第22話:桜花血風流
御剣菖。御剣家の四女であり、葵の双子の妹。外見は葵と瓜二つであるが、彼女とは別の意味で年不相応の雰囲気を纏っている。
それは、あまりにも冷徹な光であった。双眸から漏れる眼光の、なんと鋭いことか。幼さが残る顔も、葵のように笑えば可愛げのあるものだろう。しかし、彼女が湛えるのは笑みではない。鍛え抜かれた剣のように、ただただ感情を隠した無である。
彼女を象徴するポニーテールも恰好を気にしてではなく、ただ無造作に後ろへ纏めたような乱雑さである。幸いにも個性の浮かび難い制服を着ているため、悪目立ちすることはない。しかし、隣に葵が立てば彼女の不格好が目を引くことは間違いない。
菖は己の仕事が終わったことを確認すると、音も無く風景の中へと溶け込んでいった。周囲にいた喫茶店の客の誰もが、彼女の存在に終始気付かないほどの鮮やかな手際である。
いや、ただ一人。彼女の行動を認識している者がいた。
「どう? 何かわかった?」
御剣葵である。教室に入って来た菖に送る視線の、なんとつまらなそうなことか。まるで答えのわかっているクイズ番組を見ているかのような、そんな期待のない彼女の視線を受けながらも菖は溜息一つ漏らさず告げる。
「ご想像の通り、だ。そろそろ内情を知っていそうな骨のある敵が来ると踏んでいたが、とんだ見込み違いだったな」
菖も頭を振って、葵の想像する通りの答えを述べた。彼女の動きに合わせるように、ポニーテールが追従して揺れる。先ほどの光景を目の当たりにしていなければ、そのあどけなさは見る者を微笑ませる等身大の中学生であろう。
ふぅん、と瓜二つの己の妹の顔を眺め、葵は頬杖をついて周囲を見渡した。
「少しは働きに見合った報酬が欲しいね。能力を使うな、ってお兄ちゃんは言っていたけれど。これは褒めて欲しかったなー」
そこには、先程まで廊下にいた生徒達が各々の席に座っている。一見すれば、それは自然な光景であろう。だが、よく見れば彼らの目はどこか虚ろであり、とても正気を保っているようには見えない。
彼らは先程、葵によって避難させられた生徒達である。少々強引な手法を用いたものの、葵は襲撃者の殺意を感知すると同時に、一斉に彼らを教室へと匿ったのだ。
結果的には骨折り損になってしまったが、その行動はあまりにも迅速であり、棗を驚かせるほどであった。……悲しいことに、肝心の棗からは悪戯と思われてしまったが。
「兄様に褒めてもらいたいのか? 未熟だな、葵。私達の役目は全て棗兄様を当主にするためにある。つまらない雑念は捨てろ」
ぼやく葵に対し、菖は冷笑をもって切り捨てた。まるで達観したかのような、年不相応の貫禄を見せつける菖に、葵は「へぇ」と呟き、挑発的に笑い返す。
「じゃあ、確認してみようかな」
ぐい、と菖の腕を引っ張り、彼女が抵抗するよりも早く首筋の匂いを嗅ぐ。葵の突飛な行動に一瞬だけ菖は呆気にとられるが、すぐさま突き放した。
「何をする!?」
「……お兄ちゃんの匂いがした。それと、楓姉のも」
びくり、とこれ以上にないくらい菖の肩が跳ね上がった。続いてだらり、だらりと彼女の顔面を滝のような汗が流れていく。その様子は、後ろめたいことを隠す子供のそれ。先ほどの鉄面皮は見る影もなく、顔にははっきりと動揺が見て取れた。
「まだ消えていないってことは、朝方かなー。役目とはいえ、無香料のボディソープを使ったのが災いしたね。それじゃあ私の鼻は誤魔化せないよ」
「う、うう」
自分と瓜二つの菖が次第に追い詰められていく様を見て、葵はにやにやと嗜虐的な笑みを浮かべていく。
褒められた趣味ではないが、普段は堅物の妹が狼狽する姿は見ていてとても愉快であった。特に棗を出しにしたネタで弄ると、菖はすぐ顔に出す。これが非常に葵の嗜虐心をくすぐるのだ。
「で、お兄ちゃんの前に自分から出られない菖ちゃんは、お兄ちゃんが寝ているベッドに潜り込んだ、と。違う?」
「ううううううう……!」
その目は、ネズミの尻尾を押さえながら弄ぶ猫の如く。
「あれれ、雑念は捨てるんじゃなかったのかなあ?」
「し、仕方が無かったんだ! 楓姉さんが『お前も来い』って誘うから!」
「ふーん、で、どうだったの?」
「……兄様だった。すっごく、すっごく兄様だった」
観念したのか、あるいは昨晩のことを思い出しているのか。顔を俯ける菖の耳は、朱を塗られたように赤い。
なるほど、兄様か――葵は一人で納得した。知らぬ者が聞けば、なんとも要領を得ない感想である。だが、一度でも棗の添い寝を経験すれば理解できる感想だ。
筋肉は決して出しゃばることなく、女子とも取れるほどに優しい肌。何より人を安心させる匂いと、優しく包み込んでくれる包容力。
葵も同じように感想を求められれば、きっとそのように答えるだろう。「棗お兄ちゃんだった」と。
「ずるいなー。いいなー。私もお兄ちゃんと寝たいなー!」
「い、一ヵ月後に交代だろう!? それまで待て!」
役目の為、葵と菖は交代する。より正確にいえば、二人で『葵』という一人の役割を交代する。それは、御剣棗を護衛・監視を行う為の必要処置であった。その目的とは現在は壱式によって封印されている棗の能力にある。万が一、棗の能力が解放された際、連絡と状況を維持するのが『葵』――彼女達の役目であった。
無論、それらは棗に伝えてはいない。祖母、御剣桜の厳命である。『菖』の存在は彼に知らせてはならぬ、と。……最初は堅苦しい命令で葵も辟易としていたが、なんのことはない。時間が経てば慣れてしまうもので、今では棗のことを一ヵ月交代で楽しむことが出来るイベントであると認識している状態であった。
対照的に、生真面目な菖は現状でも警戒を続けていた。それでも――
「今日もまた、お兄ちゃんのベッドに潜り込むんでしょ」
「……」
若干の緩みは生まれていたが。
「ま、いいんじゃない? お兄ちゃん、寝たら殺気や危険察知以外に第六感働かないから、キスくらいできるかもよ」
「ききききき、キスぅ!?」
くすくすと笑いながら、葵は菖の反応を楽しむ。……昨晩は、自分を差し置いて兄と寝たのだ。これくらいの弄りを受けてもらわねば、こちらも面白くない。――葵の思考は単純明快であるが、同時に(菖にとっては)迷惑極まりない。
「そ、それにー、さっきはお兄ちゃんから私にキスしてくれたしぃ」
おでこにだけど。肝心の部分は隠しながら、葵は臆面もなくそう宣う。姉妹とは似たもので、葵も菖も肝心な部分では奥手なのである。
「くっ、続きの話はあとで聞かせてもらう。兄様から目を離して大分経つからな。いいか、後で詳しく話すんだぞ!」
言うや否や、菖は教室を飛び出して行ってしまう。その足のなんと速いこと。彼女の髪を結う紫のリボンが、一本の筋に見えたほどである。
「……あちゃー、焚き付けすぎちゃったかな」
反省しつつも、まあ楽しそうだからいいか、と葵は苦笑して指を鳴らす。
各々の席に座っていた生徒達が、彼女の鳴らした指に呼応するように目を覚ます。時間にして数十分程か。
最強と謳われる御剣の一端。それは、個々の能力ではなく他者では再現不能の技術である。曰く、御剣に一撃を与えた用心棒が両断された。曰く、御剣の腕を断ったら、城ごと断たれた。曰く、曰く、曰く――
御剣という一族に纏わる伝説は数あれど、それら全ては他の者達にあることを警告する。
「桜花血風流――『華舞』。解除完了、と」
三十人近くの生徒、一人ひとりから一滴の血が葵の人差し指へと集う。
――御剣が血を流したのなら降伏せよ。