第百筆:選ばされるということ
「それでは明日の朝十時にこちらに迎えを出させます。ジャンパオロさんもアリスさんも今晩はごゆっくり療養なさってください」
ルドルの治療を終え、その流れでマヌエルから診察を受けたジャンパオロとアリスは文字通り肉体の損傷をほとんど回復させられていた。そして、今用事を終えたマヌエルが部屋を出る際に時間の再確認とある種医者の定型文の様な文言を並べて帰っていったのだ。
そして無音となり数十秒経った後、その沈黙に耐えかねてアリスは口を開いた・
「随分とあっさり返すのね。正直、もっといろいろしつこく聞くのかと思ってたわ」
アリスは開口一番に少し嫌味な言い方をしてみせた。しかし、それに対する反応はジャンパオロからはない。
嫌味に嫌味で返してこれそうな人間だと思っていただけに、無言に少しだけ気味の悪さを感じ、顔色を伺うべくジャンパオロの背中側に立っていたアリスはゆっくりと正面に回り込む。
「どうかした……の?」
最初は口にした言葉の通り、反応のないジャンパオロを不信、不安に思いかけた言葉であった。
しかし、正面に回って見た顔のあまりに苦虫を潰したような、何かをしくじった顔が印象的で途中から驚きに変わっていたのだ。
「お前、あいつのヤバさ、わかってるんか?」
「……世界に十六人しかいないって話?」
アリスの返答を聞いてジャンパオロの口があんぐりと開くのを見て、少しだけむずっとした表情を返す。
しかし、次の瞬間には何かを思い出したような顔をしながら合点が言ったように言葉を続けだした。
「想造って、なとなく俺の説明で使ったと思うけど、実際あの戦闘で剣を作ったのがレイノルズの初体験、であってるか?」
「う、うん」
アリスが肯定するとジャンパオロはふぅと大きく息を吐いてからキヨタツから聞いた説明を始めた。
「想造は、この世界にある創子を触媒に頭の中で理解しているモノを現実にあるもので実現する力や。つまり、実行可能なものならなんでもその場にあるものから作ることができるってことや。だから、レイノルズは地面から硬い剣の形をした物体を想造できた。これは、あんたが鉄が含まれていることを知っていて、還元、鍛錬する工程を知識として知ってれば、より純度の高い鋭利な剣が土の中から出せた、という話になる」
ここまで付いてこれてるかという顔をジャンパオロはアリスに向けてきたので軽く頷く。
「で、やっこさんがさっきやったの、わかるか? 人体の再生速度の活性化を目に見えてやってのけたんやぞ。それだけでも十分凄いことやけど、なんや選ばれし人間っぽいからな……未知数やぞ。どうするよ、身体を変質なんてさせられたら。なんなら半端な攻撃は効かないかもしれへんで」
そこでようやくアリスもことの重大さを理解した。戦うという側面に置いて一般的に傾きが生じるとすれば、その人間の肉体の完成度、所持する武器、体得した技術によるところが大きい。
しかし、ここではそこに新たな要因として想造の引き出しの完成度が問われ、それは既存の要素を白紙に戻すほどの力であるということである。
「つまり、こっちの切り札、つまりレイノルズ、お前が機能するかが怪しいってことや。だから機嫌損ねない程度に聞けるところまで聞いたって話や。まぁ、それっぽい話をしてたけどきな臭さを感じさせはした、ってぐらいやけどな」
空気が重くなるのがアリスにもわかる。少なくともその一端を担うことになり気が滅入っているのは事実だからだ。
コンコンッ。
そんな二人の空気を察するかのようにタイミングよくドアがノックされる。
「……期待、できるかなぁ」
ボソリと小声でジャンパオロがそういうのが確かに聞こえた。
「どちら様ですか?」
ジャンパオロはドアの方へ移動しながら来訪者の確認をする。
「メレンチー・バーベリ。先程君たちと一緒にこの宿に案内された集団の一人だ。ちょっと話がしたい。中に入れてもらえないだろうか」
その応答を聞いて、アリスはジャンパオロが彼らの接触を待っていた、ということを理解する。恐らくはマヌエルに関する情報を引き出そうとしているのだろう。もしかすると、最初から手は組むつもりだったのかもしれない。
そう思えるぐらいに何かをしてやろうとしている、と思わせる何かをジャンパオロは持っていた。
「なら、俺たちの部屋かそちらの部屋に行こうぜ。病人の部屋で騒ぐのは悪いからな。今、そっちに行く」
ジャンパオロはそう答えるとアリスに視線で行くぞと合図する。だからアリスはルドルが寝入っている顔を確認しながら、部屋を後にするべく出口へと向かうのだった。
◇◆◇◆
「ご足労すまない」
「いえいえ、問題ないですよ。お互いにこの機会が必要だと感じたわけですから」
ハハハッと笑いながら話すジャンパオロがいるのはメレンチーたちが宿泊することになったアリスたちが泊っている部屋よりも大きな部屋である。ルドルの寝ていた部屋を後にしてそのまま押しかけるように入っていったのだ。
そして、テーブルを挟んでジャンパオロとメレンチーの二人が着席したのと同時に会話は始まったのだ。
「……他の方たちはどうしてますか?」
「別室でこちらの指示を待機しているはずです」
「……良くない、実に良くないわ。もう始まってるんやで」
穏やかに始まったように見えた探り合いのような会話をジャンパオロは荒らすようにメレンチーに噛みつき始める。
「こっちはゆーたやん。お互いにこの機会が必要だと感じたわけやって。つまり、こっちもそっちもこのタイミングを謀っていたっちゅーことよ。だったら、その解答はこっちの信頼を獲得できないよ。いいの? もちろん、本当にそれだけならこっちが謝罪するだけ。どうする、次にする言葉は、半端じゃなくしっかり訂正するか、事実を言ったまでだと明言するかの二択だよ」
明らかに相手を下に見た強気な発言であるからこそ、主導権を握るという点では訂正さえされれば良しとなる状況である。
「それが根拠のある疑いならばそちらの問題であり、根拠のない疑いならばこちらとしては」
「三択目はないんよ。先に歪を作ったのはそっちだよ。だからこのままお互いに部屋に戻っても構わないんだよ。そう仮に互いに構うのだとしても、だ。なぜなら振り出しに戻ってもこっちにはお前たちとは違う選択肢があるんよ。だから、その選択肢を取るだけ。そっちもあるなら素直にそれを使いな。どうする?」
ん? という言葉が聴こえてきそうな顔でジャンパオロはメレンチーをわざわざ首を傾けテーブルを這うように下から覗き込む。その不愉快さにアリスは自分ならばそのまま顔面をテーブルに叩きつけていただろうと思うほどだった。そんな感情がふと思い出したくない顔とリンクする。そう、このやり口、純を彷彿とさせるのである。
だからこそアリスはつい口を出してしまった。
「その辺にしときなよ。一時的でも手を組んだ方が良いって言ってたじゃない」
空気がピシャっと凍るように緊張感を走らせたのがわかった。
一方で頭から湯気が見えてもおかしくない男がゆっくりと、ゆっくりと今までの交渉を台無しにした張本人へと顔を向ける。
「……一時の感情で交渉は対等であるべきだとか、相手側の抱えてる事情を勝手に想像して哀れに思ったんか? ヌルい。やっぱりまだまだ世間を知らないガキやな、お前」
初めて見る、冷めて軽蔑を送るジャンパオロの表情にアリスは身体が一瞬硬直するのを感じる。その異変は冗談では済まされない怒りをぶつけられているからだとアリスは理解している。
だからこそアリスは正面から意見する。
「私はイジワルみたいな、今の雰囲気、好きじゃありません。何より本当にどうでもいいならそれこそ嘘をつかれてても問題ないじゃないですか。嘘をついて共闘、協力が崩れるようなことは本末転倒、殆どないわけです。つまり、最終的に裏切られたとしてもこちらの戦力的に問題ないので問題ないんじゃないかしら」
「短絡的すぎやろ。優位であることに損もないやろ。わざわざ付け入られるリスクを背負う必要もないやろ。いいか、こっちはまだ向こうの目的もわからんのや。お前、最悪こっち側を窮地に立たせる結果になった時、責任取れるんか? いいか俺たちはこの何も知らない世界で生きてく必要があんねんぞ」
「私は言いました。彼らならどうにでも出来ると。お前の話を聞いてるとたらればが多すぎて場を混乱させてるだけよ。最悪はあるのでしょう、でも明らかに逸脱しているものもある。臆病者とまでは言わない。でも、そのたらればで、目の前の最善と判断したものに疑いを向けて最悪を招くとすれば、馬鹿げているのは間違いないわ」
言い切ってやったぞ、とアリスは少しだけ得意げな気持ちが芽生えている自分に気がつく。
「……天堂よりマシやって言った言葉、あれ取り消すわ。力だけ持った真っ直ぐなガギっていうのは同じぐらい厄介やな」
今にも飛びかかろうとしているのではないかと分かる程度の敵意がアリスを射抜く。それでもジャンパオロが実行しないのは、勝ちの目がないからだろう。互いにこれ以上ヒートアップするつもりもないのか、長く感じられる数秒の睨み合いと沈黙が訪れる。
そんな沈黙を破ったのはメレンチーだった。
「この部屋を盗聴している。話を直に共有すること、同時に俺たち以外の盗聴を傍受、阻止することを目的としている。そして最悪、武装はしていないがいつでもこちらに指示で突入できる準備は済ませて待機させている」
グルっと首をジャンパオロの顔がメレンチーの方へ勢いよく向く。
「なるほど……確かに嘘は言ってないな。でも明らかに足りなかったなぁ。それに嘘を訂正できる優しい機会が差し伸べられた時の解答は、そう思わせる可能性がある、と思うわけ。結局ここで浮き彫りになったのは、そちらは誠意を示しきれなかったという点や」
「そちらが警戒するようにこちらもあなた方を警戒する。当然のことだ。だから、この一件を謝罪するつもりはない。ただ、そちらの方の誠意には答えてもいい、そう思ったのがここでのこちらの一番の収穫だ」
ジャンパオロの右手人差し指が机を小刻みにトントンと叩く音だけが部屋に響く。
そしてため息を吐きながらジャンパオロから口を開く。
「わかった。話を前に進めよう。こちらもそちらの状況を想像するべきだったのかもしれないな。少々高圧的で申し訳なかった。ただし」
ジャンパオロは強調する。
「こちらは現地の人間から情報が得られることは確かにありがたいけども、それでもそっちが接触してきた目的を正確に話してくれなきゃ、それこそ話は絶対に前に進まない。それはわかってもらえるわな?」
メレンチーがコクリと頷く。
「でしたら、ここから先はここだけの話にしてもらいたい。終わった後に共有してもらうのはそちらの判断に任せるわ」
メレンチーは後ろに立つ二人の部下と思われる男女の方に顔を向けると視線を一度だけ動かす。それを合図に二人はサッとその場を離れると様々なところを覗き込み始める。そして、二分とかからずに、手には様々な種類の盗聴器や小型カメラを持って帰ってきた。その光景にアリスは自分が想像以上に経験を積んできた上でまだまだ世間知らずなのだろうと思い知らされる。
これだけの量が出てくるということは最悪、自分たちの客室も出払っている間に同様の処置が施されているのではないかと考えてしまうほどだった。
「これで全部だったら流石に壊せとは言わないよ。どっちかに持たせてこの部屋を出ていってくれ。やることは残ってるやろ?」
ジャンパオロの言葉はアリスの考えが正しいことを裏付けた。
「……お前が行け」
「はい」
そう言うと男の方が機材を抱え部屋を出ていった。
「それじゃぁ頼むよ。あんたらの目的。悪事の片棒を担がせられないことを祈って聞かせてもらうよ」
ニヤニヤとするジャンパオロにメレンチーはここに来た目的を話始めるのだった。
◇◆◇◆
明確なキッカケと呼べるものがどれだったのかはわからない。
ただし、メレンチーにとってのそれは友人であり、務める軍所属の同僚である一人の男性に対して感じたちょっとした違和感だった。
「任務お疲れ」
「お疲れ様、バーベリ」
遠征から帰ってきた友人、ヴィタリー・アニシンと居酒屋に入って飲もうとしていた時のことだった。今思えばこの次点でもすでにちょっとしたよそよそしさを感じてはいた。それは普段の人懐こっさを知っているからこそ覚えたものでもある。
極めつけは酒飲み仲間でもあるから居酒屋を選んだにも関わらずヴィタリーが酒を一滴も飲まなかったことである。
「飲まないのか?」
メレンチーの疑問に水を飲みながら友人はとても自然な解答をする。
「あぁ、俺も若かった時とは違うからな。長生きしたいとは言わないけど、健康を意識しようと思って酒も煙草も止めたんだ。何より子供も出来た。こうするのは遅いぐらいさ。それに酒も煙草もやらなくてもお前とは楽しく飲める。なら問題はないだろう」
「あ、あぁ、そうだな」
メレンチーはそう言ってビールの入ったジョッキをヴィタリーのお冷の入ったグラスにコンッとぶつけた。別に何一つおかしいところはない。それでもこの短期間で禁酒禁煙を決めたことに、何よりそれを真っ直ぐな瞳で伝えてきたことに心配したのを覚えていた。
◇◆◇◆
その後もその友人はどんどん日が経つに連れ良いやつになっていった。礼儀正しく、落ち着きを覚えた、そんな感じである。別人になったと当時のメレンチーは言い切ることは出来なかった。なにせ、おかしな変化は何一つないのだ。普通にありえる変化であり、それがいい方向に向かっているため訝しむ理由に繋がらないのだ。それでも知っていた人間の明瞭な急な変化のズレにメレンチーの認識が追いついていないとったところなのだろう。そして、人間は恐ろしいことに慣れてくる。それが徐々に徐々にゆっくりとならなおさらである。メレンチーも例外でなくヴィタリーがそう変わったことを受け入れることが三ヶ月という月日で出来たのだ。だからこそ、違和感を忘れていたのだ。
フェオドラ・アニシン、ヴィタリーの妻から連絡を受けるまでは。
「もしもし、久しぶり。フェオドラよ」
フェオドラとヴィタリーは社内恋愛からそのままゴールした夫婦である。フェオドラはメレンチーとヴィタリーの上司に当たる人間で二人よりも八歳年上である。そんなフェオドラはヴィタリーとの結婚を機に子供をもうけて寿退社していた。
そんな彼女から着信があったのだ。
「お、お久しぶりです。どうしたのでしょうか?」
元上司ということもあり、少し気を引き締めた返事をするメレンチー。
「今、忙しい? 家?」
「いえ、大丈夫です。家ですけど何か?」
祝日の朝であるが忙しいことはないため、暇であることを伝える。
「そう。それじゃぁ、前置きとかめんどくさいから早速本題なんだけど、ヴィタリーが三ヶ月前に行った遠征先が何処か、できれば詳細なルートも込で教えてもらえないかい?」
「……それ、本気で聞いてるんですよね」
「もちろんだ」
電話口からも最初から茶化していないとわかっているからこその応答が繰り広げられた。情報漏洩という言葉がある。それは個人と社会、どちらを対象に取るかによって大きく制限が変わる。そして、フェオドラは元上司とはいえ軍を退職した身である。つまるところメレンチーからフェオドラに言えることは何一つ無いということである。それは恐らくフェオドラも理解していることだろう。
軍の情報に対する価値観は同じ所属であっても徹底的に管理されているのだから。
「ご理解いただけると思いますが、無理な相談です」
メレンチーはきっぱりと拒絶する。
「……まぁ、そうなるよな。ひとまずお前がしっかり軍人としてしっかりやってるのがわかって安心したわ。ついでに、お前がお前だと思えたのも一安心してる」
メレンチーにとって何処か違和感を禁じ得ない言い回し。
「ところでお前、酒は今でも好きか?」
「え、えぇ」
「それは良かった。それじゃぁ、これから一杯いけるよな」
ここでメレンチーはフェオドラが実力行使に動いていることに気づく。想像通り自宅のドアがゆっくりと開く音が電話越しからも聞こえてくる。ここは軍の寮である。騒ぎになればフェオドラが元職員だとは言えただ事では済まないし、元仲間でも確実に捕縛されるだろう。
つまり、そのリスクを承知で来た、こちらと敵対する意思があるということになる。
「何してるんですか、フェオドラさん」
ただならぬ雰囲気を纏いながらゆっくりとリビングで対面する。
「話がしたいだけだ。大事な話を」
メレンチーの眼の前で両手を広げひらひらと争う意思がないことを示してみせるが、どう考えてもそんな様子は伺えないオーラがフェオドラにはあった。想造の実力としては互角、ぐらいに捉えているがこんな狭い部屋で戦えば、周囲に多大な被害が出る。もちろん、それを望んではいないだろうから最終手段として向こうは見ているだろう。
そして、こんな人生を棒に振るような行動を何故しているのか、理由が知りたかったためメレンチーは助けを呼ぶという選択を取らずにいた。
「何を言われても、こちらは答えるつもりはありませんよ。規定、ですから」
少しだけ答える可能性があるニュアンスを残しつつ、フェオドラから情報を喋らそうとする。
「……なるほど。あくまで誘導ではなく自発的に喋った内容に聞いてしまった体にしたい訳か。まぁ、こっちも話がしたいだけっていうのは嘘じゃないからな、しっかり証拠として聞き残しておいてくれよ」
意図を察した上でフェオドラは語り出す。
「お前は大丈夫だと思うからまず初めに聞きたい。私の夫、最近どう思う?」
メレンチーはここで本人確認、飲酒の有無の確認の意図を理解する。
忘れていた違和感を再度突きつけられたのだ。
「家族のことを考え、禁煙と飲酒から始まり、ある意味いい方向に成長している、変わっていると思います」
「良い言い回しだ。現実逃避すればそうなるだろうな」
違和感と捉えていたにも関わらずそれ以上踏み込むことをしなかったメレンチーにはチクリと心に棘の刺さる言葉だった。
「あれはな、人格をいじられたか、洗脳されたか……、まぁつまり別人、っていうんだよ。少なくとも私の愛した男じゃなくなったよ。まるで誰かがヴィタリーはこういう人間だって言う表面的な部分の知識だけで演じきってる、そのぐらい本人であって違うものにしか思えない」
声は抑えている。近隣の住民に騒動を知られたくないからだろう。そのための防音の対策も空気の壁で行っているのが肌でわかる。
それでも次第に感情が乗り声が大きくなるのがわかった。
「私は知りたいんだ。アイツの身に何があったのか。それが解決するなら私はあんただろうと、軍にだろうと、国にだろうと楯突いてみせるよ」
口ぶりからするに、フェオドラは最悪ヴィタリーが国家レベルの陰謀に巻き込まれ実験動物のように洗脳、または人格の矯正が施されたのではないかと考えているようだった。しかし、メレンチーはこれが荒唐無稽な陰謀論で済まされる話ではない、とも考えている。何せニムローは世宝級が一人、マヌエルという人体に関するスペシャリストを保有している大国でもある。そして、ここパルレオは首都でもないにも関わらず、マヌエルが過去に在籍し研究都市として発展させ、軍がそれを保護している程の重要拠点となっている。そんな所で生活していれば何かと立つ黒い噂も真実味を帯びて感じてしまっても不思議ではないということである。何よりフェオドラは元軍人である上にメレンチーの上司に当たるポジションである。
そう言った研究内容を聞かされていた立場にあっても何ら不思議ではなかった。
「……まずは場所を変えましょう。近くの公園とかどうですか?」
ここでメレンチーは軍規よりも友を選ぶことを決めたのだった。
◇◆◇◆
昼下がりの晴れた休日の公園ではあるが、子供の姿は見当たらない。それもそのはず、景観を目的に建てられただけでここは軍の寮を周辺が囲っている。子供で溢れかえるなんてことはそうそうない環境なのだ。一方で、何処からでも職場の人間の目があるとも言える。それでもここを選んだのは外であること、そして近場で最も視界が開けた場所であったからである。もちろん、早々にフェオドラを落ち着かせ、メレンチー自身の気持ちを伝えたいという思いもあった。そして、二人は少し距離を置いてベンチに腰掛ける。
メレンチーが口を開く。
「言いたいことはわかりました。残念なことにこの一件に軍上層部が絡んでいるか、またそういったフェオドラさんが考える研究があるのか、どちらも俺は知りません。でも、ひとまず三ヶ月前のヴィタリーの任務内容、行動の方は洗い直した上でそちらにお渡しします。今日のところはそれで引き取っていただけませんか?」
「ありがとう」
前進はしたが、それでもヴィタリー解決への糸口がハッキリと見えたわけでもないので悔しさからか、口の中で歯を食いしばってるのが想像できるほどに表情が強張っているのがわかった。
「ついでに、今回の一件。他にもそういった人間がいないかそちらでも探してもらうことはできませんか? 軍関係者はこちらで調べるので、ご近所を始め軍とは関係ないところをフェオドラさんにお任せしたいのです」
ハッとこちらが協力の意を示す言葉を投げかけたことで下を向いていた顔が、本当の意味でありがとうという感謝の表情と共にメレンチーを捉えた。
今まで心細かったのだろうとうフェオドラの心情が見て取れるようだった。
「もし、複数症例が見つかればこちらも本格的に動く理由になり、仲間を募ることもできるでしょう。ひとまずこの準備期間を二ヶ月、お願いしたいです」
「わかった。よろしくね」
そう言うとフェオドラはこうしている時間が惜しいとでも言わんばかりに即立ち上がるのだった。
◇◆◇◆
「で、そちらの女性がそのフェオドラさん?」
「いえ、彼女は俺の部下だ。フェオドラさんには拠点で総指揮を、いやこの場合は不測の事態に備え待機してもらってる」
「なるほどね」
要するにおかしくなった友人の様な人間が複数いてその原因がこの街にあるということなのだとジャンパオロは理解する。
「それで、どうしてこの街に? 根拠は何だい?」
「根拠は唯一つ。同様の症状が見られた人間が全員この街を経由していることがわかったからだ」
「薄い、けどそこで行きてくるのがさっきの男、か」
人体の想造に関するスペシャリスト。
そんな人間のお膝元ならこのぐらいのことが合ってもおかしくないという判断には、かける可能性には十分な物を感じられた。
「どうだろうか。この街を調べるまでの間とは言わない。君たちがここに滞在する間だけでももしもの時の戦力として協定関係を結んで欲しい」
メレンチーの言葉にジャンパオロはすぐ後ろのアリスの顔色を疑う。
そして当然と言わんばかりの自信に満ちた顔でアリスは顔を縦に振った。
「だ、そうだ。よろしく、バーベリさん」
スッと差し出すジャンパオロの手は力強く握り返される。
「こちらこそよろしく」
「で、早速だけど世宝級がどういう存在なのか、アレンの力の詳細を聞きたい。知らないことは知らないで構わないし、知ってることがあれば具体的にお願いしたいな」
それからジャンパオロたちは想造の使い手の中にも国宝、世宝という独自の階級があることを知る。
「それで、そんな世界で十六人しかいないお偉いアレンの力はざっくりまとめると人体に作用する力でいいんだよな」
「あぁ、それで間違いない。パルレオにいた頃は再生医療の分野で評価を伸ばしていた。ただし、厳密には再生ではないらしい。身体に記憶された正常な状態を復元させている、が正しい表現だそうだ。少なくともノウハウを学んで触りを習得した時にそう教えられている」
「つまり、お前たちにもあれと同じ処置ができるってこと?」
「いや、本当に軽度な切り傷や擦り傷をギリギリ出来るかどうかなぐらいだ。この辺はマヌエルいわく理解が足りない、らしい。だからマヌエルを真似出来てる、確実に近づけているのは、直属の部下というか弟子ぐらいだと聞いてる」
「複数いるのか?」
「現在の具体的な数は知らないが、パルレオにいた頃は男二人、女一人の合計三人、明らかに才覚のある人間を側においていたのを覚えている」
ジャンパオロはふむふむと考えを整理する。
「まぁ、大方想像よりは安全なのかなと考えてるけど、一つ確認しておきたい。少なくともバーベリさんたちが把握している中で、アレンが人体を変質させることは出来ないと考えても大丈夫か?」
メレンチーは目を見開いた後に回答する。
「いや、そんなことが出来るとは聞いたことがない。つまり、人を別の生物に作り変えることが出来るか、という意味でいいのだろうか。流石に、それをなし得た人物を俺たちは知らない」
「あぁ~」
待ったと勘違いを静止するように右手を突き出すジャンパオロ。
「俺が言いたかったのは例えば骨を内側から突き破らせたり、手足を入れ替えてくっつけること、最悪、脳みそを影響に変質させることもできるのか、って意味だったんだわ。まぁ、復元っていってるから無いとは思っているけど、その辺はどうなのかなと」
質問の意図を理解した上でメレンチーは答え直す。
「その通り。出来ないと思ってもらってかまわないと思う。少なくとも俺は実例を知らない」
ハッキリとした解答にジャンパオロはさらに確認する。
「じゃぁ、もし仮にバーベリさんの知らない期間に修練すれば、それは出来る技術だと思うかい?」
こっちの方が重要だよ、そんな含みを聞かせた言い方にメレンチーは顔を曇らせ今までの様に即答を返さなかった。
そして、一分ほど続いた思案をまとめてメレンチーは話し出す。
「復元は身体の記憶に作用してそこへ向かうように成長させている結果だと思う。だからさっきのそちらが出した例で行くと、骨を内側から突き破らせることは成長というワードから即可能性として出来るのではないかと俺は思った。逆に手足の位置を入れ替えるは身体の記憶に嘘として誤認させることが出来る範疇とは思えない。少なくとも切り離した上で接合させる、という過程を踏んで初めて出来ることだと思うから、突然生えたまま入れ替える、別の機能を持たせた器官に変えるのは難しいと思う。最後に脳を溶かすだが、これも骨が成長、つまり時間経過させることができれば、脳が腐るという点では可能かもしれない。ただし、溶けることが自然となるものでないという点から断定することは極めて難しい、というのがこちらの考えだ」
出来うる範囲で推察できる可能性としてジャンパオロの考えとも一致していた。
「オッケーだ。それじゃぁ、最後にそちらの戦力を今一度把握したいから、出来ることリストアップしたの欲しいかな。そしたらこっちも動きやすい」
「わかった。後でここにいる人間、追加で合流するこちらの最大戦力を紙面で提出しよう」
最大戦力という言い回しに気になるものがなかったわけじゃないが、アリスに目をつけるぐらいだ。実力がそれ以上とは考えにくいと判断し、その場ではジャンパオロは追求しなかった。何より、ジャンパオロはあくまで戦いの戦力としてではなく逃げる時の囮としての戦力としてどこまで機能するかを把握したかっただけであり、上振れればそれでよし、というスタンスだった。だからこの時は総司令が実力的にメレンチーと大差のないフェオドラだったこともあり、囮が増えるのかぐらいにしか考えられなかったのだ。
それに追求しないことで、その戦力に信頼をおいていると思わせることもでき、どっちみち自身が得をするように考えているのだった。
「それじゃぁ、明日、っつーか今日の会談、せっかくだから護衛として何人かついてきていいよ。じゃぁ、また後でね」
夜遅くまで話し込んだこと、欲しい情報を大方聞き出せたと判断したこともあり、ジャンパオロはお開きにしようとする。
「こちらこそ、これからよろしく頼む」
メレンチーはそう言って立ち上がると頭を深々と下げた。そして、ジャンパオロとアリスたちが部屋を出るまで下げた頭を上げることはなかったのだった。
◇◆◇◆
部屋に戻ったジャンパオロとアリス。ベッドの上に崩れるように飛び乗ったジャンパオロはうつ伏せになったまま枕に顔を埋めていた。
「思ったより、強敵じゃないかもしれませんね」
「さぁ、どうだろうね。油断はしない方がいいよ」
アリスの判断にしっかりと忠告を挟むジャンパオロ。
「あぁ、そういえば」
そして思い出したように体制を変えずジャンパオロは話し出す。
「さっきは怒ってくれてありがとうね」
アリスはこんな男でも、交渉の場で威圧的、悪態を付いたことを反省はするのかと思った。
しかし、続く言葉を聞けば、そんなことはなかったと理解することになる。
「おかげでスムーズに信頼を勝ち取れたよ。結構調べてたからさ、似てたでしょ、俺、幾瀧に。まぁ、元々似てたかもしれないけど、そのお陰で打ち合わせなしの緊張感あるバチバチの構図ができたお陰でレイノルズの優しさを際立たせることが出来た。俺も実際の所は、若い考えだって苛立つことが出来たのもよかったよね。いや、ホント、レイノルズ、お前のお陰でスムーズに優位を勝ち取れたよ。思った通り、紘和より扱いやすい。今後もよろしく頼むよ」
アリスは何も言い返さなかった。それは優しさを交渉に利用された上で付け込んだことに対して怒りを覚えたからではない。どこまでも自分が大人の手のひらの上にいること、そして、何も知らないことに驚いたから何も言えなかったのだ。誠意を最初から見せればいいというわけではない。そして、そんな誠意も利用して回っている。そんな現実に驚いたのだ。
バタンッ、とアリスも崩れ落ちるように仰向けにベッドの上に倒れる。
「疲れた」
ボソリと出た言葉を残して、アリスは眠りにつくのだった。