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レネットさん、と声をかけられて、本棚に向けていた視線を上げる。
そこには顔をしかめたフレーズがいた。今日もまた彼女は若々しい化粧に、髪で、どうしてこうも年齢が違うだけなのにこんなにもかけ離れているのかと不思議になってしまう。
「どうかしたの?」
またわからない事でもあったのかと思って問いかけると、彼女は開口早々に言う。
「どういうつもりですか?」
「……なんの話をしてるの?」
質問に対して質問をするのはあまり好きじゃない。けれど、仮にも教えてもらっている先輩に対していきなり失礼な態度じゃないだろうか。
レネットは思わず顔をしかめてフレーズを見据える。
「わかっていますよね?もちろんシュクレさんの事です」
どうしてフレーズの話をレネットがわかっているのだと判断して、しかもそれがシュクレの話に繋がるのか、さっぱりわからない。
回りくどいのは好きじゃないと言うのに、もっとはっきり言ってくれないものか。
「意味がわからないわね。私はなんの話をしているのか尋ねてるのよ」
仕事中に急用でもないのに関係ない話を持ち出さないでほしい。この時間にレネットもフレーズもやれる事はいくらでもあるはずだ。
「……シュクレさんと噂になっている事についてです」
フレーズはレネットの冷ややかな言葉にも負けずそう言い返してくる。
その根性は褒めてやりたいが、しかし仕事中にその話は必要だろうか。
「……今あなたは休憩中だったの?それは仕事を放っておくほど急用な話?」
「いえ、違います」
「じゃあ今あなたに話す事ではないし、あなたに関係ある話でもないわよね」
苛々としてしまってつい口調がきつくなる。
フレーズは顔こそ不服そうだが、唇を尖らせつつも「はい」と返事を返す。
「仕事して。人手は足りてないのよ。こんな話してる暇なんてないんだから」
これが休憩中だとしたらもう少し態度が違ったかもしれないが、わざわざ自分の持ち場を離れて仕事中にする話ではない。
すみません、とフレーズは小さな声で謝罪してそのまま去った。レネットは彼女の背を見送り、また本棚に視線を戻す。
最近この手の質問が増えてきた。
遠巻きに「あれがシュクレさんの……」と見られている分には問題ないが、若い女の子達は堂々とレネットの元にやってきては「どういうつもりなの?」と言ってくる。
どういうつもりもなにも、シュクレから噂が広がったのだし、本人に聞くのが一番早いはずだ。レネットに聞かれても答え様がない。
「そういえばシュクレとももう何日も会ってない……」
あの気まずい酒場でシュクレが帰ってしまってから、まだ彼と会っていない。
もう何日も過ぎてしまって──日が経つほど謝りにくくなっていく。
今日こそはと意気込んでも仕事で遅くなったり、ノワに捕まったり。
そして二人で食事をした事が広まったようで、だからこそフレーズのようにレネットに関係を聞いてくる人達も増えた。
仕事の邪魔さえしてくれなければなんの問題もないが、そろそろなにか手を考えるべきだろうか。刺激せず放っておくのが一番良い気がしていたが、一向に落ち着く気配がない。
「ああ……メレンゲが食べたい」
あの甘い味を舌に乗せて、溶かして、体へ流し込みたい。
シュクレと会っていないという事はもちろんクラルテにも行けていない。
もう家に補充してあったメレンゲもジャムも、クラルテで買ったものは全て食べきってしまった。
「今日こそはクラルテに行ってシュクレに謝ってお菓子を買おう……!」
レネットは意気込んで本棚に背を向け、歩き出す。
歩いているとふいに数日前のシュクレの顔が脳裏によぎる。
──……あなたの事が好きなんです、レネットさん。
顔を赤くして、少年のように初々しい告白だった。
きっと彼の心も甘いに違いない。熟れた林檎まではいかなかったが、薄く顔や耳まで赤みを帯びたシュクレはいっそ甘美なお菓子のようだった。
清らかなで、優しいシュクレ。
そんな彼を、レネットが汚してしまわないだろうか。
そんな風に悩んでいたけれど、少しくらい汚れてもまたそれも甘美なものに違いない──
「……って私!これじゃあ変態みたい……!」
周りに聞こえないように小声で思わず叫び、かあっと顔が熱を持つ。
シュクレの事を考えると、どうも自分の思考が変に暴走する。まるで子供を誑かす親父にでもなった気分だ。
「ああもう……仕事疲れなのかな、これは」
早くクラルテのお菓子を食べてストレスを解消し、“普通”を取り戻さなくてはいけない。
レネットはつい苦笑を漏らして早く仕事が終わるよう祈った。
仕事を終えたら今度こそクラルテに行こう。
レネットを癒してくれるクラルテに、早く行きたい。
焦らしてしまいましたが、ようやく明日動き出します。
次章はレネットが変態になる……かも?




