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ポームベール街の砂糖菓子職人  作者: 天嶺 優香
一、甘い砂糖の男
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2

 話の長い老婆の話を聞いて、姑がうるさくてストレスがたまっている新妻に家事の本を探して、ついでに姑と上手く生活する指南書も渡しておく。

 それから希望が出ている本を検閲して図書館に置くか検討し、資料を整理して、古くなった本の修正や、返却された本の整理。やらなくてはならない事はたくさんある。

 もうこの職場に勤めて長くなるので、新人が入ってくればその指導も任される。仕事では邪魔な長い髪は後ろで無造作に縛っておく。本当は男のように短くしてしまえばすっきりするが、周りの目があるのでそれもできない。仕事用の簡素なドレスは動きにくいし、縛っていても髪は邪魔だ。

「レネットさん、この本って場所は……」

 新しく入った新人の女の子がそうレネットに尋ねてきて、資料を読んでいた手を止める。返却された本ぐらい元の場所に自分で返しに行けばいい、とレネットは思ったが、そんな事を言えば彼女は棚を歩き回って迷い、日が暮れてしまう。

 何年経っても新人育成は苦手だとレネットは感じながら席を立ち、彼女の方へ足を向けた。新人の彼女──フレーズから本を数冊受け取り、一緒にその棚へ案内する。背表紙に張られている紙を見れば番号が振ってあり、その番号が示す棚に並べるだけなのだが、彼女にはそれがどうやらできないらしい。

「こっちよ。ついてきて」

 呆れながら、しかしそれを顔に出さないようにしながらいくつかの棚を横切り、その番号の示す棚についた時。レネットは仕事中だと言うのに、足を止めてその棚にいた先客に目が釘付けになってしまった。

 淡い昼の光で柔らかく輝く、ベージュよりももっと薄く、光の加減に酔っては白髪にも見える髪。その濃厚なチョコレート色の瞳はじっと手元の本に注がれていて、白い肌がとても滑らかで、そうしている彼がとても幻想的で、そこだけ次元が違っていた。

 なぜクラルテの店主がここにいるのか。自分の職場に、自分のこんな近くに。そう思って唖然としていると、ふいにシュクレが顔を上げ、こちらを見た。司書の制服に気づいたのか、彼は少し微笑んで会釈し、本を手に去ってしまった。

 自分の横を通り過ぎる際に彼の甘い砂糖の香りが鼻孔をくすぐり、それだけで顔が火照る。去ってしまった方へ視線を未練がましく向けてしまう。

「あの方ってクラルテの! ああ、どうしよう。こっち見ましたよね。絶対目が合いましたよね!」

 フレーズが興奮気味にそうレネットに言ってくるが、目が合ったのは多分フレーズだけではないはずだ。司書に対して礼儀を尽くしただけであって、個人に向けたものではない。それだというのにフレーズはいつまでも騒いでいる。

 十代というのは若いな、と呆れながらも少し妬む心が交じる。

 ほぼ毎日あの店に通っているレネットの顔はもしかしたら覚えているかもしれないのだから、彼に「クラルテのシュクレさんですよね。珍しいですね、図書館へなんて」とか、声をかければよかったのだ。

 いきなり連絡先を聞くより、その方がまだ不自然ではないし、そもそも怪しまれても「クラルテのファンで、結構通っているんです」とでも言えば、シュクレも悪き気はしないはずだ。

 それを、どうしてしなかったのだろう。

 気軽さを装って声をかけ、仲良くなる絶好の機会だったはずだ。

 もう一度時間が巻き戻って彼と図書館で会いたい、と願ったレネットだが、結局その日はもうシュクレを図書館で見る事はなかった。

 ただ、いつまでも騒ぐフレーズの声がいつまでも響くだけだった。

 そうして就業時間までシュクレとの関係発展への作戦を練っていた。いきなり声をかけて「連絡先を教えてください。まずは文通から」なんて、年下の男性に向けるべき言葉じゃない気がする。

 ここは年上らしく「シュクレの店主さんでしょ。私とご飯でもどう?」なんて声をかけてしまった日には、遊び人というレッテルが貼られてしまう。

 どうするべきか悩みに悩み、今日もまたクラルテに向かいながら考え、店の扉の前で、急に良案を思いついた。

──そうよ。図書館で目が合ったんだもの。それを使えばいいのよね。

 そうひらめくなりいきなり勇気が溢れ出し、まるで十代の頃のような妙な胸騒ぎを覚えながら扉を開ける。

 ちりん、と軽やかな鈴の音。いらっしゃいませ、とシュクレの声が聞こえ、わずかに顔を赤くさせながら彼の方へ視線を向け──そこにいてほしくない女がいて、レネットは絶句した。

「やだ、シュクレさんったら! 図書館で目が合ったじゃないですか」

 化粧を思いっきりしたフレーズが自分と同じ年くらいの女の子たちとシュクレを囲んで談笑していた。その若い集団に、レネットの勇気は一気にしぼんでしまう。

「……今日は何にしましょうか」

 目敏くレネットを見つけたグルナードが控えめに尋ねてきて、レネットは恥ずかしいやら悔しいやら、様々な感情で乱れながら苺のジャムとメレンゲを買って、今日もまたただの客としての一日を終えた。

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