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綴られた世界  作者: 白井坂 十三
第九章:始まって終わった彼らの物語 ~渾然一帯編~
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第百七筆:誘引突起でないことを願わずに

 メレンチーを含めた九人の部隊は以下の通りに分けられた。まず、ルドルの安全を護る鋼女がメレンチーたちの一件でも即座に動けるようにと一人つける。そして、最も怪しいと思われる世宝級のマヌエルには先に同行させたカトリーンに主力であるメレンチーとアリス、そして残りはマヌエルの部下三名の元へ二人ずつ向かわせることとなった。そのことをマヌエルへ連絡し、アリスたちがマヌエルと合流したのは日も沈もうとし始める時間帯だった。マヌエルがいた場所は先にアリスたちが会談をした公民館のような場所から目と鼻の先にあるこの街で二番目に大きい施設、オスム市役所だった。

 それは地下に大きな区画を持っている施設の一つであり、調べるべき場所の一つでもあった。


「ど、どうも。迎えに来ました」


 市役所前まで移動すると、外でマヌエルが出迎えてくれた。


「わざわざお出迎えありがとうございます」

「い、いえ。そ、それでどうしますか?」

「では、早速ですが、外に立派な門がありますが、そこの往来の確認が出来るもの、加えて彼らが何をしたのか、そしてこの街の詳細な地図などがありましたら閲覧させていただきたい」

「わ、わかったよ。じゃぁ、せっかくなら二組に分かれてもらおうかな」

「というと」


 なぜマヌエルが二手に分かれることを提案するのかわからず、メレンチーは理由を聞き返す。


「い、いや、単純に僕の部屋も調べたいと思ったから、う、受付で僕の部屋に行く人と、ぼ、僕に付いてきてそちらの探しものをする組に分かれたほうがいいかなと思っただけだよ」


 確かに効率を考えた時にはその手段を選択することは正しいとその場にいた誰もが思う。同時に、自身の懐へ自分がいないタイミングで招き入れるという行為が信頼を勝ち得に来ているとも、すでに証拠を消し終わっているとも取れる発言だと考えることもできた。

 しかし、どちらであったとしても見に行くべき場所であることからメレンチーはマヌエルの申し出を快くうけることにした。


「では、アレンさんの部屋は俺が行く。二人には調べ物の方を頼む」


 コクリとアリスとカトリーンが頷いたのを確認するとマヌエルが左手のひらを返しながらさぁ、と言葉を添えて進行を促す。


「こ、こっちだよ。付いてきて」


 こうしてアリスたちはまず二手に分かれるのだった。


◇◆◇◆


 一階の奥、資料室へと案内されたアリスたちは必要な資料をマヌエルから受け取りながら読み始めていた。今、アリスの手元にあるのはここ三年間のオスムへ移住してきた、オスムから移住した人間のリストに、加えて出生記録などの人々の増減を示す資料のだった。先程の確認すべきリストにはなかったものだが、人の出入りという点で何か気づきがないかということもあり、カトリーンが渡してきたものだった。もちろん、何かあるかもしれないという判断は本当のことであるが、もっと正確に言えばアリスは戦闘における戦力であって、調査や分析に関しては実年年齢から考えてもカトリーンらに劣ると判断され、それはアリスも納得できる点であり、故に読み解きやすい資料を渡されている、ということである。だからこそ、カトレーンはある程度、現在の状況、人が変わってしまった人間について面識、認識もしっかりしていることもありにオスムへの出入りした記録をここ三年分漁っている状況だった。ペラペラと紙を捲る音だけが部屋を走る。それを眺めつつ、合わせるように資料をなんとなく捲っているマヌエルがいる。

 アリスはそんな状況に少しだけ窮屈さを感じ始めたところでなんとなく口を開いたのだった。


「そういえば、せっかく世宝級の方がいるので聞いてみたかったのだけど、こっちの世界にはこう、私たちとは違う何かを人は持っているのでしょうか?」


 資料に泳がせていた視線を、明らかに好機な眼差しに変えてマヌエルがアリスを方へ視線を送る。


「じ、実に抽象的な質問だね。抽象的にならざるを得ない、君がそれを言語化できないのか、はたまたぼ、僕から何かを引き出すためにわざとなのかはわからない。けれども、敢えてその質問に無理やり、君の望む答えじゃないかもしれない答えを返すならこうだ」


 饒舌に、有意義な時間を見つけたように話し始めたマヌエルは、少し溜めてこう言った。


「あるよ」


 続ける。


「例えば、想造アラワスギュー。どうやらぼ、僕たちの世界の人は誰でも出来る当たり前の技術だけれど、君たちには適正があ、あるらしい」

「そうなんですか?」


 ジャンパオロの適当な説明ですんなりと使えてしまった身からすれば、それは驚きの事実だった。


「そうだよ。こちらが受け取った政府の情報を見るに、抵抗する際に使う人間と使わない人間がいるようで、その差はそういった技術を知らないか、適性がないかの二択ということになる。そして、現在進軍するカナダを名乗る国では、全員がそうでないという報告をう、受けてるから後者だと僕たちは考えている。つまり、君は、少し特殊、というよりも極めてこちらの人間に近いのかもしれない、と捉えることも出来る」


 なるほど、となんとなく心中で感心しつつも、マヌエルの答えが宣言通りアリスの求める解答ではなかったため、質問を続けた。


「それは喜ばしい、と捉えていいんですかね。でも、私が聞きたかったのはそういうことではなく、なんというか……変な話なのかもしれないけど」


 そう前置きしてからアリスは続ける。


「こちらの世界の人たちは、身体と、その、魂っていうんですかね、が結構不安定だったりするのが特徴的だったりするのでしょうか?」


 その質問は間違いなくマヌエルの興味を惹く質問だったのだろう。目元が上に隠れて相変わらず表情を確認することはできない。

 それでも、この質問にマヌエルが何かを感じているのが伝わる気配がぬるりと漂い始めたのはわかった。


「面白い質問だね。これは存在するものが存在を証明する例なのか、それとも君がと、特別なのか……いや、そうだとしても後者ということかもしれないね」


 ボソボソとつぶやいたマヌエルは、今度は人と会話をするべき大きさの声を張って言葉を続ける。


「それはつまり、き、君の視界に映る僕たちは、今まで見えていた通りの普通の人間と、肉体と精神、いや、魂が合っていない人間がいるよう見える、ということかな?」

「えっと……そういうことです」

「そ、それはね。実に興味深い症例だね」


 マヌエルが続ける。


「き、君には僕たちが見ている世界とは違う世界が見えるだけの何か拡張性を持っているということになる。少なくとも、こんなことを言う人間とで、出会うのは僕も初めてでね。その意味がどういった意味なのかわからない、というのが今出せる僕の解答だ」


 マヌエルはそのまま前のめりに口を動かし続ける。


「だ、だからこそ興味深い。君はこの世界ではこういった人々がいるのは当然なのかと疑問を得たわけだ。でも、それを僕は知り得もしなかった。僕や、彼女は今どう見えているんだい?」

「私と変わらない、というかここに来る前と同じ人間に見えるよ」

「そうか……それは少し残念。だけど、ひ、ひとまず君にそう感じる人間がいたら誰だったか名前だけでも書き記してもらいたい。そこから、君の抱える疑問に共通項を見出し、答えを、み、見つけられるかもしれない」


 どうやらマヌエルの知的好奇心をくすぐるには十分だったようで、口ぶりからはとてもワクワクしているのが伺えた。


「わ、わかりました」


 故に少し押されるような形でアリスはその依頼に答える形になった。

もちろん、この違いが何か分かれば大きな強みとなるだろうとアリスも考えてはいたためマヌエルの申し出を断る理由はなかったのだが。そんな話に盛り上がりを見せているとジーッと別方向からも熱い視線をアリスが感じて振り返ると、カトリーンが仕事をしろという無言の圧力を飛ばしてきていた。マヌエルも少し白熱したことを申し訳なく思ったのか、ペコペコと頭を下げると、アリスにまた後にでも、という視線を送ってそのまま口をつぐむのだった。その後は、黙々と紙を見つめていたが、アリスにわかったことはこの街に移住した人間は多くはないが、出ていく人間はいないぐらい居心地のいい街であり、街全体の人口は現象知らず、ということだけだった。ついでにいえば、出生率も決して無いわけではなく、マヌエルという医療分野に関する世宝級がいるからか、平和で安全で、つまり、いい街だ、ということだった。故にアリスにできたことは移住してきた人間をメモしておくことだけだった。

 そう、あまりにも足りないデータがあることに、先のマヌエルとの会話のせいもあり、気が散って気づかないこと以外は、上々の結論だった。


「そろそろ引き上げるぞ」


 三時間ほどいた資料室に声をかけに来たのはメレンチーだった。そう、それだけの時間が経過し、日は暮れていたということである。

 すなわち、想像以上に集中して調べごとにあたれていたということである。


「宿に、帰るのかい? だ、だったら僕の家に泊まってもらっても構わないのだけれど、どうだろう? その方が都合がいいことも、あ、あるだろうし、何より僕は君とも、もう少しお喋りがしたい」


 メレンチーの声掛けで帰り支度を始めていたアリスたちをマヌエルが引き止める。

 そしてアリスに熱い視線が注がれていることも忘れてはいけない。


「えっと」


 アリスは言葉を濁しながらメレンチーへ視線を向ける。


「確かに渡りに船のようなお誘いだが、こちらは一度互いに集めた情報を持ち寄りたいと考えている。だから、そういった行動を取るかも一度持ちかえらせてもらっても構わないだろうか?」

「いい心構えだと思うよ。そ、そちらの心境、立場を忘れての発言、失礼したよ」


 メレンチーのフォローもあり、ここは一旦お開きという話の流れへと持っていけた。もちろん、だれの視点からしてもマヌエルの懐に入る機会というのは早い方がいいだろう。証拠があると仮定して抑えることまで考えるならなおさらのことである。しかし、相手があのマヌエルという事実がその考えを慎重にさせるのである。敵かもしれないマヌエルの懐に入る。それは敵の得意なフィールドへ意図的に誘い込まれているという解釈も取れるからである。それは最悪、メレンチーたちが調査している、人が変わったような状態にされる恐れもあると考えることが出来るからだ。もちろん、この街に来た時点で、接触した時点ですでに何かが始まっている可能性も無きにしもあらずだが、一番のリスク・リターンの瞬間があるとすれば今であり、その判断はジャンパオロや鋼女と情報を共有した上で下すべきだとメレンチーは思ったのである。

 そして、その意図はマヌエルにも伝わっていたようだった。


「それじゃ、もうとっくに営業時間外、だからね。外まで見送らせてよ。そして、明日もここに来るといい。今度は隣接する僕のし、診療所を案内するよ」

「時間は追って連絡しよう。それじゃぁ、最後に書類を書いてもらって……」


 こうしてアリス、というよりはメレンチーたちがマヌエルと書類を交わした後、オスム市役所を出て拠点となりつつある宿へと帰っていったのだった。


◇◆◇◆


 マヌエルが事前に話を通しておいてくれたのか、宿の下の食堂としても利用される広間を時間問わず使用しても構わないと店主から言われていたため、夕食後、アリスたちはそこで今日集めた情報の照らし合わせを行っていた。


「もう大丈夫なん?」

「戦いを、という意味ならまだ万全ではないが、歩き回るぐらいならもう問題はない」

「へぇ、頑丈だねぇ」


 ルドルが参加しているのを見たジャンパオロの一言が皮切りとなり、互いの情報交換が始まる。


「さて、盗聴とか聞き耳の心配はしなくていいと思うから始めちゃいますか。そして、言い出しっぺの俺から。特に情報を持ってない人間の話を聞いてもらおうかな」


 ニカニカしながら仕切りたがりが口を開く。


「ひとまず、俺たちは今後アレンに、そちらの要件を飲む形で近くへ移住することを決めている。一番ネックな食糧問題を一気に解決できるからな。もちろん、仮設住宅ができ次第と考えてるけど、こっちの想造アラワスギューがあれば屋根のある建物ぐらいなら近くの木を集めればすぐやろうし、後は土地を開拓するだけ、これも問題ないと踏んでる。故に、数日分の食料と医療品だけ貰う交渉を進めることにしてる。流石にきな臭いところ、塀に囲まれた街の中にゾロゾロ入るのはちょっとリスクがあるからその処置ってところやな。こっちからは以上や。あぁ、グレダの話とかはこっちでも把握できてるし、そっちの会合アリスが参加してるのは全部把握してるから省いてくれてええで」


 まくしたてるように言いたいことを言ったという満足げな顔をしたジャンパオロはそのまま唇をすぼめ視線を少しだけ下に向け上目遣いを取るようにしながら右手を右から左へ軽くはらい、自身の番が終わったことを表現する。

 その仰々しい態度に溜息を付きながら次に口を開いたのは鋼女だった。


「それも別にお前の力でも何でもなく、アリスにしかけた盗聴器とそういった意識の共有できる合成人のなせる技なんだろう。わざわざ知ってますよアピールする当たり、気に触るね。少しは悦に浸りたいその中二病心を自制できないものかね」

「ハハッ。無理無理。そういうキャラ付けというよりスタンスなんや。諦めてくれ」


 鋼女の嫌味を笑顔でジャンパオロは受け流す。


「こっちも対して追加できる情報がないという点で先に喋らせてもらうよ。主要人物、アレンとその部下だけで見ても外へ出たのはエーヴェ一人だ。一応、城壁から本人が外で開けた土地を下見したというのを確認できたからその主要人物だとわかった後は、帰っていくところまで確認してる。それ以外でも、この街の住人を含めて今日はいなかったんじゃないかね。少なくとも私はそう知覚してる」


 鋼女の言葉を裏付けるように、鋼女が出払った時にルドルの警護を行っていた男が確かだ、という風に首を縦に力強く振った。


「ハハッ、凄いね。その人の気配を近くできる野生の勘、みたいなの」

「あんたもわかりやすい気配してるよ。そこら辺にいる人間より捻くれた気配がにじみ出てる」


 両手を軽く左右に上げ指を外側に向けやれやれといった顔を見せるジャンパオロ。

「それじゃぁ、本題。ぜひそちらの周辺調査を聞きたいね」


 そして、鋼女の嫌味を流すようにジャンパオロはメレンチーたちに話をふる。


「では、鋼女さんの話に付随する形でいいでしょうか」


 メレンチーの部下の男の申し出に、ジャンパオロはどうぞと手を差し出す。


「そのエーヴェさんについてですが、俺たちは彼の周辺調査を今日は担当していました。こちらで集まった時にサッと話をすり合わせているのですが、どうやら我々だけ御本人と同席できなかったみたいなのです」

「へぇ」


 ジャンパオロの相槌を挟み続く。


「同席できなかったというのはアレンさんから指示を頂いた、アレンさんの研究室でエーヴェさんが所有する研究室の一室で調査を行った際、他の方から同席できないが調査を進めてていいと言われ、監視が外れた中で調査をしていたということです。入室の許可を職員並びにアレンさんから取っていることもあり、問題なく行っていたのですが、他の方々が同席のもと行われていたにも関わらず、一度も合流せずこの日を終えたのです」

「つまり、帰ってこなかったってことやね」


 ジャンパオロの要約に男は頷く。それは僅かな違和感でしかない。しかし、この状況において確かな糸口でもあると誰もが考える。マヌエルに言われた、異人アウトサイダーの受け入れの準備、確認を行っていたとは言え、それぞれが調査を切り上げたのが大体十九時を過ぎたあたりだった。つまり、その時間までエーヴェは研究室に戻ってこなかったということになる。

 もちろん、この事実は単にジャンパオロたちの一件を片付けるのに諸々の申請を含めて忙しくしていた故という可能性を否定できない。


「何時ぐらいに戻ったんや?」

「十六時に出て一時間、十七時までには戻ってるはずだ。その後の詳細な位置までは流石に追っかけてない、というかそこまでの精度はないからできてないよ」

「ふむ……市役所には、アレンの元には?」

「少なくとも私たちが調べ物してる間に報告に来た、とかは無いと思うわ」


 アリスの報告にジャンパオロは右手で顎を擦る。妙に感じるには十分な行動であるのはその場の誰もが思うところだった。なぜケースはマヌエルが取り決めたようにメレンチーの部下と合流をしなかったのか。

 そして、しないでどこへ行っていたのか。


「それで、深掘りする前にまずはそのエーヴェの実験室の調査結果を聞いておこうか」


 ジャンパオロの一声でメレンチーの部下がチラリとメレンチーを確認し、メレンチーが頷いたのを見てから口を開く。


「研究室には実験器具を始め、多数の資料となる学術論文やレポートがありました。知見があるわけでもないため多くを理解できているかはわかりませんが、研究のテーマは人の認識であり、哲学、心理学、情報工学と様々な分野からアプローチを試みていることがわかっています。そんな中でもエーヴェは知覚と心理学を紐づけながらいろいろと研究を続けていたようです」

「補足、よろしいでしょうか」


 メレンチーの部下が一人申し出るのをジャンパオロは頷く。


「こちらの一件に関しては他二人も同様のテーマを研究しているものの、そのアプローチが先の哲学、心理学、情報工学で色濃く分かれているようなのです。リディア・トラーゴ、バルボさんが撒いた女性の方が哲学を、そしてエリヒオ・ブローサという男性の方が情報工学からアプローチを積極的にしています」

「へぇ、彼女も噂の部下の一人だったわけか……わざわざ研究所から離れてこっちに割いてもらってたんだね。それとも仕事のシフトがあるんやろうか」


 大きな大きな、独り言のような相槌を入れるジャンパオロ。


「恐らく、アレンさんの記憶に関する研究を認識で細分化し、個々にやらせている、というのが実情なのでしょう。まとめて話していきますが、哲学では文献を探すことに重点を置いているみたいです。我々に知らない文献といいますか、著者が多く、素直に学者なのだなという印象を受けました。一方、心理学では人の観察、主にこの城壁に置かれた監視カメラのようなものや、アレンさんが営業している病院の一部患者に任意で研究資料と題して様々なデータを集計していることがわかっています。最後に、情報工学では機械都市マイアネチと共同で研究を進めていることがわかりました。と、ここまで抽象的な内容に感じられたかもしれませんが、研究内容の詳細を簡略化してまとめたこちらで用意してある資料をあとで複製後、お渡しします」

「なるはやでよろしく」


 ジャンパオロの急かす声は内容とは裏腹に上の空であった。それもそうである。その詳細がどうでもいいぐらいに、誰に要点を置いて調べるべきかというメレンチーたちに協力する目的が明瞭になっているだった。全ての怪しいという感情がただ一人の男へ集約されていく。何故か合流しない、心理学というアプローチから人を素材として扱いかねない立場にある人間。一つ前の段階から疑わしかったケースは黒に近いグレーとなったのだ。そして、これはメレンチーたちから話を聞いているマヌエルならば真っ先に思い浮かぶ候補であっただろうとも考えられる。まだ断定はできないにしろ、なぜメレンチーたちからここへ来た目的を伝えられた時に可能性の話としてケースを話題に出さなかったのかも少しだけ気になる。一方で、それだけ用意周到に進められる実力がケースにある可能性も浮上するため、今後のこちらの行動にも注意が必要なのはより明白なことだった。冷静に考えてみれば相手はマヌエルに選ばれた少数精鋭の部下、否、同じ研究者なのである。実力も匹敵はしなくとも準ずる何かはあるのだろうと改める必要はある、ということである。さらに厄介なことがあるとすれば皆さん知っての通りのように話された機械都市という存在である。ジャンパオロからすれば名前の通りに受け取る以外の手段はなく、どれほどのレベルで機械都市と名乗っているのかわからない。そして何より最悪、マイアネチが関係している可能性も出てくるのである。

 面白い。複雑になればなるほど、暴きがいがあればあるほど、ジャンパオロのやる気は漲る。そういう性分だからこそ、世界中の機密情報にアクセスしてはばら撒き続け、最終的にプロタガネス王国へ匿われるまでに危険な存在として扱われる指折りのハッカーとなったのだ。しかし、そう思うべき高揚させる材料が揃っているにも関わらず、ジャンパオロは今回の標的であるマヌエルという男を何度も思い浮かべる。自身が直接会いたいし、また盗聴器越しで聞いたセリフ、その全てから感じ取れる、直感的になにか裏があるのではと思わせる潔白さ。そう逆張りを強要させる何か、が引っかかってならないのだ。

 そして、この直感は間違っていないとジャンパオロは考えている。


「あぁ、そのくれるって資料って要するに各研究内容のコピーだったりするの」


 次の話へ進もうとしたタイミングの腰を折るように、ジャンパオロは何気なく先程の渡される資料の確認をもう一度挟んだ。


「えぇ、こちらが理解するには難しいと思いますが、そういった形になってます」


 おかしい。


「それって、おかしくない? こっちの世界だと情報、教材と置き換えてもいいけど、その価値って想造アラワスギューをする上で計り知れないんだよね? ましてやその資料ってアレンの研究の一環、なのかもしれないだろう? どうしてそう安々と外部に漏らしちゃうんだ? エーヴェに至ってはあまりに管理がずさんだ。抑制すらできへんやん」

「こういったものは数日中、今回だと三日以内に返却または処分することを取り決めている。それに持ち出し期間が長いというのはそれだけこちらが習得できないレベルで資料がまとめられているか、そもそも理解できないと判断されている、ということになる」

「その取り決めっていうのはこの世界では常識で、破った場合の罰則は」

「持ち出す際の人間次第だが、場合によっては死刑も在りうる。今回は我々の即時退去となっているがな」

「そうなのか」


 メレンチーの注釈を聞き終え、ジャンパオロはこれ以上自身の疑問を解消するために疑問を追求することを止めた。恐らく資料の持ち出し、閲覧を外部の人間がすることは日常茶飯で間違いないのだろう。故に、常習的だからこそ違和感に気づくまでに時間がかかるだろうと判断したのだ。そう、明らかにおかしいのだ。記憶というマヌエルの真価が問われる研究の一端に対するずさんさ。貸出日数が一般的よりも長期的である時点で、その研究はすでに捨てられた内容か、誰に見られても問題のないものと判断されたか、あるいはすでに研究を終え次のフェーズに入っていると判断するのが妥当だろう。少なくともジャンパオロにとってマヌエルという男への評価はそれぐらいしなければならないと判断できていた。自分で勝手に敵を過大評価しているようにも見えるだろう。

 事実、そうかもしれないし、それが過大評価に越したことがない相手でもあるのだ。


「あんたの着眼点、私は正しいと思うが、今はその姿勢で問題ないだろう」


 ボソリと周囲の人間に聞き取れないぐらいの声でジャンパオロの背後に回り込み、通り過ぎていったであろう鋼女の声がした。嫌な流れ、それに気を張っている人間がもう一人いる、その事実だけでもジャンパオロにとっては追い風だし、恐らくそれを伝えたくての一言なのだろう。ジャンパオロは内心で、噂の都市伝説は頭の方も確かだと感じるのだった。

 さて、どうしたものか。そう考えるジャンパオロをよそにメレンチー側の報告が続く。次はマヌエルと市役所内での調査報告だった。異人アウトサイダーの対処に関する書類の山が積まれた市長室があったこと。人が変わったように見えた人間は、しっかりとこの街を経由していることを裏取りできたこと。そして新しい共通項として滞在中、対象の人間が怪我や病気を理由に病院を訪れていることが判明したこと。この三点に重点を置いて報告がされた。

 人間に直接暗示や催眠をかける手段があるとすれば、それが出来る可能性を探るのは当然のことである。その当然の索敵の先に尤もらしい原因が転がっている。十中八九、翌日病院を調べればこの診察、または薬の処方といったどこかでケースの名前が挙がるのだろう。逆に挙がらなければ、メレンチーの部下たちと合流しなかった時間を活用して証拠を隠滅した可能性が高くなり、そのための行動が痕跡となって新しい証拠となるのだろう。ここまでは意見交換をする誰もが共通で持っている認識であり、メレンチーたちも明日はマヌエルから病院への視察を勧められている点からもそっちに人員を割く方針を立てていた。同様に、ケースの自宅にも同様の調査を行う必要があると結論が出ていた。そのため、リディアとエリヒオへの調査に割く人員が一人づつになることが決定した。そのことにジャンパオロは特に意見することはなかった。至極当然の判断で対応である。状況証拠から探るならば効率的で、正しい選択だと言わざるを得ない。だからこそ、だからこそ何度も何度もジャンパオロの脳内では同じ憶測が駆け巡る。マヌエルという男に対する警戒心だ。ここまで来るとケースという男に怪しいという点から注目するのは何一つ間違っていない。それでもなおマヌエルという男の顔がちらつく。主犯が仮にケースだとしても、今後出てくる状況証拠がそうだと言っても、あまりにも出来すぎているのだ。事件を調べに来た翌日の夜にはすでに事態に収束の兆しが見えている。唯一調査に同行しないという明らかに不審な行動。認知における生物学でヒトという生物を対象に研究を進めている。そして、マヌエルの部下は皆、病院での診療を実施している。丁寧に正解への足跡を見失わないようにどんぐりでも置かれている様な道標そのものである。

 何度も考える。まだ首謀者は確定していない。それでも、こんな杜撰な、ここに来て二日の人間でもたどり着ける現状にマヌエルが気づいていないことなど在り得るのだろうか、と。まだ知った上で、黙認し、自身の実績だけを伸ばすために実験をさせていたという運びの方がしっくりとした構想を描くことが出来るという話であるそしてそっちの方が挑みがいがあるのだ。眼の前の餌で満足するほど、機密を暴く欲にまみれたジャンパオロは甘くないのだ。そう自身に言い聞かせ舌なめずりしながらジャンパオロは明日に向けてさらに仕込みをする算段を考え始める。今この場で決まるのはメレンチーの言った通りでいい。

 そう、それを囮にしてでも、ジャンパオロは先へ進むべくこっそりと、後で自分の部屋へ来るようにと書いた紙を鋼女へ渡すのだった。


「それでは、今日のところは解散とする。資料は十分以内に部屋へ届けるので、待っててください」

「わかった」


 ジャンパオロはそう言いながら鋼女へ視線を向け、その後に来いと視線で合図を送る。

 それに対して溜息を盛大に吐く鋼女に満足してジャンパオロは食堂を後にするのだった。


「そうだ、アリスさん。バルボさんと先程の件、話しておいてください。こちらは自分かブルスがどう転んでも行く予定だ」


 とメレンチーがアリスに言っていることをジャンパオロは聞き逃さずに、だ。あいつ、そういうことは授業が終わってから質問するんじゃなくて、授業中にしろよ、みたいなことを思いながら鋼女が来る前に楽しく問い詰めようと悪態を付きつつ胸をトキメカせるのだった。

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