第23話:教室はすぐそこに
誰かが僕の噂をしているのだろうか。先程からやけに鼻がムズムズする。
まあ、僕の話をする奴らなんて、専ら来栖家の敵だ。……自分で言ってなんだが、全く色気のない話で嫌気が差す。
「お待たせしました、お嬢様」
高等部の校舎は、葵のいた中等部から近い位置に存在した。……派閥で校舎が区分される白神学園において、学園内の校舎は大きく三つに分けられる。来栖家が管理しているか、古河家が管理しているか、桐坂家が管理してるか。例外もあるが、基本的にはこの三つだ。
当然、瑠璃様は来栖家の管理する校舎に身を置いている。他の家の子息も同様で、各々の管理する校舎で日々の青春を謳歌しているわけだ。
この来栖家が管理する高等部の校舎の近くに、葵がいる中等部があるのも道理である。御剣は勿論、他の来栖家に賛同する家の子供達は、みな瑠璃様に近づけるように、白神学園は作られているのだ。
……それは古河家、桐坂家にも言えることだが。
「随分と長かったわね。何していたのよ」
どうやら瑠璃様と一ノ瀬さんは教室の前で待っていてくれたらしい。おそらく、ここで僕を待とうと提案したのは瑠璃様だろう。隣の一ノ瀬さんの顔を見ればわかる、あれは大変ご立腹だ。
うーん、襲撃者を撃退でもしていれば、少しは恰好が付くのだが。まさか、妹の悪戯に付き合っていたという理由では、僕の沽券に関わるだろう。
「もう、紗綾。ピリピリしすぎよ? 他の校舎ならともかく、ここは私達の校舎なのだから少しくらい棗も紗綾も羽を伸ばしていいのに」
「瑠璃様! 中等部にいた頃とは違うのよ!? 来栖家が管理しているとはいえ、ここは屋敷ほどの安全性はないの。私も万全は尽くすけれど、瑠璃様も少しは危機意識を持ってください!」
どこか平和ボケした瑠璃様の言葉に一ノ瀬さんも思わず苦言を呈していた。
直前まで葵に付き合っていた僕が言うのもなんだけれど、やはり瑠璃様にも危機感を持ってもらいたいのは同意だ。
だが、瑠璃様に今すぐ来栖家の令嬢としての自覚を持てというのも酷な話である。今はまだ、次期当主の座がどのようなものかを知る時期なのだろう。それまでは、全て千草様の仕事だったのだ。彼女が、現状を全て受け入れるには時間が必要である。
いや、僕も僕だ。最優先するべきなのは、瑠璃様の安否。……家族との繋がりを蔑ろにしよう、とまでは思わないが、公私に区切りは設けねばならないだろう。
「一ノ瀬さん。瑠璃様の護衛を抜けてしまい、すみません」
「……ふん。私より強いんでしょ。なら、私よりも瑠璃様よりも、一番危機感を持って欲しいわね」
それ以上、言うことは無いと一ノ瀬さんは僕に背を向けて教室に入っていく。……うーん、どうやら一ノ瀬さんの持つ問題も根深そうだ。一体、何が問題なのか見当もつかないのが痛いところだ。僕に問題があるのは、間違いなさそうなのだが。
……良好とまではいかなくとも、護衛任務を遂行する上で問題の無い程度には彼女との関係を早く改善せねば。
◇◇◇◇◇◇
まあ、予想はしていた。中等部の校舎の中身が、僕の中学校の設備よりも充実している時点で、そんな気はしていたんだ。
教室の面積からして、まず違う。僕の通っていた普通の中学校が、おそらく平均的な教室の広さなのだろう。その教室の、およそ六倍ほどの広さか。
その大半は、生徒の席が埋めているが、その後ろ。少し小さめのスクリーン(映画でも見れるのだろうか)と、流行の小説で埋め尽くされた本棚がいくつか。そして座り心地の良さそうなソファが鎮座しており、まるで――否、談話室そのものが教室の中にあった。
一人ひとりに宛がわれた机も、とても学生が使っていいとは思えないほど広いもので、なんと傍には小さな冷蔵庫が完備されている。
椅子も当然、高級な素材で出来ており、雲に座ったような感触である。
その他、ノートパソコンやタブレット、最新の技術が僕の目の前に並べられた。
「うわあ、うわあ! すごい!」
「はい、きょろきょろしない。玩具を貰った子供みたいよ」
一ノ瀬さんの冷たい視線と、周囲の微笑ましい視線が僕の思考を現実へと戻した。……そうだ、僕は遊びにここへ来たわけじゃない。
「う、すみません。瑠璃様」
「ふふ、とても可愛かったですよ?」
一生の不覚。……我が家でも、この設備で興奮しないのは椿姉くらいだろう。研究と開発に必要なものが揃えば、尻に敷くのは綿の抜けた煎餅みたいな座布団でも満足する人だ。ノートパソコン一台では、自前のパソコンを持ち込んで空間ごと改造するに違いない。
「全く、仮入学の状態でよく楽しめるわね。御剣、アンタまだ護衛者用のテスト受けていないんでしょ」
一ノ瀬さんの冷や水を浴びせるような一言に、僕の動きが一瞬止まる。
護衛者用のテスト。一般的な入試とはことなり、実技が重視される内容である。そのテストの内容は不明であるが、一ノ瀬さんが突破出来た難易度であるのならば、なんら問題はないだろう。
「そういえば、そのテストの内容ってどんなものなんですか?」
筆記のテストならば、いくらでも内容を変えることができるだろうが、実技ならばそう変えることはないはずだ。内容を知らなくても合格できる自信はあるが、備えあれば患いなし。一ノ瀬さんに内容を聞いても、損をすることはないだろう。
「……私に聞くの? そうね、能力者なら特に問題はないわよ。支給された銃で的に弾を当てたり、現役の護衛者と格闘するくらいね。まあ、御剣なら出来るでしょ。強いんだから」
なるほど、話に聞いた通り。亜種能力者でも出されたら、少しやる気を出さなければならないが、その程度ならば朝飯前。
「はい、頑張ります」
一ノ瀬さんの応援と受け取ったのだが、どうやら違ったらしい。彼女は僕の返事を聞くと、また一段と不機嫌な顔をして瑠璃様の隣に腰を下ろした。……だから、一体何が問題なのだろうか。言ってくれれば、直す努力はするのだが。
悶々と悩む僕の思考を晴らすように、チャイムが鳴った。おお、チャイムの音は僕の学校とあまり変わらないのか――と感心する間もなく。
「瑠璃様! 瑠璃様! 大変です、至急二階の職員室へ来てください!」
若い女性の声が、僕の心を癒すチャイム音を押しのけてスピーカーから発せられたのだ。