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ポームベール街の砂糖菓子職人  作者: 天嶺 優香
四、ほのかな香り
20/22

 振り返れば、急いで階段を駆け上がってきたせいか息が上がっているこの部屋の主だ。そのまま急ぎ足で彼はこちらに近づいてくると、首を傾げるレネットの肩を掴む。

「い、いつも散らかってるわけじゃないですからね!」

 と、焦ったように言われて、レネットは首を傾げたままやや考え、少ししてから部屋を綺麗にしていない事に幻滅したのかシュクレが心配している事がわかった。

 散らかってるとは言っても食事で使った皿がテーブルに散らかってるわけでもなく──とは言っても流し台の方に皿は少し積まれているようだが──、元々男の一人暮らしなのだ。綺麗にしているという希望はあまり持っていない。

 レネットは気にならないそんな小さな事を気にして仕事中なのに急いでやってくるシュクレが可愛くて、思わず笑ってしまう。

 そして、ついつい意地悪をしたくなる。

「確か前回来た時は、服がクローゼットに押し込まれてたけど」

「え! 見たんですか!」

「服がはみ出してた」

 うぐ、とシュクレは言葉に詰まる。

 シュクレはレネットから顔を背けて、ぼそぼそと小さな声で言い訳を始めた。

「し、仕事場の片付けはできるんです……けど、どうしても自分の部屋は気にかけられないというか、ずさんになるというか……」

 シュクレに憧れてまとわりついていた女の子達がこれを見たらなんというか。確かに完璧な王子様像は崩れてしまうかもしれない。

 お菓子が作れる甘い風貌の完璧な王子様。

 だけど、実際にはお菓子しか作れない案外ずぼらな普通の男だ。

 それでも、レネットがシュクレを好きだという気持ちに変わりはない。むしろ、親しみを感じられていい。

「ふふ、冗談。片付けられなくても大丈夫。私、片付けは得意な方だから」

 レネットが笑いながらそう言うと、ふいにシュクレは身をかがめ──暖かい唇が、レネットのと重なった。

 それはあっという間に離れて、いきなりの事に驚いてシュクレを見上げると、彼は嬉しそうにはにかんだ。

「すみません。本当は今夜部屋でゆっくり雰囲気でも作って、とか思ってたんですけど、なんか嬉しくて」

 ふわふわの柔らかそうなシュクレの髪が揺れる。レネットは腕を伸ばしてその髪に触れ、指で撫でながら、少しかかとを上げて、今度は自分から口付ける。

 ゆっくりとした動作で口付けて離れようとすると、すぐにシュクレの指がレネットの顎にかかり、上を向かされて、レネットは目を閉じた。

 啄むように唇が重なり、角度を変えられて何度も触れられる。

 シュクレの腕がレネットの背に回り、腰を抱く。

 静かな部屋で、小さなリップ音だけが響いて、レネットはどんどん自分の心が貪欲になっていくのがわかる。

 先ほどまでは店に早く戻らせなきゃと少し考えていたのに、今はもっともっととねだりそうになる。

 シュクレも、可愛いだけではないしっかりとした男だというのが、レネットの腰に回った硬い腕が、時折遠慮がちに腰から下の丸みに触れる度に実感する。

 触れるだけではなく、尻を強く掴んで欲しい。もっと濃厚な口付けがしたい。そんな浅ましい思いがレネットの胸の中に湧くが、きっとそれはシュクレも同じだろう。

 だけど、このまま流れに身を任せてはいけないのはお互いにわかっている。

「シュ、クレ」

 触れるだけの口付けの合間に、レネットは呼びかける。仕事をするシュクレの硬い指が、レネットの頬を撫でる。

「シュクレ、仕事……」

「うん」

 うんじゃなくて。レネットがそう言おうと思っても、聞きたくないとばかりに口を塞がれた。

 ここで年上の自分が折れたらいけない、とレネットは自分を戒めて、なんとかシュクレから解放してもらおうと胸板を叩くが、びくともしない。

 腕を掴もうとするが、シャツの生地に指が滑って、結局布しか掴めない。

「も、シュクレ」

「だって」

「だってじゃなくて」

 まるで駄々をこねる子供だ。レネットが顔を背けると、途端に顎にかかった指がシュクレの方に向かされる。そしてまた口付けが落とされる。その繰り返しだ。店に一人残っているグルナードに申し訳ない。

「シュクレ」

「もう少し」

 完全に(たが)が外れている。レネットはシュクレの頭を撫でていた手を彼の頬に移動し、むにっと頬をつまむ。すると、ようやくシュクレが顔を少し離してレネットを見た。

「ね、ちゃんとここで待ってるから。今は仕事に行って」

 言い聞かせるように努めて冷静にレネットはシュクレに言う。シュクレもようやく落ち着いたのか、最後にレネットの頬に口付けして「わかりました」としっかり答えを返した。

「ちゃんと待っててくださいね」

「わかったよ。待ってる」

 シュクレはそれだけ言うと、名残惜しそうにレネットから離れて、部屋を出て行った。

ばたん、と音を立てて閉まる扉を見ながら、レネットは一気に緊張から解放されてずるずるとその場に崩れた。

 両手で頬を抑えると熱が出た時のように熱い。

「うう、心臓に悪い……」

 レネットは崩れた姿勢でそのまま暫く動けずにいた。


    ***


 

お待たせしてすみません。予定では次話で最終話の後、番外編を1話〜2話ほど更新する予定です。

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