第九十七筆:変異種と無名の演者の邂逅
キヨタツと合流してから、さらに三十分ほど歩いたところで滝の見える川の流れる場所まで来ていた。
それと同時になんとなく刺す様な視線を感じるが、確認できる範囲に敵影を確認することは出来なかった。
「目的地はすぐそこです」
そう言ってキヨタツは川沿いを滝に向かって歩いていく。ジャンパオロは滝の裏に秘密の入り口でもあるのだろうかと思いながら着いていくとキヨタツは滝の側でピタッと止まった。
そのためジャンパオロは自分の予想があっているか確認するために先を見て更に滝の裏に視線を伸ばすと確かに裏に続く道に加え明らかに滝の中腹あたりに空間があった。
「さて、と」
しかし、ジャンパオロの予想は外れていると気付かされる。キヨタツの言葉に呼応するように滝の隣、つまり目の前の崖がサラサラと音を立てながら剥がれていくのだった。それは通路を隠していた土が自ら捌けていく光景だった。
驚きの光景にジャンパオロは口をぽかんとする。
「何かと察しのいい人ほど滝、ましてやそこに空洞があれば怪しんでしまうものです」
さらに驚きに追い打ちをかけるようにこちらの心を見透かすようなキヨタツの言葉に、ジャンパオロは軽く舌打ちしつつ、出来上がった入り口へ、再びキヨタツの後に続いて入っていく。
そして入り口は全員が入ったのを確認しているのか、それともキヨタツが入り口を出現させたように何かしらの操作を加えたのか、再び土壁によって塞がれていくのだった。
中に設置されていた松明がそれに合わせて一斉に灯る。
「さて、とりあえずここで問題ないでしょう」
入り口が塞がり終わったのを確認したキヨタツは通路を進むことなく止まるとそう言った。
すると、地面から長方形の突起物が三個、ニョキッと姿を現した。
「座ってください。こんなところでという疑問もあるでしょうが、これ以上先へはさらに信頼を勝ち取っていただきたい所存です」
「……なるほど、ここもまたブラフってわけね。そう考えると上にいたのも見張りじゃなくて護衛、なるんかねぇ」
ジャンパオロは明らかに奥まで続いていそうな洞窟の先を、じっと目を細めて確認しつつ、ここへ入る時に感じていた視線に対する解答を誘導する。
しかし、キヨタツは特に反応を示さずに、自身は脚を折りたたんでその場に座ると当初の目的となる話へ誘導する。
「さて、聞きたいことをどうぞ」
その問いに対して真っ先に解決しなければならない疑問をジャンパオロは質問する。
「さっきの土壁や今の椅子の出現について。後はもちろん、お前たちについても教えて欲しいかな」
それから、ジャンパオロは創子、想造を始めとしたこの世界での理解による現象の再現性の自由があること。現在地がソレクチルス大陸の三分の一を国土に持つニムロー共和国の北西にあるオスムという小さな街の近くにあるテルスタ山脈であること。
そして変異種という人間ではない種族で想造を行使できる様になった個が存在することを伝えられた。
「それじゃぁ、キヨタツみたいな存在はそう多くないってこと?」
「いや、意外と多いですよ。便宜上人間の言い回しを借りて変異種と名乗っていますけど、人間以外の生物を対象としての種ですから、詳しい数は確認してませんけど、絶滅危惧種、なんかよりは多いと思いますよ。ただその中でも私は特別な方ですね。言語を理解することまではできるが、そこから意思疎通ができる個体は少ないので。そのせいで人間との溝が解消される機会も少ないわけで、数が少ない、珍しいと捉えている人間は多いでしょう。なにせ、こちらは危険を犯してまで関係を良好にする必要もありませんからね」
「なんか、随分と上から目線というか、嫌われてるな、俺たちっていうか人間」
ジャンパオロはキヨタツの言い回しに棘があることに率直な感想を間髪入れずに喋る。
そんな直接的な言葉にキヨタツの目が複眼故にギョッとしたのが鮮明にわかった。
「ははっ。手厳しいですね」
右の前腕を右目に乗せ撫でて、恐縮そうな態度を見せつつ、続く言葉は実に対立抗争を煽るものだった。
「まぁ、事実こちらは別にあなたたち人間に好感を抱いていませんよ」
表情というものがわかる顔をしているわけではないが、それでも言葉と口調から今のキヨタツの顔が笑顔であることは容易に想像できるほどの嫌悪感をまとった解答であった。
今にも取っ組み合いの喧嘩までいかなくとも、罵詈雑言が飛び交いそうと感じなくもない空気を肌に感じアンナが口を開こうとした時、ジャンパオロがブハッと大笑いしながら手をたたき始めた。
「いいね、そういうの。それでもこちらにして欲しい事がある、だから恩を売ってる。そうでしょ? 実にいいと思う。俺はこのぐらいが好きだわ」
「ハハハッ。そう言って頂けると嘘偽りなく話してよかったと思えます。ただ」
キヨタツは先程の弁明をするように補足するための言葉を続けた。
「もちろん、よくあるセリフがよくある通り、私たち、いや少なくとも私は全ての人間が意思疎通をはかれない、つまりわかりあえない存在でないということはわかっています。個として接した時に互いの言葉をキャッチボールできる存在、当たりがいることは知っているということです。そこから先がどうなるかは置いといて、ですけどね。そう、人間は集団でなければ対応ができる種族。逆を言えば集団になった途端、私たちとは対等になろうとしない種族ということです」
「それは、その意思疎通をやり続けた結果の話? それともたらればの斜に構えた話?」
「もちろん、前者の歴史が一度ありの、後者ですよ。だから私たちは逃げることを覚えたのです」
「同じテーブルにつけないなら逃げるってこと? だとすると、見えてこないよね、俺たちにどうして手を貸すのか。もしかして、人間じゃないと思われてる?」
冗談交じりで言ったジャンパオロの言葉にキヨタツは一拍置いて返す。
「まぁ、少しばかりそう思ってる節があるからこそ、頼る、いや利用することにしたと言って差し支えないよ」
ニカッとジャンパオロが笑う。
「いいね。利用する。俺はそういう利害の一致でいこうって感じ、逆に信頼できると感じる言葉や」
ジャンパオロはそう言いつつも恩を売られているとスッキリ笑ってみせた時よりも明らかに心中では引っ掛かりを覚える言葉に考えを巡らせていた。それは冗談で言ったつもりの、自分たちが人間ではないと思われている、という問いかけに対するキヨタツの反応が実に的を得ているという反応にみえたからだ。確かにジャンパオロたちはこの世界の人間から見ると、この世界で生まれた人間ではなく、この世界の人間を元に作られた人間である。身体を構成する何かが違う可能性は大いにある。しかし、問題はそこではない。
なぜ、キヨタツがそれを理解しているか、だ。もちろん、先にアンナから事情を聞いている節があったため、ジャンパオロたちがこちらの世界の人間ではないということはすでに知っているだろう。それでも人間ではないと判断できるのが問題なのである。ここから推測できるのは二点。一つは、変異種またはキヨタツにはここの世界の人間とジャンパオロたちを視覚的に、あるいは何かを用いて違うと判断できる器官や能力を有している可能性。そしてもう一つがジャンパオロたちを創った人間と関わりを持っている可能性である。前者に関しては特に問題とならないのだが、後者であった場合は話が大きく変わってくる。それこそ様々な思惑を紐づけて想像しなければならなくなり、キヨタツから疑いの目を向ける機会が多くならざるを得ないのである。
もちろん考え過ぎなだけで、単純にこの世界と違う世界の人間という意味合いならば何も問題はないのだが。
「それは好都合。では」
そんなジャンパオロの考えを知ってか知らずか、当初のジャンパオロの信用できるという言葉に対してここからが本題とバッサリ話の筋をキヨタツが持っていく。そんな雰囲気が漂い始めた中で、待ったをかけるように突然天井から何かが衝突したような大きな音がして、周囲の壁が大きく揺れた。当然その場に視線は音のする上へと自然と向く。
そして互いに何事だという顔を突き合わせると、その評定からこれが双方にとって予期せぬ出来事だということは伝わった。
「地震というよりは何か大きなモノがぶつかったみたいだけど、そういう自然現象とかよくあるん?」
「いえ、ないと思いますが」
ゴトゴトという音共に天井が崩れ始めていることを全員が理解する。
いずれ大きな破片が落ちてくることは明白なので、全員は押しつぶされることを防ぐべく動こうとする。
「イメージでできるんやったよな」
キヨタツが真っ先に行うべきことをジャンパオロがやろうとしていた。もちろん、キヨタツも即座に身体を浮かしてここに入ったのと同様に土壁を取っ払おうと動いていた。しかし、結果から言えばジャンパオロの初動が一番早かったのである。
しかも、その想造はその場に居た誰もが目を見張るものだった。
「ハハッ。ええ力やんこれ。未知のエネルギー、万々歳やな。何より」
土壁がただ捌けるだけではなく、ジャンパオロたちの頭上を守るように伸びたのだ。
「力の概念がひっくり返るで」
さらに足元が波の様にうねったかと思うと、波に乗ったサーファーのような構図で地面がジャンパオロたちを外へと逃がす様に運び出したのだ。その技術力はキヨタツから見てもこの世界ですでに中位以上の想造の実力を持つ、つまり物質への理解力を持ち合わせているように映った。さらに付け加えるならその物質に対する変化への歩み寄り方が、まさに想像力というもの感じさせるものだった。
そして、そんな想造を可憐に決めた当の本人は先程まで抱えていた疑心を全て忘れ、この世界の理に酔いしれていた。情報線を得意としていた男である。逃げるためにある程度習得した技術などはあれど、正面切って肉体的な戦闘を行うことは極力避けてきた人生である。しかし、今情報戦以外の戦いにおいても自身が活躍できる力を手にしたのである。それは元から力ある人間も同様に強くなることを意味するが、それでも知識という点で上回ればいいという点がジャンパオロにより大きな夢を与えた。もちろん、情報線を主戦場と置くジャンパオロにはそもそも戦闘という行為が必要になる機会は少ないだろう。それでもこの力に高揚するには明確な理由があった。
それはジャンパオロがプロタガネス王国に所属していたことが大きかった。間違いなくプロタガネス王国で一番情報戦のできる人間であった。だからこそ、周囲が持つそれぞれの武力というものに、出来ないことに人一倍憧れていたのである。決して弱かったわけではないジャンパオロもそこだけでみれば自身が最も敵と対面して戦うという点で劣っていることは理解していた。その理解が出来たからこそ、憧れていたのである。
見返してやろうとかそういった心構えから来るものではなく、ただ自分も戦えるならその集団にいるだけの水準が欲しい、と心のどこかで長い間プロタガネス王国に所属していたからこそ思うようになっていたのである。
「それで、問題の震源は」
外に出て何にでも対応してみせる、そんな腹積もりで意気揚々と振り返った先に居たのは、崩壊していた天井から降ってきた二体の巨大な影だった。
◇◆◇◆
大山。新人類の能力で転移と成りすましを獲得したステゴウロス・エレンガッセンの合成人である特異な無名の演者。生まれでた瞬間からマイケルと対峙すること、そして目の前に来る敵を片っ端から倒すことを命じられていたと記憶し、先の戦いに参戦していた。
人間の頃の、ましてや他の生物であった頃の名前を記憶しているわけではないが、自身が生命体であることは理解していた。
「ど、こだ?」
マイケルの姿に成りすましているため、自身の疑問が口から出たのだ。智という怪物と戦っていたことまでは覚えていた。しかし、空にヒビが入ったのと同時に意識を奪われ、気がついたらここにいたのだ。もちろん今までの異人の例に漏れず大山もここが自分たちのいた世界ではないということは理解していた。そして、自分がどういう存在なのか理解してもやることは変わらなかった。
純粋な強さ、智という存在に成りすました上でマイケルの喉元にくらいつくこと。そう大山の戦いは終わっていないのだ。もちろん、止める理由を知らないという点も大きいのだが、行動する目的がある、それだけで動けるだけの性能と、強さへの渇望を持ち合わせていた。故に、さまようように歩き回っていた大山が目の前にいた変異種に飛びついたのは、知らないものに対する自衛ではなくほぼ条件反射のような、無名の演者でないものがいた、それだけの理由だったのだ。
◇◆◇◆
キヨタツに客人をいつもの場所で値踏みする、という連絡を受けて、スジイルカの変異種であるルドルは指定されたいつもの場所、滝の上の丘で脚を川に晒しながらのんびりとしていた。ルドルはキヨタツたちが変異種で作るコロニーに所属する一人で、キヨタツ同様、人間と意思疎通ができる存在である。ちなみにこのコロニーにはそんな芸当ができるのはこの二人しかいない。だが、そんな希少なルドルであるが実はキヨタツより変異種らしさを兼ね備えていた。変異と命名されている通り、実は変異種とは単に想造が使える人間以外の種族という訳では無い。もちろん、大枠の括りであることに違いはないが、それ以外にも明確な外見的特徴を持つ。想造を使えるほど知性を獲得したから外見的特徴を獲得したのか、外見的特徴を持つから想造を授かったのかはわからない。それでもその種で考えるならば一瞬目を疑うかもしれない外的特徴を変異という言葉の通り持ち合わせているのである。そして、ルドルは脚、尾ヒレの二股がまるで両脚の様にくっきりと分かれた上で発達して二足歩行できるようになっているのが一番目につく外見的特徴となっている。つまり、脚を川に晒しているというのは比喩でも何でもないということである。
そんな優雅な時間を過ごしていると遠目にキヨタツたちが川沿いから歩いてくるのを補足した。目が合った訳では無いが、開けた場所、何よりルドルが目視で確認したのと同時に客人がチラリと周囲を確認するように視線をぐるりと巡らせる。それを確認しただけで危険に鋭敏になる環境に居た人間だということがわかった。そのまま指定の場所に入ったことを確認すると上からキヨタツたちの話を盗み聞く。そして、客人が随分とこちらに対して友好的に見えるなと思い始めた時、ルドルは突然背後に死を感じたのだ。だから反射的にその死を直感させたものがいるであろう背後を振り返る。
そこにいたのはルドルの知らない人間の形をわずかにしているとわかる、何かだった。
「お前はだ……ぐっ」
相手の存在を確認する間もなく、突っ込んできた生物は有無を言わさずルドルを地面へと叩きつけた。そのまま馬乗りになると人間の様な見た目に奇妙な鋭利な凹凸を持つ尻尾を生やしたソレは、大きく口を開けて唸り声を上げる。その口の中は真っ黒だった。そしてその真っ黒はドロリと口から溢れ出し、ベチャッとルドルの体表に付着した。
不快感を与える粘性の何かに、ルドルは恐怖から拘束を振り払おうと力いっぱい暴れる。
「お前は、強いのか?」
ヌッとゆっくりと近づいてきた顔がボソリとルドルに問う。
「だったら何だよ」
「アハハハハ」
大きな笑い声を上げ、黒い粘液をルドルの顔に撒き散らしながらその生物はルドルに戦いが始まることを警鐘する。
「ならその強さを見せてくれ」
その言葉と共にその生物の鋭利な尻尾がルドルの脇腹を狙うように伸びてくる。だからルドルは前ヒレを力の限り地面に叩きつける。直前に想造で地面に亀裂を多く入れ崩壊しやすくしていたのだ。そのため、地面を陥没、キヨタツ達がいる部屋の天井を打ち抜きつつその尻尾の攻撃を右ヒレで弾く。そのまま左ヒレでルドルは首をがっちりホールドし密着状態で相手が暴れられない状況を作り出す。そして、地面に落下の勢いとともに叩きつけ、下にいるキヨタツと合同で対処しようとするのだった。
◇◆◇◆
「……そっちのイルカみたいなのは仲間ってことで大丈夫か?」
ズドンという地面の着地音と同時に巻き上がった砂煙にから脱出するように双方から飛び出た姿をそれぞれ確認したジャンパオロがキヨタツに返事を求める。
「はい。仲間です。ちなみにそちらの黒い人形のは生物みたいなのは」
「俺らの仲間ちゃうで。無名の演者ってカテゴライズされた敵や、敵。しかもその中でもヤヴァイやつやな、間違いなく」
ジャンパオロはキヨタツの疑問に食い気味で答えつつ眼の前の敵との出会いに嫌な汗をかく。無名の演者の中でもマイケルと接敵した特異な存在だという情報を得ていたからだ。
つまり、転移という理論武装で語ることの出来ない力を所持していることを知っているということである。
「だから残念なお知らせや。俺一人やと不安やからとりあえずは後一人、こいつの足止めに残ってもらう。他はその間に仲間の元へ帰って逃げることを考えとけ。ただし、イーシャ。お前だけは撤退や。理由はわかるな。だから、ここに残るやつ、返事」
二人がかりでどうにかなる敵かと言われれば、そもそも怪しい点ではある。それでも行けると判断したのは想造という力の取得が大きかった。また逃亡を促した上で拠点の放棄を促したのにも明確な理由がある。一つは新人類の転移の力である。転移の力は自身が記憶した場所にモノを移動させることができる力である。つまり、足止めをせずに逃亡した場合は追跡されるだけで拠点をいつでも奇襲できる状況を相手に与える可能性があるからだ。転移にも何を転移できるかには個体ごとに差があるが、情報では部分的なものを別の場所に転移させることもことが可能な力だと伝えられておりジャンパオロが持っている情報とは別物に近いと予想でき、そこから上位の転移である可能性を考慮したのである。しかし、この点に関しては次に語ることへの予防策でしかない。
拠点を移動させる理由。それは成りすましという力の存在である。つまり、この場の誰かが捕まりDNAの奪われた瞬間、各々の拠点がバレてしまう可能性があるのだ。だからこその拠点の放棄なのである。つまり、誰かが成りすましされることは前提にジャンパオロは行動していたのだ。その結果が敵の追跡の阻止と拠点を放棄するまでの時間稼ぎなのである。
さらにこちらからアンナだけを率先して逃がすのは彼女が医者だからである。その知識があれば多くの人間が生き残る道を選択し続けられると判断できるからだ。
見知らぬ土地で取る人間の重要度のから考えれば当然の選択とも取れた。
「護衛だからな、俺が残ろう。移動はキヨタツの方が速いだろうしな」
「何も言わずに指示に従ってもらって正直助かるわ。よし、じゃぁ、他はとっとと行け」
ジャンパオロからすればここまでの人選は想定通りだった。リュドミーナと茅影はそれぞれの連絡係、そしてキヨタツは変異種のいるコロニーに戻る必要があるからだ。故に先程の問いかけは状況把握をさせるのと同時にキヨタツとルドル、どちらが共に戦うのか、そして、名乗り出てくれるのか、その様子を見たかったというのが大きかった。半分強制的に指定して入るが、それでも協力的かどうかをみるには十分すぎるほど危機的な状況だった。
だから今のところはまだ信頼できるとジャンパオロは自分たちを人間でないと判断している変異種の関係は今後も築いていこうとひとまず思うのだった。
「わかった。みなさんご無事で」
キヨタツがそう言って羽音を盛大に立てながら飛び立つと、ジャンパオロとルドル以外が一目散に無名の演者に背を向けて走り出した。無名の演者はそれを追おうとはしなかった。
代わりにゆっくりとジャンパオロとの距離を詰めてきていた。
「お前は、強いのか?」
「あぁ、今は強いかもしれないよ」
改めて無名の演者の姿を見てジャンパオロは眼の前の存在が自分が仕入れている情報とは異なる存在であることを知った。それは見た目である。成りすましの力はジャンパオロの知る限りでは三つのDNAを保存することができる、そこから一つを選び自身に反映、そのものに姿を成りすますことができるというものだった。しかし、眼の前にいるそれは人間の、マイケルの形をしているが鋭利な凹凸を装備した尻尾を生やしているのだ。つまり、二つの姿を同時にその身に反映していることになる。これがそもそもできる特別な個体だったのか、こちらの世界に来る前後で何かをキッカケに進化したのかはわからない。
だが、明確により強大な敵に変貌していることだけは否が応でもわからされた。
「それは、ありがたい」
ジャンパオロに不可視の一撃、背後への尻尾の転移がされた。
しかし、この場には二人いるためルドルが即座に土壁で弾くことでその奇襲を失敗に追い込む。
「助かる」
「あの尻尾といい、空間を移動しているみたいに見える力といい、あれは一体何なんだ?」
そのまま互いの背後がギリギリ確認できるぐらいまで近寄ってきたルドルの言葉にジャンパオロは答える。
「聞いて驚くな。人間のくせに脳の処理速度は機械のそれに加えてステゴウロス・エレンガッセンっつー恐竜の力とマイケルっつーおっさんの能力を平等に、均等にする力、さらに自分の記憶した地点にモノを移動させる力を使う、機械生命体さ。ちなみに、DNAを奪われてみろ、俺たちの力も再現される」
「ハハッ。全くもって何を言ってるかわからねぇよ。自然の理って知ってるか? 俺は」
「事実だから受け入れるしかないよ。まぁ、時間さえ稼げれば後は俺たちも逃げればいいからさ。必死に気楽に行こうや」
「あんたらが俺らみたいな存在を見ても普通に接する理由、わかった気がするよ」
引き笑いを向けてくるルドルにジャンパオロは笑みを返す。
「それは何より。それじゃぁ、やったりましょーか」
そう言った次の瞬間、ジャンパオロは大山の足元から無数の突起を身体を貫くことを目的に生やした。元から体術ではマイケルの力を利用されても勝てない。だからこそ理の理解という優位性を存分に活かす。何より、致命傷となりうる攻撃を放てば必然と大山の次の行動は予測できる。ジャンパオロは背後の空気が重くなるのを感じる。
強者の放つ圧である。
「ハハッ、ドンピシャ」
大山が出現した位置が自身の背後への奇襲だと予想した上での下準備がそこにはしてあったのだ。
振り返った先には大山が確かにいた。
「徹底的に距離を稼げ、ええな」
ジャンパオロの声に応じるようにルドルが首をコクリと縦に振ると距離を取る時間を稼ぐためか大山の足元から地面が隆起し脚に蔓が絡みつくように地面に固定した。もちろん、これだけではまた転移の力で逃げ切られるのは目に見えていた。しかし、大山はそもそも自力が違う。恐竜の身体能力を有しているのである。その怪力で脚を無理やり前にやるのは容易いことだった。だから転移先が読まれるなら直線という最短で無理矢理にもフィジカルを生かして突っ込んだ方が得策だと大山は考えたのだ。その強者だからできる行動が転移というその場を最短で離れる選択肢を除外した。
故にその痺れは突然来た。
「ん?」
手足が痺れているのだ。毒物などを体内に注入された形跡は一切ない。だからこそ、この状況を理解するのに、想造を知らない大山は一瞬だけ遅れる。そして、原因に気づいた時にはガクっと膝から崩れ落ちていた。原因はわからないが、大山は今酸素中毒になっているのだと、自身のおかれている状況をラクランズとしてのスペックから推測したのだ。
酸素中毒。ある程度高分圧の酸素を長期にわたって摂取し続けることによって、身体に様々な異常を発し、最悪の場合は死亡に至る症状である。ジャンパオロがドンピシャといったのは自身の背後に転移すると想像できた大山の位置に想造によって作り出した高分圧の酸素を一瞬に体内に送り込むことに成功したからである。もし、即座に再転移していたとしても背後にこの空間を作り続けることで対策にしようとしていたが、大山が強者故に初手で目的を達成することに成功したのだ。だから後はこの無防備になった大山に鋭利な一撃を突き立てるだけで全てが解決するはずだった。
ジャンパオロたちが落下しているという事実がなければ。そう、確かに一刺し、首か心臓を貫こうとしていたはずが、その行動に移そうとした時にはジャンパオロもルドルも突然の浮遊感と同時に正面から風を受けている状況に陥っていたのだ。チラリと隣のルドルを確認したジャンパオロは状況を整理する。簡単なことである。転移させられたのである。想定できる状況だっただけに、想造という力を手にしたことで注意力が散漫になっていたのではないかと思ってしまう状況である。高所から叩き落とす、単純だが人間を効果的に殺せる手段である。しかし、最初からやられるならまだわかるが、この追い詰められたであろう状況でこの一手を使った理由が定かでないことにジャンパオロは考えなければならない状況だからこそ不気味な状況だと考えられた。もちろん、死なばもろともという相打ち覚悟の戦術とも取れる。しかし、そんな単純な落とし所であってはならないとジャンパオロの経験則が告げているのだ。
だが、いくら考えた所でこの状況でその嫌な感じの正体の答えを見つけられるなら、これだけの焦燥感はないわけで、ジャンパオロは次の着地に対する考えを巡らせる。最も簡単なのは川に落ちることである。もちろん、そのまま落ちるのではなく川の水を少しでも地表から打ち上げた状態を幾層か作り、それをクッションにすることで衝撃を殺していくのだ。そうすればある程度の怪我は負うとも重症は避けることができるだろう。ルドルも同じ結論に達しているのかすでに川ではなく空気中の水を薄く何層かに落下先に張っているのがわかった。ジャンパオロもそれを真似するように衝撃を殺すための水のクッションを生成し、バシャッという音で水の膜を貫通しながら、肌寒さを感じながら地面へと近づいていった。後は受け身を取るか川の水を大量に敷くだけでいいはずだった。
落下地点目掛けて右腕を広げて走っている大山を目にしなければ、である。そう、酸素中毒で身動き一つ取れない状況にあったはずの大山が元気に助走をつけるべく走り回っているのだ。落下中にその軌道を変える手段をジャンパオロは当然持ち合わせていない。
それはつまり、このまま落ちれば大山のラリアットの直撃を受けて最悪死ぬということを意味していた。
「流石にヤバいやろ」
ジャンパオロはブワッと毛穴が広がり冷や汗が止まらない自分がいるのを感じた。
あのライアットに受け身を取ることができるのか、これだったらもっと普段から体術面も頑張っていればよかった、そんな後悔ばかりが頭を巡っていた。
「貸しです」
その言葉が耳元で聞こえたのとギュッとルドルに抱きつかれたとわかったのは同時だった。逆を言えばそこまで近づかれていても気づけないぐらいに自分がパニックに陥っていたのだとジャンパオロは今更ながら気づく。アンダーソン・フォースに戦闘訓練をしにいって偉そうな顔をしていた自分を思い出し、自分もまだまだだったんだなと振り返ってしまうぐらいの惨めさが、その気付きにはあった。しかし、そんな反省に浸る時間を大山が待ってくれるわけはなく、ドンッという車と衝突したような衝撃を覚えたの同時に直角に自分たちが飛ぶベクトルが変わったことに気づいた。ルドルが直撃を受けたおかげで助骨にヒビが入ったかもしれないぐらいの感覚だが、もちろん、それだけに終わらなかった。そう、大山は転移で即座に距離を詰め地面に転がる前にさらにもう一発と追撃の強打を脚で入れてきたのだ。
ジャンパオロは衝撃もだが、ルドルのくぐもったうめき声を耳にする。
「クソが」
ジャンパオロは即座に垂直な壁を大山と自分たちの間に形成し、視線を切らせる。そのスキにジャンパオロたちは地面に転がりながら着地することに成功する。しかし、ジャンパオロは一回目のバウンドと共にルドルの身体からポンとはじき出されるように飛び出し、転がることとなる。そして、勢いを収まりなんとか大山を目視に収めようと視線を向けるとそこには息を荒くしたルドルが首を鷲掴みにされ大山に持ち上げられている姿があった。助けなければ、貸しを返そうと動かそうとしたジャンパオロは脚が動かないことに気がつく。それは疲労や外傷にものではない。足首が地面から生えた足かせに拘束されていたからだ。
故にジャンパオロは理解する。なぜ、大山がジャンパオロたちを上空へ転移したのかを。それは想造という力の存在に大山が、ラクランズのスペックが気づいたからである。恐らく原因は突然の酸素中毒である。普通では決してありえない状況を作り出している。しかし、その状況が存在しないわけではない。何よりそれをこの世界の人間ではなくジャンパオロがやっていた。そういった些細な点を結びつけて大山はこの世界では原理を、理解を、現実に反映することができるかもしれないと判断したのだろう。だからジャンパオロたちを上空へ転移し、その仕組を理解する時間を稼いだのだ。
結果、高分圧の酸素の解除と今のジャンパオロの拘束が実現しているのだ。
「はぁ、まずは体力づくり、そこからやな。身体が資本は本質やったか」
ジャンパオロは拘束されて何も出来ない非力な自分を、今までの経緯も含めて悲観し、後悔の言葉を口にし、この状況を打開する策を必死に巡らせるのだった。