第7話:食事の後はもちろん……?
幸先は悪い。七瀬渚。ただの変態という先入観は捨てたほうが良いだろう。なぜならば、亜人は人間よりも五感が発達している――聞き耳をたてて、僕が着替えている途中で意図的に部屋へ入って来くることができたのも、それが理由だ。思わぬところで僕が男であるとバレる可能性は高い。
あと、単純に初対面の人間の尻を撫でる変態は信用ならない。これは実体験に基づくデータだ。
「……何か、対策はない?」
ぼそぼそと僕は小さな声で楓姉に聞く。赤ら顔であっても、楓姉の意識は明瞭である。彼女は鷹揚に頷くと、その対策とやらを答えてくれた。
「あるぞぉ。来栖家が棗の仕事をサポートして、御剣家がサポートしない理由はないだろぉ? なあに、安心しろって。お前がしっかり仕事をこなせるように、御剣の人間がすでに何人かメイドとして働いているからな。男だってバレそうになったら、それとなーくフォローしてくれるだろうよぉ」
快活に笑う楓姉は空いたグラスに再び、なみなみと酒を注ぎ足す。ソフトドリンクじゃないんだから。というか、まさか来栖家で仕事する度にこんな傍若無人の振る舞いを……? 妙に楓姉の対応に慣れている周囲の先輩メイドの様子が怖い。
しかし、御剣家からもメイドとして雇われた人間がいるのか。なるほど、それならばいざという時には頼ることができそうだ。
「で? その御剣家の人間って誰?」
僕の真っ当な質問に、楓姉はにやりと笑う。どこか嗜虐的だ――いや、これは『困っている弟を見て楽しむ姉の図』か――なんとも悪趣味である。
「おやおやぁ? 棗、早くもギブアップかぁ? これは来栖家からの依頼でもあるが、お前の当主としての力を問う三年間なんだぞぅ。棗の力でどうしようもなくなったとき、御剣家の人間が助ける――最初から当てにしてちゃあ、お姉ちゃん心配だなぁ」
とは言え、趣味は悪くとも口から出る言葉は正しい。認めざるを得ないが、僕は椿姉や楓姉のようにはっきりとした実績を持っていないのだ。小遣い稼ぎに街のゴロツキを懲らしめたところで、祖母は評価しないだろう。寧ろ、来栖家の護衛をするだけで椿姉や楓姉と同じように評価される――そちらのほうが異常なのである。
むぅ、と唸りながら僕は山のように盛られた夕食を少しずつ口に入れていく。処理しなければならないことは山積みだが、少しずつ片付ければいつか終わるのだ。……終わるよね?
不安は残る――そんな僕を置いていくように、あるいは歓迎するように、夕食の時間は華やかなものであった。メイド、と言っても育ちの良い女性ばかりだ。先輩の方々はどの人も優しく、これから始まる三年間は代えがたいものになるであろう――そんな予感がした。
「それでは棗様、私達と一緒にお風呂に入りましょう」
誰が言い出したか。終始和やかに進んでいた食堂が一瞬、静まり返った。ああ、なるほど。裸の付き合い、というやつか。本来の意味とは大分違くないか、と思わなくもないが、風呂に一緒に入るというのは信頼関係を築く上でも効果的だろう。
そしてこの来栖家、準備のいいことにメイド用の大浴場なんかも完備している。僕の部屋にも十分な大きさの風呂があるんだが、大浴場に入ってはいけないとは聞かされていない。
なるほど、なるほど、なるほど。
「それはいいわね! さあ、お姉さんと一緒に入りましょう!?」
「あんなに可愛い子の背中を合法的に流せるの!?」
「うふふ、何もしない、何もしないから……!」
食堂に響くのは鬨の声か。周囲にいたメイド達は、まさに瞬間沸騰器の如く沸いた。ちくしょう、本性を現したな……!
「助けて、お姉ちゃん!」
「おっとこいつは予想外。愛しの棗の貞操の危機にお姉ちゃんワクワクすっぞ」
この姉、最低である。
「さっき言ったでしょ! 僕の力じゃどうしようもないときは助けてくれるって!」
まさか、こうも早く頼ることになるとは思わなかったが。あまりの急展開に楓姉が僕を大浴場へ誘導しているのでは、と勘繰ってしまうほどだ。
だが、楓姉の力を頼らねば。残念ながら自力でこの展開を打破するのは難しい。見れば、僕の周囲には数えきれないほどのメイド、メイド、メイド。この数の視線から、僕が男であることを隠すのは不可能だろう。
「逆に考えても見ろ。これだけのメイドの前でお前が堂々と裸になれば、男だと疑う奴はいなくなるわけだぁ。先手必勝、いけるいける」
捕らぬ狸の皮算用である。何よりも失敗したときのリスクが大きすぎる。あまりにも楽観視の過ぎる楓姉の言動に僕は大きく溜息を吐いた。
「まぁ、私に任せろって。タオルで股を隠してりゃあ、全部お姉ちゃんが解決してやるよぉ」
グラスを呷り、吐き出す言葉のなんと勇ましいことか――うん、絶対に碌なことにならない。
◇◇◇◇◇◇
先ほどの楓姉の発言を合図と取ったのか、幾人のメイド達がその場を離れた。恐らく、御剣家の人間なのだろう。……よし、顔は覚えたぞ。
「? どうしたぁ、棗。メイドのおねーさんが気になる年頃かぁ?」
「……うん、少し気になることがあってね。ところで楓姉、なんでビデオカメラなんか持っているの?」
楓姉の手のひらに収まるほど小さい、コンパクトなビデオカメラ。それを持っている理由なんて、大体予想がつくが僕は敢えて楓姉に説明させる。
「ほら、最近はお姉ちゃんやお母さんと一緒に風呂に入らなくなっちゃっただろぉ? だからなぁ、椿の奴が撮ってこいって言ってな? いやぁ、私は反対したんだけどなぁ。家族の成長を喜ぶのもいい機会かなって思ってなぁ。こんなこともあろうかと、お姉ちゃんがちゃんと用意しておいたんだぞぅ」
――なるほど。
「楓姉、それ没収」
慈悲はない。
「ちょっと待て。待つんだ、棗。お姉ちゃんの裸に興味あるだろぉ? だから、なぁ? それを返してくれぇ……!」
「微塵も興味ないよ……」
というか、僕の裸に興味を持つ家族が怖い。……実は我が家で過ごすよりも、来栖家で過ごした方が安全なのでは、とそんな考えが浮かんでしまう。