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仕事を終えてレネットはポームベール街に向かった。夕刻で人も多い道を歩き、裁縫店を訪れる。以前と違い、きちんと開店している店の扉から中へ入ると、夫と談笑しているアナナスを見つけた。
彼女は十七の年に結婚し、自分の両親と夫と四人で暮らしている。仲の良い夫婦だが、まだ子供はいない。友人に早く子供が出来ればいいのに、と二人を見てレネットは思った。
するとこちらに気付いたアナナスがレネットを見て顔をしかめた。
「……なに、またなにかあったの?」
面倒事はごめんだと思っているのがわかるその顔にレネットは苦笑をこぼすしかない。
「やあレネット。どうぞゆっくりしていってね」
アナナスの夫──レザンが笑顔でそう言い、階段を上って自分たちの居住区へ消えていった。きっと料理を始めるアナナスの母親の手伝いをしに行ったのだろう。
婿養子であるレザンは店や家事を母親と分担しながら生活している。
「で? あんたはなんの用なの」
アナナスはため息を吐きながらもレネットに椅子をすすめてくれる。そこに座り、店の帳簿に目を通しているアナナスに体を向ける。
「ノワって、もしかして私の事が好きなの?」
「……なんでそう思ったの。今まで一度もあんたそんな事言ってなかったじゃん」
ちらりと、帳簿からアナナスの視線がこちらへ向けられる。
「今まではノワは私の事を姉みたいに思ってくれて、それで懐いてくれてると思ってたの。……だけど、今日こないだシュクレの家で目が覚めたって話をしたら……」
そこまで言うと、アナナスは再度大きなため息を吐いた。彼女の中でその様子が鮮明に想像できたのだろう。
「なるほどね。ノワもさすがに耐えれなかったわけか」
耐えれなかった? その意味深な言葉にレネットが首を傾げるとアナナスが目の前にあるテーブルに肘をついてそこに顎を乗せる。
アナナスとノワの付き合いももう一年を超えている。彼女もノワに対して思う事があるのだろう。
アナナスはこちらに視線を寄越し、言葉を放つ。
「──ノワはね、最初からあんたが好きだったよ」
「…………そう、だったのね」
「でも別にあんたが悪いわけじゃないよ。確かにあんたはにぶいけど、ノワはそのにぶいのを利用してたの」
はっきりとアナナスににぶいと評価され、レネットはがっくりと肩を落とす。抗議したいところだが、確かにそれほど長く想われていたのに気付けないレネットはにぶい。反論できずに言葉を詰まらせていると、アナナスは言葉を続けた。
「ノワは自分がもっと立派になったら告白するって言ってたよ」
「立派に?」
「あいつの家は複雑でしょ。その当たりを綺麗にしておきたかったんじゃないのかな」
ノワの家は貴族だ。地方の貧乏貴族ではあるが、歴史が長いために気位だけはすこぶる高い。そんな自分の家族をノワは恥じている。
社会は働く女性を受け入れつつあるが、まだそれに慣れない人もたくさんいる。特に貴族は自分の誇りもあって、中々受け入れられないだろう。
しかも、自分の一人しかいない息子が市井で働いていれば心中穏やかなはずがない。まだノワに兄弟がいれば良かったが、跡継ぎはノワだけ。
そんな中、ノワが貴族でもない平民の娘と結婚したいと言い出せば、家族はどうでるか。
「家の事を綺麗に片付けて、レネットに気持ちを言ってもなにも問題のない状況になったら……それまでは見守るって言ってたけど。さすがに今まで男の影なんてなかったあんたの隣にいきなり現れたら、いくら我慢してもしきれないよ」
ノワはきっとレネットに甘えていたのだろう。男をいくら経っても作ろうとしないレネットならば、と。まだ大丈夫、時間はある。そう油断していたところに、シュクレの存在が現れ、だからこそ見守ると言っていたじはずのノワは妨害するようになったのだろう。
見守るつもりがあったのならば、レネットがシュクレといても、彼の店に行っても邪魔はしないだろう。だけど、やはり自分の好きな女が他の男といるのが我慢できなかったのだろう。
「そうね。でも私は……ノワの事は」
弟としか思っていなかった。それなのにいきなり男として見ろと言われても無理だ。
「そりゃそうでしょ。まあノワも今回の事でしっかり覚悟を決めるでしょ。あんたはそれからゆっくり考えればいいよ」
そうね、とレネットは返事を返した。
でも、心の中では全然納得できていない。ノワと結婚すれば大変だろうけど生活は安定する。自分を想ってくれる相手ならば幸せになれる。
シュクレに恋するより、きっと生産性はあるはずだ。
──けれど。そうはわかってはいても、レネットは今とてもシュクレに会いたかった。
絡まる自分の思考を今は整理したくもない。ただ、無性にあの優しくて甘い笑顔がとても見たかった。
本日でポームベールの連続更新は終了となります。ありがとうございました。続きは今月のどこかで(笑)
この恋を諦めて手軽な幸せを掴んだ方がいいかもしれないって思う時って、私は結構あるんですよね。葛藤葛藤。