃぁ、またなんかあったら宜しくね」
その男は想造すら扱えない、そう使わないのではない、頭が足りないから使えない、最弱と謳われる男。しかし、最弱故に誰もがその危険性を見過ごさせる男なのである。
暫く歩くと流石に鶏ではなかったのか会話の発端を思い出し、思い出しただけで話を始める。
「もういいや、仕事の内容は。どうせやるのは俺じゃないし。というわけで、そんなことより今情報通り警備が手薄になってるぐらい盛り上がってるなら、せっかくだし敵情視察も兼ねて見に行く? 楽しそうだし」
「バカなんだぁ、やっぱり。そんな敵陣ど真ん中いったら一瞬で疑いの目が向くじゃないか。誰かがきっと油断せずに突っかかってくる。せっかくひっそりと入国できたんですから、それを活かす行動を心がけてくれ」
「えぇ~、みんなもそう思う?」
自身への同意を、手厚いよっこいしょを求めて振り返った先には首を縦に振る仲間たちがいた。
「……敵情視察、バカなりにいい発案だと思ったのになぁ」
「その辺は依頼主に任せればいいんだ。適材適所。それこそ余計なことをしないで神輿の上でじっとしててくれ」
「バカだなぁ、お前は。バカだから神輿に乗っていたいけど、ただのバカがじっとしてられるわけないだろう? 全く賢いならもう少しバカを理解して欲しいよ。大は小を兼ねる、俺でも知ってる便利な言葉だ」
こうしてぬるりと盤外戦力が二人、仲間と共に壇上へ上がった。
◇◆◇◆
施設にいたアンドロイドの、もはやそれが話を聞いた今アンドロイドなのがアンドロイドを操縦している人間がいるのかもわからないが、とにかく肉体を持たない何かの誘導に従って目的地に着いた純は控室へ通されていた。
「こちら競技場内の図面です。何か必要なものなどありましたら事前におっしゃってください」
下見をさせてくれれば、物資提供まで申し出る手厚いフォロー。言い換えれば物資の持ち込みに関してはアーキギュスも行えることを意味しており、実物を下見できていないということはこの図面の印象に引っ張られるということである。
しかし、純は起こるであろう駆け引きのことは眼中になく、ただひたすら目の前の存在が肉体を持たない、混じりっけのないサイボーグでなく純性機械のアンドロイドであることをただただ魂を知覚できるという己の長所から確認、そう確認をし続けていた。
「どうかしましたか?」
そんな純の凝視に当然の疑問を抱いたアンドロイドが声をかける。
「いや、よくあるだろう。モブキャラっぽい立ち位置なのに使われるキャストのネームバリューが釣り合ってなかったり、あのキャラクターの声どうしてわざわざ同じ声だな、あの声をする人こういう役柄が多いと言うか女性も男性もやるというかむしろ逆の性別やる時にひっぱりだされてるなとか」
「あるかもしれませんね」
アンドロイドの相槌に純は溜め息を挟む。
「それが正しいかは結局最後まで観ないとわからないし、ただの先入観で痛い目を見るかもしれない。その上で、だよ。察してしまう、察せてしまう、接しのいい奴っていうのは勿体ないなぁと思う瞬間があるよねって話をしたいんだけど……どう思う?」
何か考えているであろう間の後に答えが返ってくる。
「確認するまでわからないのでしたら、その確認の過程を楽しむのが一番かと。結果落胆しようともその過程は楽しもうとしたわけですから」
「その通り。そのための一戦とも言える今回の模擬戦、君はどちらが勝つと思う?」
正しいと言われたものの純の言葉の脈絡の整合性が取れない、理解できないままにアンドロイドは質問に答えるためだけにそれを保留し答える。
「引き分け、でしょうか」
拍手。
「さすがよくわかってる。アーキギュスを贔屓するわけでもなければ、俺を下に見るわけでもない。そのための中間択。本来であればこれほど気の利いた答えもないだろう。一方で勝敗がついてしまったらどちらかが致命的な状況にあるわけだ。それを阻止するための時間と人員の確保は設けたわけだから当然の答えとも言える。つまり、戦闘なのに生死以外の勝敗の付け方を決めていない段階で勝ち負けを聞いた俺が悪いわけだ。ハハハッ、それでも勝敗を聞いて引き分けって答えられるのはやっぱりお前が人間じゃないことを意味してるんだと、俺は思えるよ」
ポンとアンドロイドの肩に手をかける純。
「励み給え、名前を与えられず、それでいて俺と関わりを持ったアンドロイド。今俺の興味はお前の行く末かもしれない」
そのままアンドロイドを軽く押して純はすれ違って外へと向かう。もちろん、アンドロイドは純の言いたいことを理解することはできない。なぜ、出来ないのか、当然それも理解できない。それを理解しようとフリーズしかかる。きっとその場に人がいたとしても出来ないであろう難解であることも知らないまま。
◇◆◇◆
世紀の一戦かもしれないにも関わらず観客席は閑散以上まばら未満である。とは言え異人(アウトサイダ―)を始め、チラホラと舞台に立つべくして立つであろう役者、とわかる風体のモノが多くそこにはいた。マイアチネの人間の多くは顔と名前がまだ一致しにくいが、異人側は純が招待した人間を始め、何処かから嗅ぎつけたであろう呼んだ覚えのない人間まで見受けられた。その人間が皆招待してはいないが見覚えがあるというのがこの場合ミソだろう、などと考えの纏まっていない妄想に当てはめながら純は入場していたのだ。その入場に合わせるように反対側からアーキギュスも入場してきていた。遠目で確認できる限り特に目新しい武器などの持ち込みはなかった。あくまでパッと見である。人ですら衣服の下口の中にある程度隠すことが出来るのだ。機械の身体であればそこの融通は効くだろうし、この競技場に予め、という可能性もある。だからこそ一周四百メートルトラックの内側に移動するまでにササッと何か違和感がないかと見渡すが、純の直感に訴えかけてくるものはなかった。
そして特に取り決めはなかったがなんとなくの距離、トラックの内側に入って数歩歩いた所で互いが足を止めるのだった。
「俺よりも盛り上げ上手なのか? 思ってたより観客がいてビックリしたよ」
それなりに声を張る距離であるにも関わらず純の第一声はわざわざ、もはやらしいと言える煽りを含んだと誰もがわかるジャブだった。
「同じことを思いました。もしかしたらどちらかの招待客の中にわざわざ触れ回った方がいたのかもしれませんね」
「祭を活気づけたい、なんて理由なわけないよな。人数いていいことなんざ、紛れて悪いことするか、より多くの情報を事前に共有しておく、ぐらいだよな。それとも俺やそちらのファンが大勢いたりしてな」
両手を広げながら首を左に百度捻り、三秒後に右に百度捻り牽制とも値踏みとも取れる視線を純は送る。そこへ仮面を被った人間がゆっくりと純とアーキギュスのちょうど中間の位置まで観客席から飛び降りて歩いてきた。
その乱入とも言える行為を不審に思うものいれど止めるものは誰一人としていなかった。
「充分かな?」
変声機を用いていることが分かる程度のノイズ。それは純とアーキギュスにとっては呼んだはずなのにいない人間であること、素性を隠しているからこそ仮面をしたい人間であることの二点から花実だとわかっている。立会人としてはこの場で双方を知った人間であるという点でも、仲裁に入ることになったとしても機能する点でも最も信頼できる実力を持った人間の一人だろう。
そして、二人が乱入を止めず耳を傾け頷く動作からも、観客の誰もがその見ず知らずの人間の役割を把握していた。
「決着はどうする?」
アーキギュスがお任せしますというニュアンスで右手を純へ差し出す。
「確かに勝敗はついた方がいい。でも生死を分かつ以外の決着の手段を設けることは本来の戦闘能力とはまた別の思惑で動かなくちゃいけない。例えば胸につけたバッジの破壊、奪取。安全は保証されるかもしれないが模擬戦とは言えやりたいのは純粋な戦いだろう? とくれば言いたいことはわかってくれるだろう。とはいえ、別に殺し合いをしたいわけじゃない。じゃぁ、どうするか。簡単だ。そのためにもしかしたら君たちは集められていたのかもしれない」
純とアーキギュス以外の全ての人間がこの瞬間に嫌な予感を胸に抱く。
そう、その悪寒は純を知らないマイアチネ国民ですら感じ取れた嫌な予感、である。
「裁量は当然あんたに任せる」
そう言って純は立会人の方を見る。
「だからこれ以上は危ないと判断したら止めてよ。もちろん、あんただけで足りないならそこは観覧費に慈善活動だ。お前らの誰かが止めればいい。そうしないと、どうなっちゃうかわからないぞ」
大半の人間が茶目っ気を見せる様な純のウィンクとともに放たれた最後の言葉にゾッとしていた。それはここら一体を簡単にどうにかしちゃうというある種周囲の無関係な人間、アンドロイドを平然と巻き込むことを宣言した脅迫にも聞こえたからである。
故に、会場の緊張感が急激に張り詰めるのが誰の肌にも感じられた。
「どうだ?」
アーキギュスは確認に首を縦に振って同意する。その姿勢に立会人は溜め息を吐く。
そして、双方にチラチラと視線を送る。
「それじゃぁ、スリーカウントど同時にスタートだ。ただし、一つだけ、戦闘はこの競技場内と限定する。横幅はもちろん縦も天井を上限とし、地下も基礎コンクリートまでとする。場外は問答無用で失格だ。いいな」
「わかるけどさぁ。相撲ねぇ」
若干不服そうな純の言葉を遮るようにカウントダウンが始まる。
「三」
アーキギュスは直立したまま微動だにしない。
一方の純は両手を胸の前で合わせると手首と首を回し笑みを浮かべる。
「二」
アンドロイドがせわしなく四方へ散らばっていく。
ルールの判定をするために広がっているとも増援を呼んでいるとも見て取れた。
「一」
嵐の前の静けさとはこのことだろう。
立会人は観客席の真下にまで移動していた。
「零」
カウントダウン終了と共に立会人が観客席まで後退する。その判断がどれだけ正しかったのかは零と共に降ってきた。そう、天井から日が燦々と差してきていたのだ。それは天井がつらら状に変形させられ落下してきたものだと地面との衝突音でようやく気づく者がほとんどだった。どちらの想造による結果かはわからない。ただここでわかることも一つだけあった。人死が出てもおかしくないこの状況で二人の模擬戦を止めるべきと判断する人間は誰一人いなかった、ということである。
つまり、この程度で死ぬはずはないという評価がどちらにもある、ということである。
「人間相手に随分と容赦ない一撃、そして何より随分と慎重な一手じゃないか」
トラック内の様子を伺うのが一部困難になるほどの土煙が舞う中、先の一撃が純による先制攻撃じゃないこと、そして双方が無事であることを全員が理解する。一方でここへ来ていた誰もがわかる、両者視界が良好でない中、なんならアーキギュスの方が機械という性能上有利とも取れる中で大声を挙げて自らの位置を教えるような悪手を選択する純。
そしてそれが悪手だと訴える様に純の元へ何かが大きな音を立てて接近してくる。砂煙を突き抜けて出現したのはこれまた円錐状に、つらら状に変形し隆起することで刺突性を向上させた攻撃だった。恐らく純の声のする方向へひたすらに連続して隆起させ続けたのだろう。しかし、これだけ大きな音を立てれば攻撃の方向は瞬時にわかる。ましてや純であれば来ると判っている攻撃であれば突き出たのを見てから回避するのは余裕な上、今の状態ならばそもそも音が聞こえなくても不意打ち足り得ないだろう。そこから生まれる余裕は隆起させるスピードも想造の鍛錬次第で調整できるのだろうかと思考してしまうぐらいだった。そしもちろん攻撃が来た方向が確定したということは同時にアーキギュスのいる方向も特定できることを意味していた。
だから純は足元、いや正確には真下へと意識を集中させていた。そして第三派は純の頭上から来ていた。ここで一撃が決まる。
それがアーキギュスのプランだった。
「俺、生身だからそんなの直撃したら死んじゃうよ」
観客席からはもちろんアーキギュスの一手が見えていた。砂煙の上空、ドラム缶サイズに想造した鉄塊を右手に純の真上を取っていたからだ。会場の殆どがこの砂煙はこの一撃を通すためだと判断した。つまり、砂煙は目くらましと同時に純を覆う影を隠す役割を担っていたのである。また、この一撃を通すための砂煙という解釈も結果的には正しい。ただしこの一撃を通すためにアーキギュスが打った布石は他にもあった上でのこの一撃なのである。それは純という敵を強敵と定め、信頼した布石である。
なぜ、純は地を這う突起の攻撃を回避した際、真下を注視したのか。この行動がアーキギュスの攻撃を通す上で頭上から意識を逸らすという点でダメ押しの誘導成功となっているのだから、この疑問に答えを見出すことは必要だろう。では改めて純はなぜ真下を警戒したのか。その答えは音、である。アーキギュスの二手目は明らかに一手目で作り出したアドバンテージを純と同様に消しているのだ。純の発声にはそもそも視界不良だからこそ暗視などを持っているかもしれない機械に対して位置を特定させ、攻撃を受けることで位置を探るという受け身であるものの戦術として理由を設けることが可能である。
一方のアーキギュス。純の想定通りこの砂煙の中を言ってしまえば音など関係なく目視することが出来ていた。単純に視えているだけの高性能な眼球以外にも体温、加えてわざわざ純が出した声による反響もあり位置の特定はバッチリだった。加えてその座標にピンポイントで攻撃を、それこそ地面を隆起させることは可能だった。しかし、それをしなかったのは純の警戒心を考慮した上だった。つまり、実力も踏まえて隆起を足に感じた瞬間に躱される、躱せるだけの人間だと判断したのである。故にアーキギュスは純にしてやろうとしているアーキギュスの攻撃を見切り、見切ったと油断させた上で追撃を迎撃させることで意識を集中させるようとしたのである。要するにスキを作る、それが音を立てての時間をかけた二手目の攻撃だったのである。そう、この不自然な攻撃は花実の模擬戦開始直前の戦闘領域に地下も含まれるという宣言により、アーキギュスが地下を掘り進め奇襲を仕掛けていると認識させるに充分な意味を作り出していたのである。
ここまでの策を読み切れる人間がこの一瞬で果たしてどれだけいるか、それは花実の紹介した人間というただ一点に対する信頼があったからこそ出来たことであり結果は成功していた。つまり、この不意打ちが失敗したのはこう結論付けられる。アーキギュスの見積もりは甘かったのである。純の声が聞こえた時、互いに視界はクリアだった。そう、良好だったのだ。純は砂煙という目眩ましを残したまま、その内側で自身の周囲に気流を想造していたのだ。そしてその気流の軽微な変化からアーキギュスの奇襲に反応してみせたのだ。まるで結界とも言えるがこれはある種想造で戦うならば基本の技術である。空気中の気体濃度を操作してしまえば想起決着必死だからである。しかし、純はこちらに来て間もない人間。そんな基礎を想造による対人戦の経験がなければ出来ていないとアーキギュスは思い込んでしまっていたのだ。もちろん、今回のこれがその基礎を目的としていないものであることは十二分に考えられる。問題は、その基礎を自分で自然と生み出しこなしているという点なのかもしれない。だからアーキギュスの生成した鉄塊は鉄粉となり宙へ霧散した。だが当然、驚きはこれだけでは終わらない。
何せここから約三分間の戦いは同じ攻撃による衝突による対消滅か攻撃が想造された瞬間に想造で分解され停滞を続けたからである。
◇◆◇◆
ハーナイムに住む人間であればこの停滞の意味する異常性を理解できる。それは相手と同等の実力を持つということである。それは攻撃の発生に合わせる、無力化する瞬発力とも動体視力と言う事も出来れば、相対する敵と同等の知識量をインプットしアウトプット出来ることを意味するということである。特に後者はこの世界の実力を測る上では絶対的な指標である。つまり、純という異人は戦闘面において世宝級の知識を有する可能性があるかもしれないと認知されたことを意味するのだ。もちろんただ発火、結露、氷結、放電と呼ばれる自然現象を故意に引き起こし、それを小規模に単発で攻撃すること事態もスゴいことであるが、同等の威力で想造し相殺する、または環境を把握し未然に無力化することが異常なのだ。感覚的であったとしても空気中の分子の流れを数値として観る能力でもあるのかと驚かさる。それは地面から想造し隆起させることはもちろん、武器を生成すること、つまり想造されたモノに何がどれだけ含まれているかを把握しているという点でも同義で、要するに有する知識の量というよりは有する知識に対する理解が世宝級だ、ということである。
一方で異人からすれば評価すべきは前者だった。何せハーナイムの言うところの知識の価値に対する認識が著しく欠けているからだ。そう、箱庭出身の彼らからすれば、純とアーキギュスが行っている想造による戦闘は無力化はともかく相殺であれば、そう技として行使するという点に於いては可能であると想像できるレベルのことなのである。つまり、知識に価値があるとされ閉鎖された世界と違い、義務教育やインターネットに転がる無数の情報から仕入れ済みの知識の延長線上でしかないと見て取れるのである。故に驚くべきは純の瞬発力、動体視力、そして判断力を付け加えた瞬時の行動だった。アーキギュスが観てから余裕と純に対応できるのは人ではなく機械だからという一点で可能なのではないかと想像できるが純の観てから余裕は人のそれを凌駕していると言っても過言ではないだろう。一般的に人間の観てから行動へ移すというのはその人体的構造上0.13秒が限界である。それは目から情報を獲得し、脳で認識、そこから行動せよと各部位に伝達する電気信号が必要とする時間だからだ。つまり、純の身体はこれをクリアした先にいる、または補って余りある予測力があるということである。そういった明らかに人の枠から逸脱した人というのは、特別または進化した存在として存在はするとわかってはいるものの実物を目の当たりにした時の驚きはその認識を置き去りにしてしまうのだ。
だから観客は皆こう思うのだ。ほとんど動かず戦闘を膠着させる二名はやはり異質なのだと。
◇◆◇◆
まぁ、こんなものか。それが純の感想だった。仮にアーキギュスが全力を出していなかったとしても、奥の手を忍ばせていたとしても、現在の力量から上限を想像することは容易である。そして純が想像するアーキギュスの最大値に対する感想が先のボヤキとであった。
故にこれ以上アーキギュスの分析、情報収集に付き合う義理もないと判断し、純は試してみたいと思っていたことを始めるのだった。
「春艸之雷」
純のその唱える様な一言は激突、衝突、相殺の音にも何故かかき消されることなく競技場に響き渡る。すると純の背後でパキパキと水蒸気が凍りつく音が響く。この段階で何が行われているのか理解できている人間はこの場に三人。一人はそういった技術があったと組織に入ったことで教わった者、これが出来るものとして存在していたことを知る人間、そしてもう一人は情報を集める過程で偶然過去の文献を見つけた、現在純の実験の被験体になろうとしているアーキギュスだった。だから攻撃がすでに射出されたことは理解している。故に止めるべく攻撃をし続けていた。しかし、当然それを拒む者がいる。純だ。脳内で処理されることは同様に処理され返される。故に言葉にした一手が明確に同数の一手の打ち合いに、純とアーキギュスの間に差を生んだのだ。
その差を埋めることはアーキギュスが同じ土俵に上がるしかない。
「しゅんらい」
同じ言葉をアーキギュスは口に出す。しかし、純の背後に形成された氷の春蕾を生み出すことは敵わない。そして、純の背後に大砲を見立てた様に横に形成された春蕾はコロコロと中で何かを転がすような、ラムネ瓶の中をビー玉が転がるような心地よい音を奏でる。だがその心地よさは決して心地いいと思ってはいけない調べだとこの場にいる誰もが理解していた。奏でる音が重奏と成り、重奏を鳴す。そこにパチッと静電気が走ったような音が聞こえたのと鼓膜が破れるのではないかと錯覚する轟音と共に春蕾の先から雷が放たれたのはほとんど同時だった。そしてこの場にいたモノは雷光と雷轟を誤差なく目の当たりにするという貴重な経験をしたとも言える。つまり、時速七十二万キロメートルの不可避とも言える一撃、である。
とも言える、それは一方で回避が可能であるとも言える。避雷針の生成、雷による一撃が来ると判っていたからこそ地面から想造しておけた保険が機能したのだ。
しかし、この避雷針が純を前に阻害されずに生成できたということは純が再び主導権を握った状態の先手を打ったことを意味する。
「太陽之林」
それは天井を失った上空から熱を持って競技場にいるモノたちにその存在を誇示した。太陽の中に太陽があるのだ。それは合せ鏡のように増殖した無数の日輪は日輪を描く。太陽を覗く禁忌を平然と犯す望遠鏡を彷彿とさせるその完成品は、特に何かの合図を待たずして最も小さい日輪から、偉大なる太陽の熱エネルギーを増幅させ文字通り光線として放った。時速十億七千九百万キロメートルの熱線である。止めるべき瞬間は気づいた時には手遅れだったと思うモノがほとんどだろう。しかし、この場には幸いなことに世宝級が二人いた。だから結果として樹氷が連なった。それは空気中の水分をかき集めておき緩衝材としつつ蒸発した結果生まれた熱の分散による氷の世界である。突如生まれたマイナスの世界は競技場の外まで凍てつかせていた。
その危機を回避したという安堵はこの場の誰もの心にスキを作った。
「想像以上に想像通りだった。それにしても反応できた、したのは三人か」
くしくもアーキギュスが仕掛けた時とは真逆の構図が作られていたのだ。耳元で聞こえた思った時にはすでに身体に衝撃が走っていた。蹴られたと理解し踏ん張ろうとするが足元が凍っているため踏ん張りが効かない。このままでは壁に激突する。そう思って振り返った時、アーキギュスは敗北を理解した。壁がないのである。つまり、蹴られた勢いそのまま場外となったのである。
決着、である。
「ほら、勝敗を宣言してくれないと」
あくびをした純に促されてあっけない決着に見とれていた立会人が我に返ったように慌てる。
「そこまで。勝者、幾瀧純」
試合を振り返れば純の圧勝。異人の中にも世宝級を凌ぐ戦力がいる、そう喧伝された舞台となったのであった。