表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
綴られた世界  作者: 白井坂 十三
第九章:始まって終わった彼らの物語 ~渾然一帯編~
118/173

第百十筆:その目に映っていたのは誰?

「ど、どうぞ」


 そう言ってアリスとカトリーンがマヌエルに通された部屋はアリスが調べた時には鍵が唯一かけられた部屋だった。


「こ、ここは僕の研究室の一つ、だよ。だからいろいろと散らかってるけど、そこはが、我慢してくれると嬉しい」

「いいんですか、こんな場所に私たちを招いて」


 カトリーンは、こんな世宝級の研究資料が置いてあり自宅であるに関わらず厳重に鍵をしてある重要拠点に安々と部外者を招いて問題ないのか、という意味だった。


「か、構わないさ。妻には刺激的すぎる内容もあ、あるだろうし、何より、きっとレイノルズさんの言葉はぼ、僕の研究に新しい風を呼び込んでくれるかもし、しれないからね。内容をしっかりと記録しておきたいんだ」

「いえ、この対応に文句があったわけではありませんが」

「ハハッ。ならよかった。そこのソファーに、こ、腰掛けて。乗ってるものは全部床に適当に置いてくれて構わないから」


 言われるがままにアリスとカトリーンは自分たちが座れる場所を確保するためにソファーの上に乱雑に乗せられた資料をすぐ近くの床に置き、座る。


「じゃぁ、まずはエーヴェの件から話そうか」


 背もたれのある回転する椅子に深く座りくるりとこちらを向いたマヌエルの神妙な面持ちから投げかけられた言葉にカトリーンが返す。


「こちらとそちら、両包囲網にかからず未だ逃走中。街の外に出た人間が今日一人もいないことをこちらは確認しています。そこでこちらとしてはいくつかエーヴェに対して思うところがあります」

「いくつか」


 マヌエルの相槌にカトリーンが応える。


「一つ目はエーヴェの能力をこちら側が過小評価している可能性です。もちろんあなたの弟子の一人ですから、侮っているわけではありません。それでもこちら側も、そちら側も彼の用意周到さに出し抜かれてるとしたらその実力をより意識してこうどうしなければならないと感じました。だからこそ、聞きたいのです。彼の実力は国宝級だったりするのでしょうか?」

「も、もちろん、場所が場所なら、いや国が国なら国宝級と評されても遜色ない実力は、ある。ただ、それは研究分野で、という話だよ。戦闘や今回の一件のような逃走に於いては、バーバリさんには敵わないかもしれない、ね」


 そうだろう、とカトリーンは自分たちの目測が間違っていなかったことを確認する。


「では、次にこの街の構造です。単純によそ者である私達が把握していない場所、施設があるのではないか、ということです」

「ない、といえば嘘になる、ね。わかりやすく言えば、き、君たちにまだ見せていない研究施設の地下施設部分。そして、ぼ、僕がここに来る以前から存在していたく、空間。古い街で増改築をく、繰り返しているからね。僕すら知らない、見落としている場所があっても不思議じゃないだろう」

「地下施設、とおっしゃいましたか?」

「う、うん」


 食い入る様に、聞き逃さなかったことをアピールするかのように指摘した部分を深掘りするカトリーン。


「その地下施設を含めて、ですが。ここから容疑者でもあなたに質問するのは、どこか間抜けな話かもしれませんが、エーヴェと協力関係を結んでいる、いわゆる共犯者に心当たりはありませんか? 一人でこれだけの包囲網をかいくぐり続けるには協力者の存在が見え隠れするのです」


 恐らく現在最も疑っている点なのだろうとアリスでもわかったぐらいに熱量が増していた。


「間抜け、なのはぼ、僕がその協力者だった時だろうけど。そうだね、仮にいた、としてもこの街の一般人という線はう、薄いと思う。それは単純に、か、彼らに僕、いやバーバリさんを始めとした君たちを出し抜ける実力のあるに、人間がいるとは思えないから、ね。だから、仮にいるとすれば僕かトラーゴ、ブローサだろうね。十分に君たちがう、疑う価値のある人間だ。同様に、今の今まで、ぼ、僕に悟られずに行動できた人間でも、ある。注意はし、した方がいいだろうね」


 一歩も前進しない妥当な意見だった。


「では、その疑いを晴らすためにも今後はこちらが自由に活動できる範囲を」

「もちろん、広げてもらってか、構わない、よ。通達しておこう」

「ありがとうございます。それでは、改めてこの街の詳しい地図と……」


 それから許可やら確認作業が続いて、なんだかんだアリスの番になる頃には一時間半近くが経過しているのだった。


◇◆◇◆


「さて、それでは、こんな状況で言うのもじ、実に不謹慎かもしれないけど、本題に移ろうか」


 事務的なものとは違う、熱量を帯びた、興味、が全面に押し出された声が響く。

 カトリーンも内容そのものには興味があり、もしかしたら今回の一件に役立つかもしれない、またマヌエルという人間を知る機会でもあるため、早くまとめた内容を告げたいという気持ちがあるのだろうが同席することを決めていた。


「それで、改めて聞きたいのだけど、き、君は魂が可視化して見えている、のかい?」

「昨日お話した通り、言葉にするとフワッとしてしまって申し訳ないのですが、その魂のようなものが人の体の中にボヤッと浮かんでいるんです。そして、私にはその魂が時折、その身体と合っていないように見える時がある、といった感じです」

「ふむふむ」


 そう言ってアリスの言葉を一言一句聞き漏らすまいとメモを右手で取りながらも、顔はしっかりとアリスを捉え続けるマヌエル。


「ぼんやりとしたままで構わない。どう見えると身体と魂が合っていないと、君はは、判断しているんだい?」

「パズルのピースが合っていないように感じる、です。こう、明らかに歪で噛み合っていないように見えるんです。だから、違和感を覚えるというか」


 確かに、分からない感覚だとカトリーンは思う。


「なるほど。では、また改めてき、聞くけど、僕や彼女は今どう見えてる?」


 マヌエルの言葉を受けてアリスがマヌエルとカトリーンの顔を交互に見比べる。


「二人共、昨日と同様に私達とあまり変わらない感じがします」

「あまり、というのは?」


 昨日はそうは言わなかったという言葉が続くのがわかる勢いでの質問だった。


「もちろん、違和感というのは一切覚えないことは本当で、昨日と何一つ変わっていません。ただ、どうやら箱庭ビオトープ出身とこちらの人間でもなんとなく違いがあって、それを揺らぎのようなものでこれまたなんとなくわかるみたいなんです」

「それは、他の方も?」

「いえ、今のところ私しか」


 食い気味の質問に驚きを隠せていないアリスの返事をマヌエルは実に興味深そうに反芻する。


「き、君以外にはいない。なるほど、なるほど」


 メモを挟む。


「それで、直近だと誰がその、身体と魂が違うと感じた?」


 その質問にアリスは少し答えにくそうな表情を作り、出そうな言葉を飲み込む仕草をした。明らかに言い淀んでいる、この場で言ってもいいことなのかと思案していることがカトリーンの目から見てもわかった。

 つまり、互いの共通の知り合いにいるのかもしれないと。


「構わない。それが、結果として、な、何を示すことになるかはわからないけど、知らなければ、原因も、た、対策もわからないから、ね」


 マヌエルの諭すような物言いに引っ張られるように、アリスは意を決した顔を作り、その人物の名前を口にした。


「直近だと、あなたの奥様、メイ・アレンさんです」


 その名前を聞いてカトリーンもマヌエルも驚きのため表情が固まった。カトリーンは単純にあまりにも身近、先程知り合った人間だからというのもあった。しかし、マヌエルはどうだろう、そう思いながら改めて表情を確認する。しかし、いつの間にか右手で額を抑えているためその表情を確認することは難しくなっていた。しかし、うなだれた上でその佇まいは、ショックを受けているのだろうとカトリーンにも容易に想像することができた。魂と身体が噛み合っていないように見える。それは調べなくとも外見と中身が別物である可能性を示唆していることというのは誰にでも容易に想像できることだからだ。もちろん、まだ何も検証していないことでもあるため、早合点する必要はない。

 しかし、その可能性がちらつくであろう状況が自身の最愛の人間に向いているとすれば、真鍮穏やかでないだろう。


「他に覚えている範囲でどのくらいいる?」


 顔を上げていたマヌエルの視線がアリスとぶつかっていた。

 この状況であまり取り乱さず、即座に原因を突き詰めようとする姿勢をみせられるのは研究者だからか、それとも。


「他には」


 そう言って出てきた名前や人物像はマヌエルの部下だったり、宿屋の店員、さらにはカトリーンの部隊にいる人間が出てきた。後者に関しては当然、カトリーンは先程以上に驚きが隠せなかった一方で、この街以外の出身の人間にもいるのだなと思うことが出来た。

 その感想はマヌエルも同様だったようである。


「この街出身以外の人間も、か。これはいよいよこ、こっちの世界の人間に共通した何かしらの特徴、なのかもしれない、ね」


 ふぅと一息。


「後でカウンセリングを出来る範囲でや、やっておこう」


 そう言ったマヌエルの表情はどことなく明るく見えた。他にも似たケースで広範囲に起こっているという事実が自分の妻だけではないという安心感に繋がったのかもしれない、カトリーンにはそう映ったのだった。


◇◆◇◆


 以上の質問を踏まえた上でマヌエルはアリスが箱庭ビオトープで記録された新人類の成りすましのアリスであると断定した。こちらの世界と箱庭ビオトープを繋いだ数少ない人間の一人であり、箱庭ビオトープで獲得した成りすましという力も人知を越えたものだということも把握している。断定するために調べるキッカケとなったのは一昨日の話し合いの場で彩音という存在を知っていた反応を唯一示したことにあった。もちろん、あの段階では憶測の域を出ていなかった、それでもあの衝撃に満ちた顔は彩音が何者か知らなければ出てこないと考えれば、彩音から受け取っていたデータの一部を軽く洗っておこうと考えるのは、マヌエルにとって当然のことだった。その結果、先の通り箱庭ビオトープでひと暴れした情報のアリス・レイノルズと同姓同名でありながら姿の違う存在を見つけたのだ。そして、成りすましという力が他者に成りすます力だということを知ったのだ。この力はマヌエルの研究に一役買ってくれる可能性もあるのと同時に予定よりも早い段階で事を進めなければならなく、つまり成りすましで思考を読み取られてしまうとも感じていた。しかし、結論から言えばもう後者の心配はなくなっているので、今となってはむしろ研究に一役買ってもらうために、その力の片鱗を見せて欲しいと思っていた所でもあった。

 心配。それはもちろん計画が直接抜き取られることも意味しているが、もう一つ、アリスには成りすまし以外でマヌエルの計画を知るすべが無いということが確定したことである。それは、アリスが人間の肉体と魂の齟齬に気づけたとしてもその原因が、魂を区別することが恐らく出来ていないことが推察できたことにあった。つまり、マヌエルの計画を知るためには成りすまし以外に近道はないという結論に至ったのだ。すでに素体の目星も付きつつある上に、そのサンプルも近くに複数あることが確認できている。恐らく勝負は今から明日にかけてとなるだろう。その確信が得れた発言をアリスから聞いた時は、思わず顔を隠さずにはいられないほどだったのである。


◇◆◇◆


「しかし、これの意味すること、実にき、気になるね」


 マヌエルは語る。


「先も言ったけど、これは君という人間が特別であることをい、意味している、と僕は思う。もちろん、この世界のに、人間に何か良からぬことが起こっていることをき、君が感じ取っているのかもしれない。でも言い換えれば、君は他の人間にはないあ、新しい感覚を身に着けたことになる。し、知っているだろうか。世界中で色や味という共通の概念は合っても、きょ、共通の認識がないことを。それが知識によるものなら、知っているだけで色も味も知らない人間よりもお、多いことになる。同じものを見て、食べていたとしても違う答えを返すんだ。一方で、それを感覚質で語るなら、違う味を感じ、違う色を見て同じ答えを返すんだ。そう、全ては認識ひ、一つで世界は別の選択肢を与える。そして、君のも、持つ力はその認識に新しい拡張性を与えているんだ」


 そう言ってマヌエルは自身の髪の毛を一本右手で引き抜く。


「汚いものでも、申し訳ないけど、これは僕の髪の毛だ。そして、君たちの髪の毛と混ぜてしまえばそれは調べない限り誰かの髪の毛になってしまう。でも、今のき、君なら」


 マヌエルの言葉にアリスは頷きながら応える。


「あなたのものだと直感的にわかります」


 フッ髪の毛を吹き飛ばしながらマヌエルは続ける。


「た、魂だなんて非科学的なもの、とは思わない。恐らく君は、せ、生命の本質を観る何かを手に入れたんだ。その認識は哲学とも心理学とも情報工学とも違う側面で観測できる新しいアプローチということになる」


 マヌエルの饒舌さが、本人の気持ちの昂りを周知させる。


「君が言う魂と肉体が合わない、という事実の理由はわからない。で、でもそれがわかるということは素晴らしいことで大発見だと僕は思う。そして、僕はそこから新しい可能性を一つ提示したい」


 その昂りがこれから最高潮になるのがヒシヒシと伝わってきた。


「君は、魂に、人の認識に干渉できる様になるのではないだろうか」


 その発言は一人の、カトリーンの警戒レベルを増幅させた。

 何せ、彼女たちが追っている事件に、時間というありえない壁が存在しているにも関わらず疑いの眼差しを向けたくなるほど酷似した現状を生み出すことが出来ることを示唆したものとなったからだ。


「そ、そんなことが」


 明らかに戸惑いを隠せていないアリスの語気にマヌエルは少しだけ自身を落ち着かせるように一呼吸置いてから補足をする。


「も、もちろんあくまで可能性の話、だよ。ただ、見える、つまり形を捉えているということはその形へ干渉できる術を手に入れたことに、なる、よね。だとすれば、自ずとその可能性も考えなければならないぐらい強力な力であると同時に、やはり力単体としてみれば素晴らしい、とけ、形容しておきたくなる力だ、よ」


 続ける。


「魂を統合、並列すれば、同質化による多様性が生まれる。一方で正しく改ざんすれば更生という道だが、洗脳と変わらないことも出来る。そして、それは認識を歪めることを、い、意味する。魂に訴えかける認識。て、テーマとしてはとても興味深い。何より認識の均一化は、この世界では人間に対しては初めてのこととなり想造アラワスギューの進化に繋がるだろう。いや、君がその力を想造アラワスギューによって進化させる、という表現の方が正しいのかな」


 人間に対して、という言葉に引っかかりを覚えなくもないが、それ以上に紘和という人間が恐らく持つこの可能性により一層の恐怖をアリスは抱えてしまうこととなる。どれだけ優れた力だろうと、一定のラインを越えた力を手にした時、人はその力に、例え自分の力だとしても恐怖を覚えてしまうのだ。そして、アリスからすればこの力はまだ他人の力かもしれないのである。

 成りすましによる人格の飲み込まれという可能性を強く認識した今の彼女からすればより、その飲み込むだけの力があるというのはまた一層怖いものとして感じられるのだった。


「ただ、何度もいうが、あくまで可能性だから。こ、怖がらせたならも、申し訳なく思うよ。私もいささか自分の研究分野ということもあり興奮して語り過ぎた」


 ここでマヌエルは深々と頭を下げる。


「今日はこの辺でお、終わりにしよう。ま、またおしゃべりする時間が作れた時に、話をさせていも、もらいたいかな」

「わ、わかりました」


 アリスの冷や汗を確認したマヌエルは心配の言葉をさらにかける。


「お、落ち着いてからこの部屋を出るといい。つ、妻に飲み物を持ってこさせるよ。その後はゆっくり休んでくれ」


 そう言い残してマヌエルはアリスとカトリーンを残して部屋を出ていくのだった。そんな中カトリーンは中身が少女だと知っているだけにこれだけ冷や汗をかいているアリスに、彼女がここへ来た時期的にもありえないとは言え、本当に無関係なのか、という疑問を問い正すことは出来ず、マヌエルに倣う様に部屋を後にするのだった。


◇◆◇◆


 部屋から二人が出ていったというただそれだけの事実だけでアリスは紘和の成りすましを解く。すぐに戻ってくるかもしれない、部屋に自衛のためにカメラが仕掛けられているかもしれない、そういった警戒を全て無視して一瞬、本来の姿へと戻ったのだ。結果として何もなかったこと、何よりアリスも長時間の解除が危険であることを意識していたこともあり、十秒足らずで紘和の姿に戻っていた。

 握りしめたリングが汗ばんだ手のせいで湿り気を帯びている。


「ふぅ」


 落ち着くことを意識するために大きく息を吐く。と同時に視線を下に向けたアリスの目に飛び込んできたのは、マヌエルの髪の毛だった。相手のDNAを取り込むのであれば髪の毛一本あれば十分で、それが目の前に落ちている状況だった。アリスは再び飲み込まれるという意識が心の奥底からブワッと広がる感覚を、リングを強く握りしめることでなんとか動揺を押さえつける。大丈夫とわかっていても意識するという行為が結果としてその度に可能性としてアリスの身体を、心をそのマイナスのイメージで包み込もうとする。

 そして、それを振り切ってアリスはなおまた意識しなければならないその現況に手を伸ばしたのだった。なぜならこれが間違いなく切り札となり、その結果、ここでの問題を解決することができるからだ。そう、アリスは忘れていない。この世界で生きているであろう、ジェフに会うという当初からの目的を。自分たちが作られた存在であろうと、そこで一瞬でも揺らごうとも、決めた思いは、根っこは変わらないのだ。だからアリスはマヌエルの髪の毛を手に取るとそのままズボンの右ポケットへと入れるのだった。

 コンコンッ。


「大丈夫ですか、レイノルズさん」


 扉は閉まっていないが、気を利かせて部屋の手前で壁を叩いてくれたのだろう。

 振り返るとそこにはマヌエルが言った通り、飲み物が入っているであろうコップをお盆に乗せて持ってきたメイがいた。


「気分を悪くしている、と聞きました。大丈夫ですか?」

「はは、少し自分の力に戸惑うものがありまして」


 アリスは無関係の人に心配をかけまいと作り笑いをする。そして、恐らくそれをメイもわかっているのだろう。

 それ以上聞かない代わりにそっとコップをアリスの手に取らせた。


「今日のレイノルズさんの寝室は案内した時にご紹介した客室を使ってくださいね」


 にこやかな笑顔。魂と身体に違和感がなければどれだけ素直に受け止められただろうとアリスは思うのだった。そして、なぜ、こう見える人間がいるのか、結局は分からずじまいだなと思うのだった。それでも、アリスは一つ確信したことがあった。それは恐らくアリスが新人類で成りすましの異能を持つことをマヌエルが知っているということをだ。


◇◆◇◆


 成りすましの恐怖を知り、ジャンパオロからリングを受け取り、落ち着いてから外出したアリス。この時、アリスはとある指定の場所へと向かっていた。

 そこは何の変哲もない場所だが、夜となると人目を避けられる路地裏の様な場所だった。


「本当に来てくれるとは思わなかったよ」


 薄っすらと刺す月明かりからアリスは、その場に待ち合わせていた青年が、マヌエルとの話し合いを終えメレンチーと一緒に宿屋へ帰る時にぶつかってきた青年だとわかった。


「昨日も来てたの?」

「うん。日の指定をしちゃうとそっちも自由が効かなくなるでしょ? でも昨日来なかったのは正解かな。今日来てくれたほうが幾分君に来てもらったかいがあるよ」


 眼の前の青年は、アリスからは魂と身体が合っていない存在だった。


「アリス・レイノルズ。新人類にして数少ない成りすましの中でも特異な存在である可能性あり」


 淀みなく出される情報に、アリスは即座になぜ一般市民が知り得ているのかと身構える。

 真っ先に考えたのはアリスが把握していないグレダの様な存在がいる可能性だが、それならばわざわざアリス一人を指名する理由がわからない。


「そう構えなくていいよ。私はこの一件に関しては君の味方だよでも、今どうしてそんなことを知っているのか、って思って警戒してるよね。これは今日調べた箱庭ビオトープのデータの一部を復唱したに過ぎない、とだけ言っておくよ」


 箱庭ビオトープを知っている時点で人は絞れるはずだった。眼の前にいる人間がアリスの知るマヌエルで無いことは明らかである。

 しかし、男に見えるその青年が、自分が退治た時に出会った女の彩音とも似て非なる存在であり、絞れるはずなのに、全く検討がつかなかった。


「私の正体を今君に伝えるのはリスクが高いから語れないからここでは青年Aと呼んで欲しいかな。それでも、隠しきれないから言ってしまうと私は当然マヌエル・アレンに近しい人物だよ。そうでなきゃここまでの情報は知らないからね」


 青年Aってとツッコみたいところではあるものの、それよりもマヌエルに近しい人物、それは同時にアリスに一つの可能性を提示することの方が今は重要だった。

 そう、マヌエルはすでにアリスの成りすましの力を把握しているのではないかということである。


「その顔、気づいたみたいだね。そう、今日話せてよかったというのはその一点だよ。アレンは君の正体に気づいた上で、すでに利用することを計画してる。その目的は君に自分のDNAを取り込ませてその力を自分のものにすること、つまり成りすましによる上書き、だね。どうやら君、こっちに来る直前にそういうことができるようになったんでしょ?」

「随分とペラペラ喋るんだね。私に捕まるって可能性は考えてないの?」


 こいつはこちらのことを知リ過ぎているとアリスの中の警鐘がガンガンと鳴り響いているんだ。

 警戒レベルが指数関数的に上昇を続けるのも無理もない話だった。


「どんなリスクを払ってでも私にはこのふざけたままごとを終わらせる必要があるから来たの。バカにしないでよね。こっちだって必死であいつにバレない範囲でいられるところからあんたに手を差し伸べてるんだから」


 しかし、疑いの目を濃くした瞬間、相手から発せられた必死さが色濃く乗せられた荒々しい言葉に、アリスは一瞬にして毒気を抜かれていた。そう必死なのだ。何かを得るためにどんな手を使ってでも達成しようとしている、それが伝わるぐらいに必死な言葉だとアリスは思ったのだ。会って数秒、ここまで相手の気持を汲んでやってしまうのは、年相応の甘えと捉えるべきことなのかもしれない。

 そう、まだ目の前の青年Aは何も自身の潔白さを証明していないのだから。


「それで、私にどうしろっていうのよ。というか、どうしてその計画は私に伝えても問題ないって判断できたの?」


 青年Aはアリスの質問に大きく深呼吸を挟んでから答えた。


「どうして欲しいかはさっき伝えた通りここでのおままごとを終わらせて欲しい、ただそれだけ。そして、どうしてさっきのことは話せたかというと、これなら今の君は誰かに相談することなく自分の胸の内で決められるでしょ? 他のことは誰かに伝えたことで、いや、伝わらなかったとしても計画に支障が出ていることが感づかれた時点で私の身も危険になるから、よ」

「でも、それって結局何をすればいいかはわからないし」

「そう、私の目的は君に、私が協力者であることを知っておいて欲しかったの。そして、成りすましの力を事件解決に用いるとしたら気をつけてね、と伝えておきたかった。そういうことよ」


 釈然としない答え、そう答えになってない答えだが、それでも青年Aの言葉が嘘でなければアリスだけが知る切る札ということである。そう、嘘でなければ、である。マヌエルの指示で演技をし、アリスに取り入るための前段階という可能性も十二分にあるのだ。それでも、とアリスは考える。そうだったとしても最短でマヌエルの喉元に近づける道を確保できたのだと。

 だから、アリスは青年Aと手を組むことを決めたのだった。


「わかったわ。それじゃ、何かあったらよろしく」

「えぇ、よろしく」


 短い時間であったが二人は握手を交わし、この日の交流を終えたのだった。そして、アリスは情報通り、マヌエルが積極的に髪の毛の一部を残した行動を確認して、青年Aの言葉をより一層信用したのである。


◇◆◇◆


 ケースが逃亡を始めた段階でグレダにイーシャへ増援を要請したのは正解だったなジャンパオロは先のマヌエルたちの会話を聞いて思っていた。恐らく、直感的に早くて明日以降、大きな戦闘がこの街が行われる可能性を感じ取ったのだ。根拠という根拠があるわけではない。しかし、マヌエルの最後の嬉々と喋る姿が研究者として謎を解明する、新しい発見をしたことに対する興奮とは全く違うものに感じたのだ。例えるなら何かが叶うことに対する喜びである。それも永年の悲願とも言えるものが叶うのではないだろうかという口ぶりだったとジャンパオロは感じたのだ。

 それに、マヌエルがアリスの力を、成りすましの力をすでに把握している可能性を考える一件でもあった。それは、髪の毛をわざわざ抜いてみせた、ということにある。もちろん、自身と切り離した肉体的一部を自身と同一であるかという問答をするためにした行為であり、普通に考えればどこも怪しいことはない。しかし、これらの行為がジャンパオロがこちらの世界に来てから見聞きした二点からマヌエルが何か良からぬことを企んでいるのではないかと、自分だったらそうする可能性があると考えることが出来てしまったからである。一つ目は彩音から箱庭ビオトープでの情報を協力の報酬としてもらっていること。これは存在する人間のデータを、個人情報をそのもらった情報から調べることができるのではないか、と思ったのである。つまり、アリスの成りすましについてすでに知っている可能性である。そして、二つ目がアリスの成りすましに本人と深く同期してしまうリスクが伴っていることを知ったことである。そして、そのことも含めてマヌエルが知っているとすれば、認識という分野を研究しているマヌエルが欲していてもおかしくない、と考えるわけである。そして、自分ならアリスに成りすしをさせ間接的ではあるが自分のものにしようと考える可能性があるな、と思ったのだ。

 アリスがマヌエルに飲み込まれることは万が一にもないと思っている。それでもアリスに自信をつけさせるためにそれっぽいリングを持たせて自己に集中させる手段を設けさせたが、それでも可能性がゼロではない。そのために、戦力は増やしておいた方がいいと考えたのだ。

 そう、明日戦いの火蓋が切って落とされようが、最強の味方が敵になったとしても、使える戦力は戦場に多くいるにこしたことはないのである。


「少しはゾクゾクして来たんじゃないの」


 謎の解決は一切できていない。しかし、確実に迫りくる陰謀を感じ、ジャンパオロは一人笑うのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ