第24話:生徒会
くつろぐ間なんてありはしない。至急、なんて言われれば余程のことが起きたのだろう。スピーカーから動揺の隠せていない女性の声からも、事の重大さは明確に伝わってくる。
それも、瑠璃様をご指名だ。となれば、僕――否、御剣にとっても重大な案件が職員室に舞い込んだ可能性が高い。……一人の学生として、瑠璃様を呼び出すのなら僕が動く必要はないのだが。彼女の来栖家次期当主という肩書が求められるのならば、僕も動かないわけにはいかない。
「瑠璃様、何かあったようですね。職員室に行かれますか?」
何でもないように言って、僕は名残を惜しむように机を一撫でしてから席を立った。
行動は迅速に。瑠璃様に負担を掛けるのは申し訳ないが、この一時を惜しめば後々困るのは瑠璃様だ。それは僕としても本意ではない。何が起きているのか、その状況を確認してからでも遅くは無いはずである。
それに、周囲の状況を見ても職員室に行かないという選択肢は無いだろう。瑠璃様に集まる生徒達の視線は、どこか不安を訴えるようなものであった。
それは、瑠璃様を案じているものではない。むしろ、彼らは自分の身を案じているようにも思える。……それも、当然か。彼らは来栖家の後ろ盾を得て、初めて古河家や桐坂家、彼らに連なる者達と肩を並べることができるのだ。
古河家は亜人――特に黒狗を擁立するためならば手段を択ばない過激派であり、逆に桐坂家は亜人駆逐を掲げる存在だ。……この両者に所属することのない、亜人に対し平等に接するのが来栖家である。古河家からしてみれば、来栖家は白狗を擁護する邪魔な存在であり、桐坂家からは亜人を擁護する人類の敵だ。
……古河家と桐坂家が勝手に潰し合ってくれれば、僕の仕事も減るというものだが、この二つの家はそう甘くはないらしい。
というのも、彼らが持っている武力は二家の私兵を束ねても僕ら御剣に敵うほどではないのだ。桜花血風流に敵う者なし、とお婆ちゃんは常日頃から言っているが、その言葉に偽りはない。
だが、もし仮に何かの間違いで御剣が倒れ、来栖家が崩壊するようなことがあれば。それは古河家と桐坂家の拮抗が崩れるときであろう。
ゆえに。彼らは互いに共通の敵である、来栖家と御剣家を狙っているのだ。特に千草様が倒れた今、瑠璃様の暗殺に成功すれば一気にこの勢力図は書き変わることであろう。
そして、その最悪の事態が起きた場合、来栖家の傘下にいる白狗や、力を持たない家々はどうなるだろうか。古河家の傘下に鞍替えすれば、外様の扱いを受けるだろう。桐坂家の傘下に入ろうものなら、人類の敵として断罪されるに違いない。
だから、彼らは常に心配しているのだ。瑠璃様ではなく、瑠璃様が居なくなったときの自分の身を。
「ええ、勿論。紗綾もそれでいいかしら?」
そんな重責を背負ってなお、瑠璃様は健気に笑ってみせた。それは、自然と出た笑みではなく、周囲の不安を和らげるために出したものだ。……その胸中を、僕は想像することさえ出来ない。同じ次期当主という身ではあるものの、背負うものが全く違うのだ。
「そうね。瑠璃様、行きましょう」
対照的に、一ノ瀬さんは張った糸のように緊張している。忘れがちだが、一ノ瀬さんは護衛メイドとしては僕の先輩になるが、場数を踏んだ回数は右手の指で数えられる程度のはずだ。彼女には大変失礼な話になるが、その初心の様子に僕は少しだけ微笑ましい気持ちになった。
「何にやにやしているのよ。気色悪いわね」
「いえ、何でもありません」
……本当、僕は顔に出やすい性質らしい。
◇◇◇◇◇◇
職員室に着いてみれば、中の様子はどこか落ち着きのないものであった。瑠璃様の教室ほどではないが、最新鋭の機材に囲まれた内装は相変わらず。こんなところで、また変な感嘆をすれば一ノ瀬さんからお叱りの言葉を頂戴する羽目になる。自重せねば。
「失礼します。校内放送を聞いて来たのですが、何か――」
一ノ瀬さんが声を発した瞬間の出来事であった。職員室の中から、もの凄い速さで何者かが一ノ瀬さんに飛びついて来たのだ。その速さ、壱式を起動する間すら無いほどである。
すわ敵襲か、と僕が構えようとしたとき、一ノ瀬さんに抱き着いた何者かは情けない声を上げた。
「うわあああ! 一ノ瀬さん、大変なんです! 落ち着いて聞いて下さい!」
その人物をどう説明するべきか――僕は逡巡した。癖の強い髪の毛は腰まで伸びており、縁の茶色い度の強そうな眼鏡をかけた女性であるが、どことなく幼さを感じる。目尻には涙を浮かべており、どうやら彼女の容量を超える案件が、僕の知らないところで起きているようだ。
「アヤマチ先生こそ落ち着いて。一体何があったのよ?」
「うええ、生徒会が動いちゃったんです!」
アヤマチ先生、というらしい。職員室にいるのだから教師であるとは予想していたが、なんともまあ、落ち着きのない人物である。
「生徒会……?」
とはいえ、アヤマチ先生の口から飛び出た『生徒会』というワードは聞き逃すことが出来なかった。生徒会、と言えば生徒による自治活動が主な組織――少なくとも、僕の中学校ではそうだったのだが。
どうやら、白神学園ではその意味合いが異なるらしい。珍しく、瑠璃様は不快な表情を一瞬だけ浮かべ、一ノ瀬さんに至っては口いっぱいに含んだ苦虫を噛み潰したような顔をした。
それが一体何なのか。まだ理解は出来ていないが、どうやら瑠璃様にとってあまり好ましいものではないようである。
「瑠璃様、大丈夫ですか。一体、何が起こっているのか――僕に教えていただけませんか?」
出来ることならば、問題に直面する前に僕が片を付けることが望ましいのだが。瑠璃様の護衛メイドになって日が浅く、未だに椿姉から貰ったレポートも全て把握しているわけではない。内部事情に精通していれば、彼女が煩うことはないのだが――まだまだ精進せねばなるまい。
言い訳はしない。僕は事の発端であろう『生徒会』なる存在を、正しく理解していないのだ。
「大丈夫、大丈夫よ。ごめんなさい、棗。少し驚いただけよ」
……僕にまで無理をする必要はないのに。そう言おうと思ったが――いや、これは出過ぎた真似だ。僕は瑠璃様が求める一本の剣であればいい。
「あ! あなたが御剣棗さんですか!?」
僅かに影を落とした瑠璃様を慮っていると、アヤマチ先生は僕に気付いたらしい。何やら驚いたような、あるいは喜びを表すような声をあげて彼女は僕の手を掴んだ。
「え、ええ。僕が御剣棗です。本日から瑠璃様の護衛として、白神学園に入学する予定ですが――何か問題があったのですか?」
「そうなんです! 生徒会が動いたんですよ!」
埒が明かない。あまり背丈がない為か、落ち着きのない子供のような印象を僕は彼女に抱いてしまう。
「綾辻先生、少し落ち着いて下さい。棗も生徒会が何なのか、まだ理解していないので……。よければ、私が説明しますけれど」
「ぜひ瑠璃様にお願いします」
間髪入れずに僕は瑠璃様を指名する。申し訳ないが、瑠璃様の貴重な時間をアヤマチ――否、綾辻先生に割くわけにはいかない。
困り顔の瑠璃様は、少し咳払いをして呼吸を整えると「ありがとう」と言って説明を始めてくれた。
「ええっと、生徒会というのは来栖家、古河家、桐坂家の三家の子息、あるいは連なる有力な家の子供が運営する白神学園の最高機関のことよ。それぞれの家に会長の席が一つ用意されているの。自治・運営という点なら、他の学校と変わらないと思うけれど……」
「なるほど、勢力が三つある、といことですか」
総合的に見れば、この三家の勢力は拮抗している状態である。いや、正確に言えば来栖家と御剣家が動かなければ、の話だが。
ここまではっきりと区分されると、もはや白神学園の中に三つの学校があるようなものではないか。事実、この職員室も来栖家が管理している高校棟の中に存在している。
……いや、ちょっと待て。
「と、なると、今の来栖家の席に座っているのは誰なんですか?」
そう。僕の推測が正しければ、そこの席に本来座っているのは瑠璃様の姉である千草様のはずだ。千草様は今、十八歳になる高校三年生。病に倒れていなければ、今も生徒会に座っているはずだ。
しかし、回復は絶望的と言われた不治の病を前に、今の彼女は半身を起こすのも難しい状態である。そうなれば、この白神学園で生徒会に在籍することはおろか、登校さえ難しいはずだ。
ならば。
「……今、来栖家の生徒会会長の席は空席のままになっているわ。正確に言えば、千草様がまだ会長のままなの。馬鹿馬鹿しい話だろうけれど、古河と桐坂の連中は、重病の千草様に権限を持たせているの。それをいいことに、恐らく議会を開いたのね」
状況が見えて来たのか、一ノ瀬さんの顔には焦りが見えた。まだ春だというのに、彼女の頬には汗が伝い、この状況がどれほど不味い状況なのかを僕に伝えて来た。
「今、議会を開かれると何か不味いのですか?」
「……御剣、少しは勉強してよね。今回だけよ、時間が無いけれど恐らく状況を打開できるのはアンタだけだからね」
痛いところを突く。突発的な出来事とはいえ、勉強不足は事実だ。もう少し時間があれば、という言い訳は戦場では通じない。
「よろしくお願いします、一ノ瀬さん」
「……ふん」
不機嫌なのは相変わらず。しかし一ノ瀬さんは鼻を鳴らしつつも、今起きている状況を丁寧に教えてくれた。
「いい? まず、生徒会の三つの勢力――つまり、来栖家と古河家、そして桐坂家は一つずつ票を持っているの。それは『可決』か『否決』の票よ。決して多数の意志が決定されないよう、可決の方法は多数決ではなく三家の可決もしくは多数可決と無回答。この意味、分かるわよね?」
なるほど、よくわかった。
「つまり、千草様のいない今――来栖家の意志は反映されていない、ということですね」




