第26話:次期当主
御剣の力で、瑠璃様の威光を見せつけるしか、もはや手段はないのだろう。
逆に言えば、勝つだけでいいのだ。……その手段は、一人前の御剣であれば、備えているもので十分だろう。
だが、一抹の不安がないとは言えない。
椿姉のような、突出した頭脳はなく。楓姉のような、一騎当千の力もない。
御剣家、長男。御剣棗という男は、御剣の名を背負う者の中でも平凡を極めた人間だ。
昨晩のガスマスク野郎が脳裏を過る。楓姉は、「初陣にしては上々」と言ってくれたが、一人前の御剣として評価するならば、どう考えても落第一歩手前。
そして、恐らく僕の入試試験の相手はガスマスク野郎よりも強いはずだ。何せ、この試験は御剣と来栖家の面子を潰すことなのだ。どう楽観視しても、アイツより弱いことはないだろう。
「もう少し、時間が欲しいな……」
保健室の外で僕は独り言ちる。気を紛らわせるように、真っ白な髪を指先で弄るがこの現状を変えることなどできない。
瑠璃様の手前、決して気弱な場面を見せるわけにはいかない。懐に携えた剣が鈍らなど、話にならないだろう。
だが、どうしても思ってしまうのだ。今の僕に、果たして御剣の力を十全に発揮できるのか、と。
いや、できる、できない以前に、やらなければならないのだ。
こんな取り留めのない思考を口から零すのも、今は僕が一人だからだ。
かれこれ、小一時間ほどだろうか。瑠璃様は、保健室のベッドを借りて休息していた。そのそばには一ノ瀬さんが付き添い、甲斐甲斐しく世話をしていることだろう。
……女装しているので、僕が保健室に入っても咎められることはないだろうが。女子の、しかも仕える主の瑠璃様が弱っているところを付け込むような真似は絶対にしたくない。何度も言うが、僕は男だ。女装をして、よく女の子に間違えられるが――男だ。
いかんいかん、悪い癖だ。自己暗示のように自分の性癖を確認するんじゃないぞ、僕。
頬をぴしゃりと叩き、僕は懐から真新しい携帯電話を取り出す。真っ黒な液晶の画面は僕の女々しい顔を映し、一瞬だけ不快感を表した。……どう見ても、強そうな男には見えないよなあ。
溜息を一つ吐き、僕は連絡先を検索する。その相手は勿論、こういった厄介事に滅法強い、我らが長女である。
夜行性の椿姉は今、果たして起きているのだろうか。ほんの少し、罪悪感を覚えつつも僕は椿姉の電話を呼び出した。
『うーん、棗か?』
「あ、ごめん椿姉。起こしちゃった?」
案の定寝ていたらしい。携帯電話の向こう側から聞こえる声はどこか眠そうだ。
『愛しの棗からのラブコール、起きないわけにはいかないだろ。それで、どうした? お姉ちゃんの声が聞きたくなったか?』
「いや、それはないかな」
どうやら、寝起きでも絶好調らしい。なんでこう、我が家の女性はみんな、僕の罪悪感を吹き飛ばすのか。
「ちょっと、真面目な話なんだけれど。今、大丈夫かな?」
『ああ、大丈夫だ。何でも相談に乗ってやろう。まあ、どうせ桐坂と古河がちょっかい掛けてきたんだろ。話してみな』
「うわ、もう知っているんだ」
『まあな。秘密じゃない情報なら、なんでも知っているさ』
まあ、予想はしていた。椿姉ならば、この程度の情報は容易に仕入れてくるだろう。彼女はよく言うのだ、「二人以上がその秘密を知れば、それはもう秘密ではない」と。
何よりも恐ろしいのは、椿姉は手に入れた情報を正しく使う。良くも悪くも、全ては御剣が正しく機能するために情報を取捨選択し、必要な時、必要な場面で必ず僕や楓姉、他の御剣の人間に伝えてくれるのだ。……時々、その技術を私利私欲で使うこともあるが。
「僕の護衛者対象の入試テスト、古河と桐坂が手を加えるみたい。嫌な予感しかしないけれど……椿姉、僕はどうしたらいい?」
単刀直入に問う。今、必要なのは椿姉の知恵だ。とてもではないが、僕の脳みそではこの現状を乗り切ることはできないだろう。
僕の問いに、椿姉は一拍ほどの間を空けて、いつもの調子で答えてくれた。
『そうだな。こいつはある意味、チャンスかもしれないぞ』
「チャンス?」
電話越しに聞こえる椿姉の声は、どこか嬉しそうだった。まるで、望外の転機が訪れたと言わんばかりだ。
どう考えても、僕と瑠璃様が追い込まれている現状、どこに好機を見出したのか。
『ああ、突然の試験内容の変更、棗は一人の生徒として気にはならないか?』
「? 古河と桐坂が結託して、来栖家を嵌めようとしているんじゃないの?」
まさか、僕が思うよりも椿姉は僕のことを過小評価しているのだろうか。……だとしたら、もう少し頑張らなくては。
『違う違う。御剣家の棗じゃなくて、白神学園の生徒である棗の視点から、この問題はどう捉える?』
「どう捉えるって……。そりゃあ、理不尽だなあ、としか」
『それだよ、それ。そう思うなら一生徒として、持っている権利は最大限使っていくべきだろ』
◇◇◇◇◇◇
怪しい口車に乗せられている気がしないでもない。それでも、何もしないよりはマシだろうか。
僕は今、白神学園を牛耳る生徒会、その本拠地を前に溜息を吐いた。
昼休みを告げるチャイムの音が、なんとも虚しく響く。瑠璃様がお休みになられてから、手持無沙汰だった僕は、椿姉の言われるがまま生徒会室の前にいた。
『よーし、生徒会室の前に到着したな』
携帯電話から聞こえるのは、頼もしい椿姉の声だ。
「大丈夫かな、瑠璃様に迷惑かけない?」
『安心しろ。今は――ああ、別の御剣が瑠璃様の護衛にあたっているからな』
その間には、些細な違和感を覚えるが特に気にしない。椿姉も忙しい身だ、きっと何か別の仕事と並行して僕のことを手伝ってくれているのだろう。
「それで、本当に生徒会室に乗り込むの?」
『そのために来たんだ。万が一、棗の試験で失敗したら二度と正面からは入れない部屋だ。いずれ、ぶつからなきゃならない敵なんだ、早いうちにご尊顔を拝んでおくのも悪くないだろ?』
確かに。椿姉の言うことも一理ある。古河家と桐坂家の、次期当主の器を持つ人間が、この扉の先にいるのだ。先に彼らの顔を知っておくことは、後の戦いに大きく利をもたらしてくれることだろう。
想像するだけで、喉の奥がひりつく。生憎、僕には千草様のような器は持ち合わせていない。
『それに、上に立つ人間がどんな奴かを知っておくことは、棗の成長にいい影響があると、お姉ちゃんは考えているわけだが』
「まあ、薄々はそんな気はしていたけどさ」
この三年間は瑠璃様を守る――と、同時に僕の御剣家当主として、必要な能力を得なければならない時間なのだ。瑠璃様から学ぶことができれば、一番いいのだが。残念ながら、瑠璃様もまだまだ発展途上である。
対し、この扉の向こうにいる生徒会の人間は、敵であるものの、上に立つ人間として必要な能力を持ち合わせた人物の集まりだ。
贅沢を言える立場ではないことは、重々承知だ。相手は瑠璃様だろうが、古河家の人間だろうが、桐坂家の人間だろうが関係ない。
学べる相手ならば、その振る舞いを見て盗まねば。
大きく息を吸い、意を決した僕は分厚い扉に手を触れる。
「椿姉、サポートしてよ」
『あいよ。任せな』
頼もしい言葉に背を押されて、僕は静かに扉をノックした。
 




