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ポームベール街の砂糖菓子職人  作者: 天嶺 優香
二、心に色をつけるなら
7/22

2

 アナナスの言葉が理解できなくて──否、理解したくなくて、レネットは無言で首を振る。その無駄な抵抗にアナナスはため息と共に呆れた視線をよこした。

「嘘じゃないよ。あんた脱ぎだすの、とっても酔うとね」

「……なにそれ。そんなの知らないわよ。な、なんで教えてくれなかったの!」

 アナナスとは長い付き合いだ。それこそお互いがまだ十にも満たない時から遊び、喧嘩し、共に過ごしてきた。

 そんなアナナスの目の前で酔った事など数知れず。目の前でレネットが脱ぐ機会などいくらでもあっただろう。

「いや、良い男の前で見せてあわよくばって言う親心だよ」

「どこが! わ、私がそんな痴女になっていたんて……」

 恥ずかしさと怒りで体が震える。

 アナナスとしては二十代後半にもなっていまだ男性経験のない処女、というのを彼女なりに心配して──いっそ酔った勢いでもいいからそろそろ旦那候補を探しなさい、といったところだろう。

 その押し付けがましい親切心は実に悪友であるアナナスらしいが、レネットとしては痴女になってまで旦那は欲しくない。

「まあ……そんなわけで、あんたが勝手に脱ぎだして勝手にシュクレのベッド使ってぐーすか寝てただけだと思うよ、あたしは」

「そ……れは確かにそうかもしてないけど……、さすがに二十二の若い男が目の前で脱ぎだした酔っ払いの女に手を出さないと思う?」

 レネットとしては手を出されていないのも、なんだか癪に障る。

 美人というわけではないが、顔立ちは地味でもまあまあ整っている方で、冴えない焦げ茶色の髪も手入れをしっかりしているおかげで触り心地は良い。

 おまけに体つきも細すぎず太すぎずの程よい具合で、惜しむべきは胸が少し大きすぎるというところだが、男は大きい方が好きな人の方が多いのであまり気にしていない。

「まあそりゃ普通の男だったら食べられてただろうけど……あんたが思ってるよりシュクレはへたれなのよ。据え膳されても手が出せない腰抜けなの。良かったね、まだ汚れなき乙女で」

「ちょっと! 馬鹿にしてるでしょう。やめてよ、その汚れなき乙女っての。寒い寒い!」

 自分の肩を抱いてふざけるアナナスを睨みつける。しかしアナナスは肩をすくめてベッドから出て腕を伸ばして部屋を出て行こうとする。

「まああんたが心配してたような事はなかったって事だよ。それよりしっかりしたならシュクレに謝りにいけば? 家まで運んでもらったんだから」

「う……」

 アナナスはそれだけ言うと部屋を出て行ってしまった。取り残されたレネットはまだ温もりが残るベッドの上に寝転がった。

 まだ酔いがさめきってないせいか、頭が重い。

 明らかに飲み過ぎている現状に、レネットは布団に顔を埋めて唸った。


    ***


 アナナスの家で朝食をごちそうになり、水をたっぷり飲んで少しは酔いがさめた昼頃。レネットは重い足取りで自宅へと帰った。

 誰もいない家に帰り着き、誰に言うわけでもないが「ただいま」と口にしてそのまま自分のベッドへ寝転がった。

 ひやりとする冷たいシーツに、ぬくぬくとする毛布。やはりここが自分のベッドだ。

 シュクレのベッドは彼みたいに甘くて、優しい香りがした。

 ふわふわとした、彼の笑顔みたいな。見ているだけで心が癒される。

 彼の作るメレンゲもグラッセももちろん甘いが、きっとそれを作り出すシュクレも舐めたら砂糖のように甘いに違いない──と、そこまで考えてレネットはがばりと勢い良く身を起こす。

「やだ! これじゃあ変態じゃないの! あーもう、寝よ寝よ。こんなんじゃ駄目ね」

 酔いがさめたと思っていたが、そうやらまださめていないようだ。レネットはシュクレには明日謝りに行く事を決め、自分のベッドでそのまま眠りについた。

 レネットが見た夢は、齢二十八には似つかわしくない砂糖菓子に囲まれたメルヘンチックなもので、その中で絶対に似合わないピンクのドレスを着て、お菓子でできた動く王子様と踊っていた。

 顔はまったくシュクレとは似てないのにレネットはなぜかその王子様をシュクレと思っていて、「ああようやく彼と結ばれるのね」と微笑む。

 しかし──うふふ、と普段では絶対出さない自分の笑い声にようやく目が覚め、レネットが頭を抱えたのは太陽がとっぷりと沈んだ夜半の事だった。

 シュクレにそろそろ惑わされて自分が壊れてきた事をレネットは思い知った。

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