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綴られた世界  作者: 白井坂 十三
第九章:始まって終わった彼らの物語 ~渾然一帯編~
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第百十七筆:存在したモノに裏付けられるモノ

 この長いマヌエルの自分語りを聞いていた人間が、ジャンパオロ以外にもう一人、この場にいた。なぜそいつがこの部屋の会話を誰にも怪しまれること無く聞くことが出来たのか、その答えがそのもう一人が誰なのかを的確に表すこととなる。リュドミーナである。しかし、この話を聞いていたリュドミーナは特殊な状態にあった。

 まず、拘束されている肉体の中に、マヌエルの話を聞いたと認識できるリュドミーナの意思はすでに存在しない。これは、グレタを始め、この世界にいるリュドミーナの分裂体が同時に意識を失ったことが裏付けとなっている。当然、こんな現象に未だかつて遭遇したことは当の本人にはない。それはメインの電源が落ちたという表現に近い状態なのだ。後に、分裂体はサブの電源で普及するように意識を取り戻すことになるが、そのどれもが意識を共有することができなくなる。なぜならリュドミーナが全て、だったからである。

 では、意識は何処にあるのか。抽出された意識の共有の力と共にマヌエルに取り込まれているのか。答えはノーである。マヌエルは丁寧にリュドミーナの意識は分離し力だけを自身に出力していた。つまり、リュドミーナの本体になく、マヌエルに取り込まれてもいないリュドミーナの意識は、抽出した機械の中に保存されている状態なのである。それはマヌエルの話に出てきた他者の意志を、人格をデータとし機械に保存しておくということである。そして、その機械に保存されたリュドミーナの意識は機械の中でもしっかりと活動をして外の情報を取り込んでいたのである。

 だから、後に機械を調べるとリュドミーナがマヌエルの話を聞いて何を思っていたのかは記録としてしっかりと保存されていたのである。


「なるほどな」


 肉体を持たずデータとなったという表現は、リュドミーナにとって本当にこの意識、思考は本来の自分のものなのかも怪しかったはずだった。しかし、なるほど、と納得の言葉を敢えて口にしたと表現した、できた瞬間、リュドミーナの意識は怒りに染め上げられた。

 怒りの矛先はただ一つ。全ての出来事がそうなるように出来ていたことである。リュドミーナがアンナやライザに出会ったこと、プラナリアの合成人になったこと、その力が拡張され分裂体を生み出すだけでなく意識を共有できたこと、膨大な取得できる情報量から全能感を得ていたこと、純に協力してアンナの実験に一つの結果をもたらしたこと。この全てが特別でもなんでもなく、ただ用意されたものであり、ましてや決定論そのものでしかなく、自我すら問いただしたくなるような、当事者の目線で悲劇として語るにはあまりに陳腐な人生ゲームだったということ。だからこそリュドミーナの描いた、力を自分のためだけに使いオイシイ思いをする計画は、ロシアの一件が片付いた後にただ一度として訪れること無かった。柵から解放されたと思っていたにも関わらず大きな暗躍をこなせなかったのだ。そう、使われる側、主導を握ることは訪れなかったのである。

 リュドミーナにとって何もかも踏みにじられたはずなのに、何もかも踏みにじられたわけではなく、ただそうであったという事実。そして今まで全能感を満喫できなかったという謎。その全ての元凶が目と鼻の先にいるという現状。好機であるが故に行き場のない感情が、責任を押し付ける相手を見つけ歓喜する。その発露した感情が怒りと形容すべき感情だったのである。

 同時に、リュドミーナの怒りは一つの事実をこの世界に焼き付ける。それは彩音が死者の蘇生概念を、マヌエルが意識の遠隔共有という概念を持ち込んだ様に、新たな理が誕生した瞬間ということであった。しかし、この世紀の瞬間に気づいた人間はこの世界にはいなかった。

 それでも変化は確実に起こっていたのが……無論この場にいるリュドミーナの怒りに触れた人間も例外なく知る由もないのである。


「ピーガッガッガ」


 突然暴れ出すリュドミーナに取り付けられた機械。その機械はもちろん、人の記憶をデータとして記録しておくだけの装置である。故に発声も手足を振り回して暴れることも許されない。一方、マヌエルから見れば自身の知らない挙動を取る機械は何か致命的なエラーを引き起こしているのではないかと考える。しかし、それが記録により形成された意志が感情を持ったものだと知る由もないマヌエルからすれば、機械の誤作動という域を出ることはない決してないため取るべき行動は、一時的ではあるが機械を動力源から止めてしまうということだった。何せ、マヌエルもまた手に入れた力、確認した自身の仮説に酔いしれたい時間だから。つまり、マヌエルに電源を落とされたリュドミーナの怒りはあっけなく再び行き場を失ってしまっていたのだった。


◇◆◇◆


 統率力の取れたマヌエルたちに、アンナたちはジリジリと数の差で追い詰められつつあった。統率力。元々襲ってくる人々はマヌエルの記録という人格に上書きされた人間であったため、個としてのスペックも身体的特徴以外は均一化された様に感じさせられていた。その点では想造アラワスギューの質も隠す必要がなくなったからか誰もがスムーズに行っていた一方で、中身が同じだからだろうか、思考にも偏り、均一化された弊害が出ており、それが特定の行動と結びつくように強調され、いわゆるバリエーションの低さをほんの僅かに感じさせていた。

 しかし、あるタイミングから明確にそれがなくなる。明らかに何処にいても誰もが周囲の状況を理解した上でその個体の取るべき最適をしている、つまり無駄がなくなったように感じたのだ。そして、この事実は一つの最悪を示唆していると、アンナを始めとした手練たち、アリスからマヌエルの目的を聞いていた面々は理解した。アリスとジャンパオロはマヌエルがリュドミーナの力を取り込むことを阻止することが出来なかったということである。それを裏付けるように同じタイミングでリュドミーナの分裂体もぐったりと動かなくなったのだ。間違いないのだろう。

 余談だがこれは世界中にいたリュドミーナの分裂体が機能を停止した瞬間だったということである。


「ハハッ」


 そのタイミングはマヌエルと思しき人間全員が同時に同じ姿勢、虚空を眺めるように静止し、笑った瞬間があったことである。不気味、だった。顔も性別も身長も体重も年齢も違う人間の行動が、世界が再起動をかけたような錯覚を覚えるほどにピタッと突然揃うのである。それを異変と捉えなければならないほどに大規模な統一行動だったのである。一つ、救いがあるとすればマヌエルという個が意識の共有まで成功しているのに、アンナたちが誰しもマヌエルに想造アラワスギューされていないことだった。当然、アンナたちは機械による補助がなければできないことを知らないのでその危険性に精神をすり減らされ続けなければならないことには変わりないのだが。

 そんなアンナたちは現在、鋼女たち変異種、想造アラワスギューを使える者を筆頭に半円を描くように城壁を背に陣を敷いていた。その中心にはアンナが傷を負ったものを即座に治療できるように居座っていた。

 鋼女という個の力と突破するべき面を、壁を背にしたおかげで狭く出来たおかげで対面する人数を制限できたことが大きく、なんとか戦線を維持できているのが現状であり、それはここからどうやって突破するかは未だに見えていない状況を意味することでもあった。


「援軍を呼ぼうにもキリがないな」


 キヨタツの言う通り、街の外にいる変異種たちやアンナの仲間に本来であれば救援を要請したいが、自身たちが戦況を五分にするためにしいた陣が仇となり、伝令に行かせることが出来ない状況でもあるのだ。では、最初から逃げればよかったのではないかという疑問もあるだろう。実際はその通りで生き残るためならばアリスと分かれた時点でそれぞれの拠点まで逃走するのが正解だった。では、なぜそれが出来なかったのか。それは半円の陣、壁際に集められている、このオスムの街の人々が答えだった。そう、この場に誰もが彼らを見捨てなかったのである。

 故に、逃げられたであろうチャンスが防衛へと変更を余儀なくされたということである。


「どうする、今からでも壁に穴を開けて少しずつでも脱出するか、茅影さん」


 スイッチするように少しの間、戦線から離脱してきたメレンチーがアンナに提案する。ある程度の怪我は治療できるとは言え、大怪我をされればその分治療に時間がかかり治療の効率は渋滞するし、何より披露は治療できない。ジリ貧であることは目に見えているため少しでも多くが生き残る道を考えなければならない時間が迫っていることは事実だった。恐らくマヌエルの意識統一のタイミングでアリスたちが戻ってこなかったということは今もなお苦戦を強いられているか解決策を講じていると考えられるため無論援軍として考慮することが出来ないのも、撤退の判断材料にあった。

 そして、脱出の選択を取ろうとした時、誰もが忘れていたであろうこの頃合いで、アンナたちの知っている厄介事が乱入する。そう、厄介事は常にこちらの都合に対してお構いなしなのである。しかし、その反面、誰にとって厄介事になるのかも、またその時々なのである。

 バゴーン、という轟音がアンナの背後に響く。音は城壁の崩壊であると誰しもが気づき、何故壊れたのかという疑問を解決するための視線で釘付けにした。その答えは目視で容易だった。瓦礫を飛び散らせながら同時にオスム内へ飛び込む姿が確認できたのだ。

 アリスが箱庭ビオトープからこちらの世界に来て最初の戦闘を経て撃退した特異な無名の演者、大山であった。


「さぁ、俺のために戦え」


 第三勢力の出現に現場は混沌を極めようとしていた。


◇◆◇◆


 バコーン。似たような音はジャンパオロのいる地下研究所でも鳴り響いた。音は天井の崩壊を意味しており、吹き抜けが出来上がった地下に地上の光が差し込んでいた。

 その真下にスポットライトを浴びるように天井を壊した張本人が立っていた。


「み、見ていたよ。君は、本当に強いね」

「さぁ、終わりにしましょう」


 アリスの足元にはジャンパオロと別れる際に戦っていたマヌエルの頭部が消失した肉体が転がっていた。アリスは今までにも人を殺した経験がある。それはイギリスの革命や第四次世界大戦の時に命令された上で実行した行為であった。それが出来たのは幼さ故の倫理観の未成熟さと誰かに言われたからという責任転嫁が出来る状態だったからである。しかし、今回アリスは自分の意志で明確な殺意を持って人を殺していた。癇癪を起こしたアリスという子供にそれが出来る力が備わっていたというのも事実である。だが、この殺人に対してはアリスは癇癪の様な稚拙なものでなく、明確な殺意だったということが今回は重要なのである。つまり、アリスは自身の判断でこいつを殺さなければならないと判断したのである。

 なぜか。リュドミーナの様に箱庭ビオトープの成り立ちから自身という存在の傀儡具合に憤りを覚えた、とかではない。純粋にマヌエルという存在に成りすましたことにより得たマヌエルという男の悪意を止めるために殺さなければならない、それ以外に選択はないと判断したからである。話し合いによる解決も拳を交えた上での説得も、その全てが決して実ることのない、無意味なことであると知ってしまったのだ。人と人、という同じ種族、同じ言語を用いるからと理解し合える、いや、意見を押し通すことが出来ることすらない、自分ではなくあくまで他人であるという認識を見せられたからこそとも言える。その違いが殺さなければ、と考えさせるほどの重みを持つものだとアリスという少女に理解させたのがいかに残酷な話かは置いといて……。

 そして、その悪意に対しアリスが殺さなければと嫌悪したのは、身に纏っていたはずの髪や爪が切り離れただけで酷く汚く不気味なものに感じてしまうような、人間という種族として生まれ落ちたら持っているであろう嫌悪するものに対する感性によるものだった。それほどまでに目的はどうであれ、意識を自分のもので統一したいというマヌエルの感性はただただ成りすましで受け入れたはずなのに受け入れがたいものだったのだ。何より、ジェフと出会う自分が消失してしまう可能性、そして、ジェフが誰かに取って代わってしまう可能性があるということがアリスにとっては許せないことだった。アリスはまだ紘和たちと行動を共にするようになって以降ジェフから何一つ聞き出せていないのだから。

 だから、アリスはためらいなく激戦の末に殺した。

 そして、今にも襲いかかろうとしていたであろうジャンパオロと目と鼻の先まで接近していたマヌエルを視界に捉え、救援に間に合ったと思いながら先程の処刑宣告をしたのである。


「すぅ、ふぅぅぅ」


 小さく、短く息を吸い込み、小さく、細く、そして長く息を吐きながらアリスは深く集中していく。この困難に一緒に立ち向かっている仲間を援護に向かうために、何より自身がこの世にあってはならないと判断した諸悪を迅速に根絶するために。真っ直ぐに見定めた敵への気持ちは早く早くと集中の深さに比例するように膨れ上がる。そして誰が合図をしたわけでもなく、アリスとマヌエルは同時に動き出したのだった。


◇◆◇◆


 景気よく乱入してきた大山が、乱入者の動向を見守るように静止した戦場をぐるりと見渡す。


「天堂、いやレイノルズはどこだ?」


 アリスの居場所を聞くという点にアンナたち、アリスサイドの人間は、大山がアリスを助けるために加勢に来た、という事実だけはあり得ないと理解していた。それは、転移という新人類の力を大山が有していることを知っている人間からすれば、わざわざ自身が来たことを誇張するように登場したそのやり方からも、アリスに見つけてもらいたいという闘争心があることを理解できるからである。では、新人類の力を知らない人間でもなぜわかったのか。答えは簡単である。その闘争心が、言葉から、身体から湧き出ていると表現したくなるような、直感に訴えかけてくる殺意に変換されて伝わってくるからである。

 だからこそ、アンナは返答に困っていた。大山はこの戦場においてイレギュラーであった。故にマヌエルという多数の戦力とぶつけることで少しでもその戦力を削げればと期待していたのだ。

 しかし、もし先程の質問に対して事実を答えてしまえば、この場から立ち去ってしまうかもしれない、と考えられるのだ。


「ここにはいないよ」


 そんなアンナの意図を察し、まるで妨害するかのように大山に答えたのはマヌエルだった。もちろん、マヌエルに大山をこの場から立ち去らせようという気はなく、ただ純粋に質問に答えただけに過ぎない。だからマヌエルは大山を狙う一撃を、返答に合わせて行っていた。静止した状態からの不意打ちというに相応しい、地面からの突起に大山は足を貫かれたのである。

 それは敵を排除するという意図ではなく、大山という成りすましのサンプルを、アリスよりも弱そうな存在なら捕獲できるとマヌエルの本体が判断しての攻撃だった。


「教えてくれてありがとう」


 大山に応えたマヌエルの耳元に声が聞こえたのと、拘束したと思った大山がマヌエルの視界から消えたこと、そして頬に衝撃が走ったのはほぼ同時だった。わかっていたとしても、視覚を共有できたとしても、見てから対応することは実際に困難だということをマヌエルはここで理解する。転移。成りすまし同様、箱庭ビオトープで生まれた、明らかにこの世界の理で出来るものとは違うと想造アラワスギューで出来ることとは一線を引くことが出来る力。

 もしかしたら知らなかっただけなのかもしれないが、今、目の前にそれを確認してしまったということは出来るものとしてこの世界に定着できた力ということでもある。


「俄然、欲しくなるね」


 吹き飛ばされ戦闘不能になったマヌエルがいるということは、大山が転移したことでマヌエルに取り囲まれる状況へ飛び込んだことを意味する。つまり、大山は一瞬にしてマヌエルからの熱い視線を四方八方から受けることになったのだ。そう、マヌエルは熱い視線を送る。この転移という未知の力は、次に何の存在を証明する力となるだろうかと。加えて、大山はさらに未知の力を有していることをマヌエルは知っている。

 大山が戦闘態勢になった途端、明確に感じる自身のパフォーマンスの低下。それは大山が成りすましによって手に入れたマイケルの平等にする力であった。オリジナルの暴力もすぐ近くまで迫っている、侵略しているという事実が、この平等にする力の個人ではなく多数を対象に取った時のポテンシャルの高さを窺い知ることになる。つまり、マヌエルは現在情報共有と自身が持つ知識量というアドバンテージがどこまで大山にあるか、と問われているわけである。何せ凌駕しない限り、大山の確保は難しい問題となるわけである。しかも、アンナたちの相手もしながら、である。

 そう、アンナたちからすれば、マヌエルが大山に応えたことで一瞬にして戦況が元に戻ると思っていただけに、攻撃を加え敵意をマヌエルへと向けさせてくれたおかげで、追撃も逃走もどちらの選択肢も取りやすくなったのである。であればこの好機に少しでも大山を先頭にマヌエルの数を減らせるか試みるのが吉だと皆が共通の認識でいたため、戦線を拡大するように大きく一歩を踏み出す。ここから反撃を開始するのだと。


 ここでマヌエル、という人間が戦闘面に於いて強いのかどうか、という話をしよう。世間のイメージだけを伝えるならば研究者であり、そこに付随するのは運動がからきしであるということである。事実、戦闘とは無縁で表舞台でそういった局面を目撃されたことはない。だから体術という点でマヌエルに戦闘能力があるという認識はない。逆を言えば、戦えば世宝級だからこそ想造アラワスギューで常人を圧倒するだけの力はあるのだろうと考えられていた。世宝級にはそれだけのブランドがあるのだ。

 では実際はどうなのか。


「これがじょ、情報処理の加速」


 今までの敵襲全てがマヌエルならば、何よりリュドミーナを気絶させ抱えて逃げ切れているのである。個としても世宝級に恥じないポテンシャルを持っていたことは言うまでもない。そして、当人が口にする通り今はそのリュドミーナの力の源でもあった情報の共有を、個の増殖を経て、攻撃が、戦闘へより最適化された後繰り出される。それが反射レベルで行われているのである。常人と比べれば明らかに達人の域に到達しているように見えるだろう。

 しかし、マヌエルは焦っていた。自分にできる最高のパフォーマンスが出来ている。自己の統一を達成し、他人の境を無くし、気持ちは昂ぶっていた。絶好調。この三文字を疑う余地はなかった。しかし、その絶好調で自身の最適を繰り出しているにも関わらず、状況は不利なのだ。ただ一言、知る人がいればこう言うだろう。相手が悪かったと。

 今マヌエルの前にいるのは紘和へと成りすましたアリスなのである。しかも、その成りすましは深く、敵を諸悪と断定し根絶しようと動く、紘和の正義に近づいた状態であった。加えて、こちらの世界に来たことで想造アラワスギューという新しい力を獲得した上で、深くまで成りすましても戻ってこられる、成りすました本人に毒されないだけの精神力を獲得したアリスオリジナルの紘和である。オリジナルとは似て非なるものへと進化を遂げ始めている紘和というアリスだったのである。

 ここまで来て脳裏に過るのは敗北だった。賢いからこそわかるのだ。意地汚くあがいてもこの状況がひっくり返ることはないと。埋まらない明確な差。捌けていたはずの攻撃が当たっていく。攻め手として有効だった想造アラワスギューが対応、相殺されていく。唯一目の前に敵に勝っているものがあるとすれば再現という想造アラワスギューであり、その結果負傷した箇所を即座に負傷する前のものへと再現できていた。しかし、それが勝ちに繋がることはない。いずれ思考するための頭部をぶち抜かれれば敗北なのである。

 あぁ、と心の中でマヌエルは安堵のため息を漏らす。こうなるつもりは毛頭なかったが、賭けに乗って良かったと。これで残すことは出来たのだと。同時に感動する。自分が、自分たちが作った作品が、この世界を凌駕している姿に直面できたという事実に。これだけの存在がこの世界にも存在して良いことの証明。それはさらに高次元の世界への可能性を示唆することに他ならないとマヌエルは確信できたのだ。

 と感傷に浸っているものの、わかっているものの、ここで敗北するつもりは毛頭ない。


「ど、どうせなら」


 お前の中身も僕にして。その希望はある。リュドミーナにしたように機械に繋いで同様の処置を施せば良い。一瞬である。一瞬でも気をそらして機械に触らせさえすれば。そう考え始める間にも、打撃による鈍い音と研究施設を歪に変える想造アラワスギューの生成音が響き渡る。もうここはダメだと強く強く押し付けてくるような轟音である。

 だが、その轟音が間違いであると主張するように、戦いの終着は突然やってきた。ピタッと音が止んだのだ。


「覚えていますか、あなたがここにどんな気持ちでどんな体位だったか」


 その質問はマヌエルの頭部を鷲掴みにし、床にめり込むように叩きつけたアリスの問いかけだった。質問の意図は再現が可能なほどマヌエルの脳が、思考がクリアであるかということだった。答えは否、である。別に普通に脳内で情報の処理はできている。しかし、である。ここ以外の情報も、アンナたちの戦場での状況も脳内に割って入ってきていたことは事実だった。いや、これは良いわけである。単純に勝てるビジョンが一瞬でも見えないと思ってしまった時点で、それを巻き返そうと必死になった時点で、数え始めればきりがないであろう時点の積み重ねが、この怪物をどうにかできると思っていた頃の自分を想像しても再現できる自信が亡くなってしまっていたのである。

 それをアリスは見透かしているという質問だったのだ。


「で、でもね。僕は満足してるんだ」

 マヌエルの両目は覆われているものの、アリスの姿は、顔がどうなっているのかはわかる。


「もう、ここでぼ、僕は君にこ、殺されるんだ。時間稼ぎじゃない。す、少しだけ遺言を残してもいいだろうか?」


 返事はない。しかし、沈黙が了承を意味しているということはわかる。別に遺言を残したいと言ったからその場の雰囲気で、という風情なようなものからの察しでは決してない。

 アリスが問答無用で殺さないという点とこれ以上、情報を引き出そうと質問を投げかけてこないことに合理的に照らし合わせた考えである。


「君たちは僕が創った」


 語る。


想造アラワスギューで、いや、想像イメージで創ったんだ。フィクションがノンフィクションにな、なったとでも言い換えていいだろう。だからね」


 だから。


「ぼ、僕はここで終わるけど、その先に行ってみせるよ。きっとそれが許されているはずだから」


 マヌエルはこれで言い切ったと言わんばかりに満面の笑みを作る。それはアリスにとって殺していいという合図に他ならなかった。そして、少しの間を持って不快な音と共にマヌエルは人生で初めての自身の身体の死が訪れるのを経験するのだった。


◇◆◇◆


 マヌエルの最後にしても妙にあっけないと思いつつ、現実はこんなものか、なんていう考えがアリスの中を巡る。殺すまでに少しの間があったのはジャンパオロに殺して構わないかと目で問うた時間があったからだ。

 そういう点ではこちらもあっさり殺すことを許可するようにうなずいたなと感じていた。


「胸糞悪いな」


 本丸は倒したはずなのに、口にした通り妙にしっくりこない。


「お疲れ。これで一件落着やな」


 ふぅと長く生きを吐き安心しきったジャンパオロがそう言いながらアリスの隣まで来ると労う様にポンポンと肩を叩いた。


「こういうのも何だけど、生かしておかなくてよかったの?」


 自分をスッキリさせたい、そういう一心で一つの疑問を解消すべくスイカのように飛び散ったマヌエルの頭部を見つめながらジャンパオロに質問をした。


「構わないよ。だってそこにいるっていうかあるじゃん」


 そう言われてジャンパオロが指差すところにいたのはアリスだった。

 それはなんとなく腑に落ちるような解答だった。


「なるほど。でも、あなたに教えてもろくなことにはならないからその判断は間違っていたと思いますよ」


 混ぜるな危険という言葉がある通りジャンパオロにマヌエルの知識を分け与えるつもりは当然ない。ない上で、自分のモヤモヤを少しでも紛らわすための嫌味、なのであった。

 だがジャンパオロはそんな嫌味をものともしないようにアリス同様、マヌエルの残骸をマジマジと見ながら思い出したようにポツリと口を開く。


「街の方、加勢に行かなくて大丈夫かな」

「本体をやれましたし、なんとかなってるでしょう。私もこれから駆けつけますし」

「……そう。んじゃ、先に迎えに行ってよ。俺は疲れたから休憩ついでにここを調べるよ。なにかあるかもしれないし」


 アリスはここにそこまで大層な情報がないことを知っている。もちろん、そこにある機械にできることは危険極まりないが、それをジャンパオロが見て使い方はわかっても、作るという点で理解できることはないだろうと考えたのだ。

 少なくとも持ち出せばアリスが壊してしまえば良いのだから。だからアリスはジャンパオロの言う通り、仲間が心配なためここを発つことを決める。


「とはいえ、残党狩りです。頭数は多いに越したことはないですし、そもそも抜きん出た戦力が少数です。時間はかかるので早めに合流してくださいね」

「わぁ~ってる」

「それに何かしたとわかれば飛んできますからね」

「何かってなんだよ。まぁ、ここを調べるっていうからそれなりに警戒されちゃうか」


 ワハハとはぐらかしているつもりのように笑うジャンパオロにどうも釈然としないが、アリスは背中を向けた。


「それでは」


 アリスは気持ちを切り替えて仲間の元へと急ぎ走り出すのだった。

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