第百三十筆:運合霧集
「詫びる? そんな殊勝な気持ちがあるならぜひ俺の先の一件が、俺に敵意を向ける彼らに水に流すべき些細な因縁足りうるかを説明してあげて欲しいな。それが君には出来る。そういう状況に、立場にいたわけだし、何より今の問かけが全てだ」
純のそういう状況、立場にいたという言葉は一瞬にして純に向けられた敵意の視線を説明の要求へ変え獙獙に向けさせることになる。一方の獙獙の行動は旗から見れば軽率だった。そう言われる可能性を孕んでいることを自覚していたなら前に出るべきではなく、出るにしてもしっかりと場を設けて手綱を握れる状況を作ってから行動に起こすべきだったのだ。ではなぜ獙獙はそれをしなかったのか。答えは簡単である。ただ避難所という安全を、安息を約束するべき場所で眼の前にいた幼女が急に色めきだった殺気に怯えたからそれを宥めたかったという至極単純な理由で純の元へ向かったからだ。そう、獙獙にとって何よりも幼女の安全、幸せは優先されるべき事案だからである。
だからその懸念を、殺気を収められるならばと、チラリと周囲をそれとなく見渡してから話し始めるぞ、と合図を送ってから獙獙は駆け引きをせず自身の知る限りの話を始める。
「説明、か。お前の立場を良く出来るかはわからないけど俺の知る事実を伝えるなら。少なくとも最初、俺は天堂と共闘してお前に立ち向かっていた。でも途中で意識を失い戦線を離脱している間にお前と天堂は利害を一致させているようだった。それは天堂がお前に言いくるめられて寝返ったのか、お前が九十九を裏切って天堂に寝返ったのかはわからない。ただ、そういう関係になった後、俺を味方の助けに走らせたこと、それが決してこちらの不利益になることだとは思わなかった。無論、それが俺という邪魔者を排除したいがための行動だったとしても、ね」
「随分と不誠実なものいいじゃないか。この場にいる誰もがなんとなく察してるんだろう? 九十九が死んだから今のこの状況があるって。だったら俺はそのために動いた、いや動いていたと詫びる姿勢をこの弁明に注いでくれてもいいんじゃないか、ん?」
そう誰もがここに来た際に自分たちのいた世界が創られた世界であること、その終止符を制作者であるこの世界の何者かといた世界の誰かの死を起因としてここにいることを感じさせられていた。その誰かの死を、第五次世界大戦に参加していた人間は皮肉にも絶対的悪として立ちふさがった純か陸だと考えていた。実際は陸とチャールズが関わっているわけだが、生存している純が目の前に現れたというのは自然と陸が死んだのだろうと思わされることにも繋がっていた。だから獙獙が紘和と純が共同戦線を張り直していたという情報は、その憶測をより明瞭なものへと後押ししていた。もちろん、本当に陸が死んでいればの話ではあるが、実際に目撃している人間がこの場に純以外いないことが問題でもあった。そう、結局信じるためには、信じようと当事者が思うしかないのである。
それが傾く情報が先の獙獙の言葉であった、それだけなのである。
「宙ぶらりんなら引導を渡す、っていうのが一番さっぱりすると思うのも間違いじゃないと思うけど。何せお前はどんな人間に対しても平等に害悪だからな、そう考えたわけだよ」
「お前らじゃ引導を渡せないだろう? だから水に流そうって言ってその理由をお前の口から求めてたわけじゃないか」
ハハッと純は笑いを挟む。
「それにしても平等に害悪か。不平等に害悪の人間にそう言われると説得力に事欠かないな。でもそんなの一例だ。基本、みな誰かにとっての害悪だよ。なんならお前みたいな犯罪者が不平等なのが珍しいだけだろう、なぁ」
ロリコン。
言葉には出さず口パクでそう続ける純。
「だからだよ。この状況は少なくとも害悪なんだよ」
あぁ、と純は獙獙の思惑へたどり着く。最初から立場を良くするつもりなどなかったのだと。そう、獙獙は最初から幼女の恐怖を取り払うべく前に出てきて、その脅威、そう、今後も続くと予想される幼女にとっての脅威を取り払う名目を勝ち取りに来ていたのだと。しかも、一人では敵わないとわかっているからこそ多くの味方を引き込めるようにと先の客観的でしかない情報から純が未だに敵である可能性を大いに残したのである。
つまり先行したイメージを今の純が払拭するのは容易なことではなくなった。
「だったら最初から排他的に行こうよ。わざわざ正当性を強くするためにワンクッション置くんじゃなくてさ。俺もこっちに来てなんかモヤモヤしっぱなしなんだ。ようやっと俺だってコンテニューの輪廻から解放されての一歩を踏み出したのに、だ。いや、そういう意味だとここでやりあえるのは発散するという意味でも、その一歩を踏み出す意味でもいいことなのか。しかも相手は八角柱を代表するイギリスの希望カンバーバッチ、エジプトの信仰ムバラク、そして俺が知る限り現存するという点で俺や紘和、イザベラを除けば最高戦力の一角の三人の内の一人最茶。ハハッ、あまりにストレスで楽しくてついつい喋っちまう。饒舌でイケないなぁ、そう思わないか、最茶」
純は舵を切った。その舵取りに名を挙げられた三名はすぐに反応した。しかし、和解を求めてきた相手からの牙である。ただの悪党の言葉なら自暴自棄となる線を追うことが出来るが、相手があの純であるということが最初からこうなることを望んでいたのではないかという、思考にノイズを生じさせる。だからこそ、この見え透いた喧嘩に食いついていいのか。この混迷を極めた状況に置かれている自分たちが大事を起こしてもいいのかと冷静な判断を促されるのであった。
それでも獙獙だけはある種一番の当事者だからこそ純の釣り針に食いついた。
「そこにアンダーソンがいないのはどうしてだ?」
そう絶対にいるべき存在、チャールズの名前が列挙されなかったのである。もちろん、純にとって脅威レベルが低いから外した、もしくは列挙するのに漏れたという可能性もないわけではない。だからこそ、なぜその名前を言わなかったのか、獙獙には確認する必要があった。
それこそ、現存するなどという言葉がついていれば尚の事、最悪を想定して聞かなければならないだろう。
「どうしてだろうな? どうしてだと思う? お前は、お前らは俺よりも長い付き合いなのに何も知らないんだな。少なくともあの戦場はあいつにとって全て、だったのに」
当然、答えは有耶無耶にされる。それでも純の言葉はその場の誰もの敵意のボルテージをあげるには十二分の成果をもたらしていた。
パンッ。
一回の拍手。冷静になれよと冷水を浴びせるような一拍が避難所に響き渡る。
皮肉なことにそれもまた純の仕業であった。
「本当はこの場でやっても良かったんだけどな。人間相手だとやっぱり気持ちが乗る。でも、これじゃぁつまらない」
そう言って純は避難所の床を腰掛けられる程度の高さに隆起させてみせた。
その一芸に誰もが目を見張った。
「結局は敵味方の前に俺たちがここでやっていけるか、その見極めを優先するに限る、と思うわけだ」
その台座に腰掛けながら純はニヤリと笑いながら語りかける。
「さぁ、改めて言うよ。一旦水に流して手を取り合おう。何、これが同盟ならそれはいつか破られるために作られた約束なんだ、そんなにためらうこともないだろう」
その純が見せた獙獙たちの知る由もない御業は、戦力という差を絶望的なまでに痛感させ、交渉、いや脅しとして十分な効果を発揮するほどの、未知の力だった。だからその場に誰もが飛びかからなかった。
代わりに最も純との因縁が浅く、冷静でいられているシャリハが口を開く。
「わかった。そちらの要求を一時的に飲もう。代わりに知っていることを全て話してもらおうか」
「それは無理だ。俺に出来るのは教えたいと思ったことを恣意的に教えることまでだからな」
両者歩み寄り、シャリハは不服そうな顔を隠さずに、そして純はしてやったりの笑みを貼り付けて握手を交わすのだった。
◇◆◇◆
「さっきのが想造ってことか」
「そういうこと」
まず純は紘和と手を組み直したことを、それが友香やチャールズの舞台を整えるための行為であったことは敢えて伝えず、打倒陸のためにした敵を欺くにはまず味方からのこういであったことを伝えた。恐らく手を結んだ当人たちはこの部分をより深く問いただしたかっただろうが、純はそれに応じることはなくさらりと流したという訳である。そして、今花実から聞いた想造についてをさも知っていたかのように御高説したのである。そのあまりにも簡易的に、ノーリスクに実行できる御業はすぐに純が敵か味方かをどうでもいいと思ってしまうほどに魅力的な技であることは間違いなかった。
しかし、純にとっても想定外だったのはこの世界の人間は知識があれば誰でもそれになぞらって創子を駆使して想造を駆使することが出来たのだが、純たちの世界の人間には適正、と断定はできないが少なくとも現状出来る人間と出来ない人間がいるということがわかったのだ。
「それにしても、まさか使える人間が五人と一基とは、相性でもあるんかねぇ。流石にすんなり使えた立場からすると、ハハッ、ビックリだ」
実際に床を隆起させることが出来た者たちに視線を巡らせながら純は乾いた笑いを挟みながら驚いた、と至極残念な表情を貼り付けていた。そう、想造を行使することが出来たのは五人と一基。獙獙、カンバーバッチ、シャリハはその人として高いスペックからある種出来て当然だったのかもしれない。では残りは。一基、という言い回しからも人間ではないことは容易に想像できるだろう。そうラクランズ、バーストシリーズが一基、いや一人、コレットである。では、人の方はというと八角柱が一人、オーストラリアの知恵のリディアとパーチャサブルピース社員マーキスだった。リディアは戦闘力がほぼ皆無と思えた存在から一気に警戒レベルが上昇し、マーキスは素の戦闘能力に追加され今まで以上に強敵になることは理解できるだろう。
それにしても、と純は周りを改めて見渡す。当初は獙獙や八角柱といった明確に敵とにも味方にも手駒としても活躍、はしそうな力ある者に即座に目がそのオーラから引き寄せられてしまったが、よく見れば今まで純が関わってきたそれなりに一芸を持つ、いわば役者とでもいうべき人材がちらほらといるのだ。ロシアの右手、パーチャサブルピース、特異体、他多数。全員が揃っているわけではないが、ここまで人材が揃えられていることが逆に各所属から必要な人材を寄せ集めたのではないかと勘ぐってしまいそうなぐらい、人がいるのだ。都合よく集められたのではないかという点で言えば、無名の演者という世界の脅威だった存在が見当たらないのも気になる点であり、裏付ける要因でもあった。人ではないという認識からこちらに来れなかった可能性も純は考慮していたがそれは数十分後にニュースを目の当たりにして否定されることになる。
だから想造を使えることに気がそれているこの短い時間で純はブッピンに語りかける。
「なぁ、ブッピン」
「なんだい?」
「改めて、お前さ、アーキギュスを裏切ってみないか? いや、裏切ってみようとしてみないか?」
純は親睦の証を求めた時とは若干違う言い回しではあるものの再度ブッピンに取引を持ちかけたのだ。
「先も言った通りだし、所詮は口約束。幾瀧の望む関係を築けるとは思えないけど……それをわかった上でもう一度、俺の意思だけ、言質だけをひとまず人質に、いや尊重しようと思い直したのはどうして?」
純がブッピンに向ける表情は誰の目から見ても明らかなほどに面倒くさいを貼り付けていた。
それでも右手で首筋を掻きながら純はブッピンの疑問を言葉にして返し始める。
「この祭り事を前にお前がどういうものか把握しておきたい、それだけだ。相手が機械であろうと人間であろうと最低限のスペックを知らなきゃ使えないものも使えるものも扱えないからな」
「へぇ」
色々はぐらかしているが自分が扱うものの品質を知りたいという言葉に嘘はないのだろう。
あれだけ嫌悪を顕にしていた人間が一瞬にしてそれを飲み込んだという変化、その変化を与えた祭り事、そのどちらにも大きな興味を抱いたブッピンの答えは至極簡単なものだった。
「先の注意を踏まえた上で良ければ、裏切ってみても構わないよ。何せ幾瀧は俺の名付け親だしな」
名付け親、という人間の深層に容易く片足を突っ込めそうな耳あたりのいい言葉に純は心中相容れないと嫌悪感を抱く。
しかし、それは口にも表情にも、ましてや心拍数にも出さないように細心の注意を払いながら、純は裏切るという選択をしたブッピンへ仕返しのように言葉を返す。
「共犯者って言ってくれ」
「……そうだね」
静かにここで裏切りの締結が約束されるのだった。
◇◆◇◆
想造を知ったこと、何よりこちらの世界に来て間もないこともあり今後のことは改めて翌日にしようとなった。そして、翌日。当たり前のように支給される食事を摂りながら設置されていた大型のテレビに目を向けていると今後を決めるための様々な指針となるニュースが流れ込んできた。自分たちが異人と呼ばれるこの世界では異分子であるという情報に付随し今後彼らをどう扱っていくか国ごとに協議していくことになるということ。そんな中で紘和とマイケルがすでに異人のための国を建国したこと。一方、異人とは全く異なる機械の骨格に黒い粘性の液体を纏った存在、無名の演者が各国で暴れており、明確な敵意が見受けられることから異人に対する処遇とは異なり接敵次第排除する動きが取られていること。そして、ザラキフドという大陸が謎の黒い球体に包まれ中との連絡手段が一切ないこと。
最後のトピックに憶測ができたのは避難所の中では純ただ一人だった。短い期間とは言え苦楽の苦をメインに共にさせてきた仲である。
あれは紛れもなくこの世界へ怒りを向け、理不尽から隔絶されるために友香がとった行動だと。
「ハハッ。誰が止めるんだよ、あんな化け物。責任取ってくれよ、花牟礼」
当然、その責任を追うべき生みの親が一度この舞台から退場してしまっていることを今の純が知るすべはない。
「にしても」
と純は口にしてから友香以上に興味深い事案に考えを巡らせる。それは無名の演者がやはりこの地域だけ発生していない点だった。少なくとも痕跡がないのである。偶然、で片付けることも出来るかもしれないが、これが意図的と考えた方が純にとってはしっくりくるのだ。それこそ、このニュースを見る前からこの疑問は頭を過っていたのである。この機械都市への異人の集められ方には明らかに作為を感じると。そこから考えられるのはこうである。
綾音はこうなることを予期していて予め誰がどこに出現するかを取り決めていた。またはそれを彩音ではない誰かが実行していた、である。予め知っていたとなればこの世界にはこうなった時にどうにか出来ている国、もしくは企業、団体が存在していてもおかしくないと考えると現在の混乱を極める状況を鑑みるにないのだろうと推察できる。もちろん、まだ事が起きてから一日である。そう見えると判断できるだけであり、そういうのが後々現れても不思議ではない。
他にどういったことが考えられるか。まずこれほど大規模な実験を彩音一人で維持管理していたとは到底思えない点である。もちろん、それが出来るだけでの天才である可能性もあるが、真っ先に考えるべきは協力関係にあった人間が複数いた可能性である。そしてこれには花実という該当者がすでに一人いることを純は知っている。つまり、これが花実にとって投資した見返りである可能性である。それが花実ではない誰かにとっての見返りであったとして、欲しい情報、人材を出資者、協力者に分配することはあるだろうからこの結果がその誰かにとっての報酬であることは有りうるのである。当然、純はそれをアーキギュスか花実だとこの機械都市に集められた人材を見ながらほぼ間違いないと推察している。
そうだったとしても二人の目的が研究に基づくものであること以外、つまり最終的に純たちに何をやらせたいのかまで予想することは難しい。だが、それはそれで面白い、と今の純は考えている。何せ、今もこうして考えているだけで未知への介入でワクワクしているのだから。ただ一つ気に入らないことがあるとすれば、ここまでのことが全て予定通りで決して彩音にとって想定外でないのだとすれば、なぜ自分たちは彩音の目を盗んでこの世界に来ることに成功したのか、である。ようやく解決することの出来ない大きな理から抜けたような気がしていただけに、その一点が未だ何か手の届かない何者かの陰謀に振り回されているだけなのではないかと、そう、何も解決していないのではないかという一抹の不安を、一抹でありながら確かな重量を持って純に警鐘を鳴らしているようでならないのだ。
それはまるで世界の中に世界があるのならば、と……。
「眼の前の玩具にしゃぶりついてるだけの人生でありたい、っていうのは少し贅沢か」
「贅沢? この状況が? 随分と呑気なものねぇ。それともやっぱりここまであんたの手のひらの上じゃないの?」
「冗談はよしてよカンバーバッチさん。俺もようやく何度も、いや実際には一度の周回っていうつまらない縛りから抜け出して未知を楽しもうとしてるんだ。ここまでが俺の計画とか、ありえないよ」
「どうかしらね、あんたの相方の動きが用意周到すぎやしないかしら。少なくともこうなることは知ってたんじゃないの?」
日頃の行いの付けが回ってきてるな、と純は感じる。それに喋りすぎて自分が必要以上に知っていることを悟らせていることにも気付かされる。
どうも苛立ちと浮かれ具合が釣り合ってどこか抜けているなと振り返させられる。
「紘和は……それができるだけの人間になってたってだけだよ。王様が務まるかはさておき、ね。まぁ、今日はその辺を詰めていくんだろう」
「えぇ、そうね」
ちなみに、紘和の建国に関してはあまり気になるような事案ではなかった。何せ一国を制圧できるぐらいの戦闘力を【最果ての無剣】込みで持っているのだから。そんな世界の事情の一端をすでに知っている人間が真っ先にすることを考えれば異人の受け皿を作るのは、手段をもっていれば当然の目的なのだ。明確な集合場所が記されたという点では純にとってもありがたい話では有るのだが。そう考えてみればむしろマイケルが建国に踏み切り、それを成し得る力があることの方に驚かされた。
一度たりとも真っ当に相手取った経験が記憶にはないため、その未知数の実力の一端を概算で計る結果となったが、ただの人間ではないとしれたのだから。
「あぁ、せっかくだからここにいるみんなの意見を聞きたいよな。だから頭揃えてみたいな会議は止めようぜ。何せ、俺たちにはここを離れる選択肢も出来たわけだからな」
純は思い出したようにヘンリーにそう告げる。
「元よりそうするつもりよ」
「それは何より」
そう言って純は残りの食事を済ませるべく再びスプーンを手に取る。それを見たヘンリーは要件以上の会話はないとその場を立ち去るので純はブッピンの操作を空いた左手でする。
どうやらこのスマホと遜色ない端末はここにいる全員にしっかりと支給されているようだった。それはまるで監視、位置情報で管理されているのではないかと錯覚するほどで、実際そうだろうし一部の人間はそうだと受け入れた上で扱っていることが見て取れる。さらに判ったことは想像以上に検索における制限が元からかけられている、ということだった。それは主に知識に関する情報が大半を占め、そういった情報を検索、閲覧するには少なくともこの国では上の許可、即ちアーキギュスに認められる必要があるということも判明した。当初普段遣いからかけ離れた融通の効かないこの機械に懐疑的な目を向けていたが、純が想造(アラワスギュ―)の説明を挟んだことで、この世界における情報の価値が浸透し、この使いづらさの理由にもひとまずは納得がいっている様子が伺えた。中には当然情報統制をされているだけだと純と同じ結論に至っている人間もいる。そう、いくら情報といえど、その情報にどういった価値があり知識をもたらすかを判断するのはあくまで調べる当事者の問題なのである。その全てに対してシャットアウトしているという現状はどう考えても行き過ぎなのである。それは同時に、この現状を同様に強いられているであろうマイアチネの国民に対しても言えることであり、不平不満が漏れない一方で、文化、教育の水準が遜色ない様に見て取れることは、純を始め数人の目には異常に映った。
では、この環境に不平不満は本当に存在しないのか。検索して出てくる情報でもないので早速純は昨夜ブッピンに直接聞いてみていた。答えは存在する、だった。より厳密に言えば反アンドロイド共存派が存在するという話だった。その中にも依存しない程度の距離感を望む穏健派とアンドロイドを支配下に置こうと考える過激派で派閥が分かれているようだ。そして、何を隠そうその反組織の中枢にいるのがイブリース家の一族だったのである。花実が人の味方と言う表現をわざわざとった理由が腑に落ちたといったところだった。現在も水面下で衝突を繰り広げているようだが、何せすでに都市そのものがアーキギュスに依存しているところもあり、何より排除すべき疑惑はあれど明確にそれをアンドロイドによるだと断定した証拠にすることは出来ずに降り、一言であれば反組織が劣勢である、というのがブッピンの見解だった。
そうなると今度はどういった疑惑が出てきているのか、という話である。当然、火のないところには煙は立たないので、全てが全て情勢を有利に進めるために流布された虚偽の情報ではないだろうと予想はできる。これもまたすでにブッピンに聞き終えている。ことの発端は十二年前とされている。事件があったわけではない。ただ、人とアンドロイドの共存を唄う中で誰かのせいにならない世界というスローガンがささやかれるようになったのだ。この頃からアンドロイドの人への接し方が、優しすぎて、便利すぎて気味の悪いものへと変質したのだという。そして今から二年前、急速に人とアンドロイドの垣根をなくすサイボーグ化が始まったのだという。その前段階で様々なテストがあったようだが、その成功を踏まえての踏み切りらしい。そこが純の魂を感じるが故の違和感、もといここの住人に対する嫌悪の視線の正体でもあったので驚くべきことではなく、今更知った事実でしかなかった。
つまるところよくわからないままに何かが進んでいるのである。だからこそ、純はこの歪な都市を生み出した現況であるターニャ博士の死亡年月日をこれまた当たり前の様にブッピンに問いただしていた。そう、死亡年月日である。アーキギュスの自己紹介の際に出てきたこの名前は同時に機械工学の第一人者でしたという紹介で締めくくられていた。それは第一人者ではなくなったか、その権威の椅子から退いているか、すでに亡くなっているかを想像させるものであり、似たような状況を知る純はその状況がなぞられたものではないかと予想して決めつけるように聞いていたのである。そして解答は三十年も前に亡くなっているという事実だった。時限式の何かがあったか、それとも生みの親の生死は関係ないか。二つを比較して今後を考えるにはあまりにも三十年という月日が短すぎず長すぎず判断材料には決め手にかけるものだと純には思えた。
左手で操作するブッピンを見てそんな頭の整理を純はしているのだった。
◇◆◇◆
「それでは」
「彼らに話させると動揺をさせないためにと前置きが長くなる」
体育館のような避難所。その壇上で話し始めようとしたヘンリーをさっそうと遮り、壇上の下で声を張り上げるものが一人。
「君たちには二つの選択がある。ここに残るか、残らないか、だ」
どよどよと声が上がる。
「幾瀧、あんたは」
「だってそうだろう。ここに残って庇護下に入る、市民権を得る、新しい自治区を設ける。ここを出て新しい国を作る、周辺諸国を見て回る、天堂、サザーランドと合流する。それを今ここで決める、それが今回の大きな論点だろう。少なくとも元の世界に戻る手段を今回は議論しない」
「おい」
ヘンリーの静止を無視して純はハッキリと告げた。
「もう薄々ここに来た時の感覚からわかってるだろう? 俺たちのいた世界がないなら探すことに何の意味はないんだってさ」
言葉にして告げられたやっぱりという事実にこの場に集まった皆がざわつく。それは戻れないと決まったわけじゃないと声を荒げる人間が現れないことからも、過っていた考えがあまりにも現実味を帯びた感覚だった、ということがわかる。
そんな不安の声をよそに純は声を張る。
「選ぶのに悩んでるなら相談にのるよ、そのための俺たちだ。さぁ、これからの人生を決めようか」
それは決めなければならないこと。わかっていたこと。それでも突然だと感じてしまうほど決断するにはあまりにも重い選択。それを純は今だと現実を突きつける。それはそれはまるで他人事のように、楽しそうに。気に入らないことがあるとすればそれがあくまで正しいことだ、ということなのである。各々の人生を決める今後の進路相談が始まるのだった。