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綴られた世界  作者: 白井坂 十三
第十章:始まって終わった彼らの物語 ~夢幻泡影編~
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第百二十五筆:色褪せない色褪せた想い出

 これは想い出を再現した話となる。そう本来であれば想い出はその人物にとって存在した過去である。美化も悪化も、つまるところその人にとって印象深かったところを切り取りつつ改変したりすることもあるものである。確かに存在したのに時間の経過と共に、口に出した回数に応じてその想い出は現実に存在した事象よりも曖昧な記憶として保存を重ねていくのだ。それが悪いことだと言いたいわけではない。良い想い出も悪い想い出もその人にとって残った記憶ということは紛れもなくその人にとっての糧であるのだから意味のあるモノだと言いたいのだ。

 少し話が逸れたが、何が言いたかったかと言うと本来想い出とは変質を遂げる普遍のものではないということである。想い出は良くも悪くも色褪せる、と言いたかったのだ。そんな色褪せる想い出が色褪せなかった、そんな特異な想い出にまつわる話が今から描かれる。

 それこそ友香の初恋とその後の恋模様であり、同情の価値観を共有する想い出なのかもしれない。


◇◆◇◆


 友香は影の薄い娘だった。それは決して比喩ではなかった。何故と言われれば彼女が神格呪者であり【雨喜びの幻覚】の能力を有していたからだが、それを彼女自身が知る方法、見識もろもろあるはずもないので気づきようもない。

 ポンポン。


「お母さん、行ってきます」

「あっ、友香、行ってらっしゃい」


 何故他人の意識から消えてしまうのか、理由はわからないが、その解決策として友香はボディタッチや声掛けをという手段が有効であることは長年の生活から理解していた。とはいえ、彼女が積極的な、いわゆる陽キャかと問われれば決してそういう人間ではない、とするのが正しい。だから、クラスで浮くことすらなく静かに読書をするのが趣味になるのは自然のことだった。ちなみに、存在しないわけではないので準備した物の数が足らないなどといったハプニングがないのは、学校生活においてせめてもの救いだっただろう。

 そんな感じであるため小学校で親友と呼べるような友人関係は築けず、友香は中学に進学する。そして、そこで友香は運命の出会いをするのであった。

 それは入学して四日目の出来事だった。


「おーい、桜峰さん」


 廊下から友香の名前が大声で呼ばれる。名前を呼ばれることはそう珍しくない。しかし、名前を読んだ相手が友香を視認していると分かる状況、つまり、目が合っている状況は非常に珍しかった。

 十分休憩の間、教室の隅の自分の席でいつものように読書に勤しんでいた友香はパチパチと驚きを隠せず素早い瞬き二回繰り返す。さらに声をかけてきたのが自分のクラスにいない知らない男子だったという点でさらにパチパチと瞬き二回で友香は驚く。その驚きは手にも表れ、自分しかいないことがわかった上でも私と自身を指さして確認してしまうほどだった。その反応に声をかけた男子は他にいないだろうと言う表情を一瞬だけ顔に出してからコクコクと頷いてみせた。一体何のようだろう、という疑問よりもどうして私に声をかけたのだろうと普通ではありえない疑問が前面に来ながらも友香はゆっくりと立ち上がり顔を伏せながらそそくさと廊下へと移動した。ただでさえ普段から目立つこととは無縁な彼女だが今回は大声で呼ばれたこと、何よりその声をかけてきた人が異性であっただけにヒソヒソと声が上がる程度には目立っており、顔を少しだけ赤らめていたのである。

 教室後ろの扉の前まで来るとそこまで移動していた男子と改めて対面を果たす。


「な、何の用事ですか?」


 一番の疑問を口にすることはない。だから、当たり前の質問を口にする。

 何せ本当に接点のない知らない男子がそこにいたからだ。


「えっと、ごめん。驚かすつもりはなかったんだけど。あっ、俺、同じ一年で隣のクラスの菅原優紀って言います」

「どうも」


 流石に優紀と名乗った男子も今更ながら他のクラスの女子を大声で呼んだことに気恥ずかしさを覚えたのか、それともその行為に不躾さを感じたのか、お茶を濁すように簡単な自己紹介を挟んできた。

 後頭部を左手で掻きながら視線を少し逸らす男子と数秒の沈黙までそのまま挟むこととなる。


「それで」


 目立ちたくない友香はさっさとこの場を離れたいこともあって顔を上げて質問の答えを催促する。その視線の先にはこれまた目をパチパチとして友香をジッと見入っているように見える優紀がいた。

 そしてハッと我に返ったような表情を挟むと優紀は口を開いた。


「あぁ、ごめんごめん。用事ね。これ」


 そう言って優紀から差し出されたのはハンカチだった。見覚えのあるハンカチだったため友香は即座に自分のスカートのポケットに左手を突っ込む。

 そして、これが自分が落とした物だと確信に変わった時、友香は右手でゆっくりと受け取る。


「あ、ありがとう」

「い、いや~、実はこれ友だちがひろ……」


 何かいろいろと補足を言っているようだったが、友香はこれ以上必要のない関わり合いを避けるようにその補足を聞くことなく席へと戻っていった。その光景を見ていたクラスメイトもただの落とし物を届けられただけとわかるとすぐに注目が引いていくのがわかった。そして友香が席に着く頃にはただ一人を除いてもう誰も友香を視界に入れていなかった。それに気づいたのは一応、先程の男子がもう帰ったのか確認するために着席と同時に振り返った時だった。またそいつと視線があったのだ。そして、件の男子、優紀は照れくさそうに小さく手を振ると何処か満足げにその場を後にするのだった。一体これが何を意味するのかは後に本人から直接聞くことになる、馴れ初めであった。


◇◆◇◆


「おいおい陸。あの娘ナニモンだよ。どうして話題になってないの?」


 若干興奮気味にクラスに帰ってきた優紀はすぐさまハンカチを友香に届けることになった元凶の元へと駆け寄っていた。


「まぁ、あまり目立たない娘だから。存在感がないっていうのかな。そういう意味では話題に上がらないくらいの娘だね」


 じゃぁどうしてお前は知ってるんだよ、と思わずツッコみたくなるような情報を離すのは優紀の友人の陸である。女子トイレの前に落ちてたハンカチをなんとなく手にとって周囲に落とし主に該当しそうな女子を探していたところ後ろから、それ桜峰さんのじゃね、S.T.ってイニシャル入ってるじゃん、と落とし主の候補を伝えてきたのもこの俺情報通です、という面をした陸だったのである。そんな陸の言うことを信じて落とし物を届けに行った優紀が出会ったのが友香だったのだ。おーい、桜峰さん、と声をかけた時はそれこそただ単純に落とし物を早く確認して渡しておきたい、そんな面倒事をちゃっちゃっと片付けようぐらいの気持ちで呼び出したのだ。しかし、該当する娘が反応し視界に収めた優紀は一瞬で見とれてしまう。それは彼女と直に対面し、正面から顔を見定めてことで確信へと変わった。

 これが一目惚れ、そして優紀にとっての初恋なのだと理解したのだ。

 だからこそ、優紀は興奮冷めやらぬ形相で帰ってきたのだ。


「いやいや嘘でしょ。あんな可愛いんだよ、どうし……」

「ほぉ、可愛くてなんだって?」


 優紀は自分がとんでもないことを口走ろうとしていることに気づき、あまりにも遅い急ブレーキをかける。

 一方の陸はほとんど好きになったことを告白したような優紀を茶化すようにニヤニヤとした表情を貼り付けながら優紀が濁した言葉の続きを確認する。


「茶化すなよ」


 そんな陸に照れを隠しきれない顔を背けつつ、真面目であることを主張するような言葉を選択した優紀の姿に陸はふぅと息を長く吐きながらその真意を汲み取ったようにそれ以上の追求を止めるのだった。


◇◆◇◆


「可愛かったなぁ」


 自室で一人ため息のように声を漏らす優紀。そう、漏れ出た声に嘘偽りはない。何なら漏れ出るほどに頭の中はその初恋、一目惚れの一色に染め上げられていた。しかもあれだけ可愛いのに誰からも注目されていないと来たのである。なぜそんなもったいないことをしているのかはわからないがライバルがいないその状況は優紀にとってチャンスでしかなかった。

 その好機と恋という原動力が優紀を突き動かしていくことになる。


「いやぁ……可愛すぎだろう、桜峰さん」


 どこが、とかではなくその全てが、と優紀は思っていた。そしてお近づきになるために少しでも彼女の人となりを知りたいと考えるのである。

 そう、その全てが何なのかを逆説的に手繰っていく様な感覚であるのだ。


「はぁ……いいなぁ」


 漏れ出る友香への思いは途切れることを知らなかった。


◇◆◇◆


 設定だったとしてもこの時、優紀が友香に恋をしていたのは間違いなかった。それと同じぐらいこれも周知の事実であるが、書き記しておくべきだろう。この日、優紀が友香のハンカチを拾ったのは偶然ではない。あらかじめ友香のハンカチを盗んでいた陸が優紀に見つかるように落としておいたものなのである。

 全ては【雨喜びの幻覚】を【想造の観測】下に置いて友香からその力を奪い取るために。だから、優紀が一目惚れした時はあまりにもスムーズな、優紀と友香を近づけるという計画の進行に若干何か策略めいたものを感じもしていた。これに関しては設定だから付き合うことは当然でありそれを陸が知る由はない。しかし、設定としてはない、陸が違和感に勘づいていたというバグの様な乱数が生成されていたことはその後の彩音の研究の成果に大きく貢献することとなった。

 そう、箱庭ビオトープにも乱数、不確定要素は散りばめられていることは、現実という要素に近づけるという点で不可欠だったことを忘れてはいけないのだ。


◇◆◇◆


「おはよう、桜峰さん」

「こんにちは、桜峰さん」

「あれ、桜峰さん?」

「じゃぁね、桜峰さん」


 落としたハンカチを届けてもらって以来、明らかに友香は優紀から声を頻繁にかけられることが多くなった。一対一の挨拶をされる、という行為すら友香にとっては珍しい体験であった。それを踏まえていたるところでちょいちょいと視線が、顔が合うのだ。もはや初めてといってもいいようなこの人目に晒されているという体験を連続でしている友香は、声をかけられるたびに驚きの表情を向けるのだった。もちろん、交わす言葉は挨拶だし、視線も交わすだけでありふれた日常なのだが、友香にとってこの驚かされる新鮮な日常決して居心地の悪いものではなかった。当初は声をかけられ反応するたびに当然の様に他からも注目を集めるという点で気恥ずかしさが勝っていたのは間違いない。しかし、時間の経過と共にこの自分の存在を知ってもらえているという感覚は友香に今まででは味わえなかった承認という居心地の良さを与えていたのだ。

 傍から見れば友香は挨拶をされている一人なのかもしれない。しかし、継続されるこの一連の挨拶は好意の返報性という言葉がある通り、友香が優紀を友好的な人だと感じ心を開いていくことはごく自然だった。だからこの友好から友の字が消えるのは心を開いてからは時間がかからなかった。何せ、友香は今まで人との交流を避け続けさせられた人生を送っていたのだ。挨拶も、何よりも向けられる視線が優紀からだけという唯一人からの好意を一心に受け続けるという状況は友香に特別だという認識を色濃くしていく。加えてその相手が異性なのである。

 気があるのかもしれない。そう思ってしまうのは無理もない状況と言わざるを得なかったのだ。そして、その思考は今までの優紀の行動に全て紐づけられると感じさせる。あの時、ハンカチを渡してくれた時、少し照れくさそうに顔を背けていた瞬間から、もしかしたら気にかけてくれていたのかもしれないと自惚れてしまうほど友香には刺激的なものだった。だから一月も経てば友香の視線は優紀に合わせられるものから合わせに行くものへと変化していた。まさに恋という深淵が覗き返すように。

 と物騒な物言いをしてみたが、実際のところは人付き合いをあまりしてこなかった一人の少女の淡い青春と恋の物語であり、その芽吹きとしては十分な話だろう。


◇◆◇◆


「あぁ、どうしよう。どうしたらいいかな? どうしたらいいと思う?」

「どうしようも何もお前次第だろ?」

「成功すると思う?」


 放課後の公園。特に部活に所属していない優紀と陸は放課後そこでコンビニで買った食べ物をベンチやブランコに座りながら食べる、いわゆる買食いをしている。その一幕である。ちなみに友香にハンカチを届けてから約一ヶ月経った五月の中旬のことである。

ゴールデンウィークというある意味一番仲を深めるのに適した通学する必要のない期間を悶々と過ごして いた優紀の陸への相談だった。


「……」


 じーっと見つめ返すだけで陸は何も答えない。


「いやさ、俺もちょくちょく見かけては挨拶して好感度上げてたつもりだし、すなわち親近感上げてたつもりだし、そのせいでいつでも視線を巡らせて追いかけてたからある意味ストーカーかもしれないからむしろわかるんだけどさ」

「それ自分で言うのか」

「言うだけマシだろ」

「あっ、声に出てたか。すまん。続けて。ちなみに、言うだけマシかもしれないけどストーカーって表現が正しいならどのみちアウトだからな。お前がまだ若くてピュアで考えが至らない方向が正常な方でよかったよ」

「若くてって同い年だろ?」

「遮って悪かったって。続けて」


 続けてに対して余計な一言を据えたのはお前だろうという抗議の視線を優紀は忘れずに陸に向けるが当の陸は一切視線を合わせることなく野菜スティックの大根をかじりながら沈む太陽という一点を見つめていた。

 ふぅ、とため息一つ吐いて優紀は自分の気持ちを再び口にし始める。


「んじゃ、続きを。それにさ最近、向こうも俺を目で追いかけてる気がするんだよね。自意識過剰を疑いかねないかもだけど、そこはさっきも言った通りで自信がある。それを裏付ける証拠として挨拶だって二回、桜峰さんの方からしてもらったしさ。だから、行けそうな気がするんだけどさ、万が一に勘違いだったらさって。だからこそ客観的にお前の意見が欲しいんだよ」


 長く感じる約五秒の沈黙。

 口を半開きにし、眉間に皺を寄せたまま表情を一切変えない陸の顔が否が応でも優紀の目に焼き付いた。


「あのな。意見も何も俺が何を言おうとお前が告白しようという気持ちは桜峰さんに彼氏がいない限り変わらないだろう?」

「え? いるの?」


 ズイッと覗き込むように急接近する優紀を陸は軽く手で払いのける。


「いないと思うよ。そんな噂話聞いたことない。というか、そんだけ必死というか真剣なんだから告白はもうするつもり、なんだろう。そういうのは大抵相談する前からやるべきことは自分の中で決まってるの。お前が欲しいのは告ってこいの一言で、背中を押されたいだけ。ただのビビリなの。だって俺が恋愛の旬、しかもよりによって当事者じゃないカレカノの絶好のタイミングなんてわかるわけ無いじゃん。結局はお前がそう思ったタイミングで運否天賦行くしかないんだよ。だから俺に少しでも肩代わりしてもらおうなんて考えるな。こればっかりは誰の責任なんて所在を押し付ける必要も、明確にする必要もないんだからさ……多分」

「なんで良いこと言ってるようでその実適当な受け答えに多分って付け加えるんだよ。くそぉ、お前ってホントいい奴の面の被り方だけはうまいよな。言ってることその通りで結局文言上は俺の背中押してくれてるんだもん」


 実に的を得た皮肉のような返しを達成している優紀だが、その皮肉に対するリアクションを表情に陸が出すはずもないのでこのデッドボールは見送られることになる。


「俺はお前の告白が成功することだけは祈っといてやるし、失敗したらしっかり慰めるためにまたここで買食いしてやるよ、俺のおごりで」


 ふぅと気合を入れるような荒い鼻息が優紀から漏れる。


「ったく、やっぱりよかったよ、お前に相談して。ありがとうな、ジュウゴ」

「どういたしまして」


 これからもしっかりと標識立てて背中を押してやるよ、そんな言葉を喉に押し込めて陸は笑う。

救われるにしろ、嵌められているにしろ、今の優紀には年の功には叶わないということである。


「っしゃぁ、やるぞぉ」


 活力の溢れた己を鼓舞する声が公園に響き渡るのだった。


◇◆◇◆


「あっ」


 それはどこかで見たことがありそうな光景。一方で自分がそれを見る立場になるとはつい先程までは考えもしなかった光景。下駄箱の中に手紙、である。友香自分が目立たないことなどわかっているのにその中身がとても気になり誰からも見られないように身体で精一杯隠しながら下駄箱越しにその手紙の中身を確認した。宛名は優紀からであり放課後最寄りの公園に来て欲しいとの事だった。

 サッと誰にも見られないようにその手紙をスカートのポケットにしまう。それはこの手紙を見られたくないというよりも自分の今考えていることに対して照れと恥ずかしさがあり、その感情が態度に表れたという感じだった。そう、優紀から告白されるかもしれないという照れと恥ずかしさである。自惚れているのだろうか。もしも誰かのいたずらだったら。妄想で加速した興奮は、手紙を隠すという行為で少しだけ冷静さを、もしもの可能性を模索する余裕を与える。この場で優紀本人の顔を確認できればその真偽も推測しやすいだろうにこの日に限って一度も出会うことはなかった。それはこの日だからと捉えることも出来るかもしれないが、友香の心をソワソワと揺さぶる時間を常に与えることとなった。すでに返答は決めているにも関わらず、である。


◇◆◇◆


 放課後と言えば部活に入っていない友香にとっては校内の図書室に寄るか自宅に真っ直ぐ帰るかの二択しかなかった。しかし、今日初めてその二択が三択に変わる。寄り道である。様々な思いを抱えているため、それを解決するためにも早く目的地へと向かいたかったが、掃除当番を済ませてなお友香は未だ校舎にいた。理由は二つ。一つは純粋に行くのが怖いのである。いたずらで公園には誰もいなかったら、自分が想像しているような事態がそもそも発生しなかったら。少女にとって怖いと思える理由は十二分に揃っているのは疑いようもなかった。では後一つは何か。それは、これ中学生らしい様な理由である。呼び出した側よりも早く行くのが嫌だったのである。遅れていけば最初の理由を遠巻きから確認もできるし、何より優紀よりも早く行ってしまうことがなんだかやましい様な気がしたのだ。期待しているのを悟られるのが嫌だとも言える。

 とにかくそんな他人から見ればくだらない、何より前提として互いが幸せであることであるのが実にあどけなさに可愛さがあるとも言えた。


「よしっ」


 結局学校を出るのに掃除を終えてから三十分もかかってしまった。そこに遅く行って待ち人がいなくなってしまう可能性を微塵も考えていないのは幸せ者とも言えるのだが。


◇◆◇◆


 目的地の公園にはソワソワとベンチの前を右往左往する優紀の姿が確認できた。公園の入口の花壇からこっそりと隠れながら友香はその様子を伺っていた。お気楽な思考をしていた彼女はひとまず優紀がいなくなるという可能性といたずらの両方の可能性を突破できたのである。ではなぜ早々に優紀の元へ行かないのか。それは簡単でまず気恥ずかしさがあるのだ。本当にいたその事実は喜びであると同時に、そんな気持ちを抱えていってしまって勘違いであるのも、その気持ちが見え透いてしまうのも、恥ずかしいということである。

 一方で、こんな思いもある。関係が変わってしまうかもしれないということである。それは今後付き合うにしろ付き合わないにしろ、という意味である。どっちに転がっても今のような絶対に変わらない、安全で居心地のいい、崩れることを知らない関係を続けることは出来ないのである。だったら一方通行だろうが、両思いだろうが結論を出さないことで満たされ続けることもあるのではないか、と友香は思ったのである。欲しい商品を手に入れた時よりも欲しいと思っている期間の方が確かにその商品へのワクワクがあった、という感覚に似たものを想起したのである。知らないことが仏であるのかもしれないと。だから友香は一歩を踏み出せずにいた。

 しかし、そんなためらいはすぐに解決することとなる。


「どうしたんですか、お嬢さん、そんなところで屈んで」


 後ろから突然声をかけられたのである。

 自分のことで頭がいっぱいだった友香にとってその声は驚きだった。


「え、っとぉ」


 大きな声と友の友香は思わず立ち上がって後ろを確認してしまう。そこには目深に帽子を被った小柄な男性がいた。次に思ったよりも大きな声で立ち上がってしまったので慌てて周囲の注目になっていないかと視線を見渡すとこちらを見つめる一人の少年と目が合う。

 優紀である。


「あっ」


 もう逃げられない。逃げるのは全ての今後を捨てることを意味することは友香にも理解できたからだ。だから友香は自分の大きな声から心配して駆けつけようとしている優紀の元へ、公園の中へと足を進めるのだった。


◇◆◇◆


「あぁ、久しぶりに中年っぽく振り待ったな」


 伸びをする先ほど友香に声をかけた男。


「上手くやってくれよ、お二人さん」


 公園へそそくさと駆け足で向かう友香の背を見送ると、恋のキューピット、立役者、裏で糸を引いているとも言えるその男、陸はゆっくりとその場を後にするのだった。


◇◆◇◆


「ど、どうしたの。大丈夫だった?」


 優紀は声の主である友香に何かあったのでは、と走って公園の入口の方へ向かってきたが友香も駆け足で公園へ入ってきたので公園の中腹で二人は合流することになった。


「あっ、えっと……大丈夫、ちょっとそこで躓いちゃって……アハハ」


 一方、まさか暫く前から優紀のことを観察していたとは言い難かった友香は咄嗟にごまかしていた。


「ほ、本当に。だ、大丈夫だった?」

「は、話って何?」


 自分の醜態から話題を逸らすように友香はさっそく本題へと話を逸らす。

 そう、いきなり本題に切り込むように、あまりに慌てて誘導してしまったのだ。


「あっ……えっと、一旦ベンチで落ち着かない?」


 優紀は突然の切り返しに思わず口ごもると、自分がしようとしていたことを思い出し、雰囲気作りを、何より再び暴れ出した心臓を納めるためにベンチへと誘導して時間を作ろうとするのだった。友香がコクリと頷くのを確認すると互いに安心したような顔でベンチへと心落ち着かせるために歩き出すのだった。互いに合流した時の駆け足とは正反対にゆっくりとゆっくりと歩いていく。互いに時間をかけたい理由があったためベンチに到達するまでは確かに時間を要した。それでも足りたかと二人に問えばイエスと返っては来ない時間ではあった。それでも立ち止まることもなく進んだため縮む距離には抗えず目的のベンチまで来てしまった。

 そしてどちらも座るでなく、ベンチの方を向いたまま立ち止まるのだった。優紀はここへ友香が来てくれた、それだけで脈があるのではと、友香は優紀が待ってくれていた、それだけで

脈があるのではと、両思いになりつつある二人は考えていた。それでも恋愛において告白するという一歩は大きな一歩であると同時に目を瞑ったままその一歩を踏み出さなければならないものである。なぜなら、その一歩先が崖になっているかどうかは踏み出さなければわからないからだ。ならば緊張でなんて言葉を切り出せばいいか、どれだけ事前に準備をしていようと本番を前にためらってしまうのは自然なことだとわかるだろう。だからベンチの前に立ちすくみ座らないという異様な時間をどちらが指摘するわけでもなく約一分、その時間は経過した。

 最初に口を開いたのは、男、優紀だった。


「えっと、ここに呼んだ理由、だけどさ」


 歯切れ悪く先の友香の質問に答え始める優紀。


「うん」


 友香はその先の言葉を求めて相槌を打つ。

 二人はベンチを前にいつの間にか向かい合っていた。


「ん~……」


 緊張して言葉が出てこないのだろう。成功するか否かを気にしているのだろう。事実、優紀はそうだし、友香にとってはそう思っているからこそすでに質問の答えを得ているような時間となる。それでも本人の口から聞きたい、という思いで優紀の次の言葉を待つ。

 パンッと自身の頬を一発気合を入れるように叩く優紀。


「桜峰さん」


 大きくわざとらしくハキハキした声が公園に響き渡る。


「は、はい」


 そんな緊張入り交じる優紀の大声に友香は思わず背筋を伸ばして声を裏返しながらも釣られるように少し大きな声で返事をする。自然と二人の瞳の中には互いの顔が映り込む。

 同時にその視線は決して逸らせないものへと変わり、随分と長い間ぷるぷると緊張で身体を震わせながらも見とれていたような気がするほどだった。


「好きです。付き合ってください」


 しかし、そんな視線の決戦のルールも作法によっていとも容易く次のステージへと赴く。優紀が告白と同時に頭を深々と下げて右手を差し出してきたのだ。つまり、友香にとって後はこの右手を握り返すだけでよかった。

 そんな好かれているという余裕と失敗したくないという恋心が、すでに決めていたことを先送りにさせる。


「私なんかでいいんですか?」


 自分を選んでくれた人間の品を下げる言葉。

 無論、友香の様な中学生にそんな裏返しを考慮できるはずはないので、単純に自分を好く理由を聞きたかった、その一点に尽きる質問だった。


「私、別にパッとしないし、地味なんだろうし、それにお互いに何かを知ってるわけでもないし」


 友香は自分から口にしておいて、相手からの返答が自分の求めているものではなかったら、何より自分に自信を持てない人生を歩んできたからこそ実際に好かれる理由がわからないこともあり、自分の悪い点を列挙して相手の、優紀の反応を伺いたいと口から止めどなく選んでくれた相手に失礼な言葉を連ねてしまう。


「お、俺は」


 優紀はこの質問に緊張のあまりありのまま、包み隠さず自分の意見を言うのが正解だと思い、答え始める。


「パッ,パッとしないのは嘘だよ。それはきっと誰のせいでもない。だって桜峰さんはとっても魅力的で俺にとっては魅入っちゃうほど魅力的な人だもん。人柄もこの一ヶ月目が追いかけてたけど、それだけでも大人しい生真面目な娘だっていう印象を俺は受けたよ。それが俺にとっては好みだった。だけど、裏を返せば桜峰さんは誰かと関わるのを自分から避けてる節があると思う。もしも、桜峰さんが自分から行動するような人だったら今よりも魅力的になっていたと思うよ。ま、まぁ、その代わり競争相手は多くなりそうだけど……って、ちょっと厚かましかったかな。でも、俺は君が好きになってたんだ。そんな君がこれから更に魅力的になるのを俺は隣で見ていたいし、何よりそうなった時に俺が最初の桜峰さんの魅力に気付けていた人ではありたいし、その座を誰にも譲りたくないから」


 だから。


「俺と付き合ってください」


 優紀は再び頭を下げて右手を友香に差し出していた。一方の友香は驚いていた。自身で並べて自分を貶める発言を否定して欲しかった、という節は確かにあった。承認欲求と言えばそこまでのことかもしれないが、つまり、自分を全肯定されたかったという思いがあったのは事実である。しかし、優紀は友香を肯定しつつも、存在感が薄いのは努力不足だと言ってきたのである。それが友香の欠点であり、そこを解消すればさらに魅力手に気なると下げて上げてきたのである。

 そう、体質だと思っていた問題を知らない人間が知ったように努力不足だと言ってきたのだ。しかし、知らない人間でもわかるほどに、知ったように言えるほどに、確かに友香はいつしか周囲との関わりを諦めていたのは事実である。自分が周囲から疎まれている、嫌われている、憎悪を向けられている存在ではないのはよくわかっていた。無視をされているわけではない、自分から行動すれば受け入れられているという事実は知っていた。だが、いつしかそれをする努力を怠ってしまっていたのだ、諦めていたのだ。それを優紀の言葉で理解できてしまったこと、いや、優紀という友香を見てくれている人からの、説得力ある言葉として受け止められたことが、友香の鼻につくことはなかった。つまり、友香の想像を上回る以上に優紀は自分のことを見てくれていて、良くしてくれようとしている人間だとわかったのである。

 だから決まっていた答えが揺らぐことはなかった。

むしろ、今だからこそ相手の品位を貶める発言を自分がしていたとしっかり理解してそれに謝罪する意味を込めて友香は、嬉しさに口を歪め、涙を堪えながら鼻を一回すすってしまいながら応えるのだった。

 友香もそんな真っ直ぐな優紀の隣で魅力的に花開きたいから。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 異質な境遇に置かれた少女に注がれた真っ直ぐな申し出は、彼女の心を暖かく包み込んだ。


「えっ、え!」


 返された言葉、返された右手の感触に優紀は驚きの声と同時に顔だけあげる。そこには今まで見たことないほどに微笑み、涙ぐんだ友香の顔があった。

 その笑顔が優紀に今の状況が夢でないことを確信させた。


「……ったぁあ!」


 声にならない大声で優紀が喜びの声をあげる。ここが公園であることを、人目も忘れておおはしゃぎしたのである。そんな目立つ行動に友香は嫌な気も、恥ずかしさも感じず、ただただクスクスと微笑んだ。そしてコロコロと咲った。今日からこの二人で新しい世界が始まるのだと確信したからである。

 眩しくも大切な初恋の想い出である。

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