第百十三筆:集った精鋭は舞台を踊る
イーシャことアンナにとってこの世界はジャンパオロ同様、適した環境だった。なにほぼ非戦闘員だったアンナが自身の持ち前の知識を活かして戦闘を行えるからだ。
そう、アンナは異人でありながら想造を使える側の人間だったのだ。
「なんつータイミングで援軍到着だよ。こっちのタイミングが読まれてた? いや……」
何か見落としていたことを思い出したようにヒリヒオが笑った。少し後ろにいるリディアも同様に、楽しそうに笑っていた。その不気味な光景は数で勝っているはずのアンナたちの心に不安を焚べる。その不安を少しでも和らげるようにアンナは第一陣をきる。それはリディアたちの背後に城壁と同じ高さはあろう壁を道幅いっぱいに作ることだった。
理由は二つ。一つは有効ではないにしろ多少の逃走経路の封鎖。
そして、もう一つは住民への被害を抑制、凄惨になるかもしれない現場を見せないための配慮であった。
「人数で勝ってるという余裕から? それとも善良な心から来るあなたという人間の本質なのかしら。でも安心して」
何を、という疑問の答えはアンナの想造を食い破るように姿を見せる。人である。
ついさっき視界に捕らえた人、明らかにこちらの騒ぎを野次馬のように見て驚き、騒ぎ、避難していた人、アンナがケアした被害を抑えるべき対象である住民の一部が壁を破壊してなだれ込んできたのだ。
「人数は勝ってるし、この街の住人もある程度こちら側なのよ。だから、安心して異人も変異種も私たちのモルモットになってくださいね」
「やはり、お前たち俺たちの、仲間を使って何かしておったか」
「ハハハッ、成果の一部でも確かめに行かせてやろうか? どこのを確かめたい?」
「……っさまらぁ」
キヨタツの怒りの声とリディアの煽る声が響き渡る。そんな中アンナは冷静にリュドミューラから聞いていた最悪が目の前に現れたことを理解する。メレンチーたちがここに来た目的は洗脳された親しい人々の解放。その実験をこの街の医療という現場で行われていたこと。それは外部問わず、内部でも行われており、内部で集められるデータに満足したから大掛かりな拡張を、外部の人間に実験を施すように成ったのではということである。
そして、この街の大多数がすでに洗脳下に収められているならば、逃亡したケースを見つけられないのは至極当然だと、ジャンパオロ同様、最悪の想定ではなく最悪の結論、答えとして受け取ることになったのだ。一瞬にして逆転した形成はさらに逆転したことになる。アンナ側の異人で想像を使えるのが確認できているのはアンナとリュドミューラ。変異種はみな使えるとのことだが、戦闘という面で評価できると事前に聞いているのはキヨタツと他二人であり、戦闘に関しては自信を持ちえない異人(アウトサイダ―)側を考慮すれば、数だけが唯一の優勢部分だっただけに本来であれば逃走を選択するべき状況が差し迫っていた。しかし、仲間を実験動物のように扱われたかもしれない、その怒りから突撃を始めてしまっている我を忘れた変異種をどうやれば止めることが出来るか、アンナには力づくをするには力が足らず、静止する声は届かないことが直感的にわかってしまっていた。
ズドオォオオン。それは明らかに質量の重いものが高所から落ちた時の音だった。眼の前の敵しか眼中になかったはずのリディアたちと変異種のキヨタツたち、そして、いかにこの場から撤退するか、出来ない場合どうやって打開するか、その考えで頭がいっぱいになっていたアンナも、全員がその音のする方を確認するために足を止めた。それだけの轟音が一体に響き渡り、その音が落ちてきたものにしては異質だと誰もが直感したのだ。
そんなこの瞬間、大衆の注目となった何かは立ち込める砂煙の中からゆっくりと影を実体へ移す。
「何か起こってるだろうとは思ってたけど、随分と賑やかじゃないか」
顔は深く被ったフードで見えない。
しかし、深く被ったフードで素顔を隠しているという情報からアンナはその存在が何者か知っていた。
「君たち、というかそこのマヌエルの弟子二人は、この状況からエーヴェの計画に加担してるって認識で問題ないってところかな」
コキッコキッと左右に交互に傾ける首の音が臨戦態勢をこれ見よがしにアピールする。
「まぁ、間違ってたとしても私はキヨタツさんたちの味方だけどね」
都市伝説、鋼女の登場である。
「俺もいるよ」
アンナが想造した壁の上にはいつの間にルドルもいるのだった。
◇◆◇◆
宿屋で待機していた鋼女はルームサービスはどうかという店主の対応を終えた後、城壁の外からくる多数の見覚えのある気配に気づく。
「……ルドルさん、このタイミングでキヨタツさんが来るとしたらどういう事態だと思う?」
ルドルはベッドから状態を起こす。
「そうだなぁ。こっちから何か伝えたわけじゃないから、拠点で何かあったか、異人側のあの奇妙な力で連絡がいったかで、どのみち何か事態が動いて駆けつけた、つけてるってところじゃないか? というかその言い方だとキヨタツさん、こっちに向かってるのか?」
「多分、ね。確認してこようと思うけどルドルさんはどうする?」
ルドルはゆっくりとベッドから立ち上がる。
「確認だ? お前のその探知能力? 直観は疑っちゃいない。もしもに備えて俺も行く。大体ちょっと怪我人扱いが丁重すぎるんだ。もう動けるよ」
そう言ってルドルは力こぶを作って自身が快復していることを鋼女にアピールする。
「そう。なら準備ができたらちょっと行ってみようか」
その数分後があの劇的な登場シーンであったのだ。
◇◆◇◆
「宿屋にいたっていう女だな。随分と早いご到着じゃないか。てか、何者だよ。変異種に肩入れするってことはそっち側かい?」
ヒリヒオの問いかけには一切答えず、鋼女はゆっくりと歩みを進めながら間合いを詰めていく。そんな無視されたヒリヒオにもわかることがある。それはこの場で最も強いのが恐らく今来た、ヒリヒオが煽った人間であるということである。何一つ根拠という根拠はない。それでも一定の強者が放つ危うさというものを近づいてくる人間から感じ取ったのだ。だからこそ、素体として欲しい、そう思うのも然り、だった。故にヒリヒオの迎え撃つべく走り出したのは、本人にとって無謀ではなく、掴みに行く行動だった。
一呼吸。走り出すために吸った大きな一息で肺が凍った様にヒリヒオは感じていた。そしてこれはあながち間違いではない。正確には凍った空気を肺に多く取り込んだせいで凍ったように感じるほど痛かったのである。しかし、その現象に対して痛いという結果以上に原因を考える時間はヒリヒオには用意されていない。眼の前に忽然と現れた火球、それを消火するために周囲の空気の二酸化炭素濃度を上げつつ、水蒸気を火球にぶつけるための水へと変換し、自分を守らなければならないからだ。そんな正しい判断故に消火は間に合った。そう間に合って、その火球の向こうから伸びてきた手には、突然のこともあり対応できなかった。
痛い。後頭部を撃ったと認識しだした頃には意識が遠のき始めていた。ヒリヒオは伸びてきた右手に頭を鷲掴みにされてそのまま床に叩きつけられたのだ。一瞬にして二つの想造を駆使した上で力技も出来るその実力者の素顔がその一連の激しい動きからめくれるフードから覗く。
その顔はフードで隠すに足る異質さだった。誰もが変異種であることは疑わない。しかし、ただの変異種でないことが一瞬でわかる。言うなれば明らかに人間という身体に爬虫類の様な舌に鱗、昆虫のような甲殻に顎などをまるでツギハギしたように身にまとっているのだ。だから変異種しか知らない壊れた壁の向こうにいた人間はその異質さに驚かされる。一方で合成人を知る人間はそれに近しいものを感じ取るのだった。
そして、正体を知ったリディアがグレタの時とは違ったベクトルの歓喜の声を上げる。
「その顔、その混じり合い。もしかして、いや、もしかしなくてもあなたは、都市伝説の鋼女かな? 変異種と人間の可能性の最たる存在なのかい」
「そんな気味の悪い研究対象みたいな言い方しないでよ」
長い髪をたなびかせながら鋼女はキィっとリディアを睨みつける。
「手加減できなくなるぞ」
「だから君みたいな都市伝説を前に俺が意識をギリギリ失うかどうかをさまよえたわけね」
鋼女のなぜ、という疑問を貼り付けた顔が背後で立ち上がっていたヒリヒオと目が合う。死なないギリギリで意識は確実に落とせるぐらいの力加減で叩きつけたはずだった。後頭部からも致死量にならない程度の血が切り傷で出ていたはずだった。そう、気絶は気絶でも死なないレベルであって死んでも不思議でないぐらいの怪我を負わせているという認識だったのだ。しかし、その答えはすぐに視覚的に理解することが出来た。別に不思議なことではなかったのだ。ヒリヒオはマヌエルの弟子である。ならマヌエルの技術、知識、想造を体得していても不思議ではないということである。鋼女の視界に映ったヒリヒオの後頭部の傷は塞がっていたのだ。
つまり、気絶していなければ覚醒している良好な状態へ治癒という、状態の復元が可能であるということである。
「さぁ、第二ラウンドだ」
ヒリヒオとリディアに挟まれる形で再び鋼女の戦いが動き出したのだった。
◇◆◇◆
加勢に行くべきか。アンナは一瞬だけ出てきた選択肢を即座に棄却する。ピンチの味方を助けるべきかという判断はして然るべくで間違ってはいない。一方で、そのしたほうがいいかもしれない判断に見切りをつけたことはこの一件に関して言えば正解だったのだ。もちろん、アンナは直感的にこの判断をしている。そしてその直観である、鋼女がこの場で一番強くマヌエルの部下にも遅れを取ることはない、ということが正しかったのである。
だからアンナが次にとった行動はこちらに流れ込んでくる新しい敵勢力に可能な限り対応することだった。問題は殺すべきか否か、である。無関係に操られている市民が戦いに駆り出されていると予測できる以上、無闇矢鱈に殺してしまってこの街での後の心象を悪くしたくないという考えがあったのだ。一方で、致し方なかったという状況まで来ているのではないか、という点である。
何せ、戦いにおいて敵を殺すことは生かすよりも労力的には簡単なことであり、この場にいる変異種はともかく異人はそういったことに抵抗がない、言ってしまえば人を殺した経験がある、戦場などを経験したことがある人間だけを連れてきているのである。
「おっと、すまない。怪我人だから着地もままならない」
アンナの真横にはよろけながら着地したルドルがいた。怪我人ならこの高所から降りてくる事自体に無理がありそうな気がするが今はそんなことを言う必要はない。明らかに接触を図っての登場、アンナは視線をルドルによこし次の言葉を催促する。
そのためにここに降りたのだろうと。
「変異種と呼ばれる立場で言わせてもらうと殺しは避けて欲しい。できれば気絶による行動不能を徹底してくれると助かる」
なぜ、とは聞かなかった。
「全員、相手を無力化することを絶対にしてください」
代わりにアンナは迅速にたった今決まったことを味方に大声で通達する。
敵にこちらが殺しをしないことを伝えるデメリットも大きいが、幸いにも敵もこちらを実験動物として欲しがっている節があるので、即殺よりも生け捕りを取るだろうと考えられるのが救いだった。
「助かる」
「そのセリフはこの窮地を脱せられてからお願いします」
「数分の辛抱だ。だからそんなに悲観しなくてもいいさ」
どんな策があるのだろう、と想像するだけでアンナは口に出さず、空気中の水分を崩壊した壁の穴からこちらへやってくる市民の頭上で生成する。ただ水を集めたのではなく、気圧を下げることでその場の水分を可視化した範囲で集めたのである。そして、その局地的な気圧の変化は周辺の空気を引っ張ることとなり、突風を発生させる。単調な作業ではなく、現象を理解しているからこそできる複合的な現象の連鎖。
突風により動きを止めた先頭集団めがけてアンアは圧縮して空気中に溜めた水を発射する。その威力はちょっとした滝行よりは明確に痛いという痛みが勝る威力であった。その痛みに怯んだところへルドルを筆頭にリュドミューラたちが追撃を仕掛けるべく前進する。想造を使われる前に攻撃する。思考をさせないため常に痛みと窮地に立っていることを意識させる。そのかいあってか、次々と何もさせないまま前進した味方が様々な方法で、といっても強い衝撃を頭部や腹部にぶちこむことで意識を失わせていく。そして、地面に伏したところで合わせるように街道を変質させ、覆うように拘束していく。
そんな被害を見てか市民は崩壊した穴の外側から周辺の瓦礫を礫に変形し、それを高速で飛ばしてくる遠距離攻撃へと切り替えてきていた。しかし、すでにある程度の距離がある上での遠距離攻撃である。こちらもそれを阻止するには十分すぎる距離である手痛い反撃をもらうわけではないので拮抗状態を作ることに成功した状況だった。悪くはない。しかし、決して良くもない状況である。街の住人の多くが洗脳下にあるとすれば仲間が駆けつける猶予を与えていることになるからだ。
故に早めの打開策が欲しいところであった。
「お待たせ」
そして、ルドルの言っていた意味が少し苛立ちを隠せない語気と共に顔を現す。アンナの認識は間違っていなかった。ただ正確でなかったことも事実であったのだ。
アンナの横にいたのはヒリヒオとリディアとの戦いを終えた鋼女だったのだ。
「さてっと」
そう鋼女が掛け声を言ったのと同時に街道から目視できる範囲全域で突起が隆起した。それは敵の足場を崩したり、身体をかすめて態勢を崩したり、敵の攻撃を阻害する簡易的な壁となったりした。故にその生えてきた棘を元に戻したり、逆に利用するようにこちらへ投擲する準備を始めているのが見え始めた時、アンナ横を新幹線が横を通り過ぎたような突風が走り抜ける。そして、その風を感じたのと同時に手前から敵が次々に倒れていくのだった。そこで初めてアンナは鋼女という変異種の戦闘能力を正しく理解する。否、正しく規格外であると理解したのだ。ろくに目視は出来なかったが、鋼女は突起を足場にしたことで縦横無尽に高速で移動し、強い衝撃を与えながら敵を気絶させていったのだ。
◇◆◇◆
「いくつか確認しておきたいけどいいかな?」
挟撃を軽々いなしながら鋼女は質問する。
「するだけならタダだよ」
少しだけ距離を取ったヒリヒオが答えながら、鋼女の動きを少しでも拘束する意図で地面を触手のように一部を操りながら足を狙っていく。
一方の鋼女はその触手もどきを丁寧に地面に戻しながら続きをする。
「一つ、君たちは昨日疑いのかかったエーヴェと共犯で、今回の洗脳事件の主犯に該当する、合ってるかな?」
「だったらいいね」
リディアの反応を見て鋼女は当然の返答にため息を挟む。
主犯であることを認める必要性はどこにもないリディアたちからすれば他にいるかも知れないと思わせたほうが得なのだから。
「まぁ、いいや。正直これは私がどうこうしたい問題じゃないからね」
「あれ? だって都市伝説通りなら誰かの依頼、バーバリあたりからの依頼じゃないの?」
「だから私じゃなくてその依頼主が解決できればいい問題なんだよ」
背後から迫っていたリディア背負投の要領でヒリヒオにぶつけるように投げる。
それをリディアは不格好ながら受け身を取りゴロゴロとヒリヒオの元まで転がっていく。
「だからね、これからする質問には割りと真面目に答えて欲しいんだ」
纏う空気から少しだけ、ほんの少しだけ、それでも明確にリディアたちが改めて身構えるほどの威圧が漏れ出すのがわかった。
「ここに二人の、君たちの言うところの変異種が来たはずだ。ただ、その後の行方がピタリと掴めなくなっているんだ。そのトビーとコエルについて何か知っていることはあるかい?」
数秒の間が空く。
鋼女自身が放つ威圧に、先程とは違いある程度答え方というものを吟味しているような間だった。
「知らないな」
リディアたちが返す言葉としては妥当。
しかし、選択した言葉としては最悪だった。
「商業国家、ラギゲッシャ連合国と頻繁にやりとりしてた時期があったよね」
鋼女にとってこれはただのカマかけだった。情報提供者から言われたことはラギゲッシャ連合国という単語だけ。それ以上は今の鋼女の働きでは得られないものであると同時に、情報提供側が関与できない範囲だと言われた。なぜ、現場とは異なる大陸も違う異国の地の名前がでてくるのか分からなかった。
しかし、今目の前の二人の明らかになぜそこまで知っていると言わんばかりの表情の変化が答えに繋がるものだと理解した。
「知らないんだったよな」
知らないと嘘を言ったな。
「残念だよ。求めたものが手に入らないとこうもむしゃくしゃするんだな」
依頼を優先するべきだから命は取らないよ。
「終わりにしよう」
だから、最大限の八つ当たりで勘弁してやる。そう決めた鋼女の電光石火の攻撃がリディアたちの反応を待たずして意識を刈り取ってしまうのだった。
◇◆◇◆
「お待たせ」
再度合流した時は違い、同じ言葉であるものの明らかに苛立ちさを隠せている鋼女が目視できる範囲の敵を全て気絶させて戻ってきていた。
「お強いんですね。失礼を承知で言わせてもらえば、想像の何倍も」
「ハハッ。照れるけど、そっちのアリスちゃんと比べると見劣りすると思うよ」
フードを深く被り直しながら答える鋼女。
「いえ、十分ですよ。本当の規格外を知ってると物差しが大きすぎてみな同じみたいなものですし」
「それは彼女を超える存在がいると?」
「この世界にもそういった、自身と比較にならないと感じさせる格を持った人間はいらっしゃるのでは?」
「はぐらかすね」
「思い出したくもない人間ですので」
ふふっと互いに目があい軽く笑い合う。
「さて、話を本筋に戻そう。恐らくまだ潜伏している洗脳された人間がいると思うけど、とりあえずこちらでそこの主犯格二人を厳重に隔離しておこうと思う」
「隔離、ですか?」
「そう。断流っていう処置があってね」
説明を挟む。
「なるほど、です。では、そちらはお任せします。私たちはひとまずこのまま街を練り歩きつつバルボと合流しようと思います。なので、通信も兼ねてまだ気絶しているグレタをお預けします」
「それは、助かります。では」
「っと、待ってください」
まだ何かと書いてある顔にアンナは手を当てる。
そしてそのまま傷を消す。
「身体の自己治癒力を活性化させました。体力が回復する、というわけではりませんが、怪我の手当ができます。何かあったら遠慮なくおっしゃってください」
「はは、それはどうも」
この時の鋼女や周囲の変異種の考えは同じだった。マヌエルは医療という分野でこの世界でも特別な世宝級になった人間である。そう、それは人体の再生という分野で文字通り特別な存在、唯一無二だからこそ獲得したものである。それを平然と、少しアプローチは違うとしても同等を感じさせるポテンシャルを見せつけてきたのである。つまり、鋼女たちこの世界の人間から言わせれば、アンナもまた規格外、その範疇にいてもおかしくない存在だということになるのだ。
もちろん、この時点で鋼女たちはアンナが箱庭では八角柱であるということは知らないので、そのポテンシャルを見いだせなかったのは無理もない話ではあるのだが。
「それでは、また」
アンナに見送られて内心の驚きがまだ収まらないまま鋼女はリディアとヒリヒオの処置をするため移動を始めるのだった。
◇◆◇◆
「おや、二人は無事というか、エーヴェを捕まえちゃってたんやね。意外意外」
ジャンパオロが笑いながら見つめる先にはケースを捕まえてゆっくりと移動しているメレンチーとカトリーンがいた。
「ここまではまっすぐに?」
「俺とお偉いさんはまっすぐ来た」
メレンチーの質問に隣りにいるマヌエルを指さしながら答える。
「わざわざ主語を強調したんだ。この非常時にもったいぶるような真似はやめて欲しい」
「手厳しいな。でも、こういう胡散臭く喋るのは以前話した通り性分なんよ。だから許して欲しいかな」
あくまでペースはジャンパオロが握っていることを強調するような言葉と笑みを向けてくる。
「特に連絡は受けてない、というか受けようがないけど最初の分岐でアリスと分かれてるで。それだけやね。まぁ、そっちのほうが効率良くなるやろうからな」
一人になることで効率が良くなる、という点がメレンチーには理解できなかった。
「噂をすれば」
ジャンパオロがそういうのとほとんど同時にジャンパオロたちの背後から足音が聞こえてくる。そして、姿を見せたのはアリスとアリスに担がれている意識を失ったシドルだった。
それはメレンチーにとって予想できた光景であり、できれば確認したくない事実となることであるが、メレンチーはその光景に質問する。
「彼以外の仲間は?」
「ここへ入るための横穴があった地下施設に置いてきた。みんな意識は失ってるけど、命に別状はないと思う」
「そうか」
そうか、とメレンチーはもう一度、心を落ち着かせる時間を稼ぐために声に出さず復唱する。
「それで、そいつが裏切り者、というわけだな」
「とりあえず、一人だけ無事で、私を見るなり襲いかかってきたから気絶させただけ」
「そうか」
パンッと手を叩く音が通路に響く。
その音の方へ自然と注目が集まり、その中心にいたジャンパオロが口を開く。
「裏切り者、それは流石に時期尚早でしょ。洗脳されてただけで、特定の条件でこうすることが決まっていただけかもしれない。少なくともそんな言葉を使ってやるもんじゃないでしょ? エーヴェを捕まえているこの状況があるということは、確かに部下に疑いの目を向けたからなんだろうけどさ」
「何、励ましたいの? 塩塗りたいの?」
その場の全員の言葉を代弁したジャンパオロは笑顔で答える。
「当然塩やろ。ハハッ」
その後、ガヤガヤと声がするがメレンチーの耳には入ってきていなかった。塩であろうと励ましであり、その気遣いに、いな、ここでは洗脳の可能性があるという事実を明言してくれたことに救いを感じることにしようと思えたのだ。
だからこそ力強く次の発言ができた。
「道中戻りながらで構わない。レイノルズさんのここまでのことを教えて欲しい」
アリスを見つめるメレンチーの眼差しの力強さを見て、無意識に一度軽く隣りにいたジャンパオロの頭を小突いてから道中での出来事をアリスは喋るのだった。もちろん、ヘンリーの姿に成りすまして行動していたことを伏せた上で。
◇◆◇◆
ジャンパオロの言った一人の方が効率がいいの答えが、アリスが成りすましでヘンリーを解放できる点にあった。イギリスの希望、あらゆる可能性を希望という可能性で底上げできる人間的特性。今思えばこれらの普通の人間とは違う力も彩音によって何かしらの意味、目的があって付与されたものなのだろうか、と考えられる点もあるが、それを駆使してメレンチーの部下がいる方へ向かう可能性を高めながら移動していた、これが効率の種明かしである。そして道中で意識を失ったメレンチーの部下を見つけては、ここの入口があった地下施設へ運び出していたのである。ヘンリーと紘和に成りすませるからこそのゴリ押しでもあった。ちなみに、ジャンパオロが道順を一つも外すこと無くメレンチーたちと合流できたのはただの偶然である。
そして、アリスがシドルの眼の前に現れたのは必然であり、同様に見知らぬ巨漢のオカマが突然目の前に現れるのは誰の思考にもノイズとしてなぜオカマがと残るのは……重ねて必然だった。
「誰だ、お前は」
アリスは、裏切り者、内通者、洗脳された敵がいるという可能性を知っているからこそ、その質問を無視する。
「どうしてあなただけ無事なの?」
その問で何かを察したのか、シドルはスッと拳を構える。
「なるほど。実物は凄い力だな。いや、この一件に関してはバルボの気づきを褒めておくべきか。参考までにどうして気づいたのか、教えてもらっても?」
「逆にあなたがどうして私が感づいてると気づいたのか教えていただいても」
「怪しんでいる視線、それを確認することに緊張を隠せない声の強張り。あぁ、あなたは俺を敵と踏んで動いているんだなと」
「どうしてごまかさなかったんですか?」
「質問が多いな。まぁ、いいか」
シドルは右脚で地面をグリグリと整える。
「今のやりとりで確信したんだ。あなたはバルボの、いや敢えて誰かが提示した仮定の、メレンチーの部隊に内通者の様な存在がいるという、そう仮定でしか語られていないであろう事案を、さっきも言った通り、決めつけていた。こいつが間違いなく敵なのだと。なぜ、そう思い込むことが出来るのか。いや、確信できたのかと言うべきだろうか。それは俺たちが最初にあった時のことを思い出せたから、だろう? だったらごまかす必要がないと思った、それだけだよ」
答え合わせにアリスはこの街の異質さを理解した。
「さぁ、次はあなたが答える番だ。どうして裏切り者がいると仮定できたんだい?」
「バルボは、トラーゴがこの施設に荒事を起こした形跡を残すこと無く侵入し、私たちを襲撃できたこと、だと言ってました」
「……少し急いたのか。それとももうこの状況を、それとも個体間でやはり」
ブツブツと何かを整理するようにシドルがつぶやく。
そして解決したのか、保留したのかシドルは顔をあげる。
「ありがとう」
感謝と同時に先手を不意で取るべく動き出したシドルは腹部へ強い衝撃をもらうことになる。もちろん、本来であれば想造で応戦することも出来ただろう。しかし、断流が割れていると推察できる以上、アリスが展開していても不思議ではないと踏んで分の悪い体術での決着を挑んだのだ。そう、分が悪いとわかっていたから不意をつく努力をした。それを初動、一歩踏み込んだ時点でアリスの掌底を渠に喰らい、胃が逆流するような息を吸えない圧迫感に襲われたのだ。
そして地面を向いた視線が真横の壁を見つめ始めていることに気づいた時、嫌な音ともに気を失ったのだった。
「当たって欲しくなかったなぁ」
そう嘆くアリスはまだ知らない。半数以上のケースに洗脳されたかもしれない人間がすでに気絶、拘束されているということを。事態はすでに収束に向かいつつあるということに。