第百三十三筆:未入佳境
コンコン。フィリップと病院までついていったもののそこから先は面倒だと車内で待機していたシュニーの座る助手席の窓が叩かれた音だった。
シュニーは見知った顔を確認するとゆっくりと窓を半分だけ開ける。
「どうかしましたか? えっと」
「幾瀧です。幾瀧純。避難所でチラッとお見受けしたのを含めれば三回目ですが、それでも初めましてから始めさせていただきましょう」
随分と仰々しいなと少し圧倒させられながらもシュニーは応対を決める。
「初めまして。シュニー・イブリースです。それで」
「いや~、立ち話もなんなんで後ろ、いいですか?」
どうかしましたか? 再度の質問を遮るように純が食い気味に割り込んでくる。しかも挟み込んだ言葉は、お前が言うんかいと思わずツッコみたくなるようなセリフだった。そんな気持ちは当然グッと堪える一方で、シュニーはツッコミを抑えたから返答に詰まっている、というわけではない間を生んでしまっていた。それは最初に出会った時から第六感に訴えかけられるこの人間からにじみ出る異質さに対する警告によるものだった。そう、できれば関わり合いたくないのだ。この世界の別の世界から来たとは言え、そういう存在が他にいても不思議ではないのだ。しかし、ここで断る、というのも変な話、噂になってしまう。兄であるフィリップを始め、この国が、トップのアーキギュスが保護下に置くことを決めた存在であるからだ。しかも、ここへ来てまもない且つ決定した直後に接触してきたというのがまた無下にして周囲の心象を悪くしてしまうと考えられるのである。
だからシュニーは体裁を優先して招き入れることを約十秒かけて決めたのである。
「どうぞ」
ガチャと鍵を解除した音に合わせて純が後部座席のドアに手を伸ばしている。
「ハハッ、緊張しないでよ。取って食ったりする化物じゃない。こっちは同じ人間のつもりだからさ」
その十秒をかけて推し計った間は同時に純にとっても平等な時間だったとでも言いたげにしながら純は乗り込むのだった。
「さて、人のお巡りさん」
「なんですか」
チラリと後ろを確認しようと覗き込んだバックミラー腰にシュニーは純と目を合わせてしまう。
それに居心地の悪さを感じながらスッと視線を外して純の受け答えをする。
「いや、イブリースさん。俺は自分の話を脱線させたり煙に巻いたりするのは大好きなんだけど、それを人にやられるのは好きじゃないんですよ。だからまぁ、これはあくまで確認、に来ているので筒抜けなのかなとか考えながらこちらの質問に答えてくださいね」
シュニーは息を短く吐くだけで返事はしなかった。
「イブリース家の派閥を正確に把握できていますか?」
本来であればここで派閥が何を示しているのか聞き返すべきなのだろう。いや、本来、などという純の布石による前後感に関係なく返すべきだったのだ。
しかし、そのどうするべきかという思考が返答を遅らせて結果としてその質問を挟む機会を失わされてしまったのである。
「それは私が正確に把握しているかを確認しようとしていんですか?」
「質問を質問で返さないでよ。はぐらかしてバカを演じているなら先に言った通り止めて欲しいし、苦し紛れの時間稼ぎに切り替えたのだったら、それは質問じゃなくて答えだったと察してあげられなかった俺が悪いみたいになるだろう。まぁ、こうやってペラペラしゃべって時間を浪費しているのは結局俺自身な訳だからどうしようもない、か。それじゃぁ、先に質問に応えよう。その方が応えてくれる気にさせられるかもしれないからね」
パンッと純がメリハリを作るように手を叩く。
「もちろん、正確に把握できる立場にあるか、じゃなくて正確に把握できるだけの素質があるかの確認に決まってるじゃないか。それとも何、あなたの所属している派閥を聞いたほうが良かった?」
純の言葉はシュニーにとって確認作業だとわかるほどには的確な補足だった。
「幾瀧さんって異人なんだよね?」
「また質問かぁ。でもさっきより俺に歩み寄ってくれてる感じがする分、悪い気はしないかなぁ。それで、その質問に意味はあるの? まるで相槌じゃないか」
「確認は大切でしょ。何せ私からしたらあなたはあまりに識っている風に見えるからね。嘘だろうと本当だろうとあなたの口から、そう言質を取りたい。ダメ?」
最後の方は余裕が出てきたようにおねだりする甘い声色をシュニーは使っていた。
「ん~、ゆっくりとだけど話が好転している雰囲気はあるから良し。だからそっちが勝手にそう呼ぶ異人で間違いないよ、と答えよう。それで、どうなの?」
「その前に」
ズイッと後部座席に顔を突っ込むように出してくるシュニー。
「こういうのはギブ・アンド・テイクだと思うの。だからね、私があなたの質問に答えたらあなたも私の質問に答えて欲しいの。いい?」
「いいよ。俺、気前がいいからさっき答えただろう、とかそういうトンチはきかせないであげることも約束しよう。どう、嬉しい?」
あくまで恩着せがましく主導権は譲らぬ意思を。
「嬉しいけど厄介だなぁ~っていうのが本音」
そんな純の姿勢にシュニーも立ち振舞をズラしていく。握れないならば懐に少しでも入るだけだと。少なくとも今の自分は懐疑的で閉ざしていた心を僅かに開いた様に誰の目から見ても映るだろう。それを経験的に露骨と捉えられたとしても、シュニーからすれば危ない橋を一度は渡らなければならないわけであり、純からすれば鴨がネギを背負ってる様に見せながら対岸からわざわざ危ない橋を渡ってきているのだ。つまり、受けて立たない理由にはならないのだ。
そう、シュニーの思惑に気づいていようがいまいが、である。
「それはそれは、光栄ですね。なんだか打ち解けられたような気分になりましたよっと」
どちらとも取ることの出来ない絶妙な表現でシュニーのじゃれ合いを受け止めた純は、それでと言葉にはせず右手のひらを返すことで催促する。
「正確、なんて言葉が使えるほど私自身が有能だとは思ってないからね。敢えてそれなりに知っている通りだと願いたいって言わせてもらうね」
「ご謙遜を」
さらにアハハッと取って付けた愛想笑いが、明らかに不必要だったと分かる程度に脱線させたという空気を生む。
そんな空気を作り出した張本人がしっかりと溜め息をつき、これみよがしにバックミラー越しにガンを飛ばしてから言葉を続けた。
「それで、私が把握しているイブリース家全員と照らし合わせて答え合わせをするつもり? 流石に安くは出来ないけど」
「高いんだぁ。そりゃそうか」
わざとらしく納得する言葉とうなずきを挟んで純は続ける。
「それじゃぁ」
それじゃぁ。
「断流会として盤外戦力をイレギュラーとして招き入れようとしてるけど、それは派閥としてはどちらに、いや、誰に寄った行動なのかな、と」
シュニーはこここそ何食わぬ顔で流すべきだった。しかし、人間虚をつかれるとこれほどまでに言葉を失ってしまうのかと身を持って体験したと言いきれるぐらいにシュニーは目を見開き、沈黙という悪手、様々な要素の肯定を済ませてしまうのだった。
そう、これは純にとって確認の段階であるのだから。
「いいね。意外と雄弁で助かるよ。確かに面倒事は面倒だって最初に言ったけどここまで素直とは。俺みたいな人種かと思ったけどまだまだ半人前なのかな。アハハ」
「何も言ってないだろう」
「じゃぁ、答えてくれるの?」
それは、と言い淀むことも出来ず押し黙ってしまうシュニー。
「いいんだよ、それで。だからまぁ、遊ばせてくれたお礼にあんたの質問、一つ答えてやる約束は継続してやるよ。ほら、一旦ズタズタのプライドは捨てて、頭真っ白になった理由を聞きなよ。どうしてお前は異人なのにそんなことをすでに知り得てるのかっ、て」
手のひらの上、本当に純にとって確認作業だったのだとようやく本当に理解できた。だからこそ、言葉の通りプライドを捨て聞かなければならない。
それが例え誘導されてそう言わされる言葉だとしても、である。
「お前は、どうなったら面白いと思うの?」
それは純の誘導に対し天邪鬼に、反骨に絞り出した言葉で決してない。一方で当初から聞こうと思っていたことでもない。それこそ最初はなぜそれだけのことを純が知り得ているのか、それを問うつもりでいたのだ。しかし、頭を真っ白にされ、ヌルリと追い詰めてくる目の前の秤外戦力、圧倒的強者、化物に、敢えて自分が見たいものを問うことでその道標の役割を担わせようと、要するに恐怖と表裏一体で憧れてしまったのである。
故にそれは骨の髄にあるシュニー自身の根幹から絞りでた一滴の質問とも言えた。
「憧れて諦めるのは少なくとも面白くないと思う……いや、ネタバレを聞いた上で改変することで満たされるものがあるのなら教えてやってもいいけど、って挑発的に構えた方が面白いのかな」
ある種純の意表を付けたと思った質問は実に冷ややかな声色で、失望の眼差しと共に返答された。しかし、シュニーにはわかる。この解答はまだチャンス、アドバイスでありまだ純の描くであろう面白いの範疇からシュニーがこぼれ落ちていないことを、だ。
だからシュニーは自身の両頬を思い切り叩いた。
「ありがとう」
恐らく今後間違いなく障害となる人間の発破であったが、とっさに出た言葉であった。
「卑屈だねぇ。どういたしまして。俺も助かったよ。それじゃぁ、面白くしてくれよな、シュニー・イブリースさん」
それだけ言い残して純は車からさっそうと降りて去って行くのだった。
「っと、連絡先。聞き忘れてた。しっかりしたやつをぜひ」
と思ったらドアを閉める直前で顔をそこへひょっこりツッコんで来る純。
「……誰かに教えたりしないでくださいね」
自然と出る溜め息と一緒にシュニーは専用の番号を純に教えるのだった。
◇◆◇◆
話は少し遡り、純とブッピンが共犯者になった日の夜のこと。純はこの時、この街に存在する派閥、ターニャの死亡年月日以外にも様々なことをブッピン経由で調べさせていた。
「なんか、見覚えがあったんだよねぇ」
その一つがシュニーに関する情報だった。調べる項目としてリストアップし、その中でも比較的優先的に調べさせたのにはもちろん理由があった。それは純が調べた結果を見て漏らした言葉の通り見覚えがあったのだ。当然、このハーナイムに来てまだ二日目である。顔に見覚えがあるという訳ではない。では、何に見覚えがあったのか。魂と暫定的に定義するハーナイムに来てから純が知覚できるようになったものに、であった。そして純が知覚できる感度は現状、紘和やアリスのものより良好だったのだ。二人が異人かどうかハーナイム出身かを判別できるに加えてさらに先の展望を持っていたのだ。それは共感覚と呼ばれる色に音がついている様な感覚に近く、ハーナイム出身の魂を見ると繋がりを持ったことのある異人の顔を結び付けられる、というものだった。つまり、純の見覚えがあるというのはシュニーの魂が異人の誰かに似ている、という意味だったのだ。
ではなぜその人物を確認したかったのか。それは純が持つ自身の感覚が正しいもの、つまり似ていると感じた魂は結びついたものなのか、その整合性を確認し、この感覚が今後も利用するに足り得るものなのか把握しておく必要性を感じたからである。そして、それはクリア、ほとんど確かなものだろうと情報から推察でき、後は当人に確認するだけという段階まで来ていたのである。ではどんな情報をブッピンは入手してきたのか。いや、純に公開したのか、というのが正しいのだろうがここでそこを言及するのはあまり関係ないだろう。ブッピンがシュニーの調査結果でもたらした情報は以下の通りだった。
一つ、イブリース家の家系図に於いてどこに位置するのか、現在の職業は、居住または拠点は、生年月日、血液型、といったありきたりな個人情報。シュニーを知るという点で、いや調べていく上で最低限知っていなくてはならない情報である。つまり、真っ先に伝えるべき情報であると同時に、この程度を開示、調査できるかの信憑性、信頼関係は構築できていると判断するに最低限の情報でもあったということである。つまり、二人の関係性という点では探り、スタートラインに値する情報でもある。とはいえ、他にも探らせた情報がある中で、と考えればこの情報の真偽などさしたるものではないのだが。
次に、シュニーが反アンドロイド共生派の中で中立派、つまりイブリース家だから反組織に名目上属しているがそのどちらにも必要に応じて肩入れするということだった。では、穏健派に属しながらも過激派にも肩入れするという立場ではいけなかったという疑問が生じる。実際、シュニーに近い、先に述べたスタンスの人間は少なからずイブリース家に関係なく存在する。逆に言えばどちらにも所属しない中立派を謳うのはシュニーぐらいであった。では、なぜそんな境遇に置かれているのか。それは本来であればどちらにも加担しないという点で中立という言葉を耳にするからこそ覚えるであろう違和感が正しい通り、どちらにも必要に応じて肩入れをすることを前提とした中立を謳っていることにある。そう、どちらの陣営にも干渉するのだ。どうやって。それは情報や武器の提供で、である。つまり、双方の陣営からメリットがあるからこそ認められている異質な派閥であったのだ。逆を言えばどちらか一方に肩入れすることはシュニーの立場を悪くするほどにその提供される情報、武器はそれぞれの陣営にとって質の良いものだということも伺えた。しかし、それでも、である。シュニーがこの中立という立場にいる本質が純にとっては見えてこないでいた。ただの善意で中立でいるとは到底思えないからだ。この干渉にはどことなく手を差し伸べる、ではなく糸を引くがぴったり来そうな、そんなものがあったからだ。それは純の見た魂の持ち主に引っ張られるところも大き方のだろうが。
次にもたらされた情報がその疑問の答えとなる。それはシュニーが断流会という世界の崩壊を防ぐことを目的として設立された組織に所属しているとわかったからである。表立って活動している組織ではなく、秘密裏にその世界を破滅へ導く存在を抹消することに心血を注ぎ続けている、まさに秘密結社を彷彿とさせる組織が断流会なのだという。どうしてブッピンがこんな情報、シュニーが断流会に所属していること、ではなく断流会の概要を把握しているのか、という点も気になるが、一旦忘れることとする。そんなことよりも断流会という存在が純により新しい情報を与えたからだ。一つはシュニーが、ジャンパオロの元になったであろう人間が中立という立場にいた違和感の払拭である。秘密結社と単語に、裏で糸を引き暗躍したいであろう、情報を生業とした人間らしさを感じられたからだ。それは同時に、純の持つ魂の知覚の精度が高いのだろうという裏付けにもなった。リュドミーナという似た性質の人間と区別している点でも、本人が無自覚とは言え精巧なものなのである。そして、もう一つは断流会という名前である。目的は正直どうでもいい。しかし、この名前に純は妙な声明を感じるのだ。それも巧妙に隠された、ではなく直接的な、である。だが、感じるだけにしか留めることは出来ず、それが何かを紐解くこと、ましてや確定させることは当然出来ない。そうするだけの情報を持ち得ていないからだ。とはいえ、この持ち得た感覚はきっと今後蒸し返すべき課題となるだろうと純の直感が告げている。だからこそ、シュニーにはこれらの情報を確認する意味でも、断流会と長い付き合いになると推察できる点からもできるだけ早めに接点を設けた方がいいなと考えるのであった。
とこれだけでも正しい情報ならば随分と優秀だとブッピンに対する評価を高くせざるを得ないわけだが。
「こんなことまでわかってるのね。そりゃぁ、反共生派が出てくるのは、例え相手が人間だったとしても遅かれ早かれ必然だったろうな」
そう言って純が眺めている情報はシュニーが目的は不明だが盤外戦力と呼ばれる人間を二人、呼び込んだ痕跡だった。日時が半時ほど前ということは前々から呼んでいたわけではなく、明らかにこの事態に合わせて何かをさせる目的があって呼び込んだ、ということである。
つまり、断流会を軸とした陰謀が渦巻いていることを意味していた。
「ちなみにそれは、便利屋とかそういう業者とは違うの?」
「世宝級が想造で世界に認められて序列をつけられた人間ならば、それとは違う点で世界に認められる異質な力を誇示できるけど認めるわけにはいかない人間が盤外戦力だよ。要するに危険人物をかっこよく世間に認知させるための何かしらの記号でわかりやすく危険だよとくくった感じだね。まぁ、一部都市伝説みたいな存在もいるし、危険の度合いも結構曖昧だよ。一つ確かなことがあればその名が上がれば一度は世界的な大事件に関与している、ということかな。だから逆に言えば世界に存在を喧伝出来てなければそれだけの実力があったとしても当然そのカテゴライズには入ってこない」
「まるでそういう人間を知ってる、とでもいいたげだね。随分ともったいぶるじゃないか。いいよ、お前がここまで協力的に見えるんだ。道化を演じてでも舞台上を離れるつもりがない程度には今俺はワクワクしてるから教えてくれてもいいよ、その盤外戦力たり得る人間がいるかいないか、だけをね」
「いるよ。もちろん、俺の主観で、だけどね」
想定通りの解答。純にとって後は盤外戦力の実力を自分の物差しに当てはめるために一度測定しておく必要がある、そんな段階だった。そうすればいろいろと策略を巡らせることが出来る。つまり、ここからは早急に実力を把握するために盤外戦力か世宝級と一戦交えておきたいなぁというのが本音だった。何せそうやって身体を動かす遊びの方が今は楽しそうだから。
だから話の本筋を進める。
「それで、イブリースが呼んだっていう盤外戦力の素性はもうわかってるの?」
「知っておきたい?」
それはここに来て初めての確認だった。
ただ言われたことを提供するだけではなく、恐らく純という人間に配慮した、楽しみをとっておかなくていいのかという確認である。
「ハハッ、ナマイキじゃないか。でも、いい提案だ。俺に媚びを売るという点では最高の提案だ。いいね、共犯者。それじゃぁ、この気分がいい俺にじゃんじゃん他の情報も引き続き調べて教えてくれよ。まだまだ夜は長いんだから」
「もちろん」
これがシュニーを調べていた時の純がブッピンから仕入れた情報と状況であり、その結果が先の本人への突撃だった。そしてブッピンの情報が正しいという確証を得ることは出来たのである。
◇◆◇◆
純が去っていった後、自分たちの居住区についたこともありスペ、コニーとも別れひとまず自分がこれから生活するかもしれない一室へと向かったマーキス。ドアを端末で開けると事前に説明された通りの広さの部屋があった。キッチン、風呂、エアコンにベッド、さらにはテレビに机や椅子、ソファー、調理器具に冷蔵庫の中にはある程度の食材に保存食と生活を始めるには申し分ないものがすでに揃っていた。至れり尽くせりだな、そう部屋を一通り確認したマーキスはそのままソファーに深く座ると電話を取り出した。そしてそのまま目的の人物へと電話をつなげる。
ワンコールも待たずにその人物は電話に出た。
「随分と早いご決断で。それでその決断はどっちに?」
純である。
「引き受けよう。ただし、一時的の期間を詳細にすること。そして俺が傭兵であることを理解すること、この二点が、俺がお前の条件を飲む上で提示する条件だ」
「おぉ、それはそれは随分と大枚はたいてるこちらが窮屈にも感じるというか、敢えて傭兵という言葉を出した最低限の保険というか。プロタガネス王国のムーアとかが聞けばどんな顔をするだろうね」
電話越しで純の顔は見えないが、真顔ではなく当然のように煽り散らかしこちらを下に見た顔をしているのだろうと想像をしてしまう程度には品のない、それでいてマーキスの心を的確に刺激する言葉だった。
ふぅと一息。
「もしもムーアが今の俺の発言に顔色を変えるなら、それはあいつが傭兵ではなくなったか、最初から異常者だったかのどどっちかだ。それで、今度は俺が朝までお前の連絡を待っていればいいのか?」
「旧友、と呼べなくても肩を並べたという意味では名を共に馳せた傭兵だろうに異常者とは酷い言いようだな。まぁ、もし仮にそうだったとすればそれはそれで気付けなかったという意味で酷いって言葉を俺は付け加えるんだけどね」
「これから金の縁とはいえ共に仕事をしていく関係にはなるんだろう。そんなに煽るなよ。俺も人間なんだぜ」
マーキスからすれば魅力的な条件だったから純の申し出を受けようとは思っていた一方で、魅力的ではあるがいつでも降りていいと思えるぐらいに雇用主である純を人間として好きではない。故に、依頼を受けないという選択肢は最初からあった。
だからこそ切れるこちらは引き受けなくてもいいんだぞという卑屈に、お前のせいでと当てこすりながら身を引く姿勢を見せたのである。
「それは困る。申し訳ない。こちらとしてはちょっとしたじゃれ合いのつもりだったんです。本当に申し訳ない。だからそんなこと言わないでくださいよ」
じゃぁ、条件を飲むのか、と謝罪の言葉を繰り返して交渉が破綻するのを食い止めようとする純に対して強気に出るべきところなのだろう。しかし、マーキスはその言葉を飲み込む。いや、正確には飲み込むまでもなく、出そうとすら思えていなかった。この言葉が純の本心から来たものではなくさらに値踏みするように煽る不敬で不快なものだと理解できるからだ。当然確認したわけでも出来るものでもないが確信はある。そう人間だからだ。下ひた笑みを浮かべて真摯な言葉に謝意の感情を乗せるのは造作もないだろうと。だから言葉通りの展開ではありえないだろう無言で応える。それは不機嫌を演出したしぶしぶそちらの条件を飲もうという意図的な間ではない。ただただ相手の真意を推し計る時間である。だから、マーキスとってこの時間が長ければ長いほど、通話を切る口実となる時間だった。一分。それは短いようで緊張感と無言の中では長くも感じさせられる時間。そして、マーキスがこの案件を蹴るに足り得ると判断するには十分な時間。
通話を切ろうと指を伸ばす。
「一分か。ピッタリなのがまたイイね」
マーキスの求める言葉ではなかったが、通話を止める手を止めるには十分な繋ぎだった。
「そっちの要求は全部飲むよ。だから、ぜひこちらとの協力関係を結んでもらいたい。知らない土地だ。人脈は広い方が良いし、その中でも融通の聞く手駒は多くて損がないから」
それは今までの人を小馬鹿にしたような言葉からくるギャップがなかったとしても、嘘は言っていないと、本題を話し始めたとバカにでもわかるものだった。
「受理にさっきまでの煽り、中傷を交えて楽しんでいたことに謝罪が必要ならそれも付け加えよう」
「いや、それは」
このとっさに出た言葉に関して言えば間違いなく真摯な立ち振舞の緩急に当てられた、自分もしっかりとその応酬をしたことへの引け目、両成敗の様な感覚だった。
つまり、これから起こることを考えれば明らかに割に合わない緩みだったとマーキスにとって反省せざるをえない反応だった。
「じゃぁ、改めて、契約の方はいかがでしょうか?」
流されている。そうわかっていてもそれを遮る手段はどこにもない。
だからこの気味の悪い丁寧な対応にしっかりと答えざるを得なかった。
「条件を飲むなら問題ない。よろしく頼む」
明確な意図した一秒の沈黙が挟まる。
「こちらこそよろしく」
よろしくという純の言葉に今更受けなければよかったという後悔が過ぎらせられる。
「それじゃぁ早速お仕事」
先程までの神妙で丁寧で真摯な対応は終わりとでも言うようないつものおちゃらけた様な声色で災禍への案内が始まる。
「誰を使っても、何を使ってもいいからこの後送る画像の人物を双方見つけておいて。で、見つけたら報告して欲しい。んで、余裕があったらそいつらみたいな奴が他にいないか探してみてよ。まぁ、発破をかける意味で言うわけじゃないけど、見つからないとは思うからこっちは本当に頭の片隅に入れておいてくれればいいから」
「先に確認しておきたいんだが、俺にこの依頼を寄越すってことは最悪何かしらの戦闘があるって考えてもいいのか?」
「ご明察。賢いねぇ」
ふぅと純の茶化しに条件反射のように落ち着かせるように息を吐く。
「だったらいろいろ入り用なんだがその辺はどうなんだ? 俺だってお前と一緒で何をしようにも見知らぬ土地なんだ」
そう肉弾戦は不得意というわけではない。とはいえ、戦闘を前提に動くなら戦うという選択肢に武器を所持して行動した方がはるかに自分という人間を有効に使えることは理解している。恐らくこれに該当しない人間はステゴロ最強と呼ばれたイザベラぐらいなのではないだろうか。まぁ、ちゃんと確認したわけではないのだが。とはいえ、基本は何か武器を持って戦った方が普通は戦いにおいて優位なのである。そう考えた時、刃物は幸い台所に包丁があるのを確認した。一方でこちらへ来る前に所持していた武器各種は不幸なことに手元にはなかった。故の確認だった。もちろん、これはお前も用意できないだろうから無茶で達成できない依頼を振るなと暗に言っているつもりだった。一応、無理矢理にでも雇われた傭兵としてやれと言われれば大量に獲得した資金で自作することも可能ではあるのだが。
しかし、このマーキスの遠回りの拒否、当たり前のように純は噛み砕く。
「あぁ、安心してよ。欲しいのをリストにして後でまとめて送ってくれればできるだけ手配するよ。もちろん、俺からのて・あ・て」
人脈が大切だと言っていたがゾッとするものがあった。本当に同じ時期にこの世界に迷い込んだ人間なのかと。
もっと言えば前々からこうなることを知っていて備えていたか、そもそも純という異物は異物らしく異人ではないのではないかと。
「わ、わかった。助かる」
「当然さ。雇用主だからね」
ガハハという汚い笑い声が聞こえてくる。
「それじゃぁ、この通話が終わって入金して確認できたら引き戻せないけど大丈夫かい?」
ここまで御膳縦され逃げ道を塞がれたなら傭兵は乗るしかない。
「あぁ、了解したよ、幾瀧さん」
「いいねぇ、お仕事モードに入ったみたいだ」
呼称に最低限にと敬意を払ってみせたことに随分とご満悦のようだった。
「あぁ、最後に。一つ聞いてもいいか?」
「どうぞどうぞ。答えられる範囲なら」
「この電話が盗聴されたり、俺以外の誰かが側で聞いてる可能性は考えなかったのか?」
マーキスの当然の疑問である。暗躍させるということは少なくともこの国に元からいる人間やアンドロイドには知られたくないはずである。
それを言えばすでにコニーとスペには持ちかけられていることを事態は知られているわけだが、それでも、である。
「え? 誰かいるの? 盗聴器とか確認してないの? 流石にこの端末に何か採掘されてるならどうしようもないけどさ。あっ、まさか、そんな間抜けなことしてるの? 止めてよ、契約をキャンセルしなきゃいけなくなるよ」
それは己の不出来を嘯けば純との関係を断ち切る最後のチャンスがある、という意味ではない。そんなバカな人間に情報が漏れてしまっているならどうなるかわかってるでしょ、という脅しである。
裏返せば仕事をする上で純の一定の水準を満たしていると、認められているとも取れるわけで、複雑な心境に見舞われることとなる。
「いや、ザッと確認は済ませてる。試すような質問をして悪かった」
「本当だよ。それじゃぁ、いい知らせを待ってるよ」
プツッと要件が終わった電話はバッサリと切られる。直後、入金の知らせが来る。きっとこれも履歴として残らないようにすでに細工がされているのかと思うと、どういった後ろ盾を手に入れているのか気になるところだった。しかし、気にした所で何かわかるわけでも分かる必要もないことである。だからマーキスは仕事モードへと切り替える。そして、武器にある程度の融通が利くならと仕事に誘うべき相手を自分の記憶からピックアップし始める。金もある、選択肢の自由度は高かった。
◇◆◇◆
「さて、誰かは何かをするなら新参者を除け者にするなよっと」
純はマーキスからリストアップされたものを今ある伝手を使ってかき集めるべく連絡を飛ばす。その準備はまるで遠足前の気分である。故にあれだけ毛嫌いしていた存在との対面も今は楽しみと化している。そう、明日は改めてのアーキギュスと会合なのである。できればそれだけで済ませたくないなぁ、とその限られた恵まれたチャンスをどう活かすか今から絵図を描きさらにワクワクに拍車をかけさせるのだった。