第百二十六筆:天機は上々
まだ一部分ではあるものの、回想した先の全てが経験としての過去でなく、情報足されただけの設定なのである。そこが覆ることはきっとなく、後はそれを受け入れた上で、受け入れない上でどうするか、友香にとってはそれだけなのである。だから、理不尽を恨み、理解したくなく暴れ、殺戮を繰り返す。
落ち着くことない気分が落ち着くまでそれは繰り返されることに思えた。
「止めようよ、こんなこと」
その声は、苦悶、苦痛の声のみが反響する空間で実にハッキリと友香の耳に届いた。声のした方へ振り返ると、そこには何処か見覚えのある、それでいて知らない顔があった。
いや、知らないと言うよりも顔にモザイクが掛かったよううにハッキリとしないような、それでいてどこかにいた様な顔に見える顔なのだ。
「どうして自由に動けてるの? あなた、何者?」
そんなことよりもこの空間において明らかに異質な存在、それを目の当たりにしたからか、得体のしれないものへ多少の驚きはありつつも、冷静な状況判断ができた友香は突然の来訪者に適切な言葉を投げかけていた。
「私は……」
答えなかった。名乗らなかった。そんな見た目も態度も不審な点しかない彼女であっても今の友香にとっては貴重なサンドバックだった。
だから、結局の所何者だろうと友香の続ける言葉は、質問を告げられた時から決まっていたのである。
「止めたらどうなるんだよ。私のこの思いはどうなるんだよ。それに、こいつらは死なない、死なせない。だったら別に何したって変わらないでしょ? ねぇ」
「それでも復讐は何も生まないの。あなたが迎える明日が今日より良くなるためには必要なこと、そう思うわ」
「何よそれ、まるで聖人君主みたいに正論言いやがって。大事なものは亡くしてから気づくって言うけど、その大事なものが本当に大事だったのかすらわからないのよ。自由意志に則ったものだって。だったら、そんな証明できないものに難癖つけるなら復讐しかないじゃない。復讐は何も生まない? そんなことない。少なくとも私の気持ちは晴れるの。ゆーくんが望んでいなくても、今ここにいる私のやり場のない思いを紛らわす糧にはなってる。それで迎える明日は私にとっては前に進めた明日になる。それが悪いはず、ないじゃない」
黒く染めるしかない感情がベタベタと納得しているのかわからない
「そう、私だって知ってるわ。復讐は何かを生むし、あなたが迎える明日が何をしたかで確実に良くなることはないことを、ね。当然のことよ。世界はそれを許せるぐらいドス黒くエゴで汚れてるし、発破をかけるように灰色の埃が舞ってる。そんな黒と灰色が主体の世界で正論みたいな白が原型を保つことは難しいし、珍しいものなの」
一呼吸。
「そう、それでも白はあるの。世界を良くするために変えたいと願う者、護りたいと願う者。そういう人たちはひたむきな馬鹿だからこう言うの。復讐は何も生まない。その決断であなたの明日はきっと今日より良くなるって。それが正しいってことは信じてるから自分はどうなろうと、いえ、自分がどうだったろうと、そう言い続ける覚悟があるの。それがあなたの前にいる私よ。あなたのために、白さを説くためにいる私なの」
「うまいこと言ったように浸ってるんじゃないわよ。そんなことが弄ばれた分我慢しなきゃならない、相手の境遇を汲んであげる理由であって良いはずがない」
「だから、この虐殺だけは止めよう。あなたが花牟礼以下の存在になるのは、絶対に後悔することだって知ってるから。今が全てじゃないから」
拒絶と説得が最期で交差する。それは友香に彼女の言葉が納得したかどうかはさておき、それでも届いたことを意味した。
だからこそ、売り言葉に買い言葉、優しさから止めに入った言葉は全て友香の背中を逆に押す結果となったのだ。
「うるさい、うるさい、うるさい。こんな世界だから有り得るのかもしれない。だから言う。言わせてもらうけど、例えあなたがこの先後悔することになった私だったとしても、それはあなたが気持ちよくなった、復讐を果たしたからこそ味わえること、言えること、でしょ? 後悔は後悔することをした人間にしか言えない。そんなのズルいじゃない。あなただけ復讐を果たせるなんて。一時でも癒やされて、しかもやり直しの機会まで手に入れてる。だったら私もその道を辿る。それでいい、後悔してから自己満足をしにここへまた来てやる」
己の道を進む決意が漲る。
「だって、少なくともあなたが未来の私なら、そこまでの道は保証されてるのでしょう?」
いつだって落ちた、となってからの速度は速い。
遮るものさえなければ加速しか選択肢にないのだから。
「だから私の予想通りの人じゃなかったとしても、その口で私を諭そうとしたことをそれこそ新しい後悔に付け加えて……未練にしてちょうだい」
◇◆◇◆
牙を剥く哀れな少女に女は思う。結局こうなるのか、と。これではきっとどう足掻いても彼女の運命は変わらない、いや巻き戻ることはあっても進展はしないのだろうと思えてならなかった。いや、たった今そういうモノに、運命にしてしまったのではないかと。今の決断が若干自暴自棄のような決定だったとは言え、自分の責任で決定した道であるが故に何者にもその責任の所在を見いだせなくなってしまったのだ。背中を押しに来た結果、押す方向を間違えてしまったのだ。
つまり、全てにおいてどん詰まり、失敗してしまったかもしれない、ということである。こうなることを知っていたのだとすれば、神は悪趣味である。それは嫌悪感から失笑することすら許されない馬鹿げた話である。しかし、毒気の抜けてしまった今の彼女には目の前の少女と刺し違えるような度胸はない。ならばどうするか。悪趣味を受け入れるという遺憾な行為ではあるけれど、少女の憤りを正面から受けることであった。いや、少し語弊がある。悪趣味に身を任せ、少女のように自らの救済のためにわがままを、懺悔という皮を被った抵抗を始めるのだった。
◇◆◇◆
「うわぁあああ」
友香の咆哮と共に黒い帯が女めがけて動き出す。
しかし、いくら素早く動かそうともその黒い帯はその女をきれいに避けてしまう。
「そんなんじゃ、あなたは私を否定できないよ」
そう言うとまるで支配権が移ったように今度は黒い帯が友香めがけて襲いかかってくる。しかし、それは当然友香に当たることはない。なぜなら友香にはそもそもこの黒い帯という物質を生み出した力【想造の観測】を持ち合わせているからだ。それは同時に目の前の女にも物質を操作する力または同等の、いや、はっきりと言えば同じ【想造の観測】を持ち合わせている可能性があることを意味していた。
ならばやるべき方法は決まっている。
「うるさい」
友香は叫びながら今度は津波を彷彿とさせるような前面を押し出すように黒い帯を進ませた。それは女の頭上付近まで迫ると目の前が真っ暗に覆いかぶさるように回避不能の物量を押し付ける。しかし、当然この攻撃がその女に届くことはなかった。女の鼻先で黒い帯が霧散していってしまっているのだ。まるでそこにあるものをないものとして否定しているかのように。実際そうなのだろう。だが、友香にとって重要なのはそこではなかった。
死角、でなくても友香の姿を女が観測できない瞬間が少しでもできればそれで良かったのだ。そう、先の一撃は女を倒すものではない。女から友香自身の姿を一瞬でも隠すための目眩ましだったのだ。そうすれば【想造の観測】から外れ、【雨喜びの幻覚】を行使することが出来る。
つまり、本当の死角からも不可避の一撃を与えることが出来るのだ。
「……うぐっ」
女から痛みから嗚咽が漏れる。一度恋人をその手にかけた友香にとって自分の手で人を殺めることに、このとにかく何かに八つ当たりしたいという精神状態であるかなどに関わらず、ためらいはなかった。具現化させていた包丁で刺した感触は、料理で肉に包丁を刺すのと大佐はないのである。
その感触に罪悪感も嫌悪感も今の友香にはない。
「さようなら」
その言葉は心臓に包丁を突き立てられた女が発した言葉だった。その目はまるでもう救われることのない哀れな存在を見るように、頬を濡らしていた。一方で、その口元はようやく救われる手段を手に入れたかのように満ち足りた微笑みを携えていた。
それを見てどうして私を止めに来たはずのあなたがそんな顔をするのかわからない、ズルいという感情が友香から溢れ出す。
「あなたは、何がしたかったの?」
本来であれば【想造の観測】で【想造の観測】を相殺して純粋な殴り合いに持ち込めたはずである。友香は相手を判断しかねず、相手は友香を知っているならば【雨喜び幻覚】への警戒を怠るべきではないのだ。
これではまるで最初から死ぬつもりだったのではないかと思っても不思議ではないと、心荒れる友香ですら思い至る結論であった。
「本当に私を止める気があったんですか? それとも」
「あったよ」
本当であることを強調するように友香の他の可能性の提示を塗り潰すように声を張って被せる女。
「あったんだけど……あなたのこと……わかって、なかったみたい」
わかってたつもりなんだけど思えば当然だよね。
聞こえるはずのない言葉が友香の耳に確かに聞こえてきた。
「だったら」
だったらどうして。
「どうして最期まで止めることを諦めちゃったのよ」
支離滅裂。相手を試すために逆の行動を取る、傍から見れば明らかに迷惑極まりない、理不尽で正解が用意されているかも未知数な問答。
あまりにも手前勝手な言葉ではあるものの女は満足気に、そして皮肉を添える余裕を見せつけながら応えた。
「わかってなかったからよ。だから」
だから。
「しっかりとあのクソ女に復讐して、全部背負って見せて……ね」
突然力が抜けたように後ろへと倒れていく。そんな彼女を支えようとする手は間に合わず、死体は地面へと打ち付けられた。肉に包丁を刺すのと変わらない、ただ肉が落ちたはずの光景なのに、接地と同時に飛び散った血、その後を追うように溢れ溜まっていく血溜まりは、友香にこれが人なのだと、人を殺すということはこういうことだということを思い出させたのだ。生ぬるくべっとりと這いずる嫌悪感を、である。
しかし、それを思い出したからといって今の友香にとって歩みを止める理由にはならなかった。否、それを理由にしてはいけなくなったのだ。友香が優紀に愛の呪いをかけてしまったように、今の彼女も期待という重責な呪いを背負わされてしまったのである。だからこそ、もう後戻りの出来ない、やりようのない気持ちを口にすることなく、右手をその手のひらに爪が食い込み血が滲み出るまで握りしめ、ただ思い切り太ももに叩きつき続けるのだった。それはまるでこの惨状をもう一度再始動するための儀式のように何度も何度も叩きつけ続けるのだった。
ここまでがハーナイムに突如として出現した黒いドーム内でたった一日に起こった出来事であり、ここからそこで七日間続く虐殺の実験の時間の始まりでもある。つまり八日後、このドームは消えることとなる。それは新たな凶星の羽化を意味することとなるがそれはもう少し先の話である。
◇◆◇◆
小さめの部屋にペラペラと本をめくりながら顔をニヤけさせる男が一人。
断流会が所持する予言書。これは現在のリーダーであるこの男がその父親から譲り受けた物である。その著者、起源は不明であり代々語り、受け継がれてきたものらしい、ということしか受け継いだ当人も知らないほどあやふやなものだった。救いだったことがあるとするならばここにある予言の内容が自身が生きている内に起ころうとしている事実だった。そうでなければこんな団体を自身が創設することはなかっただろうと考えている。いや、もっと気の引く言葉があったな、と男は振り返る。
それは祖父の言葉である。
「面白いか? ここに書いてあることは本当に起こるんだぞ。だから、お前もこれに参加したければ俺ぐらいしっかりと強くならなきゃいけないよ。だから鍛えておけ、磨いておけ。余計なことに手を出さなくてもいいように金だけは用意しておいたからな」
「俺もここで遊べるってこと?」
「そうだよ」
「でも、みんな強そうだよ?」
「だから言っただろう。鍛えておけ、磨いておけって。あぁ……でもだ。もしも、だ」
「あぁあ。それって切り札ってやつ? 教えて教えて」
「慌てるな慌てるな。察しが良いなぁ、流石俺の孫。そう、もしお前がどうしようもなくなったら助けを呼べば良いんだよ」
「誰に? 俺、そんな強い人知らないよ」
「ハハハッ、面白い冗談を言うな。目の前にいるだろう? 俺こうみえても人類最強なんだぞ。だから俺を倒せるのは俺か寿命ぐらいなものさ」
「えぇ、本当?」
「本当だぞ」
「だとしてもその頃にはもうお爺ちゃん寿命に負けていないじゃん」
「……こりゃ一本取られた。だから精一杯の努力をするんだよ」
そんな自称強い祖父は言動からも何を考えているかわからない様な人間だった。一方で確かなこともあり何をするにも楽しむことを信念にした様な人間だったということである。だからなのか遊ぶための金はどうやって稼いでいたのか、仕事すら知らないが宣告通り湯水のように持っていた。死してなお持て余すその多額の富が今もこうして孫に有効利用されているのだからその規模の底が伺えないだろう。
そして断流会のリーダーであるその男もまた、祖父の血を色濃く引き継いだのか、楽しいことが好きだった。だからこそ裏で糸を引くような組織を運営するのも好きだった。そして何より予言書の内容が祖父の後押しもあり楽しみで楽しみでしかたがなかったのだ。こんなことが現実で起きてしまうのならばいかなる形であれ参加したい、と。そして参加するならば全力で楽しみたかった。そのための準備を惜しまず体は鍛え、人員も揃え、予言書というチャートをなぞってもきた。結果、それは来た。
ハーナイムへの異人の侵略。それはこの予言書が事実であることを断流会に所属する全ての人間に照明した瞬間でもあった。今までも確かに予言書の内容が起こったが、それは規模が大きく漠然としているというのもあったがこの世界で起こり得る可能性のあるものが多く、占い師にあなたの家は駅の右手にありますね、と聞かれているぐらいに信じるには何か足りない事象ばかりだったのだ。しかし、人間が突然降って湧いて出る、これは荒唐無稽だけに現実で起こった時の予言書の証明としては十二分だったということである。
つまり、と異人を目撃したリーダーは即座に耳に入ってきた異人の出現と同時に出現していたザラキフド大陸の黒いドームの報告を聞いて予言書の内容を確認する。
「ってことは……今はちょうどあの娘が虐殺を繰り返してるところなのか。強いんだろうなぁ。だって花牟礼たちが創った箱庭のあの奇天烈な力でしょ。ハハッ、どうやって攻略すればいいんだよ」
ペラリとさらにページを読み進めていく。そこには紘和とマイケルによる国家転覆から始まりマヌエルによる自己増殖、一樹と唯一の頂上決戦などこれから起こる様々なことが記載されている。さらに抜き取ってあったページを確認すればそこには彩音が死者の蘇生を完成させたこと、彩音によって蘇らせられた省吾によって彩音が殺され死者蘇生の方法が省吾とその妹に継承されたことなどがあった。つまり、ドミノを倒すように予言が事実に追いつくたびにその先の予言は確かであるのだから、その予言に備えてやりたいことを準備しておけば良いのである。
もしかしたら、そんなわかりきっていることに対処するのが楽しいのか、と思う人間もいるかも知れない。でも考えてみて欲しい。初めて勝った馬券が一億円になると言われて渡されたとして、そのレースに、一億円にワクワクしない人間はいるだろうか。これはわかっているにも関わらず初めてであまりにも規模の大きなアミューズメント、エンターテイメントなのである。つまり、リーダーは楽しんでいた。それにこの予言書はしっかりと予言書らしく全てを明確に記しているわけではない。ただそこまで詳細な予言が出来なかっただけなのか、それともこの予言書を見た人間を少しでも楽しませるためなのか、あまりにも巧妙に見える程度に結論がぼやかされている時があるのだ。
例えば、黒いドームの中では友香を止める者が現れているかもしれない、と。
例えば、一樹と唯一が頂上決戦を行った。どちらが勝つかは神のみぞ知る、と。
先も言った通り予言らしいとも言えれば、まるで蓋を開けてからのお楽しみと暗喩されているようにも見えるのだ。だから、面白くないなんてことは何一つなかった。
「……ふふっ、そういう意味ではここが一番楽しみだな。それこそ、予言書を覆しかねないだろうし、ね」
そう言って見つめるのはモアポリティカ大陸の機械都市マイアチネで起きる予言の内容だった。そこに登場する人物の名前はこう記されているからだ。
幾瀧純、と。
「箱庭のバグ。元となってる素体がバグったんならそりゃぁ期待もできるよね」
話し合いでも戦闘でもぜひ直接会ってやってみたい、男にとってはそう思える魅力に溢れた人材でもあった。
「桐生さん、ギンスターがピンチみたいです」
いい感じにこれからの構想に浸っていたのに、という感情を隠そうともせず扉一枚隔てて要件をいきなり伝えてきた声に男は返事をする。
「何、どうかしたのサミュちゃん」
「ちゃん付けはよしてください。そしてピンチというのは救難信号が出たということです」
「救難信号……もしかしてもう向こうは夜だったりする?」
「えぇ、夜です」
「……なるほどなるほど」
パンパン。呼ばれた男、桐生ケイは頬を軽く二回叩くと気合十分という顔をして立ち上がる。そして、その勢いのまま扉を思い切り開けると先ほど声をかけてきたであろう女性がそこで携帯電話を差し出していた。ケイはそれを受け取るといよいよ自分もこの予言書に参加できると胸を昂らせる。最初の印象はとても大切だろう。
予言書という物語のケイにとってのヒーロー、ヴィランとの会合なのだから。だからケイは舐められないようにと気合を入れる。
「よぉ、紘和。元気だったか?」
芸能人に対して初めて対面したがテレビで親しんでいるせいもあり呼び方がついフランクになってしまう感覚。そんな感じで喋りだしたケイは若干しまったと思いつつもせっかくならこのまま威圧的な態度を取ることで彼、紘和とおしゃべりをしようと決める。ここでやるべきこと、伝えるべきことはもう決まっている。だから後はなるようになるのだ。
ケイにとって決して覚めることはない夢のような時間が始まるのだ。
◇◆◇◆
時は省吾が手駒として箱庭出身者を蘇生させていた頃まで戻る。
「どうしたんですか、中之郷さん」
ここはソレクチルス大陸の南東にあるニムロー共和国とモワオプリ連合国の国境にもなっているツルラネ山脈。そこに智を筆頭にして編成された小規模な部隊が潜伏していた。偵察と食料調達を目的に現在行動している。近くにはささやかな拠点が設けられており、そこで仲間、異人を保護しながら生活を送っている。
当然、智がこんなことを率先してやるような人間かと言われれば少しだけ首を傾げる人が多いところだろう。なぜなら智は日本の剣で怠惰の名を冠する程度にモノグサだと周知されていたからである。では、なぜそんな智がこんなことをしているのか。理由は二つ。一つは拠点にいるイザベラの存在である。そう、ブラジルの勇気がこの活動を始めたのである。つまり、智は尻に敷かれて使われている立場にある、ということである。そして二つ目はイザベラが戦力として認めている人員がこの場には智しかいなかったからである。つまり、自然と拠点を守る人間と先の目的の部隊二つを用意した時、まとめ役をやりたくない智は後者にならざるを得なかったのである。
そう、どちらをとっても戦闘になる可能性は十二分にあるからだ。
「いや、なんでもない」
智はなんとなく懐かしさを感じ取り南西の空を眺めていた。
そこを部隊の一人であるニック、箱庭ではゾルトたちと組んで前線で戦っていた一般兵に何か異変でもあったのかとその眺めるような姿勢を追求されたのである。
「しかし、よりによってマイケル側と合流するのかぁ」
それは異人によって出来た国が二つ存在し、距離が近いのが紘和ではなくマイケルが統治している方だと知ったのが二日前の出来事であり、それに伴いイザベラが移動を決断した、という背景があるのだ。
つまり、現在は大移動をする前準備としての食料確保として動植物を大量に採っている最中でもあったのだ。
「やっぱり天堂さんの方が良いですか?」
「そりゃ、そうだよ」
部隊の仲は良好で智の立ち位置は気だるげにしているが頼れる兄貴、そんな感じで落ち着いていた。偵察を兼ねているとは言えこちらに来て全く戦闘がないというのもこういった穏やかな空気を作り出し、良好な関係を仲間意識から築きやすかったとも言える。だから、敵地だということを忘れていたのかもしれない。安全地帯へ移動するという思いからの気の緩みがあったのかもしれない。ましてやその大移動をちょっとした遠足気分に捉えていたのかもしれない。
いや、結局それがなかったとしても接近を許さなかったかはわからないだろう。
「アレンの方の結果見ついでのつもりの様子見だったんだけどその前に随分と興味深そうな人がいるねぇ」
降って湧いたような殺気。
「どうも。お名前を伺っても?」
智の脳内で緊急警報のアラームがガンガンと鳴り響く。背後を取られたことに死のイメージすら湧くほどだった。自分がまだ生きている、それを奇跡に感じながら目を見開き、呼吸が止まるような状態で智はすかさず自身の背後を振り返った。
そこには一人の男がいた。
「……定番の返しで悪いけど、名前を教えて欲しかったらそちらから名乗るのが礼儀じゃないかい?」
「名乗ったところであなたたちには価値がないじゃないか? でもそれであなたの名前が聞けるならもったいぶらずお教えしましょう。俺の名前は桐生ケイ。以後よろしく」
「誰だ」
こちらへ来た時に持っていた各々の武器である銃やナイフを智の警戒に遅れて応じる部隊の面々。
「撃つな、構えるな、降ろせ」
危険度を理解していない部下を護るように智は慌てて大声でその本来であれば外敵に対する適切な行動をとった部下の行動を制止する。そう、ニックという軍人ですらピンと来ないほどにその危険度は常人には測れないほど大きいのである。
だから、智の慌てた口調に戸惑いを隠せていない。
「いい判断。やっぱりあなたは強そうだ。それで、お名前は?」
「逃げろ。お相手さんは俺に用事があるみたいだ」
「しかし」
「足手まといだ。いいから逃げろ、そしてシルヴァさんに伝えろ」
智がシルヴァという単語を出した途端、ケイの頬が緩んだのがわかった。同時にこの時、目の前の人間を見て想起すべき人間を智は思い出した。
そして、ゆっくりとだが駆け出していく音を背中に聞きながら智はそこで初めて息をすることを思い出したように一呼吸置く。
「悪いねぇ、待ってもらって」
「戦う上であなたの足手まといになるだろうからね。それに、俺も別に小物を相手にしに来たわけじゃないからね」
まるで明確な目的を持ってここへ来たと言わんばかりの口調、それでいて行き当たりばったりである様な雰囲気。
そして重ねて感じるその危険度からは鹿児島で対峙したあの化け物を否が応でも想起させたのだった。
「それで、お名前は?」
「……中之郷智、だ」
ケイはその名前を聞いて目を見開いた。
「ハハッ、無害で有害な裏ボスみたいなのに興味があっただけなんだけどね。まさかまさかこの頃は二人がこんなところにいたとは。ラッキーだねぇ」
そして喜んでいた。もちろん、智にとって目の前の存在に心当たりなどない。
だからこそ向こうだけがすでに知っているという素振りがより嫌な男の顔を思い出させる。
「ちょうどいいや、せっかくだから俺の異人との初めて、もらってくれよっと」
ケイが言い終わるかどうかのタイミングで丸太が森の中から飛んできた。
当然、智にとっては背後からいきなりぶっとい何かが通り過ぎたのでそれはそれで肝を冷やすものだった。
「今のを避けるか」
「おぉ、これはこれで、若干不利、かな」
ニックたちが助けを呼んでから来たにしては早すぎる。
つまり、このケイという男はイザベラでも危険だと判断して拠点を放棄してでも自分から智の援護に来るぐらい危険度がある人間ということになる。
「本気でやりな、中之郷」
イザベラの号令で智は銃と刀を抜く。戦いが始まるのだった。
◇◆◇◆
鼻歌交じりで空を仰ぐ存在が一人。
なぜ、そんなに楽しそうにしているのか。
「みんないい仕事してるなぁ。何よりここまで来るパターンは珍しい」
珍しいだけであり予期していなかったわけではないことがわかる言葉遣いだった。それでも珍しいには変わりないのだろう。つまり、天機は上々、ということである。
※注意とお願い※
処女作のため設定や文章に問題があることが多いかもしれませんが、これにて、第十章が終了しました。ここまで読んでくださりありがとうございました。
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