第28話:二心なき御剣
僕の質問は、桐坂さんにとっては想定の範囲内だったらしい。特に動揺することもなく、優しく微笑みながら口を開いた。
「そうね。その話はちょっと長くなるわ。立ち話も辛いでしょう? その席に座ってもいいのよ」
桐坂さんが、そう言って指差す場所に鎮座する椅子は、今、桐坂さんと古河さん(正確には、大楯さんが座っているのだが)と全く同じものだ。
それが何を示すのか――それが理解できないほど、僕は馬鹿ではない。
『棗』
わかっているよ、椿姉。
「その席は瑠璃様に用意されたものです。失礼なのは重々承知ですが、僕は立ったままで結構ですので」
きっぱりと桐坂さんの申し出を断り、僕も静かに彼女たちを見据える。今、彼女たちに逆らうのは下策中の下策だが、それだけは駄目だ。
「へえ、御剣はあんな普通の人間を来栖が当主にしても従っていくの?」
僕の回答に、年不相応の不気味な笑みを浮かべるのは古河さんだ。とても、初等部に在籍する女の子とは思えない獰猛な笑みは、張り合えばこちらが喰われそうな迫力である。
なるほど、この花園にいるだけの素質はあるようだ。桐坂さんの迫力に呑まれて気付かなかったが、彼女も相当の傑物らしい。
だが、彼女の問いはナンセンスだ。
「何があろうと、御剣は来栖の懐刀です。僕ら御剣に二心はありません」
絶対の忠誠。二心無き剣。そうなるべく、僕は育てられたのだ。
確かに今、瑠璃様に当主の器があるのかと問われれば。それは古河さんの言う通りだ。今のままの彼女に唯々諾々と従う気は、毛頭ない。
しかし、彼女は次期当主になることを諦めていないはずだ。ならば、僕が瑠璃様より先に諦めること、ましてや忠義を捨てることはない。
凡人と言われる彼女も、千草様の背中をずっと見て来たはずだ。成長できないはずがない。
そんな僕の返事を聞いた古河さんは、意外にも嬉しそうに喜んでいた。
「ふぅん、いいね。気に入ったわ! もし、来栖家を出たくなったら古河に来なさいよ。可愛がってあげるわ」
「あらあら、瀬奈。気が早いわ。彼女の実力もまだ、わからないんでしょう?」
古河さんの体を優しく抱きしめながら、大楯さんが窘める。……昨日の襲撃といい、やはり僕の実力を把握しようとしていたのは古河家なのだろう。大楯も黒狗の中枢にいる存在だ。見た目で判断しようなどとは微塵も思わないが、大楯さんの優しそうな笑顔に気を許してはいけない。
「……そうね、棗さんの家の事情もあるのでしょうし、立ったままで構いません。ですが――」
パチンと、指を鳴らした桐坂さんに応えるように、今まで微塵も動く気配のしなかった男――刀弥が、一瞬で僕の目の前に近づいて来た。
反応のしようがないほど、素早い動きだ。僕が瞬きをした、僅かな間に3メートルほどの距離を詰めて来た。
「失礼する」
その言葉とともに、風が僕の耳を撫でた――ような気がした。何をされたか、その刹那の間では理解できなかった。それどころか、呼吸一つする間すらなかった。
「な……ッ!?」
気付いたのは、彼の行動が全て終わっていたときだった。耳に付けていた、ピアス型の通信機が――ない。
「妹想いのお姉さんなのね、御剣椿。でも、ノンホールピアスとはいえ教育の場でこれはいただけないわ」
通信機は、すでに桐坂さんの手中にあった。それも、破壊されて。……なんていう速さだ。今になって、先ほど彼に手を出さなかったことへの安堵と、己よりも強い存在を前にしているという恐怖が同時に襲ってくる。
なにより歯痒いのは、椿姉の支援が無くなってしまったということ。椿姉頼りの交渉だったのだ、僕の器では下手に動けば、状況を悪化させかねない。
どうする……どうする……ッ!?
「ごめんなさい。これでも私は生徒会長なの。まだ、貴女は白神学園の生徒ではないけれど、風紀は乱さないで頂戴ね?」
「……はい」
なんという、情けない返事だ。だが、今の僕にはそれが精一杯であった。
顔面は蒼白で、今にも吐きそうだ。得意の戦闘では刀弥に負ける。交渉術など話にならないだろう。生まれこのかた、自慢ではないが大物相手に腹芸はしたことがない。その点で言えば、桐坂さん……それどころか、年下の古河さんにも負けるだろう。
敵陣に一人。その状況が、椿姉の喪失で表出してきた。
「御剣棗さん。貴女が来栖瑠璃さんの護衛として受けてもらうテストは、特級――つまり、私達のような生徒会長の座に座る者の護衛者を対象にしたテストになるわ」
「……初耳ですね」
活路を探すように、焦る心を落ち着かせて僕は桐坂さんの話に相槌を打つ。今は時間を稼ぐしかない。どんな考えでもいい、椿姉なら何とかする手段を持ち合わせているはずだ。
「ええ、今年度は生徒会内部で会長の誰も交代する予定は無かったのだけれど、千草さんが突然倒れてしまったの。非常に心苦しいけれど、この試験の変更に関する議題は昨年度から上がっていたものなのよ?」
桐坂さんはそう言うが、どこまで本当なのだろうか。それを証明する手段は、ここにはないのだ。
なにより、生徒会のシステムを考えれば、来栖家を生徒会から締め出した後に桐坂家と古河家で白神学園を牛耳ることが可能になるのだ。
「別に何もあんたじゃなくたっていいのよ? こっちの提示する試験内容をクリアできるなら、それこそ御剣家じゃなくたってね。特級護衛者のテストを誰かが合格できれば、その椅子に来栖瑠璃を座らせてあげるわ」
それは、まるで甘い誘惑のようだった。古河さんが、今の僕を雁字搦めする御剣という縄を見透かしたように、僕の弱いところへするりと入り込んでいく。
だが、それは瑠璃様を残して僕が諦めるということ。今、苦しみながらも立ち上がり、白狗のために、倒れた千草様の代わりに、頑張って歩き始めているあの子を、僕は裏切ることになる。
それは、駄目だろう。御剣棗、お前は男だろ?
「その必要はありません。その試験は、必ず僕が受けます」
誰か代わりがいるような立場に僕はいない。御剣棗、その名前の重さを感じるのだって今に始まったものではない。
「それは良かったわ。では、明日の午後に地下体育館にて特級護衛者の入試テストを行いますので、必ず遅れないでくださいね」
花園で微笑みを浮かべる、その女性は悪魔か。にやりと笑うその姿は、仕掛けた罠にネズミが掛かったのを見つけた、意地の悪い猫のようだ。
これが、僕の精一杯だった。何一つ成果を出すことができないまま、僕は交渉の場を後にした。
 




