第百二十筆:転機は上々
「最後に一つ聞きたいことがあるんだ。構わないかい?」
「すぅ、少しわがままかもしれないけど、こっちのお、お願いを叶えてくれるなら……応えてあげる。言って欲しい言葉があるの……簡単、でしょ?」
彩音は自身の死に際を事前に悟っていたかのように、省吾の行動に驚く様子なく質問に答える。
「君は、全てを知った上で俺を蘇生させたのかい? それとも知らずにこの完璧な蘇生の術を完成させたのかい?」
「どっちだと思う?」
省吾の腕の中で彩音がニコリと満面の笑みで咲った。
同時に彩音には省吾の質問に答える気がないことを悟る。
「次は……私の番。……愛してるって言って」
当然、省吾にはこれに答える義理はない。何せ質問に答えをもらっていないのだから。
それでもここまでしてもらったという感情が、何より自身の手で最期を迎えさせるという状況が、別に思ってもいない言葉を口にするぐらい、と省吾の気持ちを傾かせる。
「あ」
ピタッと彩音の人差し指が唇に押し当てられ、省吾の言葉を塞ぐ。
「ダメだよ。……すぅ、交換条件だった、でしょ」
優しさのつもりなのだろうか。
結局、どこまで行っても省吾のためにやったことなのだと。
「愛してる、省吾さん」
それが彩音の最期の言葉となった。
クタッと首を傾け、鼓動が鳴り止んだのだ。
「ほんと、どこまでも好きになれなかったよ」
この言葉を省吾の口から聞くことを防ぐための時間稼ぎだったのかはわからない。ただ、最期まで良いように使っていたつもりだったが、良いように使われてもいたのかもしれないと思わせる最後が、省吾に何処か憎めなかったと言葉とは裏腹の感情を巻き散らかしていったのが、またなおのこと癪に障ったのだった。
◇◆◇◆
「良いことをすると気分がいいね。それじゃぁ」
これは彩音がマサミチと交わした最期の会話の回想である。
「待って」
なぜ呼び止めたのか。
それは女の勘とでも言える何かがあったからである。
「どうしたの、そんな緊急を要するみたいな顔で呼び止めて。お礼はもちろんいらないし、緊急を要する問題はこれから解決するはずでしょう?」
「教えて欲しいことがまだあるの」
きっと他人からすればどうでもいいことかもしれない些末な問題かもしれないが、その勘に答えを求めてしまったのだ。
「もう、あなたの力を借りることはなくなるだろうから」
意味ありげな物言いに興味を惹かせてマサミチを呼び止めることには成功したようだった。
「法華津さえいればもう悩みなんてありませんっていう惚気にも聞こえるよ。まぁ、俺がこの場から立ち去れないということは本当に困っていることがあってそれを教えて欲しいってことだろうからね。問題はないよ。答えるさ。何だい?」
省吾さえいればマサミチを必要としないことは間違っていない。
でもその省吾が、と考えるから彩音は質問するのだった。
「私は、省吾さんに愛されていたのでしょうか?」
「傍から見れば仲睦まじいカップル、何よりあなたが好きだからこれだけのことをしようとしているんでしょ? 正直、質問の意図が」
「大丈夫。私はそれでも省吾さんを生き返らせると誓うから」
その言葉に対して空いた時間にして約十秒の間は、マサミチに驚きをもたらしていたのだとなんとなく理解できた。
「嫌われている、と言い切るのは難しいだろうけど、あなたが思う愛を向けていたかと言われれば、決して向けていなかった、と断言できるとだけ。それが俺からの、困っているあなたに答えることしか出来ない俺の精一杯の解答だよ」
彩音はその言葉を疑わなかった。一切疑わなかったが、だからこそ絶対に確かめたくないと思った。
それを本人の口から聞いて悲しい顔を見せられずにいられる自信がないからである。
「……ありがとう、教えてくれて」
「いやいや、どういたしまして。いや、こちらこそありがとう、かな」
マサミチが感謝に更に言葉を重ねる。
「お陰で今回は楽しめそうだ」
彩音はその言葉の意味を確認できる日は来ないとこれまた女の勘で察する。それでも、愛する人を支えると誓った彩音の行動原理は変わらない。だから彩音は姿を消すのだった。全ては省吾を生き返らせるために。
最後にマサミチを更に楽しませるような言葉を置いて。
「私の愛してるは不滅よ」
◇◆◇◆
最初から好きではなかった、というよりも彩音という人間そのものに省吾は興味がなかった。特別扱いされないことに慣れていない人間が、特別扱いされないことを特別に感じていたのは初めて遭ったその日からなんとなくわかっていた。何せあれだけ省吾たちではなくボランティアをする自分に興味があったと思えた人間が率先して省吾たちの活動、というよりも省吾その人に歩み寄ってきたように感じていたからだ。だからこそ省吾は利用しようと考えていた。先も言った通り彩音という人間そのものには興味がない。しかし、彩音という人間の血筋、文善という存在には多いに興味があったからだ。
一方でこの時はまだそんな考えを持ちつつも彩音を利用しようという発想に多少の後ろめたさは確かにあった。それが遭難して彩音が帰る前日の夜に告げておこうとして告げられなかった内容に繋がる。そう、告げようとしていたが告げることが出来なかった内容で、もしかしたら大きく運命が変わっていたかもしれない告白である。それは支援を受ける省吾が慈善事業に対して助けてくれるのに助けない人間と認識、つまり、助けることに酔っているだけの人間が集まって為すお遊びだと心底毛嫌いしているからだ。
助ける支援をするのは助けられる人間よりも恵まれた人間である。そこは問題ない。助けられる人間はその日を生き抜くための努力を続けており日々命の危機にさらされながらも賢明に生きている。少なくとも省吾たちはそうだった。そう、省吾たちも救いの手に頼らずに生きていけてはいるのだ。そこへ中途半端に支援を行うのが慈善事業というものだった。飼うつもりのない野良猫に餌を与えるように、彼らは安全な場所から支援という名の彼らにとって大した痛手にもならない餌をばら撒き、良くしたと満足するのだ。本当に救うつもりがあるのならば、救う対象の人間が救う人間と同等の生活水準が営める様に居住区を用意し、仕事を用意し、生活が安定、自立可能になるまで支援をすれば良いのだ。それこそが正しい救いの手である。それが無理なら餌付けをしなければいい。救われない人間は隣の芝生の青さを知らなければ奪い取るという発想すら生まれず、そこに適応しようと努力するのだから。
もし、これを彩音に伝えられていたら、彩音も文善へ話を通さなかったかもしれないし、通したとしても省吾の言う通り問題を解決するために動いてから、つまり省吾の住む村の住民を全員受け入れる準備をしてから迎え入れていたかもしれないということである。彩音とそれきりならば省吾は璃子と一緒にいられ、彩音が先の手続きを済ませていれば省吾は璃子と一緒に入られたのだから。しかし、結果はただ省吾という人間が人材として引っこ抜かれて研究員と花牟礼の力に近い場所へと移っただけであり、慈善事業という事業の名の通りの障害に苦しめられるだけだったのだ。それでも今後璃子を養うためのやりくりが出来るだけの力は着々と身につけていたはずだった。そんな時に起きたのが例の感染症だった。
助けられるかもしれない立場にいながらそれが許されずに隔離された。あまりの特効薬の出現や自身の研究をうやむやにされたタイミングから雲天グループの自作自演を疑った。何より璃子を失った。その全てに絶望するはずだった省吾はその中に一つの希望を見出していたのもまた事実であった。不思議な話であるが、緑を、生命を瞬時に再生することが出来るならば、命を再生すること、蘇生することも出来る才能を持っているのではないかと省吾は花牟礼という肩書をキーホルダーのように着けること以外に初めて彩音個人のその才能に興味を持ったのである。そしてその才能を後押しするために命を捨てるのも悪くないと思っていたのだ。成功すれば蘇生という手段を手に入れる。失敗すればそれはそれで璃子の元へ行けると思うことが出来たからだ。だから、省吾は彩音の慰めに答え、彩音が望むような幸せな生活を送り、愛を育んでみせたのだ。感謝の言葉を忘れず、共に過ごす時間を何より重要視し、省吾は彩音に救われたんだとあの日のことを何度も想起させ彩音の必要性を説いてきた。その全てが彩音に何の種も埋まっていない土壌に水を撒いているだけなのではという違和感をもたらしていたとも知らずに、である。幸いだったことがあるとすればそれでも彩音が省吾を愛し続けていてくれたことであった。だから省吾はこうして今、生き返っているのだ。
そんな省吾は彩音の亡骸を地面に横たわらせるとふと思い出すのだ。
「そういえば、無意識だったのだろうか。俺から彩音に好意を示す言葉を口にしたことがなかったな。偽善者共と、やっぱり同列視する俺の本質は変えられなかったのだろうか」
だから最後に愛してると言って欲しかったのだろうか。だから最後に愛してると言われないことを理解していたのだろうか。だから、慌てて口を塞いだのだろうか。理解してしまったかもしれないという感情が再び省吾に苛立ちを募らせる。情けをかけようとしてしまったことが本質を歪まされていたのではないかとその苛立ちに拍車をかける。もちろん、これらはあくまで推測の域を出ない。そのため蘇生させればそれも解決できるだろうが、省吾にとってそこに意味はなく無駄ないざこざを増やすかもしれない要因なだけに決してすることのない選択である。何より確定させないことに意義があるともいえるのだから。
『忘れられない想い出にしてあげる』
省吾はバッと横たわる死体の生死を確認する。もちろん彩音は生き返っていなかった。この世に現在一人しかいない蘇生の想造を施せる男が彩音を生き返らせようとしていないし、先程言った通りその予定はないことに意義がある。
しかし、彼女の声がハッキリと耳元で聞こえたような気がしたのだ。
「囚われてるな。まるで……」
彩音からもらったデータにそんな様な実験データがあったような気もするが、同居しているという記録は残されていない。だからふと過ぎった可能性を払拭するために省吾は当初の二つの目的の内のまず一つ目、璃子の蘇生を実行する準備を始めることにした。まぁ、準備と言ったもののやるのは彩音の遺体を灰にして土に埋めるだけなのだが……。
◇◆◇◆
省吾の生まれ育った村があった場所。チハイラ砂漠のどこか、今は鬱蒼とした緑に周りを囲まれているものの村の痕跡はそこにあった。その場所は今も誰かが整備をしているようで、綺麗な墓地としてそこに存在していた。そして省吾は目的地である璃子が眠る墓の前までまっすぐに歩み寄る。
蘇生をするにあたって絶対に必要なもの、対象とする人間の遺伝情報がこの下に収められているからである。
「随分と久しぶりなせいで璃子の知ってるお兄ちゃんじゃないかもしれないけど、ようやく……ようやくだよ」
そう呟いてから省吾は璃子に蘇生の想造を始める。するとすぐに目の前の虚空に粒子が渦巻くように集まっていきながら徐々に人の輪郭を作っていく。そして、省吾が想像した、生き返って欲しい姿の璃子が産み落とされたのだった。
ストっと素っ裸で地面に立ったそれは姿形は紛れもなくあの最後に見た離れ離れになった時の璃子の姿そのままだった。
「璃子?」
省吾の呼びかけに数度の瞬きを挟み、ふぅと息を短く吐くと目を開いた璃子が第一声を口にした。
「お兄、ちゃん?」
「璃子!」
ガッと駆け寄った省吾は璃子を強く抱きしめる。
「璃子、良かった。お兄ちゃんだよ、璃子、璃子」
「ちょっと、痛いよぉ。というか……恥ずかしいよぉ」
アハハッと続く笑い声。そんな璃子のあどけない声に強烈な安堵とそれを飛び越えてくる溢れんばかりの喜びに璃子の名前を何度も呼び、強く、強く、もう二度と手放さないと強く強く抱きしめ続けるのだった。
それは最大の転機にして最高の運命という感動の再会であることに違いなかった。
「おかえり、璃子」
ひとしきり叫び終え、省吾は璃子の顔が見えるように抱きしめていた手を少し緩め、身を後ろへ引く。そこには言葉の意図がいまいち理解できていない、自身が死んで生き返ったことを実感していない璃子が疑問符を頭に浮かべるように首を一瞬傾ける姿があった。
しかし、兄である省吾の泣きながら喜ぶその顔に何か思うところがあったのか、璃子は満面の笑みでこう返したのだった。
「ただいま、お兄ちゃん」
省吾の目的の一つが達成されたのであった。
◇◆◇◆
自分が蘇生された時に裸であったことから省吾はしっかりと璃子に見合う服を用意していたため、ひとまずそれに着替えるようにと促し、ちょうど着替え終わったのが今であった。
服を着て動く姿にまた大声を出して喜びを表現したくなる気持ちをぐっと抑えて省吾は璃子の状況と今後の展望、つまり二つ目の目的を喋り始めた。
「まず始めに、お兄ちゃんの見た目が老けて見えるのと、璃子の見た目が自分の記憶よりも幼く見えるのは璃子が生き返ったからだ」
「生き返ったの?」
首を傾け確認をする璃子の頭をポンポンと軽く叩くと省吾は続ける。
「そうだよ。璃子は流行病で死んでしまったんだ。だからそれより前の健康な身体、というよりは俺の記憶にある璃子の姿で生き返らせたんだ。ちなみにお兄ちゃんのこの見た目は璃子が死んでしまった時の姿なんだ。だからちょっと老けてるんだよ」
「凄いね、お兄ちゃん。これでもう医者いらずだ」
「もう少し驚いてもいいんだぞ」
死という概念と深く向き合ったことがないからなのか、蘇生の凄さ、故の危うさを理解していないような璃子を見て、省吾は本題に行く前に少しだけ説明を加える。
「人を生き返らせるのはむやみにやっちゃいけないぐらい特別なことなんだよ。だから璃子は知っておく必要はあってもこれを誰かに使っちゃいけないんだ」
そう言って省吾は彩音から受け渡された様に直接頭の中へ知識を渡すような真似はせず、蘇生に関する膨大なデータの詰まった手のひらに収まり外部記憶媒体を渡すのだった。
「どうして?」
「相手が良い人か悪い人かわからないからだよ。そしてそれを使うところを悪い人に見られて悪用されるのを防ぐことにも意味があるんだ。だからもしものために蘇生のやり方の知識は渡しておくけど、それを勝手に開けたり、誰かに渡したり、ましてや存在を教えたりしたらダメだよ。そうしたくなったらまずはお兄ちゃんに聞くんだ。いいね?」
「わかった!」
先程も言った通りこの技術の凄さをイマイチ理解していないからか、いいねという問いかけにただ反応したような生返事がされるのであった。もちろん、データを読み込むために省吾の知る様々なアクセス解除キーを入力、もしくは挿入する必要があるのでそうやすやすと漏れることはないが、一応、この技術の喪失するリスクを分散するために璃子にも持たせたのが経緯である。あくまで自分にもしものことがあった場合の保険ということである。
ただそれよりも前に本来であれば彩音の忠告した蘇生の二度目の確認を誰かで行うべきでもあったのだが、今の省吾に、璃子の前で容易に殺人を犯す度量はなかったのである。
「よしよし。流石璃子だ。それじゃぁ、次の話だ。こっちが本題と言ってもいい。お兄ちゃん、長い間璃子と離れ離れになって理解できたことがあるんだ」
「何?」
本当に検討もつかないのだろう。
そんな傾げる顔もカワイイから何度でも頭を撫でる、叩きたくなる。
「この世界は俺たちみたいな人間に優しくないんだ」
璃子の顔は傾いたままである。
「もっと正確に言うと俺たちみたいになんとかしたい人間のチャンスを喰い物としか思ってない人間がいるんだ。つまり、悪者が多い」
「お兄ちゃんはヒーローになりたいってこと?」
「ちょっと違うかな」
そう前置きを挟んで省吾は続ける。
「お兄ちゃんはどうしようもなく困ってる人に手を差し伸べたいんだ。俺たちみたいな人のために立ち上がってみたいんだよ。ちょっと難しい言葉で言うと弱気を助け強気を挫く、かな」
それが璃子にとって住みよい世界になると信じて、とは言葉にしない。
何なら全て璃子のために住みよい環境を作ることの建前なのだから、口が裂けても利己的な主張を本人を前に宣言するのは流石の省吾でも憚られたのだ。
「それってヒーローと何が違うの?」
「それはね、お兄ちゃんがヒーローみたいに寛容じゃない、優しくないってことだよ」
悪者に対して手段を選ぶことはしないだろうし、悪者と断定するには難しい人間にも時には牙を向けるかもしれない、そういう言葉遣いを避けた、実に自分を卑下するような説明を省吾はする。
「だったら大丈夫、お兄ちゃんはヒーローになれるよ。だって、優しいもん」
「そうかもな。そう……だといいな」
よしよしと省吾は璃子と同じ視線まで近づけると頭を二回撫でる。そう、優しさを全力で注ぐ対象である璃子に対してはヒーロー以外の何者にもなるつもりはないので省吾の受け答えは間違っていない。ただしそれがヒーロー像から遠かったとしても彼らにとってはヒーロー足り得てしまうのだろうが。
◇◆◇◆
省吾には懸念すべき力を持つ人間とその知識、そしてそれを解決できるかもしれない存在がこの二つ目の目的を達成する上でいた。懸念すべき力を持つ人間、それは省吾にとって省吾よりも力を持った存在のことである。例えば、この世界で言えば世宝級の人間や盤外戦力である。中には手を取り合いたい鋼女の様な存在もいるが、多くは弱気を救う時に利権絡みの人間として立ちふさがるのだろうと予想しているのである。他にも箱庭からの刺客として純に紘和、友香、アリスと列挙した以上にいるだろう。加えて彩音の記憶にある断流会なる組織も暗躍しているという点では警戒に越したことはないだろう。
ではどうやって解決するか。同じ災には同程度の災いをぶつけることで中和する、それは戦力を省吾がどうにかできるまで縮小させることができれば良いということである。つまり、箱庭で死んでいった人間を蘇生させて、彼らの因縁をぶつけてしまえば良いのである。さらに者によってはおそらくそれ以上の効果が期待できる。問題は、蘇生させた人間が必ずしも協力的とは限らない点だが、なぜかそこは大丈夫だと思って省吾は実行するのだった。
こうして天堂一樹、浅葱刹那、今久留主達也、特異な無名の演者の怪鳥、ボブ・ハワード、そして最後にチャールズ・アンダーソンが蘇生させられたのだった。
「おはよう。そして初めまして」
省吾が考えうる死んでいる人間の中で最大の戦力の蘇生である。
◇◆◇◆
「どうして、どうしてぇええ。どうしてこれがまた腕に、俺は、俺はようやく死ねたのに」
と一人騒ぎ続けている人間が一人。実験のリセットのスイッチとして五垓六九九三京六八二一兆二二一九億六二三八万零七二零回の死と五垓六九九三京六八二一兆二二一九億六二三八万零七二一回のほとんど同じ期間の生を繰り広げてきた、という点で発狂するには十分な理由ではあるのだが、目的であった【統率兵器:夢想の勝握】を紘和から引きはがすことに成功したのと、もしリセット機能が生きていればこの時点からスタートすることが可能であるためもう役目としては終えてはいる。
それは戦いに参加できるだけの精神力を持ち合わせていればと言う淡い期待は打ち砕かれたことも意味する。
「それで、ワシらを生き返らせたということは何かさせたいんじゃろうが……そもそもここはどこで、お前は何なんだろうな」
一方で生き返らせてもらった人間代表のように一樹が近くにあった着替えを手に取りながら口を開く。彼らも最初は戸惑っていたもののすでに状況を飲み込み落ち着きを見せていた。死んだという自覚があるのと、自身の身体に感触を得ているという現実が蘇生させられたのだろうという夢物語を納得させたのだろう。
いや、この場合はすぐよこで騒ぐ大人がいるために冷静になれているのかもしれないが。
「と、いうかせっかくならもっと若い身体で生き返らせてくれたほうが期待に答えられたと思うのだがな。五体満足でも良かったのに」
一番落ち着いた年長者が文句まで垂れだした所へ返事が来る。
「ここはチハイラ砂漠にある私たちの育った村があった場所だよ。お兄ちゃんが生き返らせてくれたの」
璃子である。
「ハハッ、嬢ちゃんは物知りだね。ワシにもう少し詳しいことを教えてくれんか」
そう言って璃子に伸ばす一樹の手を遮るように省吾が割って入る。
「俺が責任を持ってお伝えします。璃子はそれまで向こうで遊んでてね」
璃子は交互に省吾と一樹の顔を見るとコクリと顔をうなずかせその場を後にした。
「これは貸しだぞ」
さっきの娘を人質としなかったことのな、という言葉は省略されているものの、先程の距離感なら確実に出来る実力を持った人間だとわかっているからこそ、その施しは確かにあったのだと省吾には理解できていた。
「生き返らせたんだ、少しぐらい大目に見てもらいたいかな」
「こっちは頼んだつもりもないし、貸し借りなしならこれで解散でいいてことかい?」
「意地悪だな。話を聞くだけならただだろう? それに何の制約もなく自由に動けると思う?」
「ワシらを機械的に操作できるなら説明もいらず始めからそうしてるだろうに。それにそうしないことがワシらを蘇生させる上での条件、いや深慮の産物なんじゃと思っておったんだがのぉ」
実際はあるはずないのだが、それでもこの場合は生きた年月の差、とでも言うべきなのだろうか。妙に勘がいいところも去ることながら、言葉の返しが実に的を得た煽りであることが気に入らないなと思った。それでもこの場を後にしないのは自分たちが知らぬ土地にいることに対して情報が欲しいと考えてのことだろうと、その思慮深さには恐れ入るところでもあった。
だから省吾が折れる。
「わかったのでもう無駄な言い合いは止めましょう。俺はできればあなた達に相手をして欲しい人がいる、それだけです。もちろんそれを強制はしませんし、その前にこの世界の事はしっかりとお伝えしますよ」
「そう来なくっちゃ。続けな」
省吾は一樹に急かされる形で説明を開始するのだった。
◇◆◇◆
「と、そんな感じです」
一樹たちが箱庭という世界の住人であり、ここはその世界の元なった世界であること。一樹たちは箱庭という特定の期間で実験を繰り返す世界にいたから生き返らせるにしても実際に存在していた姿までしか出来ないこと。ハーナイムには想造があり、知識と適性があれば誰でもそれを行使することが出来ることなどをかいつまんで説明し終えていた。そして誰もが自分の持つ記憶の大半が偽りではないにしろ設定であり、実際には経験すらしていないものだということに衝撃を受けていた。当然一樹も若かりし頃のあの武者修行を始め、己の実力すら誰かから借り受けたものかもしれないという事実に驚きを隠せずにいた。
だからこそ、一樹は衝撃を受け止めながら自身にとって、いや、その場の真実を知った誰もにとって矜持に関わる内容として質問をした。
「ワシらは死んでも何度でも蘇させられちまうのかい?」
自身の人生の大半が実際になかったものだからこそ、今この瞬間から始まった人生に一度きりの確かな自分が歩んだ人生だという誇りが欲しい、という思いの籠もった確認だった。
「わからない。可能かもしれないが、出来ないかもしれない。何せ、蘇生の実験では一度死んだ人間を対象に一度きり、だったからね」
一方の省吾は何度でもやり直せるとは限らない、という警告のつもりで言った。つまり、弄ばれた人生に対する考え方の違いがあった省吾は、自分の一度しかないかもしれないという言葉にその場の誰もが安堵したような顔を見せたことに驚いたのだ。もちろん、誰でも一度きりの人生に憧れているわけではない。しかし、この場にいたものが戦いというものに特化した人間だったからこそ、一度きり、本当の人生というものに執着のある特殊な人間が集まったかもしれないのだ。
だから、一樹の言葉に省吾は気圧されることになる。
「だったら、ここにいるワシらを絶対、次死んでも生き返らせるなよ。そんなことしてみろ。今度こそお前と、そこの小娘の首を問答無用で撥ねる。いいな」
ゴクリと省吾は思わず唾を飲み込んでしまう。ふざけるなと言葉を口にしたいはずなのにそれが出てこない。戦えば間違いなく想造で十二分に対抗できるだろうが、戦ってきた者の気迫がその対抗心を許さなかったのである。だから省吾はコクリと頷いた。最悪、確認ついでにこの約束そのものを有耶無耶にできるかもしれないのだから。
一方、頷くという反応に満足したように一樹はフッ鼻で笑うのだった。
「よしよし。素直が一番。これでワシらも遅ればせながら再始動ってわけだな。それで、何をやってもらいたいんだ」
先程漏れていた殺気はどこへやら、気のいい爺さんが省吾の前にはいた。
「ハハッ」
乾いた笑いを挟んでから省吾は続けた。
「最初に言った通り、強制はしない。ただ、ここにいる人たちには適当に暴れて欲しいんだ。この世界の自分の元になった人間に挑戦するもよし、因縁のある相手にもう一度戦いを挑むもよし。とにかく今この混乱の中、さらに場を動かして欲しい、それだけだ」
その言葉にほとんどの人間が、なんだそんなことかというポカンとした表情を向ける。
「お安い御用だねぇ。だったらもちろん、ワシらにふさわしい武器とその相手の居場所も教えてくれるんだよな」
一樹たちは実に前向きだった。省吾がそれに答えない理由は一切ない。
あぁ、今日という日はなんて素晴らしいのだろうと省吾は思う。妹を蘇生でき、さらには箱庭の強者たちを目的の人材にぶつけることが出来るかもしれないのだ。今日という転機は上々以外の何物でもないな、と。
もちろん、これは誰かにとっての不幸の種かもしれず、少なくとも戦いの種が振りまかれることになるのは、世界にとって吉か凶かはまだわからないのであった。まぁ、最後まで打ちひしがれていたチャールズにとっては不幸で凶なのは違いないのだろうが。