第2話:変身! 最強のメイドさん(♂)!
もう殆ど、僕がメイドになるのは決まったようなものである。いや、周囲の圧力が拒否を許さないだけで、僕の心はまだメイド服を着ることに乗り気ではないが。それでも着るのは時間の問題だろう――ああ、憂鬱である。依頼を選り好みできない身分が恨めしい。
「うふふー、久しぶりに棗ちゃんの女の子の姿が見れるわー! 瑠璃様には感謝ね!」
父さんはやや疲れ切った表情をしている。それもそうだ、息子に女装を強要する親など聞いたことがない。仕事とはいえ、父さんの心労たるや想像に難くない。これに対して、母さんは鼻歌交じりに踊っている。我欲丸出しなのは言うまでもない。
母さんが僕に女装させたがるのには、理由がある。後々紹介するが、長女の椿、次女の楓、三女の葵――全員、僕の自慢の家族だが、どうにも母さんからすれば、『鍛えねばならない娘』らしく、可愛がるという感情があまり入らないらしい。
なにが母さんを駆り立てるのか分からないが――『女の子として可愛がるなら、僕』だという。よりによって、なぜ男の僕なのか。
お陰で、給金という名のお小遣いで買った男物の私服は、洗濯に出せば悉く消え失せ、常にタンスに入っているのは可愛らしい女物の服とジャージ。もう兄のお下がり(未使用)を受け取る妹の、あの何とも言えない表情を僕は見たくない。
「……わかったよ。でも、もう四月でしょ? メイドに必要な事前の情報を頭に入れている時間はあるの?」
「その点は大丈夫よ! 棗ちゃんの入るところは、『護衛メイド部隊』だから。家事とか夜の相手とかはしなくていいの」
「そこ、メイドである必要性は無いよね? あと、さらりと何てこと言ってんの」
恐るべし、来栖家のメイドへのこだわり。ここまで聞いて、申し訳ないが僕の瑠璃様への印象は、メイド狂いの変態である。そんなこと口が裂けても言わないが。
「そもそも、メイド服じゃいざという時に瑠璃様を守れないよ。もっと戦闘に適した服にしてくれないか、来栖家の人と話せない?」
何ならジャージも可。
「もう、昔から言うでしょ? 弘法筆を選ばず、って。たとえ全裸であっても、そこで戦えてこそ御剣家の人間よ」
「流石の弘法様もメイド服を着ながら筆は取らないでしょ」
そして、護衛の人間がメイド服を着るはずもない。
手元にあるメイド服をよく観察する。電気都市と呼ばれる、サブカルチャーの発祥地にあるメイド喫茶を思い出す。そこで見かける改造されたメイド服とは異なり、ロングスカートで黒を基調としたオーソドックスなメイド服である。ミニスカートよりはマシだが、いざ戦闘となれば、この長いスカートが邪魔になるだろう。
「棗ちゃんの心配もわかるわ。でも安心して? このメイド服を設計したのは、椿ちゃんなのよ!」
ここに来て、最も安心できない言葉が母さんの口から飛び出た。
◇◇◇◇◇◇
御剣椿。御剣家の長女。そして――天才。武術に関しては二人の妹に劣るが、彼女の特技は全て頭脳に集約されている。御剣家の扱う兵器開発や、御剣家の兵の管理、その他の様々な情報の管理を一手に担っている。椿姉の頭脳無くして、御剣家の運営は成り立たないだろう。
――そして、とびっきりの変態でもある。
「ぐふふ、ついに私の作ったメイド服を着る気になったかい?」
彼女の部屋に乗り込んだ僕に対して、開口一番これである。
椿姉は僕の肩を掴み、鼻息荒く問い詰める。あーもう、面倒なことになってきた。
目にはうっすらと隈が出来ており、彼女が僕のメイド服作りに心血を注いでいたのが伺える。その頑張りは素直に称賛したいけれども、努力の先が僕の手元にあるメイド服となれば話は別だ。
「椿姉……この仕事のこと、知っていたの?」
僕は訝しげに椿姉に尋ねる。僕のそんな様子を椿姉は気にした風でもなく、寧ろ自慢げに答えた。
「無論だとも。可愛い弟がじょそ――メイドになると聞いて、私が一肌脱がずに誰が脱ぐ!?」
果たして、言い直す必要はあったのか。豊満な胸を揺らしながら、彼女は胸を張るように言ってのける。そんな肌、全部剥いでしまえばいい。
「……椿姉ならわかるでしょ? メイド服じゃ瑠璃様を守り切れないってことくらいさ」
彼女も御剣家の長女なのだ。ロングスカートで戦闘を行う、この難しさがわからない人ではない。
「ふっふっふ。棗、察しが悪いな? 私がただのメイド服を作るとでも思っていたかい?」
思っていないから確認しに来たんだよ、という言葉は飲み込む。突っ込めば負けである。
椿姉の不敵な笑いに一抹の不安を覚える。それはそうだ、変態に仕立てを頼むなんて僕ならしない。
「――その心は?」
「なんと、このメイド服。戦闘時には変形するのだ!」
◇◇◇◇◇◇
「というわけで」
「いや、何が『というわけで』なのかさっぱり分からないんだけど」
母さんと姉妹全員集合。謎である。いや、これから起こるであろう事を想像して、僕は深く――それはもう、深く溜息をついた。
父さんはというと、「急用を思い出した」と何食わぬ顔で言ってのけ、そそくさと何処かへ行ってしまった。頼みの綱はもうない、というか頼めるほど頑丈な綱でもないので、僕はもう期待していない。
「ふーん、お兄ちゃん、ついに女の子になっちゃうんだ……」
「こらそこ。勝手にお兄ちゃんを女の子にするな」
あと、ついに、ってなんだ。
恍惚とした表情で恐ろしいことを口にするのは、御剣葵。御剣家の三女であり、僕の唯一の妹でもある。姉の椿が頭脳方面が特化しているなら、葵は武闘に特化した天才。楓には経験と技術で未だに劣るが、その先天性の才能は他の姉妹の追随を許さない。僕の兄としての威厳が消失するのも時間の問題か。
十二歳にしては、大人びた童顔がにまりと笑みを作る。御剣家の女性は、どうしてこう、笑顔がいちいち怖いのか。ツインテールという、年相応の可愛らしい髪型をしている少女と侮ってはならない。
「おい待て。棗、切り落とす気か⁉」
「ふふ、まだまだ青いな、愚妹よ。棗が女になる必要はない――今回の主旨は男の子である棗が女装することによって完成するのだ。そう、男の娘にな!」
「つまり、お兄ちゃんのお兄ちゃんを切り落とす必要はない、と?」
「だめよー? 棗ちゃんの棗ちゃんは、御剣家の本家、唯一の一本なんだから。というか、男の娘というジャンルこそが正義……! よって、お母さん権限で女装のみを可とします!」
安らぎが欲しい。というか、ナニを切り落とす前に家族の縁を切り落とすわ。
女性陣の会話に、僕は頭を痛くしながらジャージを脱ぐ。
そして今回の主旨は、椿姉の作ったメイド服の機能の解説。どうせ碌なものではないのは重々承知であるが、椿姉が意味の無い機能を作るとは思えない。
やいのやいのと彼女達が男の娘談義で盛り上がっているうちに、手早く着替えを済ませる。着替えを手伝おう、などと言われれば収拾がつかなくなるのは目に見えている。
「あ、お兄ちゃん、もう着替え終わってる!」
「「「何!?」」」
「いや、もう機能確認して来栖家に行こうよ」
項垂れる数人を放置して、僕は着替えたメイド服を確認する。うーむ、下半身に不安を覚える。普段の着慣れたジャージと違って、下はロングスカート。足を覆ってくれてはいるものの、心許ない。やはりジャージを下に着込むのがベストか。
「ほら! ほら! 男の娘になった感想は!」
「えー……?」
ガラガラとキャスター付きの全身鏡を押しながら、母さんは鼻息荒く僕に感想を求めてくる。
鏡に映るのは、当然メイド服を着た僕である。僕の持つ、とある異能を得る副作用で白くなった髪と肌。鍛えた体は嘘のようにメイド服に包まれて鳴りを潜めている。元々、中性的な顔立ちであったこともあり、鏡に映るのは本当に女の子のようだ。
――かわいい。
「ちょっと、今僕の耳元で心の声を捏造したの、誰!?」
「だってぇ、男の子が女装したら、自分の可愛さに目覚めて男の娘に進化するって、薄い性書に書いてあったんだもん」
「ねー」
「「「ねー」」」
その同調圧力をやめろ……!
「依頼の為の変装だって割り切っているから、別に自分の女装にどうこう思っていないからね。思っていないからね!」
ぶーぶーと口を尖らす彼女達を無視して、椿姉に機能の紹介を催促する。彼女達に絡まれる度に反応していては、日を跨いでしまう。あと、無駄にカロリーを使うから早めに終わらせるのが吉である。
「えー、おっほん。愛しの棗からせっつかれたので、ぱぱっと紹介しますか。あ、そーれ、ぽちっとな」
しゅるしゅる、とメイド服の布と布が目まぐるしく移動し始めた。なるほど、変形とはこういうことか。いや、変形というよりは変身に近い。ほー、と感心するように己の着ている服の経緯を観察していた僕は、あることに気付き冷たい汗を流した。
嫌な予感は確信に変わる。僕の体の上を走る布が、より具体的に言うとスカートが、驚異的な速度で縮んでいく……!
「偉大なる先人達に敬意を払い、初期状態のメイド服にはロングスカートを取り入れてはいた。かく言う私もロングスカート派でね。だが、エロを求める需要がある限り、時に宗教というものは捨てねばならんな。これぞ、戦闘強化侍女装具壱式。ああ――ミニスカだ」
淡々と語る椿姉に、僕の変身を生唾を飲み込みながら見守る家族。
「ふ……」
堪忍袋の緒が切れた。
「ふざけるなああああああああああああああああああああああ!」
女装ミニスカメイドの爆誕である。