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綴られた世界  作者: 白井坂 十三
第九章:始まって終わった彼らの物語 ~渾然一帯編~
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第百十八筆:純然たる混沌たち

 マヌエルの本体討伐から約三分、アリスは残してきた鋼女たちの援軍としてマヌエルの残党を処理するためにオスムの街へと帰還していた。鋼女たちの戦力を疑っている訳では無いし、アンナという八角柱もおり心もとないことはないのだろうが、それでも数の暴力である。

 マヌエル本体の消失が指揮系統の乱れに繋がり少しでも鋼女たちの勝機に繋がっていればと思っていたが、そんな様子は見受けられず、むしろ目の前の光景はアリスの想像よりも混沌としたものだった。


「あの時逃した無名の演者」


 マイケルを原型とした人形の容姿に機械をむき出し、ステゴウロス・エレンガッセ特有の突起と尾を生やしたそれは見間違えるハズもなく無名の演者の特異体である大山であった。己の力を縦横無尽に振るっているそれはまさに多人数を想定した時に最も真価を発揮する。アリスがパッと見て判断できたことはその大山がマヌエルたちと対峙しているということ。

 敵か味方かで言えば間違いなく敵に分類したい所だが、今はその真相を聞く必要があると判断し、壁際で一息ついている民衆の中心にいる茅影の元へひとまずアリスは移動した。


「これは一体どういうことですか?」

「アリスさん。ということはアレンの方は」

「はい、もう決着をつけてきました。後のことはバルボに任せて先に救援に来た形です」


 そしてもう一つ、茅影の元に出向いたのには理由がある。それはアンナにリュドミーナの分裂体の多くがすでに負傷しているのかぐったりと倒れていたからである。

 その不審な点にも言及する必要があると考えていたからだ。


「バルボ一人に……大丈夫だろうか」

「大丈夫ですよ、もうあの場での脅威は去りました」


 アリスの返事にそういうことではないのだがと訴えかけてくる視線とそれに続いてため息がつかれる。その意味をなんとなく察するが、バルボの安全は保証されているというのもだが、ましてや壊したものから得られるものなどないだろう、そうアリスは思っているからこそ茅影の反応にはあまり気にも止めなかった。

 むしろ、今の自分にとってはこれからする質問の答えの方が気になるのだから。


「それで二つほど確認したいことがあってきました」


 二つ、とアリスが言った時点で何かを悟ったのか茅影は目を細めると、アリスが質問の内容を告げる前に話し始める。


「無名の演者、個体名をそうですね、大きいから大山とでもしましょう。で、その大山は今、服従の超過によって敵意の感情をマイケルたちに無理やり傾けて実質、味方の様に扱えています。ただ九十九によって作られた特別な個体です。何の拍子でこの力が解けるかわかりません。あぁ、ちなみにここへ乱入したのは全くの偶然で、その戦いへの執念を助長してるので今はスムーズにこの対局を作れています」


 違和感は最初からあった。唯一未だ紘和の手に渡っていない三つの蝋翼物が一つ【漆黒極彩の感錠】、アンナの戦闘力はこれを所持していることを加味しているか否かでその評価を大きく変える。そう、今までアンナと思われていた存在がこれに付随した異能を行使した所をまだ目撃していない。

 そして、ここを飛び立つ時に何となく感じていたが、戻ってきた時にアンナが倒れているのを目視してそれは確信に変わっていた。


「だから今しばらくはあなたが表立って動かなければ大山が撤退戦まで使える駒となるでしょう。そして、もう一つは、できれば口にしたくないの。だってまだあなたにしか勘付かれていないのだから。それこそバルボとかには勘付かれたくないの。わかるよね、アリスさん」

「意識は戻りそうですか?」

「わからないわ」

「そうですか」


 アリスは知っている。【漆黒極彩の感錠】の驚嘆を超過した時に使える異能の性質を。それは、第三者の認識を誤認させるというもの。つまり、今倒れているアンナが恐らく茅影であり、今アリスと会話しているのがアンナだということである。なぜ、そんなことをしているかは周囲を信用していない、というよりも知らない土地で自分の力を秘匿した時のアドバンテージを重く捉えているからだろう。一方で、なぜ入れ替えの組み合わせがリュドミーナ本体とではなかったのかはわからない。いや、むしろ定期的にリュドミーナの分裂体で入れ替えを行い更に予防線を張っていたと考えるのがこの場合は自然なのだろう。結果としてマヌエルの人さらいは行き違いなく成功してしまったわけだが。

 しかし、それよりも気になったのはアンナの異様なまでのバルボへの警戒だった。もちろん、警戒して越したことはないが、【漆黒極彩の感錠】を持っている人間が警戒するほど、何かをしでかす人間のようには見えなかった。何処まで行っても純の様にはなれないだろうし、リュドミーナの様な異能を持ち合わせているわけではない。

 つまり、一回の情報屋の中では少しだけ優秀止まり、とアリスは感じていたのである。


「それじゃぁ、バルボがこちらに来るまで大山を刺激しない程度に軽くマヌエルの排除を手伝ってきます。それまで、しっかり守ってくださいね」

「わかったわ」


 大山に宛がう敵を最小限残す意識をしながらアリスは後始末に拳を振るうのだった。


◇◆◇◆


 オスムの建物の殆どが崩壊し、マヌエルの数もだいぶ減り大山が街の一角で本当に最後の掃除をしている、残り少ないマヌエルたちに注力している状況になったまさにちょうどいい頃合いを見計らった様にバルボが現れた。


「で、これどういう状況? なんであいつと共闘してるの? というかアンナさんは大丈夫なの?」

「先の戦いで不完全燃焼だったのか、戦いに飢えているという感じでただ暴れてるだけで味方、というわけではないので注意してください。アンナは少し負傷とここ数日の疲れが出たのか途中で倒れてしまいました。呼吸、脈共に問題ないのでしばらくすれば意識も戻ると思います」


 ここへ来たアリスと似たような質問に対して茅影ことアンナがジャンパオロの質問に嘘を交えながら答える。


「そっか。もったいない気もするけど、欲張りは良くないから潮時かな。というかそろそろ良い時間なんだけどね」


 その物言いにどこか身近な人間を感じるアンナ。

 しかし、誰と明言するにはあまりにも曖昧で、今この場で言及する必要のないことだということはわかっているのでアンナは素直にジャンパオロのボヤキに反応する。


「潮時? 良い時間? どういうこと?」

「答え合わせのお時間や」


 ジャンパオロがパンッと手を合わせるのと同時にオスムの街東西から声が上がる。大山に続き第三またはそれに続き第四の勢力の突入がアンナの脳裏を過る。もちろん、援軍の可能性も本来であれば視野に入れるべきだが、片方は間違いなくマヌエルが応援を要請したニムローの援軍だろう。合流したタイミングとしては最悪の二文字である。

 まずここへ呼び出した張本人でもあるマヌエルの不在が大きい。マヌエルは世宝級というこの世界でも数少ない優秀な想造アラワスギューの使い手であり、ニムローにとっても世界にとっても文字通り宝である。そんなマニエルが実は今回の洗脳の黒幕であると説明して現着の部隊を即座に説得するのは難しいだろう。そう、すでに黒幕であるマヌエルは殺したと。しかもこの要請自体がマヌエルからのものである。所在の分からない余所者と世宝級、どちらを信用したいか、その天秤がどちらに傾くかは容易に想像がつく。

 加えてアンナたちの抱える状況は更に悪い。その問題点は二つ。一つはオスムの街の住人を洗脳から解除する余地があったと当初されていた中で、殺さなければ殺されていた状況に陥ったとは言え、そのほぼ全てをすでに殺してしまったことにある。街の崩壊から見てもその大量虐殺が済んだ光景はニムローの援軍の怒りに、火に油を注ぐ結果となるのは明白だった。もちろん、証人として生存したこの街の住人がいるがその言葉が聞き届けられる前に戦闘が開始される、良くても拘束が施されるのは違いなく、無実を証明するのに多くの時間を要することは明白だった。

 もう一つはメレンチーたちの存在である。忘れてはいけない。彼らは軍という集団に属しながら国の意向に反して独自にその国の宝でもあるマヌエルを調査していた言わば反乱分子である。本来であればマヌエルの後ろ盾で洗脳されていたという事実を公表し、マヌエルにとっても隠れ蓑として表舞台で密告者として英雄となっていたはずだが、そのマヌエルが殺されているのである。反乱分子としての格が上がるだけで、その異分子と一緒にいるアンナたちはより窮屈な立場に立たされるということである。

 などと最悪を考えていると、東側から明らかに自国の民を心配する声と共に雪崩込んでくる集団が見え始める。恐らくあれはニムロー軍だろう。だからアンナは反対側から来るのが同様の軍でないことを祈りながら西側を向く。もちろん、最悪【漆黒極彩の感錠】を始め、盤外戦力ノーナンバーズである鋼女率いる変異種に加え紘和の力を扱いこの戦場を圧倒する合成人のアリス、さらに蜥蜴の尻尾切りにはちょうどいいヘイトを向けやすい大山までいる。なんとか列挙したメンツだけ逃げ切るのだけならば容易だろう。しかし、自身の力をまだ公にして使いたくない心理とこの場の全員、アンナたち側の人間が全員助かる道を模索するならばまだ浅い。故に、少しでも全員生存ルートの確率を上げたいとまだ見ぬ軍勢に期待するのだ。

 そして、西側から出現した軍勢の先頭に立つ男をアンナは知っていた。恐らくこの世界で名を轟かせたという意味では今最もホットな存在の一人であり、旧知の仲、と言っても差し支えのない存在。カナダの節制、マイケルであった。

 それはアレだけ助けを希望していたにも関わらずアンナにとって不快感が先に出るほどの人物の登場だった。


「領土を拡大してるって話やったけど、随分と順調みたいやね」


 そんなことを言うジャンパオロの元へマヌエルが近づいてくる。


「やぁ、随分とここは知った顔が多いようだ。どうする? 手を貸すことはやぶさかではない。もちろん、ここで俺と組むことを即決する必要はない。あくまで一時的にこの場を凌ぐためにどうするか、それを聞きたい」

「ぜひ、この場から撤退するために協力してもらいわぁ。かまわんよな」

「……えぇ、今はそれが確実でしょうね」


 ジャンパオロの促しにアンナは素直に頷く。

 この状況における気に入らないという理由が人命を優先しない理由にはならないからだ。


「わかった。俺は来る者拒まず去る者追わず、だ。それで、今回行く手を阻むのがあっちの団体かな? はぁ……面倒くさいね。同じ目線で対等な仲間になれるなら何も問題なんてないんだけどなぁ」


 対等。平等もだがこのマイケルと言う男の口癖のような言葉である。

 だからこそ手に入れた異質な統率力、それがカナダの節制である。


「マイケル、サザーランドォオオ」


 それを平等の精神とは程遠い存在も獲得してしまっている。無名の演者、大山である。

 引き合うものがあるのか、それとも単純に視界に入ったのか、マヌエルたちに向けていた闘争を全てマイケルに注ぎ込まんとする雄叫びと共に大山はマイケル目掛けて走ってきていた。


「……これは、ひとまず撃退からの撤退ですね」


 大山とマヌエルがぶつかる。


◇◆◇◆


 当時、オスム事件を担当したニムロー軍指揮官がまとめた報告書より一部抜粋。

 現着してまもなく悲惨な街の惨状を目にする。そこで市民と思われるものを保護しつつ、二つの敵、今回のマヌエルを殺害した容疑がかかる勢力と激突した。一つはニュースにもなっているマイケル率いる異人アウトサイダーたちの集団である。それはマヌエルの報告にあった匿う手はずとなっていたであろう異人アウトサイダーのグループを始め、変異種なども取り込み勢力を拡大していた。そしてもう一つはこれもまた各地で出没が騒がれているこの世界の理で説明するのがやや難しい無名の演者と呼ばれる生体兵器、一体である。

 こちらとしては市民虐殺や建造物破壊の容疑もあるため即座にその二つの勢力を撃退することを決定し、約三十分に渡る交戦の末、双方を撤退させることに成功した。あくまで撤退であり、中核を担う者たちを確保することには失敗してしまった。

 その後、保護した市民からマヌエルの訃報を知らされる。どうやら今回の洗脳の一件の車句がマヌエルによって行われたと供述されているがにわかには信じ難いものであった。マヌエルの遺体発見現場であるオスム外壁数メートル先の森林では、周囲に市民の言う研究施設は発見することが出来なかったからだ。もしかすると市民にすでに催眠が施されており虚偽の証言をしてこちらの混乱を誘発しようとしている可能性がある。現場で確認していなかったという点と無名の演者というこちらの世界の理を無視したような力の存在からもマヌエルがすでに洗脳されていた可能性すらあるのだ。その全ての報告を潰すために、我々ニムローはマイケルが今なお拡大させる新設立国カナダと徹底抗戦し、実情を知るであろう人間から聴取していく必要があると考えられる。

 なおオスム市民の生存者並びに死傷者の人数確認をしているが、本人確認が難しいこともあり難航しそうである。捕虜として連れ去られたり、どこか知らない場所で惨殺されていないかも確認を怠らないようにするべきだ。


◇◆◇◆


 アリスが合流する前。

 ジャンパオロに一人語りを終え、マヌエルがリュドミューナの反旗を見逃さず、未然に電源を落とすことで防いだ後の話。


「それで一人満足して充足感に浸れてるとこ、ひと~つ確認しておきたいんやけど」


 ジャンパオロの水を差す用で申し訳ないという前置きが聞こえてきそうな質問に、何を?という表情を向けるマヌエル。


「あんた、このままやとこの先を観ること無く死んでしまうわけやけど、それでええんか?」

「随分と物騒なことを、い、言うじゃないか。それはぼ、僕が彼女に負けると? こう見えても僕は君たちの世界をつ、創った人間だよ……なんてもっともらしいことを並べても、き、君の言う通りだよ。ぼ、僕は恐らく負ける。まるでせ、世界の真実の一端に触れた故の自浄作用の様な気がしてな、ならないよ」


 フッと最後自虐気味にマヌエルは笑う。

 そう、アリスの成る紘和は世宝級を持ってしても敗北を覚悟しなければならない領域に踏み込んでいるのである。


「だったら賭けをしないか? 何、八百長ってやつさ」

「それをい、言うためだけにぼ、僕の話を聞きながら今まで値踏みしてたっていうのかい?」


 ニヤリとジャンパオロは笑い返す。


「そうだよ。そして、やっぱり欲しくなったのさ、あんたの力が。で、だ。時間もないし本題に入ろう。もし、あんたが負けたらあんたの記憶ってやつを俺に植え付けてみないかい?」


 パチパチと目を丸くしたマヌエルがそこにはいた。それはマヌエルの予想打にしない八百長だったのだ。

 今まで人格を上書きしてきたマヌエルという存在をその身に知識欲しさに刻み込まないかと誘ってきたのだ。


「他人を理解したいんやろ? あんたが乗っ取るもよし。でもな、俺はあんたと共存して、いや、従えてこの世界をもっと楽しんでみたいと思うとるんよ。俺には圧倒的に知識も力も足りない。でもあんたと、そこに転がるガラクタを組み合わせれば」


 組み合わせれば。


「その先も楽しめるとは思わんか?」

「ハハッ。き、君も大概だね」


 八百長の言葉通り、マヌエルが負けた時にのみ互いの発生する、敵からの蘇生の提案である。しかもあわよくば今まで通りなのである。

しかし、そのあまりにも面白い提案に他人を理解できない、その理解できない感情に嫌悪を覚えていた人間が少しだけ面白いと思った、思ってしまったのだ。

「良いだろう、負けた後は僕を好きにしていいよ。どうなるか、み、見ものだよ」

 何より一人の身体に二つの意識が共同できた前例をマヌエルは箱庭ビオトープで知っており、それが過ぎっている時点でマヌエルは研究者としての探究心をジャンパオロにすでに奪われていたのかもしれなかった。


◇◆◇◆


 マヌエル敗北後。アリスを早々にアンナたちの元へ向かわせたジャンパオロは取り決め通り、マヌエルの残骸から、脳の一部を手にし、マヌエルお手性のリュドミーナが収められている機械に取り付ける。

 そして、その記憶を植え付ける。


「ハハッ」


 バチッと処置は一瞬で終わった。


「さて、ボロが出ないようにいろいろやっとこうかね」


 ジャンパオロの身体はそう言って、全ての機材を解体した上で研究施設を埋め立て更地にし、マヌエルの遺体をオスム近くの森や遺棄したのだった。今ジャンパオロの身体にいるのは誰なのか、それを確認できる人間はいない。

 これが報告書に記載されたマヌエルの悪事が物証として残されていないのとマヌエルの死体が残された市民と食い違う理由であった。


◇◆◇◆


「ようやく、ようやくだわ」


 瓦礫の山を一人で軽快に走りオスムを出ていく青年の姿がそこにはあった。

 マイケルたちの一団を始め、大山、ニムローの軍隊も撤退し、彼らから隠れるようにこの機を待っていた青年は一人、楽しそうに生まれ故郷を後にするのである。


「気持ちの悪い監視は消えてようやく第二の人生。ん~、よく我慢したし、上手くいって本当に良かった」


 する必要のない心の声を解放感が与える喜びからか全て口に出してしまっている。しかし、そんな少年が喜ぶのも無理もない理由が確かにあった。青年、そう彼はアリスと接触し自身を青年Aだと名乗ったあの青年である。では、なぜこの青年Aはマヌエルが不利になるような情報をアリスに渡していたのか。もちろん、そこが青年Aは何者か、という疑問の答えに繋がる。

 話は少し変わってマヌエルの独白を覚えているだろうか。そこで彼はこの歪が起こる可能性をすでに語っていた。そう、他人を知るため、信じるために他人の全てを、記憶を奪い取った自分に置き換えたとしても、結局器、肉体の違いという仕切りの存在が自分を自分と似た他人に変質させるだけなのだと。つまり、マヌエルはマヌエルという別個体を信じることが出来ない存在だと、存在になると思っていたのだ。他人はあくまで他人だと。だから箱庭ビオトープという環境でマヌエルはリュドミューナという個でありながら他者と意識の共有ができる個体を作り、それをマヌエル自身に反映させ、自分と他人の境界を完全に同一化させるようとしたのである。

 話を少し戻そう。何が言いたかったのか。それはマヌエルが想像通り、自分の記憶を植え付けた他人の記憶を持ったマヌエルの中に、本体であるマヌエルの思考と相反する個体が一人生まれてしまったのである。それが青年Aことフィン・ベッツの記憶を記録として持ったマヌエルだったのである。

 そしてこのマヌエルが本体や他のマヌエルと唯一違ったのは初恋の人を愛したいと思っていたことにあった。それが青年の記憶が干渉したことで起こったバグなのかはわからない。そもそもバグなのかという疑問すらあるが、このマヌエルは愛したいが故に愛すべき対象に尽くそうと考えたのだ。そして一人勝手に記憶や人格が保存されている機器を自身に繋いでこのマヌエルは自身にメイを上書きしたのである。こうして、フィンとマヌエルの記憶を持ったフィンの身体にメイという人格が誕生したのである。

 話をもう一度少し戻そう。マヌエルはそもそも他人とは信じるに値しない存在という理由から自分の上書きを始めている。そんな自分にも恋するという感覚はあるとも先の独白でいったことを覚えているだろうか。つまり、マヌエルはしっかりとメイを好きになる理由を持ち合わせていたということになる。それは誰にでも優しい彼女が自分にも優しさを向けてくれる人間だったから。それが自身に好意を寄せているからではなく、誰に対しても等しく優しかったという印象があったからである。そもそも、容姿も好みで一目惚れから彼女を目で追っていたからその印象をより強く芽生えさせていた。それでも自分から愛し、玉砕することを恐れた故にその恋愛は時を経て愛されるための実験となり、自身がメイとなり信じられるかもしれない存在に成り代わって愛されたいマヌエルをメイとなったマヌエルで愛したのだ。

 そして、先の通りフィンとマヌエルの記憶を持ったフィンの身体になったメイは記録としてその記憶と経緯を全て理解する。


「気持ち悪い」


 結果、吐いたのだ。言葉にした通り気持ちが悪かった。身の毛がよだつような気持ち悪さがメイを襲っていたのだ。好意を向けられていたことはこの際問題ではない。問題はその他人への興味とその興味だけでワガママに自己を複製し続け、おままごとに自分の身体を使われているという事実だった。それはマヌエルの思惑を知ったメイを知らないマヌエルにとって記憶が記録として残らないメイの誕生した瞬間でもあった。他人がどういった人間かはわからない、というのはその人間の記憶を読み取った所で時間という流動的で変質を与える外的要因を切り離せない時点で全てを把握できるわけではないということを意味しており、またしてもいや、こればかりはマヌエルに限った話ではないのだが、他人は分からないがその通りだったという話である。

 こうして青年Aとなったメイはマヌエルとの動機を反吐の出るマヌエルの記憶を頼りに回避し、そして忌避するマヌエルの真似をすることでオスムの街に溶け込まざるを得ない生活を強いられることとなる。その心的ストレスはいつかこの街を出てやるという、マヌエルのおままごとから抜け出すという強い意志、願いとなっていた。これが青年Aがアリスに協力を申し出た理由であり、青空の元、一人楽しく瓦礫の山を駆け抜けていていた理由であった。

 同時に世宝級の知識を持った別人が生まれた瞬間でもあり、それが野に解き放たれたということである。この今は喜びに胸を踊らされている青年がそれこそ時間の流れでどう変質し、何をもたらす存在になるかは、まだわからない。そう、青年がメイであっても彼女はすでに、いや、彼はすでにメイであってメイでないメイなのだから。


◇◆◇◆


「こ、ここは」


 アンナになっている茅影が目覚めたのは知らない天井だった。

 確か、突然本体であるリュドミューナの意識がなくなったのを機に自分も意識を失ったことまでは覚えている。


「大丈夫ですか。ここはカナダと今は呼ばれている場所です。私たちはマヌエルやニムロー軍の包囲網をサザーランドさんの手を借りることで脱しています。それにしても良かったです。一先ず意識が戻ったことを皆に伝えてきます」


 そう茅影に伝えたのは茅影に成りきっているアンナだった。とりあえず窮地は脱しているのかと思いながらこの状況を整理するために茅影は他の分裂体と情報のすり合わせをしようと試みる。そこで初めて茅影は自身が普段当たり前にしていた分裂体との意思疎通が出来ないことに気づく。周囲にはほぼ同じタイミングで目覚めたであろう分裂体がいるが彼らも同じ同様なのか困惑し、視線だけが合う。そして数分後、アンナの目覚めを伝え終えたのかアンナがアリスを引き連れて戻ってくる。そのタイミングでアンナは茅影からプラナリアとしての分裂体との情報共有が出来なくなったことを告げる。

 傷の再生力から元来持つべき再生能力はそのままであることはわかっていた。


「やっぱりリュドミューナが……」

「もう、いないんですか?」


 ボソリと言ったアンナの言葉に茅影が反応する。

 それにアンナは首を縦に降る。


「すでに記憶を抜き取られて私にはどうすることも出来ない状態でした」


 アンナの肯定の詳細を説明するようにアリスが続けた。

 少しだけ暗い雰囲気に飲まれるがアンナが【漆黒極彩の感前】を解除し、本来の姿へと互いに戻させる。


「すまない、いろいろ事情を説明している時間が惜しいからこのことは後で考えよう。今は私がお前のベッドで寝る。これからすぐにサザーランドが今後について話し合うために来る。私の持ってる情報をお前に教えている時間がない。疲れているだろうが頼むよ」

「……わかり、ました」


 言葉に覇気はないが即座にベッドを降りる茅影。

 自身の長所でもある力がなくなると思っていなかったというのもあるだろうが自身の存在価値というものが急速に薄れたという現実に打ちひしがれているのかもしれないとアリスは表情から勝手に読み取っていた。


「目が覚めたんだって。早速で悪いけど、話合いたいことがあってね。無理を言って足を運んだ。一応、聞くけど大丈夫かい?」

「えぇ。大丈夫だけど」


 こうして物語は目まぐるしく次へと進んでいく。しかし、この世界へ異人アウトサイダーが来てからというもの、その目まぐるしく綴られる物語は随所で同時多発的に進行している。だから次に焦点が当てられるのは、箱庭ビオトープをマヌエルと共同開発した彩音がマヌエルの元を去って何をしていてどうなっているのか、である。

 この世界での物語はまだまだそこかしこで始まったばかりとも言えるだ。

※注意とお願い※


処女作のため設定や文章に問題があることが多いかもしれませんが、これにて、第九章が終了しました。ここまで読んでくださりありがとうございました。


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