第6話:夕食時は仕事着を脱いで
僕は脱ぎかけていていたメイド服を再び着なおすと、七瀬の運んできた書類の束を受け取った。どうやら、このメイド服ともう少しの付き合わなければならないらしい。人生、何事も慣れだ。これから三年間、どんな文句を揃えようが付き合わなきゃならない仕事着である。そう言い聞かせてしまえば、なんてことはない。ただの服だ。それ以上でも、それ以下でもない。ないったらない。
「七瀬さん、確認してもいい資料はこれだけですか?」
「そうらしいよ? 私は来栖家のメイドだけど、来栖家の情報なんてこれっぽっちも知らないからねえ。瑠璃様についてなんて、ただの可愛い女の子、くらいしか知らないしね!」
僕は手元の書類をぱらりと捲る。書面を埋め尽くすような文字の羅列は、全て『許可』と印の押されたものばかりである。厳重に管理されるのは来栖家の人間として仕方がないだろうが、ここまで情報を管理されているのは、年頃の少女には酷だろう。
「……僕が把握していることは、この書類にあるものと変わらないですね」
勿論、嘘である。
「流石は御剣家、って言えばいいのかな? 瑠璃様については予習済みなんだねー」
「褒められるようなことではないですよ。……個人の、それも女の子の日常の生活情報を頭に叩き込んでいるんですから。まさか、インターネットの閲覧履歴まで調べられるとは思わないでしょうね」
自嘲気味に僕は笑う。あまり気分のいい話ではない。
不自由な――少女。思うことはそれだけだ。瑠璃様を不憫に思う気持ちはあるが、それをどうこうしようという気持ちはない。僕は瑠璃様の味方だが、それ以前に僕は御剣家の長男。来栖家の剣である。来栖家が瑠璃様をどのように扱おうと、僕には関係のない話だ。
「……ふむふむ。まあ、それはどうしようもないからねー。あ、読み終わったなら処分しちゃうから。それと、もうすぐ夕ご飯の時間だから、あんまり遅れないようにね!」
僕の尻を一撫でして、七瀬さんは書類を小脇に抱えて何処かへ走り去ってしまった。まるで嵐のような変態であった。
まさか初対面の女性に尻を撫でられるとは思わなかったが、悲しいかな、この体はすでに家族によって汚されているのだ……! 習慣とは恐ろしいものである。
――それにしても、やけに慣れた手つきだった。
◇◇◇◇◇◇
夕食と指定された時間に、僕は食堂に向かった。他のメイドと思しき女性達は、配膳係から夕食を受け取ると、各々好きな場所に座っては談笑している。
僕もそれに倣って夕食を受け取り、席を確保しようとすると聞き慣れた声が耳に入った。
「おぅい、棗ー! こっちだ、こっちぃ!」
ぶんぶん、と僕に手を振るのは我が愚姉――言わずもがな、楓姉である。すでに机の上には、ボトルが転がっており、ここで小さな宴会が行われていたことを物語っていた――主賓は勿論、楓姉だけであるが。
「うわあ、うわあ、うわあ……!」
行きたくない。近付きたくない。本能的なものだが、僕の直感はよく当たる。当たって欲しくないときほど、この直感というものは機敏に働いてくれるのだ。
無論、今僕の中で鳴る警鐘に好意的な音色はない。
「わっはっはぁ、紹介しよう、諸君! これが私の自慢のお――ぐふぅ――じゃなかった、妹の棗だぁ! よろしくなぁ!」
「あはは、姉さん。やめてよ? げっぷなんて意地汚いんだから」
肘鉄を楓姉の鳩尾に軽くぶち込む。酔いがいい具合に回っているらしく、どうも今の楓姉は口が滑りやすいらしい。下手なことを言う前に、僕が物理的に潰さなくては。
確固たる意志を持って、僕は楓姉の隣に座る。……座ったのは普通の椅子なのに、なぜだろうか。処刑用の電気椅子にしか見えないのは。
「ほれほれぇ、棗ぇ、自己紹介はどーしたぁ?」
酔っ払い特有の絡みと、口から漂うアルコールの臭いに顔を逸らしつつ、僕は溜息を吐いてしまう。
「……先輩方、うちの姉がすみません。ええっと、御剣家のさ、三女の御剣棗です。これから三年間、瑠璃様の高校生活を護衛することになりました。よろしくお願いしますね」
楓姉に言いたいことは山ほどあるが、まずは先輩方に挨拶するのが常識だろう。これから三年間、同じ釜の飯を食う仲間なのだ。嫌な印象は持たれたくない。
三女、と言うのも本能的に憚られるが――これも仕事である。忍ばせられる程度の恥ならば、忍ばせるのが吉。口端は少々、震えてしまったが、なんとか微笑むことは出来たはずだ。
「この子が、御剣家の三女……?」
「……なんか、白い髪の毛と色白の肌が合わさって、お人形さんみたい」
「まさしく美女と野獣ね……野獣が隣にいるから一層可愛さが際立つ……!」
周囲から響く声は、どれも似通ったものである。おかしい、今の僕の姿は上下ジャージの部屋着スタイル。女の子要素は皆無である。
もしかしなくても、僕って素で女の子っぽい? いや、そんなまさかね。
「おい、今、棗を野獣って言ったやつ、顔覚えたからなぁ!」
「僕はそのほうが嬉しけどね、楓姉……多分、野獣は姉さんのことだと思うよ……」
野獣と言われる男になりたい――それは遠く叶わない羨望なのだが。
「ならよぉし!」
――良くないから。寸でのところで、僕はその台詞を飲み込む。周囲の顔色を窺えば、僕が男だと思っている者はいないようだが、これ以上は僕が性別を偽っていると疑われるような発言を控えたほうが良い。
「もう、僕をここまで届けてくれたのは感謝するけれど、終わったら帰ってよ。いつまでも居たら、来栖家の皆さんに迷惑でしょ?」
「つれないこと言うなよぉ。お姉ちゃん、悲しくて泣いちゃう……!」
酒の入った御剣家の女ほど面倒な存在はいない。葵にはこう育って欲しくないものである――いや、無理かな。
人生、諦めが肝心である。
「それにしても、すごいですね。僕のような一介の護衛メイドに世話係が付くなんて。それに、食事もなんだか豪勢ですし」
はっきり言って、一介の護衛メイドに与えられる権利ではないだろう。
僕の目の前に並べられた食事の数々は、どれも他のメイド達より盛られた内容になっている。決して他のメイドに出される料理が貧相というわけではないが、どう見ても僕に出された料理は上等なものである。
世話係の話もそうだ。七瀬さんに聞いた話であるが、なんでも僕には日常生活を送るにあたって支障が無いように、メイドを一人充ててくれるのだとか。
「三年間、護衛するのだから棗ちゃんの日常生活に不自由がないように、という瑠璃様の配慮らしいわね。他の護衛メイド達はシフトが組めるけれど、棗ちゃんはそれもできないんでしょう?」
メイドの先輩が言うことに「なるほど」と納得する。たしかに、これから僕の生活の大半は瑠璃様に捧げることになるのだろう。風呂や食事、睡眠は僕のリズムで何とかできるが、他の私生活はどうしようもない。
「そうですね、有り難い話です。どなたが手伝ってくれるのかはわかりませんが、本当に助かります。瑠璃様のご配慮には報いないといけませんね」
「あれ? 棗ちゃんの世話係は七瀬渚って子よ。聞いていなかった?」
――前言撤回。あの変態か。