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綴られた世界  作者: 白井坂 十三
第九章:始まって終わった彼らの物語 ~渾然一帯編~
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第百十二筆:オスムの牙たちに抗え

「ちょっとあっちであんたに試しても?」

「か、構わないよ」


 断流エルタネの発動、解除が出来るのかの確認をするため、先程の戦闘があった広間までジャンパオロがマヌエルを連れ出していた。そもそも断流エルタネの解除がマヌエルによって出来ているのかをジャンパオロ自身が展開できるかで確認するのと想造アラワスギューを使える人間が本当に今の教えで使用できなくなるのを同時に確認するというのが過半数を締めた理由なのだろうか、恐らくアリスが成りすましを解除していい時間を作るという目的もあるのだろうとアリスは勝手に推測した。

 どちらにしろ、誰もいない時間が作られたわけで、周囲の目を気にせずアリスは成りすましを解除した。


「ふぅ」


 大きく息を吐く。恐らく、この紘和という身体を持ってしてアリスはジャンパオロの声がなければ今頃死んでいただろうと思った。そう紘和という最強の肉体を得てだ。それは自身の落ち度以外の何物でもないと、アリスの中の紘和という化け物じみた強さの尺度が感じさせていた。だからアリスにとって死ぬという感覚は久方ぶりだった。この身体を手に入れて負けることは合っても、死は回避できる、それが当然のスペックだったからだ。

 アリスは自分がどうして孤児になったのか、どうして屋根のない路地裏で一人生きていたのか覚えていない。幼かったから覚えていないというのが一番の単純で明確な理由だろうが、もしかしたら何かを理由に記憶に蓋をしているのかもしれない。覚えているのはお腹を常にすかせていたこと。大通りを通る楽しそうに子供を間に挟んで連れ歩く幸せな家族を羨ましいと思い続けていたこと。そして、灰色の寒空の下で手を差し伸べてきた時のジェフの顔だけである。空腹が嫌だった。死という訳のわからない、無くなってしまうという虚無がただなんとなく怖かったから嫌だった。どうして自分はこんな思いをしなければならないのか、その状況が嫌だった。その全てを変えてくれるというジェフの手はまさに救いの手だったのだ。

 だからこそ、その差し伸べられた手が、共に過ごしたアリスの憧れた家庭という生活が、ジェフの愛が本当であったから本人から確認しなければならない。そうするためにアリスはここまで来たのだ。

 そして、今そのジェフの最愛のジェフの安否すらわからない状態でアリス自身が死ぬ羽目になろうとしていた。


「生き別れたままで言い訳がない」


 自分の浅はかな、あり得てはならない状態での窮地への陥り方に苛立ちを覚えるように、思いの丈が怒気をはらんで口からぬるりと漏れ出る。自身の口から耳にすることでその言葉はアリスの決意へ覆いかぶさり、より強固なものへと変貌するのだった。


◇◆◇◆


「なるほど、確かに出来るな。しかもこれって人を捕らえておくことに特化しないなら閉所でやる必要もないよな」

「へ、閉所で有用な理由は他にもある。イメージのしやすさ、と展開数の削減が可能なこと、だよ。想造アラワスギューは理解しているものを形にするち、力だからね。理解しているものをどういった形でけ、顕現させるか。この顕現させる力は、理解とはこ、異なる力、センス、磨けるものなんだ」


 おおよその確認を終えて出たジャンパオロの断流エルタネに対する感想にマヌエルが補足を入れていく。


「要するに金属という物質を理解した上で刀にするか剣にするかはたまた銃、いや本棚を生み出すかもその顕現っつーか出力するものはその人の想像次第ってことやね」

「その、通りだよ。だから閉所という空間で使うという認識は多くの人にこの技を浸透させたんだ」

「とはいえ、言うほど難しいかね。閉じ込める空間を意識するだけっていうんは」


 自分なら出来るという自信を隠さず、他の人間を見下すような発言にマヌエルは続きがあるという落ち着いた顔で説明をする。


「これは、誰でも使えるという点に特化した側面を強く説明したにす、過ぎない。展開数の少なさ、そう閉所なら」

「壁は無視して通路を塞ぐように展開するだけ、つまり平面だけ用意すればいい。でもこれって結局のところ閉所でやる利便性なだけであって閉所でやらなきゃいけない理由にならないよな。もしかしてやけど」


 ジャンパオロは確信を持って疑問を投げる。


「これって人を拘束することにしか使うことが出来ないぐらいに応用が効きづらい?」

「と、言うと?」


 話に乗っかるようにマヌエルはジャンパオロを促す。

 喋りたいという欲が全面に出ているのを感じ取ってのことだ。


「この空間内では想造アラワスギューが使えなくなる。だから仮に使用した場合、中で戦う人間は自力を求められる。でも、普通考えるやろ。断流エルタネに閉じ込めた瞬間に外から想造アラワスギューで潰しちまえばいいって。でもそれが出来ない。だからこの世界では戦闘で活用することに敵味方問わずメリットが存在しない」

「た、試すようで、いや、君の高揚感を刺激するような返しで大変恐縮、だけど。そ、それで?」


 卑屈に、しかしその先にすでに気づいているかもしれないジャンパオロに、さらに言葉を続けるように言葉を返すマヌエル。ジャンパオロはそれに両端の口角怪しく釣り上げて応える。

 もてなされた、欲しかった言葉を出されて興奮しているのだ。


「つまり、想造アラワスギューによって作られたものは、創子アイエグレネによって構成されているため断流エルタネを通過する過程で崩壊してしまう」

「間違っては、いないよ。確かに、一定の時間を経過しないと想造アラワスギューによって作られた物質は断流エルタネを通過する時にはほ、崩壊する。ぎゃ、逆にいえば一定の時間が経てば問題はない。糊で工作をする感覚に近いだろうね。ただ、そもそもとして断流エルタネは外部からのア、創子アイエグレネの一定量阻害するって説明しただろう。だから、正確には断流エルタネが出来上がった瞬間でも内部で想造アラワスギューを使うことはで、できる。同様に、外部で作ってしまった場合、屋外にありふれている創子アイエグレネを少量であれ、と、透過させてしまう。結果、想造アラワスギューを使うことは時間間隔を空けることになるかもしれないが容易にすることが出来る。閉所ならその流動を限りなく減らしていきゼロに近い状態を維持できる、という話だ。だから閉所で用いるのがき、基本だよ」

「だから普通考えるや」


 マヌエルの訂正を同じ文言を繰り返すことで的はずれなことをいっていることを強調するようにジャンパオロは喋る。


断流エルタネなら」

「平面であれ、身体を包むようであれ、想造アラワスギューを物理的に正面から崩壊させることで無力化させることが出来る。だから、用途が違う、かね」


 ジャンパオロの口が閉じたまま開かなくなる。

 まさに、その通りだったからだ。


「そ、その過程はすでに戦争というじ、実験場で過ぎているんだよ。君の気付きは正しい。で、でも結論から言えば、このは、発想によって戦いに窒息やちゅ、中毒といった空気中の酸素濃度などを操作する想造アラワスギューが発達した。わかるだろう。これを克服するためには想造アラワスギューで同じことをして元に、中和するしか無い。つまり、想造アラワスギューを無力化するために展開した断流エルタネは自らの首をし、締める結果となったわけだ。もちらん、断流エルタネに閉じ込めた人間の周囲の空気中の含有量をいじるということも考えられるだろうけど」

断流エルタネが狭ければ物理的距離に、広ければ断流エルタネ内の酸素で圏外まで容易に抜けることが出来る、か。なるほどな。なるほどや。そう都合よくいかないことはよーわかったわ」

 ジャンパオロは両手を軽くあげお手上げのポーズを示す。

「いや、君はこの数分で数年の結論を導いた。あ、あっぱれだよ」

「ハハッ、無理に慰めるなよ。寒いやろ」


 そう言いながらジャンパオロは視界にアリスを捉える。どうやら、メンタルは立て直せたようだ、と内心で確信する。だから、話を本筋にようやく戻すことを決める。そう、ジャンパオロにとってこの時間は無理のない時間稼ぎでしか無く、考えればわかる結論を、長々と導いていたように見せていただけなのだった。つまり、この会話はあくまで確認の一貫に過ぎなかったとも言えるのだ。とはいえ、気持ちよく話を振られながらもしっかりと腰を折るように正論を並べてくるマヌエルに気持ちよくはさせてもらえなかったなと思うのではあったのだが。


◇◆◇◆


「グレダ、さんは待たなくても?」

「あぁ、ええよ。それよりもバーバリさんたちの安否確認が先決や」


 仲間の心配をするように見えるこの言葉。していないわけでは決して無いが、それでも比重にすれば一割にも満たない心配である。では、残り九割でしたい安否確認とは何か。それは先の時間稼ぎが関係してくる。時間稼ぎはアリスのメンタル回復のためであったことは否定しない。しかし、もう一つ明確な目的があって行われたことである。それは、メレンチーの部隊の状況が悪化することを待つことにあった。そう、悪化である。部隊が何かしらの被害を受けていれば裏切り者が誘導したというジャンパオロの仮説を裏付けられる可能性が無事にいる隊員の存在という形で確認できるかもしれないと考えていたからだ。もちろん、いたからといって単純な戦力差を始め確定に運ぶことは出来ないだろう。それでも可能性があると判断できる余地の有無の存在は実際のところ大きい。

 だから、被害を受けつつギリギリ助けが間に合うかもしれないだけの時間を浪費したのである。


「ちなみに捜索の当てはあるの?」

「ないよ。だって構造すらわかってないんやもん」


 アリスの質問の答えがわかっていてもしなければならない、という雰囲気を出した質問にジャンパオロは期待通りの答えを返す。


「ただ、断流エルタネが展開している空間がこの先にもあるって考えるなら」


 そう言ってジャンパオロは壁に手をついて野球ボール程度の大きさの土塊を想造アラワスギューする。そして、それをまっすぐ通路に投擲する。

 すると、落下する前に何か壁にぶつかったようにその土塊が崩れたのだ。


「こういう訳だ。これを虱潰しに解除しながら進むってわけや。まぁ、お前ならその身一つで特攻してもいいかもしれないな」


 ジャンパオロはアリスが手にしている先程手に入れたナイフを見ながら、心配なら先に行っても構わない、という雰囲気を作り出す。

 それを後押しするようにジャンパオロはさらにこちらも先程入手した銃の引き金に人差し指をかけくるくると回しながら見せつける。


「さっきの醜態を見てバラバラになるのは危険だと思うけど」


 その醜態が自身の精神不安を指しているのか、ジャンパオロが受けた不意打ちの事を指しているのかは判断しかねたが、どちらもケアできるその判断は間違っていないとジャンパオロは思い、露骨な深い溜め息をついて見せる。


「んじゃ、テキパキいくぞー」


 そう言って三人は再度穴の中へ進んでいくのだった。



◇◆◇◆


「どうも」


 メレンチーとカトリーンの進行方向の壁が突然崩れ、そこから現れたケースの挨拶だった。


「そちらから出てくるとは一体どういう風の吹き回しだ?」


 突然現れた標的にも警戒は最大に、それでいて冷静に相手の目論見を見破ろうと言葉を選んだメレンチー。

 後ろにいたカトリーンは姿勢を低くし、いつでも戦えるといった状態である。


「わざわざ出てきたわけです。偶然か、意図的か、考えれば分かりますよね?」


 質問を質問で返す。

 わざわざ答える必要がないので想定通りの返答でもある。


「そうか。まぁ、ここで捕まえられるのはこっちとしても好都合だ」


 薄い。ケースが自身の呼吸が早くなっているのに気づく。つまり、すでにケースは想像アラワスギューによって攻撃を受けていることを意味していた。

 それは同時に、本来ここに、メレンチーたちのいる区画に前もって設置してあった断流エルタネがすでに解除されていることを意味していた。


「どうした。何か都合の悪いことでも起きたか」


 一瞬の動揺に付け入るように、数十メートルあったはずの間合いを詰めていたメレンチー。その言葉がケースの耳元で聞こえてきていた。逃げる、その選択のため想造アラワスギューで床に穴を空けて開けるが、それを見越したようにメレンチーの蹴りが腹部へ入り、宙へ跳ね上げられる。次にケースはメレンチーに頭を鷲掴みにされてそのまま顔面から叩きつけられた。軍人と研究者、想造アラワスギューを使わせなければ肉体的に勝機を見出すのは軍人であることは当然のことだった。

 ケースの記憶はそこで途切れることになる。


「念のため何でもいいから想造アラワスギューを続けて断流エルタネ内の創子アイエグレネを消費し続けるんだ」

「はい」


 こうしてメレンチーたちはケースの捕獲に成功する。


「後は合流するはずの彼らと鉢合わせられれば、だな。少し休んだら断流エルタネごと少しずつ移動させつつ仲間の捜索を行う。それと」


 それと。


「接敵に気をつけろ」


◇◆◇◆


 それは一つの違和感と偶然からなる気づきだった。

 地下通路を発見、捜索を開始してまもなくメレンチーの部隊の一人、シドルが想造アラワスギューを使って通路の壁を少しだけ掘り進めたのである。


「流石にここを発見した時のようにすぐ隣に通路がある、というわけにはいきませんね」

「突然どうしたかと思ったが、そうか。地道な捜索になりそうだな」

「一応自分が定期的に索敵の意味も込めてこれを繰り返しましょうか?」

「そうだな、頼む」


 この時は状況的に何の変哲もない会話であった。しかし、一人だけ先頭を行っていたカトリーンだけが軽い違和感を覚えていたのだ。それは些細なものであった。実はこの時カトリーンもシドルと同様の工程を行っていたのが、シドルよりも掘り進められなかったのだ。力量差と言われればそれまでかもしれないが、こんな単調な作業で差が出ることは妙だなと感じたのだ。だからといって報告するほどの内容でもないと、何よりシドルに負けているかもしれない事実を公表したくないというちょっとした自尊心から来るものが、そのことに口をつぐませたのだ。この事自体は本来であれば悪手だろう。敵陣へ行き、仲間に違和感を共有しない。そのことは最終的に足を引っ張っていたとしても不思議ではないからだ。

 しかし、今回はその自尊心が敵にとって裏目に出る。シドルに出来て自分にできない、自分が劣っているという考えが定期的な壁破壊をカトリーンにさせることとなったのだ。そこでカトリーンは一つのことに気づいたのだ。想造アラワスギューが機能しやすい場所とそうでない場所がカトリーンにはあると。逆にシドルは常にカトリーンンが機能しやすいと感じる場所と同じ出力であると。偶然、という可能性もある。しかし、一度も出力が落ちていないというのはやはり妙だなと感じざるを得なかった。初めてシドルと同程度の掘削が出来た時、まかされていないことという点から即座に想造アラワスギューを止めていたことは結果としてこの違和感を比較することに重宝することになったのである。

 一方で確実なことも一つある。それは断流エルタネという罠が敵によって張り巡らされている、ということである。地下通路という閉鎖的な空間を容易に持ちやすい場所という点からもそれはほぼ確定的だと判断していた。つまり、今問題なのはシドルが裏切り者であるか否か、そしてこの事をどうやって周知させるか、であった。その結果カトリーンは隊が分かれることに期待することにしたのだった。

 何度かの分岐路をメレンチーの指示で分隊となることだけは避けて一団として行動してきた。

 実際のところ、どうやってこの隊を分けていくかという点にシドルは当時四苦八苦していたわけだが、まさかカトリーンがその提案を推奨し始めたのだ。


「時間もありません。ここはリスクを抑えてでも捜索の手を広げるべきだと思います」


 そして、シドルにとって意外だったことはこの提案が最初こそ制していたが、メレンチーが結局のところ二度の説得で折れたことだった。しかも、戦力差を考慮してメレンチーとカトリーンをペアにして分かれたのである。

 この前例にメレンチーの離脱はシドルにとって絶好の機会になったのである。


「それで、こんなリスクを犯してまで二人きりにさせたのはなぜだ」


 暫く歩き距離ができたと判断したのかメレンチーはカトリーンに話しかける。カトリーンは予め二人の間で伝わる緊急事態を示すサインを先程の提案時に発していたのである。

 そのため、緊急時であるに関わらずカトリーンの提案を一旦飲み込んだのである。


「気づいてますか、隊長。ここ、断流エルタネで特定の間隔で張り巡らされてます」


 そう言ってカトリーンは足元に小さな土塊を作りながら後退していく。

 そして、暗い中ギリギリ見えるかどうかのところで突然ドンと勢いよく土塊が床と天井をつなげるような勢いで伸びたのだ。


「なるほどな」


 そう言ってメレンチーは自身の足元でカトリーンの様に土塊を作ってみせるが、明らかにどの土塊よりもサイズが小さい段階でボロボロと崩れてしまうのであった。


「いつからだ?」


 メレンチーの質問に包み隠さこの状況に気づいた理由を話すカトリーン。


「なるほど、それでシドルの裏切りを考えてこうした、というわけか」


 一連の話を聞いて未だ憶測の域を出ないがメレンチーはこの時あまり疑うこと無くむしろそうである可能性が高いとまで考えていた。

 その理由はジャンパオロと同じく、現在追っている事件の内容が洗脳されているであろう仲間の救出、つまり、洗脳された人間がこちら側に紛れ込み情報を受け渡している可能性が十分あると結びつけることができるからである。


「だとすれば他にもいるかもしれないし、仲間が危険にさらされてるわけか」

「戻りますか?」


 カトリーンはこの言葉に意味がないことを理解している。確かに仲間の身に危険は降り掛かっているだろう。しかし、その危険も全て考慮した上でこの隊は結成されている。目的は身近な大切な人を救うこと。今メレンチーにやるべきことがあるとすれば、この先手を打つことが出来る情報で標的を確実に捕まえることにあるのだ。アドバンテージは断流エルタネが展開していることを知っていること。

 そして、自分たちが捕獲のターゲットになっていること。ならばやるべきことは決まっている。


「いや、このまま襲撃に備える。断流エルタネの解除を優先し迎え撃つぞ」

「はい」


 その結果がケースの捕縛だったのだ。


◇◆◇◆


 時は少し遡り、地上。グレダが城門へ到着し、リュドミューラらの到着を待っている時、グレタを狙った襲撃が発生する。

 部屋から飛び降りて現れたのは、先程グレタたちから逃亡を図ったリディアだった。


「まさか、君が……あなたが一人になってくれるとはね。ある意味ラッキーだったのかもしれないわ」


 リディアの異様な高揚感が伝わるグレタは自身が何らかの対象であることを察する。そう何らかの対象なのである。真っ先に考えたことは自分が異人アウトサイダーであるということだった。この世界とは異なる世界の人間と言うだけで何をするにも研究対象としては有益なものだろう。そして、ケースたちの目的が人の認知に作用する人体実験ならば、人というカテゴリーで見た時の異人アウトサイダーは、消費してもかまわないモルモットとしては最適だという見解はすでにジャンパオロとの話でも出ていたためすんなりと狙われたことに合点が行く。

しかし、明確に引っかかりもあった。それは明らかにグレタという個体を指名していると捕らえても不思議ではない言動にあった。当然、化け物じみた戦闘力や技術を持つアリスやジャンパオロを生け捕りにすることが困難であり、グレタが一人になったことで確保しやすい状況に対する喜びの可能性もある。だが、もし仮に本当に、だ。リディアが明確にグレタ個人を求めていたとすれば、それはなぜなのかという疑問がぶち当たる。そして、その疑問は異人アウトサイダー内で比較しなかったとしても特出すべき点をグレタが抱えているという点で解決が出来た。それはグレタが合成人である、ということである。

 その結論はまた新たな疑問を呼ぶこととなる。それは、なぜリディアが合成人という存在を知っているのか、ということである。ジャンパオロから共有した情報では箱庭ビオトープの制作者が彩音で共同研究者にマヌエルだけが関わっているという話だった。正確にはマヌエルが知らない第三者の助力が彩音にされたことで達成できるプロジェクトだという話ではある。つまり、合成人という箱庭ビオトープ内でしか使われるはずのない単語をリディアが知っているということになる。共同とはいえ、彩音が極秘裏に進めていたと考えられる研究をマヌエルの部下に手伝わせることを許可するのだろうか。

 そして、合成人を欲する理由は何なのか。確定しない情報と確定した情報の整理が追いつかず、疑問だけが、疑念だけがグレダの頭を支配する。


「トラーゴか」


 グレタの元に現れたリディアに駆け寄ってきた人間が一人。

 各城門で街の外へ人が、ケースが逃亡しないかを見張っていたメレンチーの部下である。


「あぁ、今そういう横槍はいらないの」


 一撃目が死角からの攻撃。無意識下からの初段はそうされたと気づいた人間の思考を真っ白にする時間を生み出す。その時間が長ければ長いほど想造アラワスギューを使う者にとっては致命的となる。なぜなら反射で動く身体とは違い、思考は文字通り真っ白だからである。つまり、単純な戦闘の優劣ですら容易にひっくり返せるということである。

 メレンチーの部下の右脚が地面から出てきた手に鷲掴みにされ、そのまま地面へと引きずり込まれかけた。そして、視線を下へ向けた瞬間リディアの発砲した銃弾がワギ脇腹を貫通。スッと倒れる様に膝を付いたところへ、いい感じの位置に来た頭をリディアの回し蹴りが振り抜いた。

 気絶したのは確実だった。


「いいタイミングだったろう」

「そうね」


 ボコリと石タイルで舗装された道から出てきたのはマヌエルの部下の一人、ヒリヒオだった。二人で結託していたのだ。三人で結託していたとしても何一つおかしな話ではない。なんならマヌエルの目をかいくぐって行動するならば、この三人が協力関係に合った方が自然ではないかと考えた。そう、逆に考えれば三人もマヌエルから信頼を勝ち取っていれば、マヌエルと彩音の研究成果の一部を盗み見ることも容易かったのではないかと。少なくともマヌエルは彩音のから研究成果の一部を受け取っている。それは同時に形あるものとしてマヌエルがどこかに所持しているものであるということである。それが資料なら本棚に、データならパソコンに、だ。それを三人が結託して盗み見るのは、この世界のこの水準のレベルの、マヌエルの弟子と呼ばれる三人ならば容易ではないのかと。

 そして、二人の結託を見た時点で三人目の、ヒリヒオの存在は疑うべきだった。


「鋼女は少なくともこの事態にまだ気づいてない、ということだった。恐らくまだケースの気配、というかこの街から外へ行く人間の気配をお仲間の変異種を守りながら探すことに注力しているんだろう。まぁ、こっちが済んだらそのお仲間も欲しいんだけどね」

「状況整理にしては少し喋り過ぎだよ。まだ目的を達成したわけじゃないよ」

「でも、いろいろ考えてもらうのも……と、怒らないでよ。目的は一緒だろ。安心してよ。わかってるから」


 リディアの少しムスッとした視線を察したかのようにヒリヒオはご機嫌を取るように口をつぐんでいった。そんな中、戦闘力のないグレタはどうやって逃げるかを考えていた。グレタは想造アラワスギューが使えない側の人間である。故にプラナリアの合成人の力しか持ち合わせておらず、戦闘能力は皆無に等しかった。だから、自力での逃走を諦めたグレタはこの状況を伝えるために、思考を常にオープンにすることを選んだ。大丈夫かという本体、リュドミューラからであろう念話が来るのも無視してグレタは眼の前で起こった状況を全て事細かく報告した。それに対する思考もだ。しかし、オープンにした理由は他にもある。すでに意識が朦朧と、恐らく酸欠を起こしているであろう自分の意識がなくなったとしても一方的に位置情報を感覚的に伝えられる状況を作るためである。だが、最後にグレタは途切れる意識の中で安堵する。

 それは誰かに、否、リュドミューラに抱き抱えられたとわかったからだ。

「もう大丈夫だ」


 イーシャ率いる異人アウトサイダーと変異種の混成部隊が到着したのだった。

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