第百十六筆:この雄弁は沈黙に勝る金足り得るか
マヌエルの記憶を頼りにアリスは件の研究施設、街から程よく離れた小さな廃墟のような一軒家の前に到着した。
「ここか」
「ここです。多分本体を含めて二人は最低ここにいます」
アリスがそう言い終えると一軒家がボロボロと崩れるように倒壊していく。分解された塵が積もるよりも前に風に乗って宙へ運ばれ霧散していく。これも想造であるとすればアリスの豹変っぷりはジャンパオロにとって自身にもその可能性があるという示唆であり見ていて実に興味深いものであった。ただそれよりも今は目の前に出現した地下へ続いていると思われる地面に備え付けられた鉄扉の方が興味を引くものではあった。ジャンパオロはその興味に物理的に引かれるように扉を開けるべく手を伸ばそうとする。しかし、それをアリスが行く手を阻むように手で制する。
その答えは鉄扉がギィィという音ともにゆっくりと押し上げられて現れる。
「やぁ。これはこれは功労者のお二人じゃないですか。随分と、遅かったですね」
その言い回しだけで出てきたのがアリスの言っていてたもう一人であり、加えてマヌエルの野望されるリュドミューナを使った計画は遂行されてしまったかもしれないと思わされる。
「チャフキンは?」
それでも質問しなければならない。
だからジャンパオロは上機嫌な男に尋ねる。
「本体なら命に別状はないと思うよ。分体がどうなってるかはわからないけどね。いや、今はわかるんだったね。ハハハッ、どうやら意識を失ってるみたいだよ。可哀想に」
通信している様子がないことから本当にリュドミューナの合成人としての力の一部、同個体間での意識の共有が出来ている、つまり力の譲渡が、略奪が完了していることが伺えた。しかし、その真偽はリュドミューナを見つけるまでは実際のところわからないというのも事実であった。
世の中にはハッタリがあり、今その施術を行うための時間稼ぎにつきあわされている可能性も、マヌエルの本体が見当たらない時点であるからだ。
「道を作ります」
「いいよ。本気で相手をしてあげる」
男の言葉と共に周囲に影が落ちるのと同時に男の姿が消える。正確には鉄扉の位置にあった家がいつの間にか再生されておりジャンパオロとアリスはその中にいる状況を作られたのである。そして、どうやって目の前の男はこの場から距離を取ったのかという疑問を解決する間を許さぬように次の瞬間には家の中をまばゆい光と熱が駆け抜ける。それは本来予めジャンパオロたちをはめるために設置しておいた爆弾が起爆したことによって起こった爆風だった。轟音と共に家は爆散し外壁を飛び散らせながら全焼していた。それを外から悠々と眺めていた男は悠々と二人の次なるアクションを待つ。この程度で勝敗がつく相手ではないことを十二分に理解しているからである。
火の手が緩やかになって煙が晴れてくると鉄扉の上、二人がいた場所に半球の土壁が出来上がっていた。瞬時に身を守るための障壁として想造したのだろうが、それでは籠もる熱で追い打ちを食らうだけだろうに、と考えながら中から熱さに耐えられず飛び出すのを待つ。そう、鉄扉の上に土壁があるにも関わらず、中から出てくるかもしれないという一瞬の思考が、それよりも有効となる一手が存在することを一瞬だけ上塗りする。もちろん、その一瞬だけあれば事足りるのがアリスでもある。マヌエルの脚が地中へと引き釣りこまれたのだ。城門前のグレタへの奇襲を見ていたわけでも無いだろうに、その攻撃は奇しくも男に意趣返しをさせる結果となったのだ。そして足首まで地面に飲まれるのと同時に今度は地面から湧くようにアリスが飛び出してくる。明らかに、想造の精度が上がっていた。これがマヌエルに成りすましをさせ意識をトレースさせてしまった代償なのだと悟る。そう、男は、マヌエルは、目標を達成した後、この鍛え上げてしまった化け物から逃げなければならないのである。まさに決死という言葉が似合う対峙となった。
◇◆◇◆
ジャンパオロは地下に広がる研究施設を、チカチカと蛍光灯が点灯を繰り返す廊下を一人歩く。上では激しい戦闘が再開したのだろう。地下まで音、振動が伝わってくる。鉄扉の中に入った時、ジャンパオロはここが彩音とマヌエルが研究に使っていた研究施設であることと、この研究施設の左奥にマヌエルがいることを伝えられていた。だからジャンパオロはまず右奥へと歩いていった。そしてガラス張りの大きな部屋へと行き当たる。
部屋と廊下を遮る大きなガラスは内側で何かが爆発したのだろうか、廊下にその破片を飛び散らせていた。パキッとガラス片を踏みながらジャンパオロはその何かがあったであろう部屋を割れたガラス越しに見る。中は想像とは違い爆発したような焦げなどは見つからなかった。一方でそこかしこに置かれた電子機器が倒れたり、接続が外れたりしていて何かがあった痕跡はあった。しかし、この状況が何を起因にこうなったのかは何一つ分からない。だから、という訳では無いがジャンパオロはその部屋の中に入る。最先端、なのかすらわからない明らかに自分たちのいた世界とは違う文明を感じる電子機器を眺めながらジャンパオロは奥へと進んでいく。
そして、壁一面にかけられた大きな割れた液晶ディスプレイの前まで来る。
「……ここなんかなぁ」
ジャンパオロがリュドミューナの危機という一刻を争う中でマヌエルのいる部屋ではなくこちらに来た理由。それは同一の施設の中で行われていたと聞いた時からマヌエルのいない方にあるのが彩音の研究室だと思っていたからである。研究成果などが残っているかもしれないから来た、という点も否定はできないがそもそもこれだけ大切な研究成果を残していくような連中ではないと確信もしているので本来の目的ではない。ではなぜここへ来たのか。
ジャンパオロにしては以外な理由だと聞いた人間は言うかもしれない目的。それはここが彩音の研究室ということは、ここで彩音の研究が行われていたということであり、それは異人にとって、ジャンパオロにとっての故郷であり、それをこの目で見てみたいと思ったからである。それも異人の中で初めて、同時にこれからなくなるこの場所を訪れた最後でありたいとふと思ったのである。ジャンパオロ自身も自分がこれだけ感傷的なことを思いながらこの場に立とうと思うとは想像できなかった。
しかし、それでもやってしまうという衝動的なのか、本能的なのかわからない何かがジャンパオロを突き動かしたのは事実だった。
「寂しいなぁ」
この場所がなくなることがではない。この場所で生まれたという無機質さと、それをやり続けていた、ある種親とも言える彩音に対する言葉だった。少なくともここを見て面白いと思える異人がいるならそっちの方が興味があるとジャンパオロは考えるほど寂しいという感想がしっくりと来る場所だったのである。故にそれ以上の感想を持ちえないジャンパオロはもっと目に焼き付けておきたいと思うこともなく、マヌエルの一件に早く終止符を打ちたくて急ぐわけでもなく、その場をただ後にするのだった。
◇◆◇◆
明らかにセキュリティレベルが他とは違う、重々しい扉の前までジャンパオロは移動していた。アリスの言う通りであれば恐らくこの先にマヌエルの本体が待ち構えているはずである。そして、ジャンパオロはどうやって先へ進もうかと扉をマジマジと観察した後、一画に備え付けられていた監視カメラを覗き込む。
この撮影記録がどこへ運ばれているかわからないが、ジャンパオロは喋りかける。
「もう準備は終わってるんやろう? だったら楽しくお喋りしたいんとちゃうん? そのためにレイノルズやなくて俺が来たんやから、とっと開けてくれよ。じゃなきゃ壊しちゃうぞ」
想造のある世界ではこれは最大の脅し文句だなと思いつつ、断流その言葉を待っていたのか、ガコンという音と共にいくつものセキュリティが解除されていく電子音が鳴り響きながら扉が開いていく。
そして、人一人通れる隙間が出来た瞬間にジャンパオロはスッと中へと躊躇なく進んでいった。
「ず、随分と遅かったね。収穫はあったのかい」
何らかの装置に繋がれたリュドミューナがぐったりとして意識を失っていることだけはわかった。
「収穫は……なかったわ」
これは彩音の研究室を訪れての言葉。
「あぁ、いや……一つあったわ。お前の嘘かもしれないことがもみ消される時間つぶしが出来たこと、かな。もう流石に終わってるんやろ?」
そしてこれはジャンパオロからの精一杯に見える煽りだった。
「お、終わってたよ。あ、あそこでハッタリをかます意味はな、ないだろう」
その答えが、突入前の会話をマヌエルが知っていることが全てだった。
「せやな。ところで一つ聞いておきたいんやけど、その喋り方って素なん?」
「ど、どういう意味かな?」
質問の意図が本当にわからないといった表情で顔を十度程傾けるマヌエルに、ジャンパオロは相槌のように、馬鹿にするように笑い声を挟んでから応える。
「どういう意味って? そのままや。そのオドオドした喋り方は他人を油断させるためにワザとやってたのかって意味屋で。だってお前、俳優気取りの変人やろ? 好きな人のモノマネしながら一つ屋根の下で御飯事してたんやから」
アリスの口から伝えられた瞬間から誰もがわかっていた身の毛がよだつ様な事実である。しかし、その事実が身の毛がよだつと言ってもあまりにも異質で歪であったが故に誰からも正面切って受け止められていなかったのである。それを初めてジャンパオロが言語化し、反吐を吐くように本人に告げたのだ。そう、隔離された場所にいた人間がマヌエルの人格を上書き、植え付けられた人間であるということは、その全ての人をマヌエルが演じていたということ。
突き詰めると、マヌエルの弟子である三人も、極めつけはマヌエルの妻であるメイも、その全てが自作自演だったということである。
「だ、だったら安心していいよ。僕は僕だよ。これがぼ、僕だ」
だからこそジャンパオロからしてみればこれだけ冷静に言葉を返してきたマヌエルに、一連の自作自演以上の背筋が凍りそうな不気味さを感じ取っていた。
「だから喋り方はこれでも、問題ないし、変人だと思われることも、な、何一つ問題ないよ」
あぁ、とジャンパオロはこの瞬間になぜ眼の前の存在を不気味に感じたのかを理解した。そもそもの行為が異質であったにも関わらず、異質なだけだと思っていたがそれが間違いだったのだ。マヌエルはただの狂人ではない。いや、生粋の狂人なのかもしれない。
それは間違っていることを間違っているとわかった上で自分のためにと実行できる人間であるということである。それも単純な間違っているではない。人を殺すことが間違いであり、それをわかった上で自身の快楽、愉悦のために行うということではない。クラスの文化祭でどんな出し物をするか検討しているところへ、自分がやりたくないからと出し物をすることに反対する。こういった間違っていることをできる人間なのである。つまり、普通という偏見の価値観の中に収まった世界で正しく間違っているのである。
そう、正しく間違うような人間は多くいる中でその規模があまりにも狭い中で完結しているのである。
「やりづらいねぇ」
ボソリと思わず口に出してしまう。自分に出来なかった、いやしようとしなかったアクセルの踏み方を眼の前の人間はしてきているのだ。一方で、だからこそなぜマヌエルという男がこうなれたのかと興味があるところであると同時に、ジャンパオロ自身の描く未来へ着地するには知らなければならない部分であると判断できた。
だから問うた。
「わかったわ。お前が俺の知る変人の中でもしっかりと変人やって。だからこそ御本人の口から今後の参考にしたいからさ、どうしてこんな気持ちの悪い自作自演をしたのか教えてもらいたんやけど……ダメかな」
「こ、事が終わってからそれこそレイノルズに聞けばい、良いじゃないか」
「言ったろう。あんたの口から聞きたいねん。今回やりあって、お互い思うところあるんとちゃうん? 俺は少なくとも念入りに、慎重に計画を進めるところ、そしてそれらを全て一人で完結するところとか、似てるなぁ思てね。それに最初にゆーたけど楽しくお喋り、したくないんか? 目標を達成したら自己主張よろしく語りたくなるのが性ってもんやろ。それを俺も教訓じゃないけど聞いておきたいねん、先輩」
ハハッと短い笑いが挟まる。
「ず、随分とおだてるのが、う、上手いじゃないか。それに、君なら花牟礼とち、違って何か面白い反応を、いや、僕好みの解答を用意してくれるかもしれないね」
そう言いながマヌエルはゆっくりと腰を下ろす。
「君は愛したいですか? そ、それとも愛されたいですか?」
ジャンパオロはまっすぐとその問を投げかけるマヌエルの瞳を見つめ返すのだった。
◇◆◇◆
「君は愛したいですか? そ、それとも愛されたいですか?」
マヌエルは彩音が最後に訪ねてきた時と同じ質問をする。
コツコツと右足で床をリズミカルに叩くとジャンパオロは質問に答えてきた。
「どっちもしたいされたい、どっちもしたくないされなくてもいいっていう解答をつまらないと思うなら、俺は愛したいかな」
その答えはマヌエルが用意している答えとは正反対のものだった。
「ぜひ、ぼ、僕の話をする前に後学のために先にその理由を聞いてもいいかな?」
「かまへんよ。単純な話や。愛するよりも愛される方が簡単やからや。いや、信じるよりも信じられる方が簡単だから自分に出来ないことを、って感じやな」
真面目に答えていることは伝わる。同時に、正反対の答えであるにも関わらず、理由は同じなのだとマヌエルは思った。
決定的に違う点があるとすれば前向きであるか、後ろ向きであるか、である。
「随分と本心をさらけ出して、こんな質問にま、真面目に答えてくれるんだね」
「良好な関係をこっちは望んでるからな」
嘘、ではないのだろう。だからこそ、マヌエルは目の前の男が少しだけ得体のしれない何かに見えた。それは砂嵐のように一瞬だけ姿がぼやけた瞬間に差し込まれたような少しだけ、である。
故にマヌエルはまだ今のジャンパオロの考えに、異質さの輪郭を捉えることが出来なかったのである。
「君は、ジャンパオロ・バルボは使命をし、信じるかい?」
「この世界に来る前なら真っ向から否定してたと思うで。でも、今はそうであって欲しくないと思ってる」
マヌエルはジャンパオロの真っ当な経験からの推測に思わず微笑む。
「良い答えだね。そしてぼ、僕はその岐路にいると考えてる」
話してしまおう。
何かのスイッチが入ったようにマヌエルの口は止まらなくなる。
「僕はひ、人を信じることが出来なかった」
もしも人を信じられないと日常会話の話題としてポロッと出てきたならば、その達観した様に諦める姿は中二病をこじらせた幼さすら滲み出てしまいそうな言い回しである。
しかし、マヌエルのそれは茶化されるつもりが一切ない、そう思っているという一つの事実としての言葉であり、その説明を淀みなく続けていく。
「べ、別に過去に人生観を変えてしまうほどのエピソードがあったわけじゃないんだ。じゃぁ、どうしてかと問われれば、ただ人は、他人は、自分以外は、信じるに足る要素が一つもな、ないと生きていく中でその知識だけが蓄積していったからだと、僕は思っていたんだ」
我ながら岐路に立っているからこそ中途半端にややこしい説明をしているなとマヌエルは思う。
「人は嘘をつくことがある。見栄を張るために自身を偽ることもあれば、せ、責任から逃れるために相手を貶めることもあるし、金品を手に入れるために騙すこともある。事件性の有無に関係なく常日頃からぼ、僕たちは先人たちの嘘にさらされ嘘があるということを知っていく。そして、そのう、嘘が無意味で、無価値で、決して誰かのた、ためにはならないと成長の過程を道徳やニュース、物語や教訓という数多の媒体から丁寧に丁寧に知って、ま、学んでいく。結果、これが使い方を学習する機会ともなり、嘘を自然とつくことが選択肢になってしまっている。この結果、嘘をついたことがない人間は存在せず、仮にいたとしても選択肢を抱えてしまっている。嘘という存在が消失しない限りに、人間は嘘をつくことが出来て信じるに足り得ないり、理由になるわけだ」
勢いそのままにマヌエルは次の例えを出す。
「人は対立することがある。君と僕がち、違うからそれは起こる。じゃぁ、な、何が違うのか。身体という器が違う。性も違えば、体重も身長も違う。そもそもDNAの0.1%というこ、越えられない壁があるから違うんだ。ほ、他にも記憶という記録も違う。生まれた場所、時代もさ、さることながらその記録をする視点が物理的にも感情的にもさ、差異が生まれるんだ。だから対立する。男だから、女のくせに、太っている、小さい。びょ、平等であるために不平等を強いて、主張を通すために区別と差別の境界を曖昧にする時点で対立が発生しないはずがない。それが対立と呼ぶにはあまり対となるものの主張の大きさがか、偏っていても起こってしまう頻度だ。これが器だけで語られる。じゃ、じゃ記録は? 記憶や思想というそもそものち、違いを構築し、それを土台にした個が趣味、文化、宗教、歴史はたまた倫理に死生観、立場に集団を独自にか、確立する。そ、それは自らが育んだ常識と言う名の偏見であり、都合のいい己の主張、正義の形成だ。当然、全てオリジナルなわけだから歯車が噛み合わない。すると、話し合えばいいと誰かは言うのかも知れない。でもそれは話し合いという名の自分のわかって欲しい内容の押し付けあいに他ならない。なぜなら、話し合わなければならないということは意見が食い違っていることがぜ、前提なんだ。だから歯車のズレや軋み、劣化に結局繋がってりょ、領域侵犯になる。それが記録が生む対立の正体だ。どれだけどちらかが善良であろうとも全人類が共通の記録を共有していることはありえない。この場合た、たちが悪いことがあるとすればグループを形成し対立の火種を大きくすることは容易だということかな。ちょっと逸れたけどつまり、そんな自分とは絶対的に器も記録も違い対立することが確実な自分でないもの、他人を、信じるには値しないと帰結するのは、不思議なことじゃな、ないと思わないかい? そう、人か人でないかでする話じゃない。自分かそうでないか、でだよ」
具体的な例は挙げず、抽象的な言葉で相手の裁量に任せるような説明。その事象にはそれしか無いのではないかと勘違いを誘発してしまいそうな極論の濁流を浴びせかけたという自覚もある。しかし、事実でもあり、自分が思い描く該当するケースを全て一度に伝えることが出来たと思っている。もちろん、これがいかに対立を生む押し付けであり、身勝手な考えであるかを理解した上で白々しくマヌエルは語っているのだ。
なぜなら、マヌエルは人を信じることができないという仮面を最初から被っていたであろうから。
「そう、僕はこれほどまでに最初から、何故か人を信じることが出来なかったんだ。信じられるとす、すれば僕自身か、僕と接点を持たずに死んでいく奴だけ、ってね」
自嘲で笑いを取るような芝居をいれる。
「でも、人を信じられない理由を明確にもっているからこそ、ぼ、僕は人を信じられる方法を思いつけたとも言える。それがい、今、だよ。全ての意思疎通が出来る存在を僕にすればいい。しかも個で集団となるんじゃない、集団が個になる、ここが絶対条件の発想だった。だからぼ、僕は自分を他者に複製、再現することにしたんだ」
◇◆◇◆
この内容以前に気になる話題を解決しておこうとタイミングの良さを鑑みてジャンパオロは両手の指先をトントンと軽く自身の胸に当てながら、喋っても?とマヌエルに主張した。それに対してマヌエルは右手を差し出し発言の許可を意思表示する。
それにコクコクと軽く顔を上下させるとジャンパオロは口を開いた。
「このままそっちの計画の話になりそうやったからその前に備考というか、まぁ追加で教えて欲しいことがあるんや」
マヌエルが少し首をかしげる。
なんとなく自分の性格を考えて嘘や対立の見解に対する揚げ足を取ってくるのだろうと身構えていただけに、若干拍子抜け、いや見当違いな質問を受けてこの反応をしたのではないかとジャンパオロは推測しつつ、目的の質問を口にした。
「想造が何なのか、その本質を教えてもらってもいいですかね?」
「本質?」
ジャンパオロにはマヌエルが敢えて真意をわからないフリをしていることが声質から判断できた。
「もしかして、試されてる? ……まぁええか」
聞きに徹していたから俺も喋りたかったという気持ちが表情を溢れさせる挑発的な態度と共にジャンパオロは続けた。
「多分、俺が説明を受けた創子というエネルギーは頭で理解していることを現実に反映することが出来て、知識次第で同じ想造でも質が変わってくるっていう話に嘘はないんやろうな。ただ、それだけじゃ説明できないことがある。これからあんたは当然の様に再現という想造を以前にあった出来事や状態、失ったものを、同じように再び生じさせること。または、以前にあった出来事や状態失ったものが、同じようなさまで再び起こること、っちゅー意味を俺が理解できていることを盾に進めていくつもりなんやろうけど」
意味をもたせるように一呼吸、ジャンパオロは間を開ける。
「それで説明するにはあまりに理解で説明がつかないと思うんよね」
補足していく。
「それを裏付ける、訳やないけどこの世界は知識の価値が高いって言うくせに、秘匿性、独占に頓着がない。いや、確かに表面上はあるんやろうけど、ところどころで見え隠れする脆弱性が気になってな。だからなのか、誰もが一般知識として培ってきたものだけで簡単に人を殺せる攻撃的な想造が出来る。もっと正確に言えば、土に何が含まれているか理解していなくても、ここにある空気中に含まれる正確な成分が判明していなくても、誰でも砂遊びをする様に、空気には酸素が含まれていて当然だから、だけで土の形を変えて、酸素濃度を調整して攻撃できる。つまりこう思ったんよ。本当なこの創子は理解していることではなく、確信した想像を現実に創造しているんじゃないかってな。だから当たり前を実行できるのは当たり前で不自然に思われることは当然ないというこの世界で教えられる常識が核心から遠ざけてるんやないかなって」
語りに集中していた故にあまり見ていなかったが楽しい、とジャンパオロに伝わりそうなぐらいマヌエルが立ち上がった赤子を見て微笑んでいるような顔をしている。この時マヌエルは確かにそんな気持ちだったという。自身が製作に関与した個体の中に、停滞し享受するだけではなく、こんなにも進む個体が生まれたのかと感じていたからだ。だからマヌエルは両手で握手するような形で拍手をしたのだという。
素晴らしいという感情を音に込めて丁寧に、丁寧に叩いていたのだ。
「か、確信した想像を現実に創造している、とてもいい表現だね。九分九厘その通りだよ」
ジャンパオロの言ったことはマヌエル自身が口にした通りほとんど正しかったようだ。では、どこが間違っているのか。
何が足りないのか。
「君の言う通り。ア、想造の本質は確信した想像力だ。つまり、事実を事実とするのは誰にでも出来る。でも、事実に反したことを事実と確信す、することはとても難しい、というかそもそも出来ないはず、なんだ。でも、できる人間がいる。そいつらは皆そ、想像力が豊かで、恐らく何かが欠落し、してる。頭のネジがきっと一本ではすまないぐらいに緩んでいるか、ブッ飛んでるか、脳みそをつ、貫いてる。ぼ、僕みたいにね。で、でもね。これはきっと、この人格を再現するというこ、ことはきっとぼ、僕じゃなくても出来ることだったんだ」
ふぅとマヌエルが一呼吸入れる。
「九分九厘のこ、答え合わせだね。つまり、創子は確信した想像を現実に創造してくれるエネルギーであるけど、ふ、不可能を可能にする万能性は持ち合わせていないんだ。例えば鉄を金に変えることは出来ないし、君を今すぐ目の前から存在しないものとして消す事はできない。時間軸を移動することも、それこそ死んだ人間が生き返る、なんてこともできない。だからこそ彩音はそ、それが出来る世界を創ってか、観測してデータとして手に入れたわけだし、ね」
「これは意図的に隠されている?」
「現状に対する意味だとか、意図的に伝えていない人もい、いるだろう。い、一方でき、聞かれていないから伝えていないだけの人やそうだと知らずに使っている人もいるだろうね。かくいう僕も本質は知らずにつ、使いこなしていた、他人から見ればネジの外れた側だったからね。そ、そういうものだと教わらなければ、知る余地もなかった、だろうね。まぁ、知れたことで先の使命にも繋がるキッカケにもな、なったんだけどね」
誰から教わったというジャンパオロは訴えかける視線をマヌエルに送る。
すると、それをわかったと言葉を挟んでからマヌエルは答える。
「断流会っていうひ、秘密結社みたいな組織に所属する時に教わったんだ」
「断流会?」
「み、道草の食べ過ぎで話が進まないけど、そ、外が落ち着くまで時間はきっとたっぷりあるだろうから話してもいいかな。さっきも言った通り自称ひ、秘密結社だ。目的は秤外戦力っていうこのせ、世界を崩壊へ導く六人のに、人間を止めるためこと、らしい。そ、そのために優秀な人間を見境なく勧誘してるみたいだ。だから、目的や志が同じやつもいれば、所属することでメリットがあるから、という人間もいる。ぼ、僕は後者だね」
「えぇ、あんたみたいな人が入りたくなるほどのメリットだ。俺も入りたいねぇ」
「予言書、だよ」
「……は?」
ここに来て何を言ってんだ?と明らかにオカルト的な内容に呆れと苛立ちの混じった声を出しながら思わず眉をひそめてしまったジャンパオロ。
「断片的な、それでいて当たってる予言書がある。だから世界の崩壊を止めるべく動けるし、ぼ、僕も彩音の実験に加担することを決めて……この状況までたどり着いたんだ」
それはその予言書がなければマヌエルは彩音に協力することもなく、ジャンパオロたちがそもそも生まれなかったという話になる。つまり、断流会は少なくともマヌエルにここまでの一連の出来事を発生させなければ世界の崩壊を阻止する起点に出来なかったということになる。
そして何より、予言書に書かれた状況が今ここにあるならばマヌエルのそれへの信頼は時間の経過と共に、今まさに最高潮に達しているということになる。
「だったら俺にその予言書を信頼させるって意味でこれから起こることを教えてくれたりはせーへん?」
興味はあった。
「まさか、僕もそ、そこまで馬鹿じゃないし、そもそもそこまでの義理がないよ。それにそ、組織に迷惑がかかる問題だからね、ぼ、僕の独断で流すわけにはいかないよ」
最もな言葉である。
だが、予言書と呼ばれるものを持っていること、加えて組員には世宝級に匹敵する人間が多く選ばれていること、という二つも貴重な情報を漏らしているだけに、忠誠を誓っていないのは言葉通りなのだろうということはわかった。
「それに僕はもっと僕が楽しくなる話がし、したいし、君もそれを望んでいたろう」
さもなければ話の続きは無くなるよ、と脅し文句が隠れているのは明白だった。同時にマヌエルはまだ上機嫌であることが伺えた。会話の主導権はどうしても握れない状況だった。ジャンパオロはどうしても知るためにマヌエルに言葉を尽くして語ってもらうしか無いのだ。だから寄り道はここで終わらせざるを得なくなった。とはいえ、ジャンパオロにはここへ来た時からある一つの企みガあるためまだこの話にも前向きに向き合えると腹の中では思っているのであるだが……。
◇◆◇◆
「わかったよ。わかった。ぜひ話してくださいよ、計画の過程を、全貌を。ぶっちゃけこっちからすれば想造だけでもありがたいんやから、本筋をまだ語ってくれるなら願ってもないですわ」
乗せるのが上手い、とマヌエルは思いながらも一方で、乗せられに行っている自身に酔っていることを自覚はしつつ、計画の話へ戻す。
「では、話を戻すよ。ぼ、僕が再現でこの状況になるようにどうやってきたか、の話だ。キッカケは突然だったんだ。雷に打たれたように物心ついた時から人が、他人が信用できない存在だとお、思っていた自分が高校生二年生になった時、ある一人の少女を見てこう思ったんだ」
始まりを口にする。
「好きだ、と」
他人を信用できないマヌエルが明確な矛盾を抱えたと自覚した瞬間でもあった。
「不思議、かい? でも生で食べられない野菜を調理すれば食べられるようになるみたいに、人を信じられない僕でも恋愛感情は最初からも、持ち合わせていたんだ。そう、これも最初から、だ」
そういえば、こんな自分の核心に迫るような生い立ちを他人に話すのは初めてだなとマヌエルは振り返る。研究や思想に関してはそれらしいことに触れて助力めいたことを乞うたことがあるが、それ以前の動機へ繋がる感情を詳らかに話した記憶はなかった。それだけ今が特別な時間であり、昂揚しっぱなしなのだろうと考えられた。一方で、ジャンパオロという自身に少しだけ似た何かを、自身をモデルとしていないことが確定している他者から感じ取ったからこそ話しているのではないだろうかと考えもする。それだけ今この瞬間の自身の行動は過去を振り返れば振り返るほど異質であるのだ。
もしここに何者かの意志が介在したことで誘発させられているのならばそれはそれで面白い実証となるのだが、恐らくこの話を全てジャンパオロにしてしまえば、そもそも自問自答という整理を終えることになりその面白い実証も必要なくなるのだろう。
「でも、し、信じられない僕が愛したいと思うことは無理だった。そもそも彼女にはすでに付き合っている人もいて、自分に振り返ることはないとわ、わかっていたからね。でもこの感情がまたいつ誰に対して再発するかはわからなかった。だから、それを解決するために唯一この世で信じられる自分を再現する方法を研究することを決めたんだ。そういう意味では、この出来事は僕が持っていた恋愛感情が、テレビの向こうや娯楽の世界の話ではなく、現実に結びつけて確かに存在する感情だと自覚できるいいけ、経験だったと思っているよ」
初恋の話を振り返り少しだけ恥ずかしくなり、マヌエルは照れ隠しのように顔を少し伏せながら慌てて補足した。
「あぁ、勘違いしないで欲しいのだけど、さっきも言った通りぼ、僕は彼女に好かれるためにこれを始めたわけじゃないんだ。あくまで他者への不信感を抱いたまま愛するために、愛されている状況を任意で作れる様にしておこう、と考えただけなんだ。この再現の利用方法に理解し難い気持ち悪さがあるかもしれないことは訂正しないけど、想い人に対する過度な偏執狂の様に捉えられるのは、す、少し侵害だからね」
チラリとジャンパオロの方に視線を戻すとそこには明らか様に、どうでもいい、どっちにしろ理解に苦しむ、といった鼻をピクピクさせ歯を見せるように口をワナワナとさせ不快感を顕にしていた。
そうだろう。恥ずかしいという感情を抱きつつも、そう思われることに実際のところは一切抵抗がない。自覚しているからだ。俯瞰して客観的に捉えたつもりでいながら、流されることなく問題があって問題ないと受け入れているのだ。そう、ジャンパオロがここに来てマヌエルに抱いた不気味さ、正しく間違っていることが平常である異質さがありありとした瞬間でもあったのだ。
だからこの羊に紛れるつもりのない羊はコロッと話題の本筋へ切り替えることも容易なのである。
「だから僕は僕という存在の認識からアプローチをは、始めたんだ。もう知っているだろうけど、僕の部下の研究というか、君たちがこの街で見た僕たちの人の認識に対する研究、哲学、心理学、情報工学は、その延長線上にあった分野分けしたものだよ。ま、まぁ、最初は自己の認識、であって他者の認識に手を出し始めたのは意外とつい最近のことなんだけど、ね。そう、最初は僕という存在を調べることから始めた。自分の人体からサンプルを取り出し構成物質の解析をした。日記のように人生という自身のロードマップを書き溜めた。さ、さらに自問自答、しゅ、周囲への主観的なアンケートで自分の考え方、思考を分析した。結果として自分の考えをこうしてペラペラと言語化出来ているのだと思う。つ、伝えやすいかは置いといてね。そして、自己の理解は自己の再現へとつ、繋がっていった。その副産物で生まれたのがき、君が僕と最初にあった時に見た医療行為への応用、だ。人体の構造の理解が繋がったわけだね。そのままその功績で、僕はせ、世宝級に選ばれ、実験場を手に入れるところにまで来たんだ。でも、ここで一番重要だったのは僕が僕自身を理解した、識り尽くしたと確信したことにあったんだと今話すならそう思うよ。自信をつけるなんてことをめ、目指したわけではなかったのだけれど、この揺るぎない研究に裏付けられた妄信的な自己分析という自信が、君が違和感を覚えるほどの想造、再現を可能にしたんだからね」
今も揺らぐことのない、自分という存在への信頼。今までならば不信感も含んだ上での信頼であったが、それも今はないと思えば、ようやくここまで来たのか、と自分が今手に入れた研究成果をしみじみと思う時間すらなかったと、この説明の中で実感を沸かすことが出来た。同時に、不信感を含んだ上で信頼していたという自己矛盾を抱えてここにこぎつけられたこともまた、使命を感じるものだと改めた上で振り返る。
その話題ももう少ししたら切り出すことになる、とこの一瞬で思いながらマヌエルはさらに説明を続けるべく口を再び動かし始めた。
「何を説明している時にほ、補足をしたくなると本筋から少しずつズレた上にちょ、長尺になるのは、もはやお決まりなのかも知れないね。実験場のは、話をしよう。自己の認識を研究している時ももちろん、他者の認識についてもか、考えていた。そのサンプルを獲得するため、そして何より自分を再現するためにひ、必要な被検体の確保、それが実験場の意味するところだよ」
◇◆◇◆
なるほど、とジャンパオロはオスムという街の構造にここで納得がいった。オスムを囲む高い城壁は決して外部からの攻撃から住民を守るという本来の用途に沿って建造されたものではないということである。では、何のために建造されたのか。柵である。一つは外部へ逃走するのを未然に防ぐという柵と聞いた時に真っ先に思い浮かぶ機能としてだろう。そのために人専用に関所が構えられた上に、城壁の上に内側を向いた監視カメラが多く設置されていたのだ。
もう一つは外部から隔離するため、である。外から中の異常を悟らせないという役割。異常を突き止めるためには中に入ることが必要であり、結果中に入った人間を逃さない。さらに外から視覚的情報を制限し、異常を察知する感覚を鈍化し、機会を現象させる。テレビや電話、はたまたネットという情報がある社会でも、物理的にそういった処置を施せば真綿を締めるようにジワジワと人は退化するのである。
実に合理的、ジャンパオロは目の前の男が当時から本気で向き合っていたことをここから肌で感じるのだった。
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「そこからは早かった。サンプル、被検体は馬鹿みたいにあったから、ね。まず、ぼ、僕という人間の一部本質がわかるような行動を近しい人に観測させていく。その被検体に僕という人間を植え付ける取っ掛かりをマーキングするためだ。どうして本質をって思ったろう? 理由は簡単さ、初めての実験だからね。インパクト、そう強烈に僕を被験体の脳裏に焼けつけさせたほうが、僕もその取っ掛かりを探知しやすいとお、思ったんだ。だからエーヴェたちにはこの街に来てから実に奇異で不信感を募らせた視線をも、もらうことになった。何せ彼らは研究の助手、弟子として募集した段階で少なくとも医療技術の最高峰のもとでその医療としての再現をま、学ぶつもりでここに来た人材、だからね。とても扱いやすい被検体だった」
弟子だった三人の顔を思い浮かべる。彼らを選んだのにも当然理由がある。誰でもよかったということはなく二つの採用理由があった。
一つはマヌエルに興味を持っていたから、である。重要なことは好意や悪意という指標は必要ないということである。とにかく意欲的にマヌエルという人間と接点を持ち続けられる人間を選んだのだ。媚を売られてもよし、その後不信感を持たれてもよし、なぜならマヌエルという人間を見ている、からである。
もう一つはサンプルの質を分散させることであった。端的に言えば、性別を始め、学力、性格、それらが似通ったサンプルで固めたくはなかったのである。なぜか。それはどれだけ人間性にばらつきがあってもマヌエルを再現できるという確証が欲しかったからである。マヌエルを再現する器の中身には大前提として前任者の中身が入ったままである。これを抜き取る、またはなかったものにするという考えもあったが、一度機能を停止した人体、つまり植物人間または死体の様な存在にマヌエル自身を再現することはすでに確認済みだったのである。当時、生体でやるよりもリスクが低いという理由で試みて失敗を経験済みだった訳だが、今にして思えば、それはマヌエルにその時までに生き返るという発想が存在せず、確信という点において機能不全を起こしていたのかもしれない。話を少し戻し、ではなぜ中身にばらつきを大きく持たせたのかという話に戻る。その理由は中身にマヌエルを再現させるということは形式として上書きもしくは溶け入れさせる手法となるわけで、元個体の中身にどれだけ左右されたものが生まれるか把握しておきたいと考えたからだ。
つまり、マヌエルを再現したはずなのに再現しきれなかったマヌエルが生まれた時になぜ生まれたのかのサンプルを揃えておきたいと考えたのだ。
「そして僕はこのま、街に来て二年目で初めて生体に対して実験をしたんだ」
自然と笑みが溢れる。
「誤差が生じないようにあの日は三人同時に施したんだ。今日は再現しようとした時の三人の脳波を計測と伝えてぼ、僕の研究室に呼んだんだ。日差しの強いひ、日だった。今でも鮮明に覚えているよ。ここにいる彼のように僕が用意した機械に、それが研修の一環だと疑わずに繋がれて……ハッ、ハハッ。僕を記録し続けた装置による円滑なサポートの元、僕は彼らの中に僕を再現したんだ。想造は一瞬、だった。表情を変えることな、なく処置を終えたとい、言う間もなく三人は繋がれた機器を自分から取り外したんだ。そして、予め僕を再現した時に発することを決めていた合言葉を三人同時に。聞いたんだ。そうこの時点で成功したんだ、僕の記憶は、確実に引き継がれていると分かった瞬間だったんだ。だからこそ取り急ぎ僕は僕にヒアリングを実施しながら僕が記録した記憶と比較した」
何かを見た時、感じた時の脳波、ニューロン間の電気信号を記録したものを再現させる。シーザー暗号を想像すれば相互性から再現が出来ることは想像しやすいだろう。
それを実際にやってのけることが出来るかは本人の努力と資質に依存するところではあるが、結論としてマヌエルは自己の再現という人の認識を十二分に探求することで才覚と合わせてそれをすでに満たす存在だったのだ。
「その時の結論はこ、こうだ。紛れもなく目の前にいるのは実験を開始した瞬間のぼ、僕であり、すでに僕の知らない僕という他人である、と。それは彼らが彼らの中身の記録を持っていたという点でも別物だったけど、一番は、記録が実験成功の瞬間からこ、異なっていることに気づいてしまった、点だ。そう、これは信用できないという点において信用できる僕になり、目の前の僕にとっても僕は同様のそ、存在になったんだ。もちろん、再度記録を上書きすれば記憶の更新は出来る。で、でもリアルタイムに僕である僕を増やすことは出来ないことがわかってしまった。一方で、本来の中身の記憶をぼ、僕の記憶で焼き尽くすことも取り出すことも出来るとすぐにわ、わかった。だからある程度成りすますことは取り出した記憶を一度僕が検閲してからその僕でう、再度再現した僕に上書きすることで解決することができたんだ。それがあの軍人たちの言っていた、そして君が追っていた洗脳されたと思わされた人間のしょ、正体でもある。そんなメリットとデメリットがわかった中でデメリットが顔を覗かせるのはぼ、僕の想像よりも多分は、早かったと思う。実はまだか、確認が出来てなくてね。ただ今回のけ、結果が、レイノルズさんの決断の遅さがそれを証明しているのだと思う……と、この話をするのはも、もう少し先だったかな。いや、むしろしない方が少しだけ僕に人間味をもたられていいかもしれない。とまぁ、ここから僕の研究は停滞の一途をた、辿るんだ。使える手足は再現することで充実していくのに、だよ。僕は増やし続けているのにだ。皮肉だよね」
ハハッと乾いた笑いをマヌエルは挟む。
「そんな時だよ、僕の初恋の人が未亡人になったことを知ったのと、断流会が接触してきたのは。……まずは僕の初恋の人が未亡人になったことを話そうか。そう、彼女は夫を交通事故で亡くしたんだ。一つ、前もって言っておくとぼ、僕が初恋の人欲しさに自己を装って殺した、なんて野暮な真似はしてないよ。本当に不慮の事故でこの街のそ、外で亡くなったんだ。でも彼女にとっての不幸はそれじゃなかった。彼女にとっての不幸は……その事故でもう一人、彼女の知らない女性が死んでいたことだったんだ。ふ、不倫さ。狭い街だよ。おしどり夫婦で通っていたはずなのにしゅ、周囲の目は突然冷ややかでど、同情めいたものとなり、話題にな、なったんだ。結果、彼女は外部から距離を取るようにい、家に閉じこもり心身を徐々に衰弱させていった。そして、そんな彼女の診療をぼ、僕は担当することになる。同時に新たな試みをするべく一つの提案をしたんだ」
続けて、というジャンパオロの視線が来る。
長々としたお喋りを本来なら遮ってきそうなところ、こちらの情報を聞き出すために一切そういった行動を行ってこないジャンパオロにそれだけこの件で何かを図りたいのだろうとマヌエルは思いながら続ける。
「記憶の部分的な抹消だ。そう、研究に行き詰まっていた僕はこ、ここで選択肢を増やすために彼女にこれを提案したんだ。ヒアリングによるカウンセリングやあ、暗示による催眠療法ではない。き、記憶を風化させたり、押し込めるのとは違い、原因をか、確実に取り除く。そしてこの治療に成功した暁には彼女をこ、この街から出して上げれば周囲の目も気にしなくて良くなる、と伝えたんだ。そうしたらもちろんやり方によるってこ、答えたよ。当然さ、記憶を無くせる、なんて胡散臭さの塊だから、ね。だから僕はこう答えた。記録を正確に記憶として僕が認識するために、一度僕という人格を彼女の中に入れて共有し、その共有した僕と僕を同期して、外部に出力できる形にする、とね。次の瞬間、人体実験に加えて人格の移植というじ、自己の消失の可能性、そして何よりた、他人に全てを一度見られるかも知れないという不信感からの拒絶、いや恐怖が彼女の表情から読み取れたよ。僕は、確かに治す、という一点にいては善意だったにも関わらず、だよ。そ、その善意は信用たり得なかった。僕の一目惚れをした彼女も、優しさに溢れているように見えた彼女も、人をう、疑うんだと実感できたよ。いや、初恋に加えて、当時はまだ精神的にどうしても未発達な部分もあったのかな、彼女をぼ、僕自身が美化していたのかも知れない。だから、ぼ、僕は彼女の承諾を得ずに、気絶させた後、口述した内容を、じ、実施したんだ。だって、こんなことを話しておいて外部に漏れでもしたら僕の研究の真髄が露見するかも知れないだろう? す、少なくとも僕の再現が人格を複製するのに、記憶に関与できることは公表されていないことだから、ね。それに何度でも言うけどぼ、僕は僕以外を信用できない。きっと彼女は口外しないでくれと言えば約束は守るひ、人だと思う。でもそれでも彼女は守ったつもりで口外するかもし、しれないんだ。誰にも口外してはいけないのに、自分の信用できる人に、こ、口外するんだ。ふ、不思議だよね。自分が信用する人は口外しないと思って話してし、しまうんだ。口外しないと約束したのに話した自分が信じている程度の人が、ね。あくまで仮定の話だけど、ふと思い当たったりするだろう。……話がまたそれたね。そして、僕は初めて僕ともう一人の人格、意識が同居した存在を創ることにせ、成功したんだ。不思議だったよ。身体を動かす意思決定、思考、全てが二人分で機能する。それは肉体にとって耐え難い負荷らしくね。認識から昇華するまでのしょ、処理速度が二人分で上がってそれに酔う。一方で蓄積される二倍の情報を破棄する手段を持ちあ、合わせていないから負荷がかかり続ける、というわけだ。だから実験はき、気絶をさせて無意識下と覚醒の時間差をもって根気強くく、繰り返した。そして、ぼ、僕はか、彼女を手に入れたんだ。無理やり被験体にしたぼ、僕を拒絶するか、彼女を。同時に、作った人格の操作、つまり当初の目的である記録の切り取りにもせ、成功したよ。それは、僕が彼女にこの実験を行ったことを忘却していたことで証明された。だから僕は彼女を機械に、四年前の彼女を隔離して、彼女の中に彼女を消してぼ、僕を入れた。それが、僕の妻、君の知るメイだよ」
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正しく間違う。自己中心的な狂人と単調に表現してしまうことがはばかられる程に気の触れた人間であることが口を開けば開くほど如実に浮き彫りになっていく。マヌエルの発言が鼓膜を通過する度に、ジャンパオロは自身が普通の人間、良識のある悪党であることを自覚させられる様な気分に陥った。鋼女がマヌエルのことをアリスの保護者の様だと言われた時、正面から否定することは出来なかった。利用価値があるという理由以外に確かに気を遣っていた。ジャンパオロは他人を思った上で自身の利益を追求せずにブレーキをかけることが出来るのである。しかし、マヌエルは当然の様に自分のためにアクセルをベタ踏みする。踏んだ脚を上げること無く、道に関係なく突き進む。その結果が相手のことを想っているにも関わらず、実験を行えてしまうのだ。生涯ただ一人の好きになった人を救いたいとその生涯ただ一人の好きになった人を人体実験の被験体にしたい、そして生涯ただ一人の好きな人が生涯ただ一人の好きな人である必要がないは決して同居しない感情である。
だからこそ、自分にないものを見てジャンパオロは恐怖と同等の渇望を指数関数的にマヌエルに見出す。それがこの世界で自身がより羽ばたく原動力になると信じて。
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「さて、お待たせしたね。想造に関する質問の時にも答えた、次は断流会とのせ、接触した時のを語ろうかな。お察しの通り、じ、実にタイミングよく、まるで僕が他人の記録を、記憶を一つの形に留めておくことが出来る様になるのを待っていたかのようにか、彼は来たんだ。断流会という組織を作ったと自己紹介してきた彼は名前を名乗る代わりにさっき言ったよ、予言書の内容を突然浴びせる様に語ってきた。それは今日に至るまでの僕が外部にこ、公開したことのない研究成果と今現在行き詰まっているという状況を、ね。恐らく予言書、の信憑性を高めるため、に僕以外が知り得ない情報を知っている、ということで信頼を得ようとしたんだね。実際、僕は内通者や情報漏洩を疑うより前に、予言書がホンモノなのかという考えがよ、よぎってしまったからね。その後知られているという事実から雑貨屋という都市伝説を思い出し、そ、そこから緩やかに疑いの目を向けることをお、思い出したのさ。だって普通に考えればありえない、からね。ただ、そこから先で語られた内容は信じてみてもいいかも、と思えるものだった。箱庭の存在、だね。世宝級である花牟礼ときょ、協力することで完成するそれは、ぼ、僕たちの世界で想造を成功させるための世界だと言った。平たく言えば逆輸入出来る世界だ。その話を花牟礼が持ってくることで僕の研究が前に進むと言ったんだ」
もちろん、という前フリのような表情を一拍。
「今、君はこう思っただろう。ぼ、僕みたいな人間がそんな夢物語を、研究に行き詰まったから藁にもすがる思いで手を出すのはいかがなものかと、ね。その感性は正しい。行き詰まった研究が進展するなら、と淡い気持ちがなかった、とはい、言わないよ。でも信じたんだ。正直、この先世界が未曾有の自然災害によって滅びへ向かうこと、なんていうのはどうでも良かった。ただね、彼の語るこれからぼ、僕がするべきことが、あまりにも荒唐無稽な話であるにも関わらずしっかりと道になっていたんだ。僕が、僕を創るために個でありながら集となろうとしてること、そのために花牟礼の実験に加担すること、すると箱庭崩壊と共にチャフキンというプラナリアの合成人にしてはあまりにも僕の望む形態を持つ人間がここに来ること、がだ。……疑うよりも不思議と試してみてもいいかという気持ちが勝ったんだ。嘘でもいい、本当ならも、儲けもの、そんな気持ちにさせられたんだ。だからこそ、き、聞いてみたかった質問があってね、僕は彼にこう尋ねたんだ」
マヌエルはコツコツと側頭部を右手人差し指で二回叩く。
「どうして、そんなに前から知っていることがあるのに、それをく、駆使して、みなで共有して解決出来てないのか? そしたら、彼はこう答えたんだ。出発地点と目的地が同じでも移動手段がか、変えられる様に、過程の揺らぎを一切受け付けない地点が存在すると答えた。でも阻止できる見込みがあ、あるから僕を仲間にしているんだろう? だったら僕が必要なら先に阻止したい結末をお、教えてくれてもいいんじゃないかい? と意地悪したら、彼、笑ってこう答えたんだよ。その時はその時でなんとかするよって。ここでぼ、僕は確信したよ。きっと彼は僕の話すことが、接点を持つことが目的なのだと。仲間の誰とも予言書を共有していない。そもそも……いや、これを僕が口にしてしまうのは流石に無粋かな。だから、君の想像で保管してよ。……さて、そう、僕が確信した話だね。だから核心をついてみた話。予言書なんてないんだろう? ってね。す、すると彼は僕の質問の意図することを理解したのか、首を大きく縦にふ、振ったんだ。だからより信じてみてもいいと思えた。自分の悦のために動いていることがわかる人間ほど、その間だけは信用できるとは、よくいったものだろう」
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恐らく、マヌエルはジャンパオロが陰謀などを紐解くことに惹かれるものがあることを理解して言葉を選んでいる。だから、彼と呼ばれる断流会創設者の、ボスがどういった存在で何をしたいのか、全てジャンパオロに委ねてくるのだ。そもそも、今回のマヌエルの騒動に直接関係ない話という意味では、語らる必要のないことではあるが、ジャンパオロは今その蛇足にマヌエルの想像通り心をトキメかせ、踊っていた。
断流会は恐らく、世界の滅亡を阻止することを目的に創られた組織ではない。個人の欲を満たすために創られた、明らかに陰謀を撒き散らす側の組織である。それはジャンパオロが所属していたバトラー率いるプロタガネス王国を知った時の高揚感が確かにあった。だからこそジャンパオロはこのワクワクしそうな自身の中で想像するおとぎの様な断流会創設者の設定に期待するのである。予言書は単なる私的な設計図でしかなく、そして……。
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「だから断流会に入ったんだ。まぁ、今はほとんど名前だけ貸してるというか、強制的な招集もないから幽霊部員というか、ぶ、ぶっちゃけ組織の人とは彼以外とはまともに顔もあ、合わせたことは無いんだよね。後は、前話した通り。花牟礼君が彼の言う通りここへ来た。死者の蘇生をするために、ぼ、僕の研究である認知、人格のデータが欲しいってね。一応、どうやって僕の研究内容を知ったのか尋ねたら、こっちは雑貨屋経由だったよ。と、都市伝説は怖いと思ったよ。いや、雑貨屋こそ断流会の彼なんじゃないかとその時は思ったし、今でも思ったりしてるよ。まぁ、花牟礼さんは彼のことも断流会のことも知らないと言っていたけどね。そこで僕は、け、研究に強力する見返りを聞いた。そうしたら、欲しい結果の仮説、過程はたまたそうなって欲しいという妄想を無理やりにでも作ってみろとい、言われたんだ。だから僕はチャフキンという存在を紛れ込ませたんだ。だって、僕は知っていたからね。彼の言うことが本当ならチャフキンはここに顕現する、ということがね。その後は僕の再現知識で箱庭というこの世界と似たものを作ったんだ」
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「新人類の成りすましも……あんたの作品だったりするんかい?」
意図的に創られた生物。新人類はトラウマのような出来事に黒い粉が干渉することでそれに見合った異能を発現する。これはジャンパオロが知っている新人類である。しかし、これはこの世界においては用意されたトラウマに沿った異能を異能として発言させることに成功した、と言い換えることも出来るのである。
故に手のひらの上で踊らされているような気分を色濃く感じさせられながらジャンパオロは改めて一つの疑問をぶつけるための下準備となる質問をマヌエルにぶつけていた。
「次点に花牟礼君にバレないようによ、用意していたもの、ではあるね」
マヌエルはジャンパオロの質問に嬉しそうに回答した。
それは発表した研究内容に対して意図した有意義な質問を投げかけられた時の研究者のよう
な表情であった。
「どうしてそれがお前にとってのサブプランやったんや。見た目、器の違いを解消した上で記録、記憶の同期も出来る、新人類の、成りすましの中でも特異と呼ばれるアレこそが、お前の求めるものだったんとちゃうんか? そしてクローンみたいに揃えてから中身に入るべきなんとちゃうんか?」
パチパチパチと拍手が響く。
「実にいいし、指摘だね。もしもこれが他者に干渉できる力にな、なっていればメインプランになっていただろうから。でもね、出来なかったんだ。だからサブプラン止まりなんだよね。り、理由も簡単だ。僕らに、人間には出来ないんだよ。生物が別のモノになるという感覚を持ち合わせることが、ね。それが視覚的に捉えられる故に、出来ないんだ。石がカエルに見えても生きたカエルと区別できるように、サルが人間になれないように、人間はその人間としての見た目以上、以下には変質することがで、出来ないんだ。少なくとも僕は出来る人間を知らない。出来たとしてもそれはそのモノの持つ特性の延長線上かそれで構成されていると認識されているものだけだろう、ね。だから人間は構造がわかったら一からその身体をクローンとして作ることは出来ても他人から組み替えることは出来なかったし、現状記録を改ざんするよりコストが掛かりすぎる未知の領域だったわけだ。だから、僕はボチャロフを取ったわけだね」
何でも出来るんじゃねぇと思わされる一方で観念というものがそれを不可能にしているというか、出来ること出来ないことが別の所で取捨選択されているような感覚を持ち出された気もするが、今のジャンパオロにはそこから更に何を問えばいいかはわからなかった。
だからジャンパオロは話を先へ進めた。
「なるほど、ね。それじゃぁ、そろそろあんたの考えをまとめてもらおうかな。そういう時間なんだろう、こっちも聞けることが限られてるしな」
マヌエルが良き司会進行を見つけたように満足気にほほえみながら口を開くのだった。
◇◆◇◆
「それじゃぁ、ここまで僕がな、長々と話した話は一体何だったのか」
雰囲気に酔いながらマヌエルは自身が持つ一つの可能性の話を始める。
「それはぼ、僕が何をしたかったのか、ということを君に知ってもらうための話だったわけだよ、ね? 僕もいろいろなことを振り返る、思い返すこ、ことの出来る有意義な時間だったよ。ただ、本当に君にしたことは僕のしたことを話すことだった」
うまく言葉にまとめられない。
そういった不明瞭なことに自分は焦点を当てているのだと言い聞かせる。
「話をも、戻そう。僕が君からの催促を受けて最初に言った言葉まで、ね。君は愛したいですか? そ、それとも愛されたいですか? 僕は自分が信じられる環境をつ、作るためだけにこの言葉で言う、愛されたいがために自作自演を完璧にやろうとした。そう、自分以外の人間は物心ついた時から他人以外の何物でもなく、信じるに足りない存在だと思っていたからだね。そして、その解決のために僕はここまでの人生をあ、歩んできたんだ」
核心を言葉にする。
「おかしい、と思わないかい?」
同意を求めた先にある表情は、何が?とはなっていなかった。マヌエルの意図を汲み取ろうとしているような、ふと直近でマヌエルが言わんとしていることを感じ取った気がするのを思い出そうとしているような、そんな表情をジャンパオロはしていた。
いやしている様に見えるような熱い期待を自身が寄せているのだと思った。
「こんなことをどうしてする必要があったのか、と。僕たち人間は諦め、いや我慢というべきかな、人間らしい特性を持っている。だから、いくら愛されたいからと言って他人を信じることが出来ない僕が、その人間らしさをかなぐり捨ててまで納得の行く愛され方のしゅ、手段として自己増殖をするというのはあまりに常軌を逸脱している、ということだよ。少なくとも、ぼ、僕の求める愛されたいは他人からであって、僕からじゃない。そう、これはどこまで行っても突き詰めれば叶わない滑稽極まりない願望を無理やり形にして納得していこうとするぼ、僕の奇行でしか無い。きっと、君は僕という人間をこう評価していないかい? 正しく間違う理性を併せ持つ狂人、だと。ぼ、僕自身で言うととても寒いかもしれないけど、それはこの世界の誰から見ても正しい評価だ。でもね、僕という人間を知れば知るほど、その正しいは間違いだとも思わないかい? ではなぜ正しく間違える僕は正しいのに間違っているのか。言葉がゲシュタルト崩壊でもしそうかい? それとも相反する言葉を交えて深みを出す演出を脳が麻薬だと言っているかい? ま、まぁ、そうであったにしろなかったにしろこの言葉遊びをそのままにさらに一つ、僕の考えを語るためのは、話を追加しよう」
ここまで来た。ついにマヌエルは岐路ではなく一つの道を決定づけてしまうかも知れないその瞬間を言葉にしようとしている。ここまで長かった。自分と似たような結論に自身の力だけで到達した人間のサンプリングはすでに済ませている。故にここへ来ることは不可能ではないとわかった時から、一人の研究者としての到達点だった。自身の再現の研究はもちろん疑いようのない、望んでやったことであるとしても、この研究は客観的に見て通過点なのである。
だからといって終わることはないのだが。
「箱庭だよ。この世界が創られたという事実が、そのまま合わせ鏡のようにあるべき可能性を提示していたんだ。どういう意味かって? いや、わざと大きな声を出して君のし、思考に割り込んだ演出をしてみたかっただけさ。だって、僕よりも君の方がピンと来るものがあるんじゃないのかな? 敢えて僕の方が君に、この結論を感覚的に劣っていると言うならば、まさにその一点しかない。このせ、世界もまた創られた世界、箱庭みたいなも、ものじゃないかって話だよ。だって、そうだろう。花牟礼君が持ってきた箱庭の原型、知識、そのものにこの世界の創子で説明できないものがな、なかったかい? そう、恐らく箱庭はこの世界だけでは作れない。つまり、この世界とは別にまだ他に世界があって、干渉されているんだよ。さっきも言ったろう、合わせ鏡だって。少なくとも箱庭とこの世界という世界が二つ存在するんだ。何も、不思議はないさ。か、仮に花牟礼君が、僕が想像する以上に知識を携え想造が使えるとしても、箱庭という世界が深淵の向こう側のようにこの世界がそうであることをつ、告げている、と思うわけだよ。そして、その可能性が、僕という狂人を踏まえて、ここまで続くダラダラと長いぼ、僕自身に一切のメリットの無いはずの語りが、誰かのために必要な補足として、いや、僕以外のだ、第三者に知られていないと面白くないという理由だけで君を通して語らさせられていると、ぼ、僕は疑っていないんだよ。まるで誰かにそうするように創られて、その一挙手一投足を見られているような感覚。脚本家に舞台を見られているような感覚だね」
言葉にすると実に滑稽で、間違っていないものと確信できる何かがマヌエルの中にはあった。
「君は、ジャンパオロ・バルボは使命をし、信じるかい?」
同じ言葉を口にするが今度は湧き上がる喜びを隠しきれずに全力で乗せる。
「ぼ、僕は信じる。世界の意思、いや、何者かによる筆跡を僕は信じるのさ。世界の歪さに流されたラクラン・ロビンソンの様に、後悔だけはしないように、その上で抗いながら従い続ける。命令に従うなという命令に従うように。あぁ、気分がいいよ。最高だよ。こ、言葉に出来てしまった。稚拙で幼稚で理解してもらうにはとうてい乱暴な言葉か、かもしれないけど今ここに、世界に残してしまったんだ。あぁ、じ、実に」
マヌエルは満たされていた。未だ乾きはあるにも関わらず満たされていた。
だからこそ実に、実に、実に。
「信じるに値しない妄想だ」
信じることを使命にされたと宣った人間の最大級の賛美。
ハイライトのない瞳で笑みを浮かべたそれはジャンパオロからすれば美しく汚れた存在だった。
「それに怯えるのもまた一興、だね」
しかし、その視線はジャンパオロには向けられていなかった。語っていた相手に向けられた言葉ではないとでも言いたいように。こうして、マヌエルは世界の歪さを語る四人目の、この世界で現存する人間となったのであった。