第百八筆:リスクとリターン
「それで何よ、メレンチーに言われてたこと。できるだけ伝えられることは伝えられるうちに早めにしてもらいたいねぇ。特に、俺に対しては」
部屋に戻ったアリスはジャンパオロと対峙していた。
最後の一節を強調した言い回しに、相変わらずのうざったさを感じながらもアリスは深呼吸を挟んでから口を開く。
「今日はバーベリさんの判断で保留にしたけど、アレンさんから今後は宿泊先をうちにしないかって言われた。そのことをあんたの視点からも判断して欲しいんだって。ちなみに大人数を招待したいわけじゃないらしいから、押しかけられないと思うけど」
「良いんじゃないかな。俺は賛成だ、と言いたいところやけどその前に、どうして誘われた? ただなんとなくか? それともそういう流れになるキッカケがあったんか?」
「あったよ」
アリスはマヌエルと話した内容を掻い摘んで話した。まず、アリスがこちらの世界に来てから紘和の姿を取っている時だけ、生物の魂を知覚できていること。そこから派生してこの世界では人間の器、肉体とその魂に違和感を覚える存在がいること。それらが意味することが何かをマヌエルに尋ねたこと。その話をマヌエルは拡張性のある力であり、新しい発見であると嬉々として聞いていたこと。
故に、その話を深掘りするための時間を作るという意味とマヌエル家の調査も合わせて宿泊を促されたことを。
「……おいおい、ハハッ。できるだけ伝えられることは伝えられるうちに早めにって言った側からこれやもん。その話、ホンマか?」
「だから確認したんじゃない」
「いや、ちゃうよ。アレンとこに泊まる件じゃなくて、その肉体と魂が、の話」
明確な一拍。
「本当なのか?」
その標準語を明確に意識させた確認がアリスに対して、ジャンパオロが真面目に話している内容だという強調の意を込められた言葉だということはわかった。
だからアリスは首を縦に振る。
「ちなみにお前はその違いを感じた人間を覚えてるんか?」
「この街にはそれなりにいたよ。例えばこの店主さん。他に顔を覚えて共通認識できる人で言えば、アレンさんの部下の二人もそうだったと思う。後は……バーベリさんの部下の男の人もそう感じたと思う」
「なるほど。バーベリの部下に関しては後で名前と顔をしっかり確認して俺だけに教えろ。それと、その違和感を感じる人間はこの世界の人間だけか? 例えば今目の前にいる俺はどう見えるんや?」
「特に何も感じないよ」
「そうか。できれば俺たちの拠点に戻ってその力で全員見てもらいたいが、お前みたいな戦力をここから外すわけにはいかんからなぁ」
後半はブツブツと独り言の様に話すジャンパオロ。この時のジャンパオロは当然、このアリスの、否紘和という規格外の男が持つ力によって判明した真実に対する仮説を自分の中で展開していた。人の肉体と魂にズレの様な違和感がある。この言葉をストレートに解釈すれば、それは肉体と魂が別のものである、別のもの変性されている、つまり洗脳されている可能性が高いということである。そんなことはありえないという当たり前な感性を持ち合わせている人間ほど、この当たり前の帰結にたどり着けないのかもしれないと考えた。死人が生き返ったと聞いて、まさかと信じず疑ってかかるのが普通なのはそう、当然なのである。このことをマヌエルも気づいているはずである。故にどの人間がそういった特徴を持つのか、気になったのだろうと推察できた。それを行っている当事者が答え合わせをしたいと警戒するならば合点のいく展開だと感じたからだ。
一方で、仮に別の意味を持っているのであればどうなのだろうとジャンパオロは考える。別物と断定できる訳ではないため、合っていない様に、霞がかった様に見えるぐらいに何か才気を潜在的に持ち合わせている可能性である。その潜在的なものが何かは分からない。しかし、ジャンパオロの世界の人間にそういった特徴がないのであれば、自ずと創子という違いが影響していると推察することは可能である。つまり、想造に他とは違う特色が現れる才能を隠し持っているということになる。マヌエルやメレンチーの部下にいるというのが一つの、出来るやつがいるかも知れないという指標になるという判断材料になる。
逆に、その分布が先の肉体と魂が別物である説とこちらの世界の人間の潜在能力説を確定させられない点でもあった。仮にジャンパオロたちの世界の人間にもこの特徴が見られた場合、どちらの可能性も否定されるからだ。
そのため先の独り言でアリスをこの場から一時的にも離脱させて良いのかを吟味していたのである。
「ねぇ、聞いてるの? 資料だって」
随分と考え込んでいたのだろう。
ジャンパオロはアリスが資料の紙束で頭をペシッと軽く叩かれて頭を上げた。
「あぁ、ありがとう」
「それで、行ってもいいの?」
「構わんよ。もちろん、一方通行の通信機で盗聴はさせてもらうのは条件やけどな。ひとまずはそれで行こう。後、お前はできる限りそういう違う人に気づいたらメモしといてくれ」
「わ、わかったわ」
アリスは嫌味を交えず淡々と指示を出すジャンパオロの姿を見てそれだけ自分のこの力が重要なものだということを理解するのだった。そして、ジャンパオロの集中に話しかけづらさを感じアリスも配布された資料に目を落とすのだった。
◇◆◇◆
三分後、鋼女がジャンパオロの元へと合流した。
「ハハッ。昼間はレイノルズと仲良くやってたみたいやないか。俺にはちっとも心を開いてくれないくせに、妬けちゃうね。妬けちゃうから俺にもあんたの力や経歴、教えてくれない。高値で買ってやるよ。まぁ、今はこっちの金持ってないから出世払いになるけど」
アリスが扉を開け案内した矢先、先程までの思案に黙っていたジャンパオロはどこへ行ったのかというほど、いつも通りの嫌味を言う姿がそこにはあった。
よほどアリスに通信機の存在を伝えられた上で隠されたことを根に持っていたということだけは誰の目からもわかった。
「そんな話をするために呼んだんなら私は帰るけど、いいのかい?」
「そっちこそまともな判断力を持つ人間と組んだ方が良いと思ったから応対したんやろ? 今回の一件、一人でなんとかなると思ってんの?」
売り言葉に買い言葉。
バチバチと視線がぶつかり火花が散っているようだった。
「真実を暴くだけなら出来るだろうね」
「強がりか? じゃぁ、どうして来てくれたんだよ」
「あんたというよりもアリスちゃんの力が必要だと思ってるから、あんたの顔を立てに来ただけさ。何を言っても手を貸して欲しいのはそっちになるんだからさ、いい加減突っかかってくるのやめないかい?」
「さっきも似たようなこと言ったけど、俺はこういう風でしかコミュニケーションが取れないんだ、気を悪くしたなら許してくれ。微塵も反省してないが形だけでもその姿勢を見せたことを最底辺の誠意だと思ってくれ」
「人間性を最大限に利用した、程度の低い人間が魅せる美化は認めたくないんでね。その誠意は受け取る気もないから、とっと話を進めてくれないか」
「ちょ、ちょっとその前にいいですか」
ジャンパオロと鋼女の口論が一段落付いたところで、アリスが割って入る。
さっき自身の持つ紘和の力を伝えた時にそのままジャンパオロに伝えそこねていた内容を、せっかくならこのタイミングで、鋼女と一緒のタイミングで伝えておこうと思ったのだ。
「何? 今ようやく始まるタイミングやったろ?」
散々本筋へ向かわなかった男の言葉を無視してアリスは続ける。
「私の力、成りすましの力について伝えておきたいことがあるの」
ジャンパオロの表情がまた遅ればせながらの報告かと顔をしかめるのがアリスにもわかった。
「私もここに来る直前にその兆候を掴んでて、アレンと一度分かれた時にそうすればいいんじゃないかと思いついたことなのだけど」
「もったいぶ」
「その相槌もいらないでしょ」
鋼女の鋭いツッコミにジャンパオロは口をすぼめながら目を見開いておどけてみせる。怖い怖いとからかう声が自然と聞こえてくるぐらいには煽りの高い表情だった。
そんなジャンパオロのちゃちゃにも負けずアリスは続ける。
「どうやら私の成りすましは特異体として進化して、相手の記憶を思考の再現の深さに応じて探れるようになっている……みたいなの」
告げられた二人が目を点にしている。
「えっと」
「それはつまりあれか」
アリスの言葉を遮るようにジャンパオロが質問を始める。
「成りすましは今までその人間の肉体を再現、そしてその人間が習得している技を盗む役割だったはず。他にそいつの考えも再現出来る上に記憶を読み取ることが出来るのか。つか、今も出来てるのか?」
ほとんどオウム返しのような質問が、ジャンパオロがいかに動揺しているかを物語っていた。
同時にアリスはジャンパオロがよく調べてるとも思い、こいつの情報に対する力が本当なことを再確認する。
「第五次世界対戦で九十九と戦闘する時、もっと天堂の力を発揮しようと意識しようとした時に、思考を寄せようと試みた結果記憶の断片を覗く機会があった、というのがどちらかと正確な言い回しだと思います。だから、絶対にできるかはわからない。実際、今は天堂の記憶を覗いてはいないし。でも、不確かではあっても試す価値はあるかなって」
「待って」
今度ジャンパオロでなく鋼女が食い気味に割って入る。
随分と語気が強かったという印象をアリスは受けた。
「それって、あなたは、アリスは大丈夫なの?」
「……え?」
アリスからほうけた声が出た。能力の特異性に関する質問が矢継ぎ早に来ることを想定していただけに、心配の声が聞けるとは思っていなかったからだ。
加えて、その理由がアリスにはわからなかったのだ。
「え?って、わかってるの。それって」
それって。
「アリスがアリスじゃなくなるかもしれないってことだよ」
両肩をガッと掴まれ、そのまま力が入るのを感じる。
「わかってる? 私の知ってるあなたが、アリスがこの世からいなくなるかもしれないってことだよ」
成りすましの能力を解除すれば戻ってこれる、紘和の思考をトレースをしても戻ってこられた、この前提とも捉えていた考えと一度戻ってこれたという経験によってアリスの中からリスクと捉える感覚がなくなっていたのである。
その心配を鋼女がしてくれているとようやく気づく。
「もうアリスとして誰かに会うこともでき」
鋼女の口をジャンパオロの右手が塞ぐ。
「それはもう心配を通り越して不安を助長しかしてない。止めときな」
「……」
何か言いたそうなキツい顔で鋼女はジャンパオロを睨みつけるが、目の端に捉えたアリスの顔を見て、アリスを掴んでいた両手を離し、一歩、一歩とゆっくり後退りし、そのままベッドの上に座り込んだ。
「ごめんなさい」
しゅんとした鋼女の顔から弱々しく謝罪の言葉が漏れた。その言葉を向けられた当の本人、アリスは知ってしまった自己の消失の可能性を色濃く感じ、無意識のうちに紘和の姿を解いていた。じわりじわりともしもの可能性が、墨汁に紙の端を付けた時に染み渡るように背中を蝕む様に昇ってくる。考えなかった可能性ではない。それでも、現実として他者から告げられたという事実が大きかった。いや、それよりもよぎってしまったのだ。鋼女の言葉よりアリスに過ぎったものを言葉にしたことで、不安が突き落とされるような恐怖へと変わったのだ。
育ての親であるジェフに、アリスとして会えなくなってしまうのではないか、と。頭がフワッとする絶望感。ぐるぐると頭の中を何か得体のしれないものがかき回り、意識がそちらに向き寒気だけが近くできる。ついで眼の前の風景を確かに捉えているはずなのにどこかぼんやりとする感覚。這い上がってきていた恐怖がそれらを巻き込み、今度は首から下へと流れ出す。そして、どっぷりと重たく、思考を始めとした全ての行動を鈍化させる黒い鎧を纏ってしまったのだった。
◇◆◇◆
ジャンパオロは最悪だ、と感じる。一つは、アリスが新人類の成りすましの特異体として、成りすましした人間の記憶を抜き取ることが出来るようになっていたことである。これは敵味方関係なく脅威である。秘密という概念が意味をなさないのである。少なくともジャンパオロはこれを聞いた瞬間、自分の身を真っ先に案じたほどだった。そして、これは別にジャンパオロに限った話ではないと思っている。髪の毛一つ取られただけでプライベートが覗き見られるのである。絶対的に優位に立てるポテンシャルを持った味方だとしても、腫れ物の様に扱われても何ら不思議はない。
そして、もう一つの最悪はこの絶対的力を有効に使おうとした矢先、使用者が、アリスがそのデメリットに押しつぶされてしまい使い物にならなくなってしまったことである。正直、ジャンパオロも一つ目の最悪で自己保身に走っていたため鋼女の言うデメリットにはその時気付かされた。それは十二分にあることだった。催眠、洗脳でその人間が本来の人間とは違った性質を持つのと同じ様に思い込みというまやかしはまさに嘘から真となることはあり得るに足りるのだ。しかし、その可能性を二十歳も過ぎない子供と言っても過言でない少女に突きつけるのは、酷だという話だった。良薬でも超過すれば毒となるかもしれないのだ。気持ちの振れ幅が大きい存在ならば、鋼女の言葉はひたすらに毒にしかならなかっただろう。だから止めた。もちろん、鋼女が視線で訴えかけてきた通り、アリスにリスクを知られずその力を使える状態を維持し、使えるコマとしてキープするという下心が優先した故の対応ではあった。それでもここまでメンタルに支障をきたす事態になるとは、予想していなかったし、鋼女の言動を止めに入ったのは結果的に間違っていなかったとなった。
ただそれでも、アリスが使い物ならなくなってしまう状況が続いているので、何も事態は好転していないのだが。
「はぁ」
聞かれないように小さくジャンパオロは溜息をつく。こんなことに時間を取られている場合じゃないのにと考えながら、そして、自身の髪の毛が落ちていないか確認しながら、ジャンパオロは重い空気の中、鋼女とアリスへ向けて言葉を発するのだった。
◇◆◇◆
「さて、時間は無限じゃなく有限や。だから、今はレイノルズが提案した最良とも思えた作戦は一旦保留にする。そして、本来の、鋼女、お前をここに呼んだ理由というか今後の方針を決めていこうと思うが、ええよな?」
「えぇ、大丈夫よ」
鋼女が顔をあげて応える。
「恐らくあんたの雇い主、メレンチーたちは想造の研究に対する秘匿性の重要性を理解していない、は言い過ぎにしろ、どこか平和ボケしてる。この感覚はあんたと共有してる事案、でええよな」
ジャンパオロの確認に鋼女はコクリと頷く。
「これを踏まえてそちらは今後、エーヴェを追うことになると思うけど、あんたはアレンについてどう思ってる? 怪しい? 怪しくない? 怪しいならどうして?」
「当初聞かされていた依頼内容からもこれだけ大規模に手広くやっているという点からもアレンが関わっている可能性は捨てきれないわ。理由は特にないけど、今言えることはアレンの他にエーヴェも協力する立場にあったということかしら。少なくとも彼一人で秘密裏に出来る規模の問題ではない、と思ってる。何よりアレンがこれらを見逃すってどれだけ用意周到な話なんだって考えてしまうわ」
「いいねぇ」
間髪入れずにジャンパオロは鋼女の意見を肯定する。
「やっぱりあんたは人間と距離を置いてる都市伝説だからか随分とこっちの人間の常識に囚われてないというか、いや、違うな。ただの人間以上にしっかりと状況が見えて可能性を考えることが、最悪を想定することができるみたいで安心したよ」
ハハッと笑い声を挟む。
「だからこそ、レイノルズのことまでしっかり見ててほしいな。情に動かされてると対局を見誤るからね。そこのところもう一度しっかりしてもらいたいなぁ」
「全くだよ」
先程までとは打って変わって嫌味に素直に受け応える鋼女にジャンパオロは聞こえるように舌打ちを打つ。
「それじゃぁ、あんたには引き続きアレンの動向にも雇い主の指示があったとしても注力してもらいたい。グレダ、こっちの合成人の一人が接触してきたら自由に指示してもらっても構わないからさ。とにかく一緒にアレンから目を離さないで欲しい、ってことで」
「わかった」
おおまかなすり合わせができたところでジャンパオロは一番の問題に話を振る。
「で、レイノルズ。今天堂に成りすましできるか?」
無神経か、そんな鋼女の視線は気にもとめずジャンパオロは再度言葉を重ねる。
「さっき、アレンの家に宿泊するどうこって話、そもそもお前が天堂に成りすましできないなら外出すら禁止や。なんなら最悪、そこの鋼女に拠点まで運んでもらうことになる。要するにお払い箱や」
ジャンパオロの言葉にアリスは紘和の姿に成りすまして応える。
そしてすぐにアリス自身の姿に戻る。
「言い方を変えよう、その成りすまし、継続的に出来るのか?」
応答しないアリスにジャンパオロは言葉を続ける。
「お前の新しい可能性は、敵であれ味方であれ脅威となるまさに奥の手や。お前にとっての最悪、俺たちの最高は今間違いなくお前がアレンに成りすまして真偽を直接確認してしまうことのはずなんや。だから成りすましが継続的に出来るかはこっちからすれば死活問題に近い。お前という戦力はお前が思っている以上に事を進める上で大きな役割を担っているんやからな」
続ける。
「そもそも、いや、この力の真価がわかったからこそ、お前の成りすましの力はアレンに知られたらまずい。わかるよな? で、どうなんだ?」
その問いかけにアリスは紘和に再び成りすます。
「成りすましはできる。ただ、さっき言ってたのは出来ない、というかやりたくない。ごめんなさい」
ボソボソと告げられた言葉にジャンパオロはさらに質問する。
「本当に大丈夫か? 今も解除したくてたまらないのを我慢してるんだろ? 状態の把握は必須だ。しっかりと答えてくれ」
二、三秒の間を経てアリスは応える。
「ふと、思い出したように身体がさっきの自分に戻れなくなるんじゃないかという恐怖で動かなくなるような感覚がある。そんな時は一度でいいから解除したいって思ってしまう。だから、定期的にトイレとかで成りすましを解除させてもらえれば行けると思う、います」
ジャンパオロにとって想定よりアリスのメンタルは良好だった。しかし、良好だっただけで現場に出すことにためらいを覚えるレベルではあった。戦力外通告の様なことを言ったとは言え、実際はマヌエルと敵対した時に必要となる戦力だとジャンパオロは判断している。鋼女の都市伝説を知っていたとしても実際の戦いぶりを知らないジャンパオロからしてみれば結局信じられるのは紘和という人間の異質な強さだけなのだ。
その元となるアリスが不安定というのが直面する問題となってしまったのだが。それでもいないよりはましかと判断せざるをえないとジャンパオロは思うのだった。
「わかった。絶対にバレるなよ。天堂の姿が維持できるならそれだけで文句はねぇからな。それに」
最後くらい、それっぽく終わらせてやるか、というジャンパオロは気遣いの元、品のない笑顔を鋼女に向ける。
「アレン邸宿泊中はそいつが尻拭いも兼ねてフォローしてくれるだろうぜ」
ハハッと笑いを飛ばす。責任感、罪悪感に漬け込むお願いは、鋼女の首を縦に振らせざるを得ないのだった。
◇◆◇◆
鋼女が出ていった後、アリスはジャンパオロと二人きりになった部屋で未だ成りすましのリスクに対して考えては頭を真っ白にしていた。考えることで堂々巡りとなったその不安、緊張は巡るたびその負荷を大きくしていくのが特徴である。
だからこそ自分一人で抜け出すのは困難である。
「アリス・レイノルズ。孤児。六歳の時にはすでに両親に捨てられ、ホームレス同様の生活を送っていた。一年後、ジェフ・オルフスに保護され彼が運営する孤児院に迎え入れられる。その後、イギリスの革命と呼ばれる新人類の人体実化に志願する。志願した理由は、カンバーバッチによる孤児院及びジェフへの貢献を誘導されたから。結果として新人類一号となり、成りすましという貴重な能力を獲得する。その後、イギリスから追われたジェフを探すために敵対関係にあった天堂らと行動を共にする。そして、現在は一人ジェフの行方を探している。いや、ジャンパオロに協力する形で現状打破を画策している、とした方がいいかな」
淡々とアリスに関する情報を羅列し、最後だけ少し嫌味のように補足するジャンパオロ。
本当に情報という形でいろんなことを知って覚えているのだなとアリスは関心していた。
「どうだ、合ってるか?」
「えぇ」
気が滅入っているとわかっているアリスに知識をひけらかすようにマウントを取ってくるジャンパオロの意図が読み取れない。
だからといって苛立ちが勝るわけでもなく、かまってあげる余裕がないぐらいに聞き流してしまう戯言ぐらいにしかアリスは感じていなかった。
「そう、合ってるんだ。これがどういうことかわかるか?」
「わからないよ」
事実ということ以外何一つわからない。こんな時にどういう問答がしたいのかまったくわからなかった。
纏わりついている不安がジャンパオロへの苛立ちを加速させていた。
「少なくとも今のお前の記憶は俺の持つお前の情報と整合性が取れてる、つまり、形だけで見ればお前はお前ってことや」
アリスはジャンパオロの言動から普段とは異なる故の違和感を覚える。
「それと、記憶っていうのは何かと結びつけることで、無関係であってもそれを思い出すことが出来るって知ってるか? 関連性があって思い出すこと、例えば故郷の食事を異国ですると、なぜか故郷の食事の風景を思い浮かべる。これとは別ってことで語呂合わせ、なんてものがある。そのどれにも共通することがある。それが、記憶の紐づけや。そのものを思い出せなくても別のものから意図的に記憶を呼び起こす、ってことや。尺かもしれないけど、とりあえずこれ、持っとけ」
ポイとジャンパオロから投げ渡されたものは、ジェフという名前が刻まれた薬莢だった。
「今日からそれを首から下げて暇さえあればそれを見つめて自分が自分だと意識付けろ。気の持ちよう、嘘じゃないって思うにはやらなきゃ始まらんからな」
あぁ、今、気を遣わせた上で励まされてるのか、とアリスは違和感の正体に気づく。
「そうすれば、アレンに成りすまして、記憶を覗こうとしても問題ないやろ」
最後に添えられた悪態すら照れ隠しで可愛く見えるほどだった。
「ありがとう」
だから感謝の言葉を投げた。
そして、アリスはこの状況を好転させるかもしれないもう一つの事案を思い出し、起き上がる。
「ハハッ、感謝とはお釣りが来るな。ってどこ行くつもりだ?」
「夜風に当たってくるだけよ。吹っ切れるためにもね」
「本当にそれだけか? 今のお前の精神状態を見てると、何かがうっかりボロを出しそうで正直外に一人で出すのはこちとら避けたいんだが」
「大丈夫、じゃないけど、あんたの言った通りジェフさんに会うまで下手なことはしないわよ。それを思い出させてくれたあんたにも舞うホコリぐらいには感謝してるし、そうならないためのこれ、なんでしょ」
適当に紐を通し首から下げた薬莢をこれ見よがしに見せつけるアリス。
「一時間、それ以上はこっちも手を打つ」
「まるで保護者ね」
何か言いたそうなジャンパオロに背を向けアリスは紘和に姿を変え走り出って部屋を出ていくのだった。
◇◆◇◆
保護者、というワードにジャンパオロはムズムズとしたものを感じていた。もちろん、先程の言葉は全て今後の運びが良くなるように意識してかけた言葉である。心配を装い親身になったことによるポイント稼ぎ、アリスの成りすましの新しく獲得した力を奥の手として使えるようにしておく布石、アリスが成りすましでボロを出さないようにするための地固め、全て自分のために施した言葉だった。それが、保護者という言葉一つで、自身がわずかでも本当に心配して親身になってあげたのではないかと錯覚させられたことに嫌悪したのだ。
だから、不自然に見えた外出も見送ったのだ。本人は本当に気分を紛らわせる、そういったノリに隠して出ていけたと思っているのだろう。しかし、何かを思い出したような顔をジャンパオロは見逃していない。だから、本当は誰かと密会、または工作を施すつもりなのだ。そうでなければそれでいいが、その縛りとして一時間という時間制限を設けたのだ。この行動で事態に変化が生まれれば、どちらに転んでもジャンパオロたちが動く理由になり、それはマヌエルたちの尻尾を掴むことにつながるだろうと考えたからだ。いや、これも全てそうなったらという結果論を想定した良いわけである。
結局のところ、子供相手に同情したかもしれない自分に、心を開いていこうとした自分に嫌気が差し、物理的に距離を取ろうとしたのだ。
「あぁ、嫌だ嫌だ。ほだされてるって感じるのは実に嫌なことや」
そう考え、ふと頭に思い浮かぶのはムーアの顔だった。その場限りの関係を築いた人間としては今までで一番楽しい存在だったからだ。信用はない、ただ目的が同じだから行動する、その気を遣わなくて良い関係を思い出したのだ。故にジャンパオロはこれが寂しいという感情であることに気づく。情に流されるのは、そういった感情があるからだと。
自分が信じる人間がいるとすれば他人を信じない人間だと決めているだけに、この保護者という言葉は、繋がりを意識させた言葉としてジャンパオロに不快感を残したのだ。
「認めた上で、否定すんのよ、俺は」
深いつながりは繋がりは必要ない。それでも繋がりそのものは必要である。自分をよく知る寂しがり屋の孤独好きは、頭の中を整理しながらゆっくりと瞼を下ろすのだった。
そして、朝を迎える。アリスは何事もなかったように部屋に戻っていた。しかし、事態は想定通りに進んで行く。三日目の朝である。