第27話:花園
「失礼、します」
恐る恐る踏み込んだ生徒会室の中は、まるで花園だった。決して狭くはない、華美な一室は花の香りで満たされている。無論、僕の視界に真っ先に入ってくるのは、無数の花。有名な花から、名前も分からない、希少な花々が一室を埋め尽くしている。
なんだ、ここは―—入った部屋を間違えたのかと思った。だが、その考えは否定する。外に『生徒会室』と掲げられた札があったのも確認しているし、何より椿姉の案内で辿り着いた場所だ。間違えるわけがない。
……正直、予想はしていたが僕の通っていた中学校の生徒会室とは似ても似つかない。僕のいた中学校の生徒会室は、それこそ普通の、使い古した小汚い机と椅子、それから型落ちしたパソコンが鎮座する、いたって普通のものだった。
『潜入成功だな』
耳に付けた、小さなイヤホンから椿姉の声が聞こえた。心なしか楽しそうである。ははん、さては
先週見ていたスパイ映画に感化されているのかな。
というか、潜入って。真正面から堂々と扉を開けて失礼しているんだけれど、これって潜入なの?
「真面目にやってよね」
『わかっているって。お姉ちゃんを誰だと思っているんだ』
椿姉の真面目なのか、そうでないのかの見分けはほとんどつかない。壱式の製作だって、傍から見れば不真面目そのものだが、しっかり武装として機能しているのだ。
いつものことだから、僕は気にしない。まあ、仕事のことならば椿姉はちゃんとしてくれている。今まで、椿姉が失敗したことなどないのだから。
……それにしても、すごい花の数だ。椿姉の仕事を疑うわけではないが、やはりこの部屋が生徒会室とは思えない。贅の限りを尽くした園芸部の部室と言われたほうが、まだ納得できる。
「どなたかしら」
花に意識が集中し過ぎていたようで、部屋の主に声を掛けられるまで、僕はその存在を認識していなかった。
そうだ、ここは今、古河家と桐坂家の両者が支配する敵地だ。花なんかに現を抜かして場面ではないだろう。
声の主に向き直り、僕は自己紹介する。どうせ、名乗らなくても向こうは理解しているだろうが、僕は御剣家の次期当主だ。たとえ、相手が敵でも礼節を欠くことは許されない。
「御剣棗です。以後、お見知りおきを」
スカートの端を抓み上げて、僕は一礼する。おざなりだが、椿姉直伝の淑女の礼、というやつらしい。男の僕は、勿論淑女の嗜みに明るいわけもなく。そういったフォローは、全て椿姉にやってもらっている。
本当に、そういったところには椿姉には感謝してもしきれない。
『ちなみに、お姉ちゃんにやるときはパンツが見えるまで持ち上げること。分かったか?』
前言撤回。ほどほどに感謝しておこう。
「あら、あなたが御剣棗さんでしたのね。ご用件は、だいたい想像がつきます。そうですね、まずは――ようこそ、花園へ」
声の主は、にこりと笑うと、手招きした。
僕は、冷静に彼女を観察する。髪の毛は滝のように流れており、艶がかった黒髪だ。スタイルもよく、とても高校生とは思えないほどの妖艶さに、不覚にもドキリとしてしまう。
改造された制服は、三年を表す青い校章の刺繍があしらわれており、僕は緊張のあまり、生唾を飲み込んだ。
理由は単純だ。僕を圧倒する、絶対的なカリスマ。――これでも、楓姉には負けるが、修羅場は潜っていたつもりだった。
今まで感じたことのない緊張に、僕は喘ぎながらも、どうにか言葉を口にする。
「桐坂雅様、ですね」
知らないわけがない。桐坂雅。桐坂家の長女にして、主席であった千草様に最も近かった人間だ。
「あら、光栄ね。御剣家の人にも名前を知られているなんて」
くすり、と桐坂さんは笑う。御剣の名に敵対する者ならば、その反応はあり得ない。御剣と、口にするのも憚られるはずだ。
だが、桐坂さんは笑みを崩すことはない。僕がメイド服を着ているから、心に余裕がある? いや、そんな理由ではないだろう。
「あなたも、同じ武闘派として挨拶をしたらどうかしら?」
桐坂さんの背後。先ほどから物言わず、僕を値踏みするような視線を投げ続けている男に、彼女は声を掛けた。
「……刀弥弥刀だ」
その男は主の言葉に従い、短く僕に告げた。
刀弥家。桐坂家の護衛を任された家で、武闘派三家の内の一家だ。規模は御剣家と比べるまでもないが、一人、天才がいると聞いたことがある。
刀弥弥刀。――それが、天才の名だ。
真っ黒な執事服が、花々から褐色肌の彼を隠そうとするかのように映える。がっしりとした体つきではなく、むしろ華奢と思えるような細さに、聞いていた彼の偉業は誠か否かと、僕は少し疑ってしまう。
「刀弥家でも高名な弥刀様に会えて光栄です」
「…………」
僕に興味を無くしたのか。声を掛けたときには、刀弥はすでに瞳を閉じて、黙想する僧兵のような落ち着きを見せていた。
強者の余裕だ。……先手を打つか? いや、それは詰みの一手だ。
『やめろ、棗。そいつに手を出すな』
言われなくても、わかっている。椿姉の声は、いつもの調子を無くし、やや硬い。それだけで、目の前の刀祢弥刀という男が、いかに異質なのかを告げてくれる。
超人、御剣楓に匹敵する男。俄かには信じがたいが、それほどの存在だと椿姉は前に一度、教えてくれた。楓姉は、大切な家族だから、僕も気兼ねなく話すことができるが――その戦闘力を持った敵として現れるならば、最悪を想定しなければならない。
勝ち負けの話ならば、無益だ。確実に負ける。少なくとも、壱式を起動する間も無く、僕はあっさり負けるはずだ。
ふと、彼の襟元を見る。刺繍は――黄色。なるほど、二年生か。
「おい、そこのメイド。こっちにも挨拶したらどう?」
不遜な態度で接してくるのは――幼い少女だ。こちらも情報で知っている。
古河瀬奈。十歳のため白神学園初等部に所属している、古河家の長女だ。生徒会は、初等部、中等部、高等部において、最も家の中で力を持つ学生によって構成されているので、なんら不思議はない――が、やはり、違和感は残る。
「御剣棗です。初めまして」
「……ふぅん。見てくれはいいね。私は古河瀬奈よ」
何を見て育ったのかは知らないが、いかにも悪そうな顔をしているのは、背伸びの証だ。あどけない少女顔には似つかわしくなく、何より護衛の膝の上に座っている姿が、全てを台無しにしている。
そんな彼女の態度に、膝の主はぴしゃりと古河さんを叱った。
「ダメよ、瀬奈。ここではちゃんと行儀よくするって約束でしょ?」
「えー、相手は御剣だよ」
「それでもよ?」
彼女に膝を貸す女性――こちらの名前は、わからない。誰だ?
僕の怪訝な顔に、護衛の女性は気付くと、柔和な笑みを浮かべて自己紹介をしてくれた。
「私は大楯久木です。これからよろしくお願いしますね、棗さん」
大楯家。武闘派御三家の一家でありながら、御剣家と刀弥家とは唯一、異なる点を持つ家だ。
それは亜人であるということ。彼女、大楯久木の耳も獣の耳であった。そのため、亜人を擁立する古河家の矛であり、盾となる武闘派一家だ。
僕と同じようにメイド服を着ているが、その服には青い刺繍が入っている。なるほど、彼女も三年生なのか。
ゆったりとした佇まいと、優しい笑みは、膝の上の古河さんが相まって―—まるで、母性の塊だ。
だが、おかしな話だ。僕が、この場にいる大楯家の人間を知らない? 記憶に残らないような人物が、この場にいることなどありえない。闘士として無名ということは、それほど実力がないということだ。
怪訝に思っていると、再び椿姉から連絡が入る。
『名前を聞いたことがないからって、気を抜くな。棗、注意しろよ。そこで流血沙汰は起きないと思うが――お前、もう大楯の射程圏内に入っているんだからな』
……背筋に、何か冷たいものが走る。いやいや、そんな馬鹿な話あるわけない。僕が最も注意していたことだ。
『正確に言うと、大楯と刀弥、どっちの射程にも入っているな。恐ろしい話だ、不審な動きを見せたら動くぞ、そいつら。試しに壱式、起動してみるか?』
冗談じゃない。僕だって、あと半歩、彼らに近づかなければ、攻撃することができないというのに。もうすでに、彼らの殺傷可能範囲にいると、椿姉は言っているのだ。
ゆったりと、桐坂さんがこの場にいる面子を確認して、改めて僕に尋ねる。
「では、紹介も終わったところで。お話のほう、聞かせてもらえないかしら」
今更になって、僕が場違いなところに立たされていることを、まざまざと見せつけられた。
小学生の古河さんはともかくとして、力量が明らかに上の刀祢と大楯。なにより、統率者として圧倒的なカリスマ。
この白神学園を出たあと、こんな化け物と僕と瑠璃様は戦わなければならないのか。
いや、そんな先の事を話しても、詮ないことだろう。必要なのは、今だ。
切り替えろ、御剣棗。
「僕の護衛者用の、特別入試のことで、今回はお話を伺いに来ました」
今はただ、敵を見据えて言葉を紡ぐ。




