第百四筆:噂の都市伝説
あれからメレンチーたちの現状をマヌエルは聞いた上で、改めて一つの提案をした。それはマヌエルの三人の部下、そしてマヌエル本人と行動する部隊編成を行った上でそれぞれに病院のカルテを始め、流通、違和感を覚えるようになった人間の足取り、そして各対象者の部屋などの家宅捜索を行うというものだった。
どれから手を付けるかは、メレンチーたちに任せるということでまずはそれぞれに割り当てる人を決めて欲しいということで話はまとまった。
「それじゃぁ、ひとまずどっちかがぼ、僕と行動を共にし始めるかい?」
「では、ブルスを置いていく」
「よろしくお願いします」
メレンチーのその場の決断にカトレーンは椅子から立ち上がるとマヌエルに向かって一礼する。
「君は、どうする?」
そう言ったマヌエルの視線の先にいたのはアリスであった。
「わ、私は……」
特に自分でこれをやるという予定がないのでチラリと横に座るメレンチーに視線を送る。
「彼女は、このまま俺に付いてもらいつつバルボさんと合流させるつもりだ」
「だそうです」
「わかったよ」
それが話し合いの終わりを意味していたようだ。
「それでは、また何かあったら連絡を頂戴、ね。こっちも各自に連絡しておくから、好きなタイミング合流してくれて構わない。場所は、この紙に書いた番号でぼ、僕と連絡を取ってくれれば対応できるよ」
スゥーっと机の上を一枚の紙切れが滑ってくる。
それをメレンチーが受け取り確認すると電話番号が書かれていた。
「ありがたく」
「そ、それじゃぁ、お疲れ様」
マヌエルの労いの言葉に全員が立ち上がりそれぞれの向かいに対して一礼する。こうして、マヌエルとの会合は終わったのである。
◇◆◇◆
メレンチーの提案で行きとは違い、宿屋への帰り道を覚えていることもあり、街を少し観察しながら帰るため、送迎の車を用いず、アリスはメレンチーと二人きりで歩いて帰宿することになった。
「この出会いは幸先がいいと言えたのかもな」
歩き出してしばらくするとボヤくようにメレンチーが言った。
アリスは特に言葉を返さなかったが、メレンチーは続ける。
「そちらも結構な境遇にあるにも関わらず、協力を取り付けられたこと。正直、あれだけのスケールや可能性の力の話を聞いた後だと、幸運だったと思わざるを得ない」
「そう、ですか」
出会いというのがマヌエルとのではなくアリスたちと、という意味で使われたことが確定したと判断し、アリスは適当に相槌をうつ。
「その力も想造を黒い粉状にして獲得できるという事実は、俺たちにもそういったことが出来るようになるかもしれないという可能性が出来たわけだ。何より君の強さは本物だとある種裏付けされたようなものだからな」
「強さ、ね」
「バルボさんが隠すということで隠しているが、その変身の力も、魂?を知覚するような感覚もこっちの世界ではパッと出てこない未知の力だ。それはつまり強さ、だろう」
確かに変身、成りすましはマヌエルが言っていた整形とはまた別物である。技術や知識を始めとした経験もある程度手に入れることがアリスには出来るからだ。故に特異体であった訳だがこの世界ではそもそも特別だったのだ。と、ここまで考えながらアリスはふと思う。メレンチーが魂を知覚、という表現をしたが、これに関してはブレている人間とそうでない人間がいるのだ。メレンチーの隊員の中に一人、そしてこの街に来てからも、いや、来る時からそういった人間はちらほらと見受けられた。これに関してもせっかくならマヌエルに聞いてみたほうがよかったのだろうか、と思いながらそれではジャンパオロが隠すことを選んだことに反するな、と思いじゃぁ、誰に相談したものか、と考えてしまうのだった。少なくともメレンチーは魂のブレについて何かを知っているわけではない。
となると、自然と相談するなら現状はジャンパオロしかいないのかとなり、軽いため息をアリスはつくのだった。
「だから、期待している。鋼女共々」
「鋼女?」
聞き慣れない単語にアリスは思わず聞き返した。
「昨夜話したこちらの最大戦力のことだ」
それだけ言って特に明確な反応を示さないアリスを見て、メレンチーはそういうことか、と何か納得したような表情を見せる。
「真赤な封筒に青い文字で書いた依頼の手紙とアタッシュケースに報奨金を入れる。そして、半径五キロの人の目がない樹の下にそれを埋める。一週間後、再び訪れて封筒とアタッシュケースがなくなっていれば受諾、あれば拒否。そういうやり方で依頼の種類を問わないが、自身のやりたい依頼しかこなさない何でも屋みたなのがこっちの世界にはいるんだ。バルボさんは君にはまだ話してなかったようだな」
「へぇ」
アリスは独特の依頼の受け方に、不思議という人の心をくすぐるような惹かれるものがあり、唸るように相槌をうった。
ジャンパオロが説明していなかったという点にそういう人間とは言えまたか、という嫌気を感じつつもそれが勝る程度の不思議だったのだ。
「達成率百パーセント、ただし受諾されるかは本当に運。そもそも受諾された数が少なすぎて実在すら怪しいが、今回は見事気休め程度に依頼したが請け負ってもらったわけだ」
と鋼女の強い部分ではなく、神秘性を見せるベールの部分を聞き終えてふと思ったことをアリスは口にする。
「この噂事態が広まってるとしたら、報奨金目的でそれっぽいところに当たりをつけて横取りされてる、なんてことはないんですか?」
「そういった考えを実行するやつはもちろんいる。ただし、依頼が受諾されるわけじゃないが、落とし前として、その横取りした窃盗犯は必ず処罰されている。実際、この噂が広まった当初、その窃盗をした人間が次々に警察署へ自首させられた事件が多発して、それらをひっくるめて鋼女事件と評されるようになった。鋼女。事件の名前でもあり後の愛称にもなった瞬間だ。つまり、噂が鋼女の実在を証明する証拠にもなった訳だ」
「なるほど」
そんな事件があったのか、と明らかに興味を示すアリスに少しでも今のうちに打ち解けておこうと思ったメレンチーはジャンパオロから教わっていなかったであろうことを教えるという親切心も見せておくことで帰り道をそれとなく好印象で終えてもらおうと決める。
「ちなみに戦闘力が高いこともこの事件で知れ渡ったのは確かだが、最高戦力という評価を得たのはまた別の事件が発覚したことでなんだ」
「別の事件?」
「戸塚家誘拐事件。さっきの話し合いの場でも出ていたルケタ大陸。その中でも南部に位置するフオディアという国はこの大陸を象徴するような国で十家と呼ばれる、名前の通り十個の武術に精通した名家が存在する。そこの戸塚家から当時五歳の娘とその母親を攫ったんだ。その後の彼女たちの安否はもちろん攫われた理由も明かされていないが、当時賊として攫った鋼女は戸塚家を始め十家の半数の加勢を前に戦いながら逃げおおせたんだ。壱崎家と志知枝家の加勢がなかったからという者も多くいるが、それでも戦いのプロから単独で逃げ切ったというのは、戦いという面で大きく評価された」
「十家、というのはそんなに強いんですか?っと」
アリスが通行人とぶつかる。それだけ話に食いついているということである。
メレンチーからしても周囲の観察をしながら雑談を出来る状況は、調査よりも自然としていられるため周囲の目を気にしなくていいのが利点であった。
「世宝級というのは分野ごとに想造のトップであることと同時に戦闘力もそれを用いて強い、というのは想像できるだろうか?」
コクリとアリスが頷く。
「つまり分野にもよるが、基本世宝級の戦力は一人で一国をどうにか出来る戦力、と認識してもらっていいだろう。その世宝級に想造を用いずに戦闘という側面で武器と肉体のみで匹敵すると言われている。そういう存在の一つが十家の当主たちだ。中でも壱崎家現当主、壱崎唯一はその武器と肉体における戦いにおいて人類の頂点と言われる存在だ。まぁ、さっきいった通り戸塚家誘拐事件には加勢してない訳だが、それでもそれぐらいの人間たちから誘拐、逃亡に成功したということだ。だからこちらの最高戦力ということだ。ちなみにこういう存在を盤外戦力って言う人間もいる。世宝級ではないことを番号、盤上共に存在しない、という意味を込めてね。つまり、彼女もそういう存在、というわけでこちらの最高戦力、という訳さ」
「……なるほど、です」
その話を聞いてアリスは世宝級が八角柱と似たような立ち位置にあるという認識以上に、先程まで会話をしていたマヌエルという男もメレンチーの言う分野が戦闘向きでないのかもしれないが、一国を一人でどうにか出来る戦力の人間であり、敵対するにはあまりにも危険な存在であることを再認識する。不気味さだけでなく、しっかりと牙を持ち合わせているのだと。
そして、そんな人間を相手にするからこそ世宝級に匹敵する人間を始め、アリスのような戦力を抱えておきたいとメレンチーが思ったであろうことに納得がいった。
「壱崎……」
そしてメレンチーの話を改めて頭の中で整理し始めたアリスはボソリとその名を口に出した。なんとなく名前の響きが似ている人物を想像したというのもあるが、一番の理由はその強さに興味が湧いたという点だった。
それはその力が欲しいと言うよりも、紘和を使って戦った時、どちらが勝つのかという純粋な勝敗に対する興味であった。
「あっ」
「どうした?」
「いえ、何でも」
とその思考整理の際にふと、今日の出来事を一瞬で解決できるかもしれない一つの手を思い出す。そう、アリスが成りすましの力でマヌエルに成りすませばいいのではないかと。そして、どうしてこんな簡単なことに気づかなかったのだろうと。もちろん、理由は単純で紘和という肉体を手にしている以上、それ以上のものを必要としなくなっていたアリスがいたからである。現在アリスがその身にストックしているDNAは紘和、ヘンリー、そして純のDNAを上書きするために服用されていた一般人のものである。ストックに明らかに余裕がある故に、この行動は何らリスクを感じないものであった。アリスに考えるべきことがあるとすれば、このことをジャンパオロに相談するべきかという点である。
しかし、解決するならば正攻法だと自身で判断できる問題であるためアリスは相談よりもチャンスがあれば実行してしまえばいいだろう、と一人で内心、決めてしまうのであった。
「他に聞きたいことはあるか?」
「え、えっと」
重大な気付きにメレンチーと一緒にいることを忘れかけていたが、問いかけでハッと我に返る。そして、その後は十家以外にもいる鋼女の様な存在に触れてみたりと、話題を展開することで二人は宿舎までの帰路を、町並みの観察をしながら過ごしきるのだった。
◇◆◇◆
「それでは、俺は一旦部下に指示を出し、その後アレン他三人の部下の元に送る。その時が来たらまた声をかけたいが……」
「私は部屋にいる予定です」
「そうか。では、合流する時にまた会おう。一時間ほどかかるかもしれにが、もし部屋を離れることがあれば連絡はこちらに。それでは」
そう言って通信機と紙を渡してきたメレンチーと部屋の前で別れた。今日は随分と紙を貰う日だ、とここまでのことを思い出しながらアリスは部屋に入る。部屋に入ると真っ先にベットの上にバタンと背中から仰向けに倒れた。
話を聞いているだけだったにも関わらずその情報量の多さにどっと疲れが来たのである。
「ふぅ」
息を吐き、その情報のいくつかを思い出しながらしばらく天井を見つめる。そして、自分なりに整理して、整理しきれる問題じゃないと判断したアリスはそこから少しだけでも意識を反らすように、受け取った紙を胸ポケットから取り出して読む。伝えておくべきか、そう考えてしまうことは同時にジャンパオロの顔を思い浮かべているということを意味する。そのことに毒されたという考えに至ることに酷く吐き気を覚える。しかし、純の様な人間と共に過ごしてきた経験があるということが、ある種の耐性にもなっているし、必要だと思っている人間は必要であるうちは利用する気で付いていかなければならないということも理解していた。だからこそ、でかかる罵詈雑言を飲み込もうという努力の後が、出来たかはさておき何度もアリスの中にはあった。とはいえ、そもそも自分に対して宛てたものとわかる以上、無闇矢鱈に伝える必要もないのではないかと考える。
ジャンパオロの方も色々なことをアリスに対して告げずに進めているわけだし、この一件は秘匿性があればあるほどいいかもしれない、とアリスは思いそっと胸ポケットにしまい直すのだった。
「それにしても」
部屋にはアリス以外人はいない。それでも、考えをまとめようとする時、ふと口から頭に起こした文字がふとした瞬間に口から漏れた、そういった状況だった。だから、それ以上のことは口に出さず、アリスは頭の中で言葉の続きを並べ始める。それにしても、という言葉の通りアリスは先程の紙を経てとあることを思い出していた。それは、この宿に戻る際の道中でゆっくりと見て回る機会があったというのが大きかったのかもしれないが、違和感のある様な魂を抱えた人間がそれなりにいるという事実を知ったのである。つまり、メレンチーたちと接敵した時の違和感は、人とその魂が相容れていないようなものという訳ではなく、何かしらのその人物の体調などのブレを表しているのを見て取れているか、アリスの知らないこの世界の何か当たり前なことを目視できているか、なのだろうと結論づけたのだ。
もちろん、ジャンパオロにも相談しようとしていた内容ではあったので意見を第三者から聞くという意味では、アリスにとって未だに解決していない気になることではあるのだが。
「ふぅ」
話を聞いて仕入れた情報量の多さからベットに倒れた時に疲れたと感じたはずだったが、それを整理したり、紐づけて出てきた事案に更に頭のリソースを割き、より疲れにいっていることをアリスは自覚した再びため息をもらす。故に、少しでも気分を変えようと、アリスはルドルの容態を確認しようと思いベットから跳ね起きるのであった。
◇◆◇◆
コンコンッ。
「レイノルズだけ……」
部屋に入る前に扉をノックする。知り合って日も浅い相手に対してならなおのこと失礼とならないようにした行動。同時に、ノックをした人間が誰かを告げるごく当たり前の所作。それは相手が病人で仮に目が冷めていないとしても、だ。しかし、その言葉を終える前にアリスは明確な殺気を扉の向こうから感じ、ドアノブにかけようとした手を止めてしまった。そしてアリスはこの殺気が強者だけがわずかに感じ取れる人の強弱に囚われない感覚的なものでなく、全ての人に等しくその相手が強者であることがわかる殺気であることをその身に感じていることを理解する。そう扉の向こうには間違いなく強者と呼ばれる人種がいるのだ。さらに直面している問題が、その強者が何者なのかという点である。少なくともルドルという男も弱くはないがこの様な殺気を飛ばすことは出来ない、と考えている。つまり、ルドルでないと仮定した時、室内にはそもそも本来いるはずのない人間が不法に侵入していることを意味する。それが味方ならまだいいのだが、敵ならば街中で一戦強いられることになるということである。付け加えるならばルドルの安否すら危ういととるのが妥当となる。しかし、ここで引くという選択肢はない。味方であれ的であれ、その姿を目指しておくことには意味があるからだ。
ここまで時間にして二秒と満たない思考で突入の決意をしアリスは手をかけることの出来なかったドアノブを握る。鍵がかかっていることを確認し、一度扉から素早く距離を取る。ドア越しの、死角からの攻撃を警戒してのことだった。少なくともドアノブを捻ったことで向こう側にいるであろう相手も警戒をしたはずである。反応なし。アリスはゆっくりと部屋のロックを解除すると扉を勢いよく開け放った。
そして、殺気を放っていた本人が仁王立ちで待ち構えていた。
「やぁやぁやぁ」
フードを深めに被り全身を真っ黒なローブで覆ったそれは、気の抜けそうな声で語りかけてくる。
「君は敵かな?」
女性だろうという予想はたつ。しかし、それ以上の情報を得ることは出来ない風貌。
だからアリスは情報を引き出すためにも口を開く。
「この部屋にはルドルさんしかいないはずだけど……そういうあなたはどうしてここにいるの?」
「取引で一時的に護衛をしているって感じ」
そう答えた瞬間、その女の後ろ方の壁からひょっこりとルドルの顔が出てくる。
「彼女は入れて大丈夫だよ」
女がルドルの方に振り返り、そして再びアリスの顔を確認する。
「そう。すまなかったね。あまりに強い気配にちょっと構えちまったよ」
ガハハッと笑うと女はそのままアリスに背を向け部屋の奥へと戻っていく。それを見送ったアリスはひとまず仲間だということが確認できて胸を撫で下ろすのだった。そして、ゆっくりと女を追うようにルドルの部屋へと入っていった。
◇◆◇◆
「えっと、そちらの方はどちら様で?」
カーテンを締め切った部屋の窓際のテーブルの椅子にどっかりと座る者が何者か、アリスは少し距離を取ったツインベットの窓側の方に縮こまるように座りながら隣のベットで改めて横になったルドルに顔を向けながら助けを呼ぶように尋ねた。
「あぁ……俺の口からどう紹介したものかわからないからぜひ、本人に聞いてみてくれ」
ルドルの言葉に、とルドルは言っておりますが聞こえてますよね答えてください、という早口でしゃべってそうな顔をしながら恐る恐る当事者の方へ振り返るアリス。
「確かにやたらと正体を明かしていい存在じゃないというか、自分でそういう存在に仕立て上げてる、演出があるからね。お嬢さんはもう知ってるかもしれないし、まだ知らないかもしれないかもしれないけど、ここではこう名乗らせてもらおうかな」
そして次に出てくる言葉はアリスがつい先程まで耳にしていた、もう知っている名前だった。
「鋼女。ちょっとした生きる都市伝説として名を馳せている存在だよ。よろしく」
「盤外戦力……」
「おやおや、結構知ってるみたいだね。おしゃべりな依頼主だ。それで手は握り返してくれるのかい?」
よろしく、という言葉の後に差し出されていた右手がクイクイと催促していた。先ほどまであった殺気は消えているものの、今度は紘和という強者の身体故にわかる、間違いなく強者と分からせる気配を鋼女は纏っていた。だからこそ、この手を握り返さないという選択は、怖気づいたと思われるようでアリスにはあり得ないものとなっていた。
アリスがスッと立ちあがるとそれに合わせるように鋼女も腰を上げた。
「いえ、こ、こちらこそよろしくお願いします。味方であれば心強いです」
まるで最低限お互いに対等な力関係なんだということを強く主張した様な行動にアリスは力強く鋼女の手を握り返すことでしか応対ができなかった。そう、未熟にも声はその圧力に若干震えてしまったのだ。
これが、肉体と魂が結局釣り合ってない人間の限界かとアリスは悔しさで唇を噛みちぎりそうになった。
「君だって彼女の力は聞いているだろう? いじめるな、という言い方もおかしな話だが、あまりその場の高揚感で場を荒立てかねない行動は感心しないよ。本当にぶつかって君が彼女に勝てる可能性は、僕の知ってる彼女の範疇でも七割ないよ」
ここでアリスは今朝ジャンパオロが言っていたことを思い出す。ルドルの護衛の件がすでに解決しているという話題である。つまり、ジャンパオロはあの時点でルドルの護衛に鋼女がついていることを知っていたということである。
それは同時に、ジャンパオロがあまり寝ずに様々な計画を練っていたこと、そしてこれらを意図的にアリスには伝えずにほくそ笑んでいることが確定した瞬間でもあった。
「あのクソ野郎」
ボソリとだが、先程の悔しさを一瞬で忘れてしまうほどにはアリスを苛立たせる事実であったため言葉に込められた怒りの残穢がこの場にいた二人にも肌に感じさせるほどだった。
「すまない、落ち着いてくれ」
ルドルの言葉にはっと我に返ったアリスは自身の発言を訂正すべく喋り始める。
「いえ、今のは、そのバルボに対するもので、その、すみません」
怒りの矛先が自分たちに向いたものではないことを確認できたからか双方、胸を撫で下ろす様に大きく一息吐く。
「悪かったね。こっちとしても護衛を頼まれた上に、君がそんなにも強い人間だと思っていなくてね。確かに、バルボから彼自身より少し強いぐらい、の表現で聞いていただけに、扉の向こうから漂う、昨日森の中で出会った只者でない奴と同様の空気にあてられてこっちも背筋が凍る思いをしたのさ。私も強いというのはあったと思うが、それ故に君のその身体から放たれる強者の波動を感じ取れてしまったということだね。だから私も強いことを売りにしている人間だから、それを誇示する……いや、素直に言おう。依頼を達成するために全力で立ち向かおうとしていたのさ。後は君がレイノルズとわかったから舐められないように言葉を、振る舞いを選び、身体ではなく本人に圧をかけることを心がけざるを得なかったというわけだ。だから、敵でなくて本当によかったと私は思っているから、この依頼の間は仲良くしてもらえると助かるわ」
その言葉からは棘がなくなり、とても親しみやすいものに代わったとアリスは思った。
それは鋼女にとって事実であり、同時に自身よりも異質な存在に触れて思うところがあった、という話でもあるがアリスがそれを知る由はない。
「それに私も無駄に警戒したわけだし、やっぱりバルボとかいう男は中二病を誇示せた様な、扱いづらい男だって確信が持てたわ。あの手の人間って苛つかせることに対する才能だけは天下一品だからね。ほんと、いやだいやだ。ね?」
「全くです」
とても共感できる内容にアリスは大きく首を縦に振りながら同意した。
そんな柔らかくなった空気を、アリスが打ち解けたという瞬間を感じ取ったのか鋼女が話を広げる。
「二人共してやられた仲、そして殺意を向けた詫びだ。何か聞きたいことがあれば答えられる範囲で話すよ。あぁ、でもその前に君はどうしてここに?」
「ルドルさんの体調がどうなったか気になって」
パンパン。
「いや、すまない。バカにしているように聞こえたら申し訳ないけど、君は本当に聞いてた通り年相応というか、すまない、これ以上裏があるのではと勘ぐるのはよそう。良い答えだ。私は安心できるよ」
突然、話を遮るように鳴った手に少し驚いたが、どうやら警戒が解けたようで何より、とアリスは思うことにした。
「それで、何から聞きたい?」
そう尋ねられると何から聞くべきなのかとアリスは思案する。当然、聞かなければならないことにどうしてここにいるのか、ここに来るまでの経緯などがあるだろう。くすぐられる点で行けば、真っ先に都市伝説としてこなしてきた逸話やそのフードの下、正体などに迫りたいと思う。
しかし、結局アリスが選んだのはそのどれでもない質問だった。
「お二人は、お知り合い、というか仲がいいんですか?」
「ほぉ」
鋼女の興味津々といった反応にアリスは変なことを聞いただろうかと考える。
「良い質問だね。答えてもいい質問だし、答えにくい質問でもある」
勿体つけるような語り出しから鋼女は続ける。
「私はいわゆる変異種と仲良くしていてね。人間よりもこっちの方との付き合いが長いぐらいなんだ。だからルドルともここで会う以前に親しい仲だった。このぐらいの解答で勘弁してもらいたいかな」
「……そうですか」
何かを隠すように語られたわけだからアリスがこの発言に引っかかりを覚えるのは当然のことだが、それでも違和感を明確にここだと断定できない納得のいかなさが了承するまでの間に表れてしまう。
「質問してくれと言った手前、これでは失礼だけど許して欲しい。代わりに私がここに合流知るまでの話をしたいと思うけど、どうだろう。君の知らない作戦の概要の把握にもなると思うけど」
気を使わせていることがわかるが、今回に関してはそれぐらいの応対があっても仕方がないのは鋼女側だとアリスも思っているので、鋼女の申し出に素直に首を縦に振り了承の意を示す。
「ありがとう。それじゃぁ、ここに合流するまでのことを掻い摘んで話させてもらうよ」
そう言って鋼女は、合流までの経緯を言葉とは裏腹に丁寧に語り始めるのだった。